ガレリア・イスカ通信

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2017年 05月 08日

アンディ・ウォーホルの写真集「Andy Warhol Photographs」(1987)

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アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)の生前最後の個展は、ニューヨーク市のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)で、1987年1月6日から31日にかけて開催された写真展「Andy Warhol Photographs」であった。これはその展覧会に合わせて刊行された写真集。1976年以降に制作された同じ図柄の写真-4枚組のものが多いが、6枚組、9枚組、12枚組ものもある-を白い糸で縫い合わせて作られた「縫合写真(Stitched Photographs)」77点を収録している。本の装丁は、30年のキャリアを持ち、この後ブルース・ウェーバーの写真集「Bruce Weber」(Alfred Knopf, New York, 1989)のデザインと編集を手掛けることになるブック・デザイナーのジョン・シャイム(John Cheim)によるもの。シャイムは1997年、多くの作家との仕事を活かし、ニューヨーク市にハワード・リード(Howard Read)とギャラリー、シャイム・アンド・リード(Cheim & Read)を設立している。

この写真集は1990年代にニューヨーク市にある古書店の在庫リストからタイトルだけで購入したもので、購入時の価格は50ドルだったと思う。写真集がブームになった時期には200ドル以上の値が付いたが、今は100ドル前後というところか。画像を見てのとおり、黄色フェチの自分には至福の一冊となった。ダストカバーはなく、黄色一色の表紙にエンボスが施された黒地に白色のレタリングが立体感を生み出しているのだが、そのアイデアの根底にはマン・レイの写真とポール・エリュアールの詩によるコラボレーション「ファシール(Facile)」(1935年)(註1)があったのだろうか。

そのウォーホルの写真作品を入手できる最初で最後のチャンスは、現在では優に100万円以上しているが、1987年、ウォーホルが死の直前にスイスの美術誌『パーケット(Parkett)』からの依頼で制作した120部限定の縫合写真(four stitched-together photographs of skeletons)(註2)であった。それは4点の骸骨の写真を縫い合わせたもので、多少高かったものの、まだ手が届きそうに思えた。が、ルオーの骸骨をモチーフとした版画作品の評価が頭をよぎり、決断できなかった。作品はウォーホルが病院に入院する直前にファクトリーから発送され、ウォーホルが亡くなった次の日(1987年2月23日)に出版社に届けられた。ウォーホル自身自己の死を予感していたわけではないが、期せずして「死を想え-メメント・モリ(Memento Mori)」に繋がるテーマを選んでしまったことになる。

同じイメージを反復するというウォーホルの手法は、お馴染みのものであるが、いまひとつ理解できないところがある。ましてやそれを“糸”で縫い合わせるという行為の意図については。反芸術を標榜するかのように、『ぼくは退屈なものが好きだ』という言葉を残したウォーホルは、パターン化された表現を繰り返し用いることで、大量生産という消費社会の特性を取り込みながら、全体を抽象的なひとつの光と影のコントラストに還元し、一回性を重んじる旧来の芸術が目指してきたものとは対極的な地平、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887-1968)のレディ・メイドを継承するポップ・アートの雄として立っている。糸で縫うというアイデアについては、美術史家のウィリアム・ガニス(William Ganis)の著書(註3)によれば、彼の友人で、スタジオ助手、旅行同伴者の写真家クリストファー・マコス(Christopher Makos, 1948-)が1976年から行なってきたものを拝借(ウォーホルは他の作家のアイデアを自己の表現に取り入れ、それを自らのものとしている。そのことは草間弥生や東典男が証言している)したもので、ウォーホルは1982年、ベルニナ・ミシン(Bernina Sewing Machine)を購入し、マコスが勧誘してきた服飾学校生ミシェル・ラウド(Michele Loud)を助手と使い、縫合写真の殆んど全てを担当させている。その最初の成果となったのが、1987年のロバート・ミラー画廊での個展であった。この個展は批評家の賞賛を浴び、98点の縫合写真が売れた。それに気を良くしたウォーホルは亡くなるまで制作を続けた、とある。

縫合写真を見ていて気になるのは、縫いつけを示すためであろう、写真の角が合わさる部分に縫い糸を意図的に残しているところである。それはコンセプトとしての縫合写真を成立させるため、あるいはオブジェとしての量感というか物質感を持たせるための作為であったのだろうか。

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Catalogue
●著者:Stephen Koch
●サイズ:290x232mm
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1987
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註:

1.
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図版:Man Ray et Paul Éluard, 『Facile』. Poésies de Paul Éluard. Photographies de Man Ray. Paris, Éditions G.L.M., 1935.

2.
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図版:Andy Warhol:Photo Edition for the Parkett(Parkett No.12), 1987. Multiple of four machine-sewn gelatin silver prints, 248x199mm, Ed.120

3.William V. Ganis, 『Andy Warhol’s Serial Photography』. Cambridge, 2004
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# by galleria-iska | 2017-05-08 22:35 | 図録類 | Comments(0)
2017年 05月 03日

クルト・セリグマン版画展の招待状「Berggruen & Cie」(1998)

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中世の吟遊詩人トルバドゥールや“死の舞踏”を想起させる儀式に没頭する騎士、あるいは故郷であるバーゼルのカーニヴァルに触発された幻想的な作風で知られるスイス生まれのドイツ系アメリカ人画家で版画家そして文筆家でもあったクルト・セリグマン(Kurt Seligmann, 1900-1962)は、詳細な年譜によると、1919年にジュネーヴの美術学校(École des Beaux-Arts, Genève)-そこで、たった3日で退校することになるアルベルト・ジャコメッティ(Albert Giacometti, 1901-1964)と出合う-で学び始めるが、1920年、家具店を経営をしていた父親の健康が悪化したため、バーゼルに戻り、家具店の経営に携わる。1926年に観た展覧会が切っ掛けで芸術探求への情熱が再燃、1928年には反対していた父親もその道に進むことを認めたため、家具店の仕事から退き、フィレンツェへ旅立ち、美術アカデミー(Accademia di Belle Arti)に入学、その年の残りをそこで学ぶ。1929年、パリに渡り、キュビスム的な作風で知られるアンドレ・ロート(André Lhote、1885-1962)が主催するAcadémie André Lhoteに入学、そこで絵画を学ぶが、しばらくしてアカデミー色の薄い指導を行なうAcadémie de la Grande Chaumiéreに移る。この時期に彼にシュルレアリスムを紹介し助言者となるアルザス地方ストラスブール出身の画家で詩人、彫刻家のジャン・アルプ(Jean Arp、1886-1966)と出合い、アルプを通してもうひとりのシュルレアリスムの画家マックス・エルンスト(Max Ernst)とも知り合う。そしてアルプとフランスの抽象画家ジャン・エリオン(Jean Hélion, 1904-1987)の招待で、抽象創造運動、アブストラクシオン・クレクレアシオン(Abstraction-Création Art Non Figuratif)にグループに加わる。1935年にアブストラクシオン・クレクレアシオンに出品していた日本人の前衛画家、岡本太郎(Taro Okamoto, 1911-1996)と「ネオ・コンクレティスム(新具体主義)」を提唱する。その一方で、作品はシュルレアリスム的傾向が強くなり、1934年、ジャック・ヘロルド(Jacques Hérold), オスカー・ドミンゲス(Óscar Domínguez,) リヒャルト・エルツェ(Richard Oelze)、ハンス・ベルメール(Hans Bellmer)と共に、正式にシュルレアリスムのサークルのメンバーとなる。セリグマンの名を知らしめることになったのは、1938年にパリで開催されたシュルレアリスム国際展(Exposition internationale du surréalisme)(註1)に出品したオブジェ「超-家具(Ultra-Meuble)」で、女性の四本の脚を生やしたテーブルとも椅子ともつかぬエロティックな作品である。その翌年の1939年9月、第二次大戦の勃発を受けて、セリグマンは、1920年から兄弟で美術商を営んでいるカール・ニーレンドルフ(Karl Nierendorf, 1889-1947)がベルリンに開いた画廊(Galerie Nierendorf GmbH, Berlin)のニューヨーク支店とも言える画廊(Nierendorf Gallery, New York)での展覧会「Kurt Seligmann:Specters 1939 A.D.—13 Variations on a macabre theme」への出席を口実に、ドイツ人の妻Arletteを連れてアメリカに移住。それには父親がユダヤ人であったことが背景にあるのではないかと思われるが、シュルレアリストとして最初の亡命者となった。そこでアメリカの美術史家で当時ニューヨーク近代美術館(MoMA)の館長であったアルフレッド・バーの協力を得て、ナチスの迫害を逃れるために、多くの画家や作家(註2)の移住を促進する役割を果たした。また展覧会活動も盛んに行ない、著作も発表する。晩年はニューヨーク市から一時間ほどぼ距離にあるシュガー・ローフの農場で過ごすことが多くなり、自殺との説もあるが、鳥の餌を食べるネズミを撃つ準備をしているとき、凍った階段で滑った際にライフル銃が暴発、1962年1月2日に亡くなっている。

これはパリのベルクグリューン画廊(Berggruen & Cie, Paris)で1998年に開催されたクルト・セリグマンの版画展への招待状である。二つ折りの両端を袖のように折り込んだ表紙の内側に二つ折りの招待状を綴じ込んだ冊子風のユニークな造りとなっている。この時の画廊のオーナーは三代目となるルーヴル美術学校(L'Ecole du Louvre)で美術史の専門教育を受けた女性ディーラー、ソワジック・オドゥアール(Soizic Audouard)であった。前にも書いたが、オドゥアールは写真に関する鋭敏で緻密、かつ興味深い洞察力を持ち合わせており、ディーラーとして、写真史に残る重要な作品の収集を行いつつ、2001年に画廊を閉めるまで、シュルレアリスムの作家やそれを引き継ぐ現代作家の作品を取り扱った。彼女は以前に取り上げたベルクグリュンの最後の通信販売用カタログ「Maitres-graveurs contemporains」の発行者でもあった。日本では岡本太郎(Taro Okamoto, 1911-1996)との関係性やその著作『The History of Magic (邦題:魔法ーその歴史と正体)』(Pantheon Books, 1948)(註3)の方への関心が強く、版画家としてのセリグマンはあまり紹介されていないかもしれない。私自身、未だセリグマンの版画作品を手にしたことがないが、彼の作品の複製を何点か掲載しているパリのマーグ画廊(Galerie Maeght, Paris)で1949年に開催されたセリグマンの里帰り展の図録とも言える美術誌『鏡の裏(Derrière le Miroir)』の第19号「Kurt Seligmann」(註4)が手元にある。それを見ると、セリグマンの画風は、アンドレ・マッソンの影響を受けたものであるように見えるのだが。

●作家:Kurt Seligmann(1900-1962)
●種類:Invitation
●サイズ:112x60mm(112x240mm)
●技法:Offset
●発行:Berggruen & Cie, Soizic Audouard, Paris
●制作年:1998
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註:

1.展覧会に参加した作家:(Jean Arp, Hans Bellmer, Victor Brauner, Andre Breton, Giorgio de Chiricom Rene Magritte, Andre Masson, Matta Echaurren, E.L.T. Mesens, Joan Miro, Richard Oelze, Meret Oppenheim, Wolfgang Paalen, Pablo Picasso, Man Ray, Kurt Seligmann, Yves Tanguy, Raoul Ubac)等。

2.セリグマンの働きでアメリカに亡命したシュルレアリスト:アンドレ・ブルトン夫妻(André Breton and his wife)、アンドレ・マッソン(André Masson), ポール・エリュアール(Paul Eluard), そしてピエール・マビーユ(Pierre Mabille)

3.フランス語版:「Le Miroir de la Magie. Histoire de la Magie dans le monde occidental」(Fasquelle Éditeurs, Paris,1956)

4.マーグ画廊発行の美術誌『鏡の裏(Derrière le Miroir)』第19号「Kurt Seligmann」1949年(第二版)。3点のカラーリトグラフと2点のモノクロリトグラフを収録。380x280mm

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図版:展覧会の告知用ポスター、560x390mm、マーグ画廊、パリ、1949年
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# by galleria-iska | 2017-05-03 12:51 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2017年 05月 01日

ベルナール・ビュッフェの招待状「Bernard Buffet - Le Japon」(1981)

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第二次大戦後のフランス具象画壇を代表する作家ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)が専属画廊であるパリのモーリス・ガルニエ画廊(Galerie Maurice Garnier, Paris)で1981年、日本をテーマとする絵画作品による個展「Le Japon」を開催した際に制作したヴェルニサージュへの招待状。髪を結った和服姿の女性の頭部を描いたオリジナル・リトグラフで、日本人の本質的な部分は捉えているものの、我々日本人には些か奇異に映る。人形浄瑠璃の首(デコ)に見えなくもない。ビュッフェは同時に、妻のアナベルとの日本旅行に触発されて制作したオリジナル・リトグラフ24点からなる版画集「Le Voyage au Japon(日本への旅)」(註1)も発表している。この招待状もそうであるが、この時期のビュッフェの版画作品は、具象絵画の手法に則ってはいるものの、見るものの感情移入を遮るかのような何の情感もない平面的な画面を強く押し出しているように見える。それはニューペインティングがひとつの潮流として-かつての自分がそうであったように-表現主義風の身振りを纏って現れる中で、現代美術の語彙を身に付けたビュッフェが導き出したひとつの答であったのであろうか。

承知のように、画家としてのビュッフェの評価は早くも1950年代に頂点に達し、ピカソを超える作家として大いに嘱望されたのだが、その姿は、1950年代に流麗でモダンな演奏によってマイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926-1991)を超える人気を博したトランペット奏者チェット・ベイカー(Chet Baker、1929-1988)と不思議と重なって見える。ビュッフェとベイカー、二人とも天賦の才能を持ちながらも、大いなる成功がスタイルの変革を許さず、その後の様々な挑戦も絶頂期以上の評価を得られず、ビュッフェは“ガス自殺”、ベイカーは麻薬摂取が原因とみられる“転落死”という悲劇的な最後を迎える。一方、ピカソとマイルスは絶えずスタイルを脱ぎ捨てながら、自己変革を遂げていったのである。

●作家:Bernard Buffet(1928-1999)
●種類:Invitation(Carton d'invitation)
●題名:Japonaise
●サイズ:200x155mm(200x310mm)
●技法:Lithograph
●紙質:Vélin Arches
●発行:Galerie Maurice Garnier, Paris
●印刷:Mourlot Imp., Paris
●制作年:1981
●目録番号:355bis (Catalogue raisonné volume 2, page 50)
Lithographie publiée en 1981 pour l'exposition "Le Japon" à
la Galerie Maurice Garnier.

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註:


1.
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図版:ベルナール・ビュッフェの版画集「Le Voyage au Japon(日本への旅)」。ビュッフェが妻アナベルの日本旅行を辿る形で制作した版画集は、ビュッフェのオリジナル・リトグラフ24点とビュッフェが書き移したアナベルのテキストとからなる。限定180部、610x457mm、100ぺージ。

2.
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図版:1981年にパリのモーリス・ガルニエ画廊で開催されたビュッフェの個展「Le Japon」の図録。300x280mm。
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# by galleria-iska | 2017-05-01 22:21 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2017年 04月 28日

20世紀誌(第44号)「XXe siècle XLIV: Panorama 75」(1975)

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●種類:Art Magazine
●題名:XXe siécle Panorama 75 - Nouvelle sèrie XXXVIIe Année - No44 - Juin 1975
●サイズ:320x 250mm
●印刷:Imprimerie Amilcare Pizzi S.P.A., Milan
●発行:Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris
●制作年:1975

今月初めだったと思うが、何気に新聞を捲っていたら、アメリカのポップアートの画家ジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquist, 1933-2017)が去る3月31日にニューヨーク市の自宅で亡くなったという小さな死亡記事が目に飛び込んできた。享年83歳。最近、活動を耳にしないと思っていたのだが、闘病生活を送っていたとのこと。またひとり、ポップアートの巨星が落ちた。ローゼンクイストは版画家としても数多くの作品を残しているが、彼の作品との最初の出会は、1964年にベルンのコンフェルト画廊から限定2000部で出版された画家で詩人のウォレス・ティン(Walasse Ting (丁雄泉), 1929–2010)が手掛けた詩画集「1¢Life」(1964年)の挿絵として描かれたリトグラフ「New Oxy」(Cat.no.2)(註1)であった。まだ抽象表現主義風の筆致が残る荒削りな画面は、その後の彼のスタイルとなっていく様々なモチーフと文字をコラージュのように組み合わせたものであったが、その混沌とした画面には-そこが凡人の凡人たる所以であるが-あまり魅力を感じなかった。しかし、その翌年の1965年にニューヨーク市のレオ・キャステリ画廊で行なわれた最初の個展の際に制作された、絵画作品「F-111」をもとにした案内状(メイラー・ポスター)「F-111 (Castelli Gallery Poster)」(註2)には驚いた。ロイ・リキテンスタイン場合もそうだったのだが、すっかりポップ・アートに変貌していたからである。個人的には1967年にアスペン・イースター・ジャズ・フェスティヴァル(Aspen Easter Jazz Festival)の広報用に制作されたポスターが好きで、未だ手元に置いているのだが、他のものは手放してしまったため、フランスで発行されていた美術専門誌「20世紀(XXe siècle)」所収のオリジナル・リトグラフ「Auto Tire, Dinner Traiangle」を、哀悼の意を込めて取り上げたい。このリトグラフは、アメリカの版画工房ではなく、パリのムルロー工房で刷られている点が興味を引く。ムルロー工房の刷りは彩度が低く抑えられているのが特徴なのだが、この作品の刷りでは-別刷りの限定38部のものと色調が異なる可能性もあるが-色抜けが良く、ムルロー工房のものとは思えない。

●作家:James Rosenquist(1933-2017)
●種類:Print
●題名:Auto Tire, Dinner Traiangle
●サイズ:312x240mm
●技法:Lithograph
●印刷:Fernand Mourlot Imp., Paris
●発行:Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris
●制作年:1975
●目録番号:95
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註:

1.
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ローゼンクイストの版画の総目録:「Rosenquist - Time dust. James Rosenquist complete graphics: 1962-1992」
Glenn Constance, published by Rizzoli International Publishing, Inc.,New York, 1993. 25x26cm, 179pp, 300 col. This book includes a catalogue raisonne of the artist's 229 prints (150 colorplates) and an extensive bibliography. このカタログはタイトルに「Time Dust」とあるように、1992年に制作されたエポック・メイキングな巨大な版画作品「Time Dust」(2.1メートルx10.6メートル)とローゼンクイストの全版画の公開を目的とする、ロングビーチのカルフォルニア州立大学美術館の企画による巡回展「Time Dust」の図録として刊行されたもの。表紙には作品の一部が使われている。
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「Time Dust」全図
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ローゼンクイストのオリジナル・リトグラフ「Auto Tire, Dinner Traiangle」に関する記載。

2.
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図版:F-111 (Castelli Gallery Poster), 737x588mm(Image:708x559mm), offset lithograph in colors, 1965 published by Leo Castelli Gallery, New York. 以前、ネットでテキストの入ったものを見たように記憶しているのだが、ひょっとすると失われた画像データの中に入っていたかもしれない。
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# by galleria-iska | 2017-04-28 21:59 | その他 | Comments(0)
2017年 04月 24日

カリン・シェケシーの写真「Nude」(1993)

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紙に直接文字を書くことが減ったことも原因のひとつとしてあるかもしれないが、記憶がこんがらがる事が増えている。自分はこれで間違いないと思っていることが、それとは別の事柄と引っ付いて、新しい事実として脳にインプットされてしまっているから厄介である。思い込みというやつであるが、妄想癖がそれに拍車を掛けているようだ。自分の言うことが信用し難くなっている。

テクノロジーの進化により銀量の減った銀塩写真の物質性が失われていったように、カラー写真も印画紙の生産がデジタル用のものに置き換えられていく中で-それはある意味概念の言語化の過程と似ているのかもしれないのだが-何かが確実に失われていくに違いない。我々が未だアナログ的な行為として愉しんでいる食べるという行為も、生命の維持という本質的な意味に還元するならば、宇宙飛行士が摂っていた宇宙食を更に進化させ、生命維持のための栄養分の補給と満腹感を得るための何らかのカプセル(サプリメントとしてあるものの応用)の摂取と仮想現実との組み合わせによって、和食であれ洋食であれ、プログラミングされた料理を堪能することが出来るようになるのではないだろうか。そうすれば食料生産のための途方もない労力が必要なくなるとともに、人類を飢餓から解放することが可能となるかもしれない、と書いたところで、2022年の世界を描いた1973年公開のアメリカ映画「ソイレント・グリーン(Soylent Green)」を思い出してしまった。快楽に虚しさを覚え、苦痛に希望を見出す。昨今の社会情勢を見ていると、人類は再びカタストロフを求めているのかもしれない。

女性のヌード写真において独自の表現スタイルを築いたドイツの写真家カリン・シェケシー(Karin Székessy,1938-)さんから頂いた(?)小判サイズのカラー写真(C-Print)。プレゼン用に焼いたものかもしれない。小道具にロープを使った写真のうちのひとつであるが、題名は不明である。いわゆる緊縛写真を意図したものではなく、動きを与えたモデルを低速シャッターで撮ることでブレを生じさせ、カラー写真ではあるが、濃紺のトーンによるモノクローム調に仕上げることで、幻想的な表情を創り出している。

●作家:Karin Székessy(1938-)
●種類:Photograph
●サイズ:156x111mm(Image:146x101mm)
●技法:Chromogenic color print(C-Print)
●紙質:Kodak Professional Paper
●制作年:1993
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                            印画紙の裏側


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                   マーカーペンによる署名と年記
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# by galleria-iska | 2017-04-24 20:30 | その他 | Comments(0)