ガレリア・イスカ通信

galleriska.exblog.jp
ブログトップ
2010年 11月 09日

ウィリアム・エグルストン写真展招待状「Robert Miller Gallery」(1993)

a0155815_22122438.jpg

1993年にニューヨークのロバート・ミラー画廊で開催された「ウィリアム・エグルストン展」のオープニングへの招待状。使われているのは1975年に撮影、ダイ・トランスファー・プロセス(Dye-transfer process)でプリントされた「Untitled」。ダイ・トランスファー・プリントは、イエロー、マゼンタ、シアン、3色の染料を使用した転染法によるカラープリントで、1945年にコダック社が開発、フィルム製造を止めた1995年に原材料の製造を中止している。ダイ・トランスファーは光に対する耐性が強く、発色にも優れているが、時間と手間と費用が掛かるのが難点で、デトロイト出身の写真家ハリー・キャラハン(Harry Callahan 1912-1999)によると、年収4000ドルだった1950年代初頭、ダイ・トランスファー・プリントを一枚作るのに150ドルも要したとある。その後の価格の推移は分からないが、エグルストンがダイ・トランスファー・プリントによる作品を制作したのは、カラー写真を始めてから7年目の1972年なので、やはり費用面での困難さがあったのではないかと推察される。

エグルストンのロバート・ミラー画廊での展覧会歴は以下の通り:

1984: 「William Eggleston: Dye Transfer Photographs of Elvis Presley's Home」, Robert Miller Gallery, New York
1993: 「William Eggleston」, Robert Miller Gallery, New York
1997: 「10.D.70.V1 and 10.D.70.V2」, Robert Miller Gallery, New York

芸術作品としてのカラー写真の可能性を切り拓いたと言われるウィリアム・エグルストンは1939年、テネシー州メンフィスに生まれる。1957年、18才の時に最初のカメラ、キャノンのレンジファインダーを手に入れ、翌年1958年、ヴァンダービルト大学(Vanderbilt University)一年の時に友人からライカをもらい、次第に写真に接近していくことになる。エグルストンを写真家に向かわせる切っ掛けになったのは、ミシシッピ大学で美術を専攻していた1959年に見た二冊の写真集、カルティエ・ブレッソンの「決定的瞬間(The Decisive Moment)」とウォーカー・エヴァンスの「アメリカン・フォトグラフス(American Photographs)」で、殊にカルティエ・ブレッソンは神のような存在であったと後に述懐している。とは言え、初期の作品は、ロバート・フランク、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランドに影響を受けたモノクロ作品で、カラーネガを使い始めるのは1965年になってから。1967年からポジフィルムも使用。その年にニューヨークに行き、ゲイリー・ウィノグランド、リー・フリードランダー、ダイアン・アーバスと会い、ニューヨーク近代美術館の写真部門の部長(1962年~91年)であったジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski 1925-2007)に自作のポートフォリオを贈る。1972年に最初のダイ・トランスファー・プリントを制作。そして1967年の邂逅から9年後の1976年、「エグルストンによりカラーのシリアス写真は発明された」と言うシャーカフスキー企画による個展がニューヨーク近代美術館で開催され,1969年から1971年にかけてテネシー州メンフィスで撮影した写真、約75点を展示。図録「William Eggleston's Guide」(ジョン・シャーカフスキー著、112ページ、48点のカラー図版、モノクロ1点、価格 12.5ドル)が刊行される。2002年に復刻(価格 34.95ドル)。

●作家:William Eggleston(1939-)
●種類:Invitation
●サイズ:203x146mm
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1993年
a0155815_22123615.jpg


話は逸れるが、エグルストンがライカを手にした頃、日本国内のライカの価格は二十万円前後と目が飛び出るほど高かったのだから、19才でライカを手にしたエルグストンはやはり写真家になる運命にあったのだろう。かく言う自分は、15の春に、小学校低学年の頃から使わずに貯めてきたお年玉(一人100円だったので500円も貰えればいい方だった)に親の援助を足し念願の一眼レフカメラを購入。ニコンFにしようか、ペンタックスにしようか悩み、どちらかと言えば機械音痴の身故にTTL露出計内臓のペンタックスSPに決めたのが、その後の写真人生を何か靄のかかったものにしてしまった、と後々思うことになる。30もとうに過ぎてから、知人からニコンFの中古を譲り受け、試しに撮った写真を見て驚愕、更に数年後、ライカで撮った写真を真近で見て、二次元の写真が三次元的に見えることに唖然とする。ペンタックスの呪いは、今このブログ用の画像を撮っているオリンパスの200万画素のコンパクトカメラに乗り移り、物撮りに手を焼く結果を招いている。
[PR]

by galleria-iska | 2010-11-09 00:01 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)


<< ホルスト・ヤンセンの亜鉛版エッ...      リー・フリードランダー写真展招... >>