ガレリア・イスカ通信

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2012年 01月 12日

ホルスト・ヤンセンのポスター(19)「Galerie Brockstedt Hamburg」(1969)

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ハンブルクのブロックシュテット画廊で1969年2月27日から4月15日にかけて行なわれた,日本ではあまり紹介されることのないナイーフ・アートの画家、ヨーゼフ・ヴィットリッヒ(Josef Wittlich, 1903-1982)の個展の告知用ポスター。

映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』を思い起こさせるような数奇な運命をたどったヨーゼフ・ヴィットリッヒは1903年、ドイツ南西部にあるラインラント=プファルツ州の現在はノイヴィート市の一部となっているグラートバッハ(Gladbach)のボタン職人の息子として生まれる。早くに母親を亡くし、継母とは上手くやっていけなかったようである。1920年頃、パリで若いフランス士官として働いていたと言われており、奉仕活動の後、軍への入隊を希望するが拒否され、ブランデンブルクを経由し東ヨーロッパを旅する。その後、グラートバッハに戻り、軽石工として働く。1934年頃にラインラント=プファルツ州の森林地帯であるヴェスターヴァルトのナウオルト(Nauort)に移り住み、昼間は柊の森の農場で働き、夜は絵を描いたが、自分の部屋で大きな声で歌を歌ったり、独り言を云うのが聞かれている。絵の具や筆は、森を抜け、ノイヴィートやコブレンツまで歩いて買いに行き、描いた絵は無償で宿屋(酒場)に贈った。この頃、冒険物語や戦争小説にインスピレーションを得、全長5メートルにも及ぶ巨大な戦闘場面を何点も描くが、第二次世界大戦の最中に行方不明となる。1940年、トート機関(Organisation Todt)によって砲兵大隊に徴兵される。1941年にロシア軍の捕虜となるが、ルーマニア軍の制服を着て脱出し、ロシアからドイツのカッセルまで走って逃げる。1945年には爆撃で土砂に埋められるも数時間後に救出される。その後ナウオルトに戻るが、手に負傷したため、絵筆を持つことが出来なくなる。1948年から製陶工場の屋根裏に住み、そこで20年間で働く。その当時彼に出会った人は、非常に物静かで孤独を好む一方で、気まぐれ屋にも見えたと語っている。彼の絵は無教養に人たちからは“子供じみたもの”と思われていたようである。1950年代の中頃から再び描き始め、兵士や冒険、戦闘場面はもとより、イギリス女王やケネディ一家、俳優や女優なども描いている。彼の絵の才能は1967年に工場を訪れた画家のフレッド・ステルジッヒ(Fred Stelzig, 1923-2006)によって発見され、シュトゥットガルト(=シュツットガルト)のヴェルテンベルグ芸術協会(Württembergischer Kunstverein Stuttgart )の館長、ディーター・ホーニッシュ(Dieter Honisch)に知らされ、その年に展覧会が企画・開催された。ヴィットリッヒは1968年まで製陶工場で働いた後、1970年代は巣篭もり生活を送り、ノイヴィードやコブレンツの通りで目撃される。1982年9月21日、ヴェスターヴァルト州のへール=グレンツハウゼン(Höhr-Grenzhausen)の路上で亡くなる。心臓発作が原因であったとされる。

ブロックシュテット画廊での個展は、この画廊がアールブリュットの作家を手掛けていたことからいち早く実現できたもので、商業画廊での展覧会としては最初のものである。ヤンセンはヴィットリッヒが得意とした戦闘場面を題材にデザインを行なっている。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster(Plakat)
●題名:Josef Wittlich
●サイズ:611x860mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:1000
●発行:Galerie Brockstedt, Hamburg
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1969
●目録番号:Meyer-Schomann 38

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画面右下に制作年月日(1969年2月20日)が記されているが、開催日との間があまりなく、告知よりも画廊での販売により大きな比重が置かれていたのではないかと思われる。
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by galleria-iska | 2012-01-12 18:31 | ホルスト・ヤンセンのポスター | Comments(0)


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