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ガレリア・イスカ通信

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2013年 09月 12日

クラレンス・ジョン・ラフリン追悼展の案内状「Robert Miller Gallery」(1991)

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アメリカ南部でシュルリアリスティックな写真を創造したクラレンス・ジョン・ラフリン(Clarence John Laughlin, 1905-1985)のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)での追悼展の三つ折りの案内状。見ていて、西海岸を代表するラフリンと同時代的な写真家ウィン・バロック(Wynn Bullock, 1902-1975)(注)の写真との関連性を想像させる作品が目に留まった。案内状の内側に掲載された「Strange Dialogue」という、破れた網戸が隠喩的な働きを持つラフリンの1957年の作品なのだが、バロックがニューヨーク近代美術館で開催された伝説的な展覧会「The Family of Man( 人間家族)」に「Child in Forest(森の幼女)」(1951年)と「Let There Be Light(そこに光あれ)」(1954年) を出展し注目を集めた翌年の1955年に撮影した「Eric」と56年の「Lucia」《ヌード写真と言う観点から見れば、マン・レイの「Retour à la Raison」(1923)やエドワード・ウエストンの「Nude」(1926)の影響を感じさせる》という、廃屋となった小屋の網戸越しに人物を撮影した作品が脳裏に浮んだのである。しかしながら、それだけでは単なる推測に終わってしまうのだが、実はラフリンは1956年、バロックが撮影のために用いた廃屋でバロックの姿(注1)を撮影しており、そこで撮影されたバロックの作品を見ている可能性があるのである。シュルレアリスティックな視点を持ったラフリンと独特な自然観を持ったバロックとは、写真に対するアプローチの仕方は異なるが、幾つかの写真において、被写体の選択に何らかの関連性を思わせるものがあり、ここではバロックの写真の中に何かしら自分の写真のヒントになるものを見い出したのではないだろうか、と思った次第。

二人とは別に、もう一人アメリカを代表する写真家のひとりで、同世代のマイナー・ホワイト(Minor White, 1908-1976)(注1)も、この年の10月29日に「Ashes Are for Burning」と題されたシークエンス写真のひとつとして、「The Three Thirds(Pike, New York)」を撮影しているが、それもまた廃屋の窓枠を被写体としており、そこでは割れたガラスに映りこむ空と屋内の漆黒の空間が対比されている。これら三点の写真が撮影された1950年代中葉と言えば、アメリカが大いなる繁栄を謳歌していた時期であるが、絶え間なく進む工業化の中で、リアリティーの追求が自然の造り出した風景から人間が造り出したものへと変化する時代の到来と重なり、相互依存的な関係を続けてきた人間と自然との関係に何らかの齟齬が生じ始めて来た中で、自然と人間との関係を捉え直そうとする写真家の目がそこにあったのかもしれない。

●作家:Clarence John Laughlin(1905-1985)
●種類:Invitation
●サイズ:267x210mm(267x626mm)
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1991
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Wynn Bullock:「Lucia」(1956)
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Wynn Bullock:「Erik」(1955)


註:

1.ウィン・バロックは写真家になる前は声楽家として知られており、1920年代に演奏旅行でヨーロッパに渡り、パリ滞在中に印象派や後期印象派に触れることで視覚芸術への目を覚まし、後年バロックの実験的な写真制作に影響を与えるマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)の“レイヨグラフ”やモホリ=ナジ(Moholy-Nagy、1895-1946)の“フォトグラム”に出合っている。写真家としてのデビューは1941年と遅咲きであるが、1948年にエドワード・ウエストンと出合ったことで、独自のストレイト・フォトグラフィを追求することなる。
2.Clarence John Laughlin:「The Photographer as Explorer of Space and Light 1956 (Wynn Bullock)」(Gelatin silver print)
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2.1908年にミネソタ州のミネアポリス生まれ。1938年にオレゴン州ポートランドに引っ越し、アンセル・アダムスの紹介で1946年から1953年までカルフォルニア美術学校で写真を教え、1952年にアンセル・アダムスらと写真雑誌「アパチュアー(Aperture)」を創刊した。

by galleria-iska | 2013-09-12 12:10 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)


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