ガレリア・イスカ通信

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2015年 04月 27日

ハンス・ベルメールのポスター「Striped stocking」(ca.1970)

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ドイツ帝国時代のカトヴィッツ出身のハンス・ベルメール(Hans Bellmer, 1902-1975)は、日本では画家や版画家としてよりも、人形、特に球体関節人形作家や写真家として知られているが、パウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)にも影響を与えた卓越したデッサン力を生かした銅版画にも見るべきものがある。ベルメールの最初の銅版画による挿絵本とされるフランスの思想家ジュルジュ・バタイユ(Georges Bataille, 1897-1962)が1928年にロード・オーシュという偽名でアンドレ・マッソンの挿絵を添えて発表した処女小説『眼球譚(Histoire de l'OEil)』の改訂版(1944年、K出版、パリ)の挿絵(銅版画6点入り)、1961年刊行の10点組みの銅版画集「サドに(A Sade)」(アラン・マゾ出版、パリ)、ジョルジュ・バタイユが1965年にピエール・アンジェリックなる偽名で発表した短編小説『マダム・エドワルダ(Madame Edwarda)』(ジュルジュ・ヴィサ出版、パリ)の挿絵(銅版画12点入り)などが挙げられるが、いずれも100万円を超える高価なもので、コレクターでもない限り、おいそれとは手が出せない代物である。個人的にはパリの書店・画廊アラントン(Arenthon S.A.)の店主の好意で手にとって見ることができたのがいい思い出である。ベルメールの版画作品を実際に手に入れることが出来たのは1980年代の後半になってのことであるが、前述の3点のエッセンスのひとつに纏め上げたとも言える10点組の銅版画集「道徳小論(Petit Traité de Morale)」所収の作品である。この銅版画集は、マルキ・ド・サドの同名の小説に想を得て制作され、1968年にベルメールの版元であるジョルジュ・ヴィサ出版から出版されたもので、小市民的な道徳観念をあざけ笑うようなスキャンダラスでポルノグラフィックな過激な描写とは裏腹に、不思議な清廉さを漂わせるその画面に釘付けになってしまった。その描線は、ひょっとしたら女性が彫版を行なっているのではないか(註1)、と疑いたくなるほど、繊細かつ流麗で、気品さえ感じさせるものであった。

ベルメールがかくの如き美の規範を逸脱した表現を取った真意は、反権威的であり、優勢主義的な政策を推し進めるナチスに対する抵抗が根底にあったものと言われているが、それはエロティシズムの本質をあらゆる禁止を侵犯することと捉えたバタイユの思想にも通底し、ベルメールにはバタイユ作品の表象化にふさわしい下地が形成されていたと言えるかもしれない。そのバタイユの思想に立脚した反道徳的な表現と拮抗し得る造形表現を行なうにあたり、女性の手を借りたかのような繊細かつ流麗な線描こそが、人間の性的嗜好を煽り立てるだけの、ただ単にグロテスクで醜悪な図画を超越するために必要不可欠であったのかもしれない。とは言え、陰毛がまだご禁制の時代、ベルメールのそのような作品を堂々と壁に掛ける画廊は少なかったように思われる。その後暫くして、日本国内でもベルメールの作品が比較的容易に美術愛好家の目に止まるようになるのだが、そんな空気にも後押しされ、パリの画廊から入手した作品を知人に見せたところ、殊のほか反応(!?)も良く、一枚、また一枚と所望され、結局全て手放してしまうことに。そんな中、唯一残ったのが、このリト刷りのポスターである。購入時の価格は数十フランもしなかったと思う。ポスターの構図は、1969年に刊行されたハインリヒ・フォン・クライストの『マリオネット(Les marionnettes)』所収の銅版画の一枚に、細部は異なるが、全体の構図は近しいものがある。このポスターに関しては、これまで一度もレタリングを施したものに出合ったことがなく、展覧会の告知用のポスターとして制作されたものだとすると、展覧会そのものが中止になった可能性も考えられなくもない。一方で、ポスター制作の際にしばしば行なわれるのだが、ポスターとは別刷りで、ベルメールが署名を入れた限定120部のリトグラフ「縞模様のストッキング(Striped stocking)」(737x545mm)(註2)が同時に作られている。

●作家:Hans Bellmer(1902-1975)
●種類:Poster
●サイズ:498x500mm(780x558mm)
●題名:Striped stcking
●技法;Lithograph
●制作年:ca.1970
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ポスター(左図)と1969年に刊行されたハインリヒ・フォン・クライストの『マリオネット(Les marionnettes)』所収の銅版画の構図との比較。



註:

1.
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"Cécile Reims grave Hans Bellmer" par Pascal Quignard. Cercle d'art, Paris, 2006.
2006年、ベルメールの版画政制作に女性の版画家が関わっていたことが一冊の本によって明らかにされた。ベルメールの版画の版元であったジョルジュ・ヴィサ出版の周りでは知られていたが、長年、公にされなかった事実が本人が名乗り出たことで明らかされ、美術界に衝撃を与えることとなったのである。1966年、自作をビュラン彫の銅版画にする職人を探していたベルメールに、シュルレアリストたちとの交流があった素描家フレッド・ドゥ(Fred Deux, 1924-)が銅版画職人として推薦したのが、ドゥの伴侶で銅版画家のセシル・ランス(Cécile Reims, 1927-)であった。その結果、ランスは1966年からベルメールがなくなる1975年までベルメールの版元であったジョルジュ・ヴィサの工房でベルメールの銅版画制作に携わることとなり、ビュランやドライポイントで、ベルメールの作品(原画)200点あまりを忠実に再現した。これはその作品集である。

絵師・彫師・摺師といった分業体制は、フンデルトワッサーやヴンダーリッヒの木版画にも見られるが、銅版画の彫版を他人が行なうというのはあまり例がなく、そのことでベルメールの藝術そのものの価値を損なうものではないかもしれないが、ベルメールが自画・自刻で銅版画制作を行なっていたものと信じていた多くの愛好家を失望させるものであったことは確かで、1966年以降に制作された版画作品の下落の一因ともなっている。

2.
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ルロン画廊(Galerie Lelong, Paris)が出している版画の出版目録(1989年度版)、210x142mm
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ベルメールの版画の案内

マーグ画廊(Galerie Maeght)を設立したエメ・マーグ(Aimé Maeght, 1906-1981)が他界した1981年にパリのマーグ画廊のディレクターであったダニエル・ルロン(Daniel Lelong, 1933-)が、作家のジャン・フレモン(Jean Frémon, 1946-)と詩人のジャック・デュパン(Jacques Dupin, 1927-2012)と共に、マーグ画廊の一部を引き継ぐ形で設立したルロン画廊(Galerie Lelong/Galerie Maeght Lelong S.A.→Galerie Maeght Lelong→Galerie Lelong)の1989年度版の版画の出版目録に図版(E.A. 40部の内の一点)が掲載されている。それによると、題名は「無題(Sans title)」となっており、価格は2500フラン(日本円で約55000円)とある。とするとポスターとリトグラフの出版元はマーグ画廊だったのだろうか。


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by galleria-iska | 2015-04-27 22:08 | ポスター/メイラー | Comments(0)


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