ガレリア・イスカ通信

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2015年 05月 19日

ポール・アウターブリッジ展のメイラー/ポスター「Robert Miller Gallery」(1979)

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1981年11月21日から翌82年1月10日にかけてカリフォルニア州オレンジ郡にあるラグーナ・ビーチ美術館(Laguna Beach Museum of Art)で開催された、優れた審美眼の持ち主であると同時に卓越した写真技術者としてアメリカの写真史に名を留める写真家、ポール・アウターブリッジ・ジュニア(Paul Outerbridge, Jr. 1896-1958)の最初の大きな回顧展(註1)に先立つこと二年、ニューヨーク市のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)で1979年に開催されたアウターブリッジのカラー写真(Carbro color print)とプラチナ・プリント(Platinum print〉およそ60点と十数点の素描とリトグラフによる大規模な展覧会のメイラー(ポスターサイズの案内状)。メイラーは八つ折りで、裏面は展覧会のポスター。

アウターブリッジと言っても、実際に実物を手に取ったことは無く、1962年から1991年までニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターを務めたジョン・シャーコフスキー(John Szarkowski, 1925-2007)が高く評価した、今では二千万円を超えるキュビスム期の代表作のひとつ「Saltine Box(クラッカーの箱)」(89x115mm, Platinum print, 1922)ぐらいしか思い浮かばないのだが、この展覧会には、近年再評価が一段と進んでいる1930年代のカーブロ印画法(Cabro process)(註2)によるカラー写真30点余が出品されている。

カラー写真を始める前、アウターブリッジは1925年から1929年までヨーロッパに滞在している。1925年にロンドンに到着したアウターブリッジは、1853年に設立された世界最古の写真協会である“英国王立写真協会(The Royal Photographic Society)”を訪問している。同協会は彼をロンドン滞在中限り名誉会員として遇し、個展まで要請しているのだが、パリでの写真撮影のためと、これを断っている。パリではしばしばマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)のスタジオを訪れ、写真について何時間も語らい、アイデアを交換し合っていたようで、滞在中の出来事を詳細に記したポケットサイズのノートブックに次のように記している:
"spent all afternoon looking at Man Ray's abstract prints, portraits, nudes(only a few), his paintings and great enlargements...looked at his darkroom and discussed all his equipment and had a general photographic talk...went out at 8 p.m. next door to the top floor room at his hotel. I waited in his
room decorated by Ki Ki(whose native paintings I had seen, and with whom Man Ray lives)...tried
to go to a Russian place for dinner but no room at all, place packed ad rather good violins playing
..."(Outerbridge's pocket notebook, March 22,1925)
アウターブリッジはまた当時マン・レイの助手をしていた女性写真家ベレニス・アボット(Berenice Abbott、1898-1991)ともマン・レイのスタジオで話す機会があったようである。マン・レイは1925年の春、アウターブリッジを友人のマルセル・デュシャンに紹介、三人は芸術、アイデアについて、また芸術以外で金を稼ぐことやスティーグリッツについて延々と語り合った。パリでは他にもホイニンゲン=ヒューネ、ブランクーシ、ピカソ、ストラヴィンスキー、ピカビアなど様々なジャンルの芸術家とも出会うことに。アウターブリッジはその年の5月からパリの『ヴォーグ( Vogue)』誌のためにファッション・アクセサリーの撮影の仕事を始め、エドワード・スタイケン(Edward Steichen, 1879–1973)とも仕事を共にしている。三ヶ月後にフリーランスとなり、パリで最大で最新の技術を持ったスタジオ創設や挫折を経験をし、1929年にニューヨークに戻り、カラー写真への挑戦を始める。とは言え、複雑なカーブロ印画法の技術の習得には困難が伴い、完璧な域に到達するまでに何ヶ月も要した。そのことについてアウターブリッジは、
"Many of these pictures were made under considerable technical difficulties unknown to the pre-
sent-day users of the newer, much easier color materials. Each composition cost a minimum of
$150 taking many man hours to produce. Three separate exposures of different duration, through
three different color filters were required. Subsequently, three separate color images 1/10,000th
of an inch thick had to be transferred IN REGISTER, one over another onto the paper you see..."
(From an information sheet by Outerbridge, c.1955)
と後に記している。

アメリカにおける初期カラー写真のパイオニアと言われるアウターブリッジであるが、彼がカラー写真を始めた直接的な理由は定かではない。ただ、その発端となったかもしれない出来事をパリ滞在中に経験している。アウターブリッジは1925年、訪問したマン・レイのスタジオで、E.P.B.フィリップス(E.P.B.Phillips)という、初期カラー写真の印画法の実験を行なっていた人物と出会い、彼がモデルのキキ(KiKi)のカラーの感光板を現像するのに立ち会っているのである。アウターブリッジが実際にカラー写真に取り組むのはそれから四年後、ニューヨークに戻ってからのことになるが、映画もカラー化の機運が高まってきていた時期に当たり、デザインや商業写真に優れたセンスを発揮していたアウターブリッジの先取の嗅覚を大いに刺激したのかもしれない。そして様々な印画法を試した結果、カーブロ印画法に辿り付くのだが、マン・レイも1930年代に入ると、カーブロ印画法によるカラー写真(註3)を取り入れていることから、カラー写真のアイデアに関して、二人の間で何らかの意見の交換があった可能性がある。しかしながら、マン・レイは必ずしもこの印画法の“絵画的な表現力”に満足していなかったようで、1951年、カーブロ印画法に代わる方法として、カラーポジフィルムの裏一面に、ある化学溶液を塗布する方法を発見する。出来上がった写真についてマン・レイは「色彩の輝度を保持しつつ、絵のような質も付け加わっていた」と述べており、カーブロ印画法と同じ効果を得られることを確認している。

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             招待文

●作家:Paul Outerbridge, Jr.(1896-1958)
●種類:Mailer/Poster
●サイズ:673x459mm
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1979
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ポスターには、複雑な画面構造を見せる、ニューヨーク近代美術館所蔵のカーブロ・カラープリントの代表作「Images de Deauville」(1938)が使われているの。この作品はオークションで一千万円ほどで落札されており、気楽に手にとって眺めることなどまず出来ない。
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展覧会終了後にニューヨーク市の週刊新聞『ヴィレッジ・ヴォイス(The Village Voice)』(November 5, 1979)に掲載された、同誌に1977年から1982年まで写真批評を担当していた批評家でキュレーター、そして写真家でもあったベン・リフソン(Bes Lifson,1941-2013)のアウターブリッジ論「The Triumph of the Spleen」
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1965年から1982年までアメリカの日刊紙『ニュヨーク・タイムズ(The New York Times)』の美術批評を務めた美術批評家のヒルトン・クラマー(Hilton Kramer, 1928-2012)による紹介記事(日付不明)
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アウターブリッジによるカーブロ印画法(Carbro Process)の要略。
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註:

1.アウターブリッジがその生涯を終えたラグーナ・ビーチで開催された回顧展に合わせてアウターブリッジの作品目録(カタログ・レゾネ)が刊行された。偶然だろうか、表紙にはロバート・ミラー画廊のポスターと同じ「Images de Deauville」が使われている:
Dines, Elaine & Howe, Graham, Paul Outerbridge: A Singular Aesthetic: Photographs & Drawings, 1921-1941:
A Catalogue Raisonne. Laguna Beach Museum of Art, Laguna Beach, CA, 1981. 238 pages, 302x230mm. Book
design by Barbara Martin, typography by Graham Mackintosh, printed by Gardner/Fulmer Lithograph, hand bind-
ing by Earle Gray.

2.伝記によれば、カラーフィルムが未だ市販されていない時代に用いられた三色ゼラチン・レリーフ画像重合法のひとつ三色カーブロ印画法は、プリントを一枚仕上げるのに8時間も掛かるという、非常に手間と費用の要る作業にも拘わらず、その優れた色の再現性と絵画的な表情ゆえに、アウターブリッジはプリントを一枚一枚自分の手で行なった。そのため販売価格は著しく高いものとなり、アウターブリッジはプリントの殆んどを手元に置き、複製の版権だけを売った、とある。尚、カーブロという名称は、"Carbon plus bromide"から来ている。
3.マン・レイのカーブロ印画法によるカラー写真(Three-color carbro transfer print)の代表例のひとつは、1934年にアメリカ コネティカット州ハートフォードのジェイムズ・スロール・ソビーから出版された「マン・レイ写真集、1920-1934年、パリ」の表紙のために制作した作品「Still Life for Book Cover」であろう。
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Man Ray Photographs 1920-1934. Texts by André Breton, Paul Eluard, Rrose Sélavy, Tristan Tzara. Preface by Man Ray. 104 pages,104 gravure plates. Published by James Thrall Soby, Hartford, Connecticut & Cahiers d'Art, Paris, 1934





参考文献:
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Ketchum, Robert Glenn & Howe, Graham, Outerbridge, Los Angeles, The Los Angeles Center for Photographic
Studies, Los Angeles, CA, 1976. 40 pages, 280x211mm. Limited to 3000 copies.
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by galleria-iska | 2015-05-19 20:51 | ポスター/メイラー | Comments(2)
Commented by マン・レイ・イスト at 2015-06-05 13:10 x
いつも貴重な情報を拝読させていただき感謝しております。特に、今回のマン・レイとも繋がる、カラー写真の表現方法については参考になりました。---今まで、アウターブリッジとマン・レイが、わたしの中で繋がっていませんでしたので、大変、参考になりました。そして、昔、オリジナルプリントが貼付されたアウターブリッジの写真集を買いそびれた事を、思い出しました。
Commented by galleria-iska at 2015-06-07 12:07
こんにちは。マン・レイ・イスト様、いつもお読みいただき、ありがとうございます。今回取り上げたメイラー、入手はしたものの、アウターブリッジのカラー写真に全く縁がなかったこともあって、20年近くも展覧会の図録に挟みっぱなしになっていたものです。変色する前に画像を残しておこうと写真を撮ったのは良かったのですが、ついでに資料にも目を通してと、ごそごそやっているうちに、収拾がつかなくなってしまいました。まだまだ勉強不足です。


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