ガレリア・イスカ通信

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2017年 08月 14日

美術手帖 第840号「Bijutsu Techo Vol.55 No.840」(2003)

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                 『美術手帖』創刊50周年記念特大号(Bijutsu Techo Vol.55 No.840, 210x146x48mm)
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            『美術手帖』の表紙(写真:村上 隆)(左)とフィギュアのパッケージの(右)

私の好きな作家のひとりに、現代美術の潮流の中にありながらも描くことに新しい地平を見出した、ドイツの鬼才、ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)がいる。そのヤンセンの素描をコレクションに加えた現代美術家の村上 隆(Takashi Murakami, 1962-)氏デザインによるフィギュア「Miss Ko2/Blond」が特別付録として付けられた『美術手帖』(第840号)が発行されたのは、今から14年前の2003年(発行日は10月1日とある)。価格は通常よりも割高の2200円であった。事前に発売予告を見ていたので、田舎には数が回ってこないだろうと、若くして亡くなってしまった友人と一緒に知り合いの書店に頼んで先行予約をしたのだが、それは単なる杞憂に過ぎず、普通に書店に並んでいた。ただ、大阪の製菓・食品メーカー、江崎グリコ株式会社(Ezaki Glico Co.,Ltd., Osaka)が2001年から同じ大阪の模型製作会社、海洋堂と組んで発売した大人向けの「タイムスリップ・グリコ」に触発されて村上氏が制作した、一個300円ぐらいで買えるフィギュア付きの“食玩(食品玩具)”(註1)と比べ、美術出版社の欲の皮(?)が突っ張っていたのだろうか、いわゆる“オマケ感”が欠落しており、即座に完売とはいかなかったようである。もっとも、造形物に関する興味は共通しているものの、パブリックな価値を形成していく美術と個の愉しみに埋没していく“オタク”の間には大きな壁が存在していたことも、その要因のひとつであるかもしれない。

『美術手帖』と相前後して発売された“食玩(村上隆のSUPERFLATMUSEUM)は、誰にでも手に入るアートという触れ込みであったが、その販売は東京を中心とする都市部に集中し、先の友人が何軒ものコンビニを回ったが、実物を見ることは無かった。アートに触れ合う機会が少ない田舎(それは反面、アートに関心がないというリスクを伴うのだが)にこそ、それなりの配慮があってもよかったのではないか思う。そうすれば資金的に余力のある都市部の人間がそれを求めて田舎に集まり、田舎の人間も刺激を受けるという、新しい流通の形を構築できたかもしれない。しかしながら、実際は、立て続けに発表されたシリーズの販売効率を考慮してか、大半が東京一極集中配布となったのである。そしてその販売戦略の根幹をなすのは、版画等の美術作品における稀少性を謳った限定販売という手法によって購買意欲を煽り(刺激という表現では生ぬるい)、意図的にプレミアム感を作り出すことにあり、結果として、美術品市場におけるプライマリー・マーケットからセカンダリー・マーケットへの作品の流れのように、一次販売から二次販売へと繋がっていくことを見越したものであったと言えなくもない。この企てに、『芸術起業論』を著した村上氏ならではの、作家主導のアートにおける経営論的な戦略の一端を見ることができるのではないだろうか。

画家はかつて、何か対象となるものを描くとき、図像によってそのものの本質を表象化しようという試みた。その意味で画家は科学者と同じ客観的な目と思考を持つ存在であった。そのような探究心によって、画家は自身の脳を通して見えているものをよりリアルに表現することへと突き進んでいくのだが、神の造形物としての自然の美を探究することが限界を迎えたとき-それは19世紀、機械文明の発達や写真の発明などによって、人間の創り出したものに自然を凌駕する可能性を見出した時と重なり合う-そこに人間社会における様々な現象が新しい風景として立ち上がってきたのである。そして20世紀後半、行き過ぎた人間の内面的風景(純粋抽象)の表象化や形象そのものの否定によって、自ら袋小路に迷い込んでしまったのも確かである。19世紀末にウィーンで活躍した心理学者で哲学者のフランツ・ブレンターノ(Franz Brentano、1838-1917)によれば:
"全ての心的現象(心)は中世のスコラ哲学者が対象の志向的内在性と呼んだものおよび、完全に明確ではないが、対象つまり内在的対象と我々が呼ぶかもしれないものによって特徴づけられる...心的現象はそれ自体の内に志向的に対象を有する現象だと定義できる"
突き詰めれば、人は自分が見たいものしか見ることしかできないのであって、純粋芸術の行き着くところは何も描かない、無のなかに有を見る、というジレンマに陥ることとなる。それは言語表象においては可能であるが、何らかの形をもって表現するという視覚表象の場合においては、表象されるものより対象とされる概念が先行し、そのような芸術表現においては作品は必然的に概念に付随・補完するものとなる。一方、現代美術のひとつの潮流であるポップ・アートに於いては、コピー、借用、引用、パロディー、翻案、オマージュといった手法がさかんに用いられることとなる。マルセル・デュシャンの反芸術の継承者たる彼らも、絵画(あるいはオブジェ)という形式を採りながらも、別な意味で描くことを否定しているのである。

フィギュアという“オタク”文化の象徴を美術(アート)の文脈の中にどう落とし込むかという命題に対し、1960年代のポップ・アートが大衆文化と密接に結びつき、それを一種の社会的風景として捉えたように、フィギュアをという一種箱庭的小宇宙を彫刻へと拡大・変容せしめることによって成功への扉を開き、ジャパニーズ・ポップの呼称で捉えられこととなった。このフィギュアの制作はそれをフィギュアにフィードバックさせ、美術(アート)の裾野の拡張を図ろうという試みのひとつであるが、両者の相互浸透により、境界がより曖昧になってしまっているのは否めない。

●作家:Takashi Murakami(1962-)
●種類:Multiple
●サイズ:115x47x41mm
●技法:ATBC-PVC, ABS(Lacquer Paint)
●題名:Miss Ko2/Blond(Takashi Murakami's Superflat Museum)
●出版:Edition BT Magazine(Bijutsu Shuppan-Sha Co.,Ltd.,Tokyo
●制作:Kaiyodo Co., Ltd. Osaka
●原型師:Bome
●限定:20000(?)
●制作年:2003
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青島 千穂(Chiho Aoshima, 1974-)と村上 隆によるオリジナル・カバーアート「ネオ・ヴィーナスの誕生」《Original cover art 「The Birth of Neo Venus」 by Chiho Aoshima + Takashi Murakami, 2003》

註:

1.“食玩”として販売された『村上 隆のSUPERFLATMUSEUM』各シリーズ

●『村上 隆のSUPERFLATMUSEUM-ニューヨーク・エディション(New York edition)』
2003年9月14日発売。3000x4種=12000個。@300円
●『村上 隆のSUPERFLATMUSEUM-六本木ヒルズエディション(Roppongi Hills edition)』
2003年10月18日発売。15000x6種=90000個。@350円
●『村上 隆のSUPERFLATMUSEUM-コンビニ・エディション(convenience store edition)』
2003年12月8日発売。30000x10種=300000個。@350円
●『村上 隆のSUPERFLATMUSEUM-アーテリジェント・シティ・エディション(artelligent city edition)』
2003年12月20日発売。24000x3種=72000個。@350円
●『村上 隆のSUPERFLATMUSEUM-ロサンゼルス・エディション(Los Angeles edition)』
2004年5月17日発売。30000x10種=300000個。@350円
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by galleria-iska | 2017-08-14 20:29 | その他 | Comments(0)


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