ガレリア・イスカ通信

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2017年 08月 08日

奈良美智のマルティプル(?)「Yoshitomo Nara Gummi Girl」(2006)

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前回の記事の中で触れた奈良美智(Yoshitomo Nara, 1959-)氏が2006年にデザインした「グミガール(Gummi Girl)」を、今は種々雑多な物入れとして使っている古い箪笥の中から取り出してきた。お土産として貰った筈なのだが、連れ合いが所有権を主張し始めているため、中立地帯である箪笥に入れてある。「グミガール」の髪の色は栞にある茶と青の他、赤、緑、黄土の計5色が用意されていたのだが、連れ合いが選んだのは茶色だった。その子には「マローネ(Malone)」という名が付いているようなのだが、記号以上の興味はない。販売広告などには、グミを食べ終わった後は、アートグッズや小物入れとして使えると提案されている。確かにそうやって使っているうちに、傷んだり、飽きたりして、少しづつ数が減っていくのだが、こと「グミガール」に関しては、前にも書いたが、現在も生産継続中なので、一体どれくらいの数(エッシャーの“キャンディ缶”は6800個、村上隆のSUPERFLATMUSEUM、所謂“食玩”は3000個~数万個)になるのか見当もつかない。無くなって初めて、見えなかった、あるいは別の視点から見た意味(=価値)が浮き彫りになってくるものである。そういう観点からすると、この先も長期に渡って箪笥の肥やしになる可能性が高い。
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●作家:Yoshitomo Nara(1959-)
●種類:Multiple
●サイズ:160x165x75mm(Multiple), 169x169x77mm(Box)
●題名:Gummi Girl - Malone
●技法:Painted Plastic
●製造:S and O(Sweets and Objects), Omotesando Hilles, Tokyo
●制作年:2006
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                          「グミガール」の栞(表)
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by galleria-iska | 2017-08-08 20:04 | その他 | Comments(0)
2017年 07月 30日

勝原伸也の創作木版画「Anthology」(1987)

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明日7月31日は、一昨年亡くなった大兄、木版画家の勝原伸也(Katsuhara Shinya,1951-2015)の二度目の命日で、世間でいうところの三回忌にあたる。故人宅にお伺いすることができないので、大兄が東京銀座の兜屋画廊(Gallery Kabutoya, Tokyo)の依頼で手掛けた最初の創作木版画を眺めつつ、あらためてご冥福をお祈りしたい。

「アンソロジー(Anthology)」という題を付けられたこの作品は、今から丁度30年前の1987年に制作された、木版画家としての勝原の出発点となった記念すべき作品である。題材の原典を何処に求めたのかは分からないが、生き物と花との四つの物語をひとつの画面に散りばめた“詞華集”となっている。それぞれが季節を表しているとするならば、四季を描いたものとなるのだが、その辺のところを端的に読み取ることが出来ないもどかしさがある。漆黒の闇の中に浮かび上がる“文様”としてのモチーフは蒔絵を彷彿させ、絵画というよりは、装飾性の高い、工芸的な表現となっている。

●作家:Katsuhara Shinya(1951-2015)
●種類:Original print
●題名:Anthology
●サイズ:360x250mm(image)
●技法:Woodblock print
●限定:150
●版元:Gallery Kabutoya, Tokyo
●制作年:1987

浮世絵の復元(というより解釈と言ったほうが的を得ているかと思う)という職人的な立ち位置は、創作とは隣り合わせのようにも映るのだが、その方向性が全く異なっている。しかるに、何故創作版画をやらないのか、という無邪気でありながら無思慮な問いは、彼を大いに苦しめたかもしれない。この作品に於いて初めて創作という領域に踏み込んだわけであるが、無名性を旨とする職人的立場と木版画家としての自己のアイデンティティを確立することとのアンビヴァレンツな状況の中で苦悩したことは想像に難くない。勝原が本格的に創作活動に向かうには、もう暫く時間を要することとなる。

一方、勝原は同じ年、自身の代表作のひとつに数えられる復元を行っている。それは以前取り上げた広島県三原市での展覧会のポスターに使われた歌川国芳の大錦三枚続き「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」である。勝原はなんと半年余りをこの作品の復元に掛けている。彫りに5ヶ月を要したというこの作品に於いて、勝原は刷りに独自の解釈を施している(註1)。



註:

1.「木版師 勝原伸也の世界-浮世絵は蘇る(Shinya Katsuhara, The Ukiyo-e Craftman)」1993年、平凡社(Heibonsha Limited Publishers, Tokyo)。237~242頁参照
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by galleria-iska | 2017-07-30 18:22 | その他 | Comments(0)
2017年 06月 15日

ユーサフ・カーシュの写真集の出版案内「Portraits of Greatness」(1959)

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アルメニア系カナダ人の写真家ユーサフ・カーシュ(Yousuf Karsh, 1908-2002)は1908年、アルメニア人の両親のもと、オスマン帝国南東部の都市マルディンに生まれる。年譜によると、14歳の時、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を避け、家族でシリアのアレッポに移り住む。17歳の時、写真家であった叔父を頼り、ベイルート(Beirut)から船に乗り、29日間の航海を経て、1925年12月31日、ヨーロッパに最も近いカナダ東海岸ノバスコシア州の州都ハリファックス(Halifax)に到着。医者になる夢を持ち、学校に通うが、叶わず、叔父のスタジオを手伝う。叔父から貰った小さなカメラで撮影した子供のいる風景が賞を取り、50ドルを手にする。カーシュの才能を認めた叔父の紹介で、友人のアルメニア人で、ボストンに住む東部では有名な肖像写真家ジョンH.ガロ(John H. Garo)に師事し、美術学校の夜間クラスに通い、レンブラントやヴェラスケスといった巨匠の肖像画を学びながら、写真に関する様々なことを学ぶ。修業は当初半年間であったが、ガロの好意で3年間共に過ごす。1931年にボストンを離れ、カナダの首都オタワに移り、小さなスタジオを持つ。この時、自分が描いた写真家としてあるべき姿をカーシュは次のように語っている:
My interest lay in the personalities that influenced all our lives, rather than merely in portraiture. Fostered by Garo’s teachings, I was yearning for adventure, to express myself, to experiment in photography.
カーシュの写真家としての最初の仕事はアマチュア劇団の舞台撮影で、照明の効果に大きな関心を持つ。 1936年、カナダを公式訪問した最初のアメリカ大統領であるフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882-1945)が、当時カナダ総督であったトゥイーズミュア男爵(Lord Tweedsmuir )と首相のマッケンジー・キング(Prime Minister Mackenzie King)と協議するためにケベックを訪れた際に、招待を受け、この重要な来賓者の撮影を行った。これが報道写真への最初の足掛りとなると共に、早晩、後援者、友人となる首相のキングとの最初の出会いとなった。そのキングの計らいで1941年、後にライフ誌『Lefe』の1945年5月21日号の表紙を飾ることとなる、ウィンストン・チャーチル(Winston Leonard Spencer-Churchill, 1874-1965)肖像写真を撮影する機会を得る(註1)。この写真が切っ掛けとなり、カナダ政府はカーシュを英国に派遣し、各界の著名人の肖像写真を撮影させる。それ以来、何代ものアメリカ大統領を初めとし、ジョルジュ・ブラック、ジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、ジャコメッティ、シャガール、ジョアン・ミロ、ヘンリー・ムーア、スーラージュ、ジョージア・オキーフ、ザッキン、コールダー、アンディ・ウォーホル等の美術家や、小説家のアーネスト・ヘミングウェイ、アルベール・カミュ、日本人では、尾崎行雄(1950年)、川端康成(1969年)、湯川秀樹(1969年)など、世界中のあらゆる分野の人々の肖像写真の撮影を行う。カーシュは被写体が生活・活動している現場での撮影を旨としており、160キロもの撮影器材とともに世界各地を旅して回った。撮影にはエイト・バイ・テン(8x10)の大型ビューカメラを使用し、ボストン時代に巨匠の絵画に学んだ成果を生かし、綿密に計算されたライティング、セッティング、ポーズで撮影される肖像写真は、濃密な影と光が、被写体のパーソナリティーを見事に浮き立たせている。

●作家:Yousuf Karsh(1908-2002)
●種類:Announcement of publication
●サイズ:plate:306x248mm, folio:330x272mm(330x538mm)
●技法:Sheet-fed gravure
●発行:Thomas Nelson & Sons, London
●制作年:1959

以前、カーシュの代表作のひとつであるアーネスト・へミングウェー(Ernest Miller Hemingway、1899-1961)の肖像写真「Ernest Hemingway」(1957)のオリジナルプリント(Gelatin silver print)を手に入れたことがあったが、光沢のないマットな画面は、微細な粒子の集合による光と影が深い諧調を生み出し、へミングウェーの、漁師のそれを思わせる、年輪を重ねた精悍な風貌を漆黒の背景の中に浮かび上がらせ、思わず息を呑んだ覚えがある。1959年に刊行されたカーシュの写真集「Portraits of Greatness」の出版案内にサンプルとして挿入されているチャーチルの肖像写真は政界から引退した翌年の1956年に撮影されたもので、1941年に撮影されたものと比べると、随分と老けて見えるし、疲れた表情も見て取れる。写真は、オランダの紙幣の印刷で知られる1703年創業のハーレムの印刷所ヨー・エンスへーデ・ゾーネン(Joh.Enschedé Zonen)で、〈Sheet-fed gravure〉という印刷方法で複製されているのだが、その表情はフォトグラヴュールと同じマットな仕上がりで、オリジナルプリントの質感をかなり再現している。出版案内とそれを入れた封筒には簾の目紙(laid paper)が使われている。購入先からは限定19部と言われているが、はたして。

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The Rt.Hon.Sir Winston Leonard Spencer Churchill, KG.,P.C.,O.M.,C.H.
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裏側に題名と撮影時のエピソードが記されている
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註:

1.
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図版:1941年に撮影した肖像写真を表紙に使った『ライフ(Life)』誌(1945年5月21日号)。撮影の際のエピソードがこちら:(以下引用)
Karsh asked Churchill to remove the cigar in his mouth, but Churchill refused. Karsh walked up to Churchill supposedly to get a light level and casually pulled the signature cigar from the lips of Churchill and walked back toward his camera. As he walked he clicked his camera remote, capturing the ‘determined’ look on Churchill’s face, which was in fact a reflection of his indignantcy. Karsh recounted: “I stepped toward him and without premeditation, but ever so respectfully, I said, ‘Forgive me, Sir’ and plucked the cigar out of his mouth. By the time I got back to my camera, he looked so belligerent he could have devoured me. It was at that instant I took the photograph. The silence was deafening. Then Mr Churchill, smiling benignly, said, ‘You may take another one.’ He walked toward me, shook my hand and said, ‘You can even make a roaring lion stand still to be photographed.’”

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by galleria-iska | 2017-06-15 13:40 | その他 | Comments(0)
2017年 04月 28日

20世紀誌(第44号)「XXe siècle XLIV: Panorama 75」(1975)

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●種類:Art Magazine
●題名:XXe siécle Panorama 75 - Nouvelle sèrie XXXVIIe Année - No44 - Juin 1975
●サイズ:320x 250mm
●印刷:Imprimerie Amilcare Pizzi S.P.A., Milan
●発行:Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris
●制作年:1975

今月初めだったと思うが、何気に新聞を捲っていたら、アメリカのポップアートの画家ジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquist, 1933-2017)が去る3月31日にニューヨーク市の自宅で亡くなったという小さな死亡記事が目に飛び込んできた。享年83歳。最近、活動を耳にしないと思っていたのだが、闘病生活を送っていたとのこと。またひとり、ポップアートの巨星が落ちた。ローゼンクイストは版画家としても数多くの作品を残しているが、彼の作品との最初の出会は、1964年にベルンのコンフェルト画廊から限定2000部で出版された画家で詩人のウォレス・ティン(Walasse Ting (丁雄泉), 1929–2010)が手掛けた詩画集「1¢Life」(1964年)の挿絵として描かれたリトグラフ「New Oxy」(Cat.no.2)(註1)であった。まだ抽象表現主義風の筆致が残る荒削りな画面は、その後の彼のスタイルとなっていく様々なモチーフと文字をコラージュのように組み合わせたものであったが、その混沌とした画面には-そこが凡人の凡人たる所以であるが-あまり魅力を感じなかった。しかし、その翌年の1965年にニューヨーク市のレオ・キャステリ画廊で行なわれた最初の個展の際に制作された、絵画作品「F-111」をもとにした案内状(メイラー・ポスター)「F-111 (Castelli Gallery Poster)」(註2)には驚いた。ロイ・リキテンスタイン場合もそうだったのだが、すっかりポップ・アートに変貌していたからである。個人的には1967年にアスペン・イースター・ジャズ・フェスティヴァル(Aspen Easter Jazz Festival)の広報用に制作されたポスターが好きで、未だ手元に置いているのだが、他のものは手放してしまったため、フランスで発行されていた美術専門誌「20世紀(XXe siècle)」所収のオリジナル・リトグラフ「Auto Tire, Dinner Traiangle」を、哀悼の意を込めて取り上げたい。このリトグラフは、アメリカの版画工房ではなく、パリのムルロー工房で刷られている点が興味を引く。ムルロー工房の刷りは彩度が低く抑えられているのが特徴なのだが、この作品の刷りでは-別刷りの限定38部のものと色調が異なる可能性もあるが-色抜けが良く、ムルロー工房のものとは思えない。

●作家:James Rosenquist(1933-2017)
●種類:Print
●題名:Auto Tire, Dinner Traiangle
●サイズ:312x240mm
●技法:Lithograph
●印刷:Fernand Mourlot Imp., Paris
●発行:Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris
●制作年:1975
●目録番号:95
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註:

1.
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ローゼンクイストの版画の総目録:「Rosenquist - Time dust. James Rosenquist complete graphics: 1962-1992」
Glenn Constance, published by Rizzoli International Publishing, Inc.,New York, 1993. 25x26cm, 179pp, 300 col. This book includes a catalogue raisonne of the artist's 229 prints (150 colorplates) and an extensive bibliography. このカタログはタイトルに「Time Dust」とあるように、1992年に制作されたエポック・メイキングな巨大な版画作品「Time Dust」(2.1メートルx10.6メートル)とローゼンクイストの全版画の公開を目的とする、ロングビーチのカルフォルニア州立大学美術館の企画による巡回展「Time Dust」の図録として刊行されたもの。表紙には作品の一部が使われている。
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「Time Dust」全図
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ローゼンクイストのオリジナル・リトグラフ「Auto Tire, Dinner Traiangle」に関する記載。

2.
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図版:F-111 (Castelli Gallery Poster), 737x588mm(Image:708x559mm), offset lithograph in colors, 1965 published by Leo Castelli Gallery, New York. 以前、ネットでテキストの入ったものを見たように記憶しているのだが、ひょっとすると失われた画像データの中に入っていたかもしれない。
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by galleria-iska | 2017-04-28 21:59 | その他 | Comments(0)
2017年 04月 24日

カリン・シェケシーの写真「Nude」(1993)

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紙に直接文字を書くことが減ったことも原因のひとつとしてあるかもしれないが、記憶がこんがらがる事が増えている。自分はこれで間違いないと思っていることが、それとは別の事柄と引っ付いて、新しい事実として脳にインプットされてしまっているから厄介である。思い込みというやつであるが、妄想癖がそれに拍車を掛けているようだ。自分の言うことが信用し難くなっている。

テクノロジーの進化により銀量の減った銀塩写真の物質性が失われていったように、カラー写真も印画紙の生産がデジタル用のものに置き換えられていく中で-それはある意味概念の言語化の過程と似ているのかもしれないのだが-何かが確実に失われていくに違いない。我々が未だアナログ的な行為として愉しんでいる食べるという行為も、生命の維持という本質的な意味に還元するならば、宇宙飛行士が摂っていた宇宙食を更に進化させ、生命維持のための栄養分の補給と満腹感を得るための何らかのカプセル(サプリメントとしてあるものの応用)の摂取と仮想現実との組み合わせによって、和食であれ洋食であれ、プログラミングされた料理を堪能することが出来るようになるのではないだろうか。そうすれば食料生産のための途方もない労力が必要なくなるとともに、人類を飢餓から解放することが可能となるかもしれない、と書いたところで、2022年の世界を描いた1973年公開のアメリカ映画「ソイレント・グリーン(Soylent Green)」を思い出してしまった。快楽に虚しさを覚え、苦痛に希望を見出す。昨今の社会情勢を見ていると、人類は再びカタストロフを求めているのかもしれない。

女性のヌード写真において独自の表現スタイルを築いたドイツの写真家カリン・シェケシー(Karin Székessy,1938-)さんから頂いた(?)小判サイズのカラー写真(C-Print)。プレゼン用に焼いたものかもしれない。小道具にロープを使った写真のうちのひとつであるが、題名は不明である。いわゆる緊縛写真を意図したものではなく、動きを与えたモデルを低速シャッターで撮ることでブレを生じさせ、カラー写真ではあるが、濃紺のトーンによるモノクローム調に仕上げることで、幻想的な表情を創り出している。

●作家:Karin Székessy(1938-)
●種類:Photograph
●サイズ:156x111mm(Image:146x101mm)
●技法:Chromogenic color print(C-Print)
●紙質:Kodak Professional Paper
●制作年:1993
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                            印画紙の裏側


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                   マーカーペンによる署名と年記
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by galleria-iska | 2017-04-24 20:30 | その他 | Comments(0)
2017年 03月 31日

ニキ・ド・サンファルの彫刻「Inflatable Rhinoceros」(1999)

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虫歯の治療が一段落し、食事に難儀しなくてもよくなった。すると、どういうわけか今度は連れ合いに歯痛が発生、毎日、シーハー、シーハーと辛そうにしている。欠伸は移るというが、歯痛もそうなのだろうか???

閑話休題、以前、アメリカの1980年代を代表するポップ・アートの作家キース・へリング(Keith Haring, 1958-1990)が自ら開いたポップ・ショップのために制作したプラスティックのオブジェ「Inflatable Baby」を取り上げたことがあるが、今回は、1968年から既にこのタイプの彫刻の制作を行なっている、スイスの彫刻家、画家ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely, 1925- 1991)の影響を受け、彫刻作品も数多く手掛けたフランスの画家、彫刻家ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)の作品を取り上げてみたい。1999年、フランスの大手出版社のひとつ、フラマリオン書店(Flammarion, Paris)のグッズやオブジェ等の限定物の出版を手掛ける《Flammarion 4》依頼で制作した「動物シリーズ」のうちの『サイ(Rhinocéros)』は、ポリ塩化ビニルプラスチック= PVC plastic(polyvinyl chloride plastic)を素材として使い、空気(などの気体)を入れて膨らませる彫刻(Inflatable Sculpture)である。ニキはこの彫刻をデザインする前年、同じモチーフによるシルクスリーンの版画作品(注1)を制作している。彫刻ではニキ作品の特徴であるカラフルな色彩に彩られた面とフランス20世紀のアンフォルメルの画家、彫刻家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet, 1901- 1985)を彷彿させるモノクロームの面とに分けられているのだが、版画作品では、彫刻の両側面が交じり合ったような画面構成となっている。彫刻の二つの側面はそれぞれ、道化師の化粧や衣装に見られるような、明と暗、陰と陽といった相反する二つ性質を表しているかのように見えるが、見る側は常にどちらか一方しか見ることができないというジレンマを抱えることになる。ただし、そこに何か教訓めいたものを読み取る必要はないであろう。この彫刻でニキは、版画作品を出発点とし、その二つの異なる構成要素を、サイの体躯を使った二つの画面構成へと発展させている。

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既に絶版となっているこの彫刻の収納袋には、《このオブジェは浮き輪でも玩具でもなく、2歳未満の子供には与えないように》との注意書きが記されているのだが、比較的安価であったため、芸術作品として接した購入者は少なかったのではないだろうか。反対に、子供にとっては格好の遊び道具であり、それ故、多くのものが傷み、失われてしまったと思われる。裏を返せば、制作者や販売者はそれを見越して制作数を決めていたのかもしれない。ただその前提として、マルティプル・アートの概念に則って、一部の愛好者向けに小部数を高価で販売するよりも、より多くの人の目に触れさせることで、その認知度を高めようとする意図があったと思われる。そして安価な物であればあるだけ、時間の経過とともにその稀少性が自然と高まっていくことは十分予測可能である。そしてその思惑(!?)は見事的中、稀少性が結果としてオリジナル作品としての評価を押し上げるベクトルとして働いている。先に挙げたヘリングのプラスティックのオブジェ「Inflatable Baby」と同様、当初、玩具扱いだったものが今やパリのドルオー(Paris Drouot) やクリスティーズ(Christie's)のオークションにも登場しているのだから、大したものである。尤も、高価な逸品にのみ興味を抱く大コレクターには無縁の存在なのかもしれないが。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Inflatable Sculpture(Sculpture gonflable)
●題名:Rhinoceros(Rhinocéros)
●技法:Silkscreen on PVC plastic(Sérigraphie sur plastique PVC)
●サイズ:680x1070mm
●発行:Flammarion 4, Paris
●制作年:1999
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                          ニキの版上サイン


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註:

1.
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図版:Niki de Saint Phalle 「Rhinocéros」Silkscreen in colors, 1998, Edition:100, Size:430 x 560mm
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by galleria-iska | 2017-03-31 20:49 | その他 | Comments(0)
2016年 12月 18日

エドヴァルド・ムンクのモノグラフ「Edvard Munch von Curt Galser」(1917)

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ターバンを巻いた少女を描いた「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)がいつの間にか17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)の代名詞になってしまったように、19世紀末の自己の主観的経験す基づく象徴主義的な作品により、ドイツ表現主義の影響を与えたノルウェーの画家エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863-1944)と言えば、昨今は面白キャラクター扱いにされてしまった感のある「叫び」(1893年制作)の作者として取り上げられることが多い。ムンクは版画家としても歴史に残る作品を数多く残しており、代表作には数千万円の値が付くものもある。そのひとつ、油彩と同時期にリトグラフで制作された「マドンナ」(1895年)は、精子の縁取りとマドンナを上目遣いで見る胎児が描き込まれるという、スキャンダラスな側面を持った作品である。ムンクは晩年になるまで、自作品がより多くの人に接することに関心を持っていたようで、版画の限定数に拘っておらず、多くの作品は少部数刷られただけであったが、3000万円という高額で取引されることもある「マドンナ」に関しては、3000枚という、ポスター並みか、それ以上の数が刷られたとされている。その大半はオスロのムンク美術館が所蔵しており、美術館の購入予算を捻出するために、年に数枚(?)づつ、オークションを通じて売りに出されているとか。そんな版画を購入するなどという大それた野望は抱いてはいないが、何かしら手元に置いて眺めてみたいという淡い希望を持っていたところ、アメリカの古書店から、ムンクのドライポイントによる銅版画「男の頭部(Head of Man/Sch.243 Männerkopf)」が扉絵として挿入されたクルト・グレーザー(Curt Glaser, 1879-1943)のモノグラフ「Edvald Munch(von Curt Galser)」の初版本の案内があった。この作品はもとは1906年に制作されたものだったが、1917年の初版および1918年の再版に新たにオリジナルのドライポイントとして刷られた。グレーザーが1918年にムンクに出した手紙によると、この本の発行部数は2000部となっており、作品の質はさておき、「マドンナ」より少ない。とは言え、その当時ムンクの版画作品に関する資料(注1)は、ハンブルクの裁判官で美術愛好家のグスタフ・シーフラー(Gustav Schiefler, 1857-1935)が編纂した二巻からなる版画目録のリプリント(1974年)しか所有しておらず、それには図版が掲載されていなかったため、図柄も分からぬまま注文を出すことになった。肖像画の名手でもあったムンクらしい(?)、どこか病的なものを感じさせるものを秘かに期待していたのだが、その価格からして望むべくもないことであった。ただ神経症的な気質が見て取れるところもあったので、納得はできた。

この本の著者であるクルト・グレーザーは、ドイツ ライプチヒ生まれのユダヤ系ドイツ人で、医者の肩書きも持つ美術史家、美術評論家として20世紀美術に関する研究書を数多く著している。第二次世界大戦の勃発とともにニューヨーク市に移住している。出版元は同じくユダヤ系ドイツ人で、ベルリンで出版(1898~1936年迄)と画廊経営(1898~1901年迄)を行なっていたブルーノ・カッシーラー(Bruno Cassirer, 1872-1941)である。ムンクとカッシーラーとの関係を、1983年に愛知県立美術館で開催された『ムンク展』の図録に付けられた年譜(市川正憲・松本透編)等から拾い出してみると、ムンクとカッシーラーが密接な関係にあったことが見えてくる:

ムンクは1892年からたびたびベルリンに滞在しており、その年の11月に早くもベルリン美術家協会から招待を受けて油彩画の最初の展覧会を開催している。

1903年1月:ブルーノ・カッシーラーと従兄弟のパウル・カッシーラーがハンブルクでムンクの版画展を開く。
1904年:ベルリンのブルーノ・カッシーラーとドイツでの版画の独占販売契約を結ぶ。
1905年1月:パウルが経営するカッシーラー画廊で『肖像画展』を開く。
1907年:カッシーラー画廊で二度(1月~2月と9月~10月)個展を開催。
1912年:この本の著者であるクルト・グラーゼルと接触を持つ。12月にカッシーラー画廊で個展を開催。
1917年:この本の初版がブルーノ・カッシーラーから出版される。翌1918年に再版される。
1920年3月:カッシーラー画廊で個展を開催。
1921年4月:カッシーラー画廊で個展を開催。
1933年4月:ヒットラーが国家首相に任命された三ヵ月後、ドイツ学生協会が「ユダヤ人の知識の偏重」を攻撃する。
1935年5月:(カッシーラーと直接関係したのか分からないが)「ユダヤ人の知識の偏重」を攻撃は、「非ドイツ的魂への抵抗」の運動となり、ドイツ国内の本のうち、ナチズムの思想に合わないとされた「非ドイツ的」書物25000巻に対して焚書を行なう。
1936年:ブルーノ・カッシーラーを含むユダヤ系の印刷業者は組合から排除され、この年を最後に出版が出来なくなる。
1937年:ドイツ国内の公共的コレクションに所蔵されていたムンクの作品82点が“退廃芸術”の烙印を押され、ナチスに押収される。1939年1月、オスロでナチスが押収した油彩14点、版画57点のオークションが行なわれる。
1938年:ブルーノ・カッシーラーは新天地を求めてイギリスに渡る。

●作家:Edvald Munch(1863-1944)
●種類:Monograph
●著者:Curt Glaser(1879-1943)
●題名:Edvald Munch von Curt Galser(First Edition, 1917)
●サイズ:262x195mm
●出版者:Bruno Cassiere, Berlin
●制作年:1917
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巻頭。本文は“ひげ文字”などと呼ばれる書体、フラクトゥールで印刷されているので、ドイツ語に慣れ親しんだ人でないとお手上げである。
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「叫び」のリトグラフ・ヴァージョン、1895年

注:

1.ムンク美術館の版画と素描の上級学芸員であるゲルト・ヴォール(Gerd Woll, 1939-)が編纂した版画のレゾネ『Edvard Munch The Complete graphic Works』(Harry N.Abrams, Inc. New York, 2001)によって、ムンクの版画作品の全貌が明らかになった。

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by galleria-iska | 2016-12-18 20:14 | その他 | Comments(0)
2016年 12月 02日

フィリップ・モーリッツのワインラベル「Château Siran - Margaux」(1994)

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ワインの案内によると、シャトー・シランは、「ワインの女王」と称されるボルドーワインの生産地として知られるフランス南西部に位置するボルドーのメドック地区の南部マルゴー・アペラシオンの最南端のラバルドに位置するシャトーのひとつで、ジャンヌ・ダルクの活躍によってフランス王として戴冠式を挙げることができた中世フランス王国の王朝、ヴァロワ朝(Dynastie des Valois)の第5代国王シャルル7世(Charles VII, 1403-1461)(勝利王/ Le Victorieux,1422–1461)治世下の1428年に創設された。1859年にミアイユ家が取得して以降、ボルドーでは珍しく、150年以上に渡り同一家が所有し続けている歴史あるシャトーで、初代オーナーは、ジャポニスムの影響を受けて制作したポスターで名声を博した画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec, 1864-1901)の祖父母であるトゥールーズ・ロートレック伯爵夫妻である。クリュ・ブルジョワ級に格付けされているシャトー・シランは1980年から2005年ヴィンテージまで毎年違う画家による作品をワインラベル(étiquette de vin)に採用しており、最初のワインラベルはフランスの銅版画家アルベール・デカリス(Albert Decaris, 1901-1988)によるもので、二番目の1981年はベルギー出身の画家で彫刻家のジャン=ミシェルフォロン(Jean-Mishel Folon, 1934-2005)、三番目となる1982年はスペイン バルセロナ出身の画家、版画家、彫刻家ジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)の作品となっている。1994年は、『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』を著したフランス・ルネサンス期の人文主義者フランソワ・ラブレー(François Rabelais,1494-1553)の生誕500年の年で、ボルドー在住の銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1943-)がその物語の挿絵としてよく使われる、中世の出で立ちで酒宴を繰り広げる巨人で大食漢のパンタグリュル一行を場面を描いた銅版画が使われている。画面右側の壁にはラブレーの肖像画(註1)が掛けられている。

モーリッツはコマーシャルな仕事を殆んど引き受けたことがない作家であるが、故郷ボルドーの由緒あるシャトーの依頼ということで引き受けたのであろう。銅版画自体は表に出ていないので、このワインラベルが作品ということになる。

●作家:Philippe Mohlitz(1943-)
●種類:Étiquette de vin
●サイズ:46x90mm(151x90mm)
●技法:Offset
●発行:Château Siran, Labarde
●制作年:1994
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この年のワインラベルは剥離紙が付いたものになっている。



註:

1.
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モーリッツが手本にしたフランソワ・ラブレーの肖像画
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by galleria-iska | 2016-12-02 21:58 | その他 | Comments(0)
2016年 11月 14日

ジャン・ジャンセムのリトグラフ「Magician」(1978)

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アメリカの次期大統領に選出された某氏をテレビで見ていて、ふと思い出したのが、アルメニア出身の画家ジャン・ジャンセム(Jean Jansem/Jean-Hovanes Semerdjian, 1920-2013)(註1)が1978年にパリ8区のマティニョン通りにあるマティニョン画廊(Galerie Matignon, Paris)で行なった展覧会「仮面(Mascarade)」に際して制作した「魔術師(Magician)」というリトグラフである。告知用のポスターも同じイメージを使って作られており、印刷はパリのムルロー工房(Mourlot Imp., Paris)である。この魔術師が被るどこか虚ろな表情の仮面と某氏の横顔が重なって見えてしまったのである。

《トランプ(trump)》という言葉の意味を辞書で引いてみると、名詞には、切り札、奥の手、最後の手段という意味が、動詞には、~よりも勝る、(人)を負かすという意味の他に、trump upには、(うその話・口実など)をでっち上げる、捏造するという、まさに今回の選挙戦のなかで多くの人が感じた某氏の戦略(註2)と一致する意味があるのである。アメリカの多くの人が、仮面を被った魔術師であるところの某氏のデマゴギーに満ちた煽動的な言動に翻弄されながらも、その強い言葉に引き寄せられてしまったのである。しかしながら、仮面の下の真実の顔が如何なるものか、未だ分からない。

●作家:Jean Jansem(1920-2013)
●種類:Print
●題名:Magician
●サイズ:682x513mm(760x538mm)
●技法:Lithograph
●限定:120
●紙質:Arches
●発行:Galerie Matignon, Paris
●印刷:Mourlot Imp., Paris
●制作年:1978
●目録番号:405
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註:

1.Jean Jansem, pseudonyme de Jean-Hovanes Semerdjian, est un artiste peintre français d'origine arménienne né le 9 mars 1920 à Seuleuze en Turquie et mort le 27 août 2013 à Paris.

2.ヒトラーの言葉に次のようなものがある:
《私はいかなる手段もためらいはしない。私はあらゆる手段が、正当なものとなる。私のスローガンは"敵を挑発するな!"ではなく、"非常手段に訴えて敵を殲滅せよ!"である。戦争を遂行するのは私なのだ。》ヒトラーの側近であったへルマン・ラシュニングの著書『永遠なるヒトラー』より

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by galleria-iska | 2016-11-14 15:03 | その他 | Comments(0)
2016年 09月 24日

アンリ・マチスの挿絵本「Apollinaire」(1952)

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20世紀が生んだ巨匠のひとりアンリ・マチス(Henri Matisse, 1869-1954)のタブローはあまり好きにはなれないが、その単純化された描線から生み出されるデッサンは、ハンス。ベルメールの極度に神経質な線とは異なり、血の通った肉体の温もりさえ感じさせる実在感があって好きである。それとは別に、晩年に始めた「ジャズ(Jazz)」のような切り絵も、フォービスム時代に培った色彩感覚がより純化された姿として見ることができるかもしれないし、パリのエコール・ド・ボザールにも学んだ、ハードエッジと呼ばれる現代美術の作家エルズワース・ケリー(Ellsworth Kelly、1923-2015)の作品における色彩感覚や花弁や葉を描いたドローイングには明らかにマチスの影響が見て取れるし、グラフックデザインにも多大な影響を与えるほど、マチスのデザイナーとしての質の高さを感じさせる。マチスとイタリア出身のポーランドの詩人、小説家で美術批評も行なったギョーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire, 1880-1918)との友情関係のひとつ証として制作されたのがこの挿絵本「Apollinaire」であり、共通の友人で、マチスとは1898年に、当時パリのエコール・デ・ボザールの教授であったギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)のアトリエで出会い友人となった文筆家、ジャーナリスト、新聞の漫画や諷刺画作家でもあったアンドレ・ルヴェール(André Rouveyre, 1879-1962)がテキストを執筆している。マチスは様々な表情を見せるアポリネールの6点の肖像画と愛らしい1点の巻末のカット(cul-de-lampe)をリトグラフで制作している。口絵はどう見てもマチスのアクアチントにしか見えないのだが、実際はマチスのアクアチントによる原画を基にしたリトグラフで、笑顔を見せるアポリネール、マチス、ルヴェール三人の肖像画となっている。本の装丁もマチスが手掛けており、カバーは、クレヨンによる表題と花びらの輪郭を描いたデッサンに黄色の紙を切り抜いて貼ったもの、フォルダーは、表は青い下地に白い紙を切り抜いて《Apollinaire》の文字とマチスの頭文字《HM》を貼り付けており、裏側は逆に白地に青色を紙を切り抜いた植物文様を貼り付けている。これらはともに当時パリのムルロー工房を率いていたフェルナン・ムルローによって実現されたとある。マチスはまた章初めの装飾頭文字(lettrine)も三点デザインしており、それらはリノカットで制作されている。
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●作家:Henri Mattise(1869-1954)
●種類:Illustrated Book
●題名:Apollinaire
●著者:André Rouveyre
●サイズ:327x255mm(Folder:332x259mm)
●限定:350(30 copies signed by the artists:1~30+300:31~330+XX:I~XX)
●紙質:Vélin d'Arches
●発行:Raisons d’Être, Paris
●印刷:Text and initial letters: Coulouma, S.A., Paris. Lithographs, Cover and Folder: Mourlot Frères, Paris
●制作年:1952
●目録番号:D.31(Catalogue raisonné des livres illustrés par Matisse établi par Duthuit No.31)

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2017年2月21日追記:

マチスが制作した口絵については、挿絵本に付けられた内容証明に従い、多くの古書店は口絵を含め8点のリトグラフとしているのだが、1988年に刊行されたクロード・デュチュイ(Claude Duthuit)著の「アンリ・マチス挿画本カタログ・レゾネ(Henri Matisse : Catalogue raisonné des ouvrages illustrés)」 には口絵はアクアチントと表記されており、それに沿うように、ニューヨーク近代美術館や他の公立美術館の所蔵品データもアクアチントとなっている。また、この挿絵本を競売に掛けたオークション会社のクリスティーズの競売カタログにもアクアチントとあることから、はたして本当にアクアチントで制作したものをリトグラフに置き換えたのであろうか。疑問が湧いてくる。

口絵の制作にあたり、マチスはアクアチントやリトグラフで習作を何点も制作しており、マチスの三人の友情に対する強い想いが感じられる。それらの習作はクロード・デュチュイらによって編纂されたマチスの版画作品のレゾネ「Henri Matisse. Catalogue raisonné de l'œuvre gravé, 2 vols」 (1983)に収録されている。
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by galleria-iska | 2016-09-24 22:00 | その他 | Comments(0)