ガレリア・イスカ通信

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2011年 07月 01日

リチャード・ハミルトンの写真集「Polaroid Portraits」(4 vols.)

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1943年シュトゥットガルト生まれのハンスヨルグ・メイヤー(Hansjorg Mayer, 1943-)によって設立された出版社《Edition Hansjörg Mayer》は主に現代美術作家たちによるアーティスト・ブックの出版を手掛けており、中でもディーター・ロス(Dieter Roth,1930-1998)のアーティスト・ブックの出版に力を注いでいる。写真家、杉本博司(Sugimoto Hiroshi, 1948-)氏のバーゼルでの最初の回顧展の図録「Hiroshi Sugimoto - Time Exposed」もここが出版元であり、後に提携先のロンドンの《Thames & Hudson》から英訳版が刊行された。1956年のホワイトチャペル・アート・ギャラリーでの「This is Tomorrow」展に早くもテクノロジーによって大きく変貌しようとしている現代社会の様相をキッチュに捉えた写真によるコラージュ作品「いったい何が今日の家庭をこれほど変え、魅力あるものにしているのか」(そこには20世紀の後半が、絵画の想像力を凌ぐ映像の脅威の世紀であることが示され、絵画がそれに従うことになることが予見されている)を発表し、ポップアートの創始者となったリチャード・ハミルトン(Richard Hamilton, 1922-)の写真集「Polaroid Portraits」は、そのハンスヨルグ・メイヤー出版から、1972年の第一巻から最終巻となった2002年の第四巻まで、三十年という長いスパンで刊行された写真集であり、ハミルトンのアーティストブックである。

ハミルトンによると、彼がポラロイドカメラを最初に使用したのは、ポラロイド社が“オートマティック100型”を発売した1960年ことで、ICA(ロンドン現代美術研究所)で講演を行なった際に、ポラロイド社の創業者であるエドウィン・ハーバード・ランド(Edwin Herbert Land,1909-1991)がニューカッスル大学の写真学部に寄贈したポラロイドカメラ(オートマチック100型?)を借り、写真撮影のデモンストレーションを行なったのが最初で、ポラロイドカメラの即時性がもたらす効果は聴衆にとって未経験を驚きを与え、その後もポラロイドカメラを講演に用いることとなる。

写す側から写される側となった「Polaroid Portraits」の企画は、ポラロイドカメラが流行のアイテムになっていた1968年の3月に始まる。最初の撮影者はポップアーティストのロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)で、3月16日、仕事場を訪れたハミルトンを自らの作品の前に立たせ、購入したばかりのポラロイドカメラを使って撮影したもの。またその年の秋にカナダのヴァンクーバーを訪れたときで出合った、“N.E. Thing Co.”こと、レイン・バクスターも偶然ポラロイドカメラを持っており、9月25日に作品を背景にハミルトンを撮影、ハミルトンは、自分が、作家の目を通して見、構成された画面の中にその作家の作品とともに居ることに感動する。ロンドンに戻ったハミルトンはポラロイドカメラを一台購入すれば、“take a photograph of me"と、友人の現代美術作家に写真を撮ってもらうことができ、愉しい企画なるであろうと考えた。ハミルトンは最初、作家の仕事場で作品とともに写真を撮ってもらうことを考えていたが、被写体にレンズを向け、シャッターを押すだけという行為に、作家のイマジネイションが加われることによって、写真は単なる記念写真ではなく、その作家の創造活動に関わる精神の足跡が残されることに気付き、写真撮影のシチュエーションには拘らなくなる。

1960年から70年代、そして80年代と、それぞれの時代の顔となった作家によるハミルトンの肖像写真は、急激にデジタルカメラへの移行が進み、ポラロイド写真への興味が薄れていった(ポラロイド社は2001年10月に約9億4800万ドルの負債を抱えて経営破綻する)2000年11月25日のカナダ人デザイナーのブルース・マウ(Bruce Mau, 1959-)まで全128点撮影された。写真は各巻に32点づつ収録されており、巻頭にはハミルトン自身によるセルフポートレイトが一点添えられている。128点のポラロイド写真は、最後の撮影日からおよそ一年後の2001年11月14日から2002年1月20日にかけてバーミンガムのアイコン画廊(IKON Gallery)で開催された「Richard Hamilton: Polaroid Portraits」展で展示された。

●作家:Richard Hamilton(1922-)
●編集:Richard Hamilton
●種類:Photo book
●サイズ:167x120mm
●技法:Offset
●限定:ca.4000
●発行:Edition Hansjörg Mayer, Stuttgart / London
●発行年:
Vol.1:1972
Vol.2:1977
Vol.3:1984
Vol.4:2002

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.................................《Self-Portrait 3.1.72》.....................《Self-Portrait 28.5.77》..............
................................《Self-Portrait 25.8.83》....................《Self-Portrait 6.10.01》..............

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Man Ray 27.10.71 最初の二冊には20世紀を代表する三人の写真家によって撮影された写真が掲載されており、その内のひとり,マン・レイ(Man Ray,1890-1976)の写真について、ハミルトンは,“It doesn't need much imagination to see that the May Ray Polaroid has a touch of his genius."と述べている。後の二人は、カルティエ・ブレッソンとウーゴ・ムラスである。
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John Lennon 25.11.71 アルバム「Imagine」を発表したばかりのジョン・レノンが撮った写真。ジャケット写真を彷彿させる。
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Tadanori Yokoo 25.11.71 ジョン・レノンと同じ日に撮った横尾忠則の写真。年譜によると、横尾氏は1970年から写真を撮り始めた、とある
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Allan Kaprow 18.1.80 撮影者(アラン・カプロー)が写り込んでいる唯一の写真。
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by galleria-iska | 2011-07-01 17:10 | その他 | Comments(0)
2011年 06月 20日

フランク・オハラの詩画集「In Memory Of My Feelings-Frank O'Hara」(1967)

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「私の感情の思い出」は、1966年7月24日の早朝、サンド・バギーと衝突、翌25日に40才の若さで亡くなったアメリカのニューヨーク派の詩人であり、ニューヨーク近代美術館の学芸員でもあったフランク・オハラ(Frank O'hara,1926-1966)の死を悼み、1967年にオハラの親友の詩人で、当時ニューヨーク近代美術館の出版部門の客員編集者だったビル・バークソン(Bill Berkson,1939-)によって編まれた詩画集である。挿絵はロバート・マザーウェルの助言によって選ばれた総勢30人の作家によるもので、友人のウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning),ノーマン・ブルーム( Norman Bluhm),ラリー・リヴァース( Larry Rivers)、ジョアン・ミッチェル(Joan Mitchell)を始め、抽象表現主義のロバート・マザーウェル、バーネット・ニューマン、リー・クラスナー、ヘレン・フランケンサーラー、ネオダダのジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、ポップ・アートのロイ・リキテンスタイン、クレス・オルデンバーグ等、現代美術の錚々たるメンバーが参加している。作家にはそれぞれページにレイアウトされた一編の詩のゲラ刷りと透明なプラスティックシートが渡され、ゲラ刷りの上にプラスティックシートを重ね、その上に直接描画するよう指示された。挿絵は一人一点ないし二点、デ・クーニングは三点、合計46点。それらは写真製版によるリトグラフで印刷された。参加した作家の内、ロイ・リキテンスタインとウィレム・デ・クーニングは、詩画集制作の意図を汲み、挿絵をオリジナルの版画作品として承認していることから、カタログレゾネにも掲載されているが、素晴らしい出来栄えの挿絵を制作したジャスパー・ジョーンズを始めとする他の多くの作家は、挿絵をオリジナル版画とは認めていないようである。その理由は、編者が詩人で、版画についての専門知識が無く、印刷にテキスト用紙の《Mohawk Superfine Smooth(White) 》を使ったことから、挿絵が版画としての表情に乏しいものになってしまったためではないかと思われる。そのため、この詩画集は、現代美術の錚々たるメンバーが一同に会しているにも拘わらず、驚くほどの安価で取引されている。生誕80年か、没後40年か、理由は分からないが、2005年に同美術館からファクシミリによる復刻版が出版されている。

●作家:Frank O'Hara(1926-1966)
●種類:Illustrated book
●題名:In Memory Of My Feelings: A Selection of Poems by Frank O'Hara
●ケースサイズ:324x240x32mm
●シート:305x230mm(305x460mm)
●技法:Photolithograph
●限定:2500(numbered on colophon page)
●編集:Bill Berkson
●発行:Musueum of Modern Art, New York
●印刷:Crafton Graphic C0ompany, Inc., new York
●制作年:1967

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ロイ・リキテンスタインによる《Romanz, or The Music Students》のために挿絵(1)
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ジャスパー・ジョーンズによる《In Memory of My Feelings》のための挿絵(1)
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ロバート・ラウシェンバーグによる《A Step Away from Them》のための挿絵(1)
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ウィレム・デ・クーニングによる《Ode to Willem de Kooning》のための挿絵(1)。
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by galleria-iska | 2011-06-20 19:28 | その他 | Comments(0)
2011年 06月 13日

ジャンルー・シーフの風景写真「Sad Landscape No.1 England」(1965)

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2010年に東京都写真美術館で回顧展「ジャンルー・シーフ写真展‐Unseen & Best works」が開催され話題を呼んだジャンルー・シーフ(Jeanloup Sieff, 1933-2000)(1)は、数は少ないが、風景写真にも優れた作品を残している。初期の風景や都市の光景は、シーフがニューヨークを拠点に、「ルック」、「グラマー」、「エスクァイア」、「ハーパース・バザー」や、ヨーロッパの「ヴォーグ」などの仕事を行なっている間に撮られたもので、その多くは21mmという広角レンズの特性を生かした表現で、ほぼ300x200mmの非常にタイトな垂直画面に見た目以上の遠近感を表出させている。シーフの初個展は1969年であり、それ以前のプリントは印刷原稿や展示用に焼かれたもので、サインや限定番号が入っておらず、比較的安価に入手することが出来る。シーフがニューヨークからパリに戻ろうとしていた頃に撮られた「Sad Landscape No.1 England」」と題されたこの風景写真もそのような写真の一枚で、写真の表と裏にボールペンで「England 1965」との書き込みある。1997年11月20日に行なわれたクリスティーズのオークションには1966年の年記のあるものが出品されている。裏に《Jeanloup Sieff》のゴム印。

●作家:Jeanloup Sieff(1933-2000)
●種類:Photograph
●題名:Sad Landscape No.1 England, 1965
●サイズ:303x200mm(シート:402x298mm)
●技法:Gelatin Silver Print
●制作年:1965

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註:
1.ポーランド出身の両親のもと1933年パリに生まれる。写真についてのごく短期間(フランスで一ヶ月、スイスで七ヶ月)の専門講義を受けた後、すぐにパリでフリーランスのルポルタージュ写真家として独立。1955年に雑誌「エル」の写真家となる。1958年にマグナム・フォト(Magnum Photos)に加わり、ヨーロッパ各地でのルポルタージュ写真がスイスの写真誌「カメラ」に掲載される。1959年にマグナムを去り、ベルギーの炭鉱都市でのドキュメントで「ニエプス賞」を受賞する。1961年にニョーヨークに渡り、「ルック」、「グラマー」、「エスクァイア」、「ハーパース・バザー」や、ヨーロッパの「ヴォーグ」などの仕事を1965年まで行なう。1966年にパリの戻り、自身のスタジオを開設する。この時の引っ越し通知を友人のジャン=ミッシェル・フォロンが作っている。



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by galleria-iska | 2011-06-13 14:01 | その他 | Comments(0)
2011年 06月 10日

金子國義の絵本「Alice's adventures in Wonderland」(1974)

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2010年に公開されたディズニー映画「アリス・イン・ワンダーランド(Alice In Wonderland)」により再び関心が高まった金子國義(Kaneko Kuniyoshi,1936-2015)氏初の挿絵本「不思議の国のアリス」は、1971年のミラノのナビリオ画廊での個展がきっかけとなって誕生した。この絵本は、イタリアの事務機器メーカー、オリベッティ社が、顧客や配給会社へのクリスマスシーズンの贈り物第三弾(1)として1972年より始めた絵本シリーズの1974年度版贈呈本で、イタリア語の翻訳版(Alice nel paese delle meraviglie)とオリジナル版(Alice's Adventures in Wonderland)がある。このシリーズは当時オリベッティ社の文化部にいた作家のジョルジオ・ソアヴィ(Girogio Soavi, 1923-2008)のアイデアによるもので、当初年二作品の発行を予定していたが、後に年一作品となる。金子氏の年譜によると、オリベッティ社から挿絵を依頼されたのは1972年のことで、完成までに二年の月日を要したようである。1972年に完成していたなら、金子氏と同様、強烈な個性の持ち主であるポーランド出身のローラン・トポール(Roland Topor,1938-1997)の「ピノキオの冒険(Le avventure di Pinocchio)」とともにシリーズ第一弾となった筈である。それには理由があったようで、この二つの絵本のタイトルにはどちらも“冒険”という言葉がついており、世界中に知られている冒険物語の主人公「アリス」とイタリアを代表する「ピノッキオ」を同時に発行することで、ピノキオの知名度を更に高めようとする意図があったようなのである。

金子氏のこの「不思議の国のアリス」とトポールの「ピノキオの冒険(Le avventure di Pinocchio)」、そして1973年に発行されたジャン=ミシェル・フォロン(Jean-Michel Folon,1934-2005)の「変身(La metamorfosi)」(1973年度版)の三作は、それぞれ作家の代表作とも言えることから、人気もあり、プレミアム価格で取引されている。金子氏は本文中の挿絵13点と前後の見開きを鉛筆で描いており、表紙には、物語の冒頭部分-静かな川の野原で、アリスはお姉さんと一緒に歴史の本を読んでいたが、アリスはすっかり退屈になった-を描いた扉絵用の彩色作品と同じものが、楕円状に切り抜かれて貼られている。金子氏はそれまでどちらかと言えば反社会的で退廃的、また道徳や倫理に背を向けるような挑発的な作品を描いており、一部の熱狂的な支持者以外にはあまり馴染みがなかったが、一般向けの絵本の挿絵を手掛けることにより、広く知られることとなり、金子氏自身も「アリス」というキャラクターに新しい主題を発見し、その後さまざまな手法を用いてこの主題を発展させていくこととなる。
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●作家:金子國義(Kaneko Kuniyoshi, 1936-2015)
●種類:Illustrated book
●サイズ:348x283mm
●技法:Offset
●発行:Olivetti, Milano
●制作年:1974
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註:
1.第一弾は1951年から始められた美術史に残る巨匠の作品を用いたカレンダー。第二弾は卓上カレンダーで、第一作の1969年度版には、フォロンの挿絵12点(1968年制作)が使われている。詳しいことは(www.storiaolivetti.it)を見ていただきたい。イタリアのオリベッティ社の、“企業は社会に対する物質的な貢献と同時に、道徳的、文化的な貢献をすべきだ”という創業以来の理念にもとづき、同社が幅広く世界各国の作家に依頼することによって生まれたこれら挿絵の原画を集めた「世界の現代画家50人展」が、イタリア・オリベッティ社と日本オリベッティ株式会社の協賛で、1978年7月25日から8月31日にかけて東京国立近代美術館で開催されている。


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画像の追加(2014年11月14日)

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この絵本が贈呈本であるとの証左となるものが見つかった。「日本オリベッティ株式会社」の当時の社長ルティアーノ・コーヘンが社員に贈ったものに付けられていた挨拶文である。書き写したものがあるので、紹介したい(以下原文のまま):

社員のみなさまへ

私は、ことし、みなさまのご家庭に、特別すばらしいプレゼントをさし
あげることにいたします。

それは、イタリア・オリベッティ社発行の童話本『ふしぎの国のアリス』
(監修:イタリア・オリベッティ社文化担当ディレクター、ドクター・ソアビ/挿絵:
日本人画家、金子国義)です。

かねてよりオリベッティ社では、文化事業の一環として画集や写真集や
童話などを出版、世界中の重だった文化人や文化団体に贈呈してきており
ますが、今回、私は特に日本オリベッティ社員のご家庭にも、その一つ
をお贈りしようと思いつきました。

それは、このような童話に秘められた人の心の不変の美しさ、あたた
かさと、オリベッティ社の存在の源泉ともなっている人間や文化を大
切にする心のあたたかさを、社員はじめ、ご家族のみなさまにも肌身
を通しておわかりいただきたいと思ったからです。

この本の監修をした、ソアビ氏は、詩人であり画家でありますが、1971年、
ミラノで個展を開いた日本人画家、金子国義氏(ご存知の通り、氏はこの頃
から婦人公論を表紙を描いています。)の画風に魅かれ、かねてより
心にあたためていた『ふしぎの国のアリス』の挿絵を描いてもらう人は
彼をおいて他にいないと思い、翌年あらためて彼を招き、正式に依頼し
たのでした。金子氏は、大きな喜びと怖れをもってこれに応じました。
一年後、絵はソアビ氏の想像通り、ふしぎな美と愛らしさを秘めて、
現前しました。そしてまた一年、ソアビ氏と金子氏、つまりイタリアと
日本の信頼と愛の交感は、世に類をみない『ふしぎの国のアリス』として
実を結んだのです。

ではみなさま、どうぞこの貴重な美しい果実をうけとってください。
そして、国境を時代を超えてかよいあうことのできる馥郁たる人の心
の豊かさあたたかさを、ご家族そろって味わってくださるよう、私は
心から願っております。

  1974年12月
             
            日本オリベッティ株式会社
            代表取締役社長 ルチアーノ・コーヘン



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by galleria-iska | 2011-06-10 12:46 | その他 | Comments(0)
2011年 06月 08日

ブルース・ウェーバー特集号「PER LUI LUGLIO/AGOSTO 1985-N.29」

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写真家にもそれぞれ得意とするジャンルがあるのだろうが、もともとは自己の外部の世界を記録するための道具であったはずである。が、写真がそれまで絵画の要素である記録性という側面に取って代わると、相互に影響し合い、それぞれの持つ性質が互いに入り込んでいった結果、相容れない矛盾を抱え込んだ、今ある写真の概念が出来上がったようだ。従って、そこには常に冷徹な記録性と撮影者の対象を見つめる眼差しの奥底にある何らかの想いのようなものが交差している。監視カメラの映像や画面に映し出されているフラットな世界の断片を見れば、写真というものが深く人間の身体性に関わっているかが分かるはず。写真は静止した画像であるが、その記録性が人々の見たいという要求や願望を実現する術となり、さらに印刷技術の進歩により、オフセット印刷による大量の印刷が可能となると、あらゆるものが写真の対象となり、視覚世界を無限に拡大してきた。が、更に写真自体がひとつの擬似的な世界を提供し、その中に人間の持つ様々な想いが投影されていくこととなる。

1982年のカルヴァン・クラインの下着写真の成功を機に、一躍人気商業写真家に躍り出たブルース・ウェーバー(Bruce Weber,1946-)であるが、芸術家の仲間入りは少し遅いようだ。彼の写真集は被写体となったモデルの話題性も手伝い、人気が高い。今手元に残っているのは、スミソニアン協会出版(Smithsonian institution Press))から刊行されていた写真家入門シリーズとも言える“Photogaphers at Work"の中の「Hotel Romm with a View」だけで、もう一冊、写真集とは言えないが、ウェーバーという写真家のフィールドが良く分かるという意味で、ウェーバーをフューチャーしたイタリアの男性版ヴォーグ「Per Lui」の1985年7/8月号がある。1989年にエイズで亡くなったロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethope, 1946-1989)と同じ1946年生まれのウェーバーは、男性ヌードをひとつのジャンルにまで高めた功績は評価されるのであろうが、ファッションのコードの超える何かが見えてこない。

●作家:Bruce Weber(1946-)
●種類:Men's magazine
●題名:Per Lui Edizione Speciale: USA by Bruce Weber
●サイズ:280x212mm
●技法:Offset
●発行:Edizioni Condé Nast, Milano
●制昨年:1985


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by galleria-iska | 2011-06-08 19:48 | その他 | Comments(0)
2011年 05月 21日

福田繁雄の挿絵本「Romeo and Juliet」(1965)

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日本を代表するグラフィク・デザイナー、故福田繁雄(Fukuda Shigeo, 1932-2009)が1963年に手がけた実験的な挿絵本「ロミオとジュリエット」。私家版による発行のため、発行部数は数百部程度とか思われる。表題が示すように、ロミオとジュリエットと二人の間に起こる出来事を三色に色分けし、二人の感情の起伏や場面の緊張感を心電図のような図形によって表現した作品。タイポグラフィーは図形に沿うように配置されている。シルクスクリーン印刷。ソフトカバー、中綴じ、英文、16ページ。この挿絵本は、1966年に開催された『第2回ブルノ国際グラフィック・デザイン・ビエンナーレ』(チェコスロバキア)で奨励賞を受賞している。

●作家:福田繁雄(Fukuda Shigeo, 1932-2009)
●種類:Illustrated book
●題名:Romeo and Juliet by William Shakespeare
●サイズ:179x181mm
●技法:Silkscreen
●印刷:サン工芸印刷株式会社(Sun Art Printing, Co.,Ltd.)
●制作年:1963
●発行年:1965

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by galleria-iska | 2011-05-21 20:19 | その他 | Comments(0)
2011年 05月 21日

美術文芸誌「Cahiers intempestifs」の購読案内

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1993年に『時機を逸した雑誌(Cahieres intempestifs)』という誌名で創刊された美術文芸誌の購読案内。表紙絵は、創刊メンバーの一人で、フランスで1960年代末に起こった芸術運動「シュポール/シュルファス」の中心となった現代美術作家、クロード・ヴィアラ(Claude Viallat,1936-)によるオフセット・リトグラフで、雑誌の表紙に使われたもの。雑誌は年二回発行で、当初版画用のアルシュ(velin d'Arches)紙を用いて印刷されていたが、現在は価格の安いラナ紙(velin de Lana)に変更されている。価格は53ユーロ。

雑誌の紹介には、《A cultural magazine printed in offset lithograph on vellum paper. Its vocation is to gather original creations from writers and artists on a specific theme. 23 x 28,5 cm, unbound, 56 pages, limited edition of 1000, printed on vellum》とあり、マーグ画廊が発行していた「ノワーズ(Noise)」の造りを意識しているように思われる。因みに、ヴィアラは1990年に発行された「ノワーズ」第13号にアーティストとして参加している。

●題名:Cahiers intempestifs
●種類:Bulletin d'abonnement(Subscription form)
●サイズ:209x149mm(209x298mm)
●技法:Lithographie offset(Offset lithograph)
●紙質:Arches
●発行:Editions S'printer(=Éditions des Cahiers intempestifs), Saint-Etienne
●制作年:1993

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絵入り広告文。こちらはアルシュ紙にシルクスクリーンで印刷されている。
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by galleria-iska | 2011-05-21 19:11 | その他 | Comments(0)
2011年 03月 07日

長谷川潔の直筆書簡、1963年

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1963年11月18日、当時71歳であった長谷川潔(1891-1980)が、22日から始まるパリのギャルリー・サゴ・ル・ガレック(Galerie Sagot le Garrec)での個展を前に、印象主義以降のフランスの画家に関する多くの著作のある美術史家で批評家のレイモン・コニア(Raymond Cogniat, 1896-1977)(1)に宛てて書いた直筆書簡。長谷川は書簡の中で、ギャルリー・サゴ・ル・ガレックでの個展を、放棄されていたマニエル・ノワールの技法を1924年から新しい表現として復活させた自らの40年に渡る創作活動を展観する重要なものであるとし、個展への評価と来場を請うとともに、気に入ったものがあれば近作の中から一点進呈すると申し出ている。

●作家:長谷川潔(Hasegawa Kiyoshi, 1891-1980)
●種類:Autograph letter signed to Raymond Cogniat
●サイズ:270x210mm
●日付:18 November 1963

註:
1:レイモン・コニアの著作の一部:
「Georges Rouault」 Les Editions Georges Crès et Cie, Paris, 1930
「Soutine」 Edirions du Chene, 1945
「Gauguine」 Abrams, 1963
「The Century of the Impressionists」 Crown Publishers, Inc., 1967
「Chagall」 Editions Flammarion., 1968
「Monet et ses amis」 Musée Marmottan, Paris, 1971
「Picasso」 Crown Publishers, Inc., 1975
「Raoul Dufy」 Musée d'Art moderne, Paris, 1977
「Bonnard」 Crown Publishers, Inc., 1979
「Braque」 Harry N. Abrams, Inc., 1980
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by galleria-iska | 2011-03-07 17:16 | その他 | Comments(1)
2011年 03月 06日

菅井汲「年賀状」(1982年)

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菅井汲が1982年の年賀状として制作したシルクスクリーン版画。二つ折り、左頁下の小枠に鉛筆サイン。カタログレゾネ未収録。詩人大岡信の『菅井汲―回想と展望』によれば、二人は1981年の初夏に菅井のパリのアトリエで共同制作を行なったとあり、この年賀状jはそのとき作られた作品「耳ヲ彩ルモノ」(大岡信ことば館収蔵)の構図を用いている。菅井は1963年にパリ青年ビエンナーレ参加のためにフランスにやってきた大岡と意気投合し、大岡の朗読に墨書というパフォーマンスの共演を果しているので、1981年の共同制作は二度目のコラボレーションとなる。また1983年にも日本で同様の即興制作のイベントを開催している。

●作家:Sugai Kumi(1919-1996)
●種類:New Year Greeting(Carte de vœux)
●サイズ:150x100mm(150x200mm)
●技法:Silkscreen
●発行:Sugai Kumi
●制作年:1981

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画像:菅井汲+大岡信「耳ヲ彩ルモノ」1981年。《大岡信ことば館》ウェブサイトより転載

一九八一年初夏。菅井汲のアトリエ。パリ。 私は菅井が用意してくれた何枚もの純白の紙に、自作の詩の断片を筆で書く作業に没頭していた。おのおのの紙の余白部分に菅井汲の絵をつけてもらって、二人の合作のアルバムを作ろうというのが私のもくろみだった。 共同で作品を作るという考えに私が惹かれるのは、作業を通じていやおうなしに露顕してしまう参加者各人の秘められた頑強な個性に興味をもつからである。ふだん一人だけで制作している時ならば孤独と沈黙の城壁の内側にまもられている各人の隠れた個性も、共同制作という場の中では、揺さぶられ、攻撃され、対話を必要とし、自己を主張し、なおかつ最終的には他者と協力して、新しい作品世界を築きあげるために努力しなければならない。 しかしそれはそれとして、私が菅井汲に対して共同制作を誘いかけたのには、もう一つのひそやかな理由があった。菅井にとっては初めての経験であるに違いないこんな仕事を通じて、もし菅井自身の作品に新しい展開の徴候が生じるようなことがあったら、どれほどすばらしいだろうかと、私は考えていたのである。私は菅井汲と知り合って二十年になるが、一九八一年の初夏のころ、何者かが私の胸内でしきりに囁くのを聞いたのだ。菅井汲は今新たな転機に立っていると。(『菅井汲―回想と展望』より 大岡信)。《大岡信ことば館》ウェブサイトより転載


大岡が予感した“菅井汲の新たな転機”の兆候が画面に現われるのは、1983年頃のことである。


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by galleria-iska | 2011-03-06 20:36 | その他 | Comments(0)
2011年 02月 25日

恩地孝四郎の装丁「Loving Service Seal Hanga」(1953)

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版画表現に新しい境地を切り拓いた恩地孝四郎(本名:恩地孝、1891-1955))と長谷川潔(1891-1980)はともに1891年(明治24年)生まれである。二人の関係について記したものはあまりないが、1931年に恩地らによって日本版画協会が設立されたとき、会員となった長谷川から恩地に敬意を込めて版画作品が贈られている。しかしながら、長谷川がフランスの地より帰郷することはなく、二人が肝胆相照らす仲になることは叶わなかったようである。

この冊子は、恩地が社団法人国際版画協会の理事長になった1953年に社会福祉法人中央共同募金会(1)の依頼で制作したもので、日本の木版画紹介という体裁をとっている。冊子は無綴じで、恩地のオリジナルカラー木版が表裏表紙を飾り、恩地の日本の木版画紹介の英訳と、北岡文雄(1918-2007)と品川工(本名:関野工、1908-2009)による10点の木版画シールが収められている。冊子が輸出用に発行されたのか、国内に居る外国人向けだったのか定かではないが、創作版画の旗手たる恩地に制作を依頼したにもかかわらず、依頼者の意向により、伝統的な日本風俗や情景を描いた作品となっている。恩地自身、創作版画が伝統に根ざしたものであることを否定している訳ではないが、依頼者の、日本の新しい版画表現を知らしめる機会を自ら閉ざす《文化度》は、日本文化の紹介において未だに続くステレオタイプ的なあり方にも通ずるところがある。

恩地が制作した二作品は、いずれも日本人の心に深く寄り添う雪景色を描いたもので、富士の山や庭先に積もった白い雪は、胡粉による重ね摺りで質感や立体感を表わしている。

●作家:恩地孝四郎(Onchi Kōshirō, 1891-1955)
●種類:Folder
●サイズ:285x215mm(285x425mm)
●題名:Loving Service Seal Hanga
●技法:Woodblock
●発行:The Central Community Chest of Japan, Tokyo
●制作年:1953


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裏表紙。イメージ:207x143mm
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刷り込みの落款
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版上サイン

註:
1:赤い羽根共同募金は1947年に社会事業として始められたが、1951年に社会福祉事業法の制定により共同募金連合会の設立が規定され、1952年に全国47都道府県共同募金会を束ねる社会福祉法人中央共同募金会が設立された。

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by galleria-iska | 2011-02-25 18:41 | その他 | Comments(0)