ガレリア・イスカ通信

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2017年 03月 31日

ニキ・ド・サンファルの彫刻「Inflatable Rhinoceros」(1999)

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虫歯の治療が一段落し、食事に難儀しなくてもよくなった。すると、どういうわけか今度は連れ合いに歯痛が発生、毎日、シーハー、シーハーと辛そうにしている。欠伸は移るというが、歯痛もそうなのだろうか???

閑話休題、以前、アメリカの1980年代を代表するポップ・アートの作家キース・へリング(Keith Haring, 1958-1990)が自ら開いたポップ・ショップのために制作したプラスティックのオブジェ「Inflatable Baby」を取り上げたことがあるが、今回は、1968年から既にこのタイプの彫刻の制作を行なっている、スイスの彫刻家、画家ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely, 1925- 1991)の影響を受け、彫刻作品も数多く手掛けたフランスの画家、彫刻家ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)の作品を取り上げてみたい。1999年、フランスの大手出版社のひとつ、フラマリオン書店(Flammarion, Paris)のグッズやオブジェ等の限定物の出版を手掛ける《Flammarion 4》依頼で制作した「動物シリーズ」のうちの『サイ(Rhinocéros)』は、ポリ塩化ビニルプラスチック= PVC plastic(polyvinyl chloride plastic)を素材として使い、空気(などの気体)を入れて膨らませる彫刻(Inflatable Sculpture)である。ニキはこの彫刻をデザインする前年、同じモチーフによるシルクスリーンの版画作品(注1)を制作している。彫刻ではニキ作品の特徴であるカラフルな色彩に彩られた面とフランス20世紀のアンフォルメルの画家、彫刻家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet, 1901- 1985)を彷彿させるモノクロームの面とに分けられているのだが、版画作品では、彫刻の両側面が交じり合ったような画面構成となっている。彫刻の二つの側面はそれぞれ、道化師の化粧や衣装に見られるような、明と暗、陰と陽といった相反する二つ性質を表しているかのように見えるが、見る側は常にどちらか一方しか見ることができないというジレンマを抱えることになる。ただし、そこに何か教訓めいたものを読み取る必要はないであろう。この彫刻でニキは、版画作品を出発点とし、その二つの異なる構成要素を、サイの体躯を使った二つの画面構成へと発展させている。

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既に絶版となっているこの彫刻の収納袋には、《このオブジェは浮き輪でも玩具でもなく、2歳未満の子供には与えないように》との注意書きが記されているのだが、比較的安価であったため、芸術作品として接した購入者は少なかったのではないだろうか。反対に、子供にとっては格好の遊び道具であり、それ故、多くのものが傷み、失われてしまったと思われる。裏を返せば、制作者や販売者はそれを見越して制作数を決めていたのかもしれない。ただその前提として、マルティプル・アートの概念に則って、一部の愛好者向けに小部数を高価で販売するよりも、より多くの人の目に触れさせることで、その認知度を高めようとする意図があったと思われる。そして安価な物であればあるだけ、時間の経過とともにその稀少性が自然と高まっていくことは十分予測可能である。そしてその思惑(!?)は見事的中、稀少性が結果としてオリジナル作品としての評価を押し上げるベクトルとして働いている。先に挙げたヘリングのプラスティックのオブジェ「Inflatable Baby」と同様、当初、玩具扱いだったものが今やパリのドルオー(Paris Drouot) やクリスティーズ(Christie's)のオークションにも登場しているのだから、大したものである。尤も、高価な逸品にのみ興味を抱く大コレクターには無縁の存在なのかもしれないが。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Inflatable Sculpture(Sculpture gonflable)
●題名:Rhinoceros(Rhinocéros)
●技法:Silkscreen on PVC plastic(Sérigraphie sur plastique PVC)
●サイズ:680x1070mm
●発行:Flammarion 4, Paris
●制作年:1999
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                          ニキの版上サイン


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註:

1.
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図版:Niki de Saint Phalle 「Rhinocéros」Silkscreen in colors, 1998, Edition:100, Size:430 x 560mm
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by galleria-iska | 2017-03-31 20:49 | その他 | Comments(0)
2016年 12月 18日

エドヴァルド・ムンクのモノグラフ「Edvard Munch von Curt Galser」(1917)

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ターバンを巻いた少女を描いた「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)がいつの間にか17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)の代名詞になってしまったように、19世紀末の自己の主観的経験す基づく象徴主義的な作品により、ドイツ表現主義の影響を与えたノルウェーの画家エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863-1944)と言えば、昨今は面白キャラクター扱いにされてしまった感のある「叫び」(1893年制作)の作者として取り上げられることが多い。ムンクは版画家としても歴史に残る作品を数多く残しており、代表作には数千万円の値が付くものもある。そのひとつ、油彩と同時期にリトグラフで制作された「マドンナ」(1895年)は、精子の縁取りとマドンナを上目遣いで見る胎児が描き込まれるという、スキャンダラスな側面を持った作品である。ムンクは晩年になるまで、自作品がより多くの人に接することに関心を持っていたようで、版画の限定数に拘っておらず、多くの作品は少部数刷られただけであったが、3000万円という高額で取引されることもある「マドンナ」に関しては、3000枚という、ポスター並みか、それ以上の数が刷られたとされている。その大半はオスロのムンク美術館が所蔵しており、美術館の購入予算を捻出するために、年に数枚(?)づつ、オークションを通じて売りに出されているとか。そんな版画を購入するなどという大それた野望は抱いてはいないが、何かしら手元に置いて眺めてみたいという淡い希望を持っていたところ、アメリカの古書店から、ムンクのドライポイントによる銅版画「男の頭部(Head of Man/Sch.243 Männerkopf)」が扉絵として挿入されたクルト・グレーザー(Curt Glaser, 1879-1943)のモノグラフ「Edvald Munch(von Curt Galser)」の初版本の案内があった。この作品はもとは1906年に制作されたものだったが、1917年の初版および1918年の再版に新たにオリジナルのドライポイントとして刷られた。グレーザーが1918年にムンクに出した手紙によると、この本の発行部数は2000部となっており、作品の質はさておき、「マドンナ」より少ない。とは言え、その当時ムンクの版画作品に関する資料(注1)は、ハンブルクの裁判官で美術愛好家のグスタフ・シーフラー(Gustav Schiefler, 1857-1935)が編纂した二巻からなる版画目録のリプリント(1974年)しか所有しておらず、それには図版が掲載されていなかったため、図柄も分からぬまま注文を出すことになった。肖像画の名手でもあったムンクらしい(?)、どこか病的なものを感じさせるものを秘かに期待していたのだが、その価格からして望むべくもないことであった。ただ神経症的な気質が見て取れるところもあったので、納得はできた。

この本の著者であるクルト・グレーザーは、ドイツ ライプチヒ生まれのユダヤ系ドイツ人で、医者の肩書きも持つ美術史家、美術評論家として20世紀美術に関する研究書を数多く著している。第二次世界大戦の勃発とともにニューヨーク市に移住している。出版元は同じくユダヤ系ドイツ人で、ベルリンで出版(1898~1936年迄)と画廊経営(1898~1901年迄)を行なっていたブルーノ・カッシーラー(Bruno Cassirer, 1872-1941)である。ムンクとカッシーラーとの関係を、1983年に愛知県立美術館で開催された『ムンク展』の図録に付けられた年譜(市川正憲・松本透編)等から拾い出してみると、ムンクとカッシーラーが密接な関係にあったことが見えてくる:

ムンクは1892年からたびたびベルリンに滞在しており、その年の11月に早くもベルリン美術家協会から招待を受けて油彩画の最初の展覧会を開催している。

1903年1月:ブルーノ・カッシーラーと従兄弟のパウル・カッシーラーがハンブルクでムンクの版画展を開く。
1904年:ベルリンのブルーノ・カッシーラーとドイツでの版画の独占販売契約を結ぶ。
1905年1月:パウルが経営するカッシーラー画廊で『肖像画展』を開く。
1907年:カッシーラー画廊で二度(1月~2月と9月~10月)個展を開催。
1912年:この本の著者であるクルト・グラーゼルと接触を持つ。12月にカッシーラー画廊で個展を開催。
1917年:この本の初版がブルーノ・カッシーラーから出版される。翌1918年に再版される。
1920年3月:カッシーラー画廊で個展を開催。
1921年4月:カッシーラー画廊で個展を開催。
1933年4月:ヒットラーが国家首相に任命された三ヵ月後、ドイツ学生協会が「ユダヤ人の知識の偏重」を攻撃する。
1935年5月:(カッシーラーと直接関係したのか分からないが)「ユダヤ人の知識の偏重」を攻撃は、「非ドイツ的魂への抵抗」の運動となり、ドイツ国内の本のうち、ナチズムの思想に合わないとされた「非ドイツ的」書物25000巻に対して焚書を行なう。
1936年:ブルーノ・カッシーラーを含むユダヤ系の印刷業者は組合から排除され、この年を最後に出版が出来なくなる。
1937年:ドイツ国内の公共的コレクションに所蔵されていたムンクの作品82点が“退廃芸術”の烙印を押され、ナチスに押収される。1939年1月、オスロでナチスが押収した油彩14点、版画57点のオークションが行なわれる。
1938年:ブルーノ・カッシーラーは新天地を求めてイギリスに渡る。

●作家:Edvald Munch(1863-1944)
●種類:Monograph
●著者:Curt Glaser(1879-1943)
●題名:Edvald Munch von Curt Galser(First Edition, 1917)
●サイズ:262x195mm
●出版者:Bruno Cassiere, Berlin
●制作年:1917
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巻頭。本文は“ひげ文字”などと呼ばれる書体、フラクトゥールで印刷されているので、ドイツ語に慣れ親しんだ人でないとお手上げである。
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「叫び」のリトグラフ・ヴァージョン、1895年

注:

1.ムンク美術館の版画と素描の上級学芸員であるゲルト・ヴォール(Gerd Woll, 1939-)が編纂した版画のレゾネ『Edvard Munch The Complete graphic Works』(Harry N.Abrams, Inc. New York, 2001)によって、ムンクの版画作品の全貌が明らかになった。

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by galleria-iska | 2016-12-18 20:14 | その他 | Comments(0)
2016年 12月 02日

フィリップ・モーリッツのワインラベル「Château Siran - Margaux」(1994)

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ワインの案内によると、シャトー・シランは、「ワインの女王」と称されるボルドーワインの生産地として知られるフランス南西部に位置するボルドーのメドック地区の南部マルゴー・アペラシオンの最南端のラバルドに位置するシャトーのひとつで、ジャンヌ・ダルクの活躍によってフランス王として戴冠式を挙げることができた中世フランス王国の王朝、ヴァロワ朝(Dynastie des Valois)の第5代国王シャルル7世(Charles VII, 1403-1461)(勝利王/ Le Victorieux,1422–1461)治世下の1428年に創設された。1859年にミアイユ家が取得して以降、ボルドーでは珍しく、150年以上に渡り同一家が所有し続けている歴史あるシャトーで、初代オーナーは、ジャポニスムの影響を受けて制作したポスターで名声を博した画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec, 1864-1901)の祖父母であるトゥールーズ・ロートレック伯爵夫妻である。クリュ・ブルジョワ級に格付けされているシャトー・シランは1980年から2005年ヴィンテージまで毎年違う画家による作品をワインラベル(étiquette de vin)に採用しており、最初のワインラベルはフランスの銅版画家アルベール・デカリス(Albert Decaris, 1901-1988)によるもので、二番目の1981年はベルギー出身の画家で彫刻家のジャン=ミシェルフォロン(Jean-Mishel Folon, 1934-2005)、三番目となる1982年はスペイン バルセロナ出身の画家、版画家、彫刻家ジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)の作品となっている。1994年は、『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』を著したフランス・ルネサンス期の人文主義者フランソワ・ラブレー(François Rabelais,1494-1553)の生誕500年の年で、ボルドー在住の銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1943-)がその物語の挿絵としてよく使われる、中世の出で立ちで酒宴を繰り広げる巨人で大食漢のパンタグリュル一行を場面を描いた銅版画が使われている。画面右側の壁にはラブレーの肖像画(註1)が掛けられている。

モーリッツはコマーシャルな仕事を殆んど引き受けたことがない作家であるが、故郷ボルドーの由緒あるシャトーの依頼ということで引き受けたのであろう。銅版画自体は表に出ていないので、このワインラベルが作品ということになる。

●作家:Philippe Mohlitz(1943-)
●種類:Étiquette de vin
●サイズ:46x90mm(151x90mm)
●技法:Offset
●発行:Château Siran, Labarde
●制作年:1994
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この年のワインラベルは剥離紙が付いたものになっている。



註:

1.
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モーリッツが手本にしたフランソワ・ラブレーの肖像画
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by galleria-iska | 2016-12-02 21:58 | その他 | Comments(0)
2016年 11月 14日

ジャン・ジャンセムのリトグラフ「Magician」(1978)

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アメリカの次期大統領に選出された某氏をテレビで見ていて、ふと思い出したのが、アルメニア出身の画家ジャン・ジャンセム(Jean Jansem/Jean-Hovanes Semerdjian, 1920-2013)(註1)が1978年にパリ8区のマティニョン通りにあるマティニョン画廊(Galerie Matignon, Paris)で行なった展覧会「仮面(Mascarade)」に際して制作した「魔術師(Magician)」というリトグラフである。告知用のポスターも同じイメージを使って作られており、印刷はパリのムルロー工房(Mourlot Imp., Paris)である。この魔術師が被るどこか虚ろな表情の仮面と某氏の横顔が重なって見えてしまったのである。

《トランプ(trump)》という言葉の意味を辞書で引いてみると、名詞には、切り札、奥の手、最後の手段という意味が、動詞には、~よりも勝る、(人)を負かすという意味の他に、trump upには、(うその話・口実など)をでっち上げる、捏造するという、まさに今回の選挙戦のなかで多くの人が感じた某氏の戦略(註2)と一致する意味があるのである。アメリカの多くの人が、仮面を被った魔術師であるところの某氏のデマゴギーに満ちた煽動的な言動に翻弄されながらも、その強い言葉に引き寄せられてしまったのである。しかしながら、仮面の下の真実の顔が如何なるものか、未だ分からない。

●作家:Jean Jansem(1920-2013)
●種類:Print
●題名:Magician
●サイズ:682x513mm(760x538mm)
●技法:Lithograph
●限定:120
●紙質:Arches
●発行:Galerie Matignon, Paris
●印刷:Mourlot Imp., Paris
●制作年:1978
●目録番号:405
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註:

1.Jean Jansem, pseudonyme de Jean-Hovanes Semerdjian, est un artiste peintre français d'origine arménienne né le 9 mars 1920 à Seuleuze en Turquie et mort le 27 août 2013 à Paris.

2.ヒトラーの言葉に次のようなものがある:
《私はいかなる手段もためらいはしない。私はあらゆる手段が、正当なものとなる。私のスローガンは"敵を挑発するな!"ではなく、"非常手段に訴えて敵を殲滅せよ!"である。戦争を遂行するのは私なのだ。》ヒトラーの側近であったへルマン・ラシュニングの著書『永遠なるヒトラー』より

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by galleria-iska | 2016-11-14 15:03 | その他 | Comments(0)
2016年 09月 24日

アンリ・マチスの挿絵本「Apollinaire」(1952)

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20世紀が生んだ巨匠のひとりアンリ・マチス(Henri Matisse, 1869-1954)のタブローはあまり好きにはなれないが、その単純化された描線から生み出されるデッサンは、ハンス。ベルメールの極度に神経質な線とは異なり、血の通った肉体の温もりさえ感じさせる実在感があって好きである。それとは別に、晩年に始めた「ジャズ(Jazz)」のような切り絵も、フォービスム時代に培った色彩感覚がより純化された姿として見ることができるかもしれないし、パリのエコール・ド・ボザールにも学んだ、ハードエッジと呼ばれる現代美術の作家エルズワース・ケリー(Ellsworth Kelly、1923-2015)の作品における色彩感覚や花弁や葉を描いたドローイングには明らかにマチスの影響が見て取れるし、グラフックデザインにも多大な影響を与えるほど、マチスのデザイナーとしての質の高さを感じさせる。マチスとイタリア出身のポーランドの詩人、小説家で美術批評も行なったギョーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire, 1880-1918)との友情関係のひとつ証として制作されたのがこの挿絵本「Apollinaire」であり、共通の友人で、マチスとは1898年に、当時パリのエコール・デ・ボザールの教授であったギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)のアトリエで出会い友人となった文筆家、ジャーナリスト、新聞の漫画や諷刺画作家でもあったアンドレ・ルヴェール(André Rouveyre, 1879-1962)がテキストを執筆している。マチスは様々な表情を見せるアポリネールの6点の肖像画と愛らしい1点の巻末のカット(cul-de-lampe)をリトグラフで制作している。口絵はどう見てもマチスのアクアチントにしか見えないのだが、実際はマチスのアクアチントによる原画を基にしたリトグラフで、笑顔を見せるアポリネール、マチス、ルヴェール三人の肖像画となっている。本の装丁もマチスが手掛けており、カバーは、クレヨンによる表題と花びらの輪郭を描いたデッサンに黄色の紙を切り抜いて貼ったもの、フォルダーは、表は青い下地に白い紙を切り抜いて《Apollinaire》の文字とマチスの頭文字《HM》を貼り付けており、裏側は逆に白地に青色を紙を切り抜いた植物文様を貼り付けている。これらはともに当時パリのムルロー工房を率いていたフェルナン・ムルローによって実現されたとある。マチスはまた章初めの装飾頭文字(lettrine)も三点デザインしており、それらはリノカットで制作されている。
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●作家:Henri Mattise(1869-1954)
●種類:Illustrated Book
●題名:Apollinaire
●著者:André Rouveyre
●サイズ:327x255mm(Folder:332x259mm)
●限定:350(30 copies signed by the artists:1~30+300:31~330+XX:I~XX)
●紙質:Vélin d'Arches
●発行:Raisons d’Être, Paris
●印刷:Text and initial letters: Coulouma, S.A., Paris. Lithographs, Cover and Folder: Mourlot Frères, Paris
●制作年:1952
●目録番号:D.31(Catalogue raisonné des livres illustrés par Matisse établi par Duthuit No.31)

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2017年2月21日追記:

マチスが制作した口絵については、挿絵本に付けられた内容証明に従い、多くの古書店は口絵を含め8点のリトグラフとしているのだが、1988年に刊行されたクロード・デュチュイ(Claude Duthuit)著の「アンリ・マチス挿画本カタログ・レゾネ(Henri Matisse : Catalogue raisonné des ouvrages illustrés)」 には口絵はアクアチントと表記されており、それに沿うように、ニューヨーク近代美術館や他の公立美術館の所蔵品データもアクアチントとなっている。また、この挿絵本を競売に掛けたオークション会社のクリスティーズの競売カタログにもアクアチントとあることから、はたして本当にアクアチントで制作したものをリトグラフに置き換えたのであろうか。疑問が湧いてくる。

口絵の制作にあたり、マチスはアクアチントやリトグラフで習作を何点も制作しており、マチスの三人の友情に対する強い想いが感じられる。それらの習作はクロード・デュチュイらによって編纂されたマチスの版画作品のレゾネ「Henri Matisse. Catalogue raisonné de l'œuvre gravé, 2 vols」 (1983)に収録されている。
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by galleria-iska | 2016-09-24 22:00 | その他 | Comments(0)
2016年 09月 07日

ロドルフ・ブレダンの銅版画「Intérieur Flamand (Flemish Interior)」(1861)

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友人の文筆家アルシド・デュゾリエ(Alcide Dusolier, 1836--1918)が著した『これは本ではない(Ceci n'est pas un livre,1860)』の一章「兎をつれた巨匠(Le Maître au Lapin)」として、トゥールーズ滞在中の様子を紹介されたフランス19世紀のデッサン家、版画家ロドルフ・ブレダン(Rodolphe Bresdin,1822-1885)。そのブレダンが1856年に制作したエッチング「フランドルの農家の室内(Intérieur Flamand)」(V.G.,86)に興味を抱いたのは、それより200年以上も前の17世紀オランダ黄金時代の風俗画家アドリアーン・ファン・オスターデ(Adriaen van Ostade, 1610-1685)が1647年頃に制作したエッチング「家族(The Family/ La Famille)」(G.46)(註1)の構図との類似性を感じたからであるが、ブレダンの作品を実際に手に取って見ると、オスターデの農家の室内風景を克明に描いた作品を遥かに凌駕する、微視的とも言える細密で精緻な描写に驚かされた。それは我々が見ている世界の姿を借りて描き出される視覚の限界を遥かに越えた不可視の領域(註2)を出現させようとするブレダンの探究心の賜物であり、銅版画やリトグラフの教えを請うたオディロン・ルドンの神秘的で謎に満ちた隠喩的ともいえる画面制作に霊感を与えた、一種のヴィジョンと呼ぶべき図像を生み出している。そしてブレダンの描く小人の国への夢想や沼地に生茂る数多の雑草は、ブレダンを心の師と仰ぎ、抜きん出た銅版画のアルティザンとなった我々の世代の作家、ボルドー出身の銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1943-)のそれへと受け継がれていく。

“兎をつれた巨匠”というのは、1845年にこの風変わりで貧困の版画家ブレダンをモデルにした処女小説「Chien-Caillou(シアン・カイユー)」(註3)を書いたシャンフルリー(Jules Champfleury, 1821-1889) によるものだが、シャンフルリーが伝えるブレダンの窮乏生活は、まさに死と隣合わせで、年40フランで借りていた屋根裏部屋にはベットと梯子しか置いてなく、皮鞣し工として働く合間の僅かな時間を版画制作にあてていたらしい。ブレダンは唯一の友である一匹の“兎”と共にそこに住み、人参とパンで飢えをしのいでいた。驚くべきことに、幾らで手に入れたかは不明であるが、彼が借りていた屋根裏部屋の裸の壁には、彼が神と呼んだ17世紀オランダ黄金時代の巨匠レンブラント(Rembrandt Van Rijn, 1606-1669)の本物の版画「(キリストの)十字架降下/La Descente de croix/Descent from the Cross, 1654」、しかも刷りの良いものが掛かっていたという。この作品ではブレダンが暮らしていた屋根裏部屋とは打って変わって物に溢れており、家畜として飼われているのだろうか、画面左手前にキャベツやかぶら、バラモンジンといったような野菜と共に二匹(羽)の“兎”が描かれている。兎とパイプを持って立つ農夫の横の椅子の間に四匹の猫がいるのが見える。こちらはペットかもしれない。図録を見ると、第三段階では消されてしまっているが、第二段階までは農婦の足元に一匹の犬が画き込まれていた。

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今手元にあるのは、ボルドー出身の小説家で詩人のカチュール・マンデス(Catulle Mendès, 1841-1909)が1860年に創刊したフランスの文芸誌『ルヴュ・ファンテジスト(Revue fantaisiste)』の第7号の口絵のために加筆・修正された第三段階(3rd. state)のもので、ブレダンが同誌のために制作した13点の内の最初の作品である。刷りは、風景の中に独自のヴィジョンを示そうとしたシャルル・メリヨン(Charles Meryon, 1821-1868)の版画も手掛けた画家兼版画家で、銅版画の刷師でもあったオーギュスト・ドラートル(Auguste Delâtre, 1822-1907)(註4)の工房で、ウーヴ紙(wove paper)の台紙に貼られた黄色味の強いシナ紙(chine jaunâtre appliqué)(158x106mm)に刷られた。それより一回り大きい、淡黄色のシナ紙(chine creme appliqué)(182x125mm)を使ったものもあるようなのだが、現物は未だ目にしていない。

●作家:Rodolphe Bresdin(1822-1885)
●種類:Print
●題名:Intérieur Flamand (Flemish Interior)
●サイズ:158x106mm
●技法:Etching on creme chine appliqué, 3rd. state((Troisième état de l'eau-forte sur chine jaunâtre appliqué).
●発行:Revue fantaisiste, Paris
●制作年:1856/1861
●目録番号:(Dirk van Gelder:the catalogue raisonné of the V.G.,86-III
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暖炉の壁面に掛けられた「長老たちに脅かされるスザンナ」(註4)の絵の左横,、吊るされた葡萄の房の下に、ブレダンの版上サイン(Bresdin)と年記(1856)画見える。たたし数字の5は鏡文字になっている。画面左下のマージンにブレダン自身のニードルによる《Rodolphe Bresdin》の署名、右下のマージンには、ビュランで印刷所名と住所《Imp. Delâtre, R.St. Jacques265》と刻まれている。また画面上部のマージンにはビュランで雑誌名《REVUE FANTAISISTE》、下部のマージンには題名《INTÉRIEUR FLAMAND》がそれぞれ刻まれている。


註:

1.
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図版:アドリアーン・ファン・オスターデ(Adriaen van Ostade, 1610-1685)のエッチング作品「家族(La Famille)」、179x158mm。Louis Godefroy, L'OEuvre grave d'Adriaen Van Ostade, Paris, 1930, No.46

2.
「この暖炉を見てごらん。それはあなたに何かいっているかね。私には物語をするのだ。あなたがじっとそれを見ていて、意味がわかったら、突拍子もない、変わった夢を思うんだね。その夢が壁の裸の面の限界の中に止まっていれば、君の夢は生命を得る。そこに芸術があるのだ。」この言葉を私(ルドン)が聞いたのは1864年だった。そのころこんなふうに教える人はいなかったから、この年を記録したい。我々の時代の多くの芸術家は、暖炉の壁を見たにちがいない。ただそれをそれとして見ただけである。その壁の面に、我々の本質の蜃気楼が出現するところは見なかった。」 オディロン・ルドン『私自身に:日記(1867-1915』(A Soi-Même Journal (1867-1915): Notes sur la vie et l'art des artites)、165ページより。


マルセル・ブリヨンは彼の著書『幻想芸術(L'Art fantastique, Paris, 1961)』の中で、
、「ブレダンは知覚体験と想像力の密接な結合から、ひたすら既知のものの限界内で既知の手段を用いて創造するのだった。」

また
「ブレダンはどんなに小さな枯枝でも細かい葉脈でも綿密なレアリスムで描写したから、真実という大地から離れることがなく、眼に見える手段を通してやがては見えるものを越え不可視の境に達しようと努力する、いわば詩的真実の探求者であった。彼はその本質においても見者(ヴォワイヤン)であったので、うごめく姿のあらゆるかくれた存在、しめった下草のかげで増殖する異形の生命、はてはただの沼地に湧き上がる怖ろしい形の幻想的な水泡に至るまでも、みずから見、他人にも示したりするのだった。」
とブレダン芸術の本質を捉えている。

3.Chien-Caillou(the stone dog)とはブレダンの愛称で、アメリカ人作家ジェイムズ・フェニモア・クーパーによる長篇歴史小説『モヒカン族の最後(The Last of the Mohicans)』(1826年)に登場するインディアン、チンガチグック(Chingachgook)をフランス語風に言い換えたもの。

4.ドラートルは日本の美術品や工芸品の収集家でもあったのだが、そのことが1856年、フェリックス・ブラックモン(Félix Bracquemond, 1833-1914)というフランス人の銅版画家が彼の工房で日本から輸出された陶器(有田焼)の梱包に使われていた赤表紙の『北斎漫画十三編』を見つけたことに始まるフランスおよびヨーロッパにおける浮世絵の蒐集熱、またそれに続く日本趣味、ジャポニスムの流行へと繋がっていく。

5.
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レンブラントによる「長老たちに脅かされるスザンナ(Susanna Surprised by the Elders, 1647)」76×91cm、oil on panel(ベルリン国立美術館蔵)。その主題は、旧約聖書外典の逸話「スザンヌと長老たち(Suzanne et les vieillards)」で、裕福なユダヤ人ヨヤキムの妻スザンナ (Susanna)は、水浴中の姿を好色な長老たちに覗き見され、「我々と関係しなければ、お前が若い男と姦通していると通報する」と脅迫、姦淫を迫られる。


参考文献:

Préaud, Maxime, Rodolphe Bresdin 1822-1885: Robinson graveur,Bibliothèque nationale de France, 2000
Van Gelder, Dirk, Rodolphe Bresdin Dessins et gravures, Editions du Chêne, Paris, 1976
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by galleria-iska | 2016-09-07 21:50 | その他 | Comments(0)
2016年 07月 20日

ミロのトートバッグ「Fondation Maeght St. Paul」(1973)

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作家デザインのショッピングバッグと言うと、ポップアートの巨匠であるアンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)とロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein,1923-1997)の両者が、1964年にニューヨーク市のビアンキーニ画廊(Bianchini gallery, New York)で開催された大量生産・大量消費社会の中心的存在であるスーパーマーケットをひとつの社会的風景として捉えた展覧会「American Supermarket」展の際に制作した、市販の紙製のトートバッグを支持体とする版画作品が思い出される。ウォーホルはキャンベルスープのトマト缶をモチーフにした「Campbell's soup can on shopping bag」(F.S.:II.4)、リキテンスタイン(Roy Lichtenstein, 1923-1997)は自身の絵画を基にした「Turkey Shopping Bag」(C.R.:App. 4)で、ともにビアンキーニ画廊から出版されている。彼らはスーパーマーケットという大量生産・大量消費社会の象徴的存在の本質を表現活動によって炙り出そうとしているというよりも、むしろ、自然が生み出した風景に変わる新しい風景として捉え、それを感情を排し、クールで即物的に表現しようとしているかのように見える。ウォーホルは二年後の1966年に、今度はボストン現代美術館(ICA)のポスターとして、同じキャンベルスープ缶をモチーフとする「Campbell's soup can on shopping bag」(F.S.:II.4.A)をデザインしている。一方、リキテンスタインは20年以上経った1988年に、ウォーカー・アート・センター(The Walker Art Center)がミネアポリスに設置した彫刻庭園の開園を祝して、ミネアポリスのデイトン・ハドソン・デパート(Dayton Hudson Department Store Company)が出版したショッピング・バッグ(註1)のデザインを行なっている。

時代が下り、自然保護や環境問題が強く叫ばれる時代になると、1992年、コンセプチュアル・アーティストのバーバラ・クルーガー(Barbara Kruger, 1945-)が、使い捨ての紙製ではなく、自身の展覧会に合わせてデザインした「Business As Usual」という、繰り返し何度も使えるキャンバス地のトート・バッグをデザインしている。キャンバス地にシルクスクリーンでプリントされた"Business As Usual(変わり栄えしない、日常生活)"という言葉と牙をむく狼の横顔の組み合わせが、パラドキシカルでありながら、消費社会に埋没していく生活に対して牙を剥くという、意識変革を訴えかける作品となっている。

今回取り上げるのは、1973年にジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)のオリジナル・リトグラフをもとに作られたキャンバス・トート・バッグである。トートバックとしては少し小さめであるが、データを失ってしまったので、正確なサイズは不明とする。バッグにはミロが同年、南フランスのサン=ポールにあるマーグ財団の美術館で彫刻と陶器による展覧会を開催した際に刊行された図録ために制作した二点のオリジナル・リトグラフのうちのひとつが使われており、バッグの両面にシルクスクリーンで刷られている。片側(表)にはミロの版上サインが入っている。このバッグが展覧会に合わせて作られたのであれば、バーバラ・クルーガーより20年近くも早いことになり、先駆的な試みであったと言えるかもしれないのだが、このバッグに関する記述がどこにも見当たらず、詳細は分からない。

●作家:Joan Miro(1893-1983)
●種類:Canvas tote bag
●サイズ:???x???mm
●技法:Silkscreen
●発行:Fondation Maeght, St. Paul
●制作年:1973(?)

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註:

1.同社はこのショッピング・バッグの出版に先立ち、ウォーカー・アート・センターと共同で1984年にフランク・ステラ(Frank Stella)、1985年にデイヴィッド・ホックニー(David Hockney)とアニー・リーボヴィッツ(Annie Leibovitz)にショッピング・バッグのデザインを依頼している。
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by galleria-iska | 2016-07-20 18:42 | その他 | Comments(0)
2016年 05月 23日

ジョルジュ・ルオーの自画像「Autoportrait II」(1926)

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自画像は好みの画題のひとつである。偽らざる自己の姿を描くという行為は純粋な記録であると同時に、自身の内面を真摯に見据えた自己告白でもあるからである。ドイツ・ルネッサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーAlbrecht Dürer, 1471-1528)が始めたと言われる自画像は、最も身近なモデルとして、画中の出来事の目撃者として、また様々な歴史的英雄や宗教的人物に扮したものとして描かれる一方、画家としての自負はもとより、成功した人間の虚栄心や自己愛、宮廷画家といった地位誇示の反映として描かれることもあった。いずれにせよ、そこには画家の内面が不作為に写し出されており、人間という存在の諸相を観察できる格好の題材なのである。

20世紀最大の宗教画家と謳われるジョルジュ・ルオー(Georges Rouault, 1871-1958)もまた幾つもの自画像を残している。今回取り上げるのは、フランスのジャーナリストで美術、文芸、映画批評家のジョルジュ・シャランソル(Georges Charensol, 1899-1995)が1926年に著した『Georges Rouault: L'homme et l'oeuvre』の特装版100部(註1)に添えられたリトグラフによる自画像「Autoportrait II」である。この作品を手にするのは二度目で、最初のものは、1980年代の終わり頃だったと思うが、1976年に『ルオー版画作品(Georges Rouault The Graphic Work)』を著したサンフランシスコの画商で出版人のアラン・ウォフシー(Alan Wofsy Fine Arts)から500ドルで入手した。こちらはその後手放してしまったが、何年か前に運よくフランスの業者から200ユーロほどで再び入れることができた。この作品は、我々が良く知るフランスの版画用紙ではなく、局紙(Japon Impérial)という、少し黄身がかった和紙に刷られている。

ルオーは師であるギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)の生誕100年に当たる1926年にリトグラフによる自画像を3点残しているが、それらは全て単に「Autoportrait」となっているため、区別を付けるために、便宜的にI~IIIの番号が付されている(註2)。これら3点が同時進行で描かれたものなのか、時期をずらして別々に描かれたのかはっきりしないが、顔の向きが多少異なっているものの、構図的には大きな違いはない。作品としては、横顔に近い角度で描かれた『回想録』所収の「Autoportrait I」が一番出来が良いとされている。この自画像や他の肖像画において、ルオーは人間の相貌が語る本質的なものを求め、熱意と情熱を原動力とする妥協を許さない集中力と忍耐によってグラッタージュと呼ばれる削除やクレヨンによる加筆を繰り返し、その成果である明暗のコントラストが織り成す劇的な表情と暗部の豊かな諧調に充実感を覚えていたようである。当時のルオーの容貌について、友人のフランスの哲学者でジャック・マリタン(Jacques Maritain、1882-1973)は次のように記しており、それはまるで自画像そのものを言い表しているかのようでもある。以下引用:
淡色のつねに目覚めている明るい眼、とはいえ、ものにじっと据えつけられるというよりは内部にむけられているその眼差し、激しい口許、突き出した額、以前にはブロンドの髪がふさふさしていた幅広の頭骨。かくのごとくに徒党と因習との、概していえば現代のあらゆる風俗の敵であるこの画家の表情には、何やら丸顔の道化師めいたもの、憐れみと辛辣、悪意と無邪気との思いもかけぬ混合があり、輝きは今も彼の洞窟(カーヴ)から流れている。1871年の巴里の砲撃の最中に、とある地下室(カーヴ)で彼は生まれたのだからである。

●作家:Georges Rouault(1871-1958)
●種類:Print
●題名:Autoportrait II
●フォーマット:260x210mm(イメージ:229x170mm)
●限定:100 + 50 H.C.
●紙質:Japon Impérial
●発行:Éditions des Quatre Chemins, Paris
●制作年:1926
●版画目録:Chapon and Rouault 342
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画面左下。アラン・ウォフシーの『ルオー版画作品(Georges Rouault The Graphic Work)』によれば、年記(26)と頭文字(G)が入れられているとあるが、判読し難い。



註:

1.
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図版:Charensol, Georges :Georges Rouault: L'homme et l'oeuvre、4to. 126 pp., with 39 black & white plates. One of a limited edition of 125 numbered copies on Arches, of which 100 numbered copies with one singed and numbered lithograph by Georges Rouault printed on Japon Impérial. Printed in Paris by Ducros et Colas in 1926.

2.「自画像I」(Chapon/Rouault 311)はエドモン・フラピエ出版から刊行された自身の『回想録』(限定385部)に所収。イメージサイズ:232x172mm
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「自画像II」(Chapon/Rouault 342)はカトル・シュマン出版から刊行されたジョルジュ・シャランソル著『ジョルジュ・ルオー、人と作品』の特装版100部に添えられた。イメージサイズ:229x170mm
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「自画像III」(Chapon/Rouault 343)は単独の版画作品として、パリのカトル・シュマン出版から白黒50部と色刷り100部が出版された。イメージサイズは345x250mmで、3点の中では一番大きく、帽子は被っていない
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by galleria-iska | 2016-05-23 20:44 | その他 | Comments(0)
2016年 05月 13日

清宮質文の蔵書票「Ex-Libris H. Chiba」(1975)

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木版画の詩人と称される画家で版画家の清宮質文(Naobumi Seimiya, 1917-1991)の作品は、美術雑誌などで時折見かけるだけで、まだ実物を目にしたことがない。それでも一度ぐらいは手にしてみたいと思っているのだが、思いの外高額で、おいそれとは手が出せない。その代わりというか蔵書票を何点か手に入れることができた。いずれも縦横ともに10cmにも満たない小品である。今回取り上げる蔵書票「Ex-Libris H. Chiba」は、1975年に制作されたとあるので、既に40年以上経っているが、あまり時代を感じさせない。蔵書票は周知の通り、本の見返し部分に貼って、蔵書印と同じように、所有者を明らかにするためのもので、所有者の名やExlibrisの文字とともに、所有者と関係のある図案を組み合わせて作られる版画の一種であるが、表現媒体としては制約が大きく、思い切った表現を行なうことは難しい。それゆえ、作品としての密度を高めるために、緻密なものに向かう傾向があるが、作家はその小さな空間に、実用性を勘案しながら、記号性の発現と、何かしらの意味や思いを表現しようと試みるのである。

●作家:Naobumi Seimiya(1917-1991)
●種類:Bookplate(Ex Libris)
●題名:"Ex-Libris H.Chiba" from 『Ex-Libris Calendar Album (1975-1978)』
●フォ-マット:76x62mm(イメージ:65x53mm)
●技法:Woodblock print
●発行:The Nippon Bibliophile Society
●制作年:1975
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蔵書票で思い出すのは、20世紀オランダを代表する版画家マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornells Escher, 1898-1972))である。今はもう手元に無いが、まだ1万円にも届かない頃に、何点か小口木版で作られた蔵書票や年賀状、招待状を手にしたことがある。そのエッシャーを世に送り出しのが、アメリカの画家で画商のマルドゥーン・エルダー(Muldoon Elder, 1935-))である。彼も最初、どこかの古書店からエッシャーの年賀状や蔵書票を手に入れたことから、一部の科学者には認められるものの、時代の中に埋もれていたこの版画家に興味を抱くようになり、ついにはオランダに出向くことになるのである。エッシャーが亡くなった直後の1972年4月15日から5月31日にかけて、《The largest selection of original prints by M.C. Escher ever to be shown in the United States》と銘打って行なわれた展覧会は今や伝説となっており、一日に三千人の来場者があったと言われる。この展覧会の後、エルダーは、美術市場では無名に近かったエッシャーの版画販売関して、代理人として、ほぼ独占(モノポリー)することで画商として名を成す。

蔵書票や年賀状を正式な版画作品と見るのは若干役不足であるかもしれないが、いきなり額に収まった高価な作品を買い求めるよりも、版画事始として、作品に直に触れてみて、その紙質やインクの乗り具合などを確かめることで、視覚では得られない、技法への理解と作家の表現に対する目を養うという点において貴重な訓練にもなるのである。とは言え、自分のように、そこからなかなか前に進めない人間もいるのだが。

清宮質文は木版画家として既に日本国内では高い評価を得ているが、自画、自刻、自摺を旨としたため、寡作であったようだ。また摺刷数の少ないものが多く、それも価格を押し上げる原因となっている。そのためかどうか分からないが、昨今は比較的入手し易い蔵書票にも関心が向けられている。今回の蔵書票「Ex-Libris H. Chiba」は、日本愛書会(The Nippon Bibliophile Society)(註1)が発行した『愛書票暦アルバム (1975年~1978年)』(1976年)所収の蔵書票のひとつで、構図的には、1963年の「林の中の家」を彷彿させるが、人物の位置が左右逆になっている。時折、ムンクの版画との類似性を指摘する向きもあるが、内的不安を根源とするムンクの版画とは根本的に異なる。
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図版:清宮質文の木版画「林の中の家 I」(1963年)、138x113mm、限定50部

作家が亡くなった直後の1991年7月20日に発行された版画専門の季刊誌『版画藝術73号』には追悼特集が組まれている。そこに掲載された記事などを読むと、版画家は、《目に映る外界の姿を忠実に写し取る写生や現実をありのまま表現する写実を目指したのではなく、それによって引き起こされた心の動きを実在化しようとした》とあり、そのために、“一瞬消え去る花火のような”と作者が形容する、心の動きという形のないものを形に表す作業に、周囲の雑音に惑わされることなく、ひたすら没頭したのである。画面に登場する人物は、作家自身「オバケ」と呼ぶ幻影のような実体の不確かなものとして描かれており、その多くは、明るい日差しの下ではなく、世界がその輪郭を失い始める夕暮れ時の幻想的な空間-画面からはその独特の空間の表出に腐心していることが窺われる-の中に置かれている。そこに、結晶化された作家の心の動きが、純粋で透明なイマジェリーとして立ち現れてくるのである。



註:

1.蔵書票普及のためにその生涯を捧げた志茂太郎によって1943年に創設された「日本愛書会」は1957年、「日本書票協会(The Nippon Exlibris Association」と名称を変え活動している。

参考文献:

版画藝術73号(Hanga Geijutsu:No.73)、1991年7月21日発行、阿部出版
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by galleria-iska | 2016-05-13 21:49 | その他 | Comments(0)
2016年 03月 29日

ミンモ・パラディーノの銅版画「Il Pattinatore」(1984)

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今から30年以上前のことになるが、1984年に名古屋のギャラリー・セキで行われた、イタリアのトランス・アヴァンギャルディアの一人として注目を集めていた画家で彫刻家のミンモ・パラディーノ(Mimmo Paladino, 1948-)の近作版画展を観たのが切っ掛けで、制作の意図や作品の内容はもとより、イタリア語の“イル・パティナトーレ”の意味さえも解らず購入してしまったのが、この銅版画である。たしか、現代美術の版画作品を専門に扱っていたニューヨーク市の画廊から、ギャラリー・セキの版画展にも出品されていた、ジェームズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』に取材して制作された四点組の大型のリノカット作品《A series of four linocuts》のうちの二点とともに購入したものだ。二点のリノカットは資金調達のために手放してしまったが、この作品については、靄に包まれたような気持ちを抱えたまま、未だ額装すらしていない。エッチング、アクアチント、ドライポイントといった、銅版画の複数の技法を組合わせて制作されており、人物の腰から脚部に伸びる黒い影のような部分には、銅板を突いて出来たような凹みが見られる。また画面の周囲に不規則にカットされた金属板を版とする図形を並べる意匠は、作品を成立させるための重要な意味を象徴するものとして使われていると思われるのだが...。

この作品と関連するのかもしれないが、パラディーノは1983年、翌年ユーゴスラビアのサラエボで開催された冬季オリンピック(The Winter Olympic Games of Sarajevo in 1984)の公式ポスターのデザインを依頼され、ボブスレー競技(Bobsleigh)を題材に原画「Bob」を制作している。アイス・スケーターを主題とするこの作品、その肉体表現にはパラディーノの古代への歴史認識が現れているとされるのだが、スピード・スケーターが風を切って疾走する姿を捉えたようにも、またフィギュア・スケーターがジャンプする姿にも見えなくもない。背後には、スケーターの疾走(もしくは回転)する動きを表現するためであろうか、残像(ゴースト)のようなものがラフな描線で描かれている。パラディーノがこの作品を制作するにあたり、念頭に置いたかもしれないのが、パラディーノと同様、サラエボ冬季オリンピックの公式ポスターのデザインを依頼されたイギリス画家デイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937-)が、フィギュア・スケーターをモチーフに制作した「Skater」である。ホックニーはピカソのキュビスムの手法を、彼が言うところの“見るのが退屈な”写真に応用、幾つもの分解写真をコラージュすることでスムーズな視点の移動を可能とし、スケーターの動きや時間の流れをも追体験させようとしている。それを目にしたパラディーノが、スケーターの背後に残像を描き入れることで、動きの連続性や時間の流れといったものの表現を試みたのかもしれない。ただ、パラディーノの表現主義的な作風を感じさせるプリミティヴな描き方が、それを曖昧にしてしまっているところがある。

一方、スケーターの周囲や画面の外に配置された不規則な形の図形は、作品の持つ意味やその象徴性を補完するはずのものと捉えるならば、その関連性から砕けた氷をイメージさせなくもないが、黒塗りであるため、その抽象性が表象としての役割以上に強く押し出され、両者の関係性を後退させてしまっているように思われる。だからと言って、単なる縁飾りとして見るには無理があり、どうにも捉えようがない。この何とは無しに感じる違和感が、パラディーノの作品に相対するときに、しばし立ち上がってきて、見ることの喜びを遠ざけるのである。ついでに言えば、この作品の基調色となっているオリーブ・グリーン(暗黄緑色)は、同じ年に出版された前述の四点組の大型のリノカット作品のひとつ「Ellpodbomool」《エルポドボモールはジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』の主人公であるレオポルド・ブルーム(Leopold Bloom)のアナグラム》にも使われており、またその縁飾りを用いた構図の作り方などにも類似性が見られる。

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イギリスの現代美術を代表する画家のひとりデイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937-)が、自身が撮影した写真をもとにデザインしたサラエボ冬季オリンピックの公式ポスター「Skater」、850x620mm、オフセット。

●作家:Mimmo Paladino(1948-)
●種類:Print
●題名:Il Pattinatore(The Skater)
●サイズ:1000x805mm
●技法:Etching, aquatint and drypoint
●限定:35+4 a.p.
●紙質:B.F.K. Rives
●発行:Waddington Graphics, London
●制作年:1984
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by galleria-iska | 2016-03-29 19:18 | その他 | Comments(0)