ガレリア・イスカ通信

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2016年 01月 31日

ベルナール・ビュッフェの年賀状「Galerie Sagot de Garrec」(1970)

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前回、レンブラントの銅版画の作品を取り上げた際、ドライポイントの刷りの特徴である滲みについて触れたので、今回はその例となる作品を取り上げてみる。我が国の作家で思い出されるのは、個人的には、多種多芸の芸術家であった故池田満寿夫(Masuo Ikeda, 1934-1997)の初期の作品やドライポイントによる銅版画制作に固執し続ける名古屋市出身の版画家、吉岡宏昭(Hiroaki Yoshioka, 1942-)氏であるが、残念ながら、手元に例証となる作品を持ち合わせていないので、フランスの画家兼版画家ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)」の小品で代用する。

この作品「サン=ジェルマン=デ=プレ教会(Église Saint-Germain-des-Prés)」は、ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)が1970年に、版画の彩色家から書店経営を経て版画商に転じた父ヴィクトール・プルーテ(Victor Prouté,1854-1918)の意志を継ぎ、1920年からパリ6区のセーヌ通りに画廊(Paul Prouté, S.A./Galerie d'art Paul Prouté, Paris)を構えるポール・プルーテ(Paul Prouté, 1887-1981)と並び称される、1881年創業の版画・素描専門の画廊で版元のサゴ=ルガレック(Galerie Sagot-Le Garrec, Paris)の1971年用の年賀状として制作した作品で、バー(burr)と呼ばれる“まくれ”によるインクの滲みが良く出ている。承知の通り、ドライポイントは直刻法による凹版画のひとつで、比較的柔らかい金属である銅やアルミニウムの板を使い、それより硬い鋼鉄製のニードルや刃物で、直接版面にイメージを刻み込む技法である。そうやって出来た版には、刻まれた刻線の両側に“まくれ”ができ、この“まくれ”の裏側に付いたインクが紙に刷り取られる際に出来る滲みが、画面に豊かな表情を与えるのである。この滲みを好んで用いたのが、かのレンブラントであり、ビュッフェであったのである。年賀状となったのは第二段階(2nd state)もので、600枚(うち500枚がサゴ=ルガレックの年賀状)が1929年創業のパリの銅版画工房ラクリエール・エ・フレロー(Atelier Lacourière et Frélaut, Paris)で印刷されているのだが、メッキが施されているためか、“まくれ”が磨耗せずに残っている。第一段階の刷りは僅かで、現物は目にしたことはないが、美術史家でアカデミー・フランセーズの会員であったモーリス・ランス(Maurice Rheims,1910-2003)編纂の銅版画目録に掲載されている図版ものではないかと思われる。比べて見ると、第二段階では消えている(消されている?)滲みが幾つか見られる。

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描かれているのは、パリ6区のサン・ジェルマン・デ・プレ地区に建つ、パリ最古のロマネスク様式の教会、サン=ジェルマン=デ=プレ教会(Église Saint-Germain-des-Prés)である。ビュッフェはロマネスク様式の教会が好きだったようで、この教会だけで三度も版画に描いている。最初の作品は、1962年に刊行されたリトグラフ版画集『アルバム・パリ(ALBUM PARIS : PORTFOLIO DE DIX LITHOGRAPHIES)』(C.S.31-40)(註1)所収の「サン=ジェルマン=デ=プレ(Saint-Germain-des-Prés)」、次は1965年制作のリトグラフ「サン=ジェルマン=デ=プレ広場(Place Saint-Germain-des-Prés)」(C.S.65)、そして三番目の作品となるのがこの「サン=ジェルマン=デ=プレ教会」である。三作品とも教会を同じ角度から描いているのだが、年度が下がるにつれ、視点が教会に近づいていっている。

●作家:Bernard Buffet(1928-1999)
●種類:Greeting card(Carte de vœux)
●題名:Église Saint-Germain-des-Prés
●フォーマット:255x200mm(255x400mm)、プレートマーク:215x169mm
●技法:Dry point(Pointe sèche)
●限定:500(+100 without text)
●紙質:B.F.K. Rives
●発行:Galerie Sagot-Le Garrec, Paris
●印刷:Atelier Lacourière et Frélaut, Paris
●制作年:1970
●目録番号:R.72
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参考文献:

Bernard Buffet graveur 1948-1980(Catalogue raisonné de l'oeuvre gravé). Maurice Rheims, Éditions d'Art de Francony, Nice / Éditions Maurice Garnier, Paris, 1983. 1958年から1980年までのビュッフェのドライポイント作品367点を収録しており、当該作品の目録番号は72(R.72)である。

Bernard Buffet : Lithographe(1952-1979), Charles Sorlier, Michele Trinckvel-Draeger, Paris, 1979. ビュッフェが1952年から1979年にかけて制作した325点のリトグラフを収録している。

註:

1.アルバム・パリ:ALBUM PARIS : PORTFOLIO DE DIX LITHOGRAPHIES. Poèmes de Charles
Baudelaire. A. Mazo éditeur, Paris 1962. (Ile Saint Louis, Place des Vosges,
Point du Jour, Porte Saint Martin, St Germain des Prés, Tour Eiffel, Pont
des Arts, Sacré Coeur, Pont de la Concorde, Arc de Triomphe).目録番号:Charkes Sorlier (C.S.)31 à 40.
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by galleria-iska | 2016-01-31 15:28 | その他 | Comments(0)
2016年 01月 19日

レンブラントのエッチング「Byblis: 29 facsicule」(1929)

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フランスの美術専門誌『Byblis』の29号(1929年春)の特集記事は、この年、17世紀オランダの画家レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz van Rijn, 1606-1669)のエッチングの真贋と技法、および制作年に関する二冊組の研究書「Rembrandt」(註1)を上梓したフランスの画家、版画家、メダル彫刻師で、美術史家のアンドレ=シャルル・コピエ(André-Charles Coppier, 1866-1948)による研究論文「Rembrandt, Divers aspects de son œuvre gravé」を掲載しており、パリのジャックマン工房(ジャックマン夫人工房Chez Madame Jacqueminのことか?)によるレンブラントの3点の原版を使った後刷りが挿入された。

レンブラントは17世紀オランダを代表する画家のひとりであるとともに、世界三大版画家(エングレーヴィングを駆使したデューラー、エッチングのドライポイントによる表現を完成させたレンブラント、アクアチントを表現に用いたゴヤ)のひとりに数えられ、それまでは制約の多いビュランで制作されることが多かった銅版画に自由な描線を可能とするエッチングの技法を取り入れ、それを飛躍的に発展させた作家として、生涯に約300点の作品を残している。その原版(Copper plate)の多くは破棄されるか失われてしまったが、死後100点ほどが残された。原版のその後の所有者の変遷は、研究者によると、以下の通りである:

17世紀:
そのうちの74点を入手(レンブラントの存命中で、財産が差し押さえられ競売に掛けられた1656年から息子のティトゥスが亡くなる1668年までの間ではないかとされる)したのは、レンブラントの友人で、レンブラントの版画作品「Clement de Jonghe, Printseller」(1651.BB 51-C)にも登場する版画商で版元のクレメント・デ・ヨンゲ(Clement de Jonghe, 1634/5–1677)で、ヨンゲは1677年頃に原版の最初の目録を作成している。1679年の目録には75点と記されている。

18世紀:
入手経路は不明だが、1767年にアムステルダムの商人で収集家のピーテル・デ・ハーン(Pieter de Haan, 1723-1766)の遺産の売り立てが行なわれ、目録には76点(内47点はヨンゲのコレクション)の原版が記載されている(ヨンゲとハーンのコレクションを合わせると103点の原版が残っていたことになる)。
《1767年~1768年》:アムステルダムのピーテル・デ・フーケット(Pieter de Fouquet/Pierre Fouquet Jr., 1729-1800)が54点の原版を1767年の売り立てで購入し、後にパリの版画家でレンブラントの鑑定家であったクロード=アンリ・ワトレ(Claude-Henri Watelet, 1718-1786)に売却しているが、実際は、ワトレが手数料を払って、フーケットに落札させたのではないかと言われている。
《1768年~1786年》:1786年までワトレのコレクションであったが、彼の死後、その遺産が売却され、その中に78点の原版が含まれていた。後の記録によれば、ワトレは83点の原版を所有していたとある。ワトレは有能な銅版画家であり、原版を元あった状態に戻すために、原版の幾つかにエッチングとエングレーヴィングによる最初の修正(rework)を加えたが、これが後の加筆、修正を生む原因となった。
《1789年~1797年》:パリで版画工房を営み、版画の販売と出版を行なっていたピエール・フランソワ・バザン(Pierre-François Basan, 1723–1797)が1786年にワトレが所有していた原版を全て購入、1789年から1797年の間に、80点のレンブラントの版画作品集《Recueil de Basan》として出版する。

19世紀:
《1807年~1808年》:1797年のバザンの死後、バザンの息子アンリ・ルイ・バザン(Henri Louis Bazan)が遺産を受け継ぎ、注文に応じて《recueil:book with bleu or green motting on the outside》を出版し続ける。この間、原版はかなり磨耗、損傷。
《1805年~1810年》:1805年から1810年の間に、フランスの出版人オーギュスト・ジャン(Auguste Jean, 17??-1820)がバザンから全ての原版を購入、数は多くは無いが、ジャンの《recueil》として出版する。ジャンの死後、彼の未亡人が1826年、刷り師のC.ノーデ(C.Naudet、active about 1800, Paris)と組んで再販を行なう。
《1816年~1826年》:ロンドンのJ.M. クリーリー(J.M.Creery、active 1816–1826,London)が1816年、ジャンのコレクションには無い6点のレンブラントを含む「200点のオリジナル・エッチング」を出版。1826年に同じくロンドンのJ.ケイ(J.Kay)が再販。

19世紀から20世紀:
《1846年~1906年》:1846年ごろ、死を前にしたジャンの未亡人がパリの銅版画家オーギュスト・ベルナール(Auguste Bernard, 1811-1868)にコレクションを売却。コレクションは1906年まで、彼と息子のミシェル(Michel Bernard)のもとにあり、《recueil》を出版し続ける。その間に、"Death of the Virgin(B-99, BB 39-A)"(註2)の原版が損傷を受けるか失われ、コピーに置き換えられた。
《1906年~1938年》:1906年、パリの収集家アルヴァン=ボーモン(Alvin-Beaumont)がベルナールの息子ミシェルから原版を購入。レンブラントの研究者であったアンドレ=シャルル・コピエなどから贋物と断言されたが、詳しい調査の結果、本物と認められた。ボーモンはレンブラントの生誕300年を記念して、ボーモン版として知られるレンブラントのエッチング集を出版し、要人や美術館に寄贈。その後、新たな刷りを不可能にするため、原版にはインクが詰められ、その上にニスが掛けられた。そして、金で装飾されたフランスの題名とともに、黒の額に入れられ、アムステルダム国立美術館版画室に7年間貸し出された。その間、ボーモンはアムステルダム国立美術館とイギリスの大英博物館(The British Museum)と原版の売却交渉を行なったが、いずれも失敗に終わる。
《1938年~1993年》:ボーモンは1938年、当時パリに住んでいたアメリカ人の友人で収集家の国際的な弁護士ロバート・リー・ハンバー博士(Robert Lee Humber)に売却、ハンバーは原版を携えて彼の故郷であるノースカロライナに帰郷し、ラーレイのノースカロライナ美術館(The North Carolina Museum of Art, Raleigh)に寄託、1970年に彼が死に、遺族がコレクションを浮け注ぐまで、30年間保管された。原版は1993年まで美術館で保管されたが、その年、ハンバーが所有していた78点の原版を遺族からロンドンのアルテミス・インターナショナル(Artémis International, London)が購入し、ロンドンでのオークションに掛けた。原版は先ずオランダの美術館の代理人にオファーされ、その後、セールが公開された。購入者はアムステルダム国立美術館(The Rijksmuseum)、レンブラントハウス(The Rembrandt House), アムステルダム歴史博物館(The Amsterdams Historisch Museum)を初めとし、パリの国立図書館(Bibliothèque nationale, Paris)やオランダ研究所(Institut Neerlandais)を含む、世界中の名立たる美術館、そして個人の収集家や業者が購入し、コレクションは世界中に分散してしまう。
《1993年~1994年》:ハンバーコレクションの内の8点は、同じ年、アルテミス・インターナショナルからセールの協力者であったニューヨークのレンブラント作品の鑑定家で業者のロバート・ライト(Robert Light)に売却された。ライトは1994年、原版をビバリーヒルズの収集家ハワード・バーガー博士(Dr.Howard Berger)に転売する。バーガーはミレニアム版を制作。
《2003年~》:2003年、パーク・ウエスト・ギャラリー(Park West Gallery)が原版とミレニアム版を購入、刷り師のエミリアーノ・ソリーニ(Emilliano Sorini)と弟子のマルジョリー・ファン・ダイク(Marjorie Van Dyke)によって新たに各2500枚刷られた。

挿入された3点の原版の所有者も、Watelet, P.F.Bazan, H.L.Bazan, Auguste Jean, Auguste and Michel Bernard, Alvin-Beaumontとなっており、アルヴァン=ボーモンの手元にあった時期(1906年~1938年)に、ボーモンの許可を得て刷られたものであるが、上に名前を挙げた人物たちの手によって修正が加えられていることは間違いない。レンブラントの生前でも既に版は磨耗しているので仕方のないことではあるが、レンブラントの版画の特徴を成す、ドライポイントによる彫線の際のまくれ(burr)が生み出す線の両脇にインクが滲んだようにみえる幅のある陰影は、どこにも見られない。

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                     『Byblis』29号(1929年春)の目次
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        目次(部分)

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Les Pèlerins d'Emmaüs/Christ at Emmaus,1654(B-87, BB 54-H:エマオの巡礼者(エマオのキリスト)
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(211x160mm→207x160mm)この作品では、生前の刷りと見比べてみると、画面上部が5mmほど切り詰めるられている。
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Le retour de l'enfant prodigue/The return of the prodigal son,1636(B-91, BB 36-D:放蕩息子の帰宅)
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(157x137mm→155x135mm))この作品では、画面上部と左端がそれぞれ2mmほど切り詰められている。
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レンブラントの版上の署名と年記(Rembrandt f.1636)
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Les mendiants à la porte d'une maison/Beggars receiving alms at a door,1648(B-176, BB 48-C:戸口で施しを受ける乞食たち)
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(165x128mm→163x124mm)こちらの作品は、画面上部が2mmほど、右端が4mmほど切り詰められ、1648年の年記の8の部分が消えてしまい、判読できなくなっている。
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三点のエッチングの刷りには、アルシュ(Arches)の透かしの入ったレイド紙(簀の目状の透し筋入り紙)が使われている。



註:
1.Les eaux-fortes authentiques de Rembrandt. La vie et l'oeuvre du Maître. La technique des pièces principales. Catalogue chronologique des eaux-fortes authentiques et des états de la main de Rembrandt. André-Charles Coppier, Firmin-Didot et Cie., Paris, 1929

2.
目録番号の《B》は、オーストリアのウィーン出身の学者で銅版画家アダム・バルチュ(Adam Bartsch, 1757-1821)が編纂した目録番号を示す:Catalogue raisonné de toutes les estampes qui forment l'oeuvre de Rembrandt, et ceux de ses principaux imitatuers. Composé par les sieurs Gersaint, Helle, Glomy et P. Yver. Nouvelle édition. Entiérement refondue, corrigée et considérablement augmentée par Adam Bartsch, 2 vols., A. Blumauer, Vienna, 1797. Le Peintre Graveur, 21 vols,1803-1821, Vienne.
目録番号の《BB》は、スウェーデン人の収集家ジョージ・ビヨルクルンド(George Biörklund, 1887-1982)とカタログ編者のOsbert H. and Barnardによって年代順に編纂された番号を示す:Rembrandt's Etchings True and False, George Biörklund/Esselte Aktiebolag, 1955. Second Edition, George Biörklund, Stockholm, 1968. Reprint of the second edition, Hacker Art Books, New York, 1988

参考文献:
●George Biörklund:Rembrandt's Etchings True and False, George Biörklund/Esselte Aktiebolag, 1955. Second Edition, George Biörklund, Stockholm, 1968. Reprint of the second edition, Hacker Art Books, New York, 1988

George Biörklund, Stockholm. Second Edition, Hacker Art Books, New York, 1988
●G.W.Nowell-Usticke:Rembrandt's Etchings, States and Values, 1967, Hacker Art Books, New York, 1988
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by galleria-iska | 2016-01-19 21:50 | その他 | Comments(0)
2016年 01月 12日

フランスの美術専門誌ビブリス「Byblis,miroir des arts de l'lvre et de l'estampe, Vol.8」(1929)

古代ローマの装飾美術や木版画に関する研究書を数多く著した美術史家で版画家のピエール・ギュスマン(Pierre Gusman, 1862-1941)によって1921年に創刊された季刊の美術専門誌『ビブリス』(Byblis,miroir des arts de l'lvre et de l'estampe)。創刊号は1921~22年の冬号で、1931年の秋冬号となる40号までの全10巻が、20世紀初頭のフランスで書籍と美術雑誌の出版を手掛けたアルベール・モランセ(Albert Marcel Morancé, 1874-1951)が設立した出版社(Éditions Albert Morancé, Paris)から刊行された。そのうちの第8巻31号(第8巻:29号~32号)の特装版100部(100 sur vélin d'Arches avec épreuves signées)には、我が長谷川潔(Kiyoshi Hasegawa,1891-1980)による署名入りの銅版画2点:メゾチント(マニエル・ノワール)の作品「サン・ポール・ド・ヴァンスの村(Village de St.Paul de Vence)」とドライポイント(ポアント・セッシュ)の作品「水より上がる水浴の女(Baigneuse sortant de l'eau)」が挿入されている。通常版500部(500 exemplaires sur papier « vélin pur fil »)には後者の無署名のものが挿入されている。
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                    ビブリス一年分4冊を収めることが出来る特製のバインダー:1929年用:302x239mm
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このメゾチントによる風景画作品は、当時のフランスでは誰一人試みる者がいなかった、17世紀オランダおいて創始され、レンブラントも試みている「細粒刻点下地」による伝統的なメゾチントではなく、長谷川がそれまでの西洋にない独自性を持って評価を受けるために編み出した、「交差線下地」という独自の技法で制作されている。長谷川は1924年にこの「交差線下地」によるメゾチントの技法を創案、25年にこの技法で制作した最初の風景画作品「プロヴァンスの古市(グラース)Site provençal(Grasse)」を発表し、メゾチントを使って純粋の風景画を制作した最初の作家としてフランス画壇での評価を得ることとなる。長谷川の初期のメゾチントは、1923年から24年にかけて制作した風景画におけるエッチング(オー・フォルト)とドライポイントによるクロス八ッチングによる中間調を意識した表現に飽き足らず、薄い布を通して見るような柔らかな調子を求めた結果、辿り着いたものであるが、それには日本的な感覚(情緒性)が大いに寄与していると思われる。この作品においても、対角線に対して平行に引かれた交差線を画面のそこここに見出すことが出来る。この作品の翌年に制作された「アレキサンドル三世橋とフランス飛行船(Pont Alexandre III et dirrigeable français)」は前期のメゾチントの代表作であり、パリで開催された第1回「航空と美術」国際展に他の銅版画数点とともに出品され、航空大臣一等賞を受賞している。

一方、ドライポイントで制作された裸婦像であるが、長谷川の裸婦の起源は古く、版画を始めて間もない1913年頃からエッチングによる裸婦を何点も制作しており、同時期、雑誌や書籍の装丁として表現主義的傾向を感じさせる躍動感のある裸体を木版画でも追求している。渡仏後、あらゆる版画技法の研鑽を重ね、三年後の1922年に、習作として、セザンヌの水浴図に想を得たであろう「三人の浴女」をエッチングとドライポイントで制作、同じ年に制作した「レダ(Léda)」では、クロス八ッチングによる陰影を試みている。この作品に関して言えば、同じ構図のものが既に1925年に制作されており、ビブリス版は、それと構図もサイズも似通っているが、細かい修正を加え再刻されたと思われる。長谷川が美の象徴としてのヴィーナスを念頭に水浴する裸婦を手掛けたのかは定かではないが、明らかに、日本人女性のような柳腰ではなく、デッサンを通して得た西洋の美の規範に則っとり、腰骨の張ったどっしりとした体躯の裸婦として描いている。1930年までの長谷川にとって裸婦は重要な主題であったようで、この作品を含め、特に水浴の女性を描いた作品を数多く残している。

雑誌名となったビブリス(Byblis)の名の由来は、オヴィディウスの『転身物語』に登場する自分の流した涙で泉に変身した太陽神アポロンの孫娘ビュブリス(ビブリス)から来ており、書物を意味するビブリオ(Biblio-)にも掛けている。

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                        ビブリス31号(1929年秋号)特装版の書影
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       目次を見ると、メゾチントの作品の題名は、Saint-Paul-du-Varと、Saint Paul de Venceの旧名が使われ、村という言葉は付いていない。一方、ドライポイントの作品については、単に「裸婦(Femme nue)」となっており、その技法はこの時期ほとんど用いていないビュラン(burin)とされている。
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表紙に添えられているヴィネット(vignette)と呼ばれる装飾用の小さな絵には、ビブリスの花とともに、出版人であったアルべール・モランセの意を受け、“フランスの書物は常に栄える”との意のラテン語の言葉《liber galliae semper florens》が添えられている。
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                           アルベール・モランセ出版のロゴ(裏表紙)
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「サン・ポール・ド・ヴァンスの村(Village de St.Paul de Vence)」
●作家:Kiyoshi Hasegawa(1891-1980)
●種類:Print
●題名:Village de St.Paul de Vence
●サイズ:Format:227x284mm(Plate mark:140x182mm)
●限定:100
●紙質:J.Perrigot Arches Special MBM
●技法:Mezzotint(Manière noire)
●発行:Éditions Albert Morancé, Paris
●制作年:1929
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水より上がる水浴の女(ビブリス版)(Baigneuse sortant de l'eau pour Byblis)
●作家:Kiyoshi Hasegawa(1891-1980)
●種類:Print
●題名:Baigneuse sortant de l'eau
●サイズ:Format:280x227mm(Plate mark:152x109mm)
●限定:100
●紙質:J.Perrigot Arches Special MBM
●技法:Drypoint(Pointe sèche)
●発行:Éditions Albert Morancé, Paris
●制作年:1929

この号とともに注目されるのは、17世紀オランダの巨匠レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz van Rijn, 1606-1669)が手掛けた三点のエッチング(註1)の後刷り(posthumous printing)が挿入された29号(1929年春)であろうか。これについては別の機会に取り上げてみたい。



註:

1.題名は以下のとおりである:
●エマオの巡礼者(Les Pèlerins d'Emmaüs, 1654)
●放蕩息子の帰宅(Le retour de l'enfant prodigue, 1636)
●戸口で施しを受ける乞食たち(Les mendiants à la porte d'une maison, 1648)


参考文献:

『長谷川潔の全版画(Catalogue raisonné de L'œuvre gravé de Kiyoshi Hasegawa)』魚津章夫編著 玲風書房、1999年
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by galleria-iska | 2016-01-12 21:43 | その他 | Comments(0)
2015年 12月 25日

長谷川潔のアクアタント「Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes(2)」(1944~45)

以前、それぞれ腕に覚えのある5人のフランス人銅版画家の作品とともに、長谷川潔の数少ないアクアタント(アクアチント)による銅版画「切子ガラスに挿したアネモネと草花(Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes)」を収録した版画集「銅版画(Le Gravure sur Cuivre)」(註1)を取り上げたことがあるが、運よく、作家の鉛筆による署名入りの第一段階(ファースト・ステート)の摺りを含む、限定60部のものを入手することができたので、今回は両者の違いを見比べてみたい。まず紙質であるが、版画集の出版証明によると、アサンの工房(Atelier Paul Haasen:ポール・アサンは画家兼版画家であるものの、もっぱら銅版画の刷り師として活躍した)でリーヴ紙(B.F.K. Rives)に刷られたとあったので、現物に当たってみたところ、"BFK Rives"の透かしの入ったものは、ひとりの作家のものだけで、三人の作家のものには刷り師のポール・アサンの透かし"Paul Haasen"が入っており、長谷川潔ともうひとりの作家については、用紙の裁断の都合によるものと考えられるが、どちらの透かしも入っていなかった。そこで、ポール・アサンの刷り師としての仕事を調べてみたところ、アサンという刷り師は、依頼された版画の刷りの際、自らの名を透かしに入れた版画用の用紙(アルシュ紙やリーヴ紙)を用意していたようで、名のある作家の銅版画制作に関わっていたことを、このような形で残そうとしていたのではないかと思われる。

前回取り上げたのは、290部限定(出版証明では、50部+240部の290部となっているが、実際は60部+240部の300部である)の決定段階(最終ステート)の摺りのもので、作家によって位置は異なるが、長谷川潔については、画面右下に版上サイン(K. Hasegawa)が入れられている。他の作家のものでは、この決定段階の摺りと第一段階の摺りとでは、一見してその違いを見分けられるのだが、長谷川潔の作品に関しては、加筆、修正はなく、アネモネの花の部分に僅かに摺りの濃淡の違いがある程度である。この摺りの違いは、長谷川潔自身が指示したものと思われるが、この僅かな違いに、自然の摂理や法則を捉えることで宇宙の真理に到達しようとした完全主義者の長谷川潔ならではの拘りがあったのかもしれない。第一段階と決定段階のそれぞれに作家保存用のエプルーヴ・ダルティスト(épreuve d'artiste)が存在しており、時折、鉛筆による署名と(ép d'artiste)と記したものを見掛ける。

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第一段階:《限定:60部(鉛筆による署名と限定番号入り)、紙質:B.F.K. Rives、刷り:Paul Haasen、発行:Éditions Jacques-Petit, Angers》

●作家:Kiyoshi Hasegawa (1891-1980)
●種類:Print
●サイズ:250x185mm
●フォーマット:382x285mm
●題名:Fleurs(Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes)
●技法:Aquatint
●紙質:B.F.K. Rives
●限定:60
●発行:Editions Jacques-Petit, Angers
●制作年:1944~45

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決定段階《限定:300部(版上サイン入り)、紙質:Vélin du Marais、刷り:Le Blanc & Delahaye、発行:Éditions Jacques-Petit, Angers》

●作家:Kiyoshi Hasegawa (1891-1980)
●種類:Print
●サイズ:250x185mm
●フォーマット:380x280mm
●題名:Fleurs(Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes)
●技法:Aquatint
●紙質:Vélin du Marais
●限定:300
●発行:Éditions Jacques-Petit, Angers
●制作年:1944~45

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マレ紙(Vélin du Marais)の透かし(Watermark)
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第一段階(左)決定段階(右)
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画面右下の部分
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版画集『La Gravure sur Cuivre』の表題紙(タイトルページ)
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出版証明
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挿入された版画作品のリスト

註:

1.京都国立近代美術館 収蔵品目録(III)として1991年に発行された「長谷川潔」の年譜には、次のように記されている:
《フランス現代作家5名とともに各自異なる技法のよる銅版画を制作し、国立図書館版画部のアデマル(Jean Adhemar)の紹介文を付した限定版画集『銅版画(“Le Gravure sur Cuivre”)”第一巻がアンジェ(Angers)市のジャック・プチ(Jacques Petit)書房から出版されたが、独伊敗戦の結果、同胞とともにパリの中央監獄及びドランシイの収容所(Camp de Drancy)に次々に収監され、版画集も収容所で署名する。》

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by galleria-iska | 2015-12-25 21:49 | その他 | Comments(0)
2015年 10月 03日

フェルメール全絵画作品集「Vermmer de Delft」(1952)

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17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1975)は、世紀末から今日にかけて日本で最も知名度を上げた画家のひとりであろう。現存する30数点の作品のうち21点(予定を含む)が1968年から2015年までに招来しているが、1987年までの4点を除く17点がこの10年間に集中しており、重複を含めると21点すべて招来しているのである。中でもフェルメールの傑作のひとつ「真珠の首飾りの少女(Meisje met de parel)」(1984年に国立西洋美術館他で開催された『マウリッツハイス王立美術館展』では「青いターバンの少女」として公開された)は2000年、大阪市立博物館で開催された『フェルメールとその時代展』に他の4点の作品と共に出品され、フェルメール・ブームの火付け役となった。この作品目当てに連日長蛇の列が出来、自分もその列に並んだひとりであるが、途中酷い雷雨に見舞われ、土砂降りの雨と雷鳴のすさまじさに退散を余儀なくされた。この作品にも描かれた肩越しにこちらに顔を向ける女性の姿態は、フェルメールの作品の中に何度も登場するが、肖像画のような畏まったものではなく、日常生活の中で女性が垣間見せる自然な姿であり、誰かに気付いたその一瞬の表情を捉えたスナップ・ショットのようにも見える。少し開いた口元には白い歯が浮かび、微かに微笑んでいるようにも見えるのだが、これが「オランダのモナリザ(the Dutch Mona Lisa)」とか「北方のモナリザ(the Mona Lisa of the North)」と称される所以であろう。

この時期、日本はデフレ・スパイラル真っ只中にあり、国公立美術館の予算は大幅に削減され、集客力のある展覧会の企画を立てることも難しくなっていたが、欧米での大規模なフェルメール展の人気とその入場者数に商機を見出した企画屋が、美術展をひとつのイヴェントと捉える方法論に則り、いまだに来日していない大物、目玉として、あの奇才ダリ(Salvador Dalí,1904-1989)がレオナルド・ダヴィンチよりも遥かに高い評価を与えたフェルメールに白羽の矢を立てたのである。そしてその企ては見事に成功を収め、フェルメールはブランド化し、その人気は未だに衰えない。

今回取り上げるのは、1930年代に書いた「王道」や「人間の条件」といった小説や、1950年代の芸術や美術に関する深い造詣を示す「芸術の心理」や「空想美術館」の著者として日本でも知られるフランスの作家・政治家のアンドレ・マルロー(André Malraux, 1901-1976)が編んだフェルメールの全絵画作品集(カタログ・レゾネ)(註1)である。1950年から1957年にかけて、パリのガリマール書店から刊行されたマルローの芸術や美術に関する著作や選集を集めた《プレイヤード・ギャラリー(La Galerie de la Pléiade, 1950-1957)》叢書の第四巻(全六巻八冊)として刊行された本書は、最も美しい本の一冊に選ばれた。1952年に刊行された本書は、テキストとは別刷りで印刷されたフェルメールの全絵画作品のカラー図版を貼りこむという日本ではあまり馴染みのない方法が採られており、図版にはパラフィン紙が保護紙として付けられている。後に装幀(ルリユール)を行なうことを念頭にした仮綴じに近い状態で造られており、革装幀を施したものが時々古書店で見つかる。

手に入れたのは1970年代の初め頃だったと思う。現在、古書店によっては数千円で入手出来るものもあるが、当時は円もまだ安く、2万3千円ぐらいしていただろうか。通っていた大学の授業料が年1万2千円だったので、かなりの金額であったことは間違いないのだが、実はある人に購入していただいたもので、ずっと大事にしている一冊である。

●作家:Johannes Vermeer(1632-1675)
●種類:Monographie(Monograph)
●著者:Marcel Proust/André Malraux
●題名:Vermeer de Delft - Tout Vermeer de Delft
●サイズ:360x267mm
●発行:Librairie Gallimard, Paris、1952
●印刷:Imprimeurs Draeger Frères, Montrouge
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ドレスデンのアルテ・マイスター(古典巨匠)絵画館に所蔵されている「窓辺で手紙を読む若い女」は、フェルメールの世界が最初に現れた作品とされ、日本では1974年に国立西洋美術館と京都国立博物館で開催された『ドイツ民主共和国ドレスデン国立美術館所蔵 ヨーロッパ絵画名作展』(東京・1974年9月21日-1974年11月24日, 国立西洋美術館 ; 京都・1974年12月3日-1975年1月26日, 京都国立博物館)に初出品された作品で、自分にとって京都会場で目にした最初のフェルメール作品である。照明が暗かったのかもしれないが、暗緑色のベールに包まれたような画面はうす暗く、これより少し前に描かれたとされる「眠る女」の画面手前に描かれたものとよく似たテーブルの上の絨毯や果物鉢も本来の色彩が沈んでしまい、細部を仔細に観察することが出来なかった。2005年、“震災復興10周年記念/日本におけるドイツ年2005/2006”に合わせ兵庫県立美術館(上野の国立西洋美術館に巡回)で3月8日から5月22日にかけて開催された『ドレスデン国立美術館展-世界の鏡』にも出品されているが、こちらには出掛けていない。
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マルローは同書でモデルとなった人物の同定を試みており、それはある程度の同意を得ているようである。
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パリのルーブル美術館が所蔵する2点のフェルメール作品のうちのひとつ「レースを編む女」。1986年に、もうひとつの「天文学者」とともに現地で観ることが出来た。カンヴァスに描かれた「レースを編む女」はフェルメールの作品の中でも特に小さい作品(24x21cm)であるが、零れ落ちる色彩の輝きは、世界が、物質ではなく、光によって構成されていることを実感させる、光そのものを感じ取ることができる作品である。ダリはこの作品へのオマージュとして「フェルメールの「レースを編む女」に関する偏執狂的=批判的習作(Paranoiac-Critical Study of Vermeer's 'Lacemaker')という作品を残している。
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19世紀以降、当のオランダ人ではなく、フランス人によってその価値を発見されたかのように映る、オランダ黄金時代の絵画作品を数多く所蔵・展示するデン・ハーグのマウリッツハイス王立絵画美術館(Koninklijk Kabinet van Schilderijen Mauritshuis)にある「デルフトの眺望(Gezicht op Delft)」であるが、果たして日本に来ることはあるのだろうか。
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註:

1.フェルメールの作品に関するトレ・ビュルガーやマルセル・プルーストを初めとする数多くの作家や画家(Paul Claudel, Léon Daudet, Maxime Du Camp, Édouard Estaunié, Eugène Fromentin, Théophile Gautier, Edmond et Jules de Goncourt, J. Huiginger, André Lhote, André Malraux, Marcel Proust, Jean Renoir, Thoré-Burger et de Vincent Van Gogh)の言葉が収録されている。
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by galleria-iska | 2015-10-03 11:30 | その他 | Comments(0)
2015年 09月 22日

菅井汲の版画「Soleil Blanc」(1969)

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前回取り上げた菅井汲(Kumi Sugaï, 1919-1996)の挿絵「October:The Silence」の前年に制作された「Soleil Blanc(白い太陽)」は太陽を白い球体として表現した最初の作品で、版元はドイツにおける契約画廊であったハノーファーのブルスベルク画廊(Galerie Brusberg, Hannover)である。同じ年、この作品のバリアントとも言える「Soliei et Terre(太陽と大地)」(註1)という作品が、東京の美術出版社(Bijutsu Shuppan)から1970年に刊行された「菅井汲版画集」の特装版(限定100部)のために制作されているが、それに倣えば、青緑色の台形は大地を表していることになる。

菅井はここに来て、それまでのカリグラフィックな表現から脱却し、より単純なフォルムと記憶に残る色彩を用いて、自分が目にした光景を記号化していく。

●作家:Kumi Sugaï(1919-1996)
●種類:Print
●題名:Soleil Blanc
●サイズ:660x503mm
●技法:Lithograph
●限定:100
●紙質:Arches 
●発行:Galerie Brusberg, Hannover
●印刷:Michel Casse, Paris
●制作年:1969
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註:

1.
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菅井汲の版画「Soleil et Terre(太陽と大地)」、1969年、340x257mm、限定:80部、印刷:Michel Casse, Paris、発行:美術出版社、東京、1970年
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by galleria-iska | 2015-09-22 18:49 | その他 | Comments(0)
2015年 09月 02日

菅井汲の挿絵「October: The Silence」(1970)

フランス生まれの詩人ナサニエル・ターン(Nathaniel Tarn, 1928-)は、アメリカ合衆国に移住した1970年、イタリア ミラノの画廊(Galleria M'Arte)の出版部門(M'Arte Edizioni)が現代美術の作家と詩人とのコラボーレーションとして発行している詩画集のシリーズの一冊として、『October:the silence(10月:静けさ)』を発表するが、その詩に添える挿絵として、菅井汲(Kumi Sugaï, 1919-1996)が二点のリトグラフを寄せている。菅井は1950年代から60年代にかけて、自己のアイデンティティを形成した日本的風土や、それに寄り添うプリミティブなものを題材にした作品を数多く制作しているが、1968年に制作した「Soleil Vert(緑の太陽)」を機に、太陽をシンボリックに表現する試みとして真円を用い始め、それに陰影を施すことで球体を表現する作品を幾つも創り出している。挿絵として制作された二点のリトグラフにもこの球体が描かれており、それと直線によって構成された人工的な構造物と見なされる幾何学的な図形によって、菅井が目にしたであろう光景、あるいはその記憶を、より純粋で無機的とも思える記号に還元することで、その造形性を際立たせている。

リトグラフの刷りは、1896年に石版画とクロモリトグラフ(註1)と呼ばれる多色刷石版画の優れた刷り師であったオーギュスト・クロ(Auguste Clot, 1858-1936)によって設立されたパリの古い石版画工房クロ(Atelier Clot, Paris)を受け継ぐ、デンマーク人刷り師(Peter Bramsen)と創業者の孫(Docteur Guy Georges )によって設立された出版工房《Editions Atelier Clot, Bramsen & Georges, Paris》で行なわれている。

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●作家:Kumi Sugaï(1919-1996)
●種類:Print
●題名:October: The Silence(1)
●技法:Lithograph
●サイズ:380x285mm
●限定:106
●発行:M'Arte Edizioni, Milan
●印刷:Clot(Bramsen & Georges), Paris
●制作年:1970
●目録番号:No.155

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●作家:Kumi Sugaï(1919-1996)
●種類:Print
●技法:Lithograph
●題名:October: The Silence(2)
●サイズ:380x285mm
●限定:106
●発行:M'Arte Edizioni, Milan
●印刷:Clot(Bramsen & Georges), Paris
●制作年:1970
●目録番号:No.156

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ナサニエル・ターンの直筆の詩をリトグラフで印刷したもの。版上サインの他に、鉛筆で限定番号とサインが入れられている。

●作家:Nathaniel Tarn(1928-)
●種類:Poem
●題名:October: The Silence
●技法:Lithograph
●サイズ:389x285mm
●限定:106
●発行:M'Arte Edizioni, Milan
●印刷:Clot(Bramsen & Georges), Paris
●制作年:1970


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差し函(表):392x290mm
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註:

1. クロモリトグラフ(Chromolithograph)は、赤、青、黄の三原色混合による多色刷石版画で、点描で色を付ける。オフセット印刷の前身。19世紀後半に、図鑑や本の挿絵の印刷に使われた。版画作品などに用いられるカラー・リトグラフ(Color lithograph)と区別するために付けられた名称。
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by galleria-iska | 2015-09-02 20:20 | その他 | Comments(0)
2015年 08月 08日

フィリップ・モーリッツの銅版画「L'Anachorète」(1984)&「Vérole」(1985)

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フランスはボルドー在住の銅版画家で彫刻家のフィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)が1967年に制作した「Rencontre(邂逅)」は初期の代表作のひとつであるが、作品の出来映え、あるいは評判に気を良くしてか、それから12年経った1978年、モーリッツは続編となる「12 ans après」を制作している。

「Rencontre」は、小品ではあるが非常に密度の濃い作品で、隠花植物を思わせる植物が繁茂する水辺に横たわる屍体を、モーリッツはビュランを用い、精緻な筆致で描いている。目立ちはしないが、白骨化が進む屍体の傍らには、残りの肉片を狙ってやってきた二羽の鳥がその様子を窺っている。そして別の一羽の鳥が性器が露わになった屍体の股間に舞い降り、新しい歴史(物語)のプロローグを告げている。変わって「12 ans après」では、幾分開けた画面の所々に文明の残滓が顔を出し、屍体すっかり白骨化している。12年前に傍らで様子を窺っていた二羽の鳥の横には小さな二羽の鳥が同じように屍体を眺めており、屍体に上に舞い降りた鳥はといえば、栄巣し、番となって雛を育てている。さらによく見れば、画面のそこここに別の鳥の姿も。
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図版 左:「Rencontre」、右:「12 ans après」

今回取り上げる、1984年と85年に制作されたふたつの作品、「L'Anachorète(隠者)」と「Vérole(黴毒)」にもその発端なったのではないかと思われる作品がある。前者は1967年に制作された「Tentation de Saint-Antoine(聖アントワーヌの誘惑)」という作品で、後者は「Les mangeurs de girolles(キノコ喰い)」という、1970年に制作された作品である。

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『聖アントワーヌ(註1)の誘惑(La Tentation de saint Antoine)』は、ご存知のように、19世紀フランスの文学者ギュスターヴ・フロベール(Gustave Flaubert, 1821-1880)が1845年、妹の新婚旅行に両親ともに同行し、ジェノヴァのバルビ宮殿でブリューゲルの『聖アントワーヌの誘惑』を見たことから着想し、何度も中断を余儀なくされるも、1872年に完成、1874年に刊行した戯曲仕立ての小説で、その作品に霊感を受けた、モーリッツと同じボルドー出身の画家オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)が、1888年から1896年にかけて、実に三度も石版画集に仕立てている。

モーリッツはその「Tentation de Saint-Antoine(聖アントワーヌの誘惑)」と、今回取り上げる「L'Anachorète(隠者)」という二つの作品で、ともに峻厳な山々が連なる背景を輪郭だけで表現することで主題を際立たせているのだが、その視点を変えることで、相反する意味を与えている。「聖アントワーヌの誘惑」では、ピスピルの山(?)の廃墟に結んだ“隠者の庵”で修行を行なう聖アントワーヌが、夜が明け、差し昇る日輪のただなかにキリストの顔が輝くのを見て、十字を切り、祈りを捧げようとする聖アントワーヌの姿を、神の目線、つまり俯瞰する位置から捉えている。同じように、文明から隔絶された深い山中で、空に向かって繁茂する大木の幹(うろ?)に庵を結ぶ修行者を描いた「隠者」では、悪魔の繰り出す誘惑に屈したのであろうか、妄想の世界に没頭し、手淫に耽る姿が、下から仰ぎ見るという視点で捉えられており、神の教えに一歩でも近づきたいと願う隠者の祖とも言える聖アントワーヌの孤高の行為とは全く対照的に、下界を見下ろす高みでひとり快楽に耽る、生身の人間の姿を通して、神無き現代の、私欲に塗れた人間社会を映し出す鏡として提示されており、その意味で実に寓意的な作品と言えるのではないだろうか。

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一方、1970年に制作されたモーリッツの傑作のひとつ「Les mangeurs de girolles(キノコ喰い)」と1985年に制作された「Vérole(黴毒)」の二つの作品の間には、「Rencontre(邂逅)」と「12 ans après」と同じように、原因と結果を象徴するような関係を見出すことが出来る。無数のキノコが生える湿地帯に漂着、あるい座礁した外輪船の後部デッキにはひとりの男が眠りに落ちており、その傍らでは、食用にするためのキノコ(?)が火に炙られている。西洋ではキノコは男性器の比喩として用いられており、乱交、売春、男色といった危険な性行為を起因とする黴毒が予感されるのである。そしてまさしく1985年、その病名を題名とする作品「Vérole(黴毒)」が制作されている。こちらでは植物が生茂る岸辺近く浮かぶ一人乗りの外輪船が描かれており、後部デッキには、治療道具を傍らに置き、下半身を露わに横たわる男の姿が見える。やがて朽ち果て、生まれ出てた土に還るのを宿命とする、まさに人間、そして文明の偽ざる姿であろうか。同じ年に制作された「Petit Refuge(小さな避難所)」はその後の世界を描いているのかもしれない。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:L'Anachorete, 1984
●サイズ:330x253mm(118x90mm)
●技法:Burin & Drypoint
●限定:100
●制作年:1984

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●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:Vérole, 1985
●サイズ:330x253mm(118x90mm)
●技法:Burin
●限定:100
●制作年:1985



註:

1.聖アントワーヌ、聖アントニウス(Antonius、c.251-356)は実在の人物で、アレクサンドリアのアタナシオス(Athanasius of Alexandria) によると、三世紀の中頃、エジプトに生まれ、敬虔なキリスト教徒であった両親の下、キリスト教徒として教え受ける。二十歳の頃に両親と死別。協会で聞いた福音書の言葉に従い、土地や家財を村人や貧者に与え、自らは砂漠に移り住み、隠者として瞑想と苦行の生活を送る。町での説教で心を打たれた修道僧らと開いたのが修道院の始まりとされる。しかしそれはアントニウスの本意ではなく、より過酷で厳しい修行を求めて山に向かい、修行の果てに356年、105歳という長寿を全うしたと伝記に記されている。

悪魔が繰り出す諸々の誘惑を象徴する様々な怪物に囲まれ、苦闘する聖アントワーヌの姿を描いた作品は古くから絵画の格好の画題として、繰り返し描かれている。「聖アントワーヌの誘惑」との題名で、ヒエロニムス・ボス、マティアス・グリューネヴァルト、、アルブレヒト・デューラーやダリらが絵画作品を制作、マルティン・ショーンガウアー、ペーテル・ブリューゲル(父)、ジャック・カロ、オディロン・ルドンが版画作品を制作している。


参考文献:

Mohlitz Gravures et Dessins 1963-1982, Éditions Natiris, Frédéric Daussy, 1982 pp.16, 42,101.
Philippe Mohlitz Gravures 1982-1992, Éditions Ramsay, 1993 pp.16,24,22.
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by galleria-iska | 2015-08-08 18:06 | その他 | Comments(0)
2015年 06月 23日

元永定正の版画「しろいいつつ」

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                        “しろたへの ころもはおりし いちもつの いつつならんで ふんわりふわり”

ダダイストでシュルレアリストのマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)は1920年、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp,1887-1968)と画家で収集家のキャサリン・ドライヤー(Katheline K. Dreier, 1877-1952)とともに、キュビスム、表現主義、ダダイスム、未来派、バウハウスといった当時の前衛芸術の研究と発展のための組織「Société Anonyme」(註1)を設立したが、その年、豊穣と生殖の神、また男根の隠喩として使われるギリシャ神話に登場する羊飼いのプリアーポスを主題に「プリアーポスの文鎮」(1920年)というオブジェを制作している。そのオブジェを想起させるのが、ここ数年、具体美術協会のメンバーとして評価が高まっている故元永定正(Sadamasa Motonaga, 1922-2011)氏のシルクスクリーン版画「しろいいつつ」である。画家は男根とおぼしきものを図案化したこのモチーフ(日本には古来より子宝・安産祈願などの願いをかけて男根が奉られている神社が数多く存在するが、画家のそれは、西洋化したことによるモラル偏重、あるいは美術界の権威主義的な状況への揶揄であったのかもしれない)をたびたび描いているが、子供向けの絵本も手掛けた画家らしいユーモラスな表情を見せる反面、見る者のモラルに対するいくばくかの挑戦が見て取れなくもない。ゆるキャラがごとく図案化されたそれは、その一義的な意味を剥ぎ取られ、愛らしい図形として目の前に差し出されるのだが、見る者が一端、それが持つ本来の意味を認知するや否や、画家の遊び心にどう対峙するかの決断を迫られる。大人の対応として黙ってやり過すのか、画家のユーモアとして捉えるのか、それとも子供のように無邪気に愛玩するのか、そのようなこころのざわめきを画家はひそかに愉しんでいるのかもしれない。

一方、マン・レイの場合はどうであったかというと、“ボール・ベアリングと金属管で構成されたあきらかに男根を想起させる1920年のオブジェ「プリアーポスの文鎮」の主題をめぐって、好んで他人と取り交わしたやりとりを、アルトゥーロ・シュヴァルツにこう説明したのだろう。「このオブジェの写真を見ると、たいがいのひとはすぐにオリジナルのサイズをわたしに聞くのです。おおむねあなたのと同じです、とわたしは答えたものです」とマン・レイはシュヴァルツに語っている。”(批判思考のオブジェ:ローザリンド・クラウス、1984年に開催された「マン・レイ展」図録より抜粋)とあるように、レディ・メイドの手法を借りた反芸術的な様相とは異なり、いたって西洋的な素養を背景に持つ作品と言えるかもしれない。ただ、直接的な問いには、やはりユーモアも持って応えるのが礼儀であるようである

●作家:Sadamasa Motonaga(1922-2011)
●種類:Print
●題名:Siroi Itsutsu
●サイズ:382x510mm(240x350mm)
●技法:Silkscreen
●限定:200
●制作年:198?

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図版:マン・レイのオブジェ「プリアーポスの文鎮《PRESSE-PAPIER À PRIAPE (PRIAPUS PAPERWEIGHT)》」の写真(1984年に開催された「マン・レイ展」図録より)


註:
1.マン・レイの自伝「Man Ray/Selfportrait」によると、マン・レイは自分たちが作ろうとしている組織の名にひとつのアイデアを持っていた。それはフランスの雑誌の中で見つけたソシエテ・アノニム(Société Anonyme)という“株式会社”を意味する言葉であったのだが、マン・レイそれを"Anonymous Society(匿名協会)"のことと勘違いしていた。マン・レイは名前を決める場でドライヤーが異を唱えるのを心配したが、デュシャンはその意味を説明した上で、それを現代美術館に相応しい名前であるとしたことで、全員一致でその名に決まった、とある。
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by galleria-iska | 2015-06-23 20:54 | その他 | Comments(0)
2015年 05月 11日

ニキ・ド・サンファルの壁紙「Nana (Pink)」(1971)

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1950年代中頃にキネティック・アートを先導したジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely, 1925-1991)とヤーコブ・アガム(Yaacov Agam, 1928-)によって発案されたとされるマルティプルは、非常に安価でかつ広く流通させる意図を持って工業的に量産されたオリジナル作品。そのため希少価値の指標となる限定部数を持たない。この概念は1960年代以降、一般化していくこととなるが、今回取り上げるのは、ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)が1971年に制作した、彼女のトレードマークとも言える“ナナ(Nanas)”をモチーフにした壁紙、“アート・ウォールズ(Art Walls)”である。今手元にあるのは、ロール状で購入したものの巻き端部分。この切片には若干欠けがあるが、基本的にこの図柄が繰り返されている。色はピンク地とブラウン地の二種類。ニキは実際に自宅の壁に貼っていたようである。

“アート・ウォールズ(Art Walls)”は"The Swiss ART group"が1971年に立ち上げたプロジェクトで、当時ヨーロッパの著名な作家達(パウル・ヴンダーリッヒ、ジャン・ティンゲリー、ニキ・ド・サンファル、アレン・ジョーンズ等々)にオリジナル作品としての壁紙の制作を依頼。製造はドイツ ヘッセン州のキルヒハイン(Kirchhain)市にある1845年創業の壁紙製造メーカー、マルブルク社(Marburg → Marburg Wallcoverings)で行なわれた。1972年、ベルンの美術館(Kunsthalle Bern)の館長時代(1961年~1969年)の最後の年に企画した展覧会「態度が形になるとき(When Attitudes Become Form)」で従来型の展覧会のあり方に疑問を呈したハラルド・ゼーマン(Harald Szeemann, 1933-2005)が若くして芸術総監督を務めた「ドクメンタ5(Dokumenta 5)」に出品され、大きな反響を呼んだ。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Wallpaper
●題名:Nana(Pink)
●サイズ:557x531mm
●技法:Silkscreen
●発行:The Swiss Art group
●製造:Marburg, Kirchhain
●制作年:1971
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壁紙の裏に押されたマルブルク社のゴム印。マルブルク社の社史によると、この壁紙の製品名は、"X-Art Walls"となっている。




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by galleria-iska | 2015-05-11 19:29 | その他 | Comments(0)