ガレリア・イスカ通信

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2014年 12月 04日

駒井哲郎の銅版画「Trees」(1958)

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日本の現代版画の礎を築いた作家として評価される銅版画家の駒井哲郎(Tetsurô Komai, 1920-1976)であるが、残念ながら、海外の評価は、棟方や浜口、菅井らと比べて決して高いとは言えない(註1)。確かに駒井は都市の、なかんずく東京の知識人から強い支持を得ている。そしてその非常に限られた支持層によって彼の藝術が称揚され、版画界においてある種のヘゲモニー(hegemony)を獲得しているように思われる。その背景となっている彼の早熟さと西洋美術への憧憬は一般大衆の持つ現実感からは遊離したものであり、彼自身も自覚していたと思うが、世間一般の支持はそれほどでもなく、ましてや地方においてその知名度は無きに等しいと言える。それは日常から解き放たれた想像力の世界を守るためであろうか、孤独を壁として張り巡らせ、敢えて世間から自己の藝術を隔絶せしめているかのようにも映るのだが、駒井の苦悩を生み出す土壌となっていたように思われる。

駒井が自己のアイデンティティの確立を目指す上で創造の源泉となった作家への憧憬とシンパシーは、その作家の精神に乗り移らんとする駒井の姿を垣間見せ、痛々しくもあるのだが、同時に、美の創造者というものの有り方に疑問を投げかける。この自己同一化は図らずしも日本文化の基本的体質を見事に表しているかのように思える。作家は誰しもその初期には大なり小なり誰かの影響を受け、その模倣を通して自己の様式を発芽させ、それを発展させていくのだが、たとえそれが誰かの影響下にあったとしても拭い去れない個性というものが作品から立ち上ってくるはずである。その点において駒井の作品を見る時、現代美術が広く用いるところの引用や借用とは異なり、卓越した翻訳家あるいは翻案家に見えてしまい、ある種の空しさのようなものを感じる。つまり駒井の作品を通して彼が対峙した海外の作家が透けて見えてしまい、オリジナリティーを確立し得ない、浮き草のような危うさを感じてしまうのである。それが破壊と創造とは別の地平に立つエリートと呼ばれる所以なのだろうか。

駒井が“樹木”を主題とする作品に取り組むのは1956年にルーブル美術館所蔵のルドンの素描「樫の木(Oak Tress)」(註2)をもとにした「樹木-ルドンの素描による」を嚆矢とするが、翌1957年に1点、そして1958年には5点もの作品を制作している。今回取り上げるのは1958年に制作された「樹木(Trees)」であるが、この作品は、駒井が日本の現代版画の現状を海外に伝えるべく企画され、1959年に発行された版画集所収の作品として制作したもので、1957年作の「樹木」の延長にあるように思われる。1957年に作品では大小15本の木々からなる木立がリズミカルに配置されていて、それはどこか尾形光琳の燕子花図(右隻)を彷彿させなくもない。一方、この作品では7本の木々が描かれているのだが、海外に紹介されることを念頭にしたのだろう、それらの木々が、もともとは視覚的経験に基づく東洋的、日本的空間表現に用いる逆遠近法によって配置されている点が注目される。そこに駒井の、西洋の単なる物真似ではない、日本人作家として矜持を感じ取れなくもない。

駒井が描いた7本の木々は手前から奥へと、順に1本、2本、4本と倍に増えていく。またそれらの木々は並行に置かれ、中ほどの2本の木の幅と奥の4木の幅の比は1:2となっており、手前から奥にいくほど広がっていくよう配置されているのである。そのことは次のように線を引いてみるとよく分かる。この作品の縦の中心は左から3番目の木の根元の右端を通っていて、その延長線に右端奥の木の根元を通る線を結び、その交点に左端の木の根元から線を延ばし、それに画面奥の4本の木の根元を結んだ線を繋げると、二等辺三角形が出来るのである。そのような画面空間によって木そのものの存在が高められ、何かを暗示するメタファーとしての働きを帯びているのではないかとも考えられるが、駒井の自然主義的な側面とも取れなくもない。

●作家:Tetsurô Komai(1920-1976)
●種類:Print
●題名:Trees
●サイズ:283x257mm(プレートマーク:233x210mm)
●技法:Etching
●限定:100
●発行:Japan's Modern and Famed Print Art Association
●制作年:1958
●目録番号:111(駒井哲郎版画作品集、1979年、美術出版社)
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註:

1.パブリック・オークションの落札情報を提供するサイトを検索してみたが、駒井の作品は見当たらなかった。今回取り上げた作品「樹木(Trees)」に関しては、版画集として出品されたケースを見つけることは出来たのだが、その評価はすこぶる低く、海外とのギャップを感じる。

2.
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図版:左:駒井哲郎の銅版画「樹木 ルドンの素描による」エッチング、1956年、233x201mm、限定125部
    右:オディロン・ルドンの素描「Oak Tree」鉛筆、1868年頃、320x255mm、Musee du Louvre, Paris

参考文献:

季刊「版画藝術」(80号、特集/対決!駒井哲郎)、1993年、阿部出版
Douhlas W. Druick(General Editor), Odilon Redon: Prince of Dreams 1840-1916, 1994, Harry N. Abrams & The Art Institute of Chicago, New York
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by galleria-iska | 2014-12-04 18:35 | その他 | Comments(0)
2014年 11月 21日

フィリップ・モーリッツの銅版画「Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette 」(1972)

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フランスのボルドーで寄宿しながら制作活動を行なっている版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe MOhlitz, 1941-)の作品は、フロイト的な精神分析学の関心の対象となり得るかもしれない。モーリッツは未だに未婚であるが、結婚(男女関係)というものに何かしらのコンプレックスを抱いている節があって、作品の中にしばしば性的なオブセッションを伺わせるものが描かれている。それらは作品のテーマとして扱われているものではないが、その伏線、あるいは人間の、そして文明の根源的なファクターとして意図的に組み込まれているように思える。その一方で、類い稀なる技によって精緻な画面を作り上げるためにストイックに制作に向うモーリッツは、唯一ミューズの神に魂を捧げた人間であり、その代償として人間的な欲望を犠牲にしているのだとしたら、それらの性的なイメージは何らかの補償行為とも見えなくもないが、あらぬ詮索かもしれない。

モーリッツの作品において、性的なイメージは常に文明の崩壊とともにあり、その意味では生の本能としてのエロスと死の本能としてのタナトスが同居していると言える。また、崩壊後の文明を描いた作品の中に、原始的な生活を営む人間の姿が描き込まれていたりするのだが、それはいわゆる“文明を創造し破壊するという行為そのものが、生物的な進化をやめた人間の選んだ生存活動であるという観点においてある意味で的を得ているかのように思える。つまり文明は常にその反復あるいは回帰という流れの中に置かれており、その意味では絶対的な姿ではなく、時間とともにその意味や価値が失われて行き、新しい価値に取って代わられ、滅亡という運命と辿るのだが、それが絶え間なく反復されるなかで、新しい社会性を構築するとともに、環境への適応性を強化し、人間という種の保存が持続し続けられていくこととなるのである。

「モーターサイクルを所有する若い両性具有者(Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette )」は、前回取り上げた大作「ニューヨーク(New York)」(1982年)よりも10年早い1972年に制作された作品であるが、そのエキセントリックな主題が性的タブーを匂わせるためであろうか、作品としての人気は高くないようである。モチーフとなった両性具有者(エルマフロディット/Hermaphrodite)の語源は、ギリシア神話に登場する青年神で、文化英雄的存在でもあったヘルメースと愛と美と性を司るギリシア神話の女神アプロディーテーとの間に生まれた美少年ヘルマプロディートス(Hermaphroditus)で、ニンフのサルマキスに恋され、強制的に一身同体にされた話で知られるが、キリシャ彫刻やその後の芸術作品において、豊かな乳房を持った少年、あるいは男根を持った女性などの形で表現されている。ウィキペディアなどによれば、“原初の世界において人間が両性具有であったとする神話は世界各地に存在しており”、“陽と陰、男と女といった対立的にして補完的なものの調和を重視する陰陽思想などに基づいて、両性具有(半陰陽)を理想的な性別のあり方とする考え方もあった”とある。

その両性具有者と文明の利器であるモーターサイクル-最新のというよりは若干レトロな雰囲気を感じさせる-との組み合わせには何かしらエロティックなものを感じさせなくもないが、それを古代の移動手段である馬と捉えれば、モーリッツ特有のアナクロニスティックな場面設定による神話の一場面、生まれ育った環境に飽き、(自由を求め?)各地を旅するヘルマプロディートスの姿を描いたものとして見ることも出来るのではないだろうか。そのヘルマプロディートス以上に目を引くのが、丘の上に横たわる恐竜を思わせる巨大な頭蓋骨であるが、道路脇の茂みにはその子孫であるトカゲが一匹こちらを向いているのが見える。それは見る者の時間感覚を混乱させもするが、大いなる時間の経過を示すとともに、文明の末路を暗示するかのようでもある。現代のヴィジョネアー(visionnaire)たるモーリッツらしい解釈と言えようか。モーリッツは2007年にもモーターサイクルをモチーフとする作品「Perdus en Egypte(Lost in Egypte)」(図版1参照)を制作しているが、この作品は聖家族の「エジプトへの逃避(Fuite en Egypte/Flight into Egypt)」(「マタイ福音書」の第2章)を下敷きにしたものであり、ここでは驢馬をモーターサイクルに置き換えている。両者を見比べると、馬と驢馬、それぞれの特徴をよく捉えた選択がなされているのが分かる。

この作品の成立の背景には1969年に公開された二つの映画があるのかもしれない。ひとつはフェデリコ・フェリーニの映画『サテリコン(Satyricon)』で、ヘルマプロディートスはそこでは身体の弱い子供のような神として描かれている。もうひとつは、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマの代表作『イージー・ライダー(Easy Rider)』で、全編を通してモーターサイクルが自由の象徴として重要な役割を担っている。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette
●サイズ:375x288mm(プレートマーク:237x177mm)
●技法:Burin et pointe sèche
●限定:69
●紙質:B.F.K. Rives
●制作年:1972
●目録番号:Natiris p56( K.40 )
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この年にモーリッツは興味深い作品を何点も制作しているので、その題名を記しておく。個人的には『Planche où je suis perdu]』(K.46)が好みの作品なのだが、手放してしまい、今は手元にない:

●Héros attaqué par 36 personnages(K.39)
●Triomphe de César(K.41)
●Le Départ des invités(K.42)
●C'est arrivé chez l'antiquaire (K.44)
●Planche où je suis perdu(K.46)
●La poursuite continue(K.49)


図版:

1.
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参考文献:

Mohlitz Gravures et Dessins 1963 - 1982, Éditions Natiris, Paris, 1982
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by galleria-iska | 2014-11-21 17:51 | その他 | Comments(0)
2014年 11月 13日

フィリップ・モーリッツの銅版画「New York」(1982)

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先日、フランスのパブリック・オークションの情報サイトを見ていて驚いた。フランスのボルドーで活動を続ける銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)の過去に出品された作品がリストアップされていたのだが、モーリッツが1982年に制作した大型の作品「New York」に、日本円にして50万円近い、3500~4000ユーロという落札予想価格(estimate)が付けられていたからである。実際にいくらで落札されたかは登録しないと分からないのだが、いつの間にそんなに高い評価に変わっていたのだろうか。そのこと自体はモーリッツにとって決して悪いことではないし、彼の作品を高く評価していることの現われであるので、彼のファンのひとりとしては喜ばしいことなのだが、果たして客観性のある評価なのであろうかと思ってしまった。モーリッツほどの版画の名手はそれほど多くいるわけではないが、ある意味でアナクロニスム的な表現方法は、広く一般に受け入れられるものではなく、一部の銅版画愛好家に受け入れられるに留まっている。

この作品は他の多くの作品同様、モーリッツ自身が版元になっており、制作から15年以上経った後でも、僅かしか売れておらず、摺刷数の少ない雁皮刷りのものでさえ未だ半数以上残っていたのである。2000年頃のパリの画廊(Galerie Michèle Broutta S.A.) での小売価格は8000フラン(約16万円)ぐらいだったと思うので、実質3倍以上の上昇と言える。10数年の間に、モーリッツ自身の手持ちは全部売れてしまったのだろうか、それとも供給を止めてしまっているのだろうか。その当時日本でこの作品を所有していた蒐集家は少なくとも20人はいたのではないかと思われるが、売り切れということなら、さらに多くなるであろう。

モーリッツがこの作品を制作したのは1982年であるが、その年、アメリカ合衆国政府は巨額の財政赤字を抱え、その凋落ぶりがはっきりした年である。一方、世間の喧騒を離れ、ルドンやブレダンといった先達に倣い、ボルドーでひとり制作を続けていたモーリッツの技量はまさにその頂点にあり、それまでに創り上げてきた独自の作品世界の集大成とも云える作品を完成させた。それがこの「ニューヨーク」である。モーリッツはこの年、ニューヨークのジョン・セーケ画廊(John Szoke Gallery)での展覧会『The Surrealist Tradition』に出品しており、この作品はそれに向けて制作されたものかもしれない。作品を制作するにあたり、モーリッツが何か政治的な意図を込めたとは思えないし、予言的なものともしていない。あくまでもヴィジョンであり、フィクションであるからである。それは時代設定を見えれば自ずと理解される。モーリッツのメカニカルなものへの志向は幾つも作品で示されているが、ここでも1930年代に出現する三発低翼単翼機や蒸気機関車などを描き入れており、建造物の装飾などもレトロ感が漂っている。しかしながら、全くの作り事だけでは現実味を創出できないので、モーリッツは見る者にニューヨークを想起させるものを幾つか描き入れている。ひとつは画面右上に見えるこの街を象徴する自由の女神像で、画面中央にはニューヨーク・セントラル鉄道の起点となるグランドセントラル駅、そしてその手前はニューヨーク港であろうか。鳥瞰図のような視点で描き出されたその姿は現代文明を象徴するニューヨークの街の崩壊後の姿を描いているのだが、植物があちこちに枝を伸ばし葉を茂らせており、密林の中から発見された遺跡を眺めているかのようでもある。そのSF的な斬新な構図は、1968年に公開されたフランス人作家原作のSF映画『猿の惑星(Planet of the Apes) 』の衝撃のラストシーンとどこかで繋がっているのではないかという気にもさせるが、モーリッツの作品にある種の郷愁のようなものを感じてしまうのは、モーリッツが上記のようなアナクロニズム的な視点を持ち込んでいるからであろう。

この作品をモーリッツが1978年に完成させた傑作「塔(La tou)」と比べると、ビュランによるものとは思えない、まるで浮世絵版画の毛彫りのように細く彫られた繊細で精緻を極めた描線が、円熟味を増すにつれ、印影が強く濃いものに変わっていくのが分かる。その結果、画面全体のコントラストが高められ、ドラマチックな画面に変貌していくのだが、反面、モーリッツの画面と特徴であった極めて微視的な描写力の持ち味が失われてしまったように思う。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:New York
●サイズ:506x450mm(イメージ:407x345mm)
●技法:Burin
●限定:120
●紙質:B.F.K. Rives
●発行:Philippe Mohlitz, Bordeaux
●制作年:1982
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参考文献:

「Mohlitz - Gravures et Dessins 1963-1982」Editions Natiris, 1982, p.119
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by galleria-iska | 2014-11-13 22:14 | その他 | Comments(0)
2014年 10月 23日

永井一正のチラシ「The Nippon Posters」(2014)

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前の日曜日に半年振りに美術館に行ってきた。と言っても、企画展を観るためではなく、調べたいことがあり、図書室で資料を閲覧させてもらうためであったのだが。用が済み、展覧会の案内コーナーをぶらぶらしていると、日本を代表するグラフィックデザイナーの永井一正(Kazumasa Nagai,1929-)氏らしきデザインのチラシが目に付いたので、他のチラシとともに一部頂いてきた。家に帰って確かめると、やはり永井一正氏のデザインであった。大阪から京都の太秦に移転したdddギャラリー(註1)の開館記念展として開催中の『The Nippon Posters』の案内用に作られたものであるらしい。
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尾形光琳の“紅白梅図屏風”に描かれた水の流れを彷彿させもするが、誰か別人の原画をもとにしているのだろうか、紅葉舞う川のほとりに日本を象徴する菊の花を手に腰掛ける一匹の猿(日本人の象徴であろうか)を描いたもので、川上から川下に向って、亀倉雄策、早川良雄、山城隆一、中村誠、瀧本唯人、木村恒久、永井一正...と戦後のグラフィックデザイン黎明期から今日まで日本のグラフィックデザインを牽引してきたポスター作家たちの名が順に記されている。チラシとは言え、フルカラー印刷に金色や朱色の特色印刷を加え、なかなか凝った印刷である。デザインの意図は、展覧会の趣旨が“日本独特のグラフィックデザイン表現と伝統文化との関連性に焦点をあてる”とあるように、日本美術の中にあるデザイン的特質を、1988年頃から始まる永井氏の動物シリーズのデザイン・コンセプトの中で表現したものとなっている。

展示されるポスターは、DNPグラフィック・デザインアーカイブ収蔵作品の中から選ばれた、故田中一光氏、永井一正氏、横尾忠則氏をはじめとする133点である。亀倉雄策氏の東京オリンピック第一号ポスターも出品されているようである。京都にはもう何年も行っていないので、この機会にいちど出かけてみたいと思うのだが...。

●作家:Kazumasa Nagai(1929-)
●種類:Flyer
●サイズ:297x210mm(A4)
●技法:Offset
●発行:ddd Gallery(DNP Foundation for Cultural Promotion)
●印刷:Dai Nippon Printing Co., Ltd
●制作年:2014
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註:

1.大日本印刷株式会社(DNP)の創立130周年記念事業のひとつとして設立された公益財団法人DNP文化振興財団の関連事業のひとつとして、関西での展示事業を行なっている
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by galleria-iska | 2014-10-23 18:44 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 26日

サルバドール・ダリの挿絵本案内「Les Chants de Maldoror」(1974)

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前回取り上げたジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)と同様、サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali, 1904-1989)もまたスペインのカタルーニャ地方の出身である。1927年にパリに出たダリは、一足先にパリに来ていたミロの紹介でピカソやシュルレアリストたちと出逢い、ブルトンが『シュルレアリスム第二宣言』を出版する1929年、シュルレアリスムの画家として華々しく登場する。その衝撃は、ブルトンをして「ダリの出現によって、はじめて精神の窓が思いきり広く開かれ、荒々しい青空の罠に向って、自分が滑空しているように感じられるのだ。」と言わしめる程、大きなものであったようだ。当初はおとなしくブルトンに付き従っていたダリだが、そんな時期は長続きせず、幾つもの傑作をものにし、名声が高まるにつれ、自ら発見した“偏執狂的批判方法”(註1)がシュルレアリスムの自動記述や夢の記述といった受動的な技法よりも能動的で優れており、自分こそが真のシュルレアリストであると公言したことから、ブルトンの逆鱗に触れ、1938年にグループから除名される。一方、ダリ自身は除名されなかったと主張していることから、ダリは決してシュルレアリスムを裏切ったわけではなく、自らシュルレアリスムを演じ続けたのかもしれない。

1929年から1933年にかけて、「欲望の適応」(1929年)、「記憶の固執」(1931年)、「見えない男」(1929-1933年)といったシュルレアリスム絵画の傑作を次々に生み出したダリは1933年、スイスの出版人アルベール・スキラの依頼を受けたピカソに代わって、19世紀後半のパリに現れた夭折の詩人ロートレアモン伯爵(Le Comte de Lautréamont)(註2)こと、イジドール・リュシアン・デュカス(Isidore Lucien Ducasse, 1846-1870)作の『マルドロールの歌(Les Chants de Maldoror)』の挿絵を描くこととなる。

個人的なことを言えば、学生時代を美術館も画廊も洋書店もない田舎で過ごしたので、ダリが版画を制作しているとは知る由もなかった。前に書いたことがあるが、1975年に名古屋のオリエント・ギャラリーで開催された『不死の十法』展を観に行き初めて知った次第。『不死の十法』はミックスド・メディアによる作品であったが、ダリの版画と言えるドライポイントで制作された部分は、緻密さとリアルを追求した絵画とあまりに掛け離れており、それがダリの版画制作に対する独自の姿勢だったのかもしれないのだが、これがあのダリの版画なのかと目を疑ってしまった。一方、レーザーで版を制作した部分は、ダリによるものではなかったようなのだが、こんな細かな描写が可能なのかと感心した。その後もずっとダリの版画は別人によるものではないかと、疑い続けていたのだが、1980年代になってようやく自分が求めていたものと合致するものがあることを知った。それが『マルドロールの歌』のための挿絵であった。幾つか手に入れたいと思ったものもあったので、何度かオークションにも参加したのだが、現物を手に取って見たことがなく、また1934年版と1974年版との区別が付かず混乱していたため、それほど熱くなれず終わってしまった。

『マルドロールの歌』の衝撃性はダリの霊感を大いに刺激したことは間違いなく、結果、ダリの絵画を大きく発展させたのだが、『マルドロールの歌』の挿絵として生み出された数々のイメージは、詩句には無関係なものがほどんどで、ダリの当時の絵画のモチーフと重なるものが幾つも見られる。スキラ(Albert Skira, Paris)によって1934年に出版された『マルドロールの歌』は、当初予定された210部のうちの100部のみで、銅版画で制作されたダリの挿絵30点と12点のカットが添えられた。残りの100部は、スキラの版を購入したダリの長年の友人で出版者のピエール・アルジレ(Pierre Argillet, 1910-2001))によって1974年、42点と後に発見された未採用の2点を加えた44点入りの挿絵本に50点の署名入りスイートを付けた豪華版として出版された。この小冊子はその案内用として作られたものらしく、1974年版の挿絵全44点(註3)を収録している。小冊子とは言え、画集に掲載される図版よりもずっと印刷の質が高く、資料として十分活用できる。

●作家:Salvador Dali(1904-1989)
●種類:Booklet
●サイズ:235x160mm
●技法:Offset
●発行:Argillet, Paris
●印刷:Étienne Et Christian Braillard、Genève
●制作年:1974(?)

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註:

1.古典や哲学、政治、思想、精神分析、はたまた最新の科学的知見を盛り込んだエキセントリックな言説や奇行を繰り返したダリであるが、自身が、実際の現実よりも、“自分自身の妄想や幻覚を現実と思いこむ狂人の症状”を発現する偏執狂的な資質の持ち主であったことから、自ら発見した“偏執狂的批判方法”によって、二重像、三重像のトリックを使った作品を次々に生み出したのだった。

2.ロートレアモンは『マルドロールの歌』を1869年に完成し、ベルギーで自費で印刷し発表しようとしたが、出版者であるアルベール・ラクロワ(Albert Lacroix )がしり込みし、出版には至らなかった。実際に出版されたのはロートレアモンの死後4年経った1874年のことである。出版者は、第二帝政の政治難民で、ブリュッセルに出版社と書店を開いたジャン=バプティスト・ロゼ(Jean-Baptiste Rozèz)であり、彼はラクロワから埋もれたままでいたオリジナル版を買い取り、新しい表紙を付けて出版したのだが、売れ行きは芳しくなかった。1885年、ベルギーの文芸復興を目指し、文芸誌『若きベルギー(Le Jeune Belgique, 1881-1897)』を創刊した詩人マックス・ワレル(Max Waller, 1860-1889)らが発見し、ペラダン(Péladan)やユイスマンス(Huysmans)、レオン・ブロイ(Léon Bloy)といった友人の作家に広まる。その評価が高まる中、1890年にパリの出版社ジュノンソー(Genonceaux)よってようやく母国フランスで出版される。1917年、詩人のフィリップ・スーポーがパリのラスパイユ大通り(Boulevard Raspail)の書店から1874年版を購入、その発見を"For me and my fellow poets André Breton, Louis Aragon, Paul Eluard and Robert Desnos, to name only the biggest, the Chants de Maldoror represent a turning point for the French literature alongside the poems of Arthur Rimbaud. "と語っている。そしてシュルレアリスムのあるべき姿を予言した“ミシンとこうもり傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しい”という一節の衝撃性を持って、シュルレアリストたちの霊感源の一つとなり、ロートレアモンをシュルレアリスムの先駆者と捉えることとなり、ブルトンが『マルドロールの歌』をシュルレアリスムの聖書としてメンバーに読ませたことにより、詩や絵画の想像の限界を大きく広げることとなった。

3.1994年にプレステル社(Prestel-Verlag, München)から刊行されたダリの版画カタログ・レゾネ第一巻(Salvador Dali Catalogue Raisonne of Etchings and Mixed-Media Prints 1924-1980)には、1934年版の別刷りセットつき42点に、新たに発見された2点を加えた44点が記載されている。



参考文献:

1.「ダリと本-Dali y los Libros」エドゥアルド・フォルネス、ジョルディ・オリベレス編、メディテラニア出版社発行、1987年
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マルドロールの唄(Les Chants de Maldoror)についての説明文
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by galleria-iska | 2014-09-26 20:05 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 16日

ジョアン・ミロの装丁「Joan Miró - Fotoscop」(1975)

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1893年、現在再びスペインからの分離独立の機運が高まっているカタルーニャ地方の中心都市、バルセロナに生まれたジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)は、周知のように、アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896-1966)を初めとするシュルレアリスムの作家や画家たちとの交流を通して独自の作品世界を構築した20世紀スペインを代表する画家、彫刻家、版画家であるが、自身の画集や展覧会図録を初め、シュルレアイリスム関連の詩集や雑誌などの装丁も数多く手掛けている。中でもシュルレアリスムの作家の著作を数多く出版しているパリのサジテール出版(Éditions du Sagittaire, Paris, 1919-1979)(註1) から1953年に限定出版されたブルトンの随筆集『野の鍵(La Clé des champs )』の装丁は、ミロならではの無邪気さとユーモアが横溢するものとなっており、興味深い。

ミロの装丁に関しては二種類のものがある。ひとつはリトグラフや木版画といった版画技法を用いて制作されたもので、こちらについてはスイスの出版社パトリック・クラメール(Patrick Cramer, Publisher)から1989年に出版されたミロの挿絵本の目録「Joan Miró The Illustrated Books」が詳しい。もうひとつは、ミロが水彩などで直接描いたもので、このブログでも以前取り上げたアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)の写真集『ヨーロッパ人( Les Européens)』( Éditions Verve, Paris, 1955)や 上記の『野の鍵』のように、見所のあるものもあるのだが、纏まった形での紹介は未だないようである。

この作品集は、1970年にスペインの出版社で版元のポリグラファ(Poligrafa, SA, Barcelona )から出版された、展示風景を写真に収めたものをもとに構成された珍しい形の作品集「ミロ(Miró)」のスウェーデン語版「Joan Miró - Fotoscop - Det visuella språket」(Cramer,No.209)として、1975年に出版されたもの。制作はバルセロナの出版社ポリグラファ(Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona)で、出版元は、スウェーデンの南の端にある都市マルメ(Maimö)で世界各地の著名な作家の紹介と版画の出版を行なっているボルイェソン画廊(Galerie Börjeson)である。スウェーデン語版は限定500部の小部数出版で、ミロがこの作品集向けに制作したオリジナル・リトグラフ(M.938)が一葉挿入されている。

●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Cover art
●題名:Joan Miró - Fotoscop - Det visuella språket
●サイズ:207x613mm
●限定:500
●技法:Offset
●制作:Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona
●出版:Galerie Börjeson AB, Maimö
●制作年:1975
●ミロ挿絵本目録:Cramer, No.209

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画集に挿入されたミロのオリジナル・リトグラフ(版上サイン入り)
●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Print
●題名:Joan Miró. Fotoscop
●サイズ:198x397mm
●技法:Lithograph
●限定:1500(of which 500 copies were folded in two for inclusion in the book)
●紙質:Guarro
●印刷:Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona
●出版:Galerie Börjeson AB, Maimö
●目録番号:M.938
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ポスターの展示風景


註:
1.1919年創業のサジテール出版は創業者の名を取って、Éditions Simon Kra, Éditions S. Kra, Éditions Kraとも呼ばれ、1924年にアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言。溶ける魚(Manifeste du surréalisme. Poisson soluble)』、1930年に『シュルレアリスム第二宣言(Second Manifeste du Surréalisme )』、そして1946年には『シュルレアリスム第三宣言か否かの序(Les Manifestes du Surréalisme. Suivis de Prolégomènes à un troisième Manifeste du Surréalisme ou non)』の出版を手掛けている。うち『シュルレアリスム宣言。溶ける魚(Manifeste du surréalisme. Poisson soluble)』の出版名義はサジターレ/シモン・クラ出版(Éditions du Sagittaire Simon Kra)で、『シュルレアリスム第二宣言(Second Manifeste du Surréalisme )』の出版名義はクラ出版(Éditions Kra)となっている。
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by galleria-iska | 2014-09-16 20:37 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 08日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「Le Bain Turc II」(1973)

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日本をオイルショックが襲った1973年にパリのベルクグリュン画廊から出版されたパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)の5点のリトグラフからなる連作版画「Suite d'Ingres」は、19世紀フランスの新古典主義絵画を代表する画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres, 1780-1867)の作品「ルブラン夫人の肖像」」「トルコ風呂」「ベルタン氏の肖像」の翻案として制作されたもの。アングルが晩年の1862年に、裸婦とオリエントをテーマに描いた官能的な作品「トルコ風呂(Le Bain Turc)」(註1)については、三つの異なる解釈がなされており、ヴンダーリッヒ芸術の根幹をなす“メタモルフォーズ(変容)”の格好の例証となっている。そのひとつが、この「トルコ風呂 II(Le Bain Turc II)」で、他の二作品と同様、ヴンダーリッヒはアングルの「トルコ風呂」のハイライトともいえる前景部分を引用し、1960年代初頭のパリ滞在中にデジョベール工房(Desjobert)で習得し、自家薬籠中の物とした、ラヴィ(lavis)と呼ばれる、微妙な半調子や諧調,細かな皺模様を出せるリトグラフの技法を、背中向きでリュートらしき楽器を奏でる裸婦(背中向きの裸婦像はアングルが到達した究極の美の表現とも言える)に用い、画面に独特な表情を与えることで、ヴンダーリッヒ独自の作品と化している。

版元となったパリのベルクグリュン画廊(Berggruen & Cie)の1974年の販売カタログ〈Maitres-Graveurs Contemporains 1974〉によると、この作品の当時の販売価格は2000フランで、日本円に換算すると約134000円(1F=67円で換算)であった。この価格は当時のヴンダーリッヒの作品のなかでは最も高価な部類に入るのだが、すぐに売り切れてしまったようで、1976年の販売カタログには掲載されておらず、その後ずっとコレクター垂涎(?)の作品として捜し求められた作品である。バブル時代に知り合いのドイツ人画商からヴンダーリッヒ氏本人から《e.a.》版を約60万円で分けてもらったと聞いたことあるが、今はその十分の一ぐらいの価格になってしまった。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Print
●題名:Le Bain Turc II, plate 3 from the《Suite d'Ingres》
●サイズ:655x505mm
●技法:Lithograph
●限定:75 + 11 e.a. + 9 e.e.
●出版:Berggruen & Cie, Paris
●印刷:Desjobert, Paris
●制作年:1973
●目録番号:R. 473

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註:

1.
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図版:アングルの「トルコ風呂」1862年。もとは長方形の画面であったが、アングル本人が1863年に円形に変えた。クールベに描かせた「世界の起源」同様、オスマン帝国の元外交官でパリに定住していたエロチック絵画のコレクターであったハリル・ベイの所有であったが、現在はルーヴル美術館に所蔵されている。
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by galleria-iska | 2014-09-08 20:10 | その他 | Comments(0)
2014年 07月 31日

長谷川潔のアクアチント「Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes 」(1944~45)

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メゾチント(マニエール・ノワール)を復活させ、ビュランの名手でもあった長谷川潔(Kiyoshi Hasegawa, 1891-1980)は、アクアチントでも代表作とも言える傑作をものにしている。そのひとつが、第二次世界大戦終結直後の1945年10月にフランス西部の都市アンジェのジャック=プチ出版(Éditions Jacques-Petit, Angers)から290部限定で出版された版画集『銅版画(Le Gravure sur Cuivre)』所収の「花:切子ガラスに挿したアネモネと草花(Fleurs:Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes )」である。1991年に京都国立近代美術館の収蔵品目録[III]として刊行された『長谷川潔』所収の年譜によると、
1945年(昭和20年)-54歳、フランス現代作家5名とともに各自異なる技法による銅版画を制作し、国立図書館版画部のアデマル(Jean Adhémar)の紹介文を付した限定版画集『銅版画("Le Gravure sur Cuivre")』第1巻がアンジェ(Angers)のジャック・プチ(Jacques Petit)書房から出版されたが、独伊敗戦の結果同胞とともにパリの中央監獄及びドランシイの収容所(Camp de Drancy)に次々に収監され、版画集も収容所で署名する。病弱の身体で苦難を味わうが、フランス知人有力者の尽力により約1ヵ月後無事出所する。7月に帰宅後も、ある期間警察に出頭、絶えず看視される生活を続け、心身ともに疲労しほとんど制作を停止する。
とある。第二次世界大戦の最中に企画されたこの版画集、6人の作家がそれぞれ得意とする銅版画の技法を活かした表現-長谷川潔のレース模様をそのまま銅版に写し取ったかのような背景表現は未だに謎に包まれているという-を行なっているのだが、ナチス・ドイツの収奪と戦禍によって経済が疲弊したフランスにおいて、いったいどれほどの部数が売れたのであろうか。

●作家:Kiyoshi Hasegawa (1891-1980)
●種類:Print
●サイズ:250x185mm
●フォーマット:380x280mm
●ポートフォリオ:391x290mm
●題名:Fleurs(Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes)
●技法:Aquatint
●紙質:Marais
●限定:290(註1)
●発行:Editions Jacques-Petit, Angers
●制作年:1944~45
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                      イメージ部分
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                 長谷川潔の版上サイン

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版画集『銅版画(Le Gravure sur Cuivre)』の書影。この版画集は、オリジナル版画入りの豪華限定本のシリーズの第1巻として刊行されたもので、ロベール・カミ、ルネ・コッテ、アルベール・デカリス、ロベール・ジャニソン、長谷川潔、ポール・ルマニによる6点の銅版画が収められている。銅版画の印刷は"Le Blanc" と "Delahaye"で行なわれた。当事パリの国立図書館版画部のキュレーターであったジャン・アデマールが銅版画の技法と作家の紹介を行なっている。作家名、作品名、技法は以下のとおり:

1. ロベール・カミ(Robert Cami)........................"Nu", pointe sèche
2. ルネ・コッテ(Rene Cottet).........................."Cyprès de la Villa Adriana", eau-forte
3. アルベール・デカリス(Albert Decaris).............."Apollon et Marsyas", burin
4. ロベール・ジャニソン(Robert Jeannisson)........."La Madela", eau-forte et burin
5. 長谷川潔(Kiyoshi Hasegawa)....................."Fleurs", aquatinte
6. ポール・ルマニ(Paul Lemagny)....................."Moissonneurs", burin

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註:

1.290部の内、最初の50部には決定段階の刷りとリーヴ紙に刷られ作家が署名を入れた第一段階(premier état=first state)の刷りが入っている。長谷川潔の作品について言えば、第一段階には版上サインが入っていない。
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by galleria-iska | 2014-07-31 20:08 | その他 | Comments(0)
2014年 07月 17日

菅井汲のリトグラフ「L'Homme」 & 「La Femme」(1960)

第二次世界戦後のパリを拠点に活動を行なった「新エコール・ド・パリ」呼ばれる抽象系の作家の花形として、1950年代には既に一定の評価を得ていた菅井汲(Kumi Sugai, 1919-1996)は1960年、それまでにリトグラフ工房で習得した制作技術に磨きを掛けるためであろうか、自前のプレス機をパリのアトリエに設置、自身のための作品作りを行なう。菅井はこの年、自らが版元となって8点のリトグラフと1点のエッチングを制作しているのだが、その内7点までがフォーマットが約320x220mmの小品である。

ここで取り上げるのはその内の2点で、「男(L'Homme)」と「女(La Femme)」という、菅井が1957年に既に一度制作したことのある主題であるが、1957年のものと比べると、絵画的な具象性が弱まり、能書的な抽象化が進んでいる。菅井は1950年半ば過ぎから、男性器や女性器を、日本の書の筆触を想起させる抽象表現主義風の手法を用い、情念のようなものを孕みつつも、記号化された形象として数多く描いている(註1)。菅井をこのような主題に向わせた理由は、内々では語られていたのであろうが、議論の俎上に上ることはあまりなく、またエロティシスムを無意識や夢と同様、運動の出発点として捉えていたシュルレアリスムとの関係性についも、同年出版された版画集「デッサン(Dessins 1957-1960)の序文を執筆したシュルレアリスムの作家アンドレ・ピエール・マンディアルグ(André Pieyre de Mandiargues, 1909-1991)とのつながりにおいて論ずる余地は多分にあると思われるのだが。そのシュルレアリスムの活動拠点である国際都市パリにおいては、旧い観念からの脱却を目指すためのスキャンダラスとも言える創造行為が称揚されていたことは1959年に開催された「シュルレアリスム国際展」のテーマが“エロス”であったことからも窺い知ることができる。菅井はシュルレアリスムのそのような観点に着目し、一義的な意味が剥ぎ取られた、性的な表意性が背景に退いた後に残る純粋な形態に見る者の関心を向わせるという方法論によって自らの表現を確立しようとしたのではなかったのだろうか。

二点のリトグラフは同時期に制作されたものではあるが、菅井はそれらを一対の作品として見られぬよう、紙質も限定数も変えている。

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●作家:Kumi Sugai(1919-1996)
●種類:Print
●題名:L'Homme
●サイズ:153x110mm
●フォーマット:315x215mm
●技法:Lithograph
●限定:50
●紙質:B.F.K. Rives
●出版:Kumi Sugai, Paris
●刷り:Kumi Sugai, Paris
●制作年:1960
●目録番号:Hara #50
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●作家:Kumi Sugai(1919-1996)
●種類:Print
●題名:La Femme
●サイズ:153x110mm
●フォーマット:317x217mm
●技法:Lithograph
●限定:75
●紙質:Arches
●出版:Kumi Sugai, Paris
●刷り:Kumi Sugai, Paris
●制作年:1960
●目録番号:Hara #51
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註:

1.菅井の1960年代後半から始まるジオメトリックな方向性を評価していた美術評論家の針生一郎(Ichirō Hariu, 1925-2010)氏はカリグラフィックな様相を見せる画面には批判的であったようで、後に「わたしは絵具を塗りかさねた上をひっかき、黒い大まかな筆触がライト・モチーフを形づくる当時の画面に、炉辺閑話のような日本のフォークロアへの固執と、性的なイメージの暗示を感じて、情緒的な閉鎖性を指摘したことがある。」と現代版画センターの月刊機関紙である「版画センターニューズ」(No.58,1980年6月刊)所収の“現代日本版画家群像 第6回『菅井汲と泉茂』”の中で述べている。
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by galleria-iska | 2014-07-17 13:24 | その他 | Comments(0)
2014年 07月 06日

ジャン・アルプの木版画「Soleil Recerclé」(1966)

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ダダイスムの提唱者のひとりで、シュルレアリスム運動にも深く関わった彫刻家、画家、版画家、詩人のジャン・アルプ(Jean Arp, 1886-1966)の生まれ故郷であるアルザス地方は、古くから交通の要衝として栄え、また豊富な鉱物資源の獲得を巡り、ドイツとフランスとの間で何度も領有権が争われた。現在はフランスの領土となっている。1886年、ドイツ人の子として“街道の街”という意味のアルザス地方の中心都市シュトラースブルク(Straßburg、仏名:ストラスブール)に生まれたアルプの本名はハンス・アルプ(Hans Arp)であるが、1926年にナチス・ドイツに反対してフランス人となり、1940年以降はジャン・アルプと名乗るようになった。アルプは1912年、最初の木版画である「自画像」を表現主義風のスタイルで制作するが、すぐに抽象に向い、その姿勢は亡くなる1966年まで続く。今回取り上げる作品は、シュルレアリスムの作家の詩画集や版画集を手掛けたパリのルイ・ブロデ出版(Louis Broder Éditeur, Paris)から1966年に刊行された詩画集『たがをはめ直された太陽(Soleil Recerclé)』所収の2葉である。十数年前に、ニューヨーク市の美術専門の古書店でばら売りされているのを見つけ、購入したものである。

アルプとルイ・ブロデ出版とのコラボレーションは1956年、設立間もないルイ・ブロデ出版から刊行されたポール・エリュアールの詩集『Un poème dans chaque livre』のための挿絵を一点、モノクロの木版画で手掛けたことに始まる。アルプはその後も詩画集や版画集の制作に参加するが、彼らが残した最大の成果は、アルプ自身の詩集『たがをはめ直された太陽(Le Soleil Recerclé)』であろう。アルプはこの詩集のために20点の木版画を制作している。限定部数は185部で、それとは別に、署名とナンバー入り木版画13点からなる限定60部の版画集も同時に刊行されている。この詩画集の計画時期は定かではないが、アルプは1962年頃から、木版画を制作するに不可欠な、フラットに彩色された紙によるコラージュや同様の彩色を施した木によるレリーフ(図版1,2参照)を制作し、アルプ独特の簡明で有機的な形体による構成を試している。それらを取り上げた展覧会が数年前にニューヨーク市の画廊で行なわれていたことを最近知った。

●作家:Jean Arp(1886-1966)
●種類:Woodcut
●題名:Soleil Recerclé(Page 27)
●サイズ:345x325mm(Format:480x383mm)
●技法:Woodcut
●限定:185(1-150, I-XX, HC)
●発行:Louis Broder Éditeur, Paris
●制作年:1966
●目録番号:Arntz 258(註1)
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●作家:Jean Arp(1886-1966)
●種類:Woodcut
●題名:Soleil Recerclé(Page 43)
●サイズ:270x215mm(Format:480x383mm)
●技法:Woodcut
●限定:185(1-150, I-XX, HC)
●発行:Louis Broder Éditeur, Paris
●制作年:1966
●目録番号:Arntz 262
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図版1:彩色された木によるレリーフ『De continent qui aurait...』1964年~1966年、370x345m
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図版2:彩色された紙によるコラージュ『Gondelor et ses petits...』1962年~1966年、272x213mm




註:

1.アルプの版画作品のカタログ・レゾネは単独では刊行されておらず、ドイツ人の法律家で、20世紀美術の専門家・研究家、またドイツ表現主義のコレクターでもあったヴィルヘルム・フリードリッヒ・アルンツ(Wilhelm Friedrich Arntz (1903-1985) によって編纂され、1974年にドイツの出版社《Verlag Gertrud Arntz-Winter, Haag/Oberbayern》から刊行された『Bibliographie der Werkkataloge zur Kunst des zwanzigsten Jahrhunderts』に他の作家と共に収められている :
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                    『Soleil Recerclé』の図版
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                    同上
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by galleria-iska | 2014-07-06 21:00 | その他 | Comments(0)