ガレリア・イスカ通信

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2014年 11月 13日

フィリップ・モーリッツの銅版画「New York」(1982)

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先日、フランスのパブリック・オークションの情報サイトを見ていて驚いた。フランスのボルドーで活動を続ける銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)の過去に出品された作品がリストアップされていたのだが、モーリッツが1982年に制作した大型の作品「New York」に、日本円にして50万円近い、3500~4000ユーロという落札予想価格(estimate)が付けられていたからである。実際にいくらで落札されたかは登録しないと分からないのだが、いつの間にそんなに高い評価に変わっていたのだろうか。そのこと自体はモーリッツにとって決して悪いことではないし、彼の作品を高く評価していることの現われであるので、彼のファンのひとりとしては喜ばしいことなのだが、果たして客観性のある評価なのであろうかと思ってしまった。モーリッツほどの版画の名手はそれほど多くいるわけではないが、ある意味でアナクロニスム的な表現方法は、広く一般に受け入れられるものではなく、一部の銅版画愛好家に受け入れられるに留まっている。

この作品は他の多くの作品同様、モーリッツ自身が版元になっており、制作から15年以上経った後でも、僅かしか売れておらず、摺刷数の少ない雁皮刷りのものでさえ未だ半数以上残っていたのである。2000年頃のパリの画廊(Galerie Michèle Broutta S.A.) での小売価格は8000フラン(約16万円)ぐらいだったと思うので、実質3倍以上の上昇と言える。10数年の間に、モーリッツ自身の手持ちは全部売れてしまったのだろうか、それとも供給を止めてしまっているのだろうか。その当時日本でこの作品を所有していた蒐集家は少なくとも20人はいたのではないかと思われるが、売り切れということなら、さらに多くなるであろう。

モーリッツがこの作品を制作したのは1982年であるが、その年、アメリカ合衆国政府は巨額の財政赤字を抱え、その凋落ぶりがはっきりした年である。一方、世間の喧騒を離れ、ルドンやブレダンといった先達に倣い、ボルドーでひとり制作を続けていたモーリッツの技量はまさにその頂点にあり、それまでに創り上げてきた独自の作品世界の集大成とも云える作品を完成させた。それがこの「ニューヨーク」である。モーリッツはこの年、ニューヨークのジョン・セーケ画廊(John Szoke Gallery)での展覧会『The Surrealist Tradition』に出品しており、この作品はそれに向けて制作されたものかもしれない。作品を制作するにあたり、モーリッツが何か政治的な意図を込めたとは思えないし、予言的なものともしていない。あくまでもヴィジョンであり、フィクションであるからである。それは時代設定を見えれば自ずと理解される。モーリッツのメカニカルなものへの志向は幾つも作品で示されているが、ここでも1930年代に出現する三発低翼単翼機や蒸気機関車などを描き入れており、建造物の装飾などもレトロ感が漂っている。しかしながら、全くの作り事だけでは現実味を創出できないので、モーリッツは見る者にニューヨークを想起させるものを幾つか描き入れている。ひとつは画面右上に見えるこの街を象徴する自由の女神像で、画面中央にはニューヨーク・セントラル鉄道の起点となるグランドセントラル駅、そしてその手前はニューヨーク港であろうか。鳥瞰図のような視点で描き出されたその姿は現代文明を象徴するニューヨークの街の崩壊後の姿を描いているのだが、植物があちこちに枝を伸ばし葉を茂らせており、密林の中から発見された遺跡を眺めているかのようでもある。そのSF的な斬新な構図は、1968年に公開されたフランス人作家原作のSF映画『猿の惑星(Planet of the Apes) 』の衝撃のラストシーンとどこかで繋がっているのではないかという気にもさせるが、モーリッツの作品にある種の郷愁のようなものを感じてしまうのは、モーリッツが上記のようなアナクロニズム的な視点を持ち込んでいるからであろう。

この作品をモーリッツが1978年に完成させた傑作「塔(La tou)」と比べると、ビュランによるものとは思えない、まるで浮世絵版画の毛彫りのように細く彫られた繊細で精緻を極めた描線が、円熟味を増すにつれ、印影が強く濃いものに変わっていくのが分かる。その結果、画面全体のコントラストが高められ、ドラマチックな画面に変貌していくのだが、反面、モーリッツの画面と特徴であった極めて微視的な描写力の持ち味が失われてしまったように思う。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:New York
●サイズ:506x450mm(イメージ:407x345mm)
●技法:Burin
●限定:120
●紙質:B.F.K. Rives
●発行:Philippe Mohlitz, Bordeaux
●制作年:1982
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参考文献:

「Mohlitz - Gravures et Dessins 1963-1982」Editions Natiris, 1982, p.119
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by galleria-iska | 2014-11-13 22:14 | その他 | Comments(0)
2014年 10月 23日

永井一正のチラシ「The Nippon Posters」(2014)

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前の日曜日に半年振りに美術館に行ってきた。と言っても、企画展を観るためではなく、調べたいことがあり、図書室で資料を閲覧させてもらうためであったのだが。用が済み、展覧会の案内コーナーをぶらぶらしていると、日本を代表するグラフィックデザイナーの永井一正(Kazumasa Nagai,1929-)氏らしきデザインのチラシが目に付いたので、他のチラシとともに一部頂いてきた。家に帰って確かめると、やはり永井一正氏のデザインであった。大阪から京都の太秦に移転したdddギャラリー(註1)の開館記念展として開催中の『The Nippon Posters』の案内用に作られたものであるらしい。
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尾形光琳の“紅白梅図屏風”に描かれた水の流れを彷彿させもするが、誰か別人の原画をもとにしているのだろうか、紅葉舞う川のほとりに日本を象徴する菊の花を手に腰掛ける一匹の猿(日本人の象徴であろうか)を描いたもので、川上から川下に向って、亀倉雄策、早川良雄、山城隆一、中村誠、瀧本唯人、木村恒久、永井一正...と戦後のグラフィックデザイン黎明期から今日まで日本のグラフィックデザインを牽引してきたポスター作家たちの名が順に記されている。チラシとは言え、フルカラー印刷に金色や朱色の特色印刷を加え、なかなか凝った印刷である。デザインの意図は、展覧会の趣旨が“日本独特のグラフィックデザイン表現と伝統文化との関連性に焦点をあてる”とあるように、日本美術の中にあるデザイン的特質を、1988年頃から始まる永井氏の動物シリーズのデザイン・コンセプトの中で表現したものとなっている。

展示されるポスターは、DNPグラフィック・デザインアーカイブ収蔵作品の中から選ばれた、故田中一光氏、永井一正氏、横尾忠則氏をはじめとする133点である。亀倉雄策氏の東京オリンピック第一号ポスターも出品されているようである。京都にはもう何年も行っていないので、この機会にいちど出かけてみたいと思うのだが...。

●作家:Kazumasa Nagai(1929-)
●種類:Flyer
●サイズ:297x210mm(A4)
●技法:Offset
●発行:ddd Gallery(DNP Foundation for Cultural Promotion)
●印刷:Dai Nippon Printing Co., Ltd
●制作年:2014
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註:

1.大日本印刷株式会社(DNP)の創立130周年記念事業のひとつとして設立された公益財団法人DNP文化振興財団の関連事業のひとつとして、関西での展示事業を行なっている
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by galleria-iska | 2014-10-23 18:44 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 26日

サルバドール・ダリの挿絵本案内「Les Chants de Maldoror」(1974)

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前回取り上げたジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)と同様、サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali, 1904-1989)もまたスペインのカタルーニャ地方の出身である。1927年にパリに出たダリは、一足先にパリに来ていたミロの紹介でピカソやシュルレアリストたちと出逢い、ブルトンが『シュルレアリスム第二宣言』を出版する1929年、シュルレアリスムの画家として華々しく登場する。その衝撃は、ブルトンをして「ダリの出現によって、はじめて精神の窓が思いきり広く開かれ、荒々しい青空の罠に向って、自分が滑空しているように感じられるのだ。」と言わしめる程、大きなものであったようだ。当初はおとなしくブルトンに付き従っていたダリだが、そんな時期は長続きせず、幾つもの傑作をものにし、名声が高まるにつれ、自ら発見した“偏執狂的批判方法”(註1)がシュルレアリスムの自動記述や夢の記述といった受動的な技法よりも能動的で優れており、自分こそが真のシュルレアリストであると公言したことから、ブルトンの逆鱗に触れ、1938年にグループから除名される。一方、ダリ自身は除名されなかったと主張していることから、ダリは決してシュルレアリスムを裏切ったわけではなく、自らシュルレアリスムを演じ続けたのかもしれない。

1929年から1933年にかけて、「欲望の適応」(1929年)、「記憶の固執」(1931年)、「見えない男」(1929-1933年)といったシュルレアリスム絵画の傑作を次々に生み出したダリは1933年、スイスの出版人アルベール・スキラの依頼を受けたピカソに代わって、19世紀後半のパリに現れた夭折の詩人ロートレアモン伯爵(Le Comte de Lautréamont)(註2)こと、イジドール・リュシアン・デュカス(Isidore Lucien Ducasse, 1846-1870)作の『マルドロールの歌(Les Chants de Maldoror)』の挿絵を描くこととなる。

個人的なことを言えば、学生時代を美術館も画廊も洋書店もない田舎で過ごしたので、ダリが版画を制作しているとは知る由もなかった。前に書いたことがあるが、1975年に名古屋のオリエント・ギャラリーで開催された『不死の十法』展を観に行き初めて知った次第。『不死の十法』はミックスド・メディアによる作品であったが、ダリの版画と言えるドライポイントで制作された部分は、緻密さとリアルを追求した絵画とあまりに掛け離れており、それがダリの版画制作に対する独自の姿勢だったのかもしれないのだが、これがあのダリの版画なのかと目を疑ってしまった。一方、レーザーで版を制作した部分は、ダリによるものではなかったようなのだが、こんな細かな描写が可能なのかと感心した。その後もずっとダリの版画は別人によるものではないかと、疑い続けていたのだが、1980年代になってようやく自分が求めていたものと合致するものがあることを知った。それが『マルドロールの歌』のための挿絵であった。幾つか手に入れたいと思ったものもあったので、何度かオークションにも参加したのだが、現物を手に取って見たことがなく、また1934年版と1974年版との区別が付かず混乱していたため、それほど熱くなれず終わってしまった。

『マルドロールの歌』の衝撃性はダリの霊感を大いに刺激したことは間違いなく、結果、ダリの絵画を大きく発展させたのだが、『マルドロールの歌』の挿絵として生み出された数々のイメージは、詩句には無関係なものがほどんどで、ダリの当時の絵画のモチーフと重なるものが幾つも見られる。スキラ(Albert Skira, Paris)によって1934年に出版された『マルドロールの歌』は、当初予定された210部のうちの100部のみで、銅版画で制作されたダリの挿絵30点と12点のカットが添えられた。残りの100部は、スキラの版を購入したダリの長年の友人で出版者のピエール・アルジレ(Pierre Argillet, 1910-2001))によって1974年、42点と後に発見された未採用の2点を加えた44点入りの挿絵本に50点の署名入りスイートを付けた豪華版として出版された。この小冊子はその案内用として作られたものらしく、1974年版の挿絵全44点(註3)を収録している。小冊子とは言え、画集に掲載される図版よりもずっと印刷の質が高く、資料として十分活用できる。

●作家:Salvador Dali(1904-1989)
●種類:Booklet
●サイズ:235x160mm
●技法:Offset
●発行:Argillet, Paris
●印刷:Étienne Et Christian Braillard、Genève
●制作年:1974(?)

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註:

1.古典や哲学、政治、思想、精神分析、はたまた最新の科学的知見を盛り込んだエキセントリックな言説や奇行を繰り返したダリであるが、自身が、実際の現実よりも、“自分自身の妄想や幻覚を現実と思いこむ狂人の症状”を発現する偏執狂的な資質の持ち主であったことから、自ら発見した“偏執狂的批判方法”によって、二重像、三重像のトリックを使った作品を次々に生み出したのだった。

2.ロートレアモンは『マルドロールの歌』を1869年に完成し、ベルギーで自費で印刷し発表しようとしたが、出版者であるアルベール・ラクロワ(Albert Lacroix )がしり込みし、出版には至らなかった。実際に出版されたのはロートレアモンの死後4年経った1874年のことである。出版者は、第二帝政の政治難民で、ブリュッセルに出版社と書店を開いたジャン=バプティスト・ロゼ(Jean-Baptiste Rozèz)であり、彼はラクロワから埋もれたままでいたオリジナル版を買い取り、新しい表紙を付けて出版したのだが、売れ行きは芳しくなかった。1885年、ベルギーの文芸復興を目指し、文芸誌『若きベルギー(Le Jeune Belgique, 1881-1897)』を創刊した詩人マックス・ワレル(Max Waller, 1860-1889)らが発見し、ペラダン(Péladan)やユイスマンス(Huysmans)、レオン・ブロイ(Léon Bloy)といった友人の作家に広まる。その評価が高まる中、1890年にパリの出版社ジュノンソー(Genonceaux)よってようやく母国フランスで出版される。1917年、詩人のフィリップ・スーポーがパリのラスパイユ大通り(Boulevard Raspail)の書店から1874年版を購入、その発見を"For me and my fellow poets André Breton, Louis Aragon, Paul Eluard and Robert Desnos, to name only the biggest, the Chants de Maldoror represent a turning point for the French literature alongside the poems of Arthur Rimbaud. "と語っている。そしてシュルレアリスムのあるべき姿を予言した“ミシンとこうもり傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しい”という一節の衝撃性を持って、シュルレアリストたちの霊感源の一つとなり、ロートレアモンをシュルレアリスムの先駆者と捉えることとなり、ブルトンが『マルドロールの歌』をシュルレアリスムの聖書としてメンバーに読ませたことにより、詩や絵画の想像の限界を大きく広げることとなった。

3.1994年にプレステル社(Prestel-Verlag, München)から刊行されたダリの版画カタログ・レゾネ第一巻(Salvador Dali Catalogue Raisonne of Etchings and Mixed-Media Prints 1924-1980)には、1934年版の別刷りセットつき42点に、新たに発見された2点を加えた44点が記載されている。



参考文献:

1.「ダリと本-Dali y los Libros」エドゥアルド・フォルネス、ジョルディ・オリベレス編、メディテラニア出版社発行、1987年
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マルドロールの唄(Les Chants de Maldoror)についての説明文
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by galleria-iska | 2014-09-26 20:05 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 16日

ジョアン・ミロの装丁「Joan Miró - Fotoscop」(1975)

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1893年、現在再びスペインからの分離独立の機運が高まっているカタルーニャ地方の中心都市、バルセロナに生まれたジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)は、周知のように、アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896-1966)を初めとするシュルレアリスムの作家や画家たちとの交流を通して独自の作品世界を構築した20世紀スペインを代表する画家、彫刻家、版画家であるが、自身の画集や展覧会図録を初め、シュルレアイリスム関連の詩集や雑誌などの装丁も数多く手掛けている。中でもシュルレアリスムの作家の著作を数多く出版しているパリのサジテール出版(Éditions du Sagittaire, Paris, 1919-1979)(註1) から1953年に限定出版されたブルトンの随筆集『野の鍵(La Clé des champs )』の装丁は、ミロならではの無邪気さとユーモアが横溢するものとなっており、興味深い。

ミロの装丁に関しては二種類のものがある。ひとつはリトグラフや木版画といった版画技法を用いて制作されたもので、こちらについてはスイスの出版社パトリック・クラメール(Patrick Cramer, Publisher)から1989年に出版されたミロの挿絵本の目録「Joan Miró The Illustrated Books」が詳しい。もうひとつは、ミロが水彩などで直接描いたもので、このブログでも以前取り上げたアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)の写真集『ヨーロッパ人( Les Européens)』( Éditions Verve, Paris, 1955)や 上記の『野の鍵』のように、見所のあるものもあるのだが、纏まった形での紹介は未だないようである。

この作品集は、1970年にスペインの出版社で版元のポリグラファ(Poligrafa, SA, Barcelona )から出版された、展示風景を写真に収めたものをもとに構成された珍しい形の作品集「ミロ(Miró)」のスウェーデン語版「Joan Miró - Fotoscop - Det visuella språket」(Cramer,No.209)として、1975年に出版されたもの。制作はバルセロナの出版社ポリグラファ(Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona)で、出版元は、スウェーデンの南の端にある都市マルメ(Maimö)で世界各地の著名な作家の紹介と版画の出版を行なっているボルイェソン画廊(Galerie Börjeson)である。スウェーデン語版は限定500部の小部数出版で、ミロがこの作品集向けに制作したオリジナル・リトグラフ(M.938)が一葉挿入されている。

●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Cover art
●題名:Joan Miró - Fotoscop - Det visuella språket
●サイズ:207x613mm
●限定:500
●技法:Offset
●制作:Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona
●出版:Galerie Börjeson AB, Maimö
●制作年:1975
●ミロ挿絵本目録:Cramer, No.209

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画集に挿入されたミロのオリジナル・リトグラフ(版上サイン入り)
●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Print
●題名:Joan Miró. Fotoscop
●サイズ:198x397mm
●技法:Lithograph
●限定:1500(of which 500 copies were folded in two for inclusion in the book)
●紙質:Guarro
●印刷:Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona
●出版:Galerie Börjeson AB, Maimö
●目録番号:M.938
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ポスターの展示風景


註:
1.1919年創業のサジテール出版は創業者の名を取って、Éditions Simon Kra, Éditions S. Kra, Éditions Kraとも呼ばれ、1924年にアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言。溶ける魚(Manifeste du surréalisme. Poisson soluble)』、1930年に『シュルレアリスム第二宣言(Second Manifeste du Surréalisme )』、そして1946年には『シュルレアリスム第三宣言か否かの序(Les Manifestes du Surréalisme. Suivis de Prolégomènes à un troisième Manifeste du Surréalisme ou non)』の出版を手掛けている。うち『シュルレアリスム宣言。溶ける魚(Manifeste du surréalisme. Poisson soluble)』の出版名義はサジターレ/シモン・クラ出版(Éditions du Sagittaire Simon Kra)で、『シュルレアリスム第二宣言(Second Manifeste du Surréalisme )』の出版名義はクラ出版(Éditions Kra)となっている。
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by galleria-iska | 2014-09-16 20:37 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 08日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「Le Bain Turc II」(1973)

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日本をオイルショックが襲った1973年にパリのベルクグリュン画廊から出版されたパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)の5点のリトグラフからなる連作版画「Suite d'Ingres」は、19世紀フランスの新古典主義絵画を代表する画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres, 1780-1867)の作品「ルブラン夫人の肖像」」「トルコ風呂」「ベルタン氏の肖像」の翻案として制作されたもの。アングルが晩年の1862年に、裸婦とオリエントをテーマに描いた官能的な作品「トルコ風呂(Le Bain Turc)」(註1)については、三つの異なる解釈がなされており、ヴンダーリッヒ芸術の根幹をなす“メタモルフォーズ(変容)”の格好の例証となっている。そのひとつが、この「トルコ風呂 II(Le Bain Turc II)」で、他の二作品と同様、ヴンダーリッヒはアングルの「トルコ風呂」のハイライトともいえる前景部分を引用し、1960年代初頭のパリ滞在中にデジョベール工房(Desjobert)で習得し、自家薬籠中の物とした、ラヴィ(lavis)と呼ばれる、微妙な半調子や諧調,細かな皺模様を出せるリトグラフの技法を、背中向きでリュートらしき楽器を奏でる裸婦(背中向きの裸婦像はアングルが到達した究極の美の表現とも言える)に用い、画面に独特な表情を与えることで、ヴンダーリッヒ独自の作品と化している。

版元となったパリのベルクグリュン画廊(Berggruen & Cie)の1974年の販売カタログ〈Maitres-Graveurs Contemporains 1974〉によると、この作品の当時の販売価格は2000フランで、日本円に換算すると約134000円(1F=67円で換算)であった。この価格は当時のヴンダーリッヒの作品のなかでは最も高価な部類に入るのだが、すぐに売り切れてしまったようで、1976年の販売カタログには掲載されておらず、その後ずっとコレクター垂涎(?)の作品として捜し求められた作品である。バブル時代に知り合いのドイツ人画商からヴンダーリッヒ氏本人から《e.a.》版を約60万円で分けてもらったと聞いたことあるが、今はその十分の一ぐらいの価格になってしまった。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Print
●題名:Le Bain Turc II, plate 3 from the《Suite d'Ingres》
●サイズ:655x505mm
●技法:Lithograph
●限定:75 + 11 e.a. + 9 e.e.
●出版:Berggruen & Cie, Paris
●印刷:Desjobert, Paris
●制作年:1973
●目録番号:R. 473

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註:

1.
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図版:アングルの「トルコ風呂」1862年。もとは長方形の画面であったが、アングル本人が1863年に円形に変えた。クールベに描かせた「世界の起源」同様、オスマン帝国の元外交官でパリに定住していたエロチック絵画のコレクターであったハリル・ベイの所有であったが、現在はルーヴル美術館に所蔵されている。
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by galleria-iska | 2014-09-08 20:10 | その他 | Comments(0)
2014年 07月 31日

長谷川潔のアクアチント「Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes 」(1944~45)

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メゾチント(マニエール・ノワール)を復活させ、ビュランの名手でもあった長谷川潔(Kiyoshi Hasegawa, 1891-1980)は、アクアチントでも代表作とも言える傑作をものにしている。そのひとつが、第二次世界大戦終結直後の1945年10月にフランス西部の都市アンジェのジャック=プチ出版(Éditions Jacques-Petit, Angers)から290部限定で出版された版画集『銅版画(Le Gravure sur Cuivre)』所収の「花:切子ガラスに挿したアネモネと草花(Fleurs:Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes )」である。1991年に京都国立近代美術館の収蔵品目録[III]として刊行された『長谷川潔』所収の年譜によると、
1945年(昭和20年)-54歳、フランス現代作家5名とともに各自異なる技法による銅版画を制作し、国立図書館版画部のアデマル(Jean Adhémar)の紹介文を付した限定版画集『銅版画("Le Gravure sur Cuivre")』第1巻がアンジェ(Angers)のジャック・プチ(Jacques Petit)書房から出版されたが、独伊敗戦の結果同胞とともにパリの中央監獄及びドランシイの収容所(Camp de Drancy)に次々に収監され、版画集も収容所で署名する。病弱の身体で苦難を味わうが、フランス知人有力者の尽力により約1ヵ月後無事出所する。7月に帰宅後も、ある期間警察に出頭、絶えず看視される生活を続け、心身ともに疲労しほとんど制作を停止する。
とある。第二次世界大戦の最中に企画されたこの版画集、6人の作家がそれぞれ得意とする銅版画の技法を活かした表現-長谷川潔のレース模様をそのまま銅版に写し取ったかのような背景表現は未だに謎に包まれているという-を行なっているのだが、ナチス・ドイツの収奪と戦禍によって経済が疲弊したフランスにおいて、いったいどれほどの部数が売れたのであろうか。

●作家:Kiyoshi Hasegawa (1891-1980)
●種類:Print
●サイズ:250x185mm
●フォーマット:380x280mm
●ポートフォリオ:391x290mm
●題名:Fleurs(Anémones et fleurs des champs dans un verre à facettes)
●技法:Aquatint
●紙質:Marais
●限定:290(註1)
●発行:Editions Jacques-Petit, Angers
●制作年:1944~45
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                 長谷川潔の版上サイン

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版画集『銅版画(Le Gravure sur Cuivre)』の書影。この版画集は、オリジナル版画入りの豪華限定本のシリーズの第1巻として刊行されたもので、ロベール・カミ、ルネ・コッテ、アルベール・デカリス、ロベール・ジャニソン、長谷川潔、ポール・ルマニによる6点の銅版画が収められている。銅版画の印刷は"Le Blanc" と "Delahaye"で行なわれた。当事パリの国立図書館版画部のキュレーターであったジャン・アデマールが銅版画の技法と作家の紹介を行なっている。作家名、作品名、技法は以下のとおり:

1. ロベール・カミ(Robert Cami)........................"Nu", pointe sèche
2. ルネ・コッテ(Rene Cottet).........................."Cyprès de la Villa Adriana", eau-forte
3. アルベール・デカリス(Albert Decaris).............."Apollon et Marsyas", burin
4. ロベール・ジャニソン(Robert Jeannisson)........."La Madela", eau-forte et burin
5. 長谷川潔(Kiyoshi Hasegawa)....................."Fleurs", aquatinte
6. ポール・ルマニ(Paul Lemagny)....................."Moissonneurs", burin

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註:

1.290部の内、最初の50部には決定段階の刷りとリーヴ紙に刷られ作家が署名を入れた第一段階(premier état=first state)の刷りが入っている。長谷川潔の作品について言えば、第一段階には版上サインが入っていない。
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by galleria-iska | 2014-07-31 20:08 | その他 | Comments(0)
2014年 07月 17日

菅井汲のリトグラフ「L'Homme」 & 「La Femme」(1960)

第二次世界戦後のパリを拠点に活動を行なった「新エコール・ド・パリ」呼ばれる抽象系の作家の花形として、1950年代には既に一定の評価を得ていた菅井汲(Kumi Sugai, 1919-1996)は1960年、それまでにリトグラフ工房で習得した制作技術に磨きを掛けるためであろうか、自前のプレス機をパリのアトリエに設置、自身のための作品作りを行なう。菅井はこの年、自らが版元となって8点のリトグラフと1点のエッチングを制作しているのだが、その内7点までがフォーマットが約320x220mmの小品である。

ここで取り上げるのはその内の2点で、「男(L'Homme)」と「女(La Femme)」という、菅井が1957年に既に一度制作したことのある主題であるが、1957年のものと比べると、絵画的な具象性が弱まり、能書的な抽象化が進んでいる。菅井は1950年半ば過ぎから、男性器や女性器を、日本の書の筆触を想起させる抽象表現主義風の手法を用い、情念のようなものを孕みつつも、記号化された形象として数多く描いている(註1)。菅井をこのような主題に向わせた理由は、内々では語られていたのであろうが、議論の俎上に上ることはあまりなく、またエロティシスムを無意識や夢と同様、運動の出発点として捉えていたシュルレアリスムとの関係性についも、同年出版された版画集「デッサン(Dessins 1957-1960)の序文を執筆したシュルレアリスムの作家アンドレ・ピエール・マンディアルグ(André Pieyre de Mandiargues, 1909-1991)とのつながりにおいて論ずる余地は多分にあると思われるのだが。そのシュルレアリスムの活動拠点である国際都市パリにおいては、旧い観念からの脱却を目指すためのスキャンダラスとも言える創造行為が称揚されていたことは1959年に開催された「シュルレアリスム国際展」のテーマが“エロス”であったことからも窺い知ることができる。菅井はシュルレアリスムのそのような観点に着目し、一義的な意味が剥ぎ取られた、性的な表意性が背景に退いた後に残る純粋な形態に見る者の関心を向わせるという方法論によって自らの表現を確立しようとしたのではなかったのだろうか。

二点のリトグラフは同時期に制作されたものではあるが、菅井はそれらを一対の作品として見られぬよう、紙質も限定数も変えている。

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●作家:Kumi Sugai(1919-1996)
●種類:Print
●題名:L'Homme
●サイズ:153x110mm
●フォーマット:315x215mm
●技法:Lithograph
●限定:50
●紙質:B.F.K. Rives
●出版:Kumi Sugai, Paris
●刷り:Kumi Sugai, Paris
●制作年:1960
●目録番号:Hara #50
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●作家:Kumi Sugai(1919-1996)
●種類:Print
●題名:La Femme
●サイズ:153x110mm
●フォーマット:317x217mm
●技法:Lithograph
●限定:75
●紙質:Arches
●出版:Kumi Sugai, Paris
●刷り:Kumi Sugai, Paris
●制作年:1960
●目録番号:Hara #51
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註:

1.菅井の1960年代後半から始まるジオメトリックな方向性を評価していた美術評論家の針生一郎(Ichirō Hariu, 1925-2010)氏はカリグラフィックな様相を見せる画面には批判的であったようで、後に「わたしは絵具を塗りかさねた上をひっかき、黒い大まかな筆触がライト・モチーフを形づくる当時の画面に、炉辺閑話のような日本のフォークロアへの固執と、性的なイメージの暗示を感じて、情緒的な閉鎖性を指摘したことがある。」と現代版画センターの月刊機関紙である「版画センターニューズ」(No.58,1980年6月刊)所収の“現代日本版画家群像 第6回『菅井汲と泉茂』”の中で述べている。
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by galleria-iska | 2014-07-17 13:24 | その他 | Comments(0)
2014年 07月 06日

ジャン・アルプの木版画「Soleil Recerclé」(1966)

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ダダイスムの提唱者のひとりで、シュルレアリスム運動にも深く関わった彫刻家、画家、版画家、詩人のジャン・アルプ(Jean Arp, 1886-1966)の生まれ故郷であるアルザス地方は、古くから交通の要衝として栄え、また豊富な鉱物資源の獲得を巡り、ドイツとフランスとの間で何度も領有権が争われた。現在はフランスの領土となっている。1886年、ドイツ人の子として“街道の街”という意味のアルザス地方の中心都市シュトラースブルク(Straßburg、仏名:ストラスブール)に生まれたアルプの本名はハンス・アルプ(Hans Arp)であるが、1926年にナチス・ドイツに反対してフランス人となり、1940年以降はジャン・アルプと名乗るようになった。アルプは1912年、最初の木版画である「自画像」を表現主義風のスタイルで制作するが、すぐに抽象に向い、その姿勢は亡くなる1966年まで続く。今回取り上げる作品は、シュルレアリスムの作家の詩画集や版画集を手掛けたパリのルイ・ブロデ出版(Louis Broder Éditeur, Paris)から1966年に刊行された詩画集『たがをはめ直された太陽(Soleil Recerclé)』所収の2葉である。十数年前に、ニューヨーク市の美術専門の古書店でばら売りされているのを見つけ、購入したものである。

アルプとルイ・ブロデ出版とのコラボレーションは1956年、設立間もないルイ・ブロデ出版から刊行されたポール・エリュアールの詩集『Un poème dans chaque livre』のための挿絵を一点、モノクロの木版画で手掛けたことに始まる。アルプはその後も詩画集や版画集の制作に参加するが、彼らが残した最大の成果は、アルプ自身の詩集『たがをはめ直された太陽(Le Soleil Recerclé)』であろう。アルプはこの詩集のために20点の木版画を制作している。限定部数は185部で、それとは別に、署名とナンバー入り木版画13点からなる限定60部の版画集も同時に刊行されている。この詩画集の計画時期は定かではないが、アルプは1962年頃から、木版画を制作するに不可欠な、フラットに彩色された紙によるコラージュや同様の彩色を施した木によるレリーフ(図版1,2参照)を制作し、アルプ独特の簡明で有機的な形体による構成を試している。それらを取り上げた展覧会が数年前にニューヨーク市の画廊で行なわれていたことを最近知った。

●作家:Jean Arp(1886-1966)
●種類:Woodcut
●題名:Soleil Recerclé(Page 27)
●サイズ:345x325mm(Format:480x383mm)
●技法:Woodcut
●限定:185(1-150, I-XX, HC)
●発行:Louis Broder Éditeur, Paris
●制作年:1966
●目録番号:Arntz 258(註1)
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●作家:Jean Arp(1886-1966)
●種類:Woodcut
●題名:Soleil Recerclé(Page 43)
●サイズ:270x215mm(Format:480x383mm)
●技法:Woodcut
●限定:185(1-150, I-XX, HC)
●発行:Louis Broder Éditeur, Paris
●制作年:1966
●目録番号:Arntz 262
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図版1:彩色された木によるレリーフ『De continent qui aurait...』1964年~1966年、370x345m
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図版2:彩色された紙によるコラージュ『Gondelor et ses petits...』1962年~1966年、272x213mm




註:

1.アルプの版画作品のカタログ・レゾネは単独では刊行されておらず、ドイツ人の法律家で、20世紀美術の専門家・研究家、またドイツ表現主義のコレクターでもあったヴィルヘルム・フリードリッヒ・アルンツ(Wilhelm Friedrich Arntz (1903-1985) によって編纂され、1974年にドイツの出版社《Verlag Gertrud Arntz-Winter, Haag/Oberbayern》から刊行された『Bibliographie der Werkkataloge zur Kunst des zwanzigsten Jahrhunderts』に他の作家と共に収められている :
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                    『Soleil Recerclé』の図版
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                    同上
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by galleria-iska | 2014-07-06 21:00 | その他 | Comments(0)
2014年 06月 12日

マリノ・マリーニのリトグラフ「Chevaux et Cavliers, Plate IV」(1972)

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イタリアの20世紀を代表する彫刻家のひとりで、画家・版画家としても活躍したマリノ・マリーニ(Marino Marini, 1901-1980)の版画家としての名声は1948年、ドイツ生まれの画商でニューヨーク市に画廊を開いたクルト・ヴァレンティン(Curt Valentin, 1902–1954)との出会いから生まれた1951年のクルト・ヴァレンティン画廊(註1)での個展開催を機に一気に高まり、ヨーロッパの版元からも注文が舞い込むこととなる。そして1955年にはパリの版元ベルクグリュン画廊(Galerie Berggruen & Cie.)で版画展「Marino Marini 15 lithographies」を開催、版画家としての地位を確固たるものにする。このリトグラフは1972年にサン・ラッザーロ(註2)の20世紀美術国際協会(Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris )と提携先のニューヨークの出版社レオン・アミエル(Léon Amiel Publishers, Inc., New York)から出版されたマリーニの8点組のリトグラフ版画集『馬と騎手(Chevaux et Cavaliers』所収の「Chevaux et Cavaliers, Plate IV」である。版画集の印刷はパリのムルロー工房で行なわれ、アルシュ紙に刷られたものが50部、ジャポン・ナクレ紙に刷られたものが10部あり、その他にアルシュ紙に刷られた非売用の(H.C.)が20部と、作家手持ち用の(E.A.)がアルシュ紙に10部とジャポン・ナクレ紙に5部ある。真珠のような光沢のあるジャポン・ナクレ紙に刷られたこのリトグラフは、刷り師の保存用であったらしく、署名も限定番号も入っていない。ムルロー工房の経営が苦しくなった頃に持ち出されたものであろうか。アルシュ紙に刷られた署名入りのものも所有していたが、同系色を用いた「Chevaux et Cavaliers, Plate III」が見つかり、購入資金を得るために、知り合いの画廊に買い取ってもらった。「Chevaux et Cavaliers, Plate III」は気に入っていたのだが、自分には身分不相応かと思い、ニューヨーク市のオークションで売却することにしたのだが、思いのほか高く売れ、売却金の一部でマリーニが1971年に20世紀画廊(Galerie XXe siècle)で行なった個展の際に制作した告知用のポスター「Idea del Cavaliere(騎手の概念)」と1972年のミュンヘン・オリンピックの公式ポスターとして制作した「Edition Olympia」を手に入れた。収集家ではないので、これで十分である。

版画集の主題となった“馬と騎手”はマリーニの1935年の彫刻から始まる主要な主題のひとつで、馬と騎手が生み出す水平と垂直、あるいは対角線上の交差する運動のダイナミズムと緊張感が、豊穣や繁栄を象徴する古典的でふくよかな形象から、単純化を押し進めることで幾何学的なものへと変容し、絵画や版画において、輝くような鮮やかな色彩による、ある種の記号性を帯びた形象へと帰着する。その最たる例がこの版画集であろう。ところで、馬と騎手の緊張感を帯びた構図は画家で版画家の利根山光人(Kohjin Toneyama, 1921-1994)が1980年代に手掛けたドン・キホーテのシリーズを彷彿させるが、どうだろう。

●作家:Marino Marini(1901-1980)
●種類:Lithograph
●題名:Chevaux et Cavaliers, Plate IV
●サイズ:370x510mm(Sheet:497x645mm)
●技法:Color lithograph
●限定:50(Arches) + X(Japon nacré)
●紙質:Japon nacré paper
●発行:Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris et Leon Amiel, New York
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1972
●目録番号:Guastalla L 107 pl. IV(註3)

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マリノ・マリーニの版画総目録「Marino Marini Etchings and Lithographs 1919-1980」1991年。序文:エリッヒ・シュタイングレーバー、カタログの編者:グイード&ジョルジオ・グァスタッラ、発行:株式会社ショアウッド・ジャパン(Shorewood Japan Co., Ltd.)、313x298mm、247ページ。日本語、英語併記。
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版画集「馬と騎手」の図版
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「マリノ・マリーニ全作品」1970年。パトリック・ワルドベルク、ハーバート・リード、G.ディ・サン・ラッザーロ共著、発行:20世紀美術国際協会、パリ(Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris)、353x298mm、506ページ、フランス語。
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1978年に東京国立近代美術館で開催された「マリノ・マリーニ展」の図録。1978年。序文:エリッヒ・シュタイングレーバー、発行:読売新聞社、現代彫刻センター、240x215mm、217ページ。版画作品は出品されていない。表紙と扉のデザインは福田繁雄。
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マリーニのメッセージ(1978年1月12日付)





1.クルト・ヴァレンティン画廊の前身はヴァレンテインがドイツから移民した1937年に開いたブッフホルツ画廊(Buchholz gallery,1937-1944)である。ブッフホルツ画廊の名前は、ヴァレンティンがドイツ時代に、ナチスが「退廃芸術」の烙印を押したドイツ表現主義やダダイスムの作家の作品を扱っていたハンブルクの書店主で画商のカール・ブッフホルツ(Karl Buchholtz, 1901-1992)がベルリンに開いた画廊で働いていたことから付けたものである。ユダヤ人の血を引くヴァレンティンは1937年にナチの手から逃れるために、ブッフホルツの援助でアメリカに移民したのであるが、彼が開いた画廊はブッフホルツ画廊のニューヨーク支店という性格を帯びたものであったと思われる。しかしながら1944年、敵性国家の作品を扱うということで当局に没収されてしまう。1951年に自らの名前を冠した画廊を開くと、アレクサンダー・カルダー、ヘンリー・ムーア、そしてマリノ・マリーニといった著名な彫刻家の個展を開催すると共に、彼らの版画作品の版元となった。ヴァレンティンは1954年、イタリアのマリノ・マリーニを訪問中に心臓発作で亡くなる。

2.グアルティエーリ・ディ・サン・ラッザーロ(Gualtieri di San Lazzaro)のペンネームで知られるイタリア生まれの美術批評家で出版者のレアンドロ・パパ・ジュゼッペ・アントニオ(Leandro Papa Giuseppe Antonio, 1904-1974 )は1904年、イタリア シチリア島東部の都市カターニアに生まれる。1924年にパリに渡り、1938年、20代の若さで美術誌『20世紀(XXe siècle )』を創刊、1939年までに全6号を刊行するするも、第二次世界大戦によって中断を余儀なくされ、パリを離れる。1949年にパリに戻り、1951年に『20世紀』を再刊、ヨーロッパだけでなくアメリカの現代美術の動向も紹介する。また1959年には20世紀画廊(Galerie XXe siècle)を開き、世界の美術の中心地となったパリに集った作家(la nouvelle École de Paris)の展覧会を開催すると共に、版画や版画集の出版を手掛けた。

3.
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前掲の日本語版総目録とほぼ同時進行で編集、製作が行なわれたイタリア語版のマリノ・マリーニの版画総目録《Guido Guastalla, Giorgio Guastalla,「Marino Marini. Catalogo ragionato dell'Opera grafica (Incisioni e Litografie) 1919-1980」Edizioni Graphis Arte, Livorno, 1990》カタログの編者は同じグイード&ジョルジオ・グァスタッラ:1990年、310x248mm、268ページ、限定3000部、イタリア語。
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by galleria-iska | 2014-06-12 21:36 | その他 | Comments(0)
2014年 06月 02日

ジャン・ジャンセムのメニュー「Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses」(1974)

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人間の哲学的思考に欠ける経済活動による環境破壊や気候変動を引き起こす地球温暖化に対する全地球的取り組みが議論される中、いまだに(生存のためか?)個々の利益や権利を主張し、状況をさらに悪化させる方向に向うのは、知識や技術、宗教といった様々な問題解決能力を身に付けたとしても、いまだに自分自身をコントロール出来ずにいる人間の、遺伝子レベルで組み込まれた生物学的基盤に由来するものなのだろうか。キリストの“あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい”(マタイ福音書5章38,39節)という言葉があるが、神の赦しの下では、私欲に繋がるものを持つ必要はない、という言葉の意味を今一度考えなければらない。全ての人がキリスト者ではないが、全ての人間、生物は互いを愛する力を持っており、その愛の力を持って、自我を、そして自我の総体としての国家をコントロールすることが出来れば、たとえ神の赦しを知らずとも、『目には目で、歯には歯で』という律法を超越することが可能となるかもしれない、と言い古された言葉を並べてみたが.そんな日は地球が人間にとって生存不可能な状態になっても来ないか...。

オスマン帝国によるアルメニア人大量虐殺という時代に生きたアルメニア人の父とトルコ人の母の愛の力で命を授かり、戦禍を逃れてギリシアに渡り、その後フランスで絵を学び画家となったジャン・ジャンセム(Jean Jansem(本名:Ohannès Semerdjian, 1920-2013)というトルコ(小アジア)のスールーズ生まれのアルメニア人画家が昨年の8月27日、93才で亡くなった。これは、1974年にパリの愛書家出版《Éditions Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses》から部数限定の愛書家向けの豪華本として出版された、日本でも『木を植えた男』の作者として知られ、人間と自然との協調をテーマとした作品を数多く残したフランスの作家ジャン・ジオノ(Jean Giono, 1895-1970)の短編集『哀れみの孤独(Solitude de la p pitié)』の挿絵を担当したジャンセムによる出版記念の晩餐会メニュー(Dîner du jeudi 9 mai 1974)である。表紙はジャンセムのエッチングとアクアティントによる銅版画で、通常はサインが入っていないが、これは所有者の要望で画家がボールペンで署名を入れたもの。裸婦やバレリーナ、道化師を得意とするジャンセムは背を向ける女性をしばしば描いている。それは、具象画によるリアリスムを追求したジャンセムらしく、後姿で彼女たちの人生や境遇を語らせるためであるが、果物らしきものを入れた籠を持つ農家の娘を描いたこの作品では、見る者は、娘の視線の向こう側にある、豊かな稔りをもたらしてくれる木々の生えた大地に思いを巡らせることになるのであろう。

●作家:Jean Jansem(1920-2013)
●種類:Menu
●サイズ:375x280mm(375x580mm)
●技法:Etching+aquatint
●限定:140+XXXV
●発行:Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses, Paris
●制作:1974
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by galleria-iska | 2014-06-02 12:11 | その他 | Comments(0)