ガレリア・イスカ通信

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2015年 06月 23日

元永定正の版画「しろいいつつ」

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                        “しろたへの ころもはおりし いちもつの いつつならんで ふんわりふわり”

ダダイストでシュルレアリストのマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)は1920年、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp,1887-1968)と画家で収集家のキャサリン・ドライヤー(Katheline K. Dreier, 1877-1952)とともに、キュビスム、表現主義、ダダイスム、未来派、バウハウスといった当時の前衛芸術の研究と発展のための組織「Société Anonyme」(註1)を設立したが、その年、豊穣と生殖の神、また男根の隠喩として使われるギリシャ神話に登場する羊飼いのプリアーポスを主題に「プリアーポスの文鎮」(1920年)というオブジェを制作している。そのオブジェを想起させるのが、ここ数年、具体美術協会のメンバーとして評価が高まっている故元永定正(Sadamasa Motonaga, 1922-2011)氏のシルクスクリーン版画「しろいいつつ」である。画家は男根とおぼしきものを図案化したこのモチーフ(日本には古来より子宝・安産祈願などの願いをかけて男根が奉られている神社が数多く存在するが、画家のそれは、西洋化したことによるモラル偏重、あるいは美術界の権威主義的な状況への揶揄であったのかもしれない)をたびたび描いているが、子供向けの絵本も手掛けた画家らしいユーモラスな表情を見せる反面、見る者のモラルに対するいくばくかの挑戦が見て取れなくもない。ゆるキャラがごとく図案化されたそれは、その一義的な意味を剥ぎ取られ、愛らしい図形として目の前に差し出されるのだが、見る者が一端、それが持つ本来の意味を認知するや否や、画家の遊び心にどう対峙するかの決断を迫られる。大人の対応として黙ってやり過すのか、画家のユーモアとして捉えるのか、それとも子供のように無邪気に愛玩するのか、そのようなこころのざわめきを画家はひそかに愉しんでいるのかもしれない。

一方、マン・レイの場合はどうであったかというと、“ボール・ベアリングと金属管で構成されたあきらかに男根を想起させる1920年のオブジェ「プリアーポスの文鎮」の主題をめぐって、好んで他人と取り交わしたやりとりを、アルトゥーロ・シュヴァルツにこう説明したのだろう。「このオブジェの写真を見ると、たいがいのひとはすぐにオリジナルのサイズをわたしに聞くのです。おおむねあなたのと同じです、とわたしは答えたものです」とマン・レイはシュヴァルツに語っている。”(批判思考のオブジェ:ローザリンド・クラウス、1984年に開催された「マン・レイ展」図録より抜粋)とあるように、レディ・メイドの手法を借りた反芸術的な様相とは異なり、いたって西洋的な素養を背景に持つ作品と言えるかもしれない。ただ、直接的な問いには、やはりユーモアも持って応えるのが礼儀であるようである

●作家:Sadamasa Motonaga(1922-2011)
●種類:Print
●題名:Siroi Itsutsu
●サイズ:382x510mm(240x350mm)
●技法:Silkscreen
●限定:200
●制作年:198?

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図版:マン・レイのオブジェ「プリアーポスの文鎮《PRESSE-PAPIER À PRIAPE (PRIAPUS PAPERWEIGHT)》」の写真(1984年に開催された「マン・レイ展」図録より)


註:
1.マン・レイの自伝「Man Ray/Selfportrait」によると、マン・レイは自分たちが作ろうとしている組織の名にひとつのアイデアを持っていた。それはフランスの雑誌の中で見つけたソシエテ・アノニム(Société Anonyme)という“株式会社”を意味する言葉であったのだが、マン・レイそれを"Anonymous Society(匿名協会)"のことと勘違いしていた。マン・レイは名前を決める場でドライヤーが異を唱えるのを心配したが、デュシャンはその意味を説明した上で、それを現代美術館に相応しい名前であるとしたことで、全員一致でその名に決まった、とある。
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by galleria-iska | 2015-06-23 20:54 | その他 | Comments(0)
2015年 05月 11日

ニキ・ド・サンファルの壁紙「Nana (Pink)」(1971)

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1950年代中頃にキネティック・アートを先導したジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely, 1925-1991)とヤーコブ・アガム(Yaacov Agam, 1928-)によって発案されたとされるマルティプルは、非常に安価でかつ広く流通させる意図を持って工業的に量産されたオリジナル作品。そのため希少価値の指標となる限定部数を持たない。この概念は1960年代以降、一般化していくこととなるが、今回取り上げるのは、ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)が1971年に制作した、彼女のトレードマークとも言える“ナナ(Nanas)”をモチーフにした壁紙、“アート・ウォールズ(Art Walls)”である。今手元にあるのは、ロール状で購入したものの巻き端部分。この切片には若干欠けがあるが、基本的にこの図柄が繰り返されている。色はピンク地とブラウン地の二種類。ニキは実際に自宅の壁に貼っていたようである。

“アート・ウォールズ(Art Walls)”は"The Swiss ART group"が1971年に立ち上げたプロジェクトで、当時ヨーロッパの著名な作家達(パウル・ヴンダーリッヒ、ジャン・ティンゲリー、ニキ・ド・サンファル、アレン・ジョーンズ等々)にオリジナル作品としての壁紙の制作を依頼。製造はドイツ ヘッセン州のキルヒハイン(Kirchhain)市にある1845年創業の壁紙製造メーカー、マルブルク社(Marburg → Marburg Wallcoverings)で行なわれた。1972年、ベルンの美術館(Kunsthalle Bern)の館長時代(1961年~1969年)の最後の年に企画した展覧会「態度が形になるとき(When Attitudes Become Form)」で従来型の展覧会のあり方に疑問を呈したハラルド・ゼーマン(Harald Szeemann, 1933-2005)が若くして芸術総監督を務めた「ドクメンタ5(Dokumenta 5)」に出品され、大きな反響を呼んだ。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Wallpaper
●題名:Nana(Pink)
●サイズ:557x531mm
●技法:Silkscreen
●発行:The Swiss Art group
●製造:Marburg, Kirchhain
●制作年:1971
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壁紙の裏に押されたマルブルク社のゴム印。マルブルク社の社史によると、この壁紙の製品名は、"X-Art Walls"となっている。




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by galleria-iska | 2015-05-11 19:29 | その他 | Comments(0)
2015年 05月 06日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「No Angel」(1968)

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ここ一週間ばかり良い天気が続いた。とりわけ昨日は五月晴れの清々しい一日となった。何処にも出掛ける予定が無かったので、ケースにしまいっぱなしのポスターや版画の点検と虫干し(?)をした。その中の一点がパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)のリトグラフ「No Angel」である。この作品はヴンダーリッヒの妻である写真家のカリン・シェケシー(Karin Székessy, 1938-)が1968年にヴンダーリッヒのアトリエで撮影した「No Angel」という同名の写真をもとに制作された作品で、ヴンダーリッヒは「Jutta im Atelier」という大きな油彩画(註1)も同時に描いているが、リトグラフの方がずっと出来栄えが良いように思う。版元はパリのベルクグリューン画廊(Galerie Berggruen, Paris)なのだが、この画廊が定期的に発行していた通信販売用の目録(Maitres graveurs contemporains)の1968年度版(ヴンダーリッヒが表紙絵を手掛けている)と次ぎの1970年度版を見たが、どちらにも掲載されていなかった。裏を返せば、目録に載せる間も無く売り切れてしまったということかもしれないが。

この作品を知ったのは1980年代の初めで、出版されてから既に12年余経っていた。その頃は版画は手が届かないものだと決めてかかっていたのだが、季刊『版画藝術』誌に載せられた東京のギャルリー・イシロの広告を見て、珍しく手に入れたいと思った。価格は25万円ぐらいだったように思う。無理をすれば買えなくもないと思いつつも、月々の収入が14,5万の身では、なかなか踏ん切りが付かなかった。今手元にあるのは、それから20年以上経ってから入手したもの。版画作品だけでも優に千点を超えるヴンダーリッヒであるが、ピカソやウォーホルのような、20世紀の美術史に組み込まれ、普遍的価値を獲得した作家とは異なり、作家と画廊と顧客(蒐集家)によって築かれた三角形の絶対評価の構図が崩れ、その他大勢の作家と共に、相対評価の荒波に揉まれていた。しかし悪いことばかりではない。それまでなかなか手に入らなかった作品がぽつぽつとヨーロッパのパブリック・オークションに出始めたのである。そしてある日、「No Angel」もオークションの評価を反映した価格で目の前に現われた。それで一もニもなく購入したという次第。ところが最近、購入時の三倍ぐらいの値が付いているのだから、不思議なものである。と言って喜んでばかりもいられない。そういった時代と共に有り、顧客層が固定化している作家は、世代交代というか、作品が循環せずに次第に忘れ去られていく危険性を常に孕んでいる。才能の違いと言ってしまえばそれ迄だが、インターネットが当たり前になった今こそ、蒐集家でもない自分が言うのも変だが、従来の文学的な解釈を拠り所とする受容とは異なる視点を持つ蒐集家の出現とその発信者としての資質が求められるのかもしれない。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Print
●題名:No Angel
●技法:Lithograph in five colors
●サイズ:500x658mm(752x556mm)
●紙質:Rives
●限定:75 + 9 e.a. + 7 e.e.
●発行:Galerie Berggruen, Paris
●印刷:Desjobert, Paris
●制作年:11.10,1968
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カリン・シェケシーの写真とヴンダーリッヒの作品の関連性を纏めた作品集「Paul Wunderlich und Karin Szekessy: Correspondenzen」(Belser Verlag, Zürich, 1977)
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同書所収のカリン・シェケシーの写真「No Angel」


註:

1.この作品は、1980年に池袋の西武美術館で行なわれた、ヴンダーリッヒが1960年から70年代にかけて制作した油彩画27点、水彩画10点、クレヨン画1点、リトグラフ45点、彫刻10点からなる「ヴンダーリッヒ展‐夢とエロスの錬金術」に出品され、図録の表紙にも使われている。
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                             図録の表紙
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by galleria-iska | 2015-05-06 13:23 | その他 | Comments(0)
2015年 04月 20日

ジェームズ・アンソールの銅版画「Le Pisseur」(1887)

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仮面の画家として知られるジェームズ・アンソール(James Ensor, 1860-1949)は、版画家としても独特の幻想世界を築き上げている。そのアンソールの版画紹介に一役買っているのは、兵庫県立近代美術館(2002年に兵庫県立美術館へ名称を変更)で、アンソールの恋人とされ、アンソールの晩年には作品の管理を行なっていたオーフスタ・ボーハルツ (Augusta Boogaerts, 1870-1950)旧蔵の版画コレクション100点(註1)を所蔵し、それをもとに展覧会が何度も開催されている。アンソールのもっとも幻想性に富んだ作品は、同時代の美術の潮流とは隔絶し、ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch, c.1450-1516)やピーテル・ブリューゲル(Pieter the Elder Bruegel, c.1525-1569)の風刺や寓意に富んだ幻想絵画に源流を持つもので、まさに異端の名に相応しい、ある種のアナクロニスムというべきグロテスクで奇怪な様式を生み出した。それゆえ版画蒐集家以外には馴染まず、版画家の故池田満寿夫(Ikeda Masuo, 1934-1997)氏が“...我が家では未だ評判悪く、私が応接間に掛けておくと、きまって数日後には女房か、義母が、陰気で気持ち悪いと、はずしてしまうのである。”と版画藝術誌41号(1984年)掲載の「アンソール 人間の愚劣さを告発」(連載・世界のエッチャー6)において語っているように、壁に飾って愉しむという人は少ないかもしれない。

初期フランドル派から17世紀オランダの画家に興味を持っていた自分は、アンソールの版画の幾つかにボスやブリューゲルの視点と似たものを感じ、サザビーズなどのオークションで何度も入手を試みたのだが、唯一手に入れることが出来たのは、オーフスタ・ボーハルツ旧蔵の『Le Pisseur(立小便をする人)』という、アンソールの作品の中でも異彩を放つ銅版画一点のみであった。今から四半世紀余り前のことである。絵葉書ぐらいの小品なので、額装はせず、時折ケースから取り出して眺めたりするのだが、最近、ふと現在の価値を知りたくなり、オークションの記録を辿っていたところ、にわかに信じられない記録に出くわした。それは、2014年3月19日にクリスティーズ(Christie's)のロンドンのキング・ストリートの会場で行われた売り立て(註1)に現れ、評価額£2,000~£3,500のところ、評価額の下限の五倍となる£10,000(日本円で約169万円)で落札されたのである。この売り立ては、画廊が建ち並ぶパリのセーヌ通りに居を構え、ポール・デルヴォーの契約画廊として知られるGalerie Le Bateau Lavoirの画廊主、故ミラ・ヤコブ女史(Mira Jacob Wolfovska, 1912–2004) が蒐集したアンソールの版画コレクションで、『Le Pisseur(立小便をする人)』はその内の一点であった。ヤコブ女史のコレクションの内、画廊関係のものは『Collection Mira Jacob. Galerie le Bateau-Lavoir/Bailly-Pommery-Voutier & associes Sotheby's』(註2)として、既に2004年に、パリのサザビース(Sotheby's)で売り立てに掛けられているが、2014年の売り立ては、アンソールの版画作品に絞ったもので、アンソールの版画作品のほぼ全てを網羅しており、アンソールが1886年から1931年にかけて制作した、稀少性の高いものや初期の段階の刷り、また手彩色を加えたものなど、全161点。手持ちのものも、ヤコブ女史のコレクションと同じとまではいかなくとも、それなりの評価が与えられる(?)かもしれない。

『立小便をする人』の構図は、レンブラントにも影響を与えたフランス・バロック時期を代表する版画家ジャック・カロ(Jacques Callot, 1592-1635)の1620年頃の素描をもとにしており、また、小便をする人物の風体と壁に描かれた落書きは、カロと同じナンシー出身のフランス19世紀の諷刺画家グランヴィル(J.J. Grandville,1803- 1847)が1845年に刊行した『百の諺(Cent Proverbes)』所収の"Artist drawing his name on a graffti-covered wall"に想を得ていると言われ、諷刺画的要素を多く含んでいる作品なのである。アンソールはこの作品で、壁に書かれた落書き"Ensor est un fou(アンソールは気狂いだ)"という自嘲的で逆説的な言葉に象徴されるように、属する絵画グループや批評家といった周囲の無理解や嘲笑にさらされる自己の立場を投影し、自分の前に立ちはだかるその壁に対し、小便を引っ掛けるという侮蔑的な行為によって、自らの真情を表わしているように見える。この版画が制作された1887年以降、アンソールは自らの作品のうち幾つかを“幻想、グロテスク、魔術、しかめ面、支離滅裂、幻影”と称するようになる。

●作家:James Ensor(1860-1949)
●種類:Print
●題名:The Pisser (Le Pisseur) or A Man of the People (Un Homme du Peuple)
●サイズ:152x109mm
●技法:Etching
●紙質:Simili-Japon
●制作年:1887
●目録番号:Delteil, Croquez, Taevernier, Elesh 12
●来歴:Ex-collection: Augusta Boogaerts
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画面右下のマージンに署名と年記。画面左下のマージンに題名『Le Pisseur』が入れられているものもある。
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シート裏側:アンソールの副署(countersign)
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これも自画像であろうか。その上には、かろうじて"MEROE/ SECRETE MAISON"と読める書き込みがあるが、その意味するところは不明である。


註:

1.
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兵庫県立近代美術館(当時)が1981年に一括購入したオーフスタ・ボーハルツ旧蔵の100点の作品を中心に企画され、1999年に名古屋市美術館で開催された『歿後50年アンソール版画展-兵庫県立近代美術館所蔵旧ボーガルツ・コレクションより』の図録。発行:名古屋市美術館/中日新聞社/中部日本放送、1999年、79ページ、252x182mm

ボーハルツについては、ベルギーの美術史家ポール・ハザルツ(Paul Haesaerts)が1957年に著した『ジェームズ・アンソール(James Ensor)』(Elsevier, Bruxelles, 1957)の中で語られているが、それをもとにした記述がクリスティーズの競売カタログにあったので引用しておく:
Augusta Boogaerts (1870-1950) became Ensor's closest companion from about 1888 and remained close to him until his death. She never lived with him, yet she was the only woman, apart from his mother and sister, with whom he was on intimate terms. He nicknamed her 'La Sirène'. She was the daughter of an Ostende hotel owner and first met Ensor when he was 28 and she was 18. At the
time she was working as a salesgirl in the Ensor family's souvenir shop. Both their families opposed the liason and although Augusta wanted to marry Ensor she was never able to persuade him into
marriage. In an attempt to end the relationship her family sent her away for a period to England to study. Later on during her life she was to be away from Ensor for long periods as her profession of governess took her to France, Germany, Russia and other countries. But these absences only seemed to strengthen their relationship. She apparently was a strong willed character with a ready and caustic sense of humour which complimented Ensor's own personality.

In later years Augusta virtually became Ensor's studio manager when he was finally receiving the
critical recognition that was due to him and when his own energy was flagging. She supervised his production by arranging models and subjects for him to draw or paint. She made an inventory of
his studio, promoted the sales of his work and took decisions on the printing of his etchings.

The nature of their relationship is indicated by the story of the occasion when Ensor, expecting
Augusta to call at the studio, went out leaving a note 'N'emporte rien, j'ai tout compté'. On his
return he found the reply 'Ne compte rien, j'ai tout emporté'. Ensor was always discreet in referring to La Sirène in his notes and letters and in his paintings. However he did execute the celebrated
Double Portrait of 1905 depicting Augusta Boogaerts seated looking with an enigmatic smile at the figure of Ensor who is reflected in a mirror (see P. Haesaerts, James Ensor, 1957, no. 372, repr. p. 347). Photographs of her are reproduced in Haesaerts, op. cit., p. 347, and G. Ollinger-Zinque, Ensor par lui-même, 1976, pls. 18 and 22. Ensor died in November 1949 and she survived him by only
a few months.


またアンソールの版画の出版事情については、以下のように記されている(以下引用):
It was in 1899 with the special issue of La Plume devoted to him that Ensor's work began to
receive critical acclaim. Up to that time his prints had no ready sale, and so relatively few
impressions were taken. It was then that Ensor and Augusta Boogaerts began to issue the
editions printed on simili-Japan of medium or large size, each print generally being counter-
signed on the reverse.

用紙サイズは大型の作品については約480x350、小品は約300x240mmものが使われたとある。

2.売り立ての案内:
"James Ensor Prints: The Mira Jacob Collection" (Sale 10225, Lot 92), March 19, 2014.
The Mira Jacob Collection is one of the most complete collections of prints by James Ensor
in private hands. Comprising 161 prints dating from 1886 to 1931, the collection is almost
comprehensive, including all the major subjects, often in early states or extensively hand-
coloured, as well as some of the rarest prints in the artist’s oeuvre.

3.売り立て目録と案内:
"Collection Mira Jacob. Galerie le Bateau-Lavoir/Bailly-Pommery-Voutier & associes Sotheby's"
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Sotheby's, Paris, 2004. Soft Cover. Text in English and French.
The sale catalog for an auction held at Sotheby's Paris on September 23- 24, 2004. The gallery
Le Bateau-Lavoir opened on the Rue de Seine in Paris in 1955. Mira Jacob had close relationships
with a number of artists including Paul Delvaux, for whom she both published prints and wrote
the catalogue raisonne of his graphic work. This sale included artworks not seen since the 1950's
and 60's when Jacob acquired them. Works by most of the surrealists. 330 lots in the sale. All
illustrated in color.

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by galleria-iska | 2015-04-20 17:25 | その他 | Comments(0)
2015年 04月 06日

エッシャーの切手「75th Anniversary of U.P.U.」(1949)

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騙し絵で知られるオランダの版画家モーリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher, 1898-1972)の作品に関するかぎり、今でもそうかもしれないが、画廊や美術館よりも科学雑誌などで知る機会の方が多かったように思う。エッシャーが亡くなった1972年から5年後の1977年に東京で開催された『エッシャー展』(初期から晩年に至るまでの作品約60点を展示)によってようやくエッシャーの版画家としての全貌を窺い知ることが出来たのだが、エッシャーの版画を購入の対象として見る機会は1980年代まで全くなかった。ある日、何かの雑誌だったと思うが、1962年にサンフランシスコにヴォーパル画廊(Vorpal Gallery)を設立、1968年から何度もアメリカにエッシャーを紹介する展覧会を開いた画家で詩人のマルドゥーン・エルダーのインタヴュー記事に触れる機会があり、彼のエッシャーへの興味が年賀状や書票などの小品の購入から始まったことを知った。少し(?)時間が経ってしまっていたが、年賀状や書票といった類いの小品ならまだ購入できるものがあるかもしれないと、オランダ国内の古書店からカタログを取り寄せてみた。すると年に何回かリストに載ることがあり、価格も安いものなら一万円足らず、手が込んだものでも数万円と、手が出せる範囲であった。それまで見たことも触ったこともない年賀状や書票を版画作品として購入するには少し勇気がいったが、ユトレヒト(Utrecht)にある古書点から何点か購入した。そうするともう少し作品らしいものが欲しくなり、運良くエッシャーの木版画の入った挿絵本をフローニンヘン(Groningen)の古書店から手に入れることが出来た。年賀状と比べると大きな出費であったが、それでも署名入りの版画作品の何分の一の金額であった。エッシャーのオリジナル作品を手にし大いに興奮したが、回りの反応は、版画というより展覧会の図版を見るようなものでしかなく、それはある意味、絵画としてのアウラを二重に消し去って成立しているエッシャーの作品の真実を突いているかもしれないのだが、やはり寂しいものであった。

エッシャーは年賀状や書票以外にも手掛けており、1949年、国際郵便連合(Universal Postal Union/Union postale universelle/Wereldpostvereniging)75周年を記念する切手のデザインを行なっている。これをエッシャーのオリジナル作品と捉えるなら、最小のものと言えるかもしれない。エッシャーは“郵便ラッパ(post horn)”をモティーフに、オランダ国内向けの(Globe with post horns)と、スリナム(Suriname)とオランダ領アンティル(Netherlands Antilles)向けの(Globe with 3 post horns)の二種類デザインしており、国毎に額面の異なるものが二種類づつ作られている。ここで取り上げるのはオランダ国内向けのもの。球状の地球を郵便ラッパが覆いつくすイメージは、エッシャーが1943年に制作した木彫『魚模様の球』を彷彿させるが、無限の連鎖はエッシャーが希求し続けたテーマのひとつである。

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《10セント切手》
●作家:Maurits Cornelis Escher(1898-1972)
●種類:Postage Stamp(Postfris)
●題名:75th Anniversary of U.P.U.(75 jaar Wereldpostvereniging)
●額面:10c - Dutch cent
●サイズ:27x27mm
●技法:Photogravure
●発行:1949.10.01
●発行枚数:21,371,712
●印刷:Joh. Enschedé en Zonen
●発行:Post Nederland
●目録番号:Michel NL 544, NVPH NL 542, Yvert et Tellier NL 528

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《20セント切手》
●作家:Maurits Cornelis Escher(1898-1972)
●種類:Postage Stamp(Postfris)
●題名:75th Anniversary of U.P.U.(75 jaar Wereldpostvereniging)
●額面:20 c - Dutch cent
●サイズ:27x27mm
●技法:Photogravure
●発行:1949.10.01
●発行枚数:1,927,288
●印刷:Joh. Enschedé en Zonen
●発行:Post Nederland
●目録番号:Michel NL 545, NVPH NL 543, Yvert et Tellier NL 529




参考文献:

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1994年に開催されたエッシャーの展覧会『ハウステンボス・コレクション M.C.エッシャー(The Collection of Huis Ten Bosch M.C. Escher)』の図録
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該当ページ
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by galleria-iska | 2015-04-06 18:31 | その他 | Comments(0)
2014年 12月 04日

駒井哲郎の銅版画「Trees」(1958)

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日本の現代版画の礎を築いた作家として評価される銅版画家の駒井哲郎(Tetsurô Komai, 1920-1976)であるが、残念ながら、海外の評価は、棟方や浜口、菅井らと比べて決して高いとは言えない(註1)。確かに駒井は都市の、なかんずく東京の知識人から強い支持を得ている。そしてその非常に限られた支持層によって彼の藝術が称揚され、版画界においてある種のヘゲモニー(hegemony)を獲得しているように思われる。その背景となっている彼の早熟さと西洋美術への憧憬は一般大衆の持つ現実感からは遊離したものであり、彼自身も自覚していたと思うが、世間一般の支持はそれほどでもなく、ましてや地方においてその知名度は無きに等しいと言える。それは日常から解き放たれた想像力の世界を守るためであろうか、孤独を壁として張り巡らせ、敢えて世間から自己の藝術を隔絶せしめているかのようにも映るのだが、駒井の苦悩を生み出す土壌となっていたように思われる。

駒井が自己のアイデンティティの確立を目指す上で創造の源泉となった作家への憧憬とシンパシーは、その作家の精神に乗り移らんとする駒井の姿を垣間見せ、痛々しくもあるのだが、同時に、美の創造者というものの有り方に疑問を投げかける。この自己同一化は図らずしも日本文化の基本的体質を見事に表しているかのように思える。作家は誰しもその初期には大なり小なり誰かの影響を受け、その模倣を通して自己の様式を発芽させ、それを発展させていくのだが、たとえそれが誰かの影響下にあったとしても拭い去れない個性というものが作品から立ち上ってくるはずである。その点において駒井の作品を見る時、現代美術が広く用いるところの引用や借用とは異なり、卓越した翻訳家あるいは翻案家に見えてしまい、ある種の空しさのようなものを感じる。つまり駒井の作品を通して彼が対峙した海外の作家が透けて見えてしまい、オリジナリティーを確立し得ない、浮き草のような危うさを感じてしまうのである。それが破壊と創造とは別の地平に立つエリートと呼ばれる所以なのだろうか。

駒井が“樹木”を主題とする作品に取り組むのは1956年にルーブル美術館所蔵のルドンの素描「樫の木(Oak Tress)」(註2)をもとにした「樹木-ルドンの素描による」を嚆矢とするが、翌1957年に1点、そして1958年には5点もの作品を制作している。今回取り上げるのは1958年に制作された「樹木(Trees)」であるが、この作品は、駒井が日本の現代版画の現状を海外に伝えるべく企画され、1959年に発行された版画集所収の作品として制作したもので、1957年作の「樹木」の延長にあるように思われる。1957年に作品では大小15本の木々からなる木立がリズミカルに配置されていて、それはどこか尾形光琳の燕子花図(右隻)を彷彿させなくもない。一方、この作品では7本の木々が描かれているのだが、海外に紹介されることを念頭にしたのだろう、それらの木々が、もともとは視覚的経験に基づく東洋的、日本的空間表現に用いる逆遠近法によって配置されている点が注目される。そこに駒井の、西洋の単なる物真似ではない、日本人作家として矜持を感じ取れなくもない。

駒井が描いた7本の木々は手前から奥へと、順に1本、2本、4本と倍に増えていく。またそれらの木々は並行に置かれ、中ほどの2本の木の幅と奥の4木の幅の比は1:2となっており、手前から奥にいくほど広がっていくよう配置されているのである。そのことは次のように線を引いてみるとよく分かる。この作品の縦の中心は左から3番目の木の根元の右端を通っていて、その延長線に右端奥の木の根元を通る線を結び、その交点に左端の木の根元から線を延ばし、それに画面奥の4本の木の根元を結んだ線を繋げると、二等辺三角形が出来るのである。そのような画面空間によって木そのものの存在が高められ、何かを暗示するメタファーとしての働きを帯びているのではないかとも考えられるが、駒井の自然主義的な側面とも取れなくもない。

●作家:Tetsurô Komai(1920-1976)
●種類:Print
●題名:Trees
●サイズ:283x257mm(プレートマーク:233x210mm)
●技法:Etching
●限定:100
●発行:Japan's Modern and Famed Print Art Association
●制作年:1958
●目録番号:111(駒井哲郎版画作品集、1979年、美術出版社)
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註:

1.パブリック・オークションの落札情報を提供するサイトを検索してみたが、駒井の作品は見当たらなかった。今回取り上げた作品「樹木(Trees)」に関しては、版画集として出品されたケースを見つけることは出来たのだが、その評価はすこぶる低く、海外とのギャップを感じる。

2.
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図版:左:駒井哲郎の銅版画「樹木 ルドンの素描による」エッチング、1956年、233x201mm、限定125部
    右:オディロン・ルドンの素描「Oak Tree」鉛筆、1868年頃、320x255mm、Musee du Louvre, Paris

参考文献:

季刊「版画藝術」(80号、特集/対決!駒井哲郎)、1993年、阿部出版
Douhlas W. Druick(General Editor), Odilon Redon: Prince of Dreams 1840-1916, 1994, Harry N. Abrams & The Art Institute of Chicago, New York
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by galleria-iska | 2014-12-04 18:35 | その他 | Comments(0)
2014年 11月 21日

フィリップ・モーリッツの銅版画「Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette 」(1972)

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フランスのボルドーで寄宿しながら制作活動を行なっている版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe MOhlitz, 1941-)の作品は、フロイト的な精神分析学の関心の対象となり得るかもしれない。モーリッツは未だに未婚であるが、結婚(男女関係)というものに何かしらのコンプレックスを抱いている節があって、作品の中にしばしば性的なオブセッションを伺わせるものが描かれている。それらは作品のテーマとして扱われているものではないが、その伏線、あるいは人間の、そして文明の根源的なファクターとして意図的に組み込まれているように思える。その一方で、類い稀なる技によって精緻な画面を作り上げるためにストイックに制作に向うモーリッツは、唯一ミューズの神に魂を捧げた人間であり、その代償として人間的な欲望を犠牲にしているのだとしたら、それらの性的なイメージは何らかの補償行為とも見えなくもないが、あらぬ詮索かもしれない。

モーリッツの作品において、性的なイメージは常に文明の崩壊とともにあり、その意味では生の本能としてのエロスと死の本能としてのタナトスが同居していると言える。また、崩壊後の文明を描いた作品の中に、原始的な生活を営む人間の姿が描き込まれていたりするのだが、それはいわゆる“文明を創造し破壊するという行為そのものが、生物的な進化をやめた人間の選んだ生存活動であるという観点においてある意味で的を得ているかのように思える。つまり文明は常にその反復あるいは回帰という流れの中に置かれており、その意味では絶対的な姿ではなく、時間とともにその意味や価値が失われて行き、新しい価値に取って代わられ、滅亡という運命と辿るのだが、それが絶え間なく反復されるなかで、新しい社会性を構築するとともに、環境への適応性を強化し、人間という種の保存が持続し続けられていくこととなるのである。

「モーターサイクルを所有する若い両性具有者(Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette )」は、前回取り上げた大作「ニューヨーク(New York)」(1982年)よりも10年早い1972年に制作された作品であるが、そのエキセントリックな主題が性的タブーを匂わせるためであろうか、作品としての人気は高くないようである。モチーフとなった両性具有者(エルマフロディット/Hermaphrodite)の語源は、ギリシア神話に登場する青年神で、文化英雄的存在でもあったヘルメースと愛と美と性を司るギリシア神話の女神アプロディーテーとの間に生まれた美少年ヘルマプロディートス(Hermaphroditus)で、ニンフのサルマキスに恋され、強制的に一身同体にされた話で知られるが、キリシャ彫刻やその後の芸術作品において、豊かな乳房を持った少年、あるいは男根を持った女性などの形で表現されている。ウィキペディアなどによれば、“原初の世界において人間が両性具有であったとする神話は世界各地に存在しており”、“陽と陰、男と女といった対立的にして補完的なものの調和を重視する陰陽思想などに基づいて、両性具有(半陰陽)を理想的な性別のあり方とする考え方もあった”とある。

その両性具有者と文明の利器であるモーターサイクル-最新のというよりは若干レトロな雰囲気を感じさせる-との組み合わせには何かしらエロティックなものを感じさせなくもないが、それを古代の移動手段である馬と捉えれば、モーリッツ特有のアナクロニスティックな場面設定による神話の一場面、生まれ育った環境に飽き、(自由を求め?)各地を旅するヘルマプロディートスの姿を描いたものとして見ることも出来るのではないだろうか。そのヘルマプロディートス以上に目を引くのが、丘の上に横たわる恐竜を思わせる巨大な頭蓋骨であるが、道路脇の茂みにはその子孫であるトカゲが一匹こちらを向いているのが見える。それは見る者の時間感覚を混乱させもするが、大いなる時間の経過を示すとともに、文明の末路を暗示するかのようでもある。現代のヴィジョネアー(visionnaire)たるモーリッツらしい解釈と言えようか。モーリッツは2007年にもモーターサイクルをモチーフとする作品「Perdus en Egypte(Lost in Egypte)」(図版1参照)を制作しているが、この作品は聖家族の「エジプトへの逃避(Fuite en Egypte/Flight into Egypt)」(「マタイ福音書」の第2章)を下敷きにしたものであり、ここでは驢馬をモーターサイクルに置き換えている。両者を見比べると、馬と驢馬、それぞれの特徴をよく捉えた選択がなされているのが分かる。

この作品の成立の背景には1969年に公開された二つの映画があるのかもしれない。ひとつはフェデリコ・フェリーニの映画『サテリコン(Satyricon)』で、ヘルマプロディートスはそこでは身体の弱い子供のような神として描かれている。もうひとつは、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマの代表作『イージー・ライダー(Easy Rider)』で、全編を通してモーターサイクルが自由の象徴として重要な役割を担っている。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette
●サイズ:375x288mm(プレートマーク:237x177mm)
●技法:Burin et pointe sèche
●限定:69
●紙質:B.F.K. Rives
●制作年:1972
●目録番号:Natiris p56( K.40 )
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この年にモーリッツは興味深い作品を何点も制作しているので、その題名を記しておく。個人的には『Planche où je suis perdu]』(K.46)が好みの作品なのだが、手放してしまい、今は手元にない:

●Héros attaqué par 36 personnages(K.39)
●Triomphe de César(K.41)
●Le Départ des invités(K.42)
●C'est arrivé chez l'antiquaire (K.44)
●Planche où je suis perdu(K.46)
●La poursuite continue(K.49)


図版:

1.
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参考文献:

Mohlitz Gravures et Dessins 1963 - 1982, Éditions Natiris, Paris, 1982
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by galleria-iska | 2014-11-21 17:51 | その他 | Comments(0)
2014年 11月 13日

フィリップ・モーリッツの銅版画「New York」(1982)

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先日、フランスのパブリック・オークションの情報サイトを見ていて驚いた。フランスのボルドーで活動を続ける銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)の過去に出品された作品がリストアップされていたのだが、モーリッツが1982年に制作した大型の作品「New York」に、日本円にして50万円近い、3500~4000ユーロという落札予想価格(estimate)が付けられていたからである。実際にいくらで落札されたかは登録しないと分からないのだが、いつの間にそんなに高い評価に変わっていたのだろうか。そのこと自体はモーリッツにとって決して悪いことではないし、彼の作品を高く評価していることの現われであるので、彼のファンのひとりとしては喜ばしいことなのだが、果たして客観性のある評価なのであろうかと思ってしまった。モーリッツほどの版画の名手はそれほど多くいるわけではないが、ある意味でアナクロニスム的な表現方法は、広く一般に受け入れられるものではなく、一部の銅版画愛好家に受け入れられるに留まっている。

この作品は他の多くの作品同様、モーリッツ自身が版元になっており、制作から15年以上経った後でも、僅かしか売れておらず、摺刷数の少ない雁皮刷りのものでさえ未だ半数以上残っていたのである。2000年頃のパリの画廊(Galerie Michèle Broutta S.A.) での小売価格は8000フラン(約16万円)ぐらいだったと思うので、実質3倍以上の上昇と言える。10数年の間に、モーリッツ自身の手持ちは全部売れてしまったのだろうか、それとも供給を止めてしまっているのだろうか。その当時日本でこの作品を所有していた蒐集家は少なくとも20人はいたのではないかと思われるが、売り切れということなら、さらに多くなるであろう。

モーリッツがこの作品を制作したのは1982年であるが、その年、アメリカ合衆国政府は巨額の財政赤字を抱え、その凋落ぶりがはっきりした年である。一方、世間の喧騒を離れ、ルドンやブレダンといった先達に倣い、ボルドーでひとり制作を続けていたモーリッツの技量はまさにその頂点にあり、それまでに創り上げてきた独自の作品世界の集大成とも云える作品を完成させた。それがこの「ニューヨーク」である。モーリッツはこの年、ニューヨークのジョン・セーケ画廊(John Szoke Gallery)での展覧会『The Surrealist Tradition』に出品しており、この作品はそれに向けて制作されたものかもしれない。作品を制作するにあたり、モーリッツが何か政治的な意図を込めたとは思えないし、予言的なものともしていない。あくまでもヴィジョンであり、フィクションであるからである。それは時代設定を見えれば自ずと理解される。モーリッツのメカニカルなものへの志向は幾つも作品で示されているが、ここでも1930年代に出現する三発低翼単翼機や蒸気機関車などを描き入れており、建造物の装飾などもレトロ感が漂っている。しかしながら、全くの作り事だけでは現実味を創出できないので、モーリッツは見る者にニューヨークを想起させるものを幾つか描き入れている。ひとつは画面右上に見えるこの街を象徴する自由の女神像で、画面中央にはニューヨーク・セントラル鉄道の起点となるグランドセントラル駅、そしてその手前はニューヨーク港であろうか。鳥瞰図のような視点で描き出されたその姿は現代文明を象徴するニューヨークの街の崩壊後の姿を描いているのだが、植物があちこちに枝を伸ばし葉を茂らせており、密林の中から発見された遺跡を眺めているかのようでもある。そのSF的な斬新な構図は、1968年に公開されたフランス人作家原作のSF映画『猿の惑星(Planet of the Apes) 』の衝撃のラストシーンとどこかで繋がっているのではないかという気にもさせるが、モーリッツの作品にある種の郷愁のようなものを感じてしまうのは、モーリッツが上記のようなアナクロニズム的な視点を持ち込んでいるからであろう。

この作品をモーリッツが1978年に完成させた傑作「塔(La tou)」と比べると、ビュランによるものとは思えない、まるで浮世絵版画の毛彫りのように細く彫られた繊細で精緻を極めた描線が、円熟味を増すにつれ、印影が強く濃いものに変わっていくのが分かる。その結果、画面全体のコントラストが高められ、ドラマチックな画面に変貌していくのだが、反面、モーリッツの画面と特徴であった極めて微視的な描写力の持ち味が失われてしまったように思う。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:New York
●サイズ:506x450mm(イメージ:407x345mm)
●技法:Burin
●限定:120
●紙質:B.F.K. Rives
●発行:Philippe Mohlitz, Bordeaux
●制作年:1982
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参考文献:

「Mohlitz - Gravures et Dessins 1963-1982」Editions Natiris, 1982, p.119
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by galleria-iska | 2014-11-13 22:14 | その他 | Comments(0)
2014年 10月 23日

永井一正のチラシ「The Nippon Posters」(2014)

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前の日曜日に半年振りに美術館に行ってきた。と言っても、企画展を観るためではなく、調べたいことがあり、図書室で資料を閲覧させてもらうためであったのだが。用が済み、展覧会の案内コーナーをぶらぶらしていると、日本を代表するグラフィックデザイナーの永井一正(Kazumasa Nagai,1929-)氏らしきデザインのチラシが目に付いたので、他のチラシとともに一部頂いてきた。家に帰って確かめると、やはり永井一正氏のデザインであった。大阪から京都の太秦に移転したdddギャラリー(註1)の開館記念展として開催中の『The Nippon Posters』の案内用に作られたものであるらしい。
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尾形光琳の“紅白梅図屏風”に描かれた水の流れを彷彿させもするが、誰か別人の原画をもとにしているのだろうか、紅葉舞う川のほとりに日本を象徴する菊の花を手に腰掛ける一匹の猿(日本人の象徴であろうか)を描いたもので、川上から川下に向って、亀倉雄策、早川良雄、山城隆一、中村誠、瀧本唯人、木村恒久、永井一正...と戦後のグラフィックデザイン黎明期から今日まで日本のグラフィックデザインを牽引してきたポスター作家たちの名が順に記されている。チラシとは言え、フルカラー印刷に金色や朱色の特色印刷を加え、なかなか凝った印刷である。デザインの意図は、展覧会の趣旨が“日本独特のグラフィックデザイン表現と伝統文化との関連性に焦点をあてる”とあるように、日本美術の中にあるデザイン的特質を、1988年頃から始まる永井氏の動物シリーズのデザイン・コンセプトの中で表現したものとなっている。

展示されるポスターは、DNPグラフィック・デザインアーカイブ収蔵作品の中から選ばれた、故田中一光氏、永井一正氏、横尾忠則氏をはじめとする133点である。亀倉雄策氏の東京オリンピック第一号ポスターも出品されているようである。京都にはもう何年も行っていないので、この機会にいちど出かけてみたいと思うのだが...。

●作家:Kazumasa Nagai(1929-)
●種類:Flyer
●サイズ:297x210mm(A4)
●技法:Offset
●発行:ddd Gallery(DNP Foundation for Cultural Promotion)
●印刷:Dai Nippon Printing Co., Ltd
●制作年:2014
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註:

1.大日本印刷株式会社(DNP)の創立130周年記念事業のひとつとして設立された公益財団法人DNP文化振興財団の関連事業のひとつとして、関西での展示事業を行なっている
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by galleria-iska | 2014-10-23 18:44 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 26日

サルバドール・ダリの挿絵本案内「Les Chants de Maldoror」(1974)

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前回取り上げたジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)と同様、サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali, 1904-1989)もまたスペインのカタルーニャ地方の出身である。1927年にパリに出たダリは、一足先にパリに来ていたミロの紹介でピカソやシュルレアリストたちと出逢い、ブルトンが『シュルレアリスム第二宣言』を出版する1929年、シュルレアリスムの画家として華々しく登場する。その衝撃は、ブルトンをして「ダリの出現によって、はじめて精神の窓が思いきり広く開かれ、荒々しい青空の罠に向って、自分が滑空しているように感じられるのだ。」と言わしめる程、大きなものであったようだ。当初はおとなしくブルトンに付き従っていたダリだが、そんな時期は長続きせず、幾つもの傑作をものにし、名声が高まるにつれ、自ら発見した“偏執狂的批判方法”(註1)がシュルレアリスムの自動記述や夢の記述といった受動的な技法よりも能動的で優れており、自分こそが真のシュルレアリストであると公言したことから、ブルトンの逆鱗に触れ、1938年にグループから除名される。一方、ダリ自身は除名されなかったと主張していることから、ダリは決してシュルレアリスムを裏切ったわけではなく、自らシュルレアリスムを演じ続けたのかもしれない。

1929年から1933年にかけて、「欲望の適応」(1929年)、「記憶の固執」(1931年)、「見えない男」(1929-1933年)といったシュルレアリスム絵画の傑作を次々に生み出したダリは1933年、スイスの出版人アルベール・スキラの依頼を受けたピカソに代わって、19世紀後半のパリに現れた夭折の詩人ロートレアモン伯爵(Le Comte de Lautréamont)(註2)こと、イジドール・リュシアン・デュカス(Isidore Lucien Ducasse, 1846-1870)作の『マルドロールの歌(Les Chants de Maldoror)』の挿絵を描くこととなる。

個人的なことを言えば、学生時代を美術館も画廊も洋書店もない田舎で過ごしたので、ダリが版画を制作しているとは知る由もなかった。前に書いたことがあるが、1975年に名古屋のオリエント・ギャラリーで開催された『不死の十法』展を観に行き初めて知った次第。『不死の十法』はミックスド・メディアによる作品であったが、ダリの版画と言えるドライポイントで制作された部分は、緻密さとリアルを追求した絵画とあまりに掛け離れており、それがダリの版画制作に対する独自の姿勢だったのかもしれないのだが、これがあのダリの版画なのかと目を疑ってしまった。一方、レーザーで版を制作した部分は、ダリによるものではなかったようなのだが、こんな細かな描写が可能なのかと感心した。その後もずっとダリの版画は別人によるものではないかと、疑い続けていたのだが、1980年代になってようやく自分が求めていたものと合致するものがあることを知った。それが『マルドロールの歌』のための挿絵であった。幾つか手に入れたいと思ったものもあったので、何度かオークションにも参加したのだが、現物を手に取って見たことがなく、また1934年版と1974年版との区別が付かず混乱していたため、それほど熱くなれず終わってしまった。

『マルドロールの歌』の衝撃性はダリの霊感を大いに刺激したことは間違いなく、結果、ダリの絵画を大きく発展させたのだが、『マルドロールの歌』の挿絵として生み出された数々のイメージは、詩句には無関係なものがほどんどで、ダリの当時の絵画のモチーフと重なるものが幾つも見られる。スキラ(Albert Skira, Paris)によって1934年に出版された『マルドロールの歌』は、当初予定された210部のうちの100部のみで、銅版画で制作されたダリの挿絵30点と12点のカットが添えられた。残りの100部は、スキラの版を購入したダリの長年の友人で出版者のピエール・アルジレ(Pierre Argillet, 1910-2001))によって1974年、42点と後に発見された未採用の2点を加えた44点入りの挿絵本に50点の署名入りスイートを付けた豪華版として出版された。この小冊子はその案内用として作られたものらしく、1974年版の挿絵全44点(註3)を収録している。小冊子とは言え、画集に掲載される図版よりもずっと印刷の質が高く、資料として十分活用できる。

●作家:Salvador Dali(1904-1989)
●種類:Booklet
●サイズ:235x160mm
●技法:Offset
●発行:Argillet, Paris
●印刷:Étienne Et Christian Braillard、Genève
●制作年:1974(?)

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註:

1.古典や哲学、政治、思想、精神分析、はたまた最新の科学的知見を盛り込んだエキセントリックな言説や奇行を繰り返したダリであるが、自身が、実際の現実よりも、“自分自身の妄想や幻覚を現実と思いこむ狂人の症状”を発現する偏執狂的な資質の持ち主であったことから、自ら発見した“偏執狂的批判方法”によって、二重像、三重像のトリックを使った作品を次々に生み出したのだった。

2.ロートレアモンは『マルドロールの歌』を1869年に完成し、ベルギーで自費で印刷し発表しようとしたが、出版者であるアルベール・ラクロワ(Albert Lacroix )がしり込みし、出版には至らなかった。実際に出版されたのはロートレアモンの死後4年経った1874年のことである。出版者は、第二帝政の政治難民で、ブリュッセルに出版社と書店を開いたジャン=バプティスト・ロゼ(Jean-Baptiste Rozèz)であり、彼はラクロワから埋もれたままでいたオリジナル版を買い取り、新しい表紙を付けて出版したのだが、売れ行きは芳しくなかった。1885年、ベルギーの文芸復興を目指し、文芸誌『若きベルギー(Le Jeune Belgique, 1881-1897)』を創刊した詩人マックス・ワレル(Max Waller, 1860-1889)らが発見し、ペラダン(Péladan)やユイスマンス(Huysmans)、レオン・ブロイ(Léon Bloy)といった友人の作家に広まる。その評価が高まる中、1890年にパリの出版社ジュノンソー(Genonceaux)よってようやく母国フランスで出版される。1917年、詩人のフィリップ・スーポーがパリのラスパイユ大通り(Boulevard Raspail)の書店から1874年版を購入、その発見を"For me and my fellow poets André Breton, Louis Aragon, Paul Eluard and Robert Desnos, to name only the biggest, the Chants de Maldoror represent a turning point for the French literature alongside the poems of Arthur Rimbaud. "と語っている。そしてシュルレアリスムのあるべき姿を予言した“ミシンとこうもり傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しい”という一節の衝撃性を持って、シュルレアリストたちの霊感源の一つとなり、ロートレアモンをシュルレアリスムの先駆者と捉えることとなり、ブルトンが『マルドロールの歌』をシュルレアリスムの聖書としてメンバーに読ませたことにより、詩や絵画の想像の限界を大きく広げることとなった。

3.1994年にプレステル社(Prestel-Verlag, München)から刊行されたダリの版画カタログ・レゾネ第一巻(Salvador Dali Catalogue Raisonne of Etchings and Mixed-Media Prints 1924-1980)には、1934年版の別刷りセットつき42点に、新たに発見された2点を加えた44点が記載されている。



参考文献:

1.「ダリと本-Dali y los Libros」エドゥアルド・フォルネス、ジョルディ・オリベレス編、メディテラニア出版社発行、1987年
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マルドロールの唄(Les Chants de Maldoror)についての説明文
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by galleria-iska | 2014-09-26 20:05 | その他 | Comments(0)