ガレリア・イスカ通信

galleriska.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:その他( 112 )


2014年 07月 17日

菅井汲のリトグラフ「L'Homme」 & 「La Femme」(1960)

第二次世界戦後のパリを拠点に活動を行なった「新エコール・ド・パリ」呼ばれる抽象系の作家の花形として、1950年代には既に一定の評価を得ていた菅井汲(Kumi Sugai, 1919-1996)は1960年、それまでにリトグラフ工房で習得した制作技術に磨きを掛けるためであろうか、自前のプレス機をパリのアトリエに設置、自身のための作品作りを行なう。菅井はこの年、自らが版元となって8点のリトグラフと1点のエッチングを制作しているのだが、その内7点までがフォーマットが約320x220mmの小品である。

ここで取り上げるのはその内の2点で、「男(L'Homme)」と「女(La Femme)」という、菅井が1957年に既に一度制作したことのある主題であるが、1957年のものと比べると、絵画的な具象性が弱まり、能書的な抽象化が進んでいる。菅井は1950年半ば過ぎから、男性器や女性器を、日本の書の筆触を想起させる抽象表現主義風の手法を用い、情念のようなものを孕みつつも、記号化された形象として数多く描いている(註1)。菅井をこのような主題に向わせた理由は、内々では語られていたのであろうが、議論の俎上に上ることはあまりなく、またエロティシスムを無意識や夢と同様、運動の出発点として捉えていたシュルレアリスムとの関係性についも、同年出版された版画集「デッサン(Dessins 1957-1960)の序文を執筆したシュルレアリスムの作家アンドレ・ピエール・マンディアルグ(André Pieyre de Mandiargues, 1909-1991)とのつながりにおいて論ずる余地は多分にあると思われるのだが。そのシュルレアリスムの活動拠点である国際都市パリにおいては、旧い観念からの脱却を目指すためのスキャンダラスとも言える創造行為が称揚されていたことは1959年に開催された「シュルレアリスム国際展」のテーマが“エロス”であったことからも窺い知ることができる。菅井はシュルレアリスムのそのような観点に着目し、一義的な意味が剥ぎ取られた、性的な表意性が背景に退いた後に残る純粋な形態に見る者の関心を向わせるという方法論によって自らの表現を確立しようとしたのではなかったのだろうか。

二点のリトグラフは同時期に制作されたものではあるが、菅井はそれらを一対の作品として見られぬよう、紙質も限定数も変えている。

a0155815_11474949.jpg

●作家:Kumi Sugai(1919-1996)
●種類:Print
●題名:L'Homme
●サイズ:153x110mm
●フォーマット:315x215mm
●技法:Lithograph
●限定:50
●紙質:B.F.K. Rives
●出版:Kumi Sugai, Paris
●刷り:Kumi Sugai, Paris
●制作年:1960
●目録番号:Hara #50
a0155815_11503656.jpg


a0155815_1148583.jpg

●作家:Kumi Sugai(1919-1996)
●種類:Print
●題名:La Femme
●サイズ:153x110mm
●フォーマット:317x217mm
●技法:Lithograph
●限定:75
●紙質:Arches
●出版:Kumi Sugai, Paris
●刷り:Kumi Sugai, Paris
●制作年:1960
●目録番号:Hara #51
a0155815_11491041.jpg



註:

1.菅井の1960年代後半から始まるジオメトリックな方向性を評価していた美術評論家の針生一郎(Ichirō Hariu, 1925-2010)氏はカリグラフィックな様相を見せる画面には批判的であったようで、後に「わたしは絵具を塗りかさねた上をひっかき、黒い大まかな筆触がライト・モチーフを形づくる当時の画面に、炉辺閑話のような日本のフォークロアへの固執と、性的なイメージの暗示を感じて、情緒的な閉鎖性を指摘したことがある。」と現代版画センターの月刊機関紙である「版画センターニューズ」(No.58,1980年6月刊)所収の“現代日本版画家群像 第6回『菅井汲と泉茂』”の中で述べている。
[PR]

by galleria-iska | 2014-07-17 13:24 | その他 | Comments(0)
2014年 07月 06日

ジャン・アルプの木版画「Soleil Recerclé」(1966)

a0155815_19553742.jpg

ダダイスムの提唱者のひとりで、シュルレアリスム運動にも深く関わった彫刻家、画家、版画家、詩人のジャン・アルプ(Jean Arp, 1886-1966)の生まれ故郷であるアルザス地方は、古くから交通の要衝として栄え、また豊富な鉱物資源の獲得を巡り、ドイツとフランスとの間で何度も領有権が争われた。現在はフランスの領土となっている。1886年、ドイツ人の子として“街道の街”という意味のアルザス地方の中心都市シュトラースブルク(Straßburg、仏名:ストラスブール)に生まれたアルプの本名はハンス・アルプ(Hans Arp)であるが、1926年にナチス・ドイツに反対してフランス人となり、1940年以降はジャン・アルプと名乗るようになった。アルプは1912年、最初の木版画である「自画像」を表現主義風のスタイルで制作するが、すぐに抽象に向い、その姿勢は亡くなる1966年まで続く。今回取り上げる作品は、シュルレアリスムの作家の詩画集や版画集を手掛けたパリのルイ・ブロデ出版(Louis Broder Éditeur, Paris)から1966年に刊行された詩画集『たがをはめ直された太陽(Soleil Recerclé)』所収の2葉である。十数年前に、ニューヨーク市の美術専門の古書店でばら売りされているのを見つけ、購入したものである。

アルプとルイ・ブロデ出版とのコラボレーションは1956年、設立間もないルイ・ブロデ出版から刊行されたポール・エリュアールの詩集『Un poème dans chaque livre』のための挿絵を一点、モノクロの木版画で手掛けたことに始まる。アルプはその後も詩画集や版画集の制作に参加するが、彼らが残した最大の成果は、アルプ自身の詩集『たがをはめ直された太陽(Le Soleil Recerclé)』であろう。アルプはこの詩集のために20点の木版画を制作している。限定部数は185部で、それとは別に、署名とナンバー入り木版画13点からなる限定60部の版画集も同時に刊行されている。この詩画集の計画時期は定かではないが、アルプは1962年頃から、木版画を制作するに不可欠な、フラットに彩色された紙によるコラージュや同様の彩色を施した木によるレリーフ(図版1,2参照)を制作し、アルプ独特の簡明で有機的な形体による構成を試している。それらを取り上げた展覧会が数年前にニューヨーク市の画廊で行なわれていたことを最近知った。

●作家:Jean Arp(1886-1966)
●種類:Woodcut
●題名:Soleil Recerclé(Page 27)
●サイズ:345x325mm(Format:480x383mm)
●技法:Woodcut
●限定:185(1-150, I-XX, HC)
●発行:Louis Broder Éditeur, Paris
●制作年:1966
●目録番号:Arntz 258(註1)
a0155815_19555054.jpg


a0155815_19503577.jpg


●作家:Jean Arp(1886-1966)
●種類:Woodcut
●題名:Soleil Recerclé(Page 43)
●サイズ:270x215mm(Format:480x383mm)
●技法:Woodcut
●限定:185(1-150, I-XX, HC)
●発行:Louis Broder Éditeur, Paris
●制作年:1966
●目録番号:Arntz 262
a0155815_19505429.jpg


a0155815_17351739.jpg
図版1:彩色された木によるレリーフ『De continent qui aurait...』1964年~1966年、370x345m
a0155815_17354840.jpg
図版2:彩色された紙によるコラージュ『Gondelor et ses petits...』1962年~1966年、272x213mm




註:

1.アルプの版画作品のカタログ・レゾネは単独では刊行されておらず、ドイツ人の法律家で、20世紀美術の専門家・研究家、またドイツ表現主義のコレクターでもあったヴィルヘルム・フリードリッヒ・アルンツ(Wilhelm Friedrich Arntz (1903-1985) によって編纂され、1974年にドイツの出版社《Verlag Gertrud Arntz-Winter, Haag/Oberbayern》から刊行された『Bibliographie der Werkkataloge zur Kunst des zwanzigsten Jahrhunderts』に他の作家と共に収められている :
a0155815_1245652.jpg
a0155815_125868.jpg
a0155815_1252121.jpg
                    『Soleil Recerclé』の図版
a0155815_125317.jpg
                    同上
[PR]

by galleria-iska | 2014-07-06 21:00 | その他 | Comments(0)
2014年 06月 12日

マリノ・マリーニのリトグラフ「Chevaux et Cavliers, Plate IV」(1972)

a0155815_18484574.jpg

イタリアの20世紀を代表する彫刻家のひとりで、画家・版画家としても活躍したマリノ・マリーニ(Marino Marini, 1901-1980)の版画家としての名声は1948年、ドイツ生まれの画商でニューヨーク市に画廊を開いたクルト・ヴァレンティン(Curt Valentin, 1902–1954)との出会いから生まれた1951年のクルト・ヴァレンティン画廊(註1)での個展開催を機に一気に高まり、ヨーロッパの版元からも注文が舞い込むこととなる。そして1955年にはパリの版元ベルクグリュン画廊(Galerie Berggruen & Cie.)で版画展「Marino Marini 15 lithographies」を開催、版画家としての地位を確固たるものにする。このリトグラフは1972年にサン・ラッザーロ(註2)の20世紀美術国際協会(Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris )と提携先のニューヨークの出版社レオン・アミエル(Léon Amiel Publishers, Inc., New York)から出版されたマリーニの8点組のリトグラフ版画集『馬と騎手(Chevaux et Cavaliers』所収の「Chevaux et Cavaliers, Plate IV」である。版画集の印刷はパリのムルロー工房で行なわれ、アルシュ紙に刷られたものが50部、ジャポン・ナクレ紙に刷られたものが10部あり、その他にアルシュ紙に刷られた非売用の(H.C.)が20部と、作家手持ち用の(E.A.)がアルシュ紙に10部とジャポン・ナクレ紙に5部ある。真珠のような光沢のあるジャポン・ナクレ紙に刷られたこのリトグラフは、刷り師の保存用であったらしく、署名も限定番号も入っていない。ムルロー工房の経営が苦しくなった頃に持ち出されたものであろうか。アルシュ紙に刷られた署名入りのものも所有していたが、同系色を用いた「Chevaux et Cavaliers, Plate III」が見つかり、購入資金を得るために、知り合いの画廊に買い取ってもらった。「Chevaux et Cavaliers, Plate III」は気に入っていたのだが、自分には身分不相応かと思い、ニューヨーク市のオークションで売却することにしたのだが、思いのほか高く売れ、売却金の一部でマリーニが1971年に20世紀画廊(Galerie XXe siècle)で行なった個展の際に制作した告知用のポスター「Idea del Cavaliere(騎手の概念)」と1972年のミュンヘン・オリンピックの公式ポスターとして制作した「Edition Olympia」を手に入れた。収集家ではないので、これで十分である。

版画集の主題となった“馬と騎手”はマリーニの1935年の彫刻から始まる主要な主題のひとつで、馬と騎手が生み出す水平と垂直、あるいは対角線上の交差する運動のダイナミズムと緊張感が、豊穣や繁栄を象徴する古典的でふくよかな形象から、単純化を押し進めることで幾何学的なものへと変容し、絵画や版画において、輝くような鮮やかな色彩による、ある種の記号性を帯びた形象へと帰着する。その最たる例がこの版画集であろう。ところで、馬と騎手の緊張感を帯びた構図は画家で版画家の利根山光人(Kohjin Toneyama, 1921-1994)が1980年代に手掛けたドン・キホーテのシリーズを彷彿させるが、どうだろう。

●作家:Marino Marini(1901-1980)
●種類:Lithograph
●題名:Chevaux et Cavaliers, Plate IV
●サイズ:370x510mm(Sheet:497x645mm)
●技法:Color lithograph
●限定:50(Arches) + X(Japon nacré)
●紙質:Japon nacré paper
●発行:Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris et Leon Amiel, New York
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1972
●目録番号:Guastalla L 107 pl. IV(註3)

a0155815_1841347.jpg
マリノ・マリーニの版画総目録「Marino Marini Etchings and Lithographs 1919-1980」1991年。序文:エリッヒ・シュタイングレーバー、カタログの編者:グイード&ジョルジオ・グァスタッラ、発行:株式会社ショアウッド・ジャパン(Shorewood Japan Co., Ltd.)、313x298mm、247ページ。日本語、英語併記。
a0155815_18411669.jpg
a0155815_18412937.jpg
版画集「馬と騎手」の図版
a0155815_18413962.jpg
a0155815_18415410.jpg
a0155815_1842475.jpg
「マリノ・マリーニ全作品」1970年。パトリック・ワルドベルク、ハーバート・リード、G.ディ・サン・ラッザーロ共著、発行:20世紀美術国際協会、パリ(Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris)、353x298mm、506ページ、フランス語。
a0155815_18421446.jpg

a0155815_18455271.jpg
1978年に東京国立近代美術館で開催された「マリノ・マリーニ展」の図録。1978年。序文:エリッヒ・シュタイングレーバー、発行:読売新聞社、現代彫刻センター、240x215mm、217ページ。版画作品は出品されていない。表紙と扉のデザインは福田繁雄。
a0155815_1846218.jpg
a0155815_18462540.jpg
マリーニのメッセージ(1978年1月12日付)





1.クルト・ヴァレンティン画廊の前身はヴァレンテインがドイツから移民した1937年に開いたブッフホルツ画廊(Buchholz gallery,1937-1944)である。ブッフホルツ画廊の名前は、ヴァレンティンがドイツ時代に、ナチスが「退廃芸術」の烙印を押したドイツ表現主義やダダイスムの作家の作品を扱っていたハンブルクの書店主で画商のカール・ブッフホルツ(Karl Buchholtz, 1901-1992)がベルリンに開いた画廊で働いていたことから付けたものである。ユダヤ人の血を引くヴァレンティンは1937年にナチの手から逃れるために、ブッフホルツの援助でアメリカに移民したのであるが、彼が開いた画廊はブッフホルツ画廊のニューヨーク支店という性格を帯びたものであったと思われる。しかしながら1944年、敵性国家の作品を扱うということで当局に没収されてしまう。1951年に自らの名前を冠した画廊を開くと、アレクサンダー・カルダー、ヘンリー・ムーア、そしてマリノ・マリーニといった著名な彫刻家の個展を開催すると共に、彼らの版画作品の版元となった。ヴァレンティンは1954年、イタリアのマリノ・マリーニを訪問中に心臓発作で亡くなる。

2.グアルティエーリ・ディ・サン・ラッザーロ(Gualtieri di San Lazzaro)のペンネームで知られるイタリア生まれの美術批評家で出版者のレアンドロ・パパ・ジュゼッペ・アントニオ(Leandro Papa Giuseppe Antonio, 1904-1974 )は1904年、イタリア シチリア島東部の都市カターニアに生まれる。1924年にパリに渡り、1938年、20代の若さで美術誌『20世紀(XXe siècle )』を創刊、1939年までに全6号を刊行するするも、第二次世界大戦によって中断を余儀なくされ、パリを離れる。1949年にパリに戻り、1951年に『20世紀』を再刊、ヨーロッパだけでなくアメリカの現代美術の動向も紹介する。また1959年には20世紀画廊(Galerie XXe siècle)を開き、世界の美術の中心地となったパリに集った作家(la nouvelle École de Paris)の展覧会を開催すると共に、版画や版画集の出版を手掛けた。

3.
a0155815_11262992.jpg
前掲の日本語版総目録とほぼ同時進行で編集、製作が行なわれたイタリア語版のマリノ・マリーニの版画総目録《Guido Guastalla, Giorgio Guastalla,「Marino Marini. Catalogo ragionato dell'Opera grafica (Incisioni e Litografie) 1919-1980」Edizioni Graphis Arte, Livorno, 1990》カタログの編者は同じグイード&ジョルジオ・グァスタッラ:1990年、310x248mm、268ページ、限定3000部、イタリア語。
[PR]

by galleria-iska | 2014-06-12 21:36 | その他 | Comments(0)
2014年 06月 02日

ジャン・ジャンセムのメニュー「Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses」(1974)

a0155815_12284940.jpg
人間の哲学的思考に欠ける経済活動による環境破壊や気候変動を引き起こす地球温暖化に対する全地球的取り組みが議論される中、いまだに(生存のためか?)個々の利益や権利を主張し、状況をさらに悪化させる方向に向うのは、知識や技術、宗教といった様々な問題解決能力を身に付けたとしても、いまだに自分自身をコントロール出来ずにいる人間の、遺伝子レベルで組み込まれた生物学的基盤に由来するものなのだろうか。キリストの“あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい”(マタイ福音書5章38,39節)という言葉があるが、神の赦しの下では、私欲に繋がるものを持つ必要はない、という言葉の意味を今一度考えなければらない。全ての人がキリスト者ではないが、全ての人間、生物は互いを愛する力を持っており、その愛の力を持って、自我を、そして自我の総体としての国家をコントロールすることが出来れば、たとえ神の赦しを知らずとも、『目には目で、歯には歯で』という律法を超越することが可能となるかもしれない、と言い古された言葉を並べてみたが.そんな日は地球が人間にとって生存不可能な状態になっても来ないか...。

オスマン帝国によるアルメニア人大量虐殺という時代に生きたアルメニア人の父とトルコ人の母の愛の力で命を授かり、戦禍を逃れてギリシアに渡り、その後フランスで絵を学び画家となったジャン・ジャンセム(Jean Jansem(本名:Ohannès Semerdjian, 1920-2013)というトルコ(小アジア)のスールーズ生まれのアルメニア人画家が昨年の8月27日、93才で亡くなった。これは、1974年にパリの愛書家出版《Éditions Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses》から部数限定の愛書家向けの豪華本として出版された、日本でも『木を植えた男』の作者として知られ、人間と自然との協調をテーマとした作品を数多く残したフランスの作家ジャン・ジオノ(Jean Giono, 1895-1970)の短編集『哀れみの孤独(Solitude de la p pitié)』の挿絵を担当したジャンセムによる出版記念の晩餐会メニュー(Dîner du jeudi 9 mai 1974)である。表紙はジャンセムのエッチングとアクアティントによる銅版画で、通常はサインが入っていないが、これは所有者の要望で画家がボールペンで署名を入れたもの。裸婦やバレリーナ、道化師を得意とするジャンセムは背を向ける女性をしばしば描いている。それは、具象画によるリアリスムを追求したジャンセムらしく、後姿で彼女たちの人生や境遇を語らせるためであるが、果物らしきものを入れた籠を持つ農家の娘を描いたこの作品では、見る者は、娘の視線の向こう側にある、豊かな稔りをもたらしてくれる木々の生えた大地に思いを巡らせることになるのであろう。

●作家:Jean Jansem(1920-2013)
●種類:Menu
●サイズ:375x280mm(375x580mm)
●技法:Etching+aquatint
●限定:140+XXXV
●発行:Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses, Paris
●制作:1974
a0155815_12291287.jpg
a0155815_12292772.jpg

[PR]

by galleria-iska | 2014-06-02 12:11 | その他 | Comments(0)
2014年 05月 28日

ジョルジュ・ファーヴルのジグソーパズル「Publicite TSF Pathé 53」(1934)

a0155815_1763191.jpg

自分は世に言うところの収集家ではないので、特定の対象に関心を持ち収集を行なうことはないが、雑食性の性か、あれやこれやと目に付いたものに気が行ってしまうところがある。それだけで終われば未だ良いが、性質が悪いことに、そこからまた横道に逸れてしまい、なかなか元に戻ってこれなくなってしまうのである。先日も前から気になっていたキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)が自身の誕生パーティーの招待状として制作したジグソー・パズルの購入資金のことで思い悩んでいるうちに、アールデコ時代の日本ではあまり知られていないポスター作家によるパテ社(Pathé)(註1)製の真空管式受信機(ラジオ)の宣伝用ポスターを基に作られたジグソーパズル、今で言うノベルティ・グッズに遭遇、その珍しさに惹かれて購入してしまった。このジグソーパズルはおそらく顧客や関係者に向けて配られたものかと思われるが、パテ社が製造した実用タイプの53型真空管式受信機の宣伝用ポスター(Pathé 53, Affiche de Georges Favre 1934. Imp. Delattre. 120x80 cm)のイメージをそのまま用いて作られており、収納用の紙袋にも同じイメージが使われている。紙袋に若干変色が見られるが、ジグソーパズルの方は印刷時の瑞々しさが失われておらず、経年による時代感と当事の人たちと同じ新鮮な驚きとを同時に味わうことができる。もとになったポスターの作者は、パリの国立美術学校で19世紀フランス・アカデミズムの画家で彫刻家のジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme 、1824–1904)もとで学び、『挿絵入りのフィガロ紙』(Le Figaro Illustré)や『ル・ゴロワ紙』(Le Gaulois)で諷刺画家として働いた、ポスター作家のジョルジュ・ファーヴル(Georges Favre, 1873-1942)である。ファーブルはカッサンドル(Adolphe Mouron Cassandre, 1901–1968)(註2)がポスター作家として活躍した1927年から1935年にかけて数多くの商業ポスターを手掛けており、パテ社の一連の真空管式受信機(註3)の宣伝用ポスターを制作している。

a0155815_1765644.jpg
ジュルジュ・ファーヴルの版上サイン。画面左下の『鳴く雄鶏』はパテ兄弟商会のロゴとして作られたものだが、1920年代に社名とともに一度他社に売却されている。
a0155815_17111597.jpg


●作家:Georges Favre
●種類:Jigsaw puzzle
●サイズ:168x115mm(Paper sack:181x130mm)
●技法:Lithograph
●発行:Pathé
●制作年:1934



1.1896年にパリにフォノグラフ・レコードを販売する「パテ兄弟商会」(Société Pathé Frère)を設立したパテ4兄弟は、その後レコード製造工場を建てるなどして事業を拡大、また当事目新しかった映画にも目をつけ、撮影用の機材の製造を開始、20世紀初頭には、レコード製作の大手であるばかりでなく、世界最大の映画撮影機器製造会社となった。事業規模が大きくなりすぎたため、1918年に映画製作部門とレコード製作部門とに分社化するが、1928年にレコード製作部門が英コロムビアに買収され、映画製作部門も世界恐慌を前にして債務超過状態となり、1929年2月にルーマニア生まれのユダヤ人映画プロデューサー、ベルナール・ナタン(Bernard Natan)に買収される。ナタンはごく短期間でパテ社の経営を立て直し、再び映画産業での地位を回復すると、1929年11月、フランス最初のテレビジョン会社「Télévision-Baird-Natan」を設立、翌30年にはパリのラジオ放送局を買い、ラジオ帝国の建設のため、ラジオ放送の真空管式受信機の製作に乗り出す。

2.カッサンドルも1932年、パテ社の依頼で、“真空管式受信機”(図版A)と“蓄音機”(図版B)の2点の宣伝用ポスターのデザインを行なっている。
a0155815_1710857.jpg

                                        (A)
a0155815_17102288.jpg
                                        (B)

3.パテ社が1930年代に製造した真空管式受信機(ラジオ)のラインナップ広告。
a0155815_17121012.jpg

[PR]

by galleria-iska | 2014-05-28 18:03 | その他 | Comments(0)
2014年 03月 17日

ジャック=アンリ・ラルティーグの写真集「Les Femmes aux Cigarettes」(1980)

a0155815_18423497.jpg

煙草を吸うお姉さんは好きですか? 学生の頃、年に何度か大枚を叩いて、ジャズマニアの友人たちと海外のジャズプレイヤーの来日公演を聴きに出掛けた。ジャズクラブでの演奏ではないので会場は勿論禁煙。休憩時間になると皆一斉にロビーに出て煙草を吸い始めるのだが、そこに来ているお姉さんたちが、日頃目にする女子学生とは比べものにならない美人ばかりで、大人の女性とはこういうものかと、しばし映像を観るような感覚で見入ってしまった。彼女たちは大抵音楽関係の殿方と連れ立って来ており、本当にジャズが好きかどうかは分からず、見得張りの殿方のお飾り的な存在だったかもしれないが、その彼女たちがこぞって煙草に火を付け、ためらいもなく鼻からスゥーと煙を吐き出す姿に目を瞠ると同時に、同じ空間に居ながらも、益々こちら側とあちら側という二つの世界の隔たりを感じてしまった。ジャズといえば、煙草はもちろん、酒やコーヒーも付き物で、それらは詩や文学、演劇や映画にとっても欠かすことの出来ない小道具となっている。そのどれもやらない自分は、人生の悦楽の大部を経験せず、実にのっぺりした人生を歩んで来てしまったのかもしれない。

若い女性が煙草を薫らせる姿を捉えた写真というと、アメリカ出身の写真家ウィリアム・クライン(William Klein, 1928-)による二枚のファッショナブルな写真「Quelques Femmes au Hasard」(1974 & 1978)が思い出されるが、女性の喫煙は、男のそれが仕事と深く結びついているのとは異なり、挑発的であったり、幻惑的であったり、また妖艶さを漂わせたりと、ある種のセックスアピールのようにも映る。本題に移ろう。アールデコ華やかなりし1927年(註1)、紙巻煙草を吸い始めた女性の姿は男性の目には奇妙で不思議な光景として映ったようである。フランスの裕福な家庭に生まれ、8歳のころから自分のカメラで写真を撮り出した偉大なアマチュア写真家ジャック=アンリ・ラルティーグ(Jacques-Henri Lartigue, 1894–1986)もその一人で、彼はその年、数ヶ月に渡って、流行の最先端にいた人気の踊り子や女優たちを楽屋裏に訪ね、彼女たちの煙草を吸う姿を撮影した。この小型サイズの写真集は、ラルティーグがそれから半世紀経った1980年に、自ら撮影した写真96点を選んで出版したもの。御年86歳の時のことである。写真集には、楽屋という十分な光量が得られない場所での低感度フィルムを使っての撮影のためであろう、ピントが甘く手ぶれの写真がいくつも見られるが、その方が却って、ピントの合った写真にはない、幻想的な画像となって、煙草を燻らせる女性の謎めいた雰囲気を引き出しているように思える。

●作家:Jacques-Henri Lartigue(1894-1986)
●種類:Photograph
●題名:Les Femme aux Cigarettes
●著者:Jacques-Henri Lartigue
●サイズ:164x164mm
●技法:Offset
●発行:The Viking Press, New York
●制作年:1980
a0155815_18421498.jpg

a0155815_1844753.jpg

a0155815_184356.jpg
雑誌『ライフ(LIFE)』のカメラマン、ヘンリー・グロスキンスキー(Henry Groskinsky, 1934-)によるラルディーグの肖像写真
a0155815_18425456.jpg

a0155815_18431831.jpg

a0155815_18435967.jpg

a0155815_18432871.jpg
a0155815_18433886.jpg
a0155815_18435090.jpg



註:
1.この年のアメリカでは、ジャズエイジという言葉に表されるようにジャズが時代の音楽となり、享楽と消費という都市文化が大きく発展する中、世界初のトーキーと言われている『ジャズ・シンガー』(The Jazz Singer)が公開され、人気を博した。
[PR]

by galleria-iska | 2014-03-17 20:51 | その他 | Comments(0)
2014年 03月 09日

アルベール・デュブーのメニュー「Au Mouton de Panurge」(1955)

a0155815_17254136.jpg

素人の味覚に迎合した昨今の表層的な美食(グルメ)ブームはさておき、それを美学にまで高めることはそれなりの素養と哲学を要する。無趣味で浅学非才の自分には縁遠い世界であるが、それに対して食を欲望として捉える言葉がグルマンというらしい。集合的にはグルメはグルマンに含まれるのであろうか。自分のグルマン的経験と言えば、子供の頃にもうこれ以上食べることが出来ないというまでカレーライスを食べ続けたことぐらいであろうか。食べるのを止めた途端、呼吸困難となり、死の恐怖とともに、食べ過ぎて死ぬこともあるのだと悟った。1974年に日本でも公開されたフランス・イタリア合作の喜劇映画「最後の晩餐(La Grande Bouffe)」(1973)を公開当時、邦題に釣られて観に行ったことがある。実際は池袋の三番館で観たサテリコンの酒池肉林にも一脈通じる食欲と性欲、それにスカトロジーを交え繰り広げられる、退屈な生活と満たされない欲望に疲れた中年男四人の自殺劇を描いた作品であった。映画通ではない自分はマルチェロ・マストロヤンニ以外の配役(ウーゴ・トニャッティ、ミシェル・ピッコリ、フィリップ・ノワレ、アンドレア・フェレオル)は知らず、却って演技を超えた生々しさを感じた。そして本当に登場人物たちは食べるだけ食べて死んでいった。因みに監督・脚本は「ひきしお」のマルコ・フェレーリ、撮影はマリオ・ヴルピアーニ、音楽はフランス映画音楽界の巨匠で、「ひきしお」の音楽も担当したフィリップ・サルド。この作品は1973年の第26回カンヌ映画祭に出品され、スキャンダルを巻き起こしたものの、国際批評家連盟賞を受賞している。

美食と大食を兼ね備えた主人公が登場する物語の元祖と言えば、フランス・ルネサンス期の人文主義者で作家、医師でもあったフランソワ・ラブレー(François Rabelais, 1483?-1553))が著した中世の騎士道物語のパロディー『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』である。その『パンタグリュル物語』第四之書の第八章に登場する、パンタグリュルの従者パニュルジュが自分を侮った商人の自慢する羊を買い取って海に投げ込むと、他の羊達がぞろぞろ後を追って海へ飛び込んで溺れ死ぬというエピソードに依拠する、"Mouton de Panurge” (パニュルジュの羊=訳も分からず付き従うの意) という諺的言葉に由来する店名で1949年パリに創業したレストラン「Au Mouton de Panurge」(1977年焼失)には、ラブレーと(生まれ故郷の)ラ・ドヴィニエール友の会の美食家本部(siège gastronomique officiel de l'Association des amis de Rabelais et de La Devinière/Official gourmet headquarters of the Association of Friends of Rabelais and La Deviniere.)が置かれていた。

これはその1955年1月24日のメニューとして発行されたもので、レストランの壁画を担当したフランスの人気漫画家で挿絵画家のアルベール・デュブー(Albert Dubout, 1905-1976)が挿絵を手掛けており、壁画をもとにした表紙絵には中世の出で立ちで酒宴を繰り広げる巨人で大食漢のパンタグリュル一行が面白可笑しく描かれている。この構図自体は、1937年にデュブーが挿絵を担当した『パンタグリュル物語』の挿絵にもとづいているようである。

●作家:Albert Dubout(1905-1976)
●種類:Menu
●サイズ:252162mm(252x325mm)
●技法:Line block(?)+stencil(pochoir)
●発行:Michel de Bray, Paris
●印刷:Lucien Caillé
●制作年:1955
a0155815_17255970.jpg

a0155815_173815.jpg
a0155815_17381564.jpg
a0155815_17382595.jpg

a0155815_17341178.jpg
レストランを訪れた各界の名士たちの署名(刷り込み):この年フランス・アカデミー会員になったジャン・コクトーや彼の愛人とされるジャン・マレーを始め、オーソン・ウエルズ、マルティーネ・キャロル、エロール・フリン、リタ・ヘイワース、スージー・ドゥレール、エドウィジュ・フィエール、、クラーク・ゲーブルといった映画・演劇界の著名人や歌手のエディット・ピアフ、作家のピエール・マック・オルラン、医師のアルベルト・シュヴァイツァー博士らの名も見える。
[PR]

by galleria-iska | 2014-03-09 18:21 | その他 | Comments(0)
2014年 02月 03日

ジューン・リーフのカバーアート「The Lines of My Hand」(1989)

a0155815_11382679.jpg
1989年に刊行された改訂版の『The Lines of My Hand』(註1)の書影。半透明のグラシン紙のカバーが付けられている
a0155815_11351948.jpg
ジューン・リーフ(June Leaf, 1929-)による表紙絵
a0155815_113618.jpg
図版:リチャード・アヴェドン(Richard Avedon, 1923-2004)によるフランクとリーフの肖像写真。アヴェドンの写真集『Richard Avedon Evidence 1944-1994』(Schirmer /Mosel Verlag, München, 1994.)より

スイスの裕福なユダヤ人家庭に生まれながらも、1947年、自由を求めてアメリカに渡った写真家ロバート・フランク(Robert Frank, 1924-)はアメリカの写真界のみならず世界中の写真家たちに影響を与え、そのオリジナル・プリントは高値で取引されているが、フランクの代表的な写真集『Les Américains(The Americans)』と『私の手の詩(The Lines of My Hand)』は共にアメリカ以外の国で最初に刊行されている。ユダヤ系ルーマニア人の漫画家でイラストレーターのサウル・スタインバーグ(Saul Steinberg, 1914-1999)が表紙を手掛けたフランクの最初の写真集『Les Américains』(註2)は1958年にパリのロベール・デルピール(Robert Delpire Editeur, Paris)から刊行され、その翌年、ミラノのサジアトーレ(Il Saggiatore, Milan)からイタリア版の『Gli Americani』、ニューヨークのグローヴ・プレス(Grove Press, New York)からアメリカ版の『The American』(註3)がそれぞれ刊行された。また、フランクの評価が定まった1968年には改訂版がニューヨークのアパチャー・ブック(Aperture Book, New York)から刊行され、その後も何度か復刊されている。もうひとつの『私の手の詩(The Lines of My Hand)』も、まず1972年に邑元舎(Yugensha, Tokyo)から限定1000部の日本版が刊行され、同じ年、ロバート・フランクの映画「ミー・アンド・マイブラザー(Me and My Brother)」(1968年)の助手を務めた写真家のラルフ・ギブソン(Ralph Gibson, 1939-)が設立したラストラム・プレス(Lustrum Press、New York)からアメリカ版(註4)が刊行され、1989年にパンテオン・ブックス(Pantheon Books, New York)他から改訂版が刊行されたのである。その内、日本版の装丁はグラフィックデザイナーの杉浦康平(Kohei Sugiura, 1932-)氏が担当しており、後の二冊は、最初の写真集の装丁に倣ってか、フランクの二番目の妻であるジューン・リーフ(June Leaf, 1929-)(註5)によるオリジナルのイラストレーションが使われている。このイラストレーションは当初、日本版のために制作されたはずなのだが、豪華版という事情もあってか、文中での紹介となっており、表紙はフランクの写真(註6)を用いたものになった。そのリーフが描いた(フランクの)手には二重の意味が込められているのではないかと思われる。手は、画家であれ、彫刻家であれ、写真家であれ、作家の創作行為を示すものであり、その手によって生み出された作品に自らの言葉を重ね合わせた『The Lines of My Hand』は自伝的意味合いの強い写真集であるとともに、ある種の詩画集とも言えるものだが、“私の手の姿”とも読むことができることから、フランクのそれまでの歩みが刻まれた肖像画としても見ることができるかもしれない。

画家による写真集の表紙は特殊な例と言えるし、写真集の装丁としては相応しくない印象を持ってしまうが、マチスやミロ、スタインバーグ、そしてジューン・リーフと、それぞれ独自の芸術様式を確立した画家たちの作品を用いたアンリ・カルティエ=ブレッソンとロバート・フランクの写真集は、それまでの写真の在り方に大きな変革をもたらし、単なる記録性や絵画的な構図に止まらない刺激的で創造的な表現手段であることを立証した象徴的な写真集であるが故に、その装丁の独創性についても特筆されるべき写真集と言えるのではないだろうか(註7)。

●作家:June Leaf(1929-)
●種類:Cover art
●サイズ:325x255mm
●技法:Offset lithograph
●制作年:1989(originally published in 1972)

a0155815_1135227.jpg

a0155815_1135308.jpg

a0155815_11354095.jpg




註:

1.『The Lines of My Hand』の体裁と内容:
The revised edition of『The Lines of My Hand』was published by Pantheon Books, New York in 1989. Hardcover, 4to (325 x 255 mm), pp.[180] (inc. one tri-fold). Numerous black-and-white photographs, contact sheets, film strips, and montages, two sequences in colour. Red endpapers. Cover illustration by June Leaf. Printed glassine dust-jacket. The revised edition of Frank's photographic autobiography. 『The Lines of My Hand』 was first published as a deluxe edition in Japan by Kazukio Motomura (1972), that same year Ralph Gibson's Lustrum Press published a first trade edition which was available in wrappers only. This edition retains the original dedication to his two children, Pablo and Andrea, "who are trying to find a better way to live." In 1974 Andrea was killed in a plane crash in Guatemala and twenty years later, five years after the publication of this book Frank lost his son Pablo. The photographs represent every stage of his work to the time of publishing, presented in chronological order and were selected less for their historic or aesthetic significance than for their personal meaning.


2.記録媒体や絵画の代用物としてあった写真を作者のヴィジョンを表現する手法として位置を確立したのはマン・レイによるところが大きく、画家や詩人たちとの交流の中で、形式から理念的な展開を持つことで、写真表現の可能性を押し拡げていったことは周知のとおりである。1952年と55年にフランスの美術出版社ヴェルヴ(Éditions Verve, Paris)から相次いで出版されたアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)の重要な二冊の写真集『決定的瞬間《英題:The Decisive Moment、仏原題:Image à la sauvette(「逃げ去る映像」の意))』(1952年刊)と『ヨーロッパ人(英題:The Europeans、仏原題:Les Européens)』(1955年刊)はそれぞれアンリ・マチスとジョアン・ミロがデザインした表紙を用いており、印刷は1933年にパリの出版社(Arts et Métiers Graphiques, Paris)から刊行されたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(Brassai, 1899-1984)の傑作『夜のパリの夜(英題:Paris by Nigjt, 仏原題:Paris de Nuit)』の印刷を手掛けた、広告やポスター、挿絵、写真印刷では定評のあるパリのドレーガー(Draeger, Imp., Paris, 1887-1980)で、オフセット印刷ではなく、マットでしっとりとした表情を持つエリオグラヴュール(Héliogravure)で行なわれている。編集の意図においてカルティエ=ブレッソンの『ヨーロッパ人』の流れを汲むフランクの『アメリカ人』の印刷も同様にドレーガーで行なわれている。
a0155815_170268.jpg
フランクの最初の写真集『Les Américains』の書影

3.1959年にニューヨークのグローヴ・プレスから刊行されたアメリカ版「The Americans」は、大いなる繁栄を謳歌していた当事のアメリカにあって、異邦人の冷徹な目によって素のアメリカの姿を浮き彫りにした写真は不評で、 写真誌「Popular Photography」は、""meaningless blur, grain, muddy exposures, drunken horizons and general sloppiness." と嘲笑した。

4.New York, Lustrum, 1972., Folio(305x225mm), unpaginated; black & white plates; stiff card pictorial wrappers. First US edition (preceded by a deluxe Japanese edition in the same year) printed by Ralph Gibson’s Lustrum Press: イギリスの写真家マーティン・パー(Martin Parr)とジェリー・バジャー(Gerry Badger)によって編まれた写真集紹介書『The photobook:A History Vol.1』(Phaidon, 2004)には、次ぎのように紹介されている:
‘If Lustrum had done nothing expect make this cheap edition of the Japanese book available,
it would have been contribution enough to the history of the photobook’ (Parr & Badger, I, 238).


5.ジューン・リーフの略歴:
June Leaf was born in 1929 in Chicago. In Chicago, she begins her studies at the New Bauhaus Institute of Design, which she interrupts after three months in favor of a stay in Paris. In the French capital, in the Musée de l’Homme she discovers primitive art, which leaves a deep impression on her. Upon her return to Chicago in 1949 she strikes up friendship with artists such as Leon Golub who are affiliated with the School of the Art Institute of Chicago (SAIC). She concludes her studies in Art Education at Roosevelt University in 1954 with a B.A. and an M.A.

Her earliest works as an artist date back to her student years. In 1948, she takes part for the first time in the Annual Exhibition at The Art Institute of Chicago. The same year, Leaf has a presentation of her works in a solo exhibition at the Sam Bordelon Gallery in Chicago. In the 1950s and 1960s, beside her activities as an artist, June Leaf takes on teaching assignments at the Illinois Institute of Design, at the SAIC and at the Parsons School of Design, New York. Between 1958 and 1959, she travels through Europe on a Fulbright Scholarship. Upon returning to the States in 1960, she settles in New York. During the 1950s, June Leaf mainly exhibits her work in Chicago; by the mid-Sixties she takes the first steps that lead her beyond the city of her birth: thus, in 1965, she takes part in a group exhibition in the Galerie Rue du Dragon in Paris – one of her extremely rare appearances outside North America. In 1966 she has her first solo exhibition in the Allan Frumkin Gallery in New York.

In 1969, Leaf – together with her husband, the famous Swiss-American photographer and film maker Robert Frank – retires to Mabou, Nova Scotia. She takes a course in forging and sets up a metal-workshop. June Leaf spends the major part of the year in the loneliness of the South Canadian peninsula in the Atlantic. But at regular intervals, the artist couple is drawn back to the metropolis, to Bleecker Street in New York’s Lower Eastside. In 1970, Leaf participates in a group exhibition at the Whitney Museum of American Art in New York. This is followed in 1978 by a solo exhibition at the Museum of Contemporary Art in Chicago, where Leaf’s paintings and sculptures that more often than not are closely related to each other are also shown in group exhibitions. Both these museums have acquired works by June Leaf for their collections, as have also the Museum of Modern Art, New York, and the Tel Aviv Museum of Art. Since the mid-1980s, the artist is represented by the Gallery Edward Thorp in New York. The Washington Project for the Arts organizes a retrospective of her work in 1991, which is subsequently shown at the Addison Gallery of American Art in Andover, MA. Up to now, June Leaf’s outspokenly individualistic work is barely known in Europe. The exhibition at the Museum Tinguely in Basel is the first showing of this artist in a European museum. The exhibition will include over 100 sculptures, drawings and paintings.


6.限定1000部の豪華本として刊行された日本版は、フランクの二種類の写真「New York City, 1948」と「Platte River, Tennessee』が、それぞれ500部づつ表紙に貼られるという体裁を取っている。

7.ただ、個人的にはフランクの写真に特別な関心を持っているわけではなく、どちらかと言うと、ウォーホルの映像作家転身とどこか重なる、フランクの映像作家としての活動の方に興味を持った。とは言え、正直何を頼りに探っていったらよいものか見当も付かぬまま時間だけが過ぎ、興味を失いかけてきた頃、偶然、イギリスのロックグループ、ローリング・ストーンズの年譜か何かで、フランクが監督・撮影・編集を行なったストーンズの1972年のアメリカツアーの幻のドキュメンタリーフィルム『COCKSUCKER BLUES』-1989年に刊行された改訂版の『The Lines of My Hand』には映画フィルムの一部が紹介されている-があるのを知った。映画であればビデオ化されているのではと、ビデオショップなどを当ってみたのだが、正式に公開されたことがない作品らしく、見つけることは出来なかった。ところが最近、アメリカのネットオークションにブート版のビデオが出品されているのを見付け、日本国内のオークションでも見つかるかもしれないと探してみたところ、ビデオではなくDVDが出品されているのを発見。しかも有り難いことに日本語の字幕が付いているとのことで、こちらを購入しようかと考えている。


参考文献:
a0155815_11354999.jpg
十数年前に写真研究で名高いアメリカのアリゾナ大学の創造的写真センター(Center for Creative Photography, University of Arizona)から1986年に刊行された、ロバート・フランクの1946年から1985年までの出版、映画作品、展覧会歴を網羅した『Robert Frank: A Bibliography, Filmography and Exhibition chronology 1946-1985』by Stuart Alexander(Assistant Archivist at Center for Creative Photography)を手に入れ、フランクが手掛けた具体的な映像作品
[PR]

by galleria-iska | 2014-02-03 12:08 | その他 | Comments(0)
2014年 01月 25日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「Portrait Samuel Beckett」(1976)

a0155815_18144235.jpg

1978年に開催された第一回リストウェル国際版画ビエンナーレ(Listowel International Print Biennale, Ireland)で金賞を受賞したパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)のリトグラフ「サミュエル・ベケットの肖像(Portrait Samuel Beckett)」。この作品はヴンダーリッヒが1976年に、シュトゥットガルトの版元マニュス・プレス(Manus Presse, Stuttgart)から限定50部で出版したもので、1971年にドイツで出版された『Samuel Beckett 』(Klaus Birkenhauer, RoRoRo Bildmonographie 176)掲載の写真に想を得て制作されたのではないかと思われる。引用と変容というヴンダーリッヒの方法論に沿いながらも、この作品が見せる表情は、一般に流布している雑誌や広告・宣伝などの写真をもとに制作を行なうという、第二次世界大戦後のイギリスやアメリカで興った現代美術の作家の絵画や版画を想起させるが、その分ヴンダーリッヒの作品としての個性が薄まり、人気、評価共に今ひとつである。

ヴンダーリッヒが何故アイルランド出身のサミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906-1989)に興味を抱いたのは不明であるが、この年、同じアイルランド出身の作家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce, 1882-1941)へのオマージュともいえる10点組の版画集も出版している。ヴンダーリッヒはベケットの肖像を描くにあたり、時が彫り上げた深い皺のある顔を敢えて描かず、シルエットだけで表現する方法を選んでいる。版画目録に掲載された第一段階では未だ丸眼鏡を描き入れているが、決定段階では、姿を見せないゴドーに準え、丸眼鏡は画面の右下に作家のアトリビュートとして添えられ、見る側の記憶の中にあるベケットの肖像を想起させる方法を取っており、従来的な肖像画とは一線を画している。

この作品には、出版されたものとは幾分色調の異なる試し刷り(epreuve d'essai =e.e)があり、そちらは余白(マージン)が裁断されていない。以前、ヴんダーリッヒがオッフェンバッハの版元フォルカー・フーバー氏に献呈したものを手に入れ気に入っていたのだが、コレクターに奪われてしまい、今手元にあるのは出版された方であるが、何か物足りない気がする。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Lithograph
●サイズ:645x493mm
●技法:Lithograph
●紙質:Rives
●限定:50
●発行:Manus Presse, Stuttgart
●制作年:1976
a0155815_181512.jpg
シート左下に押されたリトグラフ工房マチュー(左)と出版元マニュス・プレス(右)の空押し印。


註:
1.
a0155815_18153993.jpg
『Samuel Beckett 』(Klaus Birkenhauer, RoRoRo Bildmonographie 176)の書影
a0155815_18152411.jpg
サミュエル・ベケットの肖像写真。撮影:ジェリー・バウアー(Jerry Bauer)
[PR]

by galleria-iska | 2014-01-25 17:41 | その他 | Comments(0)
2013年 12月 28日

マリオ・アヴァティの年賀状「Galerie Sagot-Le Garrec」(1968)

a0155815_1652975.jpg

長谷川潔や浜口陽三と並び称されるメゾチントの名手、マリオ・アヴァティ(Mario Avati, 1921-2009)が、メゾチントを始めてから10年経った1967年にパリの版画専門画廊サゴ‐ル・ガレック画廊(Galerie Sagot-Le Garrec)の1968年の年賀状として制作したもの。水の女神エウリュノメとゼウスの愛の結晶である三姉妹が輪舞する「三美神(Les Trois Grâces)」を描いたものではないかと思われるが、アヴァティは、古典的な構図に倣いつつも、多くの巨匠が描いたような理想化された優美な裸体表現には向わず、新しい年を祝うに相応しい、輝き、喜び、花盛りといった寓意性に着目し、この主題を取り上げたようだ。静謐な画面を特徴とするメゾチントには意外かもしれないが、アヴァティはこの作品で、輪舞する三美神の肢体や巻き髪にキュビスム的な造形を取り入れることで、長谷川潔や浜口陽三の作品には見られない躍動感やリズム感を生み出している。

●作家:Mario Avati(1921-2009)
●種類:Greeting card(Cartes de vœux)
●サイズ:125x151mm(125x302mm)
●技法:Mezzotint(Manière Noire)
●紙質:BFK Rives
●発行:Galerie Sagot-Le Garrec, Paris
●制作年:1967
a0155815_16111184.jpg

a0155815_1610037.jpg

[PR]

by galleria-iska | 2013-12-28 15:21 | その他 | Comments(0)