ガレリア・イスカ通信

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2014年 05月 28日

ジョルジュ・ファーヴルのジグソーパズル「Publicite TSF Pathé 53」(1934)

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自分は世に言うところの収集家ではないので、特定の対象に関心を持ち収集を行なうことはないが、雑食性の性か、あれやこれやと目に付いたものに気が行ってしまうところがある。それだけで終われば未だ良いが、性質が悪いことに、そこからまた横道に逸れてしまい、なかなか元に戻ってこれなくなってしまうのである。先日も前から気になっていたキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)が自身の誕生パーティーの招待状として制作したジグソー・パズルの購入資金のことで思い悩んでいるうちに、アールデコ時代の日本ではあまり知られていないポスター作家によるパテ社(Pathé)(註1)製の真空管式受信機(ラジオ)の宣伝用ポスターを基に作られたジグソーパズル、今で言うノベルティ・グッズに遭遇、その珍しさに惹かれて購入してしまった。このジグソーパズルはおそらく顧客や関係者に向けて配られたものかと思われるが、パテ社が製造した実用タイプの53型真空管式受信機の宣伝用ポスター(Pathé 53, Affiche de Georges Favre 1934. Imp. Delattre. 120x80 cm)のイメージをそのまま用いて作られており、収納用の紙袋にも同じイメージが使われている。紙袋に若干変色が見られるが、ジグソーパズルの方は印刷時の瑞々しさが失われておらず、経年による時代感と当事の人たちと同じ新鮮な驚きとを同時に味わうことができる。もとになったポスターの作者は、パリの国立美術学校で19世紀フランス・アカデミズムの画家で彫刻家のジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme 、1824–1904)もとで学び、『挿絵入りのフィガロ紙』(Le Figaro Illustré)や『ル・ゴロワ紙』(Le Gaulois)で諷刺画家として働いた、ポスター作家のジョルジュ・ファーヴル(Georges Favre, 1873-1942)である。ファーブルはカッサンドル(Adolphe Mouron Cassandre, 1901–1968)(註2)がポスター作家として活躍した1927年から1935年にかけて数多くの商業ポスターを手掛けており、パテ社の一連の真空管式受信機(註3)の宣伝用ポスターを制作している。

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ジュルジュ・ファーヴルの版上サイン。画面左下の『鳴く雄鶏』はパテ兄弟商会のロゴとして作られたものだが、1920年代に社名とともに一度他社に売却されている。
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●作家:Georges Favre
●種類:Jigsaw puzzle
●サイズ:168x115mm(Paper sack:181x130mm)
●技法:Lithograph
●発行:Pathé
●制作年:1934



1.1896年にパリにフォノグラフ・レコードを販売する「パテ兄弟商会」(Société Pathé Frère)を設立したパテ4兄弟は、その後レコード製造工場を建てるなどして事業を拡大、また当事目新しかった映画にも目をつけ、撮影用の機材の製造を開始、20世紀初頭には、レコード製作の大手であるばかりでなく、世界最大の映画撮影機器製造会社となった。事業規模が大きくなりすぎたため、1918年に映画製作部門とレコード製作部門とに分社化するが、1928年にレコード製作部門が英コロムビアに買収され、映画製作部門も世界恐慌を前にして債務超過状態となり、1929年2月にルーマニア生まれのユダヤ人映画プロデューサー、ベルナール・ナタン(Bernard Natan)に買収される。ナタンはごく短期間でパテ社の経営を立て直し、再び映画産業での地位を回復すると、1929年11月、フランス最初のテレビジョン会社「Télévision-Baird-Natan」を設立、翌30年にはパリのラジオ放送局を買い、ラジオ帝国の建設のため、ラジオ放送の真空管式受信機の製作に乗り出す。

2.カッサンドルも1932年、パテ社の依頼で、“真空管式受信機”(図版A)と“蓄音機”(図版B)の2点の宣伝用ポスターのデザインを行なっている。
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                                        (A)
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                                        (B)

3.パテ社が1930年代に製造した真空管式受信機(ラジオ)のラインナップ広告。
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by galleria-iska | 2014-05-28 18:03 | その他 | Comments(0)
2014年 03月 17日

ジャック=アンリ・ラルティーグの写真集「Les Femmes aux Cigarettes」(1980)

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煙草を吸うお姉さんは好きですか? 学生の頃、年に何度か大枚を叩いて、ジャズマニアの友人たちと海外のジャズプレイヤーの来日公演を聴きに出掛けた。ジャズクラブでの演奏ではないので会場は勿論禁煙。休憩時間になると皆一斉にロビーに出て煙草を吸い始めるのだが、そこに来ているお姉さんたちが、日頃目にする女子学生とは比べものにならない美人ばかりで、大人の女性とはこういうものかと、しばし映像を観るような感覚で見入ってしまった。彼女たちは大抵音楽関係の殿方と連れ立って来ており、本当にジャズが好きかどうかは分からず、見得張りの殿方のお飾り的な存在だったかもしれないが、その彼女たちがこぞって煙草に火を付け、ためらいもなく鼻からスゥーと煙を吐き出す姿に目を瞠ると同時に、同じ空間に居ながらも、益々こちら側とあちら側という二つの世界の隔たりを感じてしまった。ジャズといえば、煙草はもちろん、酒やコーヒーも付き物で、それらは詩や文学、演劇や映画にとっても欠かすことの出来ない小道具となっている。そのどれもやらない自分は、人生の悦楽の大部を経験せず、実にのっぺりした人生を歩んで来てしまったのかもしれない。

若い女性が煙草を薫らせる姿を捉えた写真というと、アメリカ出身の写真家ウィリアム・クライン(William Klein, 1928-)による二枚のファッショナブルな写真「Quelques Femmes au Hasard」(1974 & 1978)が思い出されるが、女性の喫煙は、男のそれが仕事と深く結びついているのとは異なり、挑発的であったり、幻惑的であったり、また妖艶さを漂わせたりと、ある種のセックスアピールのようにも映る。本題に移ろう。アールデコ華やかなりし1927年(註1)、紙巻煙草を吸い始めた女性の姿は男性の目には奇妙で不思議な光景として映ったようである。フランスの裕福な家庭に生まれ、8歳のころから自分のカメラで写真を撮り出した偉大なアマチュア写真家ジャック=アンリ・ラルティーグ(Jacques-Henri Lartigue, 1894–1986)もその一人で、彼はその年、数ヶ月に渡って、流行の最先端にいた人気の踊り子や女優たちを楽屋裏に訪ね、彼女たちの煙草を吸う姿を撮影した。この小型サイズの写真集は、ラルティーグがそれから半世紀経った1980年に、自ら撮影した写真96点を選んで出版したもの。御年86歳の時のことである。写真集には、楽屋という十分な光量が得られない場所での低感度フィルムを使っての撮影のためであろう、ピントが甘く手ぶれの写真がいくつも見られるが、その方が却って、ピントの合った写真にはない、幻想的な画像となって、煙草を燻らせる女性の謎めいた雰囲気を引き出しているように思える。

●作家:Jacques-Henri Lartigue(1894-1986)
●種類:Photograph
●題名:Les Femme aux Cigarettes
●著者:Jacques-Henri Lartigue
●サイズ:164x164mm
●技法:Offset
●発行:The Viking Press, New York
●制作年:1980
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雑誌『ライフ(LIFE)』のカメラマン、ヘンリー・グロスキンスキー(Henry Groskinsky, 1934-)によるラルディーグの肖像写真
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註:
1.この年のアメリカでは、ジャズエイジという言葉に表されるようにジャズが時代の音楽となり、享楽と消費という都市文化が大きく発展する中、世界初のトーキーと言われている『ジャズ・シンガー』(The Jazz Singer)が公開され、人気を博した。
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by galleria-iska | 2014-03-17 20:51 | その他 | Comments(0)
2014年 03月 09日

アルベール・デュブーのメニュー「Au Mouton de Panurge」(1955)

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素人の味覚に迎合した昨今の表層的な美食(グルメ)ブームはさておき、それを美学にまで高めることはそれなりの素養と哲学を要する。無趣味で浅学非才の自分には縁遠い世界であるが、それに対して食を欲望として捉える言葉がグルマンというらしい。集合的にはグルメはグルマンに含まれるのであろうか。自分のグルマン的経験と言えば、子供の頃にもうこれ以上食べることが出来ないというまでカレーライスを食べ続けたことぐらいであろうか。食べるのを止めた途端、呼吸困難となり、死の恐怖とともに、食べ過ぎて死ぬこともあるのだと悟った。1974年に日本でも公開されたフランス・イタリア合作の喜劇映画「最後の晩餐(La Grande Bouffe)」(1973)を公開当時、邦題に釣られて観に行ったことがある。実際は池袋の三番館で観たサテリコンの酒池肉林にも一脈通じる食欲と性欲、それにスカトロジーを交え繰り広げられる、退屈な生活と満たされない欲望に疲れた中年男四人の自殺劇を描いた作品であった。映画通ではない自分はマルチェロ・マストロヤンニ以外の配役(ウーゴ・トニャッティ、ミシェル・ピッコリ、フィリップ・ノワレ、アンドレア・フェレオル)は知らず、却って演技を超えた生々しさを感じた。そして本当に登場人物たちは食べるだけ食べて死んでいった。因みに監督・脚本は「ひきしお」のマルコ・フェレーリ、撮影はマリオ・ヴルピアーニ、音楽はフランス映画音楽界の巨匠で、「ひきしお」の音楽も担当したフィリップ・サルド。この作品は1973年の第26回カンヌ映画祭に出品され、スキャンダルを巻き起こしたものの、国際批評家連盟賞を受賞している。

美食と大食を兼ね備えた主人公が登場する物語の元祖と言えば、フランス・ルネサンス期の人文主義者で作家、医師でもあったフランソワ・ラブレー(François Rabelais, 1483?-1553))が著した中世の騎士道物語のパロディー『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』である。その『パンタグリュル物語』第四之書の第八章に登場する、パンタグリュルの従者パニュルジュが自分を侮った商人の自慢する羊を買い取って海に投げ込むと、他の羊達がぞろぞろ後を追って海へ飛び込んで溺れ死ぬというエピソードに依拠する、"Mouton de Panurge” (パニュルジュの羊=訳も分からず付き従うの意) という諺的言葉に由来する店名で1949年パリに創業したレストラン「Au Mouton de Panurge」(1977年焼失)には、ラブレーと(生まれ故郷の)ラ・ドヴィニエール友の会の美食家本部(siège gastronomique officiel de l'Association des amis de Rabelais et de La Devinière/Official gourmet headquarters of the Association of Friends of Rabelais and La Deviniere.)が置かれていた。

これはその1955年1月24日のメニューとして発行されたもので、レストランの壁画を担当したフランスの人気漫画家で挿絵画家のアルベール・デュブー(Albert Dubout, 1905-1976)が挿絵を手掛けており、壁画をもとにした表紙絵には中世の出で立ちで酒宴を繰り広げる巨人で大食漢のパンタグリュル一行が面白可笑しく描かれている。この構図自体は、1937年にデュブーが挿絵を担当した『パンタグリュル物語』の挿絵にもとづいているようである。

●作家:Albert Dubout(1905-1976)
●種類:Menu
●サイズ:252162mm(252x325mm)
●技法:Line block(?)+stencil(pochoir)
●発行:Michel de Bray, Paris
●印刷:Lucien Caillé
●制作年:1955
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レストランを訪れた各界の名士たちの署名(刷り込み):この年フランス・アカデミー会員になったジャン・コクトーや彼の愛人とされるジャン・マレーを始め、オーソン・ウエルズ、マルティーネ・キャロル、エロール・フリン、リタ・ヘイワース、スージー・ドゥレール、エドウィジュ・フィエール、、クラーク・ゲーブルといった映画・演劇界の著名人や歌手のエディット・ピアフ、作家のピエール・マック・オルラン、医師のアルベルト・シュヴァイツァー博士らの名も見える。
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by galleria-iska | 2014-03-09 18:21 | その他 | Comments(0)
2014年 02月 03日

ジューン・リーフのカバーアート「The Lines of My Hand」(1989)

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1989年に刊行された改訂版の『The Lines of My Hand』(註1)の書影。半透明のグラシン紙のカバーが付けられている
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ジューン・リーフ(June Leaf, 1929-)による表紙絵
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図版:リチャード・アヴェドン(Richard Avedon, 1923-2004)によるフランクとリーフの肖像写真。アヴェドンの写真集『Richard Avedon Evidence 1944-1994』(Schirmer /Mosel Verlag, München, 1994.)より

スイスの裕福なユダヤ人家庭に生まれながらも、1947年、自由を求めてアメリカに渡った写真家ロバート・フランク(Robert Frank, 1924-)はアメリカの写真界のみならず世界中の写真家たちに影響を与え、そのオリジナル・プリントは高値で取引されているが、フランクの代表的な写真集『Les Américains(The Americans)』と『私の手の詩(The Lines of My Hand)』は共にアメリカ以外の国で最初に刊行されている。ユダヤ系ルーマニア人の漫画家でイラストレーターのサウル・スタインバーグ(Saul Steinberg, 1914-1999)が表紙を手掛けたフランクの最初の写真集『Les Américains』(註2)は1958年にパリのロベール・デルピール(Robert Delpire Editeur, Paris)から刊行され、その翌年、ミラノのサジアトーレ(Il Saggiatore, Milan)からイタリア版の『Gli Americani』、ニューヨークのグローヴ・プレス(Grove Press, New York)からアメリカ版の『The American』(註3)がそれぞれ刊行された。また、フランクの評価が定まった1968年には改訂版がニューヨークのアパチャー・ブック(Aperture Book, New York)から刊行され、その後も何度か復刊されている。もうひとつの『私の手の詩(The Lines of My Hand)』も、まず1972年に邑元舎(Yugensha, Tokyo)から限定1000部の日本版が刊行され、同じ年、ロバート・フランクの映画「ミー・アンド・マイブラザー(Me and My Brother)」(1968年)の助手を務めた写真家のラルフ・ギブソン(Ralph Gibson, 1939-)が設立したラストラム・プレス(Lustrum Press、New York)からアメリカ版(註4)が刊行され、1989年にパンテオン・ブックス(Pantheon Books, New York)他から改訂版が刊行されたのである。その内、日本版の装丁はグラフィックデザイナーの杉浦康平(Kohei Sugiura, 1932-)氏が担当しており、後の二冊は、最初の写真集の装丁に倣ってか、フランクの二番目の妻であるジューン・リーフ(June Leaf, 1929-)(註5)によるオリジナルのイラストレーションが使われている。このイラストレーションは当初、日本版のために制作されたはずなのだが、豪華版という事情もあってか、文中での紹介となっており、表紙はフランクの写真(註6)を用いたものになった。そのリーフが描いた(フランクの)手には二重の意味が込められているのではないかと思われる。手は、画家であれ、彫刻家であれ、写真家であれ、作家の創作行為を示すものであり、その手によって生み出された作品に自らの言葉を重ね合わせた『The Lines of My Hand』は自伝的意味合いの強い写真集であるとともに、ある種の詩画集とも言えるものだが、“私の手の姿”とも読むことができることから、フランクのそれまでの歩みが刻まれた肖像画としても見ることができるかもしれない。

画家による写真集の表紙は特殊な例と言えるし、写真集の装丁としては相応しくない印象を持ってしまうが、マチスやミロ、スタインバーグ、そしてジューン・リーフと、それぞれ独自の芸術様式を確立した画家たちの作品を用いたアンリ・カルティエ=ブレッソンとロバート・フランクの写真集は、それまでの写真の在り方に大きな変革をもたらし、単なる記録性や絵画的な構図に止まらない刺激的で創造的な表現手段であることを立証した象徴的な写真集であるが故に、その装丁の独創性についても特筆されるべき写真集と言えるのではないだろうか(註7)。

●作家:June Leaf(1929-)
●種類:Cover art
●サイズ:325x255mm
●技法:Offset lithograph
●制作年:1989(originally published in 1972)

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註:

1.『The Lines of My Hand』の体裁と内容:
The revised edition of『The Lines of My Hand』was published by Pantheon Books, New York in 1989. Hardcover, 4to (325 x 255 mm), pp.[180] (inc. one tri-fold). Numerous black-and-white photographs, contact sheets, film strips, and montages, two sequences in colour. Red endpapers. Cover illustration by June Leaf. Printed glassine dust-jacket. The revised edition of Frank's photographic autobiography. 『The Lines of My Hand』 was first published as a deluxe edition in Japan by Kazukio Motomura (1972), that same year Ralph Gibson's Lustrum Press published a first trade edition which was available in wrappers only. This edition retains the original dedication to his two children, Pablo and Andrea, "who are trying to find a better way to live." In 1974 Andrea was killed in a plane crash in Guatemala and twenty years later, five years after the publication of this book Frank lost his son Pablo. The photographs represent every stage of his work to the time of publishing, presented in chronological order and were selected less for their historic or aesthetic significance than for their personal meaning.


2.記録媒体や絵画の代用物としてあった写真を作者のヴィジョンを表現する手法として位置を確立したのはマン・レイによるところが大きく、画家や詩人たちとの交流の中で、形式から理念的な展開を持つことで、写真表現の可能性を押し拡げていったことは周知のとおりである。1952年と55年にフランスの美術出版社ヴェルヴ(Éditions Verve, Paris)から相次いで出版されたアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)の重要な二冊の写真集『決定的瞬間《英題:The Decisive Moment、仏原題:Image à la sauvette(「逃げ去る映像」の意))』(1952年刊)と『ヨーロッパ人(英題:The Europeans、仏原題:Les Européens)』(1955年刊)はそれぞれアンリ・マチスとジョアン・ミロがデザインした表紙を用いており、印刷は1933年にパリの出版社(Arts et Métiers Graphiques, Paris)から刊行されたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(Brassai, 1899-1984)の傑作『夜のパリの夜(英題:Paris by Nigjt, 仏原題:Paris de Nuit)』の印刷を手掛けた、広告やポスター、挿絵、写真印刷では定評のあるパリのドレーガー(Draeger, Imp., Paris, 1887-1980)で、オフセット印刷ではなく、マットでしっとりとした表情を持つエリオグラヴュール(Héliogravure)で行なわれている。編集の意図においてカルティエ=ブレッソンの『ヨーロッパ人』の流れを汲むフランクの『アメリカ人』の印刷も同様にドレーガーで行なわれている。
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フランクの最初の写真集『Les Américains』の書影

3.1959年にニューヨークのグローヴ・プレスから刊行されたアメリカ版「The Americans」は、大いなる繁栄を謳歌していた当事のアメリカにあって、異邦人の冷徹な目によって素のアメリカの姿を浮き彫りにした写真は不評で、 写真誌「Popular Photography」は、""meaningless blur, grain, muddy exposures, drunken horizons and general sloppiness." と嘲笑した。

4.New York, Lustrum, 1972., Folio(305x225mm), unpaginated; black & white plates; stiff card pictorial wrappers. First US edition (preceded by a deluxe Japanese edition in the same year) printed by Ralph Gibson’s Lustrum Press: イギリスの写真家マーティン・パー(Martin Parr)とジェリー・バジャー(Gerry Badger)によって編まれた写真集紹介書『The photobook:A History Vol.1』(Phaidon, 2004)には、次ぎのように紹介されている:
‘If Lustrum had done nothing expect make this cheap edition of the Japanese book available,
it would have been contribution enough to the history of the photobook’ (Parr & Badger, I, 238).


5.ジューン・リーフの略歴:
June Leaf was born in 1929 in Chicago. In Chicago, she begins her studies at the New Bauhaus Institute of Design, which she interrupts after three months in favor of a stay in Paris. In the French capital, in the Musée de l’Homme she discovers primitive art, which leaves a deep impression on her. Upon her return to Chicago in 1949 she strikes up friendship with artists such as Leon Golub who are affiliated with the School of the Art Institute of Chicago (SAIC). She concludes her studies in Art Education at Roosevelt University in 1954 with a B.A. and an M.A.

Her earliest works as an artist date back to her student years. In 1948, she takes part for the first time in the Annual Exhibition at The Art Institute of Chicago. The same year, Leaf has a presentation of her works in a solo exhibition at the Sam Bordelon Gallery in Chicago. In the 1950s and 1960s, beside her activities as an artist, June Leaf takes on teaching assignments at the Illinois Institute of Design, at the SAIC and at the Parsons School of Design, New York. Between 1958 and 1959, she travels through Europe on a Fulbright Scholarship. Upon returning to the States in 1960, she settles in New York. During the 1950s, June Leaf mainly exhibits her work in Chicago; by the mid-Sixties she takes the first steps that lead her beyond the city of her birth: thus, in 1965, she takes part in a group exhibition in the Galerie Rue du Dragon in Paris – one of her extremely rare appearances outside North America. In 1966 she has her first solo exhibition in the Allan Frumkin Gallery in New York.

In 1969, Leaf – together with her husband, the famous Swiss-American photographer and film maker Robert Frank – retires to Mabou, Nova Scotia. She takes a course in forging and sets up a metal-workshop. June Leaf spends the major part of the year in the loneliness of the South Canadian peninsula in the Atlantic. But at regular intervals, the artist couple is drawn back to the metropolis, to Bleecker Street in New York’s Lower Eastside. In 1970, Leaf participates in a group exhibition at the Whitney Museum of American Art in New York. This is followed in 1978 by a solo exhibition at the Museum of Contemporary Art in Chicago, where Leaf’s paintings and sculptures that more often than not are closely related to each other are also shown in group exhibitions. Both these museums have acquired works by June Leaf for their collections, as have also the Museum of Modern Art, New York, and the Tel Aviv Museum of Art. Since the mid-1980s, the artist is represented by the Gallery Edward Thorp in New York. The Washington Project for the Arts organizes a retrospective of her work in 1991, which is subsequently shown at the Addison Gallery of American Art in Andover, MA. Up to now, June Leaf’s outspokenly individualistic work is barely known in Europe. The exhibition at the Museum Tinguely in Basel is the first showing of this artist in a European museum. The exhibition will include over 100 sculptures, drawings and paintings.


6.限定1000部の豪華本として刊行された日本版は、フランクの二種類の写真「New York City, 1948」と「Platte River, Tennessee』が、それぞれ500部づつ表紙に貼られるという体裁を取っている。

7.ただ、個人的にはフランクの写真に特別な関心を持っているわけではなく、どちらかと言うと、ウォーホルの映像作家転身とどこか重なる、フランクの映像作家としての活動の方に興味を持った。とは言え、正直何を頼りに探っていったらよいものか見当も付かぬまま時間だけが過ぎ、興味を失いかけてきた頃、偶然、イギリスのロックグループ、ローリング・ストーンズの年譜か何かで、フランクが監督・撮影・編集を行なったストーンズの1972年のアメリカツアーの幻のドキュメンタリーフィルム『COCKSUCKER BLUES』-1989年に刊行された改訂版の『The Lines of My Hand』には映画フィルムの一部が紹介されている-があるのを知った。映画であればビデオ化されているのではと、ビデオショップなどを当ってみたのだが、正式に公開されたことがない作品らしく、見つけることは出来なかった。ところが最近、アメリカのネットオークションにブート版のビデオが出品されているのを見付け、日本国内のオークションでも見つかるかもしれないと探してみたところ、ビデオではなくDVDが出品されているのを発見。しかも有り難いことに日本語の字幕が付いているとのことで、こちらを購入しようかと考えている。


参考文献:
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十数年前に写真研究で名高いアメリカのアリゾナ大学の創造的写真センター(Center for Creative Photography, University of Arizona)から1986年に刊行された、ロバート・フランクの1946年から1985年までの出版、映画作品、展覧会歴を網羅した『Robert Frank: A Bibliography, Filmography and Exhibition chronology 1946-1985』by Stuart Alexander(Assistant Archivist at Center for Creative Photography)を手に入れ、フランクが手掛けた具体的な映像作品
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by galleria-iska | 2014-02-03 12:08 | その他 | Comments(0)
2014年 01月 25日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「Portrait Samuel Beckett」(1976)

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1978年に開催された第一回リストウェル国際版画ビエンナーレ(Listowel International Print Biennale, Ireland)で金賞を受賞したパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)のリトグラフ「サミュエル・ベケットの肖像(Portrait Samuel Beckett)」。この作品はヴンダーリッヒが1976年に、シュトゥットガルトの版元マニュス・プレス(Manus Presse, Stuttgart)から限定50部で出版したもので、1971年にドイツで出版された『Samuel Beckett 』(Klaus Birkenhauer, RoRoRo Bildmonographie 176)掲載の写真に想を得て制作されたのではないかと思われる。引用と変容というヴンダーリッヒの方法論に沿いながらも、この作品が見せる表情は、一般に流布している雑誌や広告・宣伝などの写真をもとに制作を行なうという、第二次世界大戦後のイギリスやアメリカで興った現代美術の作家の絵画や版画を想起させるが、その分ヴンダーリッヒの作品としての個性が薄まり、人気、評価共に今ひとつである。

ヴンダーリッヒが何故アイルランド出身のサミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906-1989)に興味を抱いたのは不明であるが、この年、同じアイルランド出身の作家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce, 1882-1941)へのオマージュともいえる10点組の版画集も出版している。ヴンダーリッヒはベケットの肖像を描くにあたり、時が彫り上げた深い皺のある顔を敢えて描かず、シルエットだけで表現する方法を選んでいる。版画目録に掲載された第一段階では未だ丸眼鏡を描き入れているが、決定段階では、姿を見せないゴドーに準え、丸眼鏡は画面の右下に作家のアトリビュートとして添えられ、見る側の記憶の中にあるベケットの肖像を想起させる方法を取っており、従来的な肖像画とは一線を画している。

この作品には、出版されたものとは幾分色調の異なる試し刷り(epreuve d'essai =e.e)があり、そちらは余白(マージン)が裁断されていない。以前、ヴんダーリッヒがオッフェンバッハの版元フォルカー・フーバー氏に献呈したものを手に入れ気に入っていたのだが、コレクターに奪われてしまい、今手元にあるのは出版された方であるが、何か物足りない気がする。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Lithograph
●サイズ:645x493mm
●技法:Lithograph
●紙質:Rives
●限定:50
●発行:Manus Presse, Stuttgart
●制作年:1976
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シート左下に押されたリトグラフ工房マチュー(左)と出版元マニュス・プレス(右)の空押し印。


註:
1.
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『Samuel Beckett 』(Klaus Birkenhauer, RoRoRo Bildmonographie 176)の書影
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サミュエル・ベケットの肖像写真。撮影:ジェリー・バウアー(Jerry Bauer)
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by galleria-iska | 2014-01-25 17:41 | その他 | Comments(0)
2013年 12月 28日

マリオ・アヴァティの年賀状「Galerie Sagot-Le Garrec」(1968)

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長谷川潔や浜口陽三と並び称されるメゾチントの名手、マリオ・アヴァティ(Mario Avati, 1921-2009)が、メゾチントを始めてから10年経った1967年にパリの版画専門画廊サゴ‐ル・ガレック画廊(Galerie Sagot-Le Garrec)の1968年の年賀状として制作したもの。水の女神エウリュノメとゼウスの愛の結晶である三姉妹が輪舞する「三美神(Les Trois Grâces)」を描いたものではないかと思われるが、アヴァティは、古典的な構図に倣いつつも、多くの巨匠が描いたような理想化された優美な裸体表現には向わず、新しい年を祝うに相応しい、輝き、喜び、花盛りといった寓意性に着目し、この主題を取り上げたようだ。静謐な画面を特徴とするメゾチントには意外かもしれないが、アヴァティはこの作品で、輪舞する三美神の肢体や巻き髪にキュビスム的な造形を取り入れることで、長谷川潔や浜口陽三の作品には見られない躍動感やリズム感を生み出している。

●作家:Mario Avati(1921-2009)
●種類:Greeting card(Cartes de vœux)
●サイズ:125x151mm(125x302mm)
●技法:Mezzotint(Manière Noire)
●紙質:BFK Rives
●発行:Galerie Sagot-Le Garrec, Paris
●制作年:1967
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by galleria-iska | 2013-12-28 15:21 | その他 | Comments(0)
2013年 10月 25日

エル・リシツキーのブックデザイン「The isms of art 1914-1924(Reprint)」(1990)

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本書の原書である『The isms of art 1914-1924(芸術のイズム 1914-1924』(註1)は1925年に、ロシア・アヴァンギャルドの中心的存在のひとり、エル・リシツキー(El Lissitzky, 1890-1941)とダダイストのハンス・アルプ(Hans Arp, 1887-1966)の共同編集により、ドイツの出版社Eugen Rentsch Verlag, Erlenbach-Zürich, München, Leipzig から刊行されたもの。テキストはドイツ語、フランス語、英語の三ヶ国語併記。装丁、タイポグラフィ、レイアウトをリシツキーが担当しており、三ヶ国語のテキストに対応するように、黒の垂直の線と水平の三段グリットからなる建築構造的なデザインによる目次やテキストが11ページ、次いで48ページからなる図版がフォト・モンタージュや構成主義的な造形を感じさせる見せ方で配置されている。テキストは各主義を代表する作家によるもの。本書はそれを忠実に復刻したもので、1990年にドイツの出版社Lars Müller Verlag, Badenから刊行され、1995年と1999年に再版されている。また本書には、同じく三ヶ国語併記による別紙印刷物として、現在バーゼルにある《Hochschule für Gestaltung und Kunst der Fachhochschule Nordwestschweiz/ University of Art and Design. University of Applied Sciences, Nordwestschweiz》の教授を務めるAlois Martin Müllerによる芸術前衛についての解説「Letzte Truppenschau/Derniere Revue des Troupes/The Last Parade」が添えられている。

たまには虫干しと思って取り出してきたわけだが、購入当時は全く内容も知らず、ロシア構成主義のデザインとアメリカの現代美術、特にハードエッジやミニマルアートとの関連性に惹かれて購入したものの、想像していたものとは全く違っていたことから、ずっと仕舞いっぱなしなっていた。本書に紹介されている美術運動としての“イズム”の多くは、1910年代から1920年代にかけての、産業の近代化による社会情勢の変化や第一次世界大戦やロシア革命といった大きな社会変動を背景にして生まれてきたものである。第二次世界大戦後の著しい経済成長により繁栄を謳歌したアメリカで始まった大量生産・大量消費という今日的な社会風景は、ソ連崩壊による冷戦終結がもたらした資本主義の勝利によってさらに加速し、それまでのイデオロギー的な国家を成立させている理念や社会構造自体を経済が飲み込んでいくこととなる。今日の、国家そのものが世界を巻き込んだ貪欲な経済活動によって際限なく消費される状況下では、人間の精神的遺産さえも消費の対象となっており、絵画においても、複製、引用、借用、転用と言った手法の名の下、自然に代わる新しい風景として、人間が作り出したイメージを再現なく消費し続け、オリジナルが持つアウラを限りなく希薄なものにしてしまっている。そして、作る喜び、生み出す苦しみ、育てる力、繋げる努力、そういったものを成立させる前提としての世界そのものが内部崩壊しつつある中で、かつてのように理想を追求する純粋な思想というものを創出し得るエネルギーが失われてしまっているのかもしれず、また何かしらの思想や哲学といった時代に先行する世界観を作家の直観力によって提示してきた美術とっても、新たな創造を目指すことの意味を探り出すことが困難になってきているように思えてしまう。

さらに言えば、世界は永遠であることが揺らぎつつあることを予感しながらも、その危機を乗り越える想像力を地にしがみ付いて生きる人間の手の内に見い出すことは、もはや不可能なのかもしれない。あまたのSF小説にあるように、人類の存亡を掛けて宇宙に進出していかねばならないという話は、空想や活字の中の絵空事ではなく、現実に起こり得る事として、国際宇宙ステーションの建設や火星への有人飛行計画が現実味を与えているように見える。その時、たとえば絵画は「黙示録」以外に人類にどんなヴィジョンを提示することができるのであろうか...。

●作家:El Lissitzky(1890-1941)
●種類:Book Design
●サイズ:265x205mm(257x195mm)
●技法:Lithograph
●印刷:Waser Druck AG, Buch/ZH
●発行:Lars Müller Verlag, Baden, 1990
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註:
1.『The isms of art 1914-1924』was published by Eugen Rentsch Verlag Erlenbach-Zürich, München, Leipzig in 1925. Black and offwhite boards decorated with typography in red, black and white by El Lissitzky. First edition; cover, design and typography by El Lissitzky; printed in red and black by Stähle und Friedel, Stuttgart. 256 x 196 mm.; pp. XI + 48: coated paper with 76 photographs of artists and works, illustrating brief descriptions of art movements of 1914-1924: Constructivism, Verism, Prouns, Neoplasticism, Dada, Simultaneity, Suprematism, Cubism, Futurism, Expressionism, Purism, Metaphsysical art, Abstraction, Merz.
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by galleria-iska | 2013-10-25 12:34 | その他 | Comments(0)
2013年 10月 12日

ドゴン族の彫刻術「Dogon Statuary」(1995)

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マリ共和国のニジェール川流域のバンディアガラの断崖で農耕を営むとされるドゴン族。外界との距離を置きその独自性を保っていたが、テレビ番組でその特異な社会制度や文化が取り上げられたりして、西欧社会との接触が増えるに従い、なかば観光地化されてしまったように思われる。昨今は日本のテレビや観光客も少なからず訪れているようであるが、物珍しさも手伝って、どこか自然公園で動物を観察するのにも似ていなくもない。とは言え、動物と違って意思の疎通が可能であるため、そこに何らかの利益の交換という図式が生まれ、生活の向上を求め観光客目当てのお土産屋も現れることとなる。結果、神話世界の精神性が序々に失われていくこととなるが、似たような事例はどこにでも転がっている。ドゴン族の木彫についても、20世紀初頭のパリでアフリカの彫刻が人気を博し、西欧人によって収集し尽くされた他のアフリカの原始彫刻と同じように、神話世界の表象としての意味が解かれ、通貨的な交換物として土産屋に並ぶようになる。つまり模倣が始まるのである。そして模倣はマンネリを生み、退廃し、失せていく運命にあるが、ときに回帰を生み出し、革新的な存在によって復興を遂げる場合もある。

そのドゴン族や他の部族がそれぞれの世界を成立させ自立した社会を保っていた頃に作られた木彫を調査、その様式や技法を体系的に分類する研究の成果として著された大著がフランスのストラスブールの出版社Éditions Amez,から1995年に刊行された。その前年に出版予約の案内がどこからか舞い込み、1200フランという高価なものであったが、ドゴン族の木彫をコレクションしているという現代美術のリチャード・セラ(Richard Serra )とゲオルグ・バゼリッツ(Georg Baselitz)が、自らの作品の関連性についてコメントを載せてているとの紹介に釣られて予約購入した。ただ如何せん立体音痴のため、なかなかその魅力を見い出せないでいる。

●題名:Dogon Statuary
●著者:Hélène Leloup
●種類:Sculpture
●サイズ:332x223x47mm
●技法:Photoengraving
●発行:Éditions Amez, Strasbourg
●制作年:1994~1995
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by galleria-iska | 2013-10-12 13:08 | その他 | Comments(0)
2013年 09月 29日

フランソワ・ボワロンの年賀状「Bonne Année 87」(1986)

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猛暑続きの今年の夏は、テレビ・コマーシャルにつられて連れ合いが買ってきてくれたアルジェリア生まれの炭酸飲料、オランジーナ(Orangina)に何度も喉を乾きを癒された。フランスの広告にもあるように、暑く乾いた気候に相応しい、きりっとした飲み口かと思っていたのだが、ファンタ・オレンジを意識したのか、日本風の味付けに変えられ、なにか肝心なものが抜け落ちてしまったような気がした。

そのオランジーナの製造元であるフランスのオランジーナ社は1972年、炭酸がボトルの底に沈殿するという欠点に対応するため、ボトルを振ってから飲むという趣旨のもと、フランスの映画監督ジャン=ジャック・アノー(Jean-Jacques Annaud, 1943-)とピエール・エテ(Pierre Étaix, 1928-)による初のテレビ・コマーシャル "Le Tic du barman " ("The barman's twitch")を制作したのだが、1986年にその続編ではないかと思われる広告用の短編アニメーション『Orangina "Barman Story"』(1986年)が制作された。制作には、1950年代から70年代に活躍したフランスの映画監督ミッシェル・ボワロン(Michel Boisrond,1921-2002)の息子で、フランスの1980年代に興ったフランスの具象絵画運動“フィギュラシオン・リーヴル”(Figuration Libre)の作家のひとりであるフランソワ・ボワロン(François Boisrond, 1959-)(註1)が参加している。ボワロンは原画を制作し、映画監督のオリヴィエ・エスマン(Olivier Esmein)と共同で監督を行ない、脚本にも参加している。このアニメーションは1987年に、カナダのフレデリック・バック(Frédéric Back, 1924-)がジャン・ジオノ原作の『木を植えた男』(L'homme qui plantait des arbres)でグランプリ、Canal+ 賞、観客賞を受賞したアヌシー国際アニメーション映画祭 (Festival International du Film d'Animation d'Annecy)(註2)で、広告映画賞〈Prix du film publicitaire/Award for the best advertising film〉を受賞している。

カクテルにも使われるオランジーナであるが、そのオランジーナの肩を相棒よろしく抱くバーマン(バーテンダー)を描いたこの年賀状、アニメーション用の原画の延長線上にあるように思われる。

●作家:François Boisrond(1959-)
●種類:Carte de voeux(New Year Greeetings)
●サイズ:91x210mm(91x420mm)
●技法:Sérigraphie(Silkscreen)
●制作年:1986
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註:

1.アメリカのキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)と同年代のボワロンは、1978年から1981年までパリ国立装飾美術学校(l'École nationale supérieure des arts décoratifs)に学び、そこで同い年のエルヴェ・ティ・ローザ(Hervé Di Rosa,1959-)と出会い、ロベール・コンバス(Robert Combas,1957-)、レミ・ブランシャール(Rémi Blanchard,1958-)と共に“フィギュラション・リーブル”の運動に参加する。絵画以外にも、ポスター作家(affichistes)として数多くのポスターを制作、また壁画や絵本の制作も行なうなど、へリングの活動との共通点が見られる。2000年からはパリ国立高等美術学校(l’Ecole Nationale Supérieure des Beaux-Arts de Paris)の絵画教授となっている。

2.1992年には、スタジオジブリ制作の長編アニメーション『紅の豚』《監督、脚本、原作:宮﨑 駿(Hayao Miyazaki, 1941-)》が長編映画賞を受賞している。
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by galleria-iska | 2013-09-29 16:59 | その他 | Comments(3)
2013年 08月 03日

デイヴィッド・ホックニーの写真集「David Hockney Cameraworks」(1984)

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1983年にロンドンのヘイワード・ギャラリー(Hayward Gallery, London)で開催されたデイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937-)の写真展「Hockney's Photograph」-この展覧会はその後、ヨーロッパ各地および日本に巡回(註1)-を機に1984年にロンドンのテイムズ・アンド・ハドソン社から刊行されたホックニーの写真集「デイヴィッド・ホックニー・カメラワークス(David Hockney Cameraworks)」。1948年創業の美術書やポスターの印刷を手掛けるイタリア ミラノの印刷所《Amilcare Pizzi, S.p.A., Milan》で印刷されたこの写真集は、本文に16世紀の書体デザイナーで印刷・出版も手掛けたクロード・ギャラモン(Claude Garamond, 1480-1561) が製造した書体を元にデザイン、鋳造されたタイプフェース、シモンチーニ(Simontini)(註2)を用いており、この年のコダック写真出版賞(1984 Kodak Photography Book Prize)を受賞している。

ポラロイド・カメラを用いて撮影された、ホックニーのペイントが施されたプールで泳ぐ人物を俯瞰的な構図で捉えた写真やプールサイドに寝そべる男性ヌードは、ホックニーの性的志向という非常に個人的な事柄を主題としているが、その一方で、永遠の一瞬という凍りついた時間の凝視を迫る写真とは異なり、ポラロイド写真の白い縁をグリッドとして用い、碁盤の目のように並べられた複眼的視点を思わせるた静止画像を連続して追うことで、様々な視点と動画のような時間の流れを追体験ことができる。このホックニーのポライド写真によるコラージュは、元はピカソのキュビスムからヒントを得たものであり、一つの写真を長い時間見えていることが出来ないというホックニーの写真にたいする不満を解消するために生み出された手法である。

そう言えば、もう何年もプールに出掛けていないし、中学生の頃は毎日のように出掛けていた海水浴場もすっかり御無沙汰である。多分、今年もプールにも海にも出掛けることはないと思うが、クーラーの無い蒸し風呂のような部屋の中に居ると生きる気力な萎えてしまいそうになるので、ホックニーの写真でも見ながら涼もうかと思い、取り出してきたのがこの写真集である。購入してから三十年近く経ち、本自体はところどころ傷みも出てきたが、いまなお見ることの楽しみを与え続けてくれる写真集である。

●作家:David Hockney(1937-)
●種類:Photograph
●題名:David Hockney Cameraworks
●サイズ;310x308x30mm
●技法:Offset
●発行:Thames and Hudson Ltd, London
●印刷:Amilcare Pizzi, S.p.A., Milan
●制作年:1984
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註:

1.1986年に日本各地で開催されたホックニーの写真展「ホックニーのカメラワーク-Hockney's Photographs」の図録。表紙には上記写真集と同じイメージが使われている。
監修:小川正隆
編集:ホックニーのカメラワーク展図録編集委員会
制作:美術出版デザインセンター
発行:美術館連絡協議会/読売新聞社、1986年
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2.シモンチーニについて記された説明文。以下引用
Some of the most popular typefaces in history are those based on the types of the sixteenth-century printer, publisher, and type designer Claude Garamond, whose sixteenth-century types were modeled on those of Venetian printers from the end of the previous century. Later typefaces by Jean Jannon in the early 1600s were long wrongly attributed to Garamond. Between 1958 and 1961, the Italian foundry Simoncini issued its version of Garamond (actually based on Jannon's typefaces), designed by Francesco Simoncini and W. Bilz. More delicate in line and lighter in color than other Garamond/Jannon inspired typefaces, Simoncini Garamond is very versatile in display as well as text situations.

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by galleria-iska | 2013-08-03 16:23 | その他 | Comments(0)