ガレリア・イスカ通信

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カテゴリ:案内状/招待状関係( 74 )


2017年 08月 24日

パーケット・エディションの案内「Special offer for Parkett Editions」(2002)

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1984年に創刊され、今年の秋に通号100/101号を迎えるスイスの美術雑誌『パーケット(Parkett)』は、常に現代美術の最新の動向を展覧会情報とその評論による特集によって伝えてきた専門性の高い美術雑誌である。今回取り上げるのは、2001年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された“小さな美術館(the small museum)”を標榜するパーケット・エディション(Parkett Editions)の展覧会の反響に応えるため、2002年当時パーケット社が保有していた“パーケット・エディション(Parkett Editions)”の中から22種類を特別価格での提供する案内(裏側が申し込み用紙となっており、リストには22作品を掲載)と、それに付けられた各エディションの絵葉書全21点である。この案内が送られてきたのは、前に取り上げたことがある森万里子(Mariko Mori, 1967-)氏のマルティプル「Star Doll」(Parkett 54,1998)を購入していたからで、リストには草間弥生(Yayoi Kusama, 1929-)が2000年にパーケット59号のために制作した鏡を支持体とするシルクスクリーン・プリント「Infinity Net, 2000」(Silkscreen print on mirror, 255x210mm, Edition:70, $860)も載っている。近年値上がりの激しい草間作品の中にあって、この作品は今年7月1日、スイス チューリッヒのオークションハウス(Koller Auktionen AG, Zürich)に出品され、出版時の約10倍の値、9000スイス・フラン(CHF 9,000=約106万円)で落札されている。これで驚いていてはいけない。パーケットのエディションの中でもっとも高額で取引されているのは、ドイツの現代美術家ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932-)が1993年にパーケット35号のために制作した115点の油彩画である。そのうちの1点「Grün-Blau-Rot /Green-Blue-Red('789-59 Richter, 93')」(305x401mm, 115 unique works, oil on canvas)が2016年にロンドンのクリスティーズで開催されたセール「Post-War and Contemporary Art Day Auction」に出品され、手数込み230500ポンド(GBP 230,500=約3690万円)落札されている。画廊が提示する価格は間違いなく4000万円を超えることになるだろう。発売当初の価格が数千ドルであったので、100倍近くも値上がりしたことになる。リヒター恐るべし! 一方、我が「Star Doll」はと言うと、2004年にニューヨークのサザビースで3000ドル($3,000=約33万円)で落札されたのが最高値で、それ以降ずっと右肩下がりである...

●作家:Various Artists
●種類:Postcards
●サイズ:148x105mm(Box:120x160x8mm)
●技法:Offset
●発行:Parkett-Verlag AG, Zürich(Parkett Publishers, New York)
●制作年:2002
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註:

1.
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現在、パーケット出版から手に入れることができるポストカード集がこちら。168点のポストカードと64ページのテキスト。160x120x18mm(Susan Tallman, Deborah Wye, 「Parkett Collaborations & Editions Since 1984: New Postcard Set of All Artists' Editions with Text Booklet from Parkett's MoMA Show」Price Euro36.-/$48.-)
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by galleria-iska | 2017-08-24 22:47 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2017年 05月 03日

クルト・セリグマン版画展の招待状「Berggruen & Cie」(1998)

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中世の吟遊詩人トルバドゥールや“死の舞踏”を想起させる儀式に没頭する騎士、あるいは故郷であるバーゼルのカーニヴァルに触発された幻想的な作風で知られるスイス生まれのドイツ系アメリカ人画家で版画家そして文筆家でもあったクルト・セリグマン(Kurt Seligmann, 1900-1962)は、詳細な年譜によると、1919年にジュネーヴの美術学校(École des Beaux-Arts, Genève)-そこで、たった3日で退校することになるアルベルト・ジャコメッティ(Albert Giacometti, 1901-1964)と出合う-で学び始めるが、1920年、家具店を経営をしていた父親の健康が悪化したため、バーゼルに戻り、家具店の経営に携わる。1926年に観た展覧会が切っ掛けで芸術探求への情熱が再燃、1928年には反対していた父親もその道に進むことを認めたため、家具店の仕事から退き、フィレンツェへ旅立ち、美術アカデミー(Accademia di Belle Arti)に入学、その年の残りをそこで学ぶ。1929年、パリに渡り、キュビスム的な作風で知られるアンドレ・ロート(André Lhote、1885-1962)が主催するAcadémie André Lhoteに入学、そこで絵画を学ぶが、しばらくしてアカデミー色の薄い指導を行なうAcadémie de la Grande Chaumiéreに移る。この時期に彼にシュルレアリスムを紹介し助言者となるアルザス地方ストラスブール出身の画家で詩人、彫刻家のジャン・アルプ(Jean Arp、1886-1966)と出合い、アルプを通してもうひとりのシュルレアリスムの画家マックス・エルンスト(Max Ernst)とも知り合う。そしてアルプとフランスの抽象画家ジャン・エリオン(Jean Hélion, 1904-1987)の招待で、抽象創造運動、アブストラクシオン・クレクレアシオン(Abstraction-Création Art Non Figuratif)にグループに加わる。1935年にアブストラクシオン・クレクレアシオンに出品していた日本人の前衛画家、岡本太郎(Taro Okamoto, 1911-1996)と「ネオ・コンクレティスム(新具体主義)」を提唱する。その一方で、作品はシュルレアリスム的傾向が強くなり、1934年、ジャック・ヘロルド(Jacques Hérold), オスカー・ドミンゲス(Óscar Domínguez,) リヒャルト・エルツェ(Richard Oelze)、ハンス・ベルメール(Hans Bellmer)と共に、正式にシュルレアリスムのサークルのメンバーとなる。セリグマンの名を知らしめることになったのは、1938年にパリで開催されたシュルレアリスム国際展(Exposition internationale du surréalisme)(註1)に出品したオブジェ「超-家具(Ultra-Meuble)」で、女性の四本の脚を生やしたテーブルとも椅子ともつかぬエロティックな作品である。その翌年の1939年9月、第二次大戦の勃発を受けて、セリグマンは、1920年から兄弟で美術商を営んでいるカール・ニーレンドルフ(Karl Nierendorf, 1889-1947)がベルリンに開いた画廊(Galerie Nierendorf GmbH, Berlin)のニューヨーク支店とも言える画廊(Nierendorf Gallery, New York)での展覧会「Kurt Seligmann:Specters 1939 A.D.—13 Variations on a macabre theme」への出席を口実に、ドイツ人の妻Arletteを連れてアメリカに移住。それには父親がユダヤ人であったことが背景にあるのではないかと思われるが、シュルレアリストとして最初の亡命者となった。そこでアメリカの美術史家で当時ニューヨーク近代美術館(MoMA)の館長であったアルフレッド・バーの協力を得て、ナチスの迫害を逃れるために、多くの画家や作家(註2)の移住を促進する役割を果たした。また展覧会活動も盛んに行ない、著作も発表する。晩年はニューヨーク市から一時間ほどぼ距離にあるシュガー・ローフの農場で過ごすことが多くなり、自殺との説もあるが、鳥の餌を食べるネズミを撃つ準備をしているとき、凍った階段で滑った際にライフル銃が暴発、1962年1月2日に亡くなっている。

これはパリのベルクグリューン画廊(Berggruen & Cie, Paris)で1998年に開催されたクルト・セリグマンの版画展への招待状である。二つ折りの両端を袖のように折り込んだ表紙の内側に二つ折りの招待状を綴じ込んだ冊子風のユニークな造りとなっている。この時の画廊のオーナーは三代目となるルーヴル美術学校(L'Ecole du Louvre)で美術史の専門教育を受けた女性ディーラー、ソワジック・オドゥアール(Soizic Audouard)であった。前にも書いたが、オドゥアールは写真に関する鋭敏で緻密、かつ興味深い洞察力を持ち合わせており、ディーラーとして、写真史に残る重要な作品の収集を行いつつ、2001年に画廊を閉めるまで、シュルレアリスムの作家やそれを引き継ぐ現代作家の作品を取り扱った。彼女は以前に取り上げたベルクグリュンの最後の通信販売用カタログ「Maitres-graveurs contemporains」の発行者でもあった。日本では岡本太郎(Taro Okamoto, 1911-1996)との関係性やその著作『The History of Magic (邦題:魔法ーその歴史と正体)』(Pantheon Books, 1948)(註3)の方への関心が強く、版画家としてのセリグマンはあまり紹介されていないかもしれない。私自身、未だセリグマンの版画作品を手にしたことがないが、彼の作品の複製を何点か掲載しているパリのマーグ画廊(Galerie Maeght, Paris)で1949年に開催されたセリグマンの里帰り展の図録とも言える美術誌『鏡の裏(Derrière le Miroir)』の第19号「Kurt Seligmann」(註4)が手元にある。それを見ると、セリグマンの画風は、アンドレ・マッソンの影響を受けたものであるように見えるのだが。

●作家:Kurt Seligmann(1900-1962)
●種類:Invitation
●サイズ:112x60mm(112x240mm)
●技法:Offset
●発行:Berggruen & Cie, Soizic Audouard, Paris
●制作年:1998
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註:

1.展覧会に参加した作家:(Jean Arp, Hans Bellmer, Victor Brauner, Andre Breton, Giorgio de Chiricom Rene Magritte, Andre Masson, Matta Echaurren, E.L.T. Mesens, Joan Miro, Richard Oelze, Meret Oppenheim, Wolfgang Paalen, Pablo Picasso, Man Ray, Kurt Seligmann, Yves Tanguy, Raoul Ubac)等。

2.セリグマンの働きでアメリカに亡命したシュルレアリスト:アンドレ・ブルトン夫妻(André Breton and his wife)、アンドレ・マッソン(André Masson), ポール・エリュアール(Paul Eluard), そしてピエール・マビーユ(Pierre Mabille)

3.フランス語版:「Le Miroir de la Magie. Histoire de la Magie dans le monde occidental」(Fasquelle Éditeurs, Paris,1956)

4.マーグ画廊発行の美術誌『鏡の裏(Derrière le Miroir)』第19号「Kurt Seligmann」1949年(第二版)。3点のカラーリトグラフと2点のモノクロリトグラフを収録。380x280mm

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図版:展覧会の告知用ポスター、560x390mm、マーグ画廊、パリ、1949年
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by galleria-iska | 2017-05-03 12:51 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2017年 05月 01日

ベルナール・ビュッフェの招待状「Bernard Buffet - Le Japon」(1981)

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第二次大戦後のフランス具象画壇を代表する作家ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)が専属画廊であるパリのモーリス・ガルニエ画廊(Galerie Maurice Garnier, Paris)で1981年、日本をテーマとする絵画作品による個展「Le Japon」を開催した際に制作したヴェルニサージュへの招待状。髪を結った和服姿の女性の頭部を描いたオリジナル・リトグラフで、日本人の本質的な部分は捉えているものの、我々日本人には些か奇異に映る。人形浄瑠璃の首(デコ)に見えなくもない。ビュッフェは同時に、妻のアナベルとの日本旅行に触発されて制作したオリジナル・リトグラフ24点からなる版画集「Le Voyage au Japon(日本への旅)」(註1)も発表している。この招待状もそうであるが、この時期のビュッフェの版画作品は、具象絵画の手法に則ってはいるものの、見るものの感情移入を遮るかのような何の情感もない平面的な画面を強く押し出しているように見える。それはニューペインティングがひとつの潮流として-かつての自分がそうであったように-表現主義風の身振りを纏って現れる中で、現代美術の語彙を身に付けたビュッフェが導き出したひとつの答であったのであろうか。

承知のように、画家としてのビュッフェの評価は早くも1950年代に頂点に達し、ピカソを超える作家として大いに嘱望されたのだが、その姿は、1950年代に流麗でモダンな演奏によってマイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926-1991)を超える人気を博したトランペット奏者チェット・ベイカー(Chet Baker、1929-1988)と不思議と重なって見える。ビュッフェとベイカー、二人とも天賦の才能を持ちながらも、大いなる成功がスタイルの変革を許さず、その後の様々な挑戦も絶頂期以上の評価を得られず、ビュッフェは“ガス自殺”、ベイカーは麻薬摂取が原因とみられる“転落死”という悲劇的な最後を迎える。一方、ピカソとマイルスは絶えずスタイルを脱ぎ捨てながら、自己変革を遂げていったのである。

●作家:Bernard Buffet(1928-1999)
●種類:Invitation(Carton d'invitation)
●題名:Japonaise
●サイズ:200x155mm(200x310mm)
●技法:Lithograph
●紙質:Vélin Arches
●発行:Galerie Maurice Garnier, Paris
●印刷:Mourlot Imp., Paris
●制作年:1981
●目録番号:355bis (Catalogue raisonné volume 2, page 50)
Lithographie publiée en 1981 pour l'exposition "Le Japon" à
la Galerie Maurice Garnier.

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註:


1.
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図版:ベルナール・ビュッフェの版画集「Le Voyage au Japon(日本への旅)」。ビュッフェが妻アナベルの日本旅行を辿る形で制作した版画集は、ビュッフェのオリジナル・リトグラフ24点とビュッフェが書き移したアナベルのテキストとからなる。限定180部、610x457mm、100ぺージ。

2.
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図版:1981年にパリのモーリス・ガルニエ画廊で開催されたビュッフェの個展「Le Japon」の図録。300x280mm。
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by galleria-iska | 2017-05-01 22:21 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2016年 10月 25日

ニキ・ド・サンファルの版画カタログ「Neue Graphik der Jahre 1997 bis 2000」(2001)

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フランスの戦後を代表する画家で彫刻家のニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)の晩年の版画作品の版元となったのは、オールドマスターの版画や素描、近・現代美術の様々なタイプの作品のオークション・ハウスとして、またパウル・クレーやピカソといった画家のカタログ・レゾネの編纂と出版や現代美術家の版元としても知られるスイス ベルンのコーンフェルト画廊(Galerie Kornfeld und Cie., Bern)で、コーンフェルト画廊は1993年から2000年までに、8点組のシルクスクリーン版画集、20点のリトグラフ、2点の銅版画を出版している。

今回取り上げるのは、2001年9月28日から12月21日かけて行なわれたニキの個展「Niki de Saint Phalle: Skulpturen Objekte Lithographien Serigraphien」に際して作られたカタログ『Niki de Saint phalle: Neue Graphik der Jahre 1997 bis 2000』(註1)で、ニキが1997年から2000年にかけて制作した9点のリトグラフを収録しているのだが、将来ニキの版画作品のカタログ・レゾネの雛形となることを見越した編集法を採っている。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Leaflet catalogue
●題名:Niki de Saint phalle: Neue Graphik der Jahre 1997 bis 2000
●サイズ:276x195mm
●技法:Offset
●発行:Galerie Kornfeld und Cie., Bern
●印刷:Bolliger Druck, Köniz
●制作年:2001
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註:

1.このカタログに先行して、ニキの1995年から1997年までの版画作品(11点のリトグラフと2点の銅版画)を収録したカタログ『Niki de Saint Phalle: Neue Graphik der Jahre 1995 bis 1997』が作られている。
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by galleria-iska | 2016-10-25 17:49 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2016年 10月 24日

ニキ・ド・サンファルの招待状「Galerie Kornfeld und Cie.」(2001)

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2001年9月28日から12月21日かけてスイス ベルンにあるコーンフェルト画廊(Galerie Kornfeld und Cie., Bern)で行なわれたニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)の個展「Niki de Saint Phalle: Skulpturen Objekte Lithographien Serigraphien」の招待状。表紙はニキのオリジナルデザインで、1997年の個展「Niki de Saint Phalle」の際に使用されたものを再度使っている。画中に装飾文字による招待文《Chers Amis, je vous invite a mon exposition personel chez Ebi Kornfeld Niki de Saint Phalle》が記されており、1997年の個展の際の年記《Nov.1997》が《Spt.2002》に入れ替えられている。この個展に際し、ニキが1997年から2000年にかけて制作した9点のリトグラフを収録したカタログ『Niki de Saint Phalle: Neue Graphik der Jahre 1997 bis 2000』が作られているが、こちらは次回取り上げる。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Invitation
●サイズ:195x172mm(195x342mm)
●技法:Offset
●発行:Galerie Kornfeld und Cie., Bern
●制作年:2001
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by galleria-iska | 2016-10-24 22:15 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2016年 10月 10日

ニキ・ド・サンファルの出版案内「Californian Diary」(1995)

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1994年、健康にためにカルフォルニア州サンディエゴのラホヤ(La Jolla)に移住、2002年にその地で亡くなったフランスの画家、彫刻家、映像作家のニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)は、1994年から1995年にかけて、そこでの最初の年の制作や生活を、絵日記のように描き記した「Californian Diary」という8点組のシルクスクリーンによる版画集を制作している。版画集は、1995年9月13日から10月31日かけてスイス ベルンのコーンフェルト画廊(Galerie Kornfeld und Cie, Bern)で行なわれたニキの個展「Niki de Saint Phalle: Skulpturen, Gouachen, Serigraphie」に合わせて出版され、価格は12000スイス・フランであった。今回取り上げるのは、その出版案内である。版画ではイメージと日記とが渾然一体となっているため、なかなか読み取れないのだが、出版案内では版画から日記部分を抜き出して記載しているため、内容が理解できるだけでなく、この案内自体が挿絵本にも似たな表情を見せている。表紙もニキのオリジナル・デザインであろうか。コーンフェルト画廊はまた、2001年9月28日から12月21日にかけて行われたニキの最晩年の個展のひとつ「Niki de Saint Phalle: Skulpturen Objekte Lithographien Serigraphien」に際して、1997年から2000までに制作されたリトグラフによる版画作品9点を収録したカタログ『Niki de Saint Phalle: Neue Grafik der Jahre 1997 Bis 2000』を同じフォーマットで作っているが、そのカタログと個展の招待状が手に入ったので、近いうちに取り上げたい。

ニキとカルフォルニアとの繋がりは1960年代に遡り、後に夫となるスイス人の彫刻家ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely, 1925-1991)とともに訪れたのが切っ掛けとなったようである。1962年、ニキはサンセット・ブールバード(Sunset Boulevard) とマリブの風光明媚な丘で巨大な「射撃絵画(Tir Tableaus )」を制作しており、1983年にはカルフォルニア大学、サン・ディエゴ校(San Diego’s UC campus)に、すぐに学生たちのお気に入りとなった巨大彫刻「Sun God(太陽神)」を設置している。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Leaflet
●サイズ:276x195mm
●技法:Offset
●発行:Galerie Kornfeld und Cie., Bern
●印刷:Stämpfli+Cie AG, Bern
●制作年:1995
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                                                タイトルページ
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                                                第1図
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           第2図                                   第3図
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          第4図                                   第5図
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          第6図                                   第7図
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          第8図                                   ポートフォリオ(帙)
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             第4図とそのテキスト
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by galleria-iska | 2016-10-10 21:00 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2016年 08月 31日

ニキ・ド・サンファルの招待状「Niki de Saint Phalle Invitation aux Bijoux」(1991)

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画家や彫刻家は一般的に、貴重な宝石を用いた宝飾品のデザインに関しては、あまり積極的ではないように思える。高額な材料費の捻出には画廊以外の協力が不可欠であることは言うまでもないが、新しい価値を生み出すという創造行為の下では、既に歴史的な普遍性を得ている宝石は、そこから透けて見える富や権力の影のようなものも感じさせ、自身のスタイルとの整合性を保つ上でも非常に扱い難い素材であるのかもしれない。しかしながら、シュルレアリスムの真の精神を体現しようとした奇才サルバドール・ダリ(Salvador Sali, 1904-1989)がデザインしたオブジェとも彫刻ともつかぬ一連の作品(註1)を見れば、それが杞憂に過ぎないということを思い知らされる。何故なら、ダリのグロテスクかつミステリアスな作品において、宝石は、まさにダリの金満家として側面を匂わせなくもないが、それが持つ固有の価値を一端離れ、その色と輝きが絵の具のそれを代弁するためのものとして知覚され得るからに他ならない。

1960年代末にはヌーヴォー・レアリスムを経てポップ・アートの作家として既に国際的な評価を得ていたニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)。そのニキが、イタリアのミラノにある宝飾デザイナーで金細工職人ジャンカルロ・モンテベッロの工房(Atelier de Giancarlo Montebello, Milano)の協力を得て、そのような試みに着手したのは1971年のことである。その実験的な取り組みはその後数年間続けられるが、1977年頃から宝飾品は非常に高価なものとなり、貴重な石(宝石)は、18金を下地に用いたエマイユ(七宝)と組み合わされるようになる。奇しくもその年にデザインされたのが、豊穣の象徴としてニキがしばし取り上げ、香水瓶の装飾にも用いた蛇をモチーフとするミニチュアの彫刻作品ともいえる「黄色の蛇(Serpant Jaune)」(édition Sven Bolterstein、limited edition of 8)である。ニキは18金を下地とするエマイユに、金、トルコ石、ダイアモンド嵌め込み、ニキらしい造形物へと創り上げている。

それから10年以上のブランクを経て、1989年から1991年にかけて、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州の中西部に位置する都市ミュールハイム・アン・デア・ルール(Mülheim an der Ruhr)で現代作家(註2)の宝飾品やオブジェ(Schmuck und Objets d'Art)を専門に取り扱う画廊を運営するディアーナ・キュッパース(Diana Küppers, Mülheim)からの依頼で、再度、宝飾品のデザインに取り組むこととなる。これはそのキュッパースの画廊で1991年に行なわれたニキ・ド・サンファルの宝飾展への招待状である。表紙のデザインおよび題字はすべてニキによるもので、折り本形式で作られたこの案内状もまた、1960年代後半に始まるニキの一連のアーティストブックの流れの中にあると考えられる。展覧会には、ニキが1977年から1991年までにデザインし、ジャンカルロ・モンテベッロの工房で限定制作された宝飾品8点が出品された。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Invitation
●サイズ:209x150mm(209x730mm)
●技法:Offset
●発行:Edition Diana Küppers, Mülheim with Niki de Saint Phalle
●制作年:1991
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註:

1.前に一度取り上げたかと思うが、1940年代にニューヨークに定住し、宝石商となったアルゼンチンのブエノスアイレス出身のカーロス・アレマニー(Carlos Bernardo Alemany, 1905-1993))に委託して作らせた宝飾品の展覧会として、1984年に大丸百貨店で開催された『奇蹟のダリ宝石展(Dali:Art-in-Jewels)』の図録(編集: フジテレビギャラリー)には、彼自身の絵画作品をモチーフにしたものや、新たにデザインしたものなど、ダリの作品37点が収録されている。

2.ディアーナ・キュッパースの取り扱い作家:
Arman, Arp, Braque, Pol Bury, Calder, Cesar, Max Ernst, Anish Kapoor, Yves Klein, Gitou Knoop, Lalanne, Cesar, Max Ernst, Anish Kapoor, Yves Klein, Gitou Knoop, Lalanne, Fausto Melotti, Niki de Saint Phalle, Picasso, Pomodoro, Man Ray, Gunther Uecker, Bernar Venet






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by galleria-iska | 2016-08-31 21:15 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2015年 11月 27日

ベルナール・ビュッフェの招待状「Paysages」(1983)

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前回に続き、今回も、21世紀を目前に控えた1999年に自ら命を絶ったフランス20世紀の画家ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)の招待状を取り上げる。この招待状は、ビュッフェが1983年に、専属画廊であったパリのモーリス・ガルニエ画廊(Galeire Maurice Garnier, Paris)で風景を主題とする作品展「Paysages」を行なった際に、ヴェルニサージュ用にデザインしたもの。表紙はビュッフェのオリジナル・リトグラフ。別刷りで、署名と限定番号が付された版画作品が存在する。制作はビュッフェのリトグラフを手掛けるパリのムルロー工房(Mourlot Imp., Paris)。

ビュッフェは第二次大戦後の混乱期にある1940年代のパリで、人間存在の不条理や孤独感を見事に表現した初期のモノトーンの作品によって高い評価を得るが、アンフォルメル(アメリカの抽象表現主義に相当)と呼ばれる、即興的な筆の運びや厚塗りの画面によって自己表現を行なう表現主義的な抽象絵画が美術界を席巻する1950年代に、似非表現主義者との烙印を押され、フランス国内のことであろうか、美術館などの公的な施設から撤去され、絶頂から一気に奈落の底に突き落とされてしまう。我々のよく知るところの、ビュッフェを特徴付ける神経質で鋭い描線もアンフォルメルの空気の中で生まれ出たものかもしれないが、評論家の目には生温いものに見えてしまったのだろうか。

具象絵画やシュルレアリスムスの画家たちにも少なからず影響を及ぼしたフランスのアンフォルメルの運動はヌーヴォー・レアリスムに、アメリカの抽象表現主義は、ネオダダと呼ばれる、マルセル・デュシャンの影響を受け、廃物や既製品、大衆的な図版を取り込んだ反芸術的な作品へ変化し、その後、大量生産・大量消費社会そのものをテーマとするポップ・アートに取って替わられる。このような状況下にあって、ビュッフェもその画面に大衆的な要素(漫画)を取り入れた作品を作っているが、さほど大きな反響を得られたようには思えない。偉大な20世紀の画家ピカソは様々に画風を変化させながらピカソであり続けたのだが、ビュッフェはビュッフェであり続けながらも、その時々の美術運動に呼応するかのように、その画面に変化を与えているのだが、ビュッフェという固有名詞、あるいは確立されたひとつのブランド(作品の持つ悲劇性や誇張された表現)に囚われ、ビュッフェのそのような取り組みを見過ごしてしまっているのかもしれない。

このリトグラフを見る限り、かつての鋭い描線は影を潜め、如何にも塗り絵的な表現(註1)に陥っているが、それは具象絵画という頚木から離れられないビュッフェの、熟達と洗練の果てに辿り着いた姿なのか、緊張感に欠ける画面の白々しさは戦後の具象絵画のある種の終焉を象徴しているかのようにも見える。この時期(1970年代後半から1980年代の中頃までの約10年間になるのだが)、現代美術は行き過ぎた難解さや抽象化の反動から、描くことの復権とも言える表現主義風の衣を纏ったニューペインティング(新表現主義)が台頭するのだが、そんな中、ビュッフェの提示した明るくフラットな色彩と単純化されたフォルムは逆に、現代美術によって希求された平面性を打ち出してしているように見えるのだが。

ビュッフェは、自らがビュッフェであることを否定せず、ビュッフェ以下にも、ビュッフェ以上になることもなく、ひたすらビュッフェである中で、様々な実験を繰り返していたのだが、日頃我々が目にするのは、画商や業者によって恣意的に作り上げられた、ブランドとしてのビュッフェであって、それをしてビュッフェの全体像と思っているのかもしれない。虚像としてビュッフェと実像としてのビュッフェの乖離。そこにビュッフェという画家の幸福と悲劇があるように思える。そのビュッフェの才能に全幅の信頼を寄せ、画家としての活動の初期から晩年に至るまで、公私に渡って支え続けたのが、モウリス・ガルニエという画商である。

●作家:Bernard Buffe(1928-1999)
●種類:Invtation
●サイズ:105x211mm(105x422mm)
●技法:Lithograph
●紙質:Arches
●限定:4000
●発行:Galerie Maurice Garnier, Paris
●制作年:1983
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註:

1.このリトグラフを見ているうちに、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)が1962年から63年にかけて塗り絵をテーマに制作した一連の作品"Do it Yourselfs"が脳裏に浮かんだ。画像はそのうちの一点「Do it Yourself(Seascape)」である。ウォーホルはこの連作で、静物や花、風景といった、アメリカ人なら一度は目にするであろう、前衛とは対極にある、日常的で、新鮮味のない、ごくありふれた絵画を塗り絵に仕立て、色付けの過程そのものを作品化しているのだが、絵画を何の変哲もない記号とか単なる図式に置き換えることで、絵画を高尚なものから低次のものと等価な存在へと引きずり降ろし、権威に対する盲目的服従に異議を唱えている。その一方で、無限に反復し増殖可能なウォーホルの絵画の本質を示しているとも言える。
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                        Andy Warhol "Do it Yourself(Seascape)"1963

参考文献:
Andy warhol: A Retrospective, The Museum of Modern Art, New York, 1989.
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by galleria-iska | 2015-11-27 11:36 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2015年 11月 26日

ベルナール・ビュッフェの招待状「Galerie Maurice Garnier」(1979)

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1977年にモーリス・ガルニエ画廊(Galerie Maurice Garnier, Paris)の専属画家となった20世紀フランスの画家ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)は1979年、妻アナベル(Annabel Buffet)との結婚20周年の意を込めて制作した花をテーマとする作品展「Les Fleurs」を同画廊で行なっている。この招待状はそのヴェルニサージュのためにビュッフェがデザインしたもので、制作はビュッフェのリトグラフを手掛けているパリのムルロー工房(Mourlot Imp., Paris)で行なわれている。招待状は通常表紙に図版を持ってくるものだが、この招待状では、表紙にビュッフェの署名が記され、中を開くと、ビュッフェの挿絵本に見られるような配置で、左頁に愛と美の象徴である薔薇の花の絵、右頁にはビュッフェ独特の手書き文字による招待文が記載されている。

この招待状もそのひとつであるが、ビュッフェの作品だけを専門に扱う画廊となったガルニエ画廊は1977年以降、ビュッフェのオリジナル・デザインの招待状を用いるようになるのだが、招待状が届くのを楽しみしていた愛好家も少なくないはず。高価な油彩画の販売を目的とする個展の招待状は、版画、とくにリトグラフを得意とする作家にとっては格好の宣伝媒体となり、画廊もそれを奨励することで油彩画のみならず、版画にも関心を持ってもらえることになる訳であるから、一石二鳥である。受け取る側も、評論家は別として、オリジナル・デザインによる手の込んだものが送られてきたときは、画家(画商の商魂?)の意気込みを感じることが出来て、なかなか嬉しいものである。

展覧会の招待状やポスター、図録類などの二次資料は、今はエフェメラと称され、美術館でも収集に取り組むようになったが、こういうものは得てしてあまり関心のないお方のところに届くことが多いようで、その重要性が省みられないまま捨て置かれる、ということもままある。しかしながら、それらのものに愛着、美的価値、稀に資料的価値を認めた好事家の努力によって保存されてきたものが作品成立を探る大きな鍵となることもあるので、決して侮ってはならない。

●作家:Bernard Buffet(1928-1999)
●種類:Invitation
●サイズ:202x155mm(202x311mm)
●技法:Lithograph
●紙質:Arches
●印刷:Mourlot Imp., Paris
●発行:Galerie Maurice Garnier, Paris
●制作年:1979
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by galleria-iska | 2015-11-26 20:55 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2015年 07月 11日

パリの書店・画廊ラ・ユンヌの出版案内「La Hune」(1980's)

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前回の記事で少し触れたパリの書店ラ・ユンヌが閉店した件であるが、“仏造って魂入れず”という諺があるが、創業者のベルナール・ゲールブラン(Bernard Gheerbrant, 1918-2010)が退いてからのラ・ユンヌ(Librairie-Galerie La Hune, Paris)は、大資本がそのブランド名に商機を見出し、経営に乗り出してきたのだが、肝心要の哲学が抜け落ちてしまっていたのかもしれない。1944年に創業したラ・ユンヌは、ジャン・ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre),や妻のシモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)、アルベール・カミュ(Albert Camus )らの著名な文化人が出入りする書店として名を上げ、その後、抽象芸術を中心とする版画の出版と個展を行なう画廊へと変貌を遂げる。いわゆる書店・画廊としての活動は1991年までで、その後、フランス大手の出版社フラマリオンが店を引き継ぎ、目抜き通りであるサンジェルマン大通り(Boulevard Saint-Germain)に移転する。2012年、フランス大手の出版社ガりマール書店に売却されるが、サンジェルマン大通りが高級商店街になるにつれて、賃料が高騰したため、ルイ・ヴィトンに場所を明け渡し、元あったラバイ通りに移転する。それでも、高騰する賃料が経営を圧迫、先月6月14日の夜、観光客や地元民に惜しまれながらも、ついにそのシャッターを降ろした、ということであった。

自分がラ・ユンヌを訪れたのは、創業者のゲールブランが未だ経営に携わっていた1980年代の中頃で、個人的には、書店というよりも、版画の版元であり現代作家の個展を開催する画廊として捉えていた。そのラ・ユンヌから送られてきた出版案内をふたつ紹介する。どちらも1980年代に入ってからのもので、年記がないので定かではないが、1981年と1983年頃のものかと思う。ラ・ユンヌからはベルギー出身の画家で彫刻家のジャン=ミッシェル・フォロン(Jean-Michel Folon, 1934-2005)のポスター(案内には15フランとある)や当時パリで活躍していた画家で版画家の井上公三(Kozo Inoue, 1937-)氏のシルクスクリーンの版画作品(1000~1700フラン)を何点か購入した覚えがある。

●種類:Leaflet
●サイズ:298x209mm(298x419mm)
●技法:Offset
●発行:Librairie-Galerie La Hune, Paris
●発行年:1981(?)
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船好きで知られるベルギー出身の画家で彫刻家のフォロンがエッチングで制作したロゴイメージと画廊案内
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                         1983年頃の出版案内

●種類:Leaflet
●サイズ:298x209mm(298x419mm)
●技法:Offset
●発行:Librairie-Galerie La Hune, Paris
●発行年:1983(?)
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見開きのページには1983年頃に出版された井上公三氏の版画作品が掲載されている
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by galleria-iska | 2015-07-11 22:09 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)