ガレリア・イスカ通信

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カテゴリ:案内状/招待状関係( 74 )


2011年 07月 23日

大橋歩展案内状「大橋歩の仕事 as life展」(2011)

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過日、三重県立美術館で開催された「大橋歩-Fashion as Life/ Life as Fashion」展に行った際に、伊賀市の山中にある“ギャラリーやまほん”で行なわれた「大橋歩の仕事 as life」展の案内状をいただいてきた。イラストレーターだとばかり思っていたが、最近は挿絵の原画として銅版画も制作しているらしい。それもソフトグランド・エッチングだとか。他にもそんな仕事をしている女性作家がいるが、そんな些細なことに気を取られていては、頭から湯気が上がらない日が無くなってしまう。みんな食うために生きているのだ、生きるために食べるのではない。

ところで、三重県立美術館が毎月第三日曜日入館無料であることはご存知だろうか。県民サービスのために実施しているのだが、他府県の人間は有料じゃ!なんて狭い了見をかざすようなことはない。堂々と、いや有難く入館させていただけばよい。こんなサービスがあっても、三重県民はほとんど近寄らないし、“ええじゃないか、ええじゃないか”と、お伊勢参りの帰りにでも立ち寄る人がいるかと思えば、さもあらず。企画展であっても、ゆったりと観覧できるし、場合によっては貸切状態に近い贅沢を味わう事さえ可能である。三重県民は美術館などで心の乾きを癒すよりも、きっともっと素敵な場所を知っているのだろうから、三重近隣にお住いの方は一度、第三日曜日にお出かけなすってみては如何だろうか。

独立法人化が進んで美術館も最近はお洒落スポットとしての魅力をアピールするようになってきたが、画廊ひとつ無い田舎でむさ苦しい学生生活を送っていた頃、年に一二度、陸蒸気に乗って上洛、岡崎公園にある京都国立近代美術館で展覧会を堪能した後、大人びた人たちが集うティールームで、そわそわと回りを気にしながら御茶するのが、この上なく贅沢に思えた。しかしティールームに行ったついでに展覧会を観た、という話は有り得なかった。最近は田舎にもそんな“お洒落”さを売り物にするなギャラリー(画廊ではない)が幾つも出来て、うら若き乙女たちの人気を集めているらしい。しかし中にはギャラリーが主なのか、併設の喫茶やショップが主なのか分からないものもある。いやそんな些細なことに気を取られていては、頭から湯気が上がらない日が無くなってしまう。みんな食うために生きているのだ、生きるために食べるのではない。

●作家:Ayumi Ohashi(1940-)
●種類:Announcement
●サイズ:2101x101mm
●技法:Offset
●発行:gallery yamahon, iga
●制作年:2011
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by galleria-iska | 2011-07-23 21:01 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 07月 22日

イアン・ハミルトン・フィンレイ展招待状「Ian Hamilton Finlay Pastorales」(1991)

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「Pastorales(田園詩/画)」と題して、1991年10月6日から11月3日まで北ドイツの代表都市、リューベックのオーヴァーベック協会(Overbeck-Gesellschaft, Lübeck)で開催された、イアン・ハミルトン・フィンレイ(Ian Hamilton Finlay、1925-2006)の展覧会のオープニングへの招待状。詩人、作家、版画家、園芸家と多彩な顔を持つフィンレイは1925年、スコットランド人の両親のもと、クリスファー・コロンブスの新大陸発見の足がかりとなった、フロリダ半島の南に位置するバハマ諸島のナッソウに生まれる。

フィンレイはここでは古典絵画を思わせるような描法で、生い茂る野草や木立を背景に、ごつごつとした地肌の大地に突き立てられた、ガーデニングや農業の道具である鋤(シャベルの一種)を描いており、鋤の刃の部分には“Ventose(ヴァントーズ=風月)”という言葉を書き入れている。このヴァントーズとは、フィンレイが好んで取り上げるフランス革命(1)に関わるフランス共和暦の第6月(2月20日(21日)から3月19日(20日)までを指す)のことを指しており、それはまた、「革命の大天使」の異名をとるサン・ジュスト(Louis-Antoine de Saint-Just,1767-1794)が提案したヴェントーズ法(風月法)という、反革命容疑者(革命に協力的でない貴族、上級ブルジョワジー、金融業者、大地主などの財産を没収し、それを貧民に無償で分配、貧農に土地を与えることによって、彼らを生産者にし、「圧政も搾取もない(サン・ジュスト)」平等な世界を作ろうとした法令の暗喩として提示されている。しかし「「テルミドールの反動」」によって、サン・ジェスト、ロベスピエールともに断頭台の露と消えるとと、革命も終焉を向え、この法令も理想を求める精神が生み出した仇花として消え去った。その意味では、フランス革命に散った理想精神の墓標として捉えることも出来る。この鋤は、描かれた大地の形状や背景の木々の様子から判断すると、フィンレイが投げかける幾つもの意味を含んだコンクリートポエム(具体詩)(2)として、大地に突き立てられることを想定して描かれたのであろう。而してフィンレイは同年、柄の握りの形状を変えた彫刻作「Ventose 1991」を制作しており、2006年にテートギャラリーが購入している。

面白いことに、案内状に使われた作品に描かれた鋤の握りの部分は、「社会彫刻」という概念を生み出したヨーゼフ・ボイスが1983年に制作した限定35部のマルティプル「Para(1982年の「7,000本の樫の木」プロジェクトを象徴するショベル)」(3)同じ形状をしているのだが、彫刻では、1915年にマルセル・デュシャンが発表した最初の意識的なレディメイド「折れた腕の前に(In Advance of the Broken Arm)」(4)に使われた雪かき用のショベルの握りと同じ形状に変更されている。この変更が意味するものは何であろうか。

●作家:Ian Hamilton Finlay(1925-2006)
●種類:Invitation
●サイズ:211x101mm
●技法:Offset
●発行:Overbeck-Gesellschaft, Lübeck
●制作年:1991

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図版:イギリスのテートギャラリーが2006年に購入した彫刻「Ventose 1991」 Sculpture:Bronze and stone、1095 x 390 x 250 mm, 31.4 kg

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図版:マルセル・デュシャンのレディメイド(左)とボイスのマルティプル(右)


註:
1.フィンレイの言葉「私はフランス革命を崇拝し、ロペスピエールやサン・ジェストを敬愛しています。彼らには美徳というヴィジョンがありましたから」「Special Interview to Ian Hamilton Finlay 美徳のポエト・ライフ 戦後民主主義を超えて、真のリアリティへ」 インタビュー:海藤 和 訳:杉山説子 『美術手帖 1989年10月号』より

2."「文化はオブジェを光輝かせるものであり、オブジェそのものはたんなる不動の物体ではなく、ある環境の中に設置されると特別な意味をもつものである、ということがしだいに理解されるようになってきました。すなわち環境芸術というものが認識されるようになったということです。アートは現在、物質的環境と文化的環境というふたつの環境のなかに同時に棲息しています。しかし、私たちは往々にして文化的環境のほうを軽視しがちなんですね。古典的な造園術は、自然環境の改善を目指すと同時に、文化的環境の改善にも努め、庭そのものをすべてのものの関連のなかに、じつに整然と成立させているんです。こうしてはじめて人は文化とはなんであるかを理解できるんじゃないでしょうか。」同掲

3.Joseph Beuys(1921-1986) "Pala"from 7000 Oaks, 1983, metal and wood. 135x30cm, Ed.35. Punlished by Edizioni Lucrezia de Domizio, Pescara(Cat.Schellmann#366)

4.Marcel Duchamp(1887-1968) "In Advance of the Broken Arm"1919/1964:Readymade: wood,galvanized iron snow shovel,132cm, Ed.8. Published by Arturo Schwarz, Milan
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by galleria-iska | 2011-07-22 18:43 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 07月 21日

アレクサンダー・ローブ展招待状「Alexander Roob CS-V Bildroman-Zeichnungen」(1995)

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日本では、「錬金術と神秘主義(Alchemy & Mysticism:The Hermetic Museum)‐ヘルメス学の博物館」(クロッツ・シリーズ)と「錬金術と神秘主義(Alchemy & Mysticism:Icons)アイコン:ヘルメス学の陳列室」(アイコン・シリーズ)の編者として知られる現代美術家、アレクサンダー・ローブ(Alexander Roob,1956-)(1)の素描展のオープニングへの招待状。展覧会は、ローブの形象小説(Bildroman)となる、スカラベ写本(Codex Skarabäus)、第五巻の出版に際して企画されたもので、1996年1月21日から2月18日まで、バルト海に面する北ドイツの代表都市、リューベックのオーヴァーベック協会(Overbeck-Gesellschaft, Lübeck)で開催された。

紹介によれば、ローブのスカラベ写本(CS)の企画は1985年に始められたが、"CS"にはローブの制作のあり方関わる幾つかの意味が込められているという。シー・エスという発音はドイツ語の"'Sieh es!"(See it, look at it!)と同じであり、続き漫画を意味する"Comic Strip"の頭文字とも取れる。ローブは、目に映る事物や事象を、必要最小限の用具を用い、見たままに、流動的な形態で描き写していく。この記録するという行為は、写真や映像に比較されるが、ある一瞬を静止した画像として留める写真の特質とは異なり、展開する状況や出来事と同調しながら進められる線描には、そこにある現実の持つ緊迫感を留め置く。スカラベ写本はその構成方法から文脈を持たない連続漫画と見做されているが、それは個々の素描が独立しており、言語的な制約からも自由であるからであり、素描は認識の過程のように流れていき、時に記憶とファンタジーの間を行き交う。ローブのこのような姿勢は、時間と空間を基盤とするあらゆる出来事の同時性の認知について難解な構造持つウイリアム・ブレイクの図像と詩を明らかに参照している、とある。日本での展覧会は未だ企画されていないようである。

●作家:Alexander Roob(1956-)
●種類:Invitation
●技法:Offset
●発行:Overbeck-Gesellschaft, Lübeck
●制作年:1996


註:
1.ローブの簡単な略歴:
Alexander Roob was born in Germany in 1956 and studied painting at the Berlin Academy of Art. The thousands of drawings that he has produced in different locations have been published in five volumes. His drawings have also been exhibited in galleries and museums in many parts of Europe including the Städtische Galerie, Lenbachhaus, Munich, 1998; the Graphic Collection Albertina, Vienna, 1999; the Museum of Modern Art, Frankfurt / Main, 2000; and the Goethe Institut in Rotterdam, 2000. From 2000 to 2002, he was a professor at the University of Fine Arts, Hamburg. He has been teaching at the Academy of Fine Arts, Stuttgart since 2002.


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by galleria-iska | 2011-07-21 12:29 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 07月 14日

ベルクグリューン画廊の案内状「Accrochage de photographies」(1999)

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カメラ屋の宣伝?、はたまたライカの広告か、と思いきや、パリのベルクグリュン画廊から届いた写真展の案内状。ドイツ系ユダヤ人画商ハインツ・ベルクグリューン(Heinz Berggruen, 1914-2007)によって第二次世界大戦後の混乱冷め遣らぬパリに設立されたベルクグリュン画廊は、創業者のハインツ・ベルクグリュンから画廊を引き継いだ二代目の経営者アントワーヌ・マンディアラ(Antoine Mendiharat)が亡くなった後、しばらく経営者不在の時機があったが、-知り合いの画商にも買取の打診があったとか-1991年に画廊の経営権を獲得したのは、ルーヴル美術学校(L'Ecole du Louvre)で美術史の専門教育を受けたソワジック・オドゥアール(Soizic Audouard)という女性ディーラーであった。

紹介によれば、彼女は1968年にマルセル・デュシャンが最後の展覧会(1957年)を開いたパリの先鋭的な画廊、クロード・ジボダン(Galerie Claude Givaudan)を訪れたのがきっかけで、その後しばらくしてジボダンと協力関係を持つこととなる。彼らは1975年、ジュネーヴにダダ、シュルレアリスム、写真、そしてマルティプルの総本山とも言える二番目を画廊を開設、通常では考えられない方法の展覧会を開催し、また、ウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグなど、ビート・ジェネレーションの作家の出版も行なっている。写真に関しては、当時まだヨーロッパで写真を展示する画廊は皆無に近かったが、アボット、マン・レイ、ベルメール、ウィージー、ブラッサイ、メイプルソープなどの作家の写真展を開催している。1988年にクロード・ジボダンが亡くなると、活動の場をオークションに移し、ダダの詩人、トリスタン・ツァラの書庫や、シュルレアリスムの大コレクターとして知られる出版人、ダニエル・フィリパッキのコレクションのセールなどを企画している。

オドゥアールは写真に関する鋭敏で緻密、かつ興味深い洞察力を持ち合わせており、ディーラーとして、写真史に残る重要な作品の収集を行いつつ、2001年に画廊を閉めるまで、シュルレアリスムの作家やそれを引き継ぐ現代作家の作品を取り扱った。彼女は以前に取り上げたベルクグリュンの最後の通信販売用カタログ「Maitres-graveurs contemporains」の発行者である。この案内状は、そんな彼女のコレクションを展示する企画の際に作られたもので、ズミクロン50ミリ付きライカM6(?)を型取った、二つ折りのユニークな案内状である。

●種類:Invitation
●サイズ:52x97mm
●技法:Offset
●発行:Berggruen & Cie, Paris
●制作年:1999
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by galleria-iska | 2011-07-14 22:17 | 案内状/招待状関係 | Comments(2)
2011年 06月 22日

パウル・ヴンダーリッヒ展の招待状「Bateau Lavoir」(1985)

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パウル・ヴンダーリッヒという画家を意識したのは、1960年代からウィーンの幻想画家を中心に異端と呼ばれる画家を日本に紹介していた美術史家の坂崎乙朗(1928-1985)氏の著作「幻想芸術の世界 」(1969年、講談社現代新書) の第9刷(1975年刊)を読んでからだと思う。その頃、池田満寿夫の作品を表紙に使っていた「みづゑ」でも特集が組まれたりしていて、そこでヴンダーリッヒの、ハンス・ベルメール譲りの女体の稜線をなぞるように走らせる流麗なデッサン力の虜となった。ただヴンダーリッヒの作品集も見たことがない人間には、坂崎氏の、ヴンダーリッヒを知る人間には即座に了解される作品についての形容には着いていけず、専らモノクロの小さな図版に漂う禁断の誘いに目を注いだ。ようやく実物にお目にかかることができたのは、1980年に西武美術館で開催された「夢とエロスの錬金術 / ポール・ヴンダーリッヒ展」においてであったが、写真家のカリン・シェケシーと出会う前の初期の作品に投影されている自己破壊的な残虐性については、多少違和感を覚えた。

1986年に“洗濯船“という名のパリの画廊、バトー・ラヴォワール(Bateau Lavoir)を訪れた時にいただいた、同画廊主催のパウル・ヴンダーリッヒ展のヴェルニサージュへの招待状。展覧会は既に終了していたが、壁には未だ数点の作品が掛けられていた。いずれも東京で展覧された作品よりも後で制作されたもので、殆んどエアブラシだけで描かれているのではないかと思えた。招待状に使われているのは、1983年制作のアクリル作品「Madame Vaucluse(ヴォクリューズの婦人)」で、この構図は、1975年の「Die schöne Falknerin(美しき鷹匠」に描かれた人物の構図を下敷きに、幾分変更を加えたものである。ヴンダーリッヒの描く肖像画、特に真横から描いたものは、エジプトのレリーフ彫刻を彷彿させるが、特にその目の描き方に特徴がある。真横を向きながら、目だけは正面を向いており、本当はどちらが見られているのか、という気持ちにさせる。そのヴンダーリッヒも昨年召され、エロスにずっと寄り添っていた、フロイトのいうところの、攻撃や自己破壊に傾向する死の欲動であるタナトスにも終止符が打たれた。

●作家:Paul Wundelrlich(1927-2010)
●種類:Invitation
●サイズ:145x110mm
●技法:Offset
●発行:Bateau Lavoir, Paris
●制作年:1985
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by galleria-iska | 2011-06-22 21:08 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 06月 15日

第9回「時代の証人・画家展」招待状他「Les Peintres Témoins de leur temps:La Jeunesse」(1960)

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フランスを代表するサロンのひとつ、「時代の証人・画家展(Les Peintres Témoins de leur temps)」は戦後間もない1946年に設立され、1951年に第1回展がパリ市立近代美術館(Musée d'Art Moderne dfe la Ville de Paris)で開催された。展覧会では毎回テーマが決められていて、出品作家はそのテーマに沿った作品を制作・出品するのだが、第1回展のテーマは、「労働(Le Travail)」で、当時建設現場で働く労働者をモチーフにした作品を制作していたフェルナン・レジェ(Fernand Leger, 1881-1955)がポスターと図録用の原画を提供している。

開会式の案内にあるように、1960年にガリエラ美術館(Musée Galliera, Paris)で開催された第9回展のテーマは、「青春(La Jeunesse)」。青春というと何か青臭く聞こえなくもないが、1960年代は、それまでのいわゆる大人社会=既成社会に対抗する若者文化(Counter Culture)が台頭する時代で、急速な産業化の中で、若者たちは、ロック、ヒッピー、ドラックと、身体性を伴う行為によって連帯を訴え、社会の転覆を図るのではなく、その社会に従属させられている閉塞的な現状からの自己解放を目指すムーブメントを起こそうとした。それは1968年に頂点に達し、やがて燃え尽きる。1950年代末から1960年代初頭のヨーロッパや日本は未だ戦後の復興時機にあり、アメリカの後塵を拝していた訳だが、フランスでは1959年に、ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard, 1930-) の「勝手にしやがれ(À bout de souffle)」-主演ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ-や、フランソワ・トリュフォー(François Roland Truffaut、1932- 1984)の「おとなは判ってくれない(Les Quatre cents coups)」といった新しい視点と手法を用いたヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれる新しい世代の代表的映画が製作されている。美術分野でも世界中を席巻した抽象表現主義の嵐の中から、アメリカの「ネオダダ」とも通底する、大量生産・消費社会の中でのリアリテを追求する新しい潮流、ヌーヴォー・レアリスム(Nouveau Réalisme)が生まれた年でもあるが、そんな中、「時代の証人・画家展」は、サロンという言葉に象徴されるように、官展に近い性質を持ち、正統的な絵画表現を継承する画家たちによる展覧会であった。

それは開会の案内状やヴェルニサージュへの招待状のデザインにも現われており、その根底にはフランスの独立と文化を守るという強い意識があることを理解しなければならない。毎回使用されるデザインとフォーマットは統一されており、後援者に送られるものは、展覧会の設立メンバーのひとりで事務総長を務めていた画家のイジス・キシュカ(Isis Kischka,1908-1974)(1)の謝辞の入ったネームカード、公開に先立って行なわれる開会式典の案内およびヴェルニサージュへの招待状と展覧会の公式図録である。また展覧会には告知用のポスターが付き物であるが、この展覧会のポスターは、サロン・ド・メなどの展覧会と同様、エコール・ド・パリを代表する作家、マチス、デュフィー、ヴィヨン、シャガール、ブラック、ピカソ、ビュッフェ、藤田らによるデザインや作品を用いたリトポスターであったことから、早くからコレクションの対象となっている。1953年の第2回展は「日曜日(Le Dimanche)」をテーマに開催されたが、ポスターと図録の表紙を晩年のアンリ・マチス(Henri Matisse, 1869-1954)が切り絵でデザインしており、告知用ポスター800枚がムルロー工房で刷られた。今の感覚から言えば少ないように思われるが、当時の社会状況からすれば、このポスターを身銭を切って買おうとする人がどれほどいたであろうか。
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このポスターには通常のポスターの他に、出品作家向けに版画用紙に刷られたものがある。画像のポスターは、ある作家の元にあったもので、マチスは病床にあったため出席していないが、二十人以上の出品作家が記念のサインを書き入れており、マチスの版上サインの左下あたりに藤田嗣治(Foujita, 1888-1968)のペンサインも見える。

●種類:Inviation
●サイズ:ca.105x140mm
●発行:Les Peintres Témoins de leur temps(P.T.T)
●制作年:1960
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招待状を入れた封筒。


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1960年3月から5月にかけてパリのガリエラ美術館にて開催された第9回「時代の証人・画家展」の図録の特装版《Les Peintres Témoins de leur temps. Tome IX: La Jeunesse》。特装版は、販売用の普及版とは異なり、160部限定の非売品で、後援者の名前が記載されている(nominatif)。第9回展は「青春」をテーマにしており、出品作家のひとり、藤田嗣治が、ポスターと図録用の作品を依頼され、出品作の「花の洗礼」をもとにリトグラフで「三美神」を制作している。刷りはムルロー工房で行なわれ、普及版では表紙に貼られ、特装版では口絵として綴じ込みになっている。

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註:
1.イジス・キシュカは1908年にポーランド系ユダヤ人の移民の子としてパリに生まれる。批評家のジャン・カッソウに認められ、画家として注目を浴び初めていたが、第二次世界大戦におけるドイツ軍のパリ侵攻後にゲシュタポに捕らえられ、フランス国内の収容所に送られる。その際にそれまでに描いた200枚ほどの作品を破壊されてしまう。1944年に解放され、1945年にパリに戻る。1946年、作家で詩人で美術評論家のジャン・カスー(Jean Cassou)や学芸員のイヴォン・ビザルデル(Yvon Bizardel)らと美術展覧会《時代の証人・画家展》の設立に加わり、画家でありながら自らは出品せず、展覧会の裏方に徹した。
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by galleria-iska | 2011-06-15 21:54 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 05月 30日

アラントン画廊の招待状「Les Portes de Craie」(1989)

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マラケ河岸の書店・画廊アラントン(Arenthon S.A.)で催されたアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(André Pieyre de Mandiargues, 1909-1991)の最晩年の作品「白亜の扉(Les Portes de Craie)」の展示会への招待状。この本は、「コブラ(CoBrA」の創設メンバーひとり、ピエール・アレシンスキー(Pierre Alechinsky, 1927-)の5点のエッチングと9点の飾絵(vignette)を付した挿絵本で、菅井汲の晩年のエッチングの版元でもあるパリの印刷・出版社、R.L.D(Robert et Lydie Dutrou Editions-SARL, Paris)から限定205部で出版された。

●作家:André Pieyre de Mandiargues(1909-1991)/Pierre Alechinsky(1927-)
●種類:Invitation
●サイズ:205x149mm(205x298mm)
●技法:Letterpress
●紙質:Arches
●発行:Arenthon S.A.(Galerie Arenthon), Paris
●制作年:1989


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by galleria-iska | 2011-05-30 23:07 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 05月 28日

ベルナール・ビュッフェの招待状「Vézelay. Colline Éternelle」(1968)

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フランスのブルゴーニュ地方、ヨンヌ県の古都で、中世自由都市のひとつであるヴェズレーは1979年、「ヴェズレーの教会と丘」という名で世界遺産に登録されている。村の中心は丘の上に築かれ、その頂きにはバジリカ式の教会堂で、「マグダラのマリア」のためのサント=マドレーヌ大聖堂(Basilique Sainte-Madeleine de Vezeley)が建つ。この村はまた、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の始点となっており、ヴェズレーから国境を越え、イベリア半島北西部に続く「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として世界遺産に登録されている。

この招待状は、ヨンヌ県の知事および県議会議長主催で、1968年5月31日にジョルジュ・ポンピドー首相出席のもと催された観劇の夕べのために制作されたもので、21世紀を待たずして自らの命を絶ったベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)が、表紙絵として、招待客を迎える場所となったサント=マドレーヌ大聖堂を描いている。演目はアカデミー・フランセーズの会員であるモーリス・ドリュオン(Maurice Druon, 1918-2009)作のによる「ヴェズレー、永遠の丘-音と光」。この表紙絵をもとに、ビュッフェの刷り師であるシャルル・ソルリエが版を起こしたエスタンプ((lithographie d'interprétation=Interpretation lithograph)と告知用のポスター(530x330mm、限定800部)が制作された。尚、エスタンプとポスターでは背景色が空色に変えられている。

●作家:Bernard Buffet(1928-1999)
●種類:Invitation
●技法:Lithograph
●題名:Vézelay. Colline Éternelle
●サイズ: 255x180mm(255x360mm)
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1968

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by galleria-iska | 2011-05-28 18:42 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 05月 24日

ロバート・ラウシェンバーグの招待状「Galerie Daniel Templon」(1985)

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1985年にパリのダニエル・タンプロン画廊(Galerie Daniel Templon)で開催されたロバート・ラウシェンバーグの個展のヴェルニサージュへの招待状。タンプロン画廊については、前にロバート・メイプルソープの招待状を取り上げた際に書いているので、今回は省く。この個展はロバート・ラウシェンバーグの「Salvage Series」による近作展であり、偶然にもメイプルソープ展と同じ年に開催されたものである。タンプロン画廊の招待状は常に、画廊の白亜の壁面を表す白のコート紙に同じ書体による文字の配置が行なわれ、作家や展覧会について一切の予断を許さない禁欲的なや美しさを放っている。

タンプロン画廊が紹介してきた主だった作家を見てみると、ウイレム・デ・クーニング、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタイン、エルスワース・ケリー、ジャン=ミッシェル・バスキア、キース・ヘリング、サンドロ・キア、フランチェスコ・クレメンテ、ヨルグ・イメンドルフ、ヘルムート・ニュートン、リチャード・セラ、クリスチャン・ボルタンスキー、カール・アンドレ、ドナルド・ジャッド、ソル・ルウィットと、現代美術の様々な動向を俯瞰することが出来る。

そして現在は、ヴァレリオ・アダミ、アンソニー・カロ、ジム・ダイン、フランク・ステラ、ジョエル・シャピロ、ヤン・ファーブル、クロード・ヴィアラなど、約40人の作家と契約し、その展覧会をプロデュースしている。

●作家:Robert Rauschenberg(1925-2008)
●種類:Invitation(Carton d'Invitation)
●題名:Robert Rauschenberg Oeuvres Récentes
●サイズ:104x149mm
●発行:Galerie Daniel Templon, Paris
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by galleria-iska | 2011-05-24 16:30 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 05月 07日

ポール・デルボー展の招待状「Bateau Lavoir」(1972)

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1972年の2月5日にバトー・ラヴォワール画廊で催されたポール・デルヴォーの「Dessins et Gravures 1969-1972」展のヴェルニサージュへの招待状。その年の1月に制作されたデッサンを用いている。画面下にモノグラムのサインと年記(P.D 1-72)。蝶結びのリボンの付いた帽子を被る女性の横顔は、同じ1月にモノクロとカラーのリトグラフで制作された「Chapeau 1900(1900年の帽子)」にも使われているが、リトグラフでは蝶結びのリボンが強調され、帽子の装飾もより豪華なものとなっている。色刷りものでは、帽子のリボンと髪を結ったリボンは共に紫色で刷られており、高貴さを象徴する紫と美の象徴である蝶によって、描かれた女性になんらかの性格を与えようとしているかのようにも見える。と同時に、夢の世界と同様、絵画空間の中に画家の何らかの願望(欲望)が反映されていると見れなくもない。紫色のリボンや花飾りの帽子は、デルヴォーに限らず、ルノアールやピカソなど多くの作家が描いているが、女性の美や高貴さを表すとともに、それを非現実的で象徴的存在に変容させる小道具として用いられている。デルヴォーについては、社会通念や宗教上の理由から、裸体の女性に対する予断を避ける意味もあったのかもしれない。デルヴォーは1930年代に蝶結びのリボンを登場させており、後年、インタビューの中で、蝶結びのリボンをモチーフした理由について聞かれると、そこに何か象徴的な意味を感じ取ったことはなく、-その無意識な作用として知覚された-単に造形的な面白さに惹かれたからだ、と応えている。1937年に制作された油絵「バラ色のリボン」では、何らかの象徴的意味合いを感じさせる胸元に大きなバラ色の超結びのリボンを付けた裸体の女性が描かれ、1948年の「紫のリボンの女たち(Femme au noeud violet)」では、紫色のリボンを蝶結びにして髪を結った女性が登場する。

バトー・ラヴォワール画廊が制作したデルヴォーの三点の招待状は、招待状のために描かれたデッサンを版画用紙にリトグラフで刷っているため、オリジナル作品として扱われることが多く、海外のある業者は三点一組で1500ドルと、かなり思い切った売値を付けていた。
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●作家:Paul Delvaux(1897-1994)
●種類:Invitation(Carton d'invitation)
●サイズ:131x105mm(131x210mm)
●技法:Lithograph
●紙質:Arches
●発行:Galerie Le Bateau Lavoir, Paris
●制作年:1972

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図版:展覧会に出品されたと思われる、1972年1月の年記を持つリトグラフ「Chapeau 1900」。同じ版を使ったカラーリトグラフも制作されている。

参考文献:
「Paul Delvaux Oeuvre gravé」Préface, notices et catalogues par Mira Jacob, André Sauret, 1976
「ポール・デルボー展」東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、毎日新聞社、1975年
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by galleria-iska | 2011-05-07 12:08 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)