ガレリア・イスカ通信

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カテゴリ:ポスター/メイラー( 89 )


2016年 09月 20日

リチャード・エステスのポスター「Richard Estes: A Decade 1973-83」(1983)

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今年は台風が何度も上陸し、日本各地に大きな被害をもたらしている。今のところ当地には台風の直撃はないが、それに関連する大雨で、実家の屋根瓦の一部が屋根板ごと抜け落ちてしまい、そこから雨水が流れ込み下の部屋の床が水浸しになってしまった。雨水はまず天井裏を抜け、写真集や資料(エフェメラ)の保管に使っているスチール製のキャビネットの上に落ちて水溜まりを作り、そこから滴り落ちて、床を水浸しにしたと思われる。幸いキャビネットの中のものは助かったが、横に立ててあった大きなポスター入りの紙筒に浸み込み、貴重なポスターが被害を受けた。やはり災難は何時やってくるか分からない。

隣部屋のテーブルの上に置いてあったポスターは、運よく難を免れたが、その中に購入した記憶が無い(?)ものが一枚あった。ただ単に耄碌して思い出せないだけかもしれないが...。フォトリアリズム(Photorealism)の作家リチャード・エステス(Richard Estes, 1932-)が1983年、専属画廊であるニューヨーク市のアラン・ストーン画廊(Allan Stone Gallery, New York)で行なった、1973年から83年までの10年間に制作した作品を回顧する展覧会「Richard Estes: A Decade 1973-83」の告知用ポスターである。昔、ネットオークションを通じてポスターを10種類ほど纏めて購入したことがあったが、その中の一点かもしれない。お目当てのものではなかったので、いつの間にか記憶から抜け落ちてしまったのかもしれない。ポスターを出版したのは、1960年代にウォーホルやリキテンスタインといった現代美術の作家のオリジナルポスターの出版を手掛け成功したニューヨーク市のポスター・オリジナルズ(Poster Originals, Ltd., New York)という、ポスター専門の画廊・出版社である。

リチャード・エステスは日本ではスーパー・リアリズム(Super-Realism)の作家として紹介されることが多いようである。1932年、イリノイ州キウォニー(Kewanee)生まれ。州最大の都市であるシカゴにあるシカゴ美術館附属美術大学(The School of the Art Institute of Chicago)(1952年-1956年)で学んだ後、10年あまりグラフィックアーティストとして出版や広告の仕事に携わる。1959年にニューヨークに移住。1962年にはスペインに住んで絵を描く。1967年、エステスと同い年で弁護士から画商に転じたニューヨーク市のコレクターで画商のアラン・ストーン(Allan Stone, 1932-2006)に作品を見せ、翌年、アラン・ストーンが1960年に設立した画廊で最初の個展を開き、その後毎年のように個展を開催する。エステスは、写真、殊にカラー写真の“圧縮された空間”が生み出す独特の平面性に着目し、また映り込みや反射といった物質の存在感を希薄化する作用を意識的に画面に取り込んだ作品を制作する。エステスの特徴は、他の作家のように、エアーブラシを用い筆触を残さない画面とは一線を画し、都市風景を絵筆を使って丹念に描写(再構築)していく手法を用いていることだ。細部を見れば絵筆を使って描かれたことが直ぐに判るのだが、見る者は、画面全体を覆う無表情で感情を排したイルージョニックな空間に幻惑され、絵画的な表情の方に目がいかない。しかしながら、“絵画とは平面である”という前提を写真における平面性に依拠したため、機械的な表現手段である写真を一段下に見ていた評論家たちからは評価は得られず、単なる写真の複製と揶揄されることとなる。エステスは版画作品の制作も行なっているが、シルクスクリーンで作られた版画は、絵画であることの証左であった筆跡さえ残らぬ平坦そのもので、少し離れて見ると、限りなく写真に近づいている、というより、写真ではないかと錯覚してしまう。

●作家:Richard Estes(1932-)
●種類:Poster
●サイズ:940x604mm
●技法:Offset
●発行:Poster Originals, Ltd., New York
●制作年:1983
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by galleria-iska | 2016-09-20 21:19 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2016年 07月 30日

勝原伸也のポスター「Shinya Katsuhara」(1995)

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浮世絵版画師の勝原伸也(Shinya Katsuhara,1951-2015)大兄が鬼籍に入られて早一年になる。明日7月31日は一周忌であるが、墓参りは叶いそうもないので、大兄を偲んで、いただいたポスターを取り上げたい。このポスターは、大兄の父親の郷里である広島県三原市で1995年に開催された浮世絵版画展の告知用ポスターで、1987年に復刻した江戸時代末期の浮世絵師、一勇斎 國芳(歌川 国芳)(Ichiyûsai Kuniyoshi, 1797-1861)の大判三枚続き(triptych)の作品『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図(Tametomo Rescued by Tengu sent by Sanuki-in)』(1851~52年頃)(註1)左図の部分が使われている。この絵は、国芳の作品の中でも、一、二を争う有名な絵で、三枚に連なる大きな鰐鮫の金属的な質感を持った渦巻状の鱗を彫るのに苦労し、彫りだけで五ヶ月近くもかかったと語っている。とは言え、勝原は他の作品にも見られるのだが、単に精巧な復刻を目指していたわけではなく、オリジナルでは濃く摺られている烏天狗の刷りを薄い墨で摺るという独自の解釈を加えている。
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       オリジナル                                 復刻

●作家:Shinya Katsuhara(1951-2015)
●種類:Poster
●サイズ:725x514mm
●技法:Offset
●発行:Mihara City & Mihara City Board of Education
●制作年:1995
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1987年復刻の一勇斎国芳『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』(木版師 勝原伸也の世界より)

註:
1.曲亭馬琴の『椿説弓張月』中の場面で、嵐に襲われ難破した源為朝父子を讃岐院(崇徳上皇)の眷属である鰐鮫と烏天狗が救う。

参考文献:
ばれんの会編 『木版師 勝原伸也の世界(Shinya Katsuhara, The Ukiyo-e Craftman)』平凡社、1993年
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by galleria-iska | 2016-07-30 19:01 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2016年 05月 17日

アントニ・クラーべのポスター「École de Paris 1956」(1956)

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1802年に建てられた邸宅を収集家のジャン・シャルパンティエ(Jean Charpentier, 1891–1976)が画廊として利用し、1924年に19世紀前半に活動したフランスのロマン主義の画家テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault, 1791-1824)の展覧会を開催したパリの老舗画廊シャルパンティエ(Galerie Charpentier, Paris)(註1)は、1941年、画廊の名前はそのままに新しいオーナーに代替わりし、1954年からは継続して“エコール・ド・パリ展”の企画を行なっている。これはその1956年の展覧会の告知用ポスターで、スペインはカタローニア地方のバルセロナ出身の画家アントニ・クラーべ(Antoni Clavé, 1913-2005)のグアッシュとコラージュ、それにモノプリントによる装飾的な文様を組み合わせたオリジナル作品をリトグラフに置き換えたもの。印刷はパリのムルロー工房(Mourlot Imprimeur, Paris)で行なわれている。このポスターには、通常のポスター用紙と版画用のアルシュ紙に刷られた二種類あるが、他に、限定200部で、アルシュ紙に刷られた文字無しのものがある。手元にあるのは、ポスター用紙に刷られたものだが、入手経緯には訳があって、当初、ヨーロッパのある画廊にアルシュ紙のものを注文したのだが、どうも在庫切れだったらしく、ポスター用紙の方を送ってきた。注文と違うので、返品を申し出ると、早急に交換するということで待っていたのだが、いつの間にかオーナーが代わり、結局そのままになってしまった。

クラーべは日本でも知名度の高い作家のひとりであるが、10代の終わりには既にポスター作家として活動し、評価も得ている。また映画館の装飾や舞台装置の仕事も手掛けており、それは1939年のフランス亡命後も継続されていく。1941年、モンパルナスのアトリエに居を構え、1943年頃から挿絵画家として数々の文芸作品の挿絵を手掛け、版画が重要な表現手段のひとつとなっていく。1944年にピカソと出会い、その影響を強く受けた王様、道化師、子供、静物を描き始め、前期の様式を確立する。1954年頃から、油彩やグアッシュにコラージュを併用した作品を描き始め、後期の様式である抽象的な作品への橋渡し的な役割を果たす。ポスターが制作された1956年に開催された第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ(the 28th International Biennale of Art in Venice)で版画作品がユネスコ賞を受賞している。その翌年に開催された第一回東京国際版画ビエンナーレではブリジストン美術館賞を受賞し、それを機に日本での作品紹介が増えていく。このポスターは、初めからリトグラフとして制作されたものではなく、絵画作品と同じようにグアッシュにコラージュを併用した作品をもとにしており、クラーべの転換期の様式を知ることが出来るものとして興味深い。

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図版:Antoni Clavé "Le Peintre, 1957. Gouache and collage, 76x56cm. 

クラーべが1957年に制作した“画家”という題のグアッシュとコラージュによる絵画作品は、明らかにポスターの構図をもとにしており、画家の顔の正面には、ゴロワーズ(Gauloises)という手巻きタバコのパッケージをコラージュして創り出したパイプの煙で見え難くはなっているが、"PARIS"という文字も読み取れる。画家兼版画家(Peintre-graveur )の多くは絵画作品を元に版画を制作するのが定石のようになっているが、クラーべの場合は逆に、挿絵などにために制作したリトグラフを油彩やグアッシュのエスキースとして用いるケースがまま見られる。これは画家がタブロー作家として立つ前に、グラフィックアーティストやデザイナーとしてポスターや舞台装飾などの制約のある仕事に就いていたことと関係あるのかもしれないのだが、どこか画家としての横尾忠則氏の歩みと重なっていないでもない。

●作家:Antoni Clavé(1913-2005)
●種類:Poster
●サイズ:675x438mm
●技法:Lithograph
●発行:Galerie Charpentier, Paris
●印刷:Mourlot Imprimeur, Paris
●制作年:1956
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                     モノプリントによる装飾的な文様を使った袖の部分を拡大したもの
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                           画面右下に入れられたクラーべの版上サイン

その他の作家によるエコール・ド・パリ展のポスターで判明しているもの:
1954年:ベルナール・ロルジュ(Bernard Lorjou)620x400mm
1955年:ジャン=ミシェル・アトラン(Jean-Michel Atlan)640x440mm、限定400部
1960年:ジャック・ラグランジュ(Jacques Lagrannge)760x500mm
1961年:ピエール・ルシュール(Pierre Lesieur)737x520mm


註:

1.エリゼー宮の向かいに位置するシャルパンティエ画廊(76, rue du Faubourg Saint-Honoré, 75008 Paris)は1968年に閉廊するが、1980年代にピエール・カルダンがレストンランを構え、1988年からオークション・ハウスのサザビーズのパリ支店となっている。

参考文献:
Seghers, Pierre: Clavé, Tudor Publishing Company, New York, 1972
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by galleria-iska | 2016-05-17 22:45 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2016年 03月 30日

ベアテ・ヴァッサーマンのポスター「Galerie Kammer」(1985)

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画家が自らの個展のためにデザインしたポスターは、それに対する思いが直裁に表現されているという点において、非常に興味深いものがある反面、逆にその個性が強すぎて、情報伝達の役割が二の次になってしまったものも少なくない。ところが、ある意味当然のことかもしれないのだが、ポスターデザインの専門家であるグラフィック・デザイナーやタイポ・グラファーが加わっていないものの方が後に作品的価値を認められる場合が多いのである。文字に対する信頼感が強い我が国では、ポスターの機能性を重視するあまり、画家の創造性を生かしきれていないものが多い。我々はイメージの持つ訴求力に惹かれ展覧会場に足を運ぶのであるが、時にその前提が抜け落ちてしまっているかのような錯覚を覚える。いつの間にか主客転倒してしまっているのだ。もちろんポスターとしての「型」や「枠」からどれくらい“逸脱”できるかは、画家の創造性やポスターに対する思いの深さによるのかもしれない。が、そのような姿勢を持つことが新しい視野をもたらし、また美術表現の概念を押し広げる原動力となるのである。ピカソであれ、ミロであれ、横尾であれ、はたまたホルスト・ヤンセンであれ、彼らは決まった「型」からの逸脱を恐れなかったからこそ、歴史に残り得るポスターを数多く作ることが出来たのである。何を恐れることがあろうか。“逸脱”、大いに結構ではないか。

さてこのポスターであるが、かつてパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)やホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)が籍を置いた州立ハンブルク美術学校を前身とする国立ハンブルク造形芸術大学(Hochschule für bildende Künste Hamburg) に学んだ、ハンブルク生まれの抽象画家ベアテ・ヴァッサーマン(Beate Wassermann, 1947-)が1985年に、契約画廊であるハンブルクのカマー画廊(Galerie Kammer, Hamburg)での個展の際に、告知用ポスターとしてデザインしたものである。このポスターを特徴付けているのは、その蝋引き紙(ワックス・ペーパー)の質感であろうか。ポスターの表面を見る限り、シルクスクリーンでポスターを印刷した後、蝋引き加工を施したものと思われるのだが、ポスターにこのような手法を用いたのは、これまで見たことがない。入手の切っ掛けとなったのは、同画廊で1981年行なわれたデイヴィッド・ホックニーの個展『デイヴィッド・ホックニー、デッサンと版画(David Hockney Zeichnungen Und Grafik)』のポスター(889x635mm)。購入しようと問い合わせたところ、値段が合わず、代わりに、リストに載っていた、このポスターとジム・ダイン(註1)、アレン・ジョーンズのポスターを購入することになったのである。カマー画廊は現代美術、とりわけポップ・アートとフルクサスを主に扱う画廊として1966年にハンブルクに設立され、ヨゼフ・ボイス(Joseph Beuys), ディーター・ロート(Dieter Roth), デイヴィッド・ホックニー(David Hockney,) ステファン・フォン・ヒューン(Stephan von Huene), アンディ・ウォーホル(Andy Warhol), ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)、アレン・ジョーンズ(Allen Jones) らの作品を、その活動の早い段階で紹介している。

実物は目にしたことがないが、同画廊がサイトに載せている作品の画像を見る限り、ヴァッサーマンの抽象絵画には、アンフォルメルや抽象表現主義的な身振りが見受けられるのだが、その女性特有の色彩感覚から生み出される画面は、あたかも色とりどりに咲く花の周りを軽やかに舞う蝶の視点を追うような感覚を覚える。それがこのポスターでは一転し、緋色の大きな塊は、暗赤色のヴェールに覆われ、静けさの中へとその身を染めていく。想像力が眠りから覚めるのを促すかのように。

●作家:Beate Wassermann(1947-)
●種類:Poster(Plakat)
●サイズ:100x70cm
●技法:Silkscreen(?)
●発行:Galerie (Renate) Kammer, Hamburg
●制作年:1985
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註:

1.1982年にカマー画廊で開催されたジム・ダイン(Jim Dine, 1935-)の個展の告知用ポスター:
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●作家名:Jim Dine(1935-)
●種類:Poster
●サイズ:971x650mm
●技法:Offset
●発行:Galerie Kammer, Hamburg
●制作年:1982
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見つけられることを避けるかのように画面上部中央に入れられたダインの版上の署名と年記。画面の見せ方(見え方)にも関係してくるのだろうが、ダインの署名に関する考え方は、他の現代美術の作家と同様、その版画作品に於いて顕著に現れる。
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by galleria-iska | 2016-03-30 18:25 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2016年 03月 27日

ベルナール・ビュッフェのポスター「Galerie Isy Brachot」(1966)

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歓迎されざる出来事で世界中から注目されることになってしまったベルギーの首都ブリュッセル。その中心部にあるグラン=プラス(Grand-Place)は、1998年にユネスコの世界遺産に登録された、世界で最も美しい広場のひとつとされる。広場を囲む中世の歴史的建造物なかで一際美しいのが、15世紀フランボワイヤン(後期フランス・ゴシック)様式で建てられたブリュッセルの市庁舎。その高さ96メートルの尖塔の頂部には、ブリュッセルの守護天使ミカエル(フランス語名:ミシェル)の像が飾られている。

今回取り上げるのは、フランスの具象画家ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)が1966年に、その市庁舎をモチーフに、自身の個展(註1)のためにデザインした告知用ポスターである。このポスター、摺刷数の少なさもあるが、ベルギーの歴史と文化において特別な意味合いを持つ建物であることも相まって、別刷りの版画ヴァージョン以上に市場に出てこない。今手元にあるのは、10年ほど前に運良く手に入れたものであるが、実際に掲示されていたものらしく、ピン跡が幾つも残っている。ビュッフェの個展を開いたのは、ブリュッセルで1915年から1993年まで三代に渡たり、ベルギーにおける重要な美術の拠点として活動したイシー・ブラショ画廊(Galerie Isy Brachot, Bruxelles)である。当初フランスの作家(というよりも、フランス語圏と言った方がいいかもしれないが)を紹介する画廊として出発した同画廊は、その時代、時代の顔となる作家を積極的に取り上げ、1970年代以降はルネ・マグリットやポール・デルヴォーといったベルギーを代表するシュルレアリスムの作家から、ヨゼフ・ボイスやアンディ・ウォーホル、ロバート・ラウシェンバーグ、ロイ・リキテンスタインといった現代美術を牽引した作家の個展やグループ展を積極的に開催している。1966年のビュッフェの個展は、その前年に行われたエコール・ド・パリの作家の作品を一堂に集めた展覧会「Ecole de Paris, de Seurat à Buffet」への出品が導線になっているものと思われる。図録の出品リストには98点とあるので、かなりの規模であったようだ。

さてポスターであるが、手にしたときから妙な不自然さを感じていた。その原因は塔と建物本体との繋がりにあるのだが、ビュッフェはブリュッセルの街のシンボルである市庁舎を、二つの視点を持って描いているように見える。斜め手前から見た建物本体は、その前に立ったときに覚えたであろう圧迫感というか威圧感からなのか、幾分前のめりに描いているのだが、それに対し、垂直に伸びる塔は、本来なら、ゴシック建物特有の、天に向かって高く聳える塔として描かれるべきはずなのだが、あたかも真下から見上げた-そうすると遠近感が圧縮され、塔の高さが実際よりも低く見える-ように描いているのだ。ではどうして、ビュッフェは真下から見上げた塔と斜め手前から見た建物本体を組み合わせたように描く必要があったのだろうか。その理由を二つ考えてみた。まず一つ目は、塔をそのまま描くと頭でっかちに見えることから、安定した構図を得るために塔の高さを調整する必要があった。二つ目は、単なるビュッフェの錯覚によるもので、広場を挟んで向かいに建つ「王の家」の塔-それは市庁舎の塔と比べてかなり低いのだが-と混同し、実際よりもかなり低く描いてしまった、というものであるが、どちらも単に現象面から導き出したもので、ビュッフェの人となりを考慮に入れたものではないため、十分な根拠とは言い難いかもしれない。そこで作品の範囲をこの市庁舎以外にも広げて見てみると、ニューヨークの摩天楼や日本建築を描いたものの中にも、ビュッフェが自国の建物を描くときには見られない“視点”が幾つも見受けられることに気付いた。そしてそれが意味するのは、これはビュッフェのと言うよりは、フランス人特有の異文化にたいする認識の仕方に何かある一定の法則のようなものがあるのではないか、と思うに至ったのである。そこには造形表現の手段として用いられる“デフォルマシオン(déformation)”が関わっていて、それが、単なる技法上の“誇張”や“変形”としてではなく、フランス人の自国の文化、言語、歴史に対する理想やプライドによって培われた気質というか文化的特質から来る風刺を伴う“視点”として作用し、異文化に対する諧謔として現れてくるのではないだろうか。つまりビュッフェは対象から得た記憶や印象を画面に移し変えようとしているのではなく、フランス人としてのビュッフェの主観の反映として、異文化の精神的遺産を意図的に変形させた造形表現(解釈)を行なっている、ということになるのである。

ビュッフェはそれを主にフランス国民に対して発信しているのであるが、その極端な例が、フランスの風刺新聞として事件後も発行を続けるシャルリー・エブド(Charlie Hebdo)であろうか。紙媒体を主だった情報伝達の手段として用いていた時代には、ある一定層(読解力のある主に知識層)にか伝わらなかったのであるが、今日のようなネット社会においては、たとえそれが自国民に向けて発信されたものであったとしても、瞬時に全世界に拡散されてしまうばかりではなく、他国に対する侮蔑と受け止められかねない危険性を孕んでいることは周知の通りである。

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●作家:Bernard Buffet(1928-1999)
●種類:Poster
●題名:L'Hôtel de ville de Bruxelles
●サイズ:955x632mm
●技法:Lithograph
●限定:500
●発行:Galerie Isy Brachot, Bruxelles
●制作年:1966
●目録番号:66 bis(Bernard Buffet lithographe 1979-1987, Charles Sorlier)




註:

1.個展の図録「ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet)」(210x270mm)、アカデミー・フランセーズ会員モールス・ドルオンによる序文、24ページ、出品作品リスト(98点)、1966年
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by galleria-iska | 2016-03-27 19:18 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2016年 01月 11日

ニキ・ド・サンファル展のポスター「Nagoya City Art Museum」(2006)

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下流老人まっしぐらの身ゆえ、昨年の9月18日から12月14日にかけて東京の国立新美術館(The National Art Center, Tokyo)で開催されたフランスの画家、彫刻家、映像作家で版画も手掛けたニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)の回顧展「ニキ・ド・サンファル展」には出掛けることが出来なかったが、幸いにして、展覧会の企画に加わっているNHKの番組『日曜美術館』で特集が組まれ、その概要を知ることが出来た。今回の展覧会は、2014年にパリのグラン・パレ(Grand Palais-Galeries Nationale, Paris)で開催され、60万人の観客を集めたとされる大回顧展「Niki de Saint Phalle)要素を取り入れながらも日本独自の構成でと、微妙な言い回しを使い、大回顧展ではなく回顧展としているのだが、出品リストを見ると、結局のところ、Yoko増田静江コレクションからの出品が多く、何でも大げさに騒ぎ立てて耳目を集めようとするメディアの放つ謳い文句に踊らされた感も無きにしも非ずである。

日本国内でのニキの大規模な展覧会としては、今回程大きな話題にはならなかったかもしれないが、ニキが亡くなって4年後の2006年に、栃木県那須郡のニキ美術館(Niki Museum Gallery, Nasu, 1994-2011)とドイツのハノーファー市のシュプレンゲル美術館(Sprengel Museum, Hannover)の協力で開催された名古屋市美術館(Nagoya City Art Museum, Nagoya)での回顧展「ニキ・ド・サンファル展」(会期:2006年6月17日~8月15日)が先陣を切っている。こちらは招待券を頂いたので、なんとか観に行くことが出来た。これはその展覧会の告知用ポスター。使われているのはニキ美術館所蔵の「恋する鳥(L'oiseau amoureux) 」(1972年)で、撮影は故増田静江(Shizue Masuda,1931-2009)氏のニ男、黒岩雅志氏である。

常々思うのだが、グラフィック・デザイナーが手掛けることが多い日本の展覧会ポスターは、デザイン性に優れ、美しく(=無味無臭)作られてはいるが、パッケージデザインのようで、欧米の作家がデザインしたポスターのような、作家の生の個性が伝わってこないものが多い。それはポスターに盛り込む情報量の多さに起因しているのではないかと思われる。基本的には展覧会のタイトルと時と場所だけで事足りると思うのだが、役人仕事が入り込んでくるのか、ポスターが視覚言語としてではなく、文字情報の伝達手段と化してしまっている。このポスターでもそうだが、デザイナーの工夫によって目立たぬよう-自己矛盾!-に配慮されてはいるものの、これ以上の親切は無いというくらい事細かく記載してある。そのため、肝心の作家に興味を持たせ、観たいと思う気持ちを起こさせる機能が削がれてしまっている。それはつまり、情報伝達というポスターが本来持つ機能に拘泥するあまり、展覧会という行事が先行し、作家の創造性に対する理解と敬意を蔑ろにしてしまっていることに他ならない。ポスターは回覧板ではないのだ。ついでに言えば、多くの美術館では展覧会に先立ち、ポスターと同じデザインで、裏側には展覧会の案内と簡単な作品紹介が付いたA4サイズのチラシを用意しており、そちらは手に取って読むことができるのだから、ポスターの過剰とも言える文字情報は極力削るべきであろう。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Poster
●サイズ:728x516mm(B1)
●技法:Offset
●発行:Nagoya City Art Museum, Nagoya
●制作年:2006
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by galleria-iska | 2016-01-11 21:25 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 12月 14日

ナム・ジュン・パイクのポスター「14th International TV Symposium」(1985)

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1985年6月6日から12日にかけてスイスのモントルーで開かれた第14回モントルー国際テレビジョン・シンポジウム(14th International Television Symposium, Montreux, Switzerland))の広報用のポスターを、テレビ受像機を何台も組み合わせたインスタレーションやビデオ・アートの開拓者として知られる韓国系アメリカ人の現代美術家ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik, 1932-2006)がデザインしている。個人的には、モントルーと聞いて思い出すのは、ジャン・ティンゲリー(1982年)、キース・へリング(1983年)、ニキ・ド・サンファル(1984年)、ウォーホル(ヘリングとの共作、1986年)といった国際的に活躍する現代美術作家や、ミルトン・グレイザー(1976年)や福田繁雄(1985年)のようなグラフィック・デザイナー、変わったところではマルチ・ミュージシャンのデビィッド・ボウイ(1995年)やロックバンドのドラマー、フィル・コリンズ(1998年)にもデザインが依頼される公式ポスターが話題となるモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)なのであるが、同じモントルーで毎年開かれる、新しいテレビ技術やその汎用性について討論するモントルー国際テレビジョン・シンポジウムは、技術者や開発者でもない人間には縁もゆかりもなく、間違ってもテレビとアートとの関わりというテーマで討論が行なわれることはないと思われるのだが、フルクサスの有り方が投影されていると考えるならば、パイクのデザインによるポスターというのも至極的を得ているのかもしれない。と言うのは、“流れる、変化する”という意味を持つラテン語からきているフルクサスは、第一次世界大戦後の虚無感のなから生まれた、既成の秩序や常識を打ち破るダダイズムの芸術思想の流れを汲むネオダダとも通底しており、日常的なものを芸術の場に持ち込むことで伝統や権威を打ち壊し、逆に日常世界に芸術的なものを持ち込む(キース・ヘリングのポップ・ショップもそのような手法を用いたものであると考えられる)ことで、そこに価値の反転という衝撃を生み出す反芸術的な前衛芸術運動であるからである。

フルクサスは、この運動を主導したジョージ・マチューナスが1962年9月に西ドイツのヴィースバーデン市立美術館で「第一回フルクサス国際現代音楽祭」を企画したのがその始まりとされているが、西ドイツで音楽史と作曲を学び、音楽的パフォーマンスを行なっていたパイクもその出演者のひとりであった。パイクは、1959年に『Electoronic TV Dé-coll/age』を制作し、1963年にはニューヨーク市のスモーリン画廊(Smolin Galery, New York)で、6台のテレビ受像機を使ってテレビ画像をゆがめる実験的作品『6TV Dé-collage』を発表し、ヴィデオ・アートとインスタレーションのパイオニアとなったヴォルフ・フォステル(Wolf Vostell, 1932-1998) と同様、1963年、ドイツの建築家で画廊主のロルフ・イェーリング(Rolf Jährling, 1913-1991)が1949年にヴッパータールに開いたパルナス画廊(Galerie Parnass, Wuppertal)で、最初の個展『音楽の展覧会-エレクトロニック・テレビジョン(Exposition of Music - Electronic Television)』を開催。画像を歪めたり白黒反転させたりした13台のテレビ受像機によるインスタレーションを展示しており、このパイクのテレビ受像機を使った立体表現とビデオ・アートとの融合、つまり、テクノロジーとエレクトロニックメディアによる機械の人間化を目指す方向性は、シュルレアリスムの諧謔の精神を受け継いでいるかのようでもあり、美術界に与えた衝撃は大きい。

このポスターの制作を依頼されたのは、ベルンにシルクスクリーンの工房を持ち、クンストハレ・ベルン(Kunsthalle Bern)やクンストハレ・チューリッヒ(Kunsthalle Zürich)といった展示企画を専門とする美術館にシルクスリーンによる良質な告知用ポスターを供給しているアルビン・ウルドリー(現在の社名はSerigraphie Uldry AG)で、ウルドリーはまた先に挙げたモントルー・ジャズフェスティバルの公式ポスターを初めとする音楽、演劇といった催し物から観光や国際会議のようなものまで、多種多様な要望に応えていることから、このナム・ジュン・パイクのオリジナル・デザインのポスターが実現したのも、この工房の力によるところが大きいように思われる。

このポスターは今から30年前に制作されたものなので、イメージとなるテレビ画面はブラウン管のそれであり、今ではある種の郷愁を感じさせなくもない。画像では灰色に見えているポスターの地の部分は、1970年代であれば銀色のアルミ箔を用いているのかもしれないが、このポスターでは、銀色のインクを使ってメタリックな表情を与えている。

●作家:Nam June Paik, (白南準1932-2006)
●種類:Poster
●サイズ:1000x700mm
●技法:Silkscreen
●発行:MTO Swizerland,
●印刷:Albin Uldry, Bern
●制作年:1985
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by galleria-iska | 2015-12-14 22:24 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 11月 25日

荒川修作のポスター「Kunsthalle Bern」(1972)

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前回、スイスのベルンにある現代美術の企画展に特化した美術館、クンストハレ・ベルン(Kunsthalle Bern, Bern)で1971年に開催されたジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns, 1930-)の版画展の告知用ポスターを取り上げたが、今回は、愛知県名古屋市出身の美術家、荒川修作(Shusaku Arakawa,1936-2010)がそのポスターに触発されて制作したポスターを取り上げてみたい。

このポスターは、荒川とは既に旧知の仲であったジョーンズの版画展から一年後の1972年に同美術館で開催された荒川の展覧会の際に制作されたものだが、荒川はジョーンズのポスターに呼応するかのようなデザインを行なっている。それは二つのポスターを並べて見るとよく判るのだが、荒川はジョーンズのポスターと同じ100x70cmの縦長のフォーマットを用い、画面中の文字式A+B=Cにジョーンズ(註1)が文字入れに使っているゴシックタイプのステンシルを、画面下の文字入れは、ジョーンズと同じモノクロで、手書き風の特徴ある書体を使っていて、この二つのポスターは明らかに姉妹関係にあるように見える。しかし、だからと言って、それが荒川のジョーンズに対するオマージュであるとまでは言い切れないが。荒川はこのポスターを、彼が1971年にドイツのミュンヘンにあるブルックマン出版(Bruckmann Verlag GmbH, München)から刊行した『意味のメカニズム(Mechanismus der Bedeutung)』(初版)に関する作品展のための告知用ポスターとして制作したもので、10の組み立て直しを「A+B=C」という文字式を使って示している(10 reassembling An investigation of the element of the reassembly and the possible applications of these in order to change usage)。

このポスターは二十年以上前にドイツの画廊から取り寄せたものだが、内容を理解した上でのことではなく、ポップな色調に惹かれてと言った方が良いかもしれない。

概念を図式化したものを作品とする荒川の活動が世界的な注目を集めるのは、コンセプチュアル・アート(概念芸術)の最盛期であるといわれる1966年から1972年である。反芸術を掲げる荒川は1961年、単身ニューヨークに渡り、そこでマルセル・デュシャンの知遇を得、オノ・ヨーコから借りたスタジオでデュシャンが連れて来たアンディ・ウォーホル、ジョン・ケージ、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグといった現代美術の錚々たる作家と出会うことになる。そして1963年のドイツはデュッセルドルフのシュメラ画廊(Galerie Schmela, Düsseldorf)での個展(たった一点の作品を展示しただけ)を皮切りに、ヨーロッパとアメリカの画廊で次々に個展を開催、言葉や記号、図形が書き込まれた非絵画的作品を発表する。1971年に1963年から共同制作を行なっている画家で詩人のマドリン・ギンズ(Madeline Gins, 1941-2014)と『意味のメカニズム』を発表、国際的な評価を得る。そして1972年に『意味のメカニズム』に関する巡回展(註2) が組まれる。ベルンでの展覧会はそのうちのひとつである。

ベルンでの展覧会のキュレーションを行なったのは、1960年から1969年までディレクターの職にあって、1969年には『態度が形になるとき」(When Attitudes Become Form)』というコンセプチュアル・アートの伝説的な展覧会を企画したハラルド・ゼーマン(Dr.Harald Szeemann, 1933-2005)の後を受け、1970年から1974までディレクターを務め、1971年にジョーンズの版画展を企画したカルロ・フーバー(Dr.Carlo Huber)である。
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●作家:Shusaku Arakawa(1936-2010)
●種類:Poster
●題名:10 Reassembling
●サイズ:1003x699mm
●技法:Silkscreen
●限定:1000
●発行:Kunsthalle Bern, Bern
●印刷:Albin Uldry, Bern
●制作年:1972
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《10 reassembling An investigation of the element of the reassembly and the possible applications of these in order to change usage》とある。
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註:

1.ニューヨーク市のレオ・キャステリ画廊(Leo Castelli Gallery, New York)が1996年に開催したジャスパー・ジョーンズが1960年から1996年にかけて制作した版画の展覧会「Technique & Collaboration in the Prints of JASPER JOHNS」の際に発行した図録の表紙には、ジョーンズが実際にステンシル・テンプレート (stencil template)を使って制作している姿を捉えた写真(画像はその一部)が使われている。
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2.『意味のメカニズム』巡回展の開催地は以下の通り:
Frankfurter Kunstverein, Frankfurt
Kunsthalle Hamburg, Hamburg
Kunsthalle Bern, Bern
Nationalgalerie Berlin, Berlin
Städtische Galerie im Lenbachhaus, Munich
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by galleria-iska | 2015-11-25 19:48 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 11月 23日

ジャスパー・ジョーンズのポスター「Kunsthalle Bern」(1971)

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友人のロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg, )とともにネオダダの中心的存在であったジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns, 1930-)は1960年、1959年に制作した「窓の外(Out the Window)」で最初に用いた画面を水平に三分割して描く手法を再び使い、エンコースティックとコラージュによる絵画作品「2個のボールのある絵」という、殴り描きにも似た激しい筆触によって、新聞紙がコラージュされた画面を覆いつくすかのような抽象表現主義的な特徴を色濃く残す作品を制作している。この作品を特徴付けているのは、画面下に空間的なイリュージョンを排除するために描き込まれた、作品の題名、年記、それと署名である。

ジョーンズは1962年、その作品の構図をリトグラフに転用し、抽象表現主義な筆触を地とし、赤、黄、青という色の三原色を使って水平に三分割し、その上にさらに殴り書きのようなドローイングを重ねるという、同名の作品を2種類「二個のボールのある絵 I(Painting with Two Balls I)」とそのヴァリアント「Painting with Two Balla II」を制作している。

そしてそのリトグラフをシルクスクリーンに置き換えたものが今回取り上げるポスターである。このポスターは、1971年4月17日から5月29日かけて、ジョーンズが、現代美術の企画展を専門に開催するスイスのベルンにあるクンストハレ・ベルン(Kunsthalle Bern, Bern)で、1960年から1971年までに制作した132点の版画による展覧会「Jasper Johns: Graphik」を開催した際に制作したオリジナルのシルクスクリーン・ポスターで、レタリングもジョーンズ自身によるものである。ポスターの印刷は同じベルンにあるシルクスクリーン工房、アルビン・ウルドリー(Albin Uldry, Bern)行なわれている。この工房で制作されるポスターの特徴は、その多くが100x70cmのフォーマットを用いていることである。ポスター制作に先駆け、ジョーンズは自身で同じ構図の版画作品を制作しており、同じフィルムがポスターにも使われている。

●作家:Jasoer Johns(1930-)
●種類:Poster
●題名:Painting with Two Balls
●サイズ:1007x703mm
●技法:Silkscreen
●発行:Kunsthalle Bern, Bern
●印刷:Albin Uldry, Bern
●制作年:1971
●目録番号:C.H.131A
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こちらはジョーンズの版画の展覧会の図録で、1960年から1971年までの版画作品の総目録(カタログ・レゾネ)となっている。展覧会はその後、西ドイツ、オランダ、イタリアに巡回している。

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by galleria-iska | 2015-11-23 13:37 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 11月 22日

ジャン=シャルル・ブレのポスター「agnès b.」(1987)

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1975年に自らのファッションブランド、アニエス・ベーを立ち上げ、1980年代前半までに大きな成功を収めたアニエス・ベー(agnès b.)こと、アニエス・トゥルーブレ(Agnes Troublé, 1941-)は1984年、美術館のキュレーターを目指した若き日の夢を実現すべく、自身の画廊「Galerie du Jour」をパリに開き、そこで展覧会を開催した作家にプロモーション用のポスターの制作を依頼している。その内のひとりが、1980年代前半、袋小路に陥っていた現代美術への反動として描くことの喜びを大きなキャンバスで表現する運動(新表現主義=ニュー・ペインティング)の中、フランソワ・ボワロン(François Boisrond, 1959-), ロベール・コンバ(Robert Combas, 1957-), エルヴェ・ディ・ローザ(Hervé Di Rosa)とともにフランスのフィギュラシオン・リーブル(Figuration libre)を代表する画家ジャン=シャルル・ブレ(Jean Charles Blais, 1956-)である。このポスターに見られるブレの1980年のスタイルを特徴付ける、ずんぐりむっくりした身体表現は、フェルナン・レジェ(Fernand Léger, 1881-1955)の描く工事現場で働く労働者の姿に繋がるようにも思われるが、同じ1980年代に興隆したイタリア・トランスアバンギャルド運動の主要メンバーのひとりであったサンドロ・キア(Sandro Chia, 1946-)のそれに近い表現と言えるだろうか。このポスターは1980年代後半に手に入れたものだが、現在でも比較的容易に手に入れることができる。

●作家:Jean Charles Blais(1956-)
●種類:Poster
●技法:Lithograph
●サイズ:1024x703mm
●限定:1000
●発行:Editions W.M.
●制作年:1984?
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フランスのボルドーにあるCAPCボルドー現代美術館(CAPC musée d’art contemporain de Bordeaux)(註1)には、1984年にこのポスターと同じ主題で制作された絵画作品「Sans title」が所蔵されている。


註:

1.前身は1973年設立のCAPC (Centre of Contemporary Visual Arts)で、1984年に現在名に改称された。
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by galleria-iska | 2015-11-22 20:43 | ポスター/メイラー | Comments(0)