ガレリア・イスカ通信

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カテゴリ:ポスター/メイラー( 89 )


2015年 11月 21日

デイヴィッド・ホックニーのポスター「Ziegler Editionen & Grafik, Zürich」(1971)

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1960年代にポップ・アートの運動にも加わり、20世紀イギリス美術を代表する作家のひとりとなったデイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937-)が1969年に制作、翌70年にロンドンのピーターズバーグ・プレス社(Petersburg Press, London)から出版された挿絵本「六つのグリム童話のための挿絵(Illustrations for Six Fairy Tales from the Brothers Grimm)」(註1)の展覧会のための告知用ポスター。スイスはチューリッヒにあるジーグラー出版(Ziegler Editionen & Grafik, Zürich)で行なわれた個展「David Hockney:illustrationen zu Grimms Fairy Tales」のためのもの。使われているのは、『ルンペルシュティルツヒェン(Rumpelstilzchen)』(註1)という話の最期の場面を描いた「自分を二つに裂く(He Tore Himself in Two)」という題の挿絵である。原画はエッチングとアクアチントで制作されている。

「本当は恐ろしいグリム童話」を垣間見るような、”狂気”と“おぞましさ”が同居する画面。この挿絵をポスターの原画に選んだのはホックニー自身だったのか、あるいは主催者であったのか。いずれにせよ、肝心の画面を引き立てるデザインが成されておらず、ホックニーのオリジナル・ポスターとするならば、残念ながら見る者を惹きつける力に欠ける。そういうこともあって、30年以上前に購入したのだが、ずっとケースの一番底に下敷き代わりに入れてある。たまに出して見るのだが、また元の場所に戻ることになってしまう。

●作家:David Hocjney(1937-)
●種類:Poster
●題名:"He Tore Himself in Two"
●サイズ:910x640mm
●技法:Offset
●制作:Atelier M+M Baviera USG/SWB
●発行:Ziegler Editionen & Grafik, Zürich
●制作年:1971
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                          イメージ部分

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註:

1.ホックニーが挿絵を手掛けた六つの物語は以下の通り:

「あめふらし(The Little Sea Hare)」、「めっけ鳥(Fundevogel)」、「ラプンツェル(Rapunzel)」、「こわがることをおぼえるために旅にでかけた少年(The Boy who left Home to Learn Fear)」、「リンクランクじいさん(Old Rinkrank)」と「ルンペルシュティルツヒェン(Rumpelstilzchen)」

2.「ルンペルシュティルツヒェン(Rumpelstilzchen)」は、王様のために藁を黄金に変えなければならなくなった粉屋の娘は、小人の力を借りて藁を黄金に変える。王様の妃になった娘は、助けてもらったお礼に、最初の赤ん坊を小人にあげる約束をしていたが、王女が赤ん坊を渡すことをいやがると、小人は「自分の名前を三日以内に当てることが出来れば許してやる」という。三日目に、王女が焚き火の周りを踊る小人たちたちの歌から、小人の名前がルンペルシュティルツヒェンであることを当てると、怒った小人は自分のからだを引きちぎってしまう、という話。


参考文献:
「デイヴィッド・ホックニー版画 1954-1995」東京都現代美術館編、淡交社、京都、1996年
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by galleria-iska | 2015-11-21 13:21 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 11月 06日

ウィル・バーネットのポスター「Benjaman's Galerie」(1981)

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猫を初め、犬や鳥といった人間と生活を共にする動物と若い女性の姿を主題とする作品で知られるアメリカの版画家で画家のウィル・バーネット(Will Barnet, 1911-2012)は、日本での知名度は高いとは言えないが、単純化されたフォルムとフラットな色彩によって画面の平面化を図ったその画風は、どこか版画もよくするポップ・アートの画家アレックス・カッツ(Alex Katz, 1927)のそれを思い起こさせるものがある。とは言え、ポップアートに見られるような消費社会を背景とする視点ではなく、日常のなかに潜む詩情の表出を目しているようで、過ぎ去りし日の情景を見るような静かでインティメイトな画面に何かしらなの郷愁や疼きのようなものを感じてしまう、明るさの中にも感傷的な雰囲気を漂わせているのが特徴であろうか。バーネットの版画家としてのキャリアーは長く、現代作家の版画の出版も手掛けるニューヨーク市のジョン・セーケ画廊(John Szoke Gallery)が2008年に刊行した版画のレゾネには1931年から2005年までに制作された、エッチング、リトグラフ、木版、シルクスクリーンによる版画作品223点が収録されている。

1911年マサチューセッツ生まれのバーネットは1927年から33年にかけてボストン美術館付属美術学校に通った後、奨学金を得てニューヨーク市のアート・スチューデント・リーグ(The Art Students League of New York)に入学、絵画をアメリカン・モダニズムの画家スチュアート・デイヴィス(Stuart Davis, 1892-1964)、エッチングをハリー・ウィッキー(Harry Wickey, 1892-1968)、リトグラフをチャールズ・ウィーラー・ロック(Charles Wheeler Locke, 1899-1983)という共にアメリカン・リアリズムの画家兼版画家に学んでいる。1935年にはアート・スチューデント・リーグの専属のプリンター(1935~1941年)となり、ルイーズ・ブルジョア(Louise Bourgeois)、ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco)、ルイス・ロゾウィック(Louis Lozowick, 1892-1973)の版画を制作している。この経験が後のバーネットのモダニズムとレアリズムを吸収した独自のスタイルを築き上げる下地となっているのかもしれない。その後、1941年から1954年まで版画と構図を、1953年から1979年まで絵画を教え、 ジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquis, 1933-)、ポール・ジェンキンス(Paul Jenkins, 1923-2012)、サイ・ トゥオンブリー(Cy Twombly, 1928-2011)らの作家に影響を与えた。バーネットが版画を教えている頃、絵画の教授の中に、アート・スチューデント・リーグで学び、1933年に教授に就任した画家で版画家の国義康雄(Yasuo Kuniyoshi,1889-1953)がいた。バーネットは1945年から1978年まで同じニューヨーク市にある私立大学、科学と芸術の発展のためのクーパー・ユニオン(The Cooper Union for the Advancement of Science and Art )でも教鞭をとっている。

このポスターは1981年、ニューヨーク州バッファローのベンジャマンズ画廊(Benjaman's Art Gallery)で行なわれた個展の際に作られた告知用ポスターで、黄味がかった厚手の用紙にオフセット・リトグラフで印刷されている。ポスターの原画となったのは、バーネットが1980年に制作した「Circe II(キルケー)」というギリシャ神話に登場する魔女を主題としたシルクスクリーンの版画作品で、魔女の使いとされる二羽のカラスを伴っている。それとは別に、1980年の11月から12月にかけて、パリのサンジェルマン・デプレ地区の多くの画廊が軒を連ねるセーヌ通り(Rue de Seine)にあるドキュマン画廊(Galerie Documents, Paris)で行なわれた版画の回顧展の際に、同じ構図を使いながらも、配色を変えることで、愛の女神と神の使いである白いカラスという逆の意味を持つオリジナルのシルクスクリーン・ポスターが作られている。このポスターには200部限定でバーネットが署名を入れたものが存在する。以前、前出のジョン・セーケ画廊で10ドルほどで販売されているのを見つけ、そのデザインとスチュアート・デイヴィス譲り(?)の色彩を彷彿させる画面に興味を持ったのだが、送料や送金手数料がその何倍も掛かってしまうため、ずっと注文を躊躇っていた。ところが、今では100ドルを超す値が付いており、本当に手が出せなくなってしまった。

●作家:Will Barnet(1911-2012)
●種類:Poster
●サイズ:762x611mm
●技法:Offset lithograph
●発行:Benjaman's Galerie(=Benjaman's Art Gallery), New York
●制作年:1981
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図版:ウィル・バーネットのオリジナル・シルクスクリーンポスター、1980年制作、508x508mm、Galerie Documents, Paris

参考文献:

Will Barnet: etchings, lithographs, woodcuts, serigraphs, 1932-1972 : Catalogue Raisonné of 147 prints. Cole, Sylvan Jr.[ed.] Published by Associated American Artists Gallery, 1972.

Will Barnet: Lithographs Serigraphs 1973-1979(Supplement of the Catalogue Raisonné),1979.

Will Barnet: Catalogue Raisonné 1931-2005. The Complete Etchings, Lithographs, Woodcuts, Serigraphs by Joann Moser (Introduction) published by John Szoke Editions, New York in 2008.
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by galleria-iska | 2015-11-06 18:43 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 08月 27日

永井一正のポスター「EXPO '75(The Okinawa International Ocean Exposition of 1975)」(1972)

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絵画における図像の引用、借用は、作者のオリジナリティーの上にあってこそ成立するものであるが、幾何学的な構成においては、意図する、しないに拘わらず、究極的には似通ってきてしまうことを避けられないところがある。そのようなジレンマに陥らないためには、自然の生み出す千差万別の造形への関心と分析的観察が重要であり、レオナルド・ダ・ヴィンチや北斎の描いた水流や波頭の表現は弛まざる観察から得られたものであることは良く知られている。デザインにおいても、その意匠化の過程において、知らず知らずのうちに同じようなジレンマに陥る危険性があるのだが、外界から得られた視覚情報を自己のデザイン哲学に基づいて内在化し、それを表象化するする上での基点となるのものは、やはり観察である。本来デザインの要素は身の回りにいくらでも転がっているのだが、現代美術によって発見されたいわゆる美術作品そのものをひとつの“風景”として捉える見方は、当然のことながら、デザイン界にも影響-既に根付いているのかもしれない-をもたらす可能性があり、オリジナリティーの概念自体にも変化を及ぼしかねない。インターネットがそれに拍車を掛けることは間違いないであろう。そういう意味では、既存のアイデアの取捨選択とアレンジによって構成されたものも、ある意味で観察から汲み取られたものであり、ひとつのオリジナルを成立せしめることが可能であるような錯覚を覚えるのだが、諧謔を柱とする批判的精神の発露であるパロディーとは異なり、そこには権利意識を伴うオリジナリティーを超えなくてはならない、普遍性の希求とでも云うような大きな壁があるように思われる。

1966年の「ライフ・サイエンス・ライブラリー・シリーズ」から一貫して幾何学的なデザインを追及してきた日本のグラフィックデザイン界の重鎮である永井一正(Kazumasa Nagai,1929-)氏は、1988年の「JAPAN展」への出品を嚆矢とする、いわゆる「動物シリーズ」を機に、西洋の合理精神が編み出した幾何学的形態によって宇宙観を示したものから、自然が生み出す造形に基づく具象性を帯びた図像、観念的なものから装飾的なものへ向かうことで、そこに新しいデザインの活路を見出そうとしている。それはデザインが本来持っている能力というか創造性を発揮する場としての、日本的な美意識の再認識を伴う、ある意味で自然回帰であるが、決して退行ではない。

今回取り上げるのは、永井氏が1972年に日本的なものを意識してデザインを行なった「沖縄国際海洋博覧会(The Okinawa International Ocean Exposition of 1975)」の公式ポスターである。沖縄の海を撮った写真を背景に、銀色の光り輝く波頭の意匠を配したデザインは、北斎の描いた波頭に想を得たであろうことは、想像に難くない。このポスターは永井氏が「沖縄国際海洋博覧会」の公式シンボルマークの指名コンペに入選し、第一号ポスターとして制作したものであり、翌73年には、海外用に、公式ポスター第2号を制作している。博覧会のシンボルマークは水色の丸の中に青い三つの波頭が並んだ図柄で、博覧会の主テーマである「海-その望ましい未来(The sea we would like to see)」を簡潔に表現したものとなっている。

ポスターの印刷には、オフセット印刷ではなく、写真画像の微細な濃淡の再現性を特徴とするグラビア印刷(Rotogravure)が用いられている。

●作家:Kazumasa Nagai(1929-)
●種類:Poster
●技法:Rotogravure
●サイズ:1037x729mm
●発行:Japan Association for the International Ocean Exposition, Okinawa
●印刷:Toppan Printing Co., Ltd., Tokyo
●制作年:1972
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図版:沖縄国際海洋博覧会のシンボルマーク(Simbol for EXPO'75)。沖縄国際海洋博覧会(The Okinawa International Ocean Exposition of 1975)は、沖縄県の本土復帰記念事業として、「海-その望ましい未来(The sea we would like to see)」を統一テーマに、沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期(1975年7月20日 - 1976年1月18日)をもって行われた国際博覧会で、日本を含む36か国と三つの国際機関が参加した。会場規模は、100万平方メートル(陸域75万平方メートル、海域25万平方メートル)。

参考文献:

1.『永井一正展』 富山県立近代美術館、1990年
2.『永井一正ポスター展[Life]』 東京国立近代美術館、1998年




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by galleria-iska | 2015-08-27 19:18 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 07月 24日

アンデイ・ウォーホルのポスター「Warhol verso de Chirico」(1982)

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'Isn't life a series of images that change as they repeat themselves?' (Andy Warhol):人生って云うのは、繰り返すようにして変わっていく映像なんじゃないのかな(アンデイ・ウォーホル)

形而上絵画の画家としてダダイスムやシュルレアリスムに影響を与えたイタリアの画家で彫刻家のジョルジオ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico. 1888-1978)の展覧会「ジョルジョ・デ・キリコ -変遷と回帰-」が昨年、日本各地を巡回した。展覧会は観ていないが、会期中の11月23日に、NHKがそれに関連する番組「-謎以外の何を愛せようか-ジョルジョ・デ・キリコ」を“日曜美術館”で放映したのを観た。デ・キリコの変遷の背景を探る中から見えてきたのは、時代の趣味と権威に翻弄されたデ・キリコの姿であった。しかしながら、デ・キリコの言動からは彼の懊悩は窺い知れず、果たして真相はどうなっているのか謎のままである。前回取り上げたマグリットは1920年代にデ・キリコの作品「愛の歌」の複製を見て、“涙を抑えることができない”ほどの感銘を受け、シュルレアリスムに向かうことになったのだが、そのキリコは、1919年のイタリアでの最初の個展を、カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571-1610)やピエロ・デ・フランチェスコ(Piero della Francesca, c. 1415-1492)の研究で知られる20世紀イタリアを代表する美術史家で美術批評家のロベルト・ロンギ(Roberto Longhi, 1890-1970)に酷評され、1921年のミラノで初の個展も成功とは云えなかった。マグリットが「愛の歌」の複製を目にしたかもしれない1925年、皮肉にもパリで開催された個展で、詩から霊感を得た古典的な絵画がイタリアやーロッパの批評家から高い評価を得たことで、形而上絵画を放棄し、ルネサンスからバロックに掛けての古典絵画に傾倒することとなる。デ・キリコのこの態度は、何を選択するかという嗜好は別として、意味あるものは繰り返されなければならない、という真理を得たのかもしれない。そういう意味で、ポップ・アートの先駈けと言えなくもない。ウォーホルが言うように、繰り返すことによって人はそのイメージを記憶し、また意味を知ることになるのだ。

後年の作品(初期の作品のヴァリアントや複製)の評価に一石を投じることとなった展覧会(註1)のポスター。アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)がデ・キリコの「アリアドネとイタリア広場(Andy Warhol:Italian Square with Ariadne、1982」をもとに制作した作品が使われているが、ウォーホルのオリジナル・デザインではない。デ・キリコの作品とデ・キリコの作品をもとに制作されたウォーホルの作品を展示するという展覧会は、ローマの中心にあるカンピドーリオの丘にあるコンセルバトーリ宮殿内の「オラツィとクリアツィの間(Sala degli Orazi e Curiazi )」で開催された。ウォーホルは、複製や反復という概念を作品制作にいち早く持ち込んだポップアートの先駈け的存在として、デ・キリコを高く評価しているが、これはアンドレ・ブルトンがシュルレアリスムの思想の具体的な事例を示すために行なった方法と相通ずるところがある。
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デ・キリコは1974年、イタリア系アメリカ人の事業家でデ・キリコとウォーホルのコレクターであったカルロ・ビロッティ(Carlo Bilotti)の計らいで、ポップ・アーティストのウォーホルとイタリア大使館で催された夜会で出会っている。その出会いはギリシャ、ローマを起源とするヨーロッパ文化と新生のアメリカ文化との邂逅tでありリンクとも言えるかもしれない。その4年後の1978年、デ・キリコの死を切っ掛けに、ビロッティはウォーホルにデ・キリコの形而上絵画をもとにした一連の作品の制作を依頼、1982年の展覧会となった。展覧会はその後、ドイツのハンブルクにあるカマー画廊(Galerie Kammer, Hamburg)に巡回している。デ・キリコやウォーホルを初め、ジャコモ・マンズーやラリー・リヴァースの作品からなるビロッティ・コレクションはすべて寄贈され、現在は、ヴィッラ・ボルゲーゼ内にある「アランチェーラ(オレンジ栽培温室)」から美術館に生まれ変わった「カルロ・ビロッティ美術館(Museo Carlo Bilotti Aranciera di Villa Borghese)」に収蔵され、観光名所のひとつとなっている。

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Poster
●サイズ:980x680mm
●技法:Offset
●発行:Electa Editrice, Milano
●印刷:Fantonigrafica, Venezia
●制作年:1982
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註:

1.
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図版:展覧会の図録、1982年。Oliva, Achille Bonito. WARHOL verso DE CHIRICO. 70 pages, including 20 color, and 20 b&w plates. 22x24cm, cloth. Milan, Electa, 1982.
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by galleria-iska | 2015-07-24 18:36 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 07月 18日

ルネ・マグリットのポスター「Galerie Alexandre Iolas」

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前に一度、ベルギーの画家ルネ・マグリット(René Magritte, 1898-1967)のオリジナル・リトポスター(註1)を取り上げたことがあるが、今回のものは、マグリットの契約画廊で、アメリカを初め、フランス、イタリアなどに支店を持つアレクサンドル・イオラス画廊(Galerie Alexandre Iolas)から発行されたマグリットの絵画(原題不明)を用いた複製ポスター。1980年代にニューヨーク市のポスター・オリジナルズ(Poster Originals, Ltd., New York)から取り寄せたもの。もう一点、靴が途中から足に変容している作品「Le modèle rouge,1935」 (註2)を用いたポスターもあったはずなのだが、はてさて何所に行ってしまったのやら。

マグリットの絵画を見るとき、そこにシュルレアリストとしてのマグリット独自の表現法が伴わなかったとしたら、ただの写実的な絵画としか見えないのであるが、現実にあるものを題材にしながら、それを修辞学における比喩的表現によってそれぞれの関係を逆転させ、矛盾に満ちながらも神秘的で詩的な絵画空間を構築している。

マグリットはベルギーのブリュッセルとフランスのパリを何度も往来しながら、自らの様式を発展させていった作家で、シュルレアリスムの影響を受け、一枚の木の葉を題材にした作品を何点も描いている。そのひとつに、大地に立てられた一枚の葉が一本の木の輪郭として描かれているものがあるが、このポスターに使われた作品は、古典的とも思えるような技法で描かれた背景の中に立つ一枚の木の葉を描いたものだが、その写実的な描写がなお一層、視覚的な混乱を引き起こすこととなる。マグリットは修辞学でいうところの、物事の近接性にもとづく比喩である換喩(metonymy)を用い、木という存在を、その部分を構成する葉によって喩えているのだが、それは同時に、木の葉のような形をした木として、一種の隠喩(metaphor)的な表現と見えなくもない。それはもうひとつのポスターに使われた作品「Le modèle rouge,1935」ついても言える。

われわれの視覚は通常、慣れ親しんだ形態によってほぼ無意識に対象を認知しているのだが、それが逆に対象を見誤まったり、誤認したり、また錯覚を引き起こす原因ともなっている。それを文学や詩ではひとつの修辞法として用いることにより、大いなる想像力を喚起することなるのであるが、絵画において、絵を読むという行為は、多分に道徳的・教訓的なものであったり、宗教的なものであったが、マグリットは言葉とイメージの関係性を取り上げ、詩的な絵画空間を構築することに専念した画家である。その結果、歴史に埋もれることなく、常に世界の謎を見る側に問い続けており、デザインやグラフィックアートにも多大な影響を与えている。

●作家:René Magritte(1898-1967)
●種類:Poster
●サイズ:991x679mm
●技法:(Image:Offset, Lettering:Silkscreen)
●発行:Galerie Alexandre Iolas, Milano
●印刷:Grafic Olimpia, Milano
●制作年:Unknown
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ポスターの裏側に押されたGrafic Olimpiaのゴム印。Grafic Olimpiaはイタリアのミラノで画集や図録の印刷と出版を手掛ける出版社


註:

1.
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マグリットが1965年に毎年5月にパリで開催される展覧会「サロン・ド・メ(Salon de Mai)」の広報用にデザインしたオリジナルのリトポスター。印刷はパリのムルロー工房。

●作家:René Magritte(1898-1967)
●種類:Poster
●サイズ:655x465mm
●技法:Lithograph
●限定:ca.850
●発行:Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris
●印刷:Mourlot
●制作年:1965


2.
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図版:アレクサンドル・イオラス画廊(Galerie Alexandre Iolas)から発行されたもう一点のポスター「Le modèle rouge」。印刷も同じGrafic Olimpia, Milano。この絵画作品について、マグリットは1938年の講演で、その図像について、次のように説明している。以下引用:

In a 1938 lecture, Magritte explained the imagery of Le modéle rouge as the "solution" to a "problem": "The problem of the shoes demonstrates how far the most barbaric things can, through force of habit, come to be considered quite respectable. Thanks to "Modèle rouge," people can feel that the union of a human foot with a leather shoe is, in fact, a monstrous custom" (quoted in Sylvester, David, René Magritte. Catalogue Raisonné. Volumes 1-6, vol. II, p. 205). The image, according to Werner Spies, was suggested to Magritte by Max Ernst, who took the idea from a Touraine shoemaker's sign.

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by galleria-iska | 2015-07-18 19:23 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 06月 09日

ラリー・リヴァースのポスター「The Jewish Museum:Larry Rivers-15 Years-」(1965)

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ポップ・アートの画家で彫刻家のラリー・リヴァース(Larry Rivers, 1923-2002)がプロのジャズ・ミュージシャンだっとは気付かなかった。しかもジャズ・トランペット奏者マイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926-1991)の終生の友であったとは。

ラリー・リヴァースは1923年、迫害(ボグロム)を逃れてアメリカに移住したであろうウクライナ系ユダヤ人の両親の下、"Yitzroch Loiza Grossberg"としてニューヨーク市のブロンクスに生まれる。リヴァースの人生はジャズへの興味から始まり、17歳の頃にはプロのジャズ・サキソフォン奏者となり、自身のバンドを率いていた。地元の酒場で、バンドを"Larry Rivers and the Mudcats"と紹介されたことから、ラリー・リヴァースと改名する。1942年に陸軍航空隊(the United States Army Air corps)に入隊するが、1943年病気で除隊。1944年から45年にかけてニューヨーク市のジュリアード音楽院(The Juilliard School of Music)で音楽理論と作曲を学ぶ。そこで19歳のマイルス・デイヴィスと同級生となる。1945年、仲間のジャズ・ピアニスト、ジャック・フレイリシェール(Jack Freilicher) からジョルジュ・ブラックの絵画作品を見せられ、また、その年にキュビストの作品を見たことが切っ掛けとなり、絵を描き始める。1947年から48年にかけてマサチューセッツ州のプロヴィンスタウンにあった抽象画家で教師のハンス・ホフマン(Hans Hofmann, 1880-1966)の美術学校で学ぶ。その後、ニューヨークに戻り、1948年から51年までニューヨーク大学で学び、学士号を得る。リヴァースは1949年に早くも最初の個展を ジェーン・ストリート画廊(Jane Street Gallery )で催している。1950年、詩人のフランク・オハラと出会い、その年にヨーロッパに旅行。八ヶ月間パリで詩を読んだり、書いたりして過ごす。オハラとは互いに刺激し合い、幾度となくコラボレーションを行ない、友人関係はオハラが亡くなる1966年まで続いた。1952年にはオハラの劇「Try! Try!」の舞台セットのデザインなどを行なっている。1954年、彫刻による最初の個展を、抽象表現主義の名だたる作家を招いた展覧会(1953年~1957年)を開催していたニューヨーク市のステーブル画廊(Stable Gallery, New York)で開催。ステーブル画廊は1960年代に入るとポップ・アートに路線を変更、アンディ・ウォーホルやロバート・インディアナなどの展覧会を次々に開催する。

リヴァースは1957年、1943年にアメリカに移住したロシア系ユダヤ人のタチアナ・グロスマン(Tatyana Grosman, 1904-1982)によって設立されたばかりの版画工房ユニヴァーサル・リミテッド・アート・エディション(Universal Limited Art Editions)に最初の招待作家として招かれ、フランク・オハラの詩とのコラボーレーションである13点のリトグラフからなる「Stones」の制作を始める。1960年に完成。その間、テレビのクイズ番組で大金を手にし、マイルス・デイヴィスがパリでルイ・マルの初監督の映画『死刑台のエレベーター』の音楽を即興演奏で録音し話題となった翌年の1958年に再びパリに一ヶ月間滞在、幾つものジャズバンドに加わり、演奏を行なう。

そして1965年、1950年から1965年にかけて制作した170点の絵画、素描、彫刻、版画からなる最初の回顧展を開催、全米5ヶ所の美術館を巡回、その最後の開催地であるニューヨーク市のジューイッシュ美術館(The Jewish Museum)での展覧会に合わせ、リヴァースはユニヴァーサル・リミテッド・アート・エディションでオリジナル・デザインの告知用ポスターを制作している。これは、その文字入れ前の刷りである。このポスターで、リヴァースは六つのパネル(フレーム?)を使い、上から順に1950年から65年までの代表作を描き入れている。そして未来の作品が入る七番目のパネルには《1966?》という文字だけを書き込んでいる。リヴァースは既にポップ・アートの時代に突入しているが、どこか未だ抽象表現主義風の雰囲気を纏っているように見える。

●作家:Larry Rivers(1923-2002)
●種類:Poster
●サイズ:891x588mm
●技法:Lithograph
●限定:1000
●発行:Universal Limited Art Editions(ULAE), Long Island, West Islip, New York
●印刷:Universal Limited Art Editions(ULAE), Long Island, West Islip, New York
●制作年:1965
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小さなな文字で印刷されているので判り難いが、画面右下の1964年から65年の年記のあるパネルの右下部分に《© Larry Rivers -15 Years- /One thousand Original Posters/ Universal Limited Art Editions U.S.A》とある。
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文字が入れられたもの。25部限定で、リヴァースが署名し限定番号を附したものがある。
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1965年の4月10日から5月9日にかけてマサチュウセッツ州ウォルサム市にあるブランダイズ大学のローズ美術館で開催された展覧会の際の告知用ポスター。こちらも限定1000部である。(Poster for Rose Art Museum, Brandeis University in Waltham, Massachusetts. 857x530mm, limiteded edition of 1000. Publishd by the Universal Limite Art Editions)。他の三つの開催地向けのポスターもあるのだろうか。


註:

1.タチアナ・グロスマンは、年譜によると、1904年、ロシア系ユダヤ人の両親もとに生まれる。1918年に家族と共に日本に移住、東京の学校に通う。その後、ヴェニス、ミュンヘンで過ごし、ドレスデンに居を構える。タチアナはドレスデン美術大学(Dresden Academy of Fine Arts)で主にデッサンと服飾を学ぶ。1931年、画家のモーリス・グロスマンと結婚、1933年からパリに住む。1940年、ナチスのフランス侵攻を前にパリの脱出、ヨーローッパの転々とし、スペインに辿り着く。1943年、ナチスの追求を逃れるため、ニューヨークに旅行、移民となる。生活のために夫のモーリスとロングアイランド、ウエスト・アイスリップのコテージで有名画家の絵画複製の仕事をしていたが、1956年、夫のモーリスが心臓病で倒れる。タチアナは生計を支えるために挿絵本の出版を始める。ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ウィリアム・リーバーマン(William Lieberman, 1924-2005)に、興味があるのは、複製ではなく、オリジナルの版画作品であると告げられてすぐ、庭先でババリア産の石版石をふたつ見つける。その足で近所からリトプレス機を手に入れ、田舎の印刷工に装置の使い方を説明してもらう。そして、複製を作り続ける代わりに、画家と作家に両者のコラボレーションによる作品制作を勧め、作品の出版者の役目を果たすことを決意する。そしてその最初のコラボレーションがラリー・リヴァースとフランク・オハラの詩による「Stones」である。それを皮切りに、サム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・マザウェル、ロバート・ラウシェンバーグ、ジム・ダインらの作品を手がけ、アメリカにおける版画復興の火付け役となる。1966年には全米芸術基金(NEA)からの助成金で、エングレーヴィング、ドライポイント、メゾチント、エッチング、アクアチントによる版画制作を行なうインタリオ(凹版印刷)のスタジオを設立している。
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by galleria-iska | 2015-06-09 21:19 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 06月 08日

エドゥアルド・パオロッツィのポスター「Pace Gallery, New York」(1967)

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シュルレアリストの作家として出発し、ICAとして知られるインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(Institute of Contemporary Arts)の設立と運営に関わっていた画家のリチャード・ハミルトン(Richard Hamilton, 1922-2011)や「Pop Art」という言葉を最初に用いた評論家のローレンス・アロウェイ(Lawrence Alloway, 1926–1990)らと1952年、イギリスのポップアート運動の先駆けとみなされるインデペンデント・グループ(Independent Group) の創設に加わり、1956年にはロンドンのホワイト・チャペル・アート・ギャラリーでポップ・アートの出発点とも言える「これが明日だ」展にリチャード・ハミルトンらと出品、ポップ・アートを先導する活動を行なった彫刻家で美術家のエドゥアルド・パオロッツィ(Sir Eduardo Paolozzi, 1924-2005)は1924年、スコットランドのエディンバラに、その名が示すように、イタリア移民の子として生まれた。年譜によると、パオロッツィはイギリスの美術学校で学んだ後、パリで三年間制作活動を行なう。その間、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)、ジャン・アルプ(Jean Arp)、コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuși)といった、ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)、フェルナン・レジェ(Fernand Léger)と知り合い、大きな影響を受ける。殊にジャコメッティやシュルレアリスムのメンバーからの影響はパオロッツィ1950年代中期の彫刻に見て取れる、とあり、パオロッツィ自身も自身の作品をシュルレアリスムであると述べている。

エドゥアルド・パオロッツィが1965年から1970年にかけて制作し、ロンドンのアレクト出版(Editions Alecto, Lndon)から出版した版画集「As Is When」(1965)、「Moonstrips Empire News」(1967)、「General Dynamic Fun」(1970)、それと自費で出版した「Universal Electronic Vacuum」(1967)(註1)は、いずれも独創的で、シルクスクリーン・プリントの可能性と限界を押し広げたとされる。パオロッツィは1968年にカリフォルニア大学バークリー校で彫刻と陶器の教鞭を取っており、在職中に、サンフランシスコのディズニーランド、セクシーな下着メーカー、フレデリックス・オブ・ハリウッド、パラマウント・スタジオ、サンフランシスコとロス・アンジェルスの蝋人形館に出掛けており、また、カルフォルニア大学のコンピューター・センター、スタンフォード大学の加速器センター、サンタ・モニカのダグラス・エアクラフト社、ヘイワードのゼネラル・モーターズの組み立て工場にも訪れている。それらは上記の版画集に見られるポピュラー・カルチャーやテクノロジーへの強い関心を如実に示しているが、文明批評の意図は持っていなかったようである。

このポスターは1967年にニューヨーク市のペイス画廊(Pace Gallery, New York)で開催されたパオロッツィの彫刻展「Eduardo Paolozzi - New Sculpture at the Pace Gallery・Nov.18 - Dec. 16, 1967」の告知用ポスターとして作られたもので、「Universal Electronic Vacuum」所収のポスター「Editions Alecto London, Hanover Gallery London, Pace Gallery New York」のイメージを使ってデザインされており、ニューヨーク市のポスター・オリジナルズ社(Poster Originals, Ltd., New York)から出版されたものである。購入価格は20ドル(US $20)だったように思う。ミッキー・マウスの図像にかろうじてポップ・アートの匂いを感じて購入したのだが、いまだに馴染めないでいる。パオロッツィはイギリスのポップ・アートを代表する作家のひとりであるが、その作風故か、市場の反応は第一級の評価とは言い難い。

●作家:(Sir)Eduardo Paolozzi(1924-2005)
●種類:Poster
●サイズ:865x617mm
●技法:Silkscreen + Offset lithograph
●発行:Poster Originals, Ltd., New York
●制作年:1967
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ポスターの下部には、ディズニーの人気キャラクター、ミッキーとミニー・マウスが描かれており、ドットマトリクスを用いた電子機器の表示をイメージさせるのだろうが、自分には編み物のパターンに見えてしまう。

註:

1.「Universal Electronic Vacuum」(10 prints, poster and text; published by Paolozzi 1967 in a limited edition of 75. Printed at Kelpra Studio, London)

参考文献:

「現代版画 ロンドン-ニューヨーク展」小川正隆、大島清次、中島徳博:1984年6月9日-7月8日、三重県立美術館。編集:富山県立近代美術館、表紙デザイン:永井一正
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もうかれこれ30年以上前のことになるだろうか。知り合いのデザイナーと連れ立って、三重県立美術館に巡回していた、ロンドン、ニュヨークの主だった版元から出版された現代美術の版画を紹介する「現代版画 ロンドン-ニューヨーク」展に出掛けた。そこで初めてエドゥアルド・パオロッツィの版画を目にしたのだが、コラージュと幾何学的な文様の組み合わせによる精巧な図面といった感で、高度に発達したテクノロジーによって構築された機械文明の諸相が万華鏡のように描き出されていた。ただ、その感情を排した緻密で無機質な図像の繰り返しに、いささか食傷気味であった。
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哲学者のヴィトゲンスタインの生涯と著述に基づいて制作された12点のシルクスクリーンによる版画集「As is When(
~の時のように)」の一部。
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by galleria-iska | 2015-06-08 18:22 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 06月 07日

ジム・ダインのポスター「Celebrations 1981:Museum of Fine Arts Boston」(1981)

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ジム・ダイン(Jim Dine, 1935-)の植物に対する関心は、バスローブやハート、大工道具などと同様、早くから作品のモチーフとして現れており、1978年、イギリスの植物学者ロバート・ジョン・ソーントン博士(Dr. Robert John Thornton、1768-1837)が著した植物図鑑『フローラの神殿』(1799年~1807年)へのオマージュとして、手彩色がなされた9点のインタリオによる版画集「A Temple of Flora(フローラの神殿)」が制作されている。続く1979年には3点のドライポイントによる「A Jerusalem Plant」シリーズ、1980年には6点のエッチングと電動器具によるストレリッツィアの鉢植えを描いた「Streliztia」と、立て続けに植物を主題とする作品を制作している。更に1982年から84年にかけてリトグラフと木版で制作された8点の「The Jerusalem Plant」シリーズは、ダインが以前エルサレムで家族の所有する観葉植物のドラセナ・スルクロサを描いた幾つかの木炭デッサンに基づいている。版画制作に先立ち、デッサンのひとつが、1981年、ボストン美術館(Museum of Fine Arts, Boston)の西館の開館を祝うためのオフセット・リトグラフのポスターに複製されている。青色による着色はポスター制作の際に加えられたものであろう。版画作品の「The Jerusalem Plant」シリーズの内の2点は、このポスターのイメージをリトグラフ用の石板に転写し、さらに加筆と電動研磨機による加工を施し制作されたものである。

●作家:Jim Dine(1935-)
●種類:Poster
●サイズ:914x636mm(36"x25")
●技法:Offset lithograph
●発行:Telamon Editions, Ltd., West Islip, New York
●制作年:1981
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ジム・ダインの版上サイン。別に、ダインの署名と限定番号が附された限定75部(+15 A.P.)のデラックス版が存在している。
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出版元のテラモン出版(Telamon Editions Limited)は、1957年に版画工房ユニヴァーサル・リミティッド・アート・エディションズ《Universal Limited Art Editions (ULAE)》を設立したタチアナ・グロスマンが1970年に始めた商業的な出版事業。





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by galleria-iska | 2015-06-07 18:11 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 05月 19日

ポール・アウターブリッジ展のメイラー/ポスター「Robert Miller Gallery」(1979)

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1981年11月21日から翌82年1月10日にかけてカリフォルニア州オレンジ郡にあるラグーナ・ビーチ美術館(Laguna Beach Museum of Art)で開催された、優れた審美眼の持ち主であると同時に卓越した写真技術者としてアメリカの写真史に名を留める写真家、ポール・アウターブリッジ・ジュニア(Paul Outerbridge, Jr. 1896-1958)の最初の大きな回顧展(註1)に先立つこと二年、ニューヨーク市のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)で1979年に開催されたアウターブリッジのカラー写真(Carbro color print)とプラチナ・プリント(Platinum print〉およそ60点と十数点の素描とリトグラフによる大規模な展覧会のメイラー(ポスターサイズの案内状)。メイラーは八つ折りで、裏面は展覧会のポスター。

アウターブリッジと言っても、実際に実物を手に取ったことは無く、1962年から1991年までニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターを務めたジョン・シャーコフスキー(John Szarkowski, 1925-2007)が高く評価した、今では二千万円を超えるキュビスム期の代表作のひとつ「Saltine Box(クラッカーの箱)」(89x115mm, Platinum print, 1922)ぐらいしか思い浮かばないのだが、この展覧会には、近年再評価が一段と進んでいる1930年代のカーブロ印画法(Cabro process)(註2)によるカラー写真30点余が出品されている。

カラー写真を始める前、アウターブリッジは1925年から1929年までヨーロッパに滞在している。1925年にロンドンに到着したアウターブリッジは、1853年に設立された世界最古の写真協会である“英国王立写真協会(The Royal Photographic Society)”を訪問している。同協会は彼をロンドン滞在中限り名誉会員として遇し、個展まで要請しているのだが、パリでの写真撮影のためと、これを断っている。パリではしばしばマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)のスタジオを訪れ、写真について何時間も語らい、アイデアを交換し合っていたようで、滞在中の出来事を詳細に記したポケットサイズのノートブックに次のように記している:
"spent all afternoon looking at Man Ray's abstract prints, portraits, nudes(only a few), his paintings and great enlargements...looked at his darkroom and discussed all his equipment and had a general photographic talk...went out at 8 p.m. next door to the top floor room at his hotel. I waited in his
room decorated by Ki Ki(whose native paintings I had seen, and with whom Man Ray lives)...tried
to go to a Russian place for dinner but no room at all, place packed ad rather good violins playing
..."(Outerbridge's pocket notebook, March 22,1925)
アウターブリッジはまた当時マン・レイの助手をしていた女性写真家ベレニス・アボット(Berenice Abbott、1898-1991)ともマン・レイのスタジオで話す機会があったようである。マン・レイは1925年の春、アウターブリッジを友人のマルセル・デュシャンに紹介、三人は芸術、アイデアについて、また芸術以外で金を稼ぐことやスティーグリッツについて延々と語り合った。パリでは他にもホイニンゲン=ヒューネ、ブランクーシ、ピカソ、ストラヴィンスキー、ピカビアなど様々なジャンルの芸術家とも出会うことに。アウターブリッジはその年の5月からパリの『ヴォーグ( Vogue)』誌のためにファッション・アクセサリーの撮影の仕事を始め、エドワード・スタイケン(Edward Steichen, 1879–1973)とも仕事を共にしている。三ヶ月後にフリーランスとなり、パリで最大で最新の技術を持ったスタジオ創設や挫折を経験をし、1929年にニューヨークに戻り、カラー写真への挑戦を始める。とは言え、複雑なカーブロ印画法の技術の習得には困難が伴い、完璧な域に到達するまでに何ヶ月も要した。そのことについてアウターブリッジは、
"Many of these pictures were made under considerable technical difficulties unknown to the pre-
sent-day users of the newer, much easier color materials. Each composition cost a minimum of
$150 taking many man hours to produce. Three separate exposures of different duration, through
three different color filters were required. Subsequently, three separate color images 1/10,000th
of an inch thick had to be transferred IN REGISTER, one over another onto the paper you see..."
(From an information sheet by Outerbridge, c.1955)
と後に記している。

アメリカにおける初期カラー写真のパイオニアと言われるアウターブリッジであるが、彼がカラー写真を始めた直接的な理由は定かではない。ただ、その発端となったかもしれない出来事をパリ滞在中に経験している。アウターブリッジは1925年、訪問したマン・レイのスタジオで、E.P.B.フィリップス(E.P.B.Phillips)という、初期カラー写真の印画法の実験を行なっていた人物と出会い、彼がモデルのキキ(KiKi)のカラーの感光板を現像するのに立ち会っているのである。アウターブリッジが実際にカラー写真に取り組むのはそれから四年後、ニューヨークに戻ってからのことになるが、映画もカラー化の機運が高まってきていた時期に当たり、デザインや商業写真に優れたセンスを発揮していたアウターブリッジの先取の嗅覚を大いに刺激したのかもしれない。そして様々な印画法を試した結果、カーブロ印画法に辿り付くのだが、マン・レイも1930年代に入ると、カーブロ印画法によるカラー写真(註3)を取り入れていることから、カラー写真のアイデアに関して、二人の間で何らかの意見の交換があった可能性がある。しかしながら、マン・レイは必ずしもこの印画法の“絵画的な表現力”に満足していなかったようで、1951年、カーブロ印画法に代わる方法として、カラーポジフィルムの裏一面に、ある化学溶液を塗布する方法を発見する。出来上がった写真についてマン・レイは「色彩の輝度を保持しつつ、絵のような質も付け加わっていた」と述べており、カーブロ印画法と同じ効果を得られることを確認している。

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             招待文

●作家:Paul Outerbridge, Jr.(1896-1958)
●種類:Mailer/Poster
●サイズ:673x459mm
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1979
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ポスターには、複雑な画面構造を見せる、ニューヨーク近代美術館所蔵のカーブロ・カラープリントの代表作「Images de Deauville」(1938)が使われているの。この作品はオークションで一千万円ほどで落札されており、気楽に手にとって眺めることなどまず出来ない。
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展覧会終了後にニューヨーク市の週刊新聞『ヴィレッジ・ヴォイス(The Village Voice)』(November 5, 1979)に掲載された、同誌に1977年から1982年まで写真批評を担当していた批評家でキュレーター、そして写真家でもあったベン・リフソン(Bes Lifson,1941-2013)のアウターブリッジ論「The Triumph of the Spleen」
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1965年から1982年までアメリカの日刊紙『ニュヨーク・タイムズ(The New York Times)』の美術批評を務めた美術批評家のヒルトン・クラマー(Hilton Kramer, 1928-2012)による紹介記事(日付不明)
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アウターブリッジによるカーブロ印画法(Carbro Process)の要略。
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註:

1.アウターブリッジがその生涯を終えたラグーナ・ビーチで開催された回顧展に合わせてアウターブリッジの作品目録(カタログ・レゾネ)が刊行された。偶然だろうか、表紙にはロバート・ミラー画廊のポスターと同じ「Images de Deauville」が使われている:
Dines, Elaine & Howe, Graham, Paul Outerbridge: A Singular Aesthetic: Photographs & Drawings, 1921-1941:
A Catalogue Raisonne. Laguna Beach Museum of Art, Laguna Beach, CA, 1981. 238 pages, 302x230mm. Book
design by Barbara Martin, typography by Graham Mackintosh, printed by Gardner/Fulmer Lithograph, hand bind-
ing by Earle Gray.

2.伝記によれば、カラーフィルムが未だ市販されていない時代に用いられた三色ゼラチン・レリーフ画像重合法のひとつ三色カーブロ印画法は、プリントを一枚仕上げるのに8時間も掛かるという、非常に手間と費用の要る作業にも拘わらず、その優れた色の再現性と絵画的な表情ゆえに、アウターブリッジはプリントを一枚一枚自分の手で行なった。そのため販売価格は著しく高いものとなり、アウターブリッジはプリントの殆んどを手元に置き、複製の版権だけを売った、とある。尚、カーブロという名称は、"Carbon plus bromide"から来ている。
3.マン・レイのカーブロ印画法によるカラー写真(Three-color carbro transfer print)の代表例のひとつは、1934年にアメリカ コネティカット州ハートフォードのジェイムズ・スロール・ソビーから出版された「マン・レイ写真集、1920-1934年、パリ」の表紙のために制作した作品「Still Life for Book Cover」であろう。
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Man Ray Photographs 1920-1934. Texts by André Breton, Paul Eluard, Rrose Sélavy, Tristan Tzara. Preface by Man Ray. 104 pages,104 gravure plates. Published by James Thrall Soby, Hartford, Connecticut & Cahiers d'Art, Paris, 1934





参考文献:
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Ketchum, Robert Glenn & Howe, Graham, Outerbridge, Los Angeles, The Los Angeles Center for Photographic
Studies, Los Angeles, CA, 1976. 40 pages, 280x211mm. Limited to 3000 copies.
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by galleria-iska | 2015-05-19 20:51 | ポスター/メイラー | Comments(2)
2015年 05月 02日

ジェームズ・ローゼンクイストのポスター「Aspen Easter Jazz」(1967)

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看板描きからポップ・アートの主唱者のひとりとなったジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquist, 1933-)が1967年3月25日に開催されたアスペン・イースター・ジャズ・フェスティヴァル(Aspen Easter Jazz Festival)の広報用に制作したシルクスクリーン・ポスター。同じポップ・アーティストのロイ・リキテンスタインもこの年の2月25日と26日に開催されたアスペン・ウィンター・ジャズ・フェスティヴァル(Aspen Winter Jazz Festival)(註1)のポスターを制作している。この二人にポスター制作の依頼をしたのは、ポップ・アートを初めとするアメリカ現代美術のコレクターであり、熱心なジャズ愛好家であるジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻。キミコ・パワーズという日本女性を知ったのは、1981年にウォーホルがコロラド州立大学(Colorado State University)で行なった展覧会の告知用ポスター(註2)の主題になっていたことからで、ポスターにはウォーホルが1971年にポラロイド・カメラで撮影した写真をもとに制作した25点のシルクスクリーンの連作の中の一点が使われている。着物姿の日本女性は、アメリカ人の目にはエキゾテイックに映るかもしれないが、同じ日本人である自分には主題としての新鮮味が感じられなかった。当時の価格表を失ってしまったので間違っているかもしれないが、ポスターは20ドル、ウォーホルの署名入りのもの(100部程度)が150ドル、限定250部の版画作品「Kimiko 1981」(F.S.II.237)が2500ドル(日本円で約56万円)だったように記憶する。この大学ではウォーホル以外にも、ロイ・リキテンスタイン(1982年)、ジェームズ・ローゼンクイスト(1982年)、サム・フランシス(1983年)の展覧会が続けて開催されている。1982年に開催されたリキテンスタインの展覧会の際には、版画「Sweat Dreams, Baby!」(1965年)のイメージを使ったポスターの他に漫画をモチーフとするティーシャツも制作された。何枚か購入し、着ずに取ってあったのだが、知らぬ間に母が親戚の子供にあげてしまった。

ローゼンクイストのポスターは正方形のフォーマットで作られているが、構図的には菱形で描かれており(註3)、戦争と平和、それぞれの象徴的なモチーフを背景に画面から浮き出て見えるマイクロフォン(おそらくガイコツマイクの異名を持つシュア製のもの)がジャズらしい雰囲気を作り出している。何枚か手に入れたので、知り合いのジャズ喫茶のマスターに頼んで一枚買ってもらった。コンクリート打ちっぱなしの壁に映えたが、残念ながら、ポップ・アートに関心を持ってくれる人は現れなかった。ローゼンクイストは1965年に、多額の税金を使って開発され、1968年にはベトナム戦争に投入された、アメリカ空軍の主力戦闘爆撃機「F-111」をモチーフに、戦争や日常の様々なイメージが混在する同名の作品を政治的な意図を持って描いているが、1967年に制作されたこのポスターは、背景に反戦の意図があったにせよ、爆撃機(B-26だろうか)の機影が妙に重苦しく、高いプレミアムを得ているリキテンスタインのポスターとは対照的に、アメリカ国内でもずっと売れ残っていた。

●作家:James Rosenquist(1933-)
●種類:Poster
●題名:Aspen Easter Jazz
●サイズ:663x665mm
●技法:Silkscreen
●発行:Poster Originals, Ltd., New York
●制作年:1967
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ローゼンクイストのモノグラムサイン


註:

1.
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ロイ・リキテンスタインのポスター。リキテンスタインの版画目録には、ポスター制作の経緯について次ぎのように記されている(以下引用)
According to John Powers, "We asked Roy to do a poster and by good fortune he was thinking about jazz as a subject at hte time...(Later that year we did Aspen Easter Jazz and Jim Rosenquist did a poster for it)"(Powers, in correspondence with Ruth Fine, October 1, 1992)

知人に譲ってしまったので今はもう手元にないが、購入時の価格は確か50ドルだったと思う。

●作家:Roy Lichtenstein(1923-1997)
●種類:Poster
●題名:Aspen Winter Jazz
●サイズ:1016x660mm
●技法:Silkscreen
●発行:The artist and Leo Castelli Gallery,N.Y. for the Aspen Winter Jazz Festival
●印刷:Chiron Press, N.Y.
●制作年:1967

2.
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ウォーホルのポスター「Kimiko 1981」Silkscreen, 895x641mm, signed in pencil. Published by Colorado State University Department of Art, Fort Collins, Colorado

このポスターも、随分前に手放してしまい、今は手元にない。

3.
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by galleria-iska | 2015-05-02 14:28 | ポスター/メイラー | Comments(0)