ガレリア・イスカ通信

galleriska.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:ポスター/メイラー( 89 )


2015年 04月 27日

ハンス・ベルメールのポスター「Striped stocking」(ca.1970)

a0155815_1226176.jpg

ドイツ帝国時代のカトヴィッツ出身のハンス・ベルメール(Hans Bellmer, 1902-1975)は、日本では画家や版画家としてよりも、人形、特に球体関節人形作家や写真家として知られているが、パウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)にも影響を与えた卓越したデッサン力を生かした銅版画にも見るべきものがある。ベルメールの最初の銅版画による挿絵本とされるフランスの思想家ジュルジュ・バタイユ(Georges Bataille, 1897-1962)が1928年にロード・オーシュという偽名でアンドレ・マッソンの挿絵を添えて発表した処女小説『眼球譚(Histoire de l'OEil)』の改訂版(1944年、K出版、パリ)の挿絵(銅版画6点入り)、1961年刊行の10点組みの銅版画集「サドに(A Sade)」(アラン・マゾ出版、パリ)、ジョルジュ・バタイユが1965年にピエール・アンジェリックなる偽名で発表した短編小説『マダム・エドワルダ(Madame Edwarda)』(ジュルジュ・ヴィサ出版、パリ)の挿絵(銅版画12点入り)などが挙げられるが、いずれも100万円を超える高価なもので、コレクターでもない限り、おいそれとは手が出せない代物である。個人的にはパリの書店・画廊アラントン(Arenthon S.A.)の店主の好意で手にとって見ることができたのがいい思い出である。ベルメールの版画作品を実際に手に入れることが出来たのは1980年代の後半になってのことであるが、前述の3点のエッセンスのひとつに纏め上げたとも言える10点組の銅版画集「道徳小論(Petit Traité de Morale)」所収の作品である。この銅版画集は、マルキ・ド・サドの同名の小説に想を得て制作され、1968年にベルメールの版元であるジョルジュ・ヴィサ出版から出版されたもので、小市民的な道徳観念をあざけ笑うようなスキャンダラスでポルノグラフィックな過激な描写とは裏腹に、不思議な清廉さを漂わせるその画面に釘付けになってしまった。その描線は、ひょっとしたら女性が彫版を行なっているのではないか(註1)、と疑いたくなるほど、繊細かつ流麗で、気品さえ感じさせるものであった。

ベルメールがかくの如き美の規範を逸脱した表現を取った真意は、反権威的であり、優勢主義的な政策を推し進めるナチスに対する抵抗が根底にあったものと言われているが、それはエロティシズムの本質をあらゆる禁止を侵犯することと捉えたバタイユの思想にも通底し、ベルメールにはバタイユ作品の表象化にふさわしい下地が形成されていたと言えるかもしれない。そのバタイユの思想に立脚した反道徳的な表現と拮抗し得る造形表現を行なうにあたり、女性の手を借りたかのような繊細かつ流麗な線描こそが、人間の性的嗜好を煽り立てるだけの、ただ単にグロテスクで醜悪な図画を超越するために必要不可欠であったのかもしれない。とは言え、陰毛がまだご禁制の時代、ベルメールのそのような作品を堂々と壁に掛ける画廊は少なかったように思われる。その後暫くして、日本国内でもベルメールの作品が比較的容易に美術愛好家の目に止まるようになるのだが、そんな空気にも後押しされ、パリの画廊から入手した作品を知人に見せたところ、殊のほか反応(!?)も良く、一枚、また一枚と所望され、結局全て手放してしまうことに。そんな中、唯一残ったのが、このリト刷りのポスターである。購入時の価格は数十フランもしなかったと思う。ポスターの構図は、1969年に刊行されたハインリヒ・フォン・クライストの『マリオネット(Les marionnettes)』所収の銅版画の一枚に、細部は異なるが、全体の構図は近しいものがある。このポスターに関しては、これまで一度もレタリングを施したものに出合ったことがなく、展覧会の告知用のポスターとして制作されたものだとすると、展覧会そのものが中止になった可能性も考えられなくもない。一方で、ポスター制作の際にしばしば行なわれるのだが、ポスターとは別刷りで、ベルメールが署名を入れた限定120部のリトグラフ「縞模様のストッキング(Striped stocking)」(737x545mm)(註2)が同時に作られている。

●作家:Hans Bellmer(1902-1975)
●種類:Poster
●サイズ:498x500mm(780x558mm)
●題名:Striped stcking
●技法;Lithograph
●制作年:ca.1970
a0155815_12143646.jpg
ポスター(左図)と1969年に刊行されたハインリヒ・フォン・クライストの『マリオネット(Les marionnettes)』所収の銅版画の構図との比較。



註:

1.
a0155815_18101869.jpg
"Cécile Reims grave Hans Bellmer" par Pascal Quignard. Cercle d'art, Paris, 2006.
2006年、ベルメールの版画政制作に女性の版画家が関わっていたことが一冊の本によって明らかにされた。ベルメールの版画の版元であったジョルジュ・ヴィサ出版の周りでは知られていたが、長年、公にされなかった事実が本人が名乗り出たことで明らかされ、美術界に衝撃を与えることとなったのである。1966年、自作をビュラン彫の銅版画にする職人を探していたベルメールに、シュルレアリストたちとの交流があった素描家フレッド・ドゥ(Fred Deux, 1924-)が銅版画職人として推薦したのが、ドゥの伴侶で銅版画家のセシル・ランス(Cécile Reims, 1927-)であった。その結果、ランスは1966年からベルメールがなくなる1975年までベルメールの版元であったジョルジュ・ヴィサの工房でベルメールの銅版画制作に携わることとなり、ビュランやドライポイントで、ベルメールの作品(原画)200点あまりを忠実に再現した。これはその作品集である。

絵師・彫師・摺師といった分業体制は、フンデルトワッサーやヴンダーリッヒの木版画にも見られるが、銅版画の彫版を他人が行なうというのはあまり例がなく、そのことでベルメールの藝術そのものの価値を損なうものではないかもしれないが、ベルメールが自画・自刻で銅版画制作を行なっていたものと信じていた多くの愛好家を失望させるものであったことは確かで、1966年以降に制作された版画作品の下落の一因ともなっている。

2.
a0155815_11371474.jpg
ルロン画廊(Galerie Lelong, Paris)が出している版画の出版目録(1989年度版)、210x142mm
a0155815_11372378.jpg
ベルメールの版画の案内

マーグ画廊(Galerie Maeght)を設立したエメ・マーグ(Aimé Maeght, 1906-1981)が他界した1981年にパリのマーグ画廊のディレクターであったダニエル・ルロン(Daniel Lelong, 1933-)が、作家のジャン・フレモン(Jean Frémon, 1946-)と詩人のジャック・デュパン(Jacques Dupin, 1927-2012)と共に、マーグ画廊の一部を引き継ぐ形で設立したルロン画廊(Galerie Lelong/Galerie Maeght Lelong S.A.→Galerie Maeght Lelong→Galerie Lelong)の1989年度版の版画の出版目録に図版(E.A. 40部の内の一点)が掲載されている。それによると、題名は「無題(Sans title)」となっており、価格は2500フラン(日本円で約55000円)とある。とするとポスターとリトグラフの出版元はマーグ画廊だったのだろうか。


a0155815_13255598.jpg

[PR]

by galleria-iska | 2015-04-27 22:08 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 02月 28日

アンディ・ウォーホル展のポスター「Andy Warhol」(1974)

a0155815_1701740.jpg

1974年に東京と神戸の大丸百貨店でアンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)の日本初の本格的な回顧展「アンディ・ウォーホル展-Andy Warhol」(大丸東京店:1974年10月31日-11月12日、大丸神戸店:1974年11月14日-19日)が開催された際の告知用ポスター。これは大丸神戸店のもの。白地の用紙にシルクスクリーンで刷られており、ウォーホルが1966年に畜産動物に関する書物に掲載されていた「A good jersey head」という題の牛の頭部写真をもとに制作した版画「Cow」(F.C. II.11)を原画とする、ひとつのバリアントとして捉えられるかもしれない。と言うのも、このイメージは展示会場の壁紙としても使われており、ウォーホル側がポジフィルムを提供した可能性があるからだ。展覧会は、今世紀最大のスーパースターという謳い文句も手伝って、大きな関心を呼び、ウォーホルも展覧会に合わせて来日しているが、公的な美術館ではなく、デパートの催事場での開催であったことがウォーホルの自尊心を傷付けたようで、年譜にも展覧会歴にも記載がない。日本で生まれたこのポスターもウォーホルからは認知されておらず、いわば“父無し子”と言うことになる。

展覧会のことは東京の大学に通っていた友人から聞いたが、当時は初期フランドル美術や17世紀オランダ美術への関心の方が強く、それとは対極にあるような手法で絵画を成立させようとするウォーホルの姿勢が理解できず、上京してまで観てみたいとは思えなかった。

この展覧会によって現代美術への関心は多少なりとも高まったと言えるかもしれないが、それは未だ作品を観るという行為に留まっていて、ウォーホルや他の現代美術作家の作品を購入しよういう機運が一般にも広まるには更に10年の年月が必要であった。自分がウォーホルの作品を手にするのも丁度その頃で、最初に購入した作品は1967年にニューヨーク市のリンカーンセンターで開催された第5回ニューヨーク映画祭のポスター「Fifth New York Film Festival」であった。このポスターは1968年に開催された第2回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ( 2nd International Poster Biennale in Warsaw)の“文化芸術を促進するポスター部門(Category of posters promoting culture and art)”で金賞を受賞している。限定500部とポスターにしては少ないが、1980年代の中頃になっても未だ多くが売れ残っていて、ニューヨークの小売業者は一枚40ドル(日本円で約1万円)で販売していたように記憶する。後にプラスティッックのシートに刷られた限定200部の版画ヴァージョン「Lincoln Center Ticket」(F.C.II.19)も手にいれたが、そちらの発色は、未額装だったのも幸いして、ポスターにも増して鮮やかであった。美しいものが手元にあると心が乱れるし、それをずっと手元に留め置くには責任を伴うので、愛着が湧く前に知り合いに譲ってしまい、今はどちらも手元にない。代わりにという訳ではないが、この牛のポスターを不憫に思い、しばらく手元に置くことにした。

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Poster
●サイズ:1030x730mm(B1)
●技法:Silkscreen
●発行:Daimaru Department Store Kobe
●制作年:1974
a0155815_1712353.jpg

a0155815_16402585.jpg
ウォーホルの版上サイン

a0155815_15485738.jpg
図版:ウォーホル展の図録『アンディ・ウォーホル展-Andy Warhol』(朝日新聞社東京本社企画部編集)1974年、300x310mm。アメリカで開催された展覧会の図録に倣った装丁かと思うが、アルミ箔の上にウォーホルの自画像が印刷されている。



a0155815_2028232.jpg

[PR]

by galleria-iska | 2015-02-28 20:30 | ポスター/メイラー | Comments(4)
2015年 01月 21日

ジョルジュ・ルオーのポスター「Kunsthaus Zürich」(1948)

a0155815_20542653.jpg

二十世紀最大の宗教画家と称されるジョルジュ・ルオー(Georges Rouault, 1871-1958)は1948年、持ち前の頑固さと完璧主義者故に、315点の未完成作を専属契約を交わした画商アンブロワーズ・ヴォラール(Ambroise Vollard、1866-1939)のもとから取り戻し、ボイラーに放り込み焼却してしまう。この時の様子がフィルムに残されている。その年、スイスのチューリッヒ美術館(Kunsthaus Zürich)は4月から6月にかけてルオーの大回顧展が開催。ルオーは展覧会に際し、自ら告知用ポスターをデザイン、恩師モローを初めとする画家や作家の思い出を記した『回想録(Souvenirs Intimes)』(1926年刊)に挿絵のひとつとして制作したリトグラフ『自画像 I(Autoportrait I)』(註1)をもとにした自画像(というよりも版画作品そのものであるが)を墨で描き、その下に次ぎのように記している《Zurich - 1948 d'après l'ancienne lithographie - G. Rouault -》。
a0155815_20553394.jpg


オフセット印刷とリトグラフを併用したポスターの印刷を行なったのは、1950年代にスイスの観光ポスターの印刷を数多く手掛けたチューリッヒの印刷所〈J.C. Müller AG〉である。ルオーは展覧会のためにチューリッヒまで出向き、ポスターの原画を制作したと思われるが、リトポスターの制作には行き着かなかったようである。パントル・グラビュール(画家兼版画家)と呼ばれる作家の多くは、自らの油彩や水彩による絵画作品を版画、特にリトグラフの構図として用いることがしばしばあるが、ルオーはここでは逆に自身のリトグラフを、まるで版画作品の下絵(エスキース)のようなデッサンとして描いている。ルオー自身にリトポスター制作の意図があったとすれば、墨で描かれたそのデッサンはルオーがリトグラフの制作の際に用いる転写紙を使い、石版に転写するつもりのものであったかもしれない。しかしながらルオーのリトグラフ制作は何度も加筆とグラッタージュを繰り返すことから、短い時間でそれをリトグラフとして完成させることは困難であり、墨の濃淡による強いコントラストとデリケートな諧調を見せるデッサンをそのまま活かしてポスターを制作する方向に変更されたと考えられなくもない。そしてそのデッサンの表情をそのまま再現するためにオフセット印刷が用いられたのかもしれない。もうひとつリトポスター制作の意図を窺わせるのが、ポスターの下部に配置された展覧会情報の文字入れである。一見、タイポグラフィーのようにも見えるのだが、実はリト用クレヨンによるものではないかと思われる手書きのレタリングで、実際、リトグラフで印刷されている。

これまでルオーのリトポスターは生前に作られたものを含めて何点か見ているが、いずれもルオーの絵画や版画作品の複製であった。今回のものはオフセット印刷とは言え、ルオーのオリジナルデザインであり、ひょっとすると唯一のものであるかもしれない。

●作家:Georges Rouault(1871-1958)
●種類:Poster
●サイズ:100x70cm
●技法:Offset+lithograph
●印刷:J.C. Müller AG, Zürich
●発行:Kunsthaus Zürich
●制作年:1948

ポスターのイメージを用いた展覧会の図録も作られている。
a0155815_205617100.jpg
図版:展覧会の図録:「GEORGES ROUAULT」(April-June 1948) Texts by M. Morel, R. Wehrli, W. Wartmann. 55, (9)pp., 24 plates. Published by Kunsthaus Zürich, 1948.

註:

1.
a0155815_21111764.jpg
図版:ポスターのもとになったルオーのリトグラフ『自画像(Autoportrait)』1926年制作。ルオーはリトグラフによる自画像を三点描いており、『回想録』所収のもの(Autoportrait I)と同じ年に刊行されたジョルジュ・シャランソルの『ジョルジュ・ルオー、人と作品(Georges Rouault, l'homme et l'œuvre)』(Éditions des Quatre Chemins, Paris, 1926)の豪華版に付けられたもの(Autoportrait II)との混同を避けるために、便宜的にローマ数字が打たれている場合がある。

参考文献:

フランソワ・シャポン、イザベル・ルオー[柳宗玄、高野禎子訳]『ルオー全版画]岩波書店、1979年
気谷誠、増子美穂『ジョルジュ・ルオー 悪の華/回想録』展図録。松下電工汐留ミュージアム、東京、2005年
[PR]

by galleria-iska | 2015-01-21 21:22 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 01月 05日

菅井汲のポスター「Galerie Creuzevault」(1958)

a0155815_139449.jpg

1958年11月にパリのクルズヴォー画廊(Galerie Creuzevault, Paris)で開催された菅井汲(Sugai Kumi, 1919-1996)の絵画展の告知用に制作されたオリジナル・リトグラフポスター。ポスターと同時に限定75部の版画作品「冬(L'Hiver)」も制作されている。ポスターと版画の印刷は1923年創業のパリのデジョベール工房(ピカソの初期のリトグラフの刷りを行ったエドモン・デジョベール(Edmond Desjobert, ?-1953)が設立、エドモンの死後、その息子ジャック(Jacques Desjobert)が引き継いだ )である。1960年刊行の版画集「デッサン(Dessins 1957-1960)」所収の一点(1957年作)に近しいフォルムを使い、強い筆致で描かれた画面は、1957菅井と同い年のピエール・スーラージュ(Pierre Soulages, 1919-)の1950年代のそれを想起させるが、菅井が付けた題名との関連性を見つけるのは容易ではない。

バブル時代に一度、クルズヴォー画廊(その頃は娘のコレットが画廊を引き継いでいた)に菅井汲のリトグラフが未だ残っているか問い合わせたことがある。菅井が1971年に制作した「森(Foret)」が二枚残っているとのことだったので注文を出したのだが、パリまで現金を持って取りに来いとの返事に唖然とした。とは言え、好みの作品のひとつであったので、知り合いの画廊に頼んで購入してもらい、日本まで送ってもらった。一枚を知人に譲ったことは覚えているが、後の一枚をどうしたか思い出せない。

●作家:菅井 汲(Sugai Kumi, 1919-1996)
●種類:Poster
●サイズ:674x501mm
●技法:Lithograph
●発行:Galerie Creuzevault, Paris
●印刷:Imprimerie Edmond et Jacques Desjobert, Paris
●制作年:1958
a0155815_12544863.jpg








a0155815_13245646.jpg

[PR]

by galleria-iska | 2015-01-05 13:27 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 11月 07日

勝原伸也のポスター「Katsuhara Shinya Ukiyo-e Prints」(1986)

a0155815_13143621.jpg

昨年の“和食”に続き、今年は日本の手漉き和紙技術がユネスコ(UNESCO/国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録される見通しとなった。アニメ、漫画、オタクと云った日本のポップカルチャーから始まった日本ブーム(Cool Japan)の流れは、今や日本文化全体に広まっており、19世半ばにフランスで起きた日本趣味(Japonisume)の再来にも似た様相を呈している。そこには人間と自然との共存・共生を否定するかのような産業革命以後の加速的な科学技術の発展がもたらした地球規模の環境問題や社会秩序の崩壊に悩む西欧社会のジレンマが背景としてあると思われるが、和食にしろ、和紙にしろ、単に伝統文化という文脈だけでは括れない、食や健康、生活文化における自然志向への関心の高まりやその汎用性なども評価と結びついているのかもしれない。

日本の木版画制作に必要不可欠である和紙は、古くは17世紀オランダを代表する画家レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn, 1606-1669)が、江戸時代初期に東インド会社によって長崎からオランダに運ばれた和紙をそのエッチング制作に用いたことが知られており、近くはと言っても既に二世紀も前のことになってしまうが、19世紀半ばのフランスの銅版画家フェリックス・ブラックモン(Félix Bracquemond, 1833-1914)による浮世絵版画の発見に端を発する空前の日本趣味の流行が西欧絵画に多大な影響を及ぼし、1867年、1878年のパリ万国博覧会における出品で絹製品、漆器などともに高い評価を得たことで、多くの版画家や出版社が日本の和紙を珍重する切っ掛けとなっている。

今回取り上げるのは、江戸時代に花開いた“浮世絵版画(錦絵)”の完全復元にたったひとりの手で挑んだ名古屋生まれの木版師、勝原伸也(Shinya Katsuhara, 1951-2015)が1986年、当時居を構え活動していた四日市にある近鉄百貨店で開催した展覧会の告知用ポスターである。ポスターに使われているのは、彼がその年に制作した歌川国芳(Kuniyoshi Utagawa, 1798-1861)の錦絵「義勇八犬伝・犬坂毛乃」で、彼自身「彫りとか摺りの技術、それに紙や絵の具のレベル、そういう技術的な成果が非常にいい形で発揮できた作品」と語っているように、1977年、学生が使う教材用の“甚五郎”という彫刻セットと年賀状用の版木を使って何気に浮世絵を彫ってから九年、実物の四倍ぐらいに引き伸ばしても、何の破綻も見られない程の技量を獲得したと自負できるまでになった作品である。ポスターは、摺り上がったばかりの版画を原画とし、用紙には生成りの和紙に似せた色調のものを使っているため、単なる複製とは思えないほどの鮮やかな発色で、かなりの人気を博した。今手元にあるものは、画廊に掲示されていたものを貰い受けたものである。

●作家:Shinya Katsuhara(1951-)
●種類:Poster
●サイズ:741x576mm
●技法:Offset
●発行:Kintetsu Department Store, Yokkaichi
●制作年:1986
a0155815_13103472.jpg
a0155815_13104332.jpg


参考文献:

「木版師 勝原伸也の世界-浮世絵は蘇る」株式会社 平凡社、1993年
a0155815_1311516.jpg








a0155815_13145738.jpg


.................................................................................................................................................................................


2015年8月3日追記:

昨晩、今月の末から山口県立萩美術館・浦上記念館での特別展示となる朝日新聞西部本社発刊80周年記念「木版画家 立原位貫ー江戸の浮世絵に真似ぶ」を控えていた木版画家の立原位貫氏(本名:勝原伸也)が7月31日に亡くなったとの知らせを受け取った。胃がんとのこと。享年64歳。数日前に、美術館の方から招待状が届いたばかりで、お礼の電話をしようと思っていた矢先のことであった。昨年2月の個展でお会いしたのが最後となってしまった。帰り際に何か予感めいたことをおっしゃったので気になったが、たとえそうなったとしても「骨は拾わないよ」と言ったのが、ずっと胸に残っている。生前、といっても随分前になるが、勝原さんが運転するボルボに乗せてもらい、あちこち連れて行ってもらった。どんなに落ち込んでいるときでも、勝原さんの言葉を聞くと、いつも明るい気持ちになれた。勝原さんは文字通り僕の元気の源であった。最期まで友人のひとりと思っていてくれたことに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
[PR]

by galleria-iska | 2014-11-07 18:41 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 11月 03日

粟津潔のポスター「art now」(1971)

a0155815_20395785.jpg

前回の記事の中で触れたグラフックデザイナーの永井一正(Kazumasa Nagai, 1929-)氏が1988年に“亀”をモチーフに制作したポスター「Japan 3」(図版参照)は、恐らく背中に緑藻類が付着した姿が蓑を羽織ったように見える“蓑亀(ミノガメ)”と呼ばれる亀ではないかと思われるが、浮世絵師の歌川広重が連作「名所江戸百景」の中の『深川 萬年橋』で描いた手桶の取っ手に吊るされた一匹の亀と同様、長寿を象徴する縁起のよいものとして、自身の還暦を祝う意味合いが込められているのではないかと思われる。

その亀で思い出したのだが、永井氏と同じ1929年生まれの異色のグラフィックデザイナー粟津潔(Kiyoshi Awazu, 1929-2009)氏にも亀が登場するポスターがある。1970年代初頭に講談社から刊行された現代美術叢書「art now 現代の美術」(全12巻+別冊1巻)の宣伝用に制作されたポスターである。粟津氏の他にも三人のグラフィックデザイナー、杉浦康平(Kohei Sugiura, 1932-)氏、宇野亜喜良(Akira Uno, 1934-)氏、横尾忠則(Tadanori Yokoo, 1936-)氏が参加しており。杉浦氏以外の三氏は、“アヴァンギャルド”のポスター作家として、1960年から1970年にかけて、天井棧敷、状況劇場、黒テント、自由劇場、大駱駝艦といったアングラ演劇の公演告知ポスターを数多く手掛けたことでも知られる。

横尾氏と同様、サイケデリックを経験した粟津氏の補色関係の色を敢えて組み合わせて、ある意味どぎつく、垢抜けない画面は、永井氏の洗練されたデザイン感覚とは対極にあるにあるように思われるが、高度に抽象化された永井氏の無機的な画面とは異なり、粟津氏は早くから日本的なるものに注目しており、日本文化を形成している様々な因習、信仰、祭祀、伝承などの図像を取り込んだカルト的な画面を創り上げている。このポスターに登場する亀は、画面上部に取り込まれた乙姫らしき図像から推測されるに、竜宮の使いとしての海亀を描いたのではないかと思われる。ポスターの上下左右の端には龍宮城の春夏秋冬の庭に通じる門を表す東西南北の文字が打たれ、画面中央には物語の主人公であると思われる「浦島太郎」が体験する夢幻的な空間が、サイケデリックアートを思わせる渦巻くようにうねる七色の色によって表現されている。画面の周囲には同じ図像が縁飾りのように並べてられているが、それは横尾氏の1960年代から1970年代のポスターにも見られる意匠で、画面が現実世界とは隔絶された異世界(異界)であることを際立たせる働きしている。

●作家:Kiyoshi Awazu(1929-2009)
●種類:Poster
●サイズ:732x514mm
●技法:Offset
●発行:Kodansha Ltd., Tokyo
●制作年:1971
a0155815_1611678.jpg

a0155815_20401157.jpg
a0155815_2040213.jpg



a0155815_1140638.jpg
図版:永井一正氏デザインのポスター「Japan 3」(1988年)
[PR]

by galleria-iska | 2014-11-03 20:45 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 10月 30日

永井一正のポスター「Water is Life」(1989)

a0155815_20462323.jpg

前回、日本を代表するグラフィックデザイナーである永井一正氏デザインの展覧会のチラシを取り上げたが、その流れで、今回は随分昔に手に入れた永井氏の「動物シリーズ」のポスターを取り上げてみたい。動物シリーズは還暦間近い1988年頃から始まるらしいのだが、既にその年に傑作とも言える日本的なるものの象徴のひとつとしての“亀”を意匠化した「Japan(3)」を制作している。今回取り上げるのは、その翌年に東京のコニカプラザで“水(Water)”をテーマに開催されたJAGDA(Japan Graphic Designers Association)ポスター展のために制作された二種類のポスター「水は生命(Water is Life)」のうちの一点で、ライオンらしき動物が水を飲む姿を描いているのだが、ただ、頭部がどうしても魚類に見えてしまう。

このポスターは動物シリーズの中では最も単純な構図であるが、青色の背景には、「Japan(3)」の背景にも使われている同心円状の文様があしらわれており、それは生命の根源である水の波紋を想起させるための意匠であるかと思われるのだが、同時に日本的な装飾性や無限の回帰を示す、多義的な視覚言語としての機能を有している。灰色の背景には大きさの異なる渦巻き状の文様が見えるが、それはライオンが生息する草原の植生を表現しているのだろうか。川や池の水底から湧き出す湧水のようにも見えなくもない。
a0155815_2048101.jpg

富山県立近代美術館で1990年に開催された「永井一正展」の図録にはオフセットと表記されているが、間違いなくシルクスクリーン印刷である。

●作家:Kazumasa Nagai(1929-)
●種類:Poster
●サイズ:1030x728mm
●技法:Silkscreen
●限定:100
●発行:Japan Graphic Design Association(JAGDA), Tokyo
●制作年:1989
a0155815_20535469.jpg

a0155815_20264343.jpg



参考文献:
「永井一正展」図録、富山県立近代美術館、1990年、p.40, p35
『永井一正ポスター展「Life」』図録、東京国立近代美術館、1998年
[PR]

by galleria-iska | 2014-10-30 21:06 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 10月 11日

ジャン=クロード・フォレのポスター「Barbarella: Viktor」(1964)

a0155815_18142016.jpg

a0155815_18194372.jpg

ポップ・アートとは何かという問いに、「絵画において商業美術を利用すること」と答えたロイ・リキテンスタインは、コミック・ストリップの一コマを拡大して利用したポップ・アーティストであるが、これは逆にフランスのバンド・デシネの作家ジャン=クロード・フォレが、自身の作品『バーバレラ(Barbarella)』のポスターにおいて、リキテンスタインの原色による色使いや印刷物の網点(ベンディ・ドット)といった手法を取り入れて制作したもの。何の説明もなく見せられると、リキテンスタインの作品かと思ってしまう。絵画に利用された商業美術側からのアイロニカルな返礼と言えるだろうか。

●作家:Jean-Claude Forest(1930-1998)
●種類:Poster
●サイズ:870x597mm
●技法:Silkscreen
●発行:PPP – Populäre Propaganda Presse, Düsseldorf
●制作年:1964

a0155815_18233454.jpg
英語版のセリフは"Oh! Madame is too kind... I know my shortcoming a bit mechanical about my movement!"となっている。
a0155815_1814512.jpg
"Diktor, You have real style! "


註:

1.
a0155815_1742528.jpg
                           図版:第二版(1966年)の書影

表紙に描かれたバーバレラは、どことなくリキテンスタインの絵画に登場するブロンドの娘を彷彿させるし、肌の部分に赤色、背景には青色のベンディ・ドットが使われており、リキテンスタインの絵画を意識したものになっている。『バーバレラ』は、1962年にフランスに雑誌『V-Magazine』に連載されたにジャン=クロード・フォレ(Jean-Claude Forest)による大人向けのSFコミックで、1964年にフランスの出版社ル・テラン・ヴァーグ(Le Terrain Vague, Paris)から二色刷りの単行本として出版されたが、エロティックな裸の絵があるとして検閲に引っかかり未成年者への販売や書店での陳列が出来なくなり、あまつさえ宣伝禁止処分となった。ル・テラン・ヴァーグは1955年にエリック・ロスフェルド(Éric Losfeld, 1927-1979)がパリに設立したの出版社のひとつ。ロスフェルドはシュルレアリスムやエロティシズム関係の書を数多く出版しており、アヴァンギャルドなコミックの出版も手掛けている。第二版の出版と同時に英語版がニューヨーク市のグローヴ・プレス社(Grove Press, New York)、ドイツ語版がブレーメンのカール・シューネマン出版(Carl Schünemann Verlag, Bremen )から出版された。

『バーバレラ』はプレイボーイとして鳴らした映画監督のロジェ・ヴァディム(Roger Vadim, 1928- 2000)の目に止まり、1965年に結婚した三番目の妻、ジェーン・フォンダを主役に起用し、1967年に映画化された。公開はスタンリー・キューブリックのSF大作『2001年宇宙の旅(A Space Odyssey)』と同じ1968年。両者ともに興行的には大成功とは言えなかったが、『バーバレラ』は1977年、『2001年宇宙の旅』は1978年にリバイバル上映され、人気・評価ともに不動のものとなった。『2001年宇宙の旅』の当地方での初公開は名古屋の「中日シネラマ劇場」であった。新聞に載った映画公開の宣伝広告と映画評論家の萩昌弘(1925年-1988年)の推薦の言葉に惹かれ、どうしても観たくなり、両親に何ヶ月分かの小遣いの前借りを頼んだが、家に余裕がなかったのであろう、“洋画なんか観ると不良になる”と断られ、観に行くことが出来なかった。それから10年後の1978年に「テアトル東京」でリバイバル上映されたときに観たのだが、始まって間もなく、シネラマの大画面に映される冒頭部分の映像美に思わず鳥肌が立ったのを覚えている。

a0155815_18321399.jpg
                       図版:ポスターに使われたバーバレラの一コマ
[PR]

by galleria-iska | 2014-10-11 21:13 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 06月 25日

サウル・スタインバーグのポスター「Whitney Museum of American Art」(1978)

a0155815_18311236.jpg
描かれている内容よりも描くという行為を強く感じさせる絵画をアクション・ペインティングと呼び、アメリカにおける抽象表現主義を理論的に擁護した美術評論家ハロルド・ローゼンバーグ(Harold Rosenberg, 1906-1978)が最晩年の1978年にキュレーションに参加したサウル・スタインバーグ(Saul Steinberg, 1914-1999)のホイットニー美術館(Whitney Museum of American Art, New York)での回顧展『Saul Steinberg』の告知用ポスター。原画は1974年に制作されたドローイング(註1)。抽象表現主義の擁護者であったローゼンバーグが、なぜ正反対とも思えるスタインバーグの作品を評価したのかは、彼がスタインバーグについて語った言葉:
Steinberg is a milestone that can never been classified in art history. When you see many of his works, first you can think he is the best illustrator ever. Excellence in his lines would make you miss the point that he is more than a caricaturist; an illusionist, philosopher, a writer using not words but lines.
に見ることができる。ローゼンバーグは1960年代からスタインバーグの批評を行なっており、この展覧会の図録(註2)のテキストも担当している。漫画家としてまたイラストレイターとして幅広く活躍したユダヤ系ポーランド人のスタインバーグは1914年にルーマニア南東部の小さな町《Ramnicul-Sarat》に生まれる。1932年にブカレスト大学に入学し、哲学と文学を学ぶも、翌年、ミラノの《Politecnico》に建築科の学生として入学、1933年、学業の間を縫って、ミラノの隔週発行のユーモア新聞《Bertoldo》に漫画を発表、1940年にはアメリカの雑誌『ライフ(Life)』や『ハーパーズ・バザール(Harper’s Bazaar)』にドローイングが掲載される。その年、建築科を卒業。1941年にイタリアを経ち、リスボン経由でニューヨーク市に到着、翌年移民申請を行ない、海軍に入隊、1943年にアメリカ市民となる。1950年には、ローゼンバーグなどが推す作家の展覧会を開催したベティ・パーソンズ・ギャラリー(註3)で個展を開催している。スタインバーグの線による作品、その最良のものは1950年代半ばまでに制作されたものであるが、それらの作品を収録した作品集は高価であるため、1955年にパリのガリマール書店から刊行された作品集『Steinberg Dessins』(註4)がお勧めである。

●作家:Saul Steinberg(1914-1999)
●種類:Poster
●サイズ:914x610mm(36x24 inches)
●技法:Offset
●発行:Whiney Museum of American Art, New York
●制作年:1978

a0155815_18384965.jpg
                     イメージ左下
a0155815_18402017.jpg
             イメージ右下。用紙の表面には、簀の目紙(laid paper)特有のテクスチュアーが浮き出ている。
a0155815_18391475.jpg
ポスターの印刷には、製紙工場の透かしの入ったクリーム色の簀の目紙(laid paper)が使われている。


註:

1.
a0155815_19235970.jpg
スタインバーグの回顧展の図録(下記参照)より

2.
a0155815_18323519.jpg
                表紙
a0155815_18324764.jpg
                裏表紙
a0155815_18343271.jpg
                扉
サウル・スタインバーグの1940年代後半から1978年までの作品による回顧展の図録:『Saul Steinberg(サウル・スタインバーグ)』1978年、発行:Alfred A. Knopf, New York, 著者:Harold Rosenberg、図版:274点(内64点はカラー)、266x273mm、256ページ。

3.1900年、ニューヨーク市の裕福な家庭に生まれたべティ・パーソンズ(Betty Parsons, 1900-1982)は1913年、アーモリー・ショウを訪れ、現代美術に驚嘆、両親の反対を押し切って絵画を学び始める。1919年に結婚するも三年後に性格の不一致が原因でパリで離婚。そのままパリに滞在し、私立のアカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエール(Académie de la Grande Chaumière)でブールデルやザッキンに付き、彫刻を学び、夏の間はアーサー・リンゼイに絵画を学ぶ。1933年、大恐慌により所持金を使い果たし、アメリカに帰国、彫刻を教えながら各地を旅する。1936年、ニューヨーク市に戻り、最初の個展を開催。その後20年間で9回の個展を開く。個展を開催した画廊や別の画廊で働いた後、1940年、彼女自身が運営を任された画廊で働き、何人もの現代美術の作家と契約することとなる。その中にはサウル・スタインバーグ、アドルフ・ゴットリーフ(Adolph Gottlieb)、アルフォンソ・オソリオ(Alfonso Ossorio)、ジョセフ・コーネル(Joseph Cornell)などがいた。上記の図録によると、スタインバーグは1943年に最初の個展を彼女のところで開催したとある。1946年、ニューヨークに自身の名を冠した画廊を開き、1948年までにアメリカの抽象表現主義を語る上で欠かすことの出来ない、彼女が“ヨハネ黙示録の四人の馬乗り(four horsemen of the apocalypse)”と呼ぶバーネット・ニューマン(Barnett Newman)、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)、マーク・ロスコ(Mark Rothko),クリフォード・スティル(Clifford Still)の四人の画家と契約しており、スタインバーグも1950年に個展を開催している。ニューヨークのアートシーンに大きな足跡を残したべティ・パーソンズ画廊は1981年に35年の活動に終止符を打ち、その翌年パーソンズは亡くなる。

4.
a0155815_18125464.jpg
a0155815_1813968.jpg
スタインバーグがパリに移住した1955年にガリマール書店から刊行した作品集「Steinberg Dessins」。スタインバーグの代表作である『All in line』(1945, Duel, Sloane & Pearce, New York)、『The art of living』(1949, Harper & Brothers, New York)、『The passport』(1954, Harper & Brothers, New York)所収のドローイングを中心に約250点のドローイングを収録。314x233mm、約200ページ、仏語。限定:5059部





a0155815_1955910.jpg

[PR]

by galleria-iska | 2014-06-25 19:56 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 06月 19日

ジョアン・ミロのポスター「Galerie Berggruen」(1971)

a0155815_18135150.jpg
20世紀スペインを代表する画家のひとりジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)が亡くなって早30年が過ぎたが、若い世代にミロの芸術が継承されていないのか、ネット社会になって美術に対する接し方が変わってしまったのか、最近、その名を聞くことがめっきり少なくなった。もっとも画廊ひとつない田舎に住んでいるのだから当たり前かもしれないが...。油彩や彫刻はさて置き、版画の価格が高騰して手が届かなくなってしまった訳ではないようで、オークションでは以前よりずっと低い価格で落札されているものもあるのにも拘わらずだ。いわゆる芸術作品のオーラを形成する、シュルレアリスムの画家としての位置付けや抽象絵画に対する敬意のようなもの、またそれらを好物とするスノビッシュな取り巻きといったものが影を潜め、何らかの意味を持つ存在として映らなくなってしまったのだろうか。はたまたコンピューター・グラフックスに慣れ親しんだ目には、人間的な手仕事感が鼻に付くようになってしまったのか...、時代を超えるための何かを試されているのかもしれない。

そのジョアン・ミロが、1971年11月から12月末にかけて、自ら創作した詩にリトグラフによる挿絵を添えた詩画集『金色の羽を持つトカゲ(Le Lézard aux Plumes d'Or)』(註1)の刊行に合わせ、パリのベルクグリュン画廊(Galerie Berggruen, Paris)での展示会のために制作した告知用ポスター(M.831)である。ミロは、挿絵とは別に、このポスターと図録(Plaquette de la collection Berggruen)(註2)用に新たにオリジナルのリトグラフ(M.833)をパリのムルロー工房で制作しており、それは難解とされるコンセプチュアル・アートとは対極にある、漢字の形象にインスピレーションを得、それにスペインの光と影のコントラストを強く意識させる原色の色使いを加えたミロ独特の、今流行りの“ゆるキャラ”を彷彿させる、ユーモラスな形象が見る目を愉しませてくれる。このポスターには、ミロがタイポグラフィの代わりに手書きで文字入れを行なった、限定500部(アルシュ紙300部、リーヴ紙200部)のデラックス・ヴァージョン(M.830)と、ミロが文字の代わりに即興的なドローイングと署名を入れた、限定150部の版画ヴァージョン(M.832)が存在しており、各々興味深い作品となっている。

ミロのリトグラフ・ポスターは、契約画廊のマーグ画廊が1960年に自前のリトグラフ工房(Arte, Adrien Maeght, Paris)を設立するまでは、ムルロー工房で制作されていたが、スペインの版元を除き、すぐにマーグ画廊の工房にその座を奪われてしまう。個人的にはムルロー工房の印刷の方が好みであるが、両者を見比べた印象は、ムルロー工房の印刷はインクが濃く、重厚感があって、機械刷りのポスターであっても、その質感が伝わってくるのだが、一方のマーグ画廊の工房の印刷は、ムルロー工房とは異なる特徴を出そうとしているためか、リトグラフとは思えないほど薄く、どうも安っぽく見えてしまう。そのムルロー工房も現代美術作家の多様な要望には応えられなかったようで、リトグラフ印刷の翳りと共に、閉鎖に追い込まれてしまうこととなる。

●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Poster
●題名:Le Lézard aux Plumes d'Or
●技法:Lithograph
●サイズ:710x495mm
●発行:Berggruen & Cie, Paris
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1971
●目録番号:M.831
a0155815_18141247.jpg





註:

1.Joan Miró『Le Lézard aux Plumes d'Or』 Louis Broder Éditeur, Paris, 1971 (M. 789-828; Cramer. books #148).ミロとシュルレアリスムの作家の詩画集の出版で知られるルイ・ブロデとのコラボレーションは1956年にブロデが刊行したシュルレアリスムの詩人ポール・エリュアール(Paul Éluard, 1895-1952)の詩集『Un poéme dans chaque livre』のためにエッチングとアクアチントによる銅版画一点を制作したのが始まりである。その後もシュルレアリスムの詩人たちの詩画集の制作に参加、翌1957年にはミロのエッチングとアクアチントによる5点の銅版画を添えたルネ・クルヴェル(René Crevel, 1900-1935)の詩『La Bague d'Aurore(オーロラの指輪)』とミロの最も美しい版画集とされる『Suite la Bague d'Aurore』を刊行。1959年にはルネ・シャールRené Char 1907–1988)の詩『Nous Avons』のために5点のエッチングとアクアチントによる銅版画を制作、同時にそれと関連する版画集「Fusées」を刊行。1965年、再びルネ・クレヴェルの詩『Feuilles Éparses』の挿絵のひとつとしてエッチングとアクアチントによる銅版画を制作、また同名の版画集ために3点のエッチングとアクアチントによる銅版画を制作している。1968年にはミロが1959年に制作したエッチングとアクアチントによる銅版画一点が版画集『La Magie Quotidienne』に所収、1971年の自身の詩とリトグラフによる挿絵からなる『金色の羽を持ったトカゲ』へと至る。

2.
a0155815_18181572.jpg
ベルクグリュン画廊での展示会の図録。220x116mm、24ページ、8点のカラー図版、同画廊50番目の図録として刊行された。表紙はミロが図録ために制作したオリジナル・リトグラフ(5色刷り)。このリトグラフは挿絵のひとつで、目録番号(M.794)の画面の一部を転用している。
a0155815_17243224.jpg
             図版:Le Lézard aux Plumes d'Or(M.794)
Berggruen & Cie, Paris 1971, broché sous couverture illustrée, np. (24 pp.), (220 x 116mm). 50ème plaquette de la collection Berggruen. La couverture est une lithographie originale en 5 couleurs, tirée par Mourlot, spécialement réalisé pour ce catalogue par Joan Miró. Plaquette édité spécialement à l'occasion de la présentation du livre "Le Lézard aux Plumes d'Or" des Éditions Louis Broder à la Galerie Berggruen. 8 reproductions en couleurs et texte de justification de l'édition
a0155815_18171969.jpg
               裏表紙+表表紙
[PR]

by galleria-iska | 2014-06-19 12:07 | ポスター/メイラー | Comments(0)