ガレリア・イスカ通信

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カテゴリ:図録類( 69 )


2017年 06月 29日

ロバート・マザーウェルの展覧会図録「Robert Motherwell Collages」(1960)

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この図録は、アメリカの抽象表現主義の画家で版画家のロバート・マザーウェル(Robert Motherwell, 1915-1991)が1961年、パリのベルクグリューン画廊(Berggruen & Cie, Paris)で、1958年から1960年にかけて制作したコラージュ作品による個展を開催した際に、画廊の34番目の図録(Collection Berggruen No.34)として刊行されたもの。前回取り上げたパウル・クレーの図録と同様、新しいオーナーの下、2012年に出版活動を再開したパリのカイエ・ダール(Cahiers d'Art, Paris)の旧資料の一部である。綴じがタイトで図版等の撮影が出来ないのだが、名刷り師と謳われたダニエル・ジャコメ(Daniel Jacomet, 1894-1966)の工房(Ateliers de Daniel Jacomet, Paris, 1910~1965)で、明快で均一な色面を特徴とするポショワール(Pochoir=Stencil)の技法で刷られた図版は、時にシルクスクリーンと間違われることもあるが、機械刷りの複製とは異なる不思議な表情を見せてくれる。

ポショワールはアール・デコ時代に高級モード誌のファッション・プレートに好んで使われた技法であるが、工房は違うが、1947年に制作した挿絵本「Jazz」の印刷にステンシルを用いたアンリ・マチス(Henri Matisse, 1869-1954)の息子のひとりで、1931年にアメリカのニューヨーク市に画廊(Pierre Matisse Gallery, New York, 1931-1989)を開き、ヨーロッパの現代美術を紹介したピエール・マチス(Pierre Matisse, 1900-1989)が発行した展覧会図録の図版の印刷にもジャコメによる精度の高いポショワールが使われており、決して時代遅れの技法ではなかった。ただ、機械刷りが全盛になる中、熟練した高い技術と手間を必要とするこの技法は急速に廃れていったのである。

●作家:Robert Motherwell(1915-1991)
●種類:Catalogue(Collection Berggruen No.34)
●サイズ:220x116mm
●技法:Pochoir
●印刷:Ateliers de Daniel Jacomet, Paris
●発行:Berggruen & Cie, Paris
●制作年:1961
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ロバート・マザーウェルの版画作品の総目録(レゾネ):「The Painter and The Printer:Robert Motherwell's graphics 1943-1980」by Stephanie Terenzio, Dorothy C. Belknap, published by The American Federation of Arts, New York in1980
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個展に合わせ、コラージュ作品のひとつ「Capriccio」を版画に仕立てにしたものが200部限定でベルクグリューン画廊から出版された。いわゆるエスタンプと呼ばれるものである。マザーウェルが本格的に版画制作を始めるのはこの年からで、1958年(~1971年)に結婚した同じく抽象表現主義の画家で版画家のヘレン・フランケンサーラー(Heren Frankenthaler, 1928-2011)の提案で、二人一緒にロシア系ユダヤ人の刷り師タチアナ・グロスマン(Tatyana Grosman, 1904-1982)が1957年に設立したリトグラフの版画工房(The Universal Limited Art Editions (ULAE), a lithographic workshop in West Islip, Long Island, New York)に通い、実はマザーウェルは1959年からグロスマンからの版画制作の誘いを受けていた、最初のリトグラフ「Poet I」と「Poet II」を制作している。フランケンサーラー自身も最初の版画作品「First Stone」を制作しているが、マザーウェルのモノトーンの重苦しい表情に対し、彼女の作品は伸びやかで、色彩も豊かに呼応している。
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by galleria-iska | 2017-06-29 19:51 | 図録類 | Comments(0)
2017年 06月 27日

パウル・クレーの展覧会図録「L'Univers de Klee」(1955)

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日本での知名度の高さはヨーロッパのそれを凌ぐとさえ言われ、人気、評価ともに高い作家として幾度となく展覧会が開催されているスイス生まれのドイツ人画家パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)。しかしそれは、もっぱら鑑賞の対象としての存在であり、良品ならば数十センチぐらいの水彩画でも数千万円を超えるのだから、購入してまで愉しもうという者は少ない。ならば版画でも、と思っても、初期の銅版画は軽く一千万円を超え、署名入りのもので百万円を切るものは僅かしかないのだから、おいそれと手を出すことはできない。せめてスイスのコルンフェルト画廊(Verlag Kornfeld und Klipstein, Bern)が1963年に刊行した版画のレゾネ「Verzeichnis des graphischen Werkes von Paul Klee」(限定2500部)ぐらいはと思えど、これがまた絶版で、古書価格15万円以上と、庶民には縁遠いものとなってしまっていた。ところが2005年に1200部限定、280スイス・フランで再販されたことで、初版の価格は暴落、美術館、図書館、大学等の公的機関への納入を当て込んでいた業者には申し分けないが、今は比較的安価で手に入れることができるようになった。

自らも絵画収集家であったユダヤ系ドイツ人画商ハインツ・ベルクグリューン(Heint Berggruen, 1914-2007)-日本の美術界(?)ではベルグランと呼ばれている-は1936年、ナチ政権から逃れるためにアメリカに移住、大学でドイツ文学を学び、美術批評家として働いた後、美術館に奉職。1940年、彼と同じように、ナチ政権からアメリカに逃れてきた避難者からクレーの水彩画を100ドルで購入したのが、後にクレーを収集する切っ掛けとなった。第二次世界大戦後、アメリカ陸軍の一員としてドイツに赴任した後、パリに移住。1947年、パリのユニヴェルシテ通り(Rue de l'Universite)に画廊の前身となる挿絵本を扱う書店を開き、その後リトグラフも扱うようになる。1952年、パウル・クレーの版画展を開催、その際、画廊の最初の図録『Collention Berggruen』を制作・刊行した。それから3年後の1955年、水彩、グアッシュ、デッサンによる展覧会「L'Univers de Klee」を開催。このポケットサイズの図録はその際に刊行された画廊12番目の図録である。以前所有していたものは告知用ポスターと一緒に手放してしまったのだが、最近になって、2010年にスウェーデン人美術収集家(Staffan Ahrenberg)の手に渡り、2012年に美術出版社として再出発を果たしたカイエ・ダール(Cahiers d'Art)から、資料として残されていたものを運良く購入することが出来た。表紙には、告知用ポスター(註1)にも使われている、色彩のパッチワークとも言える1927年制作の水彩画「Klang der südlichen Flora(南方の花の音色」(註2)が使われているのだが、原画のサイズに合わせるためか、図録の表紙に折り返し(袖)を作って収めている。印刷はパリのムルロー工房(Imp. Mourlot, Paris)である。クレーのこの作品は、「魔方陣」と呼ばれる四角を規則的に組み合わせて構成された抽象性の高い作品のひとつで、見る者に音楽におけるリズムやハーモニーに似た感覚を覚えさせる。図録にはクレーの作品に寄せた、シュールレアリスムの運動に参加した詩人のひとり、ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert, 1900-1977)による一編の詩が添えられ、またバウハウス時代のクレーからシュールレアリスムの運動の中心的役割を担った詩人のポール・エリュアール(Paul Éluard, 1895-1952)に宛て、詩人から送られた詩集への謝意や挿絵本制作の申し出などが綴られた、1928年4月21日付の手紙のファクシミリが綴じ込まれている。

前にも書いたことがあるが、ベルクグリューンは展覧会を開催する一方、現代作家の版画作品の出版も行い、販売方法に、当時としては画期的な通信販売の手法を取り入れ、世界中の顧客や業者向けに、図録とほぼ同じフォーマットで作られたカタログ『Maitres-Graveurs Contemporains』(1963~1993) をシリーズ化して刊行している。初号(Reproduction of Picasso's linocut "Toros Vallauris 1958")と最終号(White Cover)を除き、画廊で個展を開催した作家によるオリジナル・リトグラフを表紙に用いている。ベルクグリューンは1990年、収集と取引に専念するために、画廊の経営権を当時助手を務めていたアントワーヌ・マンディアラ(Antoine Mendiharat)に譲渡している。

●作家:Paul Klee(1879-1940)
●種類:Catalogue(Berggruen Collection No.12)
●題名:L'Univers de Klee
●サイズ:220x118mm(220x 363mm)
●技法:Lithographic cover printed by Mourlot, Paris
●発行:Berggruen & Cie, Paris
●制作年:1955
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註:

1.
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図版:図録の表紙と同じイメージを使って作られた告知用ポスター。サイズ:644x474mm、印刷:ムルロー工房、1955年。このポスターの複製(?)がニューヨーク市の《Penn Prints, New York》で作られていて、それにはシート下部に印刷所のムルロー(Mourlot)の名が記されていない。ポスターは以前所有していた図録と共に手放してしまったのだが、そういうものに限って、被害妄想かもしれないが、評価が高くなるようだ。ニューヨーク近代美術(MoMA)には版画作品と共に、このポスターが収蔵されている。


2.
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図版:ベルクグリューン画廊での展覧会以降に購入されたこの水彩画「Klang der südlichen Flora」(230x300mm)は2003年11月6日、ニューヨーク市のサザビーズ(Sotheby's)で開催されたオークション『Impressionist & Modern Art, Part Two』に出品され、40万ドル(手数料込み)で落札されている。来歴は以下の通り:

Provenance:
Lily Klee, Bern(1940-46)
Klee-Gesellschaft, Bern(from 1946)
Galerie d'Art Moderne, Basel
Berggruen & Cie, Paris
Acquired by the Grandfather of the Present Owner circa1955~65
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by galleria-iska | 2017-06-27 18:18 | 図録類 | Comments(0)
2017年 05月 08日

アンディ・ウォーホルの写真集「Andy Warhol Photographs」(1987)

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アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)の生前最後の個展は、ニューヨーク市のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)で、1987年1月6日から31日にかけて開催された写真展「Andy Warhol Photographs」であった。これはその展覧会に合わせて刊行された写真集。1976年以降に制作された同じ図柄の写真-4枚組のものが多いが、6枚組、9枚組、12枚組ものもある-を白い糸で縫い合わせて作られた「縫合写真(Stitched Photographs)」77点を収録している。本の装丁は、30年のキャリアを持ち、この後ブルース・ウェーバーの写真集「Bruce Weber」(Alfred Knopf, New York, 1989)のデザインと編集を手掛けることになるブック・デザイナーのジョン・シャイム(John Cheim)によるもの。シャイムは1997年、多くの作家との仕事を活かし、ニューヨーク市にハワード・リード(Howard Read)とギャラリー、シャイム・アンド・リード(Cheim & Read)を設立している。

この写真集は1990年代にニューヨーク市にある古書店の在庫リストからタイトルだけで購入したもので、購入時の価格は50ドルだったと思う。写真集がブームになった時期には200ドル以上の値が付いたが、今は100ドル前後というところか。画像を見てのとおり、黄色フェチの自分には至福の一冊となった。ダストカバーはなく、黄色一色の表紙にエンボスが施された黒地に白色のレタリングが立体感を生み出しているのだが、そのアイデアの根底にはマン・レイの写真とポール・エリュアールの詩によるコラボレーション「ファシール(Facile)」(1935年)(註1)があったのだろうか。

そのウォーホルの写真作品を入手できる最初で最後のチャンスは、現在では優に100万円以上しているが、1987年、ウォーホルが死の直前にスイスの美術誌『パーケット(Parkett)』からの依頼で制作した120部限定の縫合写真(four stitched-together photographs of skeletons)(註2)であった。それは4点の骸骨の写真を縫い合わせたもので、多少高かったものの、まだ手が届きそうに思えた。が、ルオーの骸骨をモチーフとした版画作品の評価が頭をよぎり、決断できなかった。作品はウォーホルが病院に入院する直前にファクトリーから発送され、ウォーホルが亡くなった次の日(1987年2月23日)に出版社に届けられた。ウォーホル自身自己の死を予感していたわけではないが、期せずして「死を想え-メメント・モリ(Memento Mori)」に繋がるテーマを選んでしまったことになる。

同じイメージを反復するというウォーホルの手法は、お馴染みのものであるが、いまひとつ理解できないところがある。ましてやそれを“糸”で縫い合わせるという行為の意図については。反芸術を標榜するかのように、『ぼくは退屈なものが好きだ』という言葉を残したウォーホルは、パターン化された表現を繰り返し用いることで、大量生産という消費社会の特性を取り込みながら、全体を抽象的なひとつの光と影のコントラストに還元し、一回性を重んじる旧来の芸術が目指してきたものとは対極的な地平、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887-1968)のレディ・メイドを継承するポップ・アートの雄として立っている。糸で縫うというアイデアについては、美術史家のウィリアム・ガニス(William Ganis)の著書(註3)によれば、彼の友人で、スタジオ助手、旅行同伴者の写真家クリストファー・マコス(Christopher Makos, 1948-)が1976年から行なってきたものを拝借(ウォーホルは他の作家のアイデアを自己の表現に取り入れ、それを自らのものとしている。そのことは草間弥生や東典男が証言している)したもので、ウォーホルは1982年、ベルニナ・ミシン(Bernina Sewing Machine)を購入し、マコスが勧誘してきた服飾学校生ミシェル・ラウド(Michele Loud)を助手と使い、縫合写真の殆んど全てを担当させている。その最初の成果となったのが、1987年のロバート・ミラー画廊での個展であった。この個展は批評家の賞賛を浴び、98点の縫合写真が売れた。それに気を良くしたウォーホルは亡くなるまで制作を続けた、とある。

縫合写真を見ていて気になるのは、縫いつけを示すためであろう、写真の角が合わさる部分に縫い糸を意図的に残しているところである。それはコンセプトとしての縫合写真を成立させるため、あるいはオブジェとしての量感というか物質感を持たせるための作為であったのだろうか。

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Catalogue
●著者:Stephen Koch
●サイズ:290x232mm
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1987
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註:

1.
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図版:Man Ray et Paul Éluard, 『Facile』. Poésies de Paul Éluard. Photographies de Man Ray. Paris, Éditions G.L.M., 1935.

2.
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図版:Andy Warhol:Photo Edition for the Parkett(Parkett No.12), 1987. Multiple of four machine-sewn gelatin silver prints, 248x199mm, Ed.120

3.William V. Ganis, 『Andy Warhol’s Serial Photography』. Cambridge, 2004
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by galleria-iska | 2017-05-08 22:35 | 図録類 | Comments(0)
2017年 01月 31日

ウォーホルの展覧会図録「The American Indian」(1978)

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最近、白人至上主義的な傾向を見せる某大統領の出現とその偏った政策に対する反論として、アメリカ合衆国は移民によって成立しているとよく言われるが、それは一千万人に近いとも言われるアメリカ・インディアンの虐殺、絶滅政策という血の歴史の上にたっていることは一顧だにされない。アメリカ・インディアンをアメリカ史からも抹殺しようと図るその政策は、インディアン居留地を廃止し、彼らを都市の中に紛れ込ませるという形に変えられ、1960年代いや70年代に入っても行なわれていた。随分前にアメリカの美術専門の古書店からウォーホルの展覧会の図録ということで内容もよく知らずに購入したのが、このなんの変哲もないというか、実に素っ気無いデザインの図録。タイトルページもなく、表紙に展覧会の図録である旨が記載されている。この図録(註1)は、1977年10月28日から翌年1月22日まで、スイス第二の都市ジュネーヴにあるジュネーヴ美術・歴史博物館(Musée d'art et d'histoire, Genève)で開催されたアンデイ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)の17点の作品からなる展覧会「The American Indian」に際して発行されたもの。初版は1977年10月に1000部限定で発行されたが、早々と売り切れてしまったため、1978年に新たに1000部限定で再版された。今回取り上げるものは後者。

この展覧会に先行する展覧会「American Indian Series」が、アメリカの現代美術の作家を幅広く紹介しているロサンゼルスのエース画廊(Ace Gallery, Los Angeles)の主催で、1976年から1977年にかけて開催されている。その際、ウォーホルの絵画作品をもとにしたポスターが三種類(註2)作られている。「American Indian Series」は、ウォーホルがアメリカ建国200年にあたる1976年にエース画廊(Ace Gallery, Los Angeles)からの依頼で制作した一連の作品で、ウォーホルがニューヨークで撮影したアメリカ・インディアンのラコタ・スー族の活動家、思想家、俳優で、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動」(AIM)のスポークスマンであったラッセル・ミーンズ (Russell Means、1939-2012)の肖像写真をもとに制作された12点のラージフォーマット(214x178cm)、24点のスモールフォーマット(127x107cm)の肖像画、それと少なくとも6点の鉛筆デッサン(104,1x71,1cm)からなる。エース画廊は、この肖像画制作に際し、活動資金として、ラッセル・ミーンズに5000ドル支払っている。

ジュネーヴ美術・歴史博物館での展覧会はその内の17点をエース画廊から借り受け開催されたものである。このシリーズはウォーホルの一連の肖像画制作の流れを汲むのかもしれないが、アメリカの恥部であるインディアンを主題として取り上げることは、多分に政治的な意味合いを持つことを、キング牧師に率いられた公民権運動の最中の1963年に起きたアラバマ州バーミンガムの人種暴動(Birmingham Race Riot)(註3)を取り上げたウォーホルはどのように捉えていたのだろうか。その初期に、死というスキャンダラスな側面を敢えて取り上げることで芸術の範疇を押し広げようしていたかのように見えるウォーホルは、純粋に政治的な意図を念頭に置いていたとは考え難く、アメリカ・インディアンの大量虐殺という死のイメージ、そのスキャンダラスな側面に興味を抱いたと言う方が的を得ているのかもしれない。

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Exhibition catalogue
●サイズ:298x210mm
●技法:Offset
●限定:2nd edition of 1000 copies
●発行:Association Musée d'Art Moderne, Genève
●印刷:Studer SA, Genève
●制作年:1978
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註:

1.「The American Indian」 : une série de six dessins et onze peintures d'Andy Warhol : exposition, Musée d'art et d'histoire, Genève, 28 octobre 1977-22 janvier 1978 : catalogue /​ [établi par Rainer Michael Mason] ; éd. par l'Association Musée d'art moderne. 36 p.

2.展覧会の開催地としてパリ(1976年:黒背景)、カナダ(1977年:赤背景)、ロサンゼルス(1977年:青背景)が記載されている。その内の2点がこちら:
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図版:アメリカ現代美術のメッカとも言えるロサンゼルスのエース画廊が1976年にカナダ(?)で開催したウォーホルのアメリカン・インディアンをテーマとする作品展「American Indian Series」の告知用ポスター、オフセット、1245x851mm《The American Indian Series(Red version), Ace Gallery, Los Angeles》
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図版:1977年の展覧会の告知用ポスター、オフセット、1245x851mm《The American Indian Series(Blue version), Ace Gallery, Los Angeles》

3.ウォーホルが1964年に制作したシルクスクリーンの版画作品「Birmingham Race Riot」は1963年5月17日に発行された雑誌「ライフ(Life)」に掲載された、アメリカの写真家チャールズ・ムーア(Charles Moore, 1931–2010)撮影の写真に基づく。その写真は1963年4月2日に起きたバーミンガム暴動を取材したもので、アラバマ州バーミンガムで人種差別(segregation)反対のデモや座り込みを開始したキング牧師らに対して、警察が警察犬をけしかける場面を撮影したもので、ウォーホルはその写真を左右反転して用いている。

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左がウォーホルの作品。右はそれを左右反転して、元になったチャールズ・ムーアが撮影した写真のイメージに戻したもの。
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by galleria-iska | 2017-01-31 21:02 | 図録類 | Comments(0)
2016年 04月 23日

アンブロワーズ・ヴォラールの出版「Les Éditions Ambrose Vollard」(1930)

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19世紀末から20世紀初頭にかけて、美術史に名を残すこととなるポール・セザンヌ(Paul Cézanne)、ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin) 、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) といった画家を世に送り出したのが、パリの画商アンブロワーズ・ヴォラール(Ambroise Vollard, 1866-1939)であるが、彼はまた、いち早く版画の可能性を見出し、絵画の売買で得た豊富な資金力をもとに、本の蒐集家向けに、ポール・ヴェルレーヌの詩にピエール・ボナールがリトグラフによる挿絵を付けた「Parallèlement」 を皮切りに、ゴーゴリ、バルザック、ラ・フォンテーヌ、ジャリなどの小説や詩の挿絵制作に、ピカソ、ルオー、シャガール、ブラックらの画家を巻き込み、いわゆる画家本と呼ばれる豪華本の出版に乗り出す。当初、蒐集家の反応は冷ややかもので、この目論見は当てが外れたように見えたが、その後様々な画商兼出版者を生み出すこととなる。ヴォラールの手掛けた挿絵本は、今ではその歴史を辿る上で欠くことの出来ない古典的な存在となっており、版画作品を収集する世界中の主要な美術館に収蔵されている。個人的には、オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)が三度も石版画集を編むことになったギュスターヴ・フロヴェールの戯曲仕立ての小説「聖アントニウスの誘惑(La Tentation de Saint Antoine)」のうち、ヴォラールが1938年に刊行した第三集(ヴォラール版)を入手出来たのが唯一の成果であったが、今はもう手元にない。

この図録は、出版人としてのヴォラールに焦点を当てた展覧会の図録(註1)であり、かつヴォラールが(準備中のものを含め)手掛けた出版総目録となっている。とは言え、本文に図版は一点も載っておらず、一般読者というか、愛好家にとって、必ずしも親切な作りになっているとは言い難い。その埋め合わせだろうか、扉絵(frontispiece)としてラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877-1953)がヴォラールの肖像をエッチングで刻んだものが挿入されている。限定部数は625部で、125部の特装版はモンヴァル紙に印刷され、オールマスターが素描に用いた赤色チョーク、サンギーヌ(sanguine)の色で刷られたものが挿入されている。手元にあるものは通常版で、現在、200~300ユーロの評価である。

●種類:Catalogue
●題名:Les Éditions Ambrose Vollard:Catalogue complet des Éditions Ambroise Vollard
●サイズ:290x235mm
●表紙:B.F.K. Rives
●限定:625
●発行:Le Portique Éditeur, Paris
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ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919)がリトグラフで描いた「ヴォラールの肖像」のファクシミリ版
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●作家:Raoul Dufy(1877-1953)
●種類:Print
●題名:Portrait d'Ambroise Vollard (I.F.F. 49)
●サイズ:273x216mm
●技法:Etching
●紙質:Papier vergé (laid paper)
●限定:625
●発行:Le Portique Éditeur, Paris
●制作年:1930
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通常版のための刷り(左)と特装版125部のためのサンギーヌの刷り(右)。
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ヴォラールの肖像写真(左)とデュフィのエッチングよる肖像画(右)


註:

1.Catalogue complet des Éditions Ambroise Vollard - Exposition du 15 Décembre 1930 au 15 Janvier 1931. Le Portique Éditeur, Paris, 1930. Catalogue des Éditions publiées par Ambroise Vollard ainsi que des projets (dont certains ne virent pas le jour). Un vol. 343x260mm, 76 p., broché contenant en frontispice une eau-forte originale de Raoul Dufy"Portrait d'Ambroise Vollard (I.F.F. 49) " et une reproduction d'une lithographie de Renoir"Portrait d'Ambroise Vollard". Tirage total à 625 exemplaires. 500 sur vergé de Rives, avec l’eau-forte originale tirée en noir. 125 exemplaires sur Montval, avec un portrait d’Ambroise Vollard par Dufy en frontispice, en eau-forte originale tirée en sanguine et signée sur le cuivre. Tous sont illustrés en outre, d’un portrait d’Ambroise Vollard par Auguste Renoir (fac-similé d’une lithographie).
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by galleria-iska | 2016-04-23 21:07 | 図録類 | Comments(0)
2016年 04月 19日

ジャスパー・ジョーンズの図録「Jasper Johns:die Graphik」(1971)

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1971年4月17日から5月29日にかけてスイスのベルンにあるクンストハレ・ベルン(Kunsthalle Bern, Switzerland)で行なわれたジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns, 1930-)の版画の回顧展「Jasper Jphns: Graphik」(註1)の図録は前に取り上げたが、これは北ドイツの都市ハノーファーにあるハノーファー芸術協会(Kunstverein Hannover, Hannover)で、同年8月7日から9月5日かけて行なわれた展覧会「Jasper Johns:die Graphik」の、ポケット判仕様の図録である。ソフトカバーではあるが、布装丁となっている。出展作品は、先のベルンのものにハノーファーの告知用ポスターを加えた、試し刷りを多く含む133種類であるが、図録はベルンのものとは異なる編集がされており、ジョーンズの制作現場を捉えた写真の他、版画作品との関係性や独自性を示すために、絵画やブロンズ作品が何点も引用されている。また、アメリカ西海岸の都市ロサンゼルスにあるジェミナイ工房(Gemin G.E.L., Los Angeles)での版画制作に関する、普段は見ることが出来ない内容証明(Print documentation)が二点掲載されており、こちらも興味深い。この展覧会の告知用ポスターにはベルンと同じイメージが使われているようなのだが、まだ実物にお目にかかったことがない。

●作家:Jasper Johns(1930-)
●種類:Catalogue
●サイズ:190x105mm
●技法:Offset
●発行:Kunstverein Hannover e.V.
●制作年:1971
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註:

1.この展覧会に先立ち、1970年4月5日から6月14日にかけてフィラデルフィア美術館でジャスパー・ジョーンズの全版画作品128点からなる版画の最初の回顧展「Jasper Johns Prints 1960-1970」が開催されており、その図録のドイツ語版がベルンの図録となる。
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図版:1964年制作の「Souvenir 2」(Oil and collage on canvas with objects)をもとにデザインされた、同展の告知用ポスター。作家の署名入りのもが200部ある。

●作家:Jasper Johns(1930-)
●種類:Poster
●作品名:Souvenir
●サイズ:786x552mm
●技法:Offset-lithograph
●印刷:The Falcon Press, Philadelphia
●目録番号:127A

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2016年4月21日追記:

ハノーファーの芸術協会での展覧会の直前の8月1日まで、メンヒェングラートバッハ市立博物館(Städtisches Museum Mönchengladbach)で行なわれていた展覧会「Jasper Johns. Das Graphische Werk」の告知用ポスター。ベルンのクンストハレ、メンヒェングラートバッハ市立博物館、そしてハノーファーの芸術協会のポスターは同じフィルムを使っているため、ジョーンズ自身によるテキスト部分を入れ替え、同時に制作されたものと考えられる。
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●作家:Jasoer Johns(1930-)
●種類:Poster
●題名:Painting with Two Balls
●サイズ:1007x703mm
●技法:Silkscreen
●発行:Städtisches Museum Mönchengladbach
●印刷:Albin Uldry, Bern
●制作年:1971
●目録番号:131B
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by galleria-iska | 2016-04-19 21:30 | 図録類 | Comments(0)
2016年 04月 17日

ミンモ・パラディーノの図録「Mimmo Paladino Etchings, woodcuts and linocuts 1983-86」(1986)

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今回は、少し前に取り上げたイタリアのトランス・アヴァンギャルディアの作家のひとり、ミンモ・パラディーノ(Mimmo Paladino, 1948-)が、契約画廊であるワディントン・ギャラリーズの出版部門であるワディントン・グラフックスの主催で行なった展覧会「Mimmo Paladino Etchings, woodcuts and linocuts 1983-86」の図録(註1)を取り上げてみたい。ワディントン・グラフィックスが商品カタログとして送ってくれたものと記憶しているが、定かではない。この図録を参考に、展覧会の題名ではないが、エッチング、木版画、リノカットの代表作と言えるものを何点か手に入れたが、今手元に残っているのは、「Il Patinatore」という作品のみである。

最初気付かなかったが、パラディーノはこの表紙をデザインするにあたり、自身が制作した版画作品の図柄の一部をコラージュに用いる、という作者ならではのアプローチを採っているが、そんな仕掛け(?)の元になった作品を探してみるのも一興であろう。
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●作家:Mimmo Paladino(1948-)
●種類:Catalogue
●サイズ:210x281mm(210x564mm)
●技法:Offset
●発行:Waddington Graphics, London
●印刷:The Midas Press, Farnborough
●制作年:1986
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註:

1.This catalogue with illustrated Card Covers designed by Mimmo Paladino was published by Waddington Graphics, London in 1986 on the occasion of an exhibition of Etchings , Woodcuts and Linocuts by Mimmo Paladino made between 1983 and 1986. With an Introductory text by Richard E. Caves 「Mimmo Paladino:Recent Prints in Context」 with 32 Plates in colour and b/w.
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by galleria-iska | 2016-04-17 20:10 | 図録類 | Comments(0)
2016年 03月 31日

ウィリアム・クラインの図録「William Klein Schilder, fotograaf en filmer」(1967)

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フランスの画家、写真家、映画監督で、俳優でもあるウィリアム・クライン(William Klein, 1928-)が1967年、オランダのアムステルダム市立美術館で行なった絵画、写真、映画の展覧会『William Klein schilderijn, foto's, films』の際に作られたリーフレットタイプの図録(註1)。オランダ語表記であるため、日本ではあまり紹介されていないかもしれない。冒頭に挿し絵入りのクラインの年譜が設けられているが、その挿絵を担当したのは、クラインが脚本と監督を務めた長編映画「ポリー・マグー、お前は誰だ?(Qui êtes-vous, Polly Maggoo ? )」の制作に参加した、ベルギー出身のアーティスト(注2)、ジャン=ミシェル・フォロン(Jean-Michel Folon, 1934-2005)である。この年、フォロンは自身を代表する画集のひとつ「ル・メッセージ(Le Message)」を制作しているが、この画集に登場する外套を着た“帽子の男”が、クラインの名前を展覧会場に見立てた最後の挿絵にも観客として描き込まれている。帽子の男は“平凡な小市民”のメタファーとして描かれているのだが、そのアイデアの源泉は、フォロンが子供の頃に偶然発見したベルギーのシュルレアリスムの画家ルネ・マグリット(René Magritte, 1898-1967)が描く山高帽の男にあるかもしれない。マグリットは自分を平凡な勤め人に見せかけるために、毎日きまったように、スーツに山高帽という身なりで出掛け、スーツ姿のまま自宅で制作を行なっていたのであるが、マグリットは自分自身をも記号化していたのである。

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展覧会にはクラインの能書的な絵画作品とその抽象写真、刊行された四冊の写真集「New York, 1956」「Rome, 1957」「Moscow, 1964」「Tokyo, 1964」に収録された写真、前述の長編映画「ポリー・マグー、お前は誰だ?」やドキュメンタリー・フィルムなどが出品されているようだ。クラインの個人的な視点をもとに撮られた、それまでの写真ではタブーであった“アレ、ブレ、ボケ”を表現に取り入れた写真は、新しい写真表現を求めて1960年代後半に台頭してくる中平卓馬(Takuma Nakahira, 1938-2015)や森山大道(Daido Moriyama, 1938-)といった日本の写真家たちに影響を与えたとされる。図録に掲載された写真の一枚に、“ギューチャン”の愛称で呼ばれる、現在はニューヨーク市在住の現代美術家、篠原有司男(Ushio Shinohara, 1932-)が、クラインの前で、アパートの境のコンクリート塀にケント紙を貼り、グローブ代わりに手に巻きつけたシャツに墨汁をたっぷりと付け、ケント紙を殴りつけながら絵を描くというパフォーマンス(後の「ボクシング・ペインティング」)を披露する姿を捉えた写真があるのだが、クラインは人間を個々の人格としてではなく、時代が抱え持つ、もうひとつの“真実”を映し出す“もの”あるいは“現象”として捉えようとしているように見える。クラインの撮る何かに憑かれたような人間の姿は、個人であれ集団であれ、同じニューヨーク市生まれの写真家ダイアン・アーバス(Diane Arbus, 1923-1971)の一線を越えたそれとは異なる、何かしらの“狂気”を孕んでいるようにも見えるが、それらがクラインによって写真に取り込まれたときに放つ衝撃が、クラインの写真たる所以であろうか。

●作家:William Klein(1928-)
●種類:Catalogue(Stedelijk Museum Amsterdam Catalogue No.409)
●サイズ:275x186mm
●技法:Offset
●発行:Stedelijk Museum Amsterdam, Amsterdam
●制作年:1967
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註:

1.図録の表紙と同じ場所で撮られた写真(カラー)。クラインと息子のポーズが異なる。
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2.1950年代後半、漫画家から出発したフォロンは、1960年に入ると、「わたしは自分の好奇心に殺されそうだ」と語ったように、その活動範囲を広げ、雑誌の表紙やイラストレーションを手掛けるとともに、グラフィック・デザイナーとして、映画や演劇の広報ポスターをデザインしている。1960年代の後半には、映画制作にも参加、役者として舞台や映画にも出演する一方で、銅版画やシルクスクリーン版画の制作も始めている。
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by galleria-iska | 2016-03-31 20:52 | 図録類 | Comments(0)
2016年 02月 04日

横尾忠則の装丁「The 6th International Biennial Exhibition of Prints in Tokyo」(1968)

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「版画の国際的認識と普及向上」を目的に1957年に創設され、東京国立近代美術館と京都国立近代美術館を会場に隔年開催された国際版画展のひとつ東京国際版画ビエンナーレ展は、世界的に版画への関心が薄れた1979年の第11回を持って中止となった。展覧会の主催は、第一回(1957年から第4回(1964年)は東京国立近代美術館と読売新聞、第5回(1966年)と第6回(1968年)は国際文化振興会と東京国立近代美術館、第8回(1968年)から第10回(1977年)は国際交流基金、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、1979年の第11回は、国際交流基金、東京国立近代美術館、国立国際美術館、北海道立近代美術館の主催となっている。1966年にポスター作品がニュヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されたグラフィックデザイナーの横尾忠則(Tadanori Yokoo, 1936-)氏が告知用ポスター(随分前に手放してしまったので画像をお見せ出来ないのが残念である)、入場券、図録のデザインを手掛けた第6回東京国際版画ビエンナーレ展(The 6th International Biennial Exhibition of Prints in Tokyo)は、家族の肖像写真を写真製版を用いたシルクスクリーンで印刷するという作品を出品した野田哲也(Tetsuya Noda, 1940-)氏が国際大賞を受賞したが、審査員たちの関心はむしろ、同じく家族の肖像写真やアレン・ジョーンズ(Allen Jones)とアントニオ・セギ(Antonio Segui)の作品図版を引用し、浮世絵やポップ・アート、サイケデリック・アートをも想起させる、西洋と日本の文化が混交するごった煮的画面を彩る蛍光色による鮮烈な色の対比が見る者の目に強烈に焼き付く、横尾ワール全開のポスターに向かい、「このポスターこそ国際大賞に値する」といった論評を呼び起こした。このポスターを特徴付けるのが、画面の外に意図的に残した色見本とトンボ(印刷工程で利用される目印)であるが、このような印刷工程をあえて示すことで、版画の本質である“版”というものの本質を提示、あるいは問う姿勢を示すという、グラフィック・デザイナー側からの挑戦であり、それは図録のデザインにも及んでいる。

出品者のリストの中には、アメリカの現代美術を代表するネオ・ダダの作家ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)とジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)、ポップ・アートのR.B.キタイ(R.B. Kitaj、ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)、ジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquist)、エルネスト・トローヴァ(Ernest Trova)、そして彫刻家のルイーズ・ニーベルソン(Louise Nevelson)の名を見つけることができるが、アメリカ勢は振るわず(?)、受賞したのはローゼンクイストただひとりである。

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                         裏表紙

●作家:Tadanori Yokoo(1936-)
●種類:Book work
●題名:The 6th International Biennial Exhibition of Prints in Tokyo
●サイズ:235x187mm
●技法:Offset
●発行:The National Museum of Modern Art, Tokyo
●印刷:Toppan Printing Co., Ltd.,Tokyo
●制作年:1968
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                     扉絵
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by galleria-iska | 2016-02-04 12:35 | 図録類 | Comments(0)
2016年 02月 02日

デイヴィッド・ホックニーのポスター競売カタログ「Christie's:Hockney posters」(1999)

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イギリス現代美術の作家デイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937-)のポスターは、これまで何点か取り上げてきたが、これはというもの-画像だけでも残して置けたらよかったと思うが-は人様に譲ってしまったため、なんだこんなものしか持っていないのかと思われる人も多いであろう。しかしながら、自分はコレクターではないので、ポスターでも版画でも暫くの間手元に置いて楽しめれば良しとしており、棺桶まで持って行こうなどとは思わないし、仮に残して置いても遺族から厄介物扱いされ、二束三文で業者に引き取られ、否、むしり取られていくのが見えている。それに版画ならまだしも、ポスターについては、日本の公立美術館に寄贈を願い出ても断られるのが関の山である。愛着と執着は別物であるが故、自分で美術館を造ることが出来る人間はさて置き、高値が付く時に希望する方に譲ってしまうのが得策であると考える。何か記録として残したいと思うならば、コレクション・カタログの自費出版も可能であるが、今はブログという便利な記憶装置があるので、画像や作品データも残して置けるし、万が一、誰かの作品購入の参考にでもなれば、人助けにもなる。何の劣化も心配ない電脳空間の片隅に、それを必要とする人が現れるまで、図書館の書庫がごとくしまわれていくのである。さすれば自分のコレクションの行く末を案ずる必要もない。

日本でもホックニーのポスターが人気を集めた1980年代後半、絵画や版画を持つ余裕のないひとりのイギリス人が世界中から集めたホックニーのポスター・コレクションが注目を浴びることとなった。イギリス航空(British Airway)の社員であったブライアン・バゴット(Brian Baggott)なる人物は、1960年代の終わり頃にホックニーと出会い、1970年代初頭からホックニーのポスターを集め始めた。その方法について彼自身は次のように書いている:

I wrote to every gallery ever mentioned in the back of a Hockney catalogue to see if they'd done a poster.


この方法は自分もやっており、今では考えられないことだが、まさかと思うような昔に出版された版画やポスター、美術書が売れ残ったまま画廊の倉庫に眠っていたとが何度もあって、しかも出た当時の値段で購入できたのである。それらは日本の物価と比べあまりに安かったので、今のうちに購入しておけば、招来高くなるに違いないから、それらで食い扶持を稼げるのではないかと甘い期待を抱いたのだが、長びく不況で、夢と消えてしまった。

話を戻そう。航空会社に勤務していたことが幸いし、バゴットは安い料金で世界各地にポスターを見に出掛けて行くことが出来た。そうして集めたポスターは、1963年から1986年までに制作されたポスター、全128点で、その多くが無料(!)であった。その展覧会が1987年、ロサンゼルス郡立美術館(Los Angeles County Museum of Art, Los Angeles)から始まり、最終地のロンドンのテイト・ギャラリー(Tate Gallery, London)へと巡回、図録兼目録(カタログ・レゾネ)として「Hockney Posters」がロンドンのパビリヨン・ブックス(Pavilion Books Ltd.)から刊行された。1994年にはその続編として、1962年以降に制作された200点余りのポスターの図版目録とともに、1987年から1994年までのポスター38点を収録した「Off the Wall, A collection of David Hockney's posters」が同社から刊行された。純粋のオリジナル・デザインのポスターが少ないホックニーのポスター制作について、「Hockney Posters」の序文を執筆したエリック・シャーンズ(Erik Shanes)は次のように書いている:

Hockney’s output as an original poster maker has been a comparatively small one...his willingness to contri-
bute, either directly (in the case of added lettering) or indirectly (as with the allowing of the use of his images
by others) to the creation of posters of his works, has meant that a by-no-means insignificant body of designs has come into being. And these designs, by making the reproduction of works of art a controlled process, have often elevated such reproduction onto a new plane, making us more, rather than less, conscious of the inherent visual qualities of the original pictures they reproduce


そのバゴットのポスター・コレクション全206点が1999年3月25日、ロンドンの競売会社クリスティーズ・サウス・ケンシントン(Christie's South Kensington, London)で競売(Sale no.8332)に掛けられた。これはその競売カタログである。表紙は、ホックニーが40ページに渡るアート・ワークを手掛けた1985年のフランス版ヴォーグの12月号『Vogue Paris par David Hockney』(Décembre 1985/Janvier 1986)の表紙デザインを模したものとなっている。この競売カタログを受け取った時、ようやく現代美術のポスターも美術品のひとつとして認知されるようななったのか、と感慨深かった。

●作家:David Hockney(1937-)
●種類:Auction catalogue
●題名:Christie's South Kensington:Hockney posters
●サイズ:267x210mm
●技法:Offset
●発行:Christie's, London
●制作年:1990
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As Eric Shanes writes in his foreword to the 1987 ‘Hockney Posters’ book, although ‘Hockney’s output as an original poster maker has been a comparatively small one...his willingness to contribute, either directly (in the case of added lettering) or indirectly (as with the allowing of the use of his images by others) to the creation of posters of his works, has meant that a by-no-means insignificant body of designs has come into being. And these designs, by making the reproduction of works of art a controlled process, have often elevated such reproduction onto a new plane, making us more, rather than less, conscious of the inherent visual qualities of the original pictures they reproduce’.

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フランス版ヴォーグの1985年の12月号『Vogue Paris par David Hockney』(Décembre 1985/Janvier 1986) の表紙。キャンバスの側面には"for Brian David Hockney"の献辞が見える
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by galleria-iska | 2016-02-02 13:51 | 図録類 | Comments(0)