ガレリア・イスカ通信

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2011年 03月 25日

アントニ・タピエス「Derrière le Miroir No.168」(1967)

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既に数々の賞を受賞し抽象画家としての地位を確立していたスペインの画家アントニ・タピエス(Antoni Tapiès,1923-) が、フランスの批評家でキュレーター、そしてコレクターでもあったミシェル・タピエ(Michel Tapié, 1909-1987)とフランスの詩人で批評家のジャック・デュパン(Jacques Dupin,1927-2012)の推薦によりパリのマーグ画廊(Galerie Maeght)(1)で最初の個展を開いたのは1967年のこと。その際、ミシェル・タピエとジャック・デュパンのテキストとタピエスのオリジナル・リトグラフ7点を収めた『デリエール・ル・ミロワール、168号』がマーグ画廊の出版部門であるマーグ出版(Maeght Éditeur)から発行されている。またこの年、タピエスは、1968年にスイス北東部のザンクト・ガレンにあるエルカー印刷・出版から刊行されることになる挿絵本「La nuit grandissante」でリュブリアナ国際版画ビエンナーレの大賞を受賞し、画家兼版画家としてひとつの絶頂期を迎える。マーグ画廊も、初の個展とデリエール・ル・ミロワールの発行を期にタピエスの版画作品の出版に乗り出すが、マーグ出版から出版された版画作品やポスターは、ミロの作品にも見られるのだが、スペインの版元が出版したものと比べると表面的で実在性に欠けるように思われる。そこには銅版画やリトグラフを学んだ画廊の創業者エメ・マーグ自身の職人的志向が反映されているのかもしれないが、刷り上がった画面の質感や雰囲気に明らかに違いが見られ、スペインの風土に根ざした気質や政治的な緊張感を背景に持つタピエス自身の精神を反映した堅固な物質性(2)が失われてしまっているように思われる。

個人的なことになるが、マーグ画廊が1946年から1982年まで発行していた「デリエール・ル・ミロワール」というブローシュア タイプの美術誌を初めて目にしたのは、1970年代後半、池袋の西武百貨店12階にあった西武美術館横に店を構え、美術書や現代音楽、民族音楽などのレコードなどを販売していた「アール・ヴィヴァン」という書店であった。ブラム&へール・ファン・フェルデ、ユバック、チリダ、アダミ、スタインバーグといったマーグ画廊の契約作家の特集号が平積みされ、千円台から二千円台の価格で販売されていた。奥付に作家のオリジナル・リトグラフが挿入されているとの記載を見つけ、リトグラフだけを拾い見した覚えがある。ただ、ブラック、ミロ、シャガール、タピエスといったマーグ画廊の看板作家の特集号は既に売れてしまったのか、別な場所に保管されていたのか、お目にかかれなかった。それらを実際に目にすることになるのは、1980年代に入ってからのことで、東京の画廊向けに発送された50冊のシャガール特集号が間違って知り合いの業者に送られてきたのが切っ掛けであった。その頃の現地価格はシャガールでもまだ何十フランいった感じであったが、東京あたりの画廊では既に数万円で販売されていたようだ。こんな薄っぺらなものに何故そんな高い値段が付くのか理解出来なかったが、そんなに価値があるものならと、助平心でミロやタピエスなどの特集号も取り寄せてもらったが、わずか数百円という価格に、本当にオリジナル・リトグラフなのだろうかと、逆に不安を感じてしまった。

取り上げたのは、版画用のラナ紙に印刷された限定150部の特装版。奥付にタピエスの署名と限定番号。特製ケース付き。

●作家:Antoni Tapiès(1923-)
●種類:Art magazine(revue d'art)
●題名:Derrière le Miroir No.168」(Tapiès)
●サイズ:380x282mm
●ケース:395x295mm
●限定:150
●紙質:Lana
●出版:Maeght Éditeur, Paris
●印刷:Imprimerie Arte, Adrien Maeght, Paris
●制作年:1967
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裏表紙にはタピエスが1967年に制作した油絵「Blanc et orange」(61x50cm)に描かれた鏡のモチーフが転用されており、その裏側には赤々と燃える炎が描かれている。
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註:
1.マーグ画廊は、20世紀美術を語る上で欠かすことの出来ない、フランスを代表する画廊のひとつで、創業者は秀でた画商であるばかりでなく、数多くの展覧会を企画し、出版にも力を注いだエメ・マーグ(Aimé Maeght, 1906-1981)。エメはニーヌの美術工芸学校で銅版画とリトグラフを学んだ後、カンヌで職人の経験を積む。そこで伴侶となるマルゲリットと出会い、自らの工房を開くが、仕事は少なく、ラジオの販売や修理などを行い生計を立てている中で画家ボナールと出会い、版画の制作を依頼される。その後工房は画廊「Galerie Arte」へと変身し、成功を収める。ボナールのパリ移住に伴い、終戦間もない1945年10月、パリにマーグ画廊をオープン。翌年の10月に美術誌デリエール・ル・ミロワール(Derrière le Miroir =D.L.M.)を創刊する。デリエール・ル・ミロワール(鏡の裏)はマーグ画廊での展覧会に合わせて編集・発行される無綴じの美術誌で、単に出品作品の紹介や解説を載せるだけの図録とは違い、自ら銅版画やリトグラフ職人であったエメ・マーグのアイデアで、作家に依頼したオリジナル・リトグラフで表紙や誌面を飾った。それらは版画作品としても出版され、全てではないが150部限定の特装版も制作された。デリエール・ル・ミロワールに挿入されるリトグラフは当初パリのムルロー工房で印刷されていたが、マーグ出版が後に自前の版画工房「Imprimerie Arte Adrien Maeght」を持つと、自社の出版物だけでなく外部の仕事も受けるようになり、ムルロー工房のライバルとなっていく。

2.「私の絵画を決定づけているのは、まず第一に、私がカタルーニャ人だという事実である。しかく、他の多くの人同様に、私もスペインの政治的ドラマを肌で感じている。たとえ意図しなくとも、それは私の作品に現れるだろう。

「必ずしも十分な用語ではないが、私は自分を物質主義者(マテリアリスト)と定義することができる。私は物質の構造を理解したいと思っている。私は現代の知によって物質のイメージを描いたいと思っている。つまり、個々の物質から普遍的な物質へと進んでいきたいと思う。そのことによって、人々の世界観を変えたいと願っている。なぜならば、物質を知ることを通して、社会や政治や道徳といった他の分野にも到達できるからだ。絵を描くということは、人生について反省する方法のひとつだ。それは現実を見据え、掘り下げる意志だ。現実を発見し、理解するように働きかけることだ。そして絵を描くことは、現実を創造することでもある」-タピエス「宣言集」より 

参考文献:
「Derrier Le Miroir 1946-1982」Maeght Éditeur, Paris,1983
「Tapiès: Das graphische Werk/L'oeuvre gravé 1947-1972」Erker-Verlag St.Gallen, 1975
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by galleria-iska | 2011-03-25 19:36 | 図録類 | Comments(0)
2011年 03月 07日

長谷川潔の直筆書簡、1963年

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1963年11月18日、当時71歳であった長谷川潔(1891-1980)が、22日から始まるパリのギャルリー・サゴ・ル・ガレック(Galerie Sagot le Garrec)での個展を前に、印象主義以降のフランスの画家に関する多くの著作のある美術史家で批評家のレイモン・コニア(Raymond Cogniat, 1896-1977)(1)に宛てて書いた直筆書簡。長谷川は書簡の中で、ギャルリー・サゴ・ル・ガレックでの個展を、放棄されていたマニエル・ノワールの技法を1924年から新しい表現として復活させた自らの40年に渡る創作活動を展観する重要なものであるとし、個展への評価と来場を請うとともに、気に入ったものがあれば近作の中から一点進呈すると申し出ている。

●作家:長谷川潔(Hasegawa Kiyoshi, 1891-1980)
●種類:Autograph letter signed to Raymond Cogniat
●サイズ:270x210mm
●日付:18 November 1963

註:
1:レイモン・コニアの著作の一部:
「Georges Rouault」 Les Editions Georges Crès et Cie, Paris, 1930
「Soutine」 Edirions du Chene, 1945
「Gauguine」 Abrams, 1963
「The Century of the Impressionists」 Crown Publishers, Inc., 1967
「Chagall」 Editions Flammarion., 1968
「Monet et ses amis」 Musée Marmottan, Paris, 1971
「Picasso」 Crown Publishers, Inc., 1975
「Raoul Dufy」 Musée d'Art moderne, Paris, 1977
「Bonnard」 Crown Publishers, Inc., 1979
「Braque」 Harry N. Abrams, Inc., 1980
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by galleria-iska | 2011-03-07 17:16 | その他 | Comments(1)
2011年 03月 06日

菅井汲「年賀状」(1982年)

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菅井汲が1982年の年賀状として制作したシルクスクリーン版画。二つ折り、左頁下の小枠に鉛筆サイン。カタログレゾネ未収録。詩人大岡信の『菅井汲―回想と展望』によれば、二人は1981年の初夏に菅井のパリのアトリエで共同制作を行なったとあり、この年賀状jはそのとき作られた作品「耳ヲ彩ルモノ」(大岡信ことば館収蔵)の構図を用いている。菅井は1963年にパリ青年ビエンナーレ参加のためにフランスにやってきた大岡と意気投合し、大岡の朗読に墨書というパフォーマンスの共演を果しているので、1981年の共同制作は二度目のコラボレーションとなる。また1983年にも日本で同様の即興制作のイベントを開催している。

●作家:Sugai Kumi(1919-1996)
●種類:New Year Greeting(Carte de vœux)
●サイズ:150x100mm(150x200mm)
●技法:Silkscreen
●発行:Sugai Kumi
●制作年:1981

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画像:菅井汲+大岡信「耳ヲ彩ルモノ」1981年。《大岡信ことば館》ウェブサイトより転載

一九八一年初夏。菅井汲のアトリエ。パリ。 私は菅井が用意してくれた何枚もの純白の紙に、自作の詩の断片を筆で書く作業に没頭していた。おのおのの紙の余白部分に菅井汲の絵をつけてもらって、二人の合作のアルバムを作ろうというのが私のもくろみだった。 共同で作品を作るという考えに私が惹かれるのは、作業を通じていやおうなしに露顕してしまう参加者各人の秘められた頑強な個性に興味をもつからである。ふだん一人だけで制作している時ならば孤独と沈黙の城壁の内側にまもられている各人の隠れた個性も、共同制作という場の中では、揺さぶられ、攻撃され、対話を必要とし、自己を主張し、なおかつ最終的には他者と協力して、新しい作品世界を築きあげるために努力しなければならない。 しかしそれはそれとして、私が菅井汲に対して共同制作を誘いかけたのには、もう一つのひそやかな理由があった。菅井にとっては初めての経験であるに違いないこんな仕事を通じて、もし菅井自身の作品に新しい展開の徴候が生じるようなことがあったら、どれほどすばらしいだろうかと、私は考えていたのである。私は菅井汲と知り合って二十年になるが、一九八一年の初夏のころ、何者かが私の胸内でしきりに囁くのを聞いたのだ。菅井汲は今新たな転機に立っていると。(『菅井汲―回想と展望』より 大岡信)。《大岡信ことば館》ウェブサイトより転載


大岡が予感した“菅井汲の新たな転機”の兆候が画面に現われるのは、1983年頃のことである。


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by galleria-iska | 2011-03-06 20:36 | その他 | Comments(0)