ガレリア・イスカ通信

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2011年 04月 28日

ホルスト・ヤンセンの絵本「Paul Wolf + die Zicklein/Text + Bildchen von Horst Janssen」(1969)

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ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen,1929-1995)が現代美術の様々な動向を紹介するヴェネツィア・ビエンナーレで版画大賞を受賞したのは1968年のこと。ヤンセンはそれについて、「ヴェネツィア・ビエンナーレのコミッショナーは仕方なく私の作品をドイツ館に展示、審査員は仕方なく私に版画大賞を与える。」と書いているのだが、ヤンセンの人付き合いの悪い気難しい性格が、ビエンナーレという世俗的な評判に煩わしさを感じていた、という見方は後付の憶測に過ぎなく、ヤンセンはビエンナーレで起きたことを有りのまま素直に書き記している。当時のビエンナーレは1960年代末に起こった大きな社会変動の渦に巻き込まれ、大きな岐路に立たされていた。そのような社会変動を引き起こした最大の要因は、大国アメリカのベトナム戦争介入であり、そのアメリカのベトナム戦争に対する反戦運動が契機となって、各国の学生による、大国間のエゴ、社会の矛盾に対する抗議行動が盛んに行なわれる中、ヴィエンナーレにも学生運動の波が押し寄せ、賞を巡る大国同士の競争や作品の値上がりを図るのための駆け引きの場と化している、と抗議の声が上がる。殊にヤンセンが版画大賞を受賞した1968年の第34回は、学生運動がピークに達した年で、各国の美術関係者によるボイコットの呼びかけや政府の出展要請を断る美術家が出るなどして混乱し、開催が危ぶまれるほどで、盛り上がりに欠けるものになってしまった。そんな中での大賞受賞は、ヤンセンにとって真に悦ばしいものとは言えなくなってしまったのは当然のことであろう。

その一方で、ヤンセンは「夜、賞と栄誉から逃れ元気回復し、昼、いつも通り制作する。」と書き、新たな作品制作に没頭していくことになるのだが、ヤンセンはこの年、7年連れ添った妻のヴェレーナ・フォン・ベートマン=ホルヴェークと離婚している。ヤンセンはそれを版画集「ヴェレーナの捻れた腕」で告白し、翌1969年には、亜鉛版エッチングによる7枚組の絵草子「悲哀と希望について(Über die Traurigkeit und Hoffnung,Ed.1000))」を制作、ヴェレーナへの別離の想いを綴っている。しかしそれは、単にヤンセンの感傷からきたものではなく、フィジカルな熱い衝動に突き動かされた1960年代から精神的で静的な時代への変化が静かに胎動し始めたことへの「内なる予感」に導かれたヤンセンの60年代への決別であったのではないだろうか。それは、己の自我が支配する世界のイメージに囚われていたヤンセンを、己自身を客体化することで新しい世界のイメージを獲得する、“風景”の発見へと導いていく。

そんな1969年にヤンセンはハンブルクのメルリン出版から二冊の絵本を相次いで出版する。一冊は「Paul Wolf + die 7 Zicklein(パウル・ウルフと七匹の子山羊)」で、もう一冊は「Hensel und Grätel(ヘンゼルとグレーテル)」。ともにグリム童話を下敷きにたヤンセンの創作童話。前者は「狼と七匹の子山羊(Der Wolf und die sieben jungen Geißlein)」をヤンセンがエロティックな内容の物語に翻案したもので、ホルスト・ヤンセンの亜鉛版エッチングによる挿絵13葉とタイトルページからなる。ヤンセンは主人公の狼(ウルフ)にパウルという名を付け、七匹の子山羊にもそれぞれ女性の名前(その内のひとつはカリンというヴンダーリッヒの妻となる女性の名である)を与えている。パウル・ウルフの頭文字は《P.W》で、それは同じ頭文字の、ヤンセンがライバルとするパウル・ヴンダーリッヒを指しており、物語を借りて揶揄しているように思われる。というのは、売れっ子のヴンダーリッヒは当時写真家のカリン・シェッケシー(Karin Szekessy)の撮った写真をもとに作品制作を行なっており、スタジオには何人もの若いヌードモデルが呼ばれ、ヴンダーリッヒの指示で様々なポーズを取っていたからである。さらに興味深いのは、物語の後半部分で、主人公のパウル・ウルフが七匹の子山羊とのエロティックな関係を結ぶ場面に添えられている一行が、1968年に発売されたビートルズ(1970年4月解散)のアルバム「ザ・ビートルズ」に収録された“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ《Ob-La-Di, Ob-La-Da(=life goes on=人生は続く)》”という文言で始まっていることである。それはヤンセンが、ハンブルグのクラブから育ち、1960年代の音楽シーンを象徴する存在となり、その終焉とともに消えるビートルズに何かしらのシンパシーを抱いていたことを窺わせる。表紙には、ヤンセンの手書き文字による表題を印刷したラベルが貼られている。挿絵の制作に使われた亜鉛版エッチングは凸版印刷の一種で、印圧次第では、印刷面のへこみと裏側に出っ張りが生じるため、製本には袋綴じが採用されている。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Illustrated book
●題名:Paul Wolf + die Zicklein/Text + Bildchen von Horst Janssen
●サイズ:240x341mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●印刷:Hans Christians, Hamburg
●発行:Merlin Verlag Andreas J.Meyer, Hamburg
●制作年:1969

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この絵本には、黒表紙のソフトカバーの他に、限定200部の、表紙に小石文様のマーブル紙を用いたハードカバーの特装版があり、奥付に限定番号とヤンセンの白鉛筆によるモノグラムサインが入れられた。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Illustrated book
●題名:Paul Wolf + die Zicklein/Text + Bildchen von Horst Janssen
●サイズ:244x345mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●印刷:Hans Christians, Hamburg
●限定:200
●発行:Merlin Verlag Andreas J.Meyer, Hamburg
●制作年:1969
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by galleria-iska | 2011-04-28 21:38 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)
2011年 04月 27日

ホルスト・ヤンセンのポスター「Kunstverein Hamburg」(1966)

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ケストナー協会(Kestner-Gesellschaft Hannover)での回顧展(1965年12月9日~1966年1月9日)が終わって間もない1966年1月15日から2月13日にかけてハンブルク芸術協会(Kunstverein Hamburg)で開催されたホルスト・ヤンセンの展覧会を告知するポスター。イギリスの19世紀末美術を代表する挿絵画家、オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley, 1872-1898年)(1)の白黒のペン画世界を再現する際に用いられたライン・ブロック(2)と同じ技法である亜鉛版エッチング(Strichätzung)によるポスター第一作。ヤンセンはこのポスターで、それまでのリトグラフによるポスターや招待状の制作で培った独自のグラフィック・スタイルを、亜鉛版エッチングの中間調のない性質を利用することで、より明確化し、初期の木版画に用いた黒ベタによる姿態表現と多彩な表情を持つ線描とを融合させ、またそれと一体化したヤンセン独自の書体によるレタリングによって、ポスターという表現形式に独自の様式を創り上げている。ポスターは、白と茶色の用紙にそれそれ500枚づつ刷られた。

描かれているのはヤンセン自身(右)とハンブルグ美術学校の一年先輩で銅版画の手ほどきを受けたこともあるパウル・ヴンダーリヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)(左)。ヴンダーリッヒは当時版画家として注目を浴びる存在になりつつあり、パリのデジョベール工房で精力的に版画制作を行なう一方、母校のハンブルク造形芸術大学(前のハンブルク美術学校)の絵画・版画科教授(1963年~1968年)として後進の指導にもあたっていた。そんなヴンダーリッヒをライバルとするヤンセンは、二人が仲良く音楽に興じる姿を、戯画風に描いている。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster(Plakate)
●題名:Kunstverein Hamburg
●サイズ:620x440mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:1000
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1966(14/1.66)

註:
1.ビアズリーは、...きわめて独創的な挿絵を生み出した。凝った装飾性と、浮世絵版画に学んだ白と黒の平面による構成の大胆さ、そして流れる線の美しさが融合したそれらの作品群は高い完成度を示し、世紀末芸術の代表的作例として今日でも高く評価されている。

2.それを可能にしたのが、1880年代に実用化されたライン・ブロック印刷という、素描の複製技術であった。この技法は、写真製版を利用した腐食銅版画の一種で、従来の木口木版などの方法ほどには、手間も熟練した技術も必要とせずに、原画を再現することを可能にした。ただしハーフ・トーンが出せないという欠点があった。『アーサー王の死』や『サロメ』といったビアズリーの挿絵の多くはこの技法で刷られていたが、そのために作品の質が保たれたまま、比較的安価な書籍の形態で、多くの人々が購入することができたのである。しかもビアズリーは、ハーフ・トーンが出せないという欠点を逆に利用し、白と黒の対比の美しさを最大限に生かした表現を生み出すことに成功したわけだが、こうした制作態度は、自作が複製され流通することを前提にしたものだったことを示している。このように、作品の複製手段という意味でも、作品の発表のための媒体という意味でも、また作者や作品についての情報を伝達するための媒体という意味でも、ビアズリーはメディアと密接な関係を持っていた芸術家であった。『世紀末の芸術の華 オーブリー・ビアズリー展』 川崎市市民ミュージアム 学芸員 中山久美子さん/藤原秀憲 一部改より抜粋。この部分は、ヤンセンの亜鉛版エッチングによるポスター、招待状、絵草子シリーズ、絵本などの制作意図にそっくり当てはまる。

参考文献:
「Horst Janssen Retrospective auf Verdacht」 von Heinz Spielmann, 1982


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by galleria-iska | 2011-04-27 13:16 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)
2011年 04月 23日

ニキ・ド・サンファル展図録「Réalisations, & projets d'architectures de Niki de Saint Phalle」

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1974年2月5日から3月2日にかけてニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)の契約画廊であるパリのアレクサンドル・イオラス画廊(Galerie Alexandre Iolas)で行なわれた展覧会の図録。ニキの三つの記念碑的な巨大作品《Hon(=She)》《Golem》《Le Dragon》と計画中のプロジェクトを、図解、新聞記事、写真、設計図、デッサンとニキの手書き文字によるテキストで紹介した折り本形式の図録。ニキを一躍有名にした「ホン(スウェーデン語で「彼女」を意味する)」は、1966年にストックホルムの近代美術館に展示された、長さ27メートル、6トンもある巨大な作品で、開いた足の間から胎内を巡れるようになっており、膣のトンネルを10万人の訪問者が通り抜けたという。その「ホン(Hon)」を始めとするニキの建築的規模の巨大作品の制作過程や意図、その背景などがニキ本人の言葉で語られている。

図録のデザインや写真などの資料とテキストのレイアウトもニキが行い、アーティストブックとも言える、手作り感のある作品集となっている。ボード紙の表紙には、テキストにも使われているモザイク模様の手書き文字で題名が記されている。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Catalogue
●題名:Réalisations, & projets d'architectures de Niki de Saint Phalle
●サイズ:161x245x8mm
●技法:Offset
●発行:Alexandre Iolas, Paris
●制作年:1974


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by galleria-iska | 2011-04-23 21:22 | 図録類 | Comments(0)
2011年 04月 20日

ホルスト・ヤンセンのポスター/招待状「Lieber Herr Ketterer」(1966)

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1966年12月8日から1967年1月15日にかけて、ミュンヘンのヴォルフガング・ケッテラー画廊(Galerie Wolfgang Ketterer, München)主催により、ミュンヘン分離派の創始者の一人で、画家・版画家・彫刻家・建築家として活躍したフランツ・フォン・シュトゥック(Franz von Stuck、1863-1928)の旧邸、ヴィラ・シュトゥック(Villa Stuck)を会場に開かれた「ホルスト・ヤンセン展」のオープニングへの招待状。「Lieber Herr Ketterer(親愛なるケッテラー様)」という書き出しで始まる。1982年に行なわれたヤンセンの回顧展の図録によると、招待状は当時ヤンセンがポスター制作に用いていた亜鉛版エッチング(Strichätzung)よって制作され、薄い紙(辞書に使われるインディア・ペーパーのような質感)に刷られたとあるが、通常のポスター用紙に刷られたものも存在しており、比べてみると刷りに違いのあるのが分かる。前者にはヤンセンの亜鉛版エッチング(凸版印刷の一種)の特徴である印刷面のへこみとシート裏側の出っ張りがなく、描線の再現もシャープであることから、印圧(印刷圧)を下げて刷られたものかと思われる。

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薄い用紙に刷られたもの

描かれているのは画廊のオーナーのヴォルフガング・ケッテラー(Wolfgang Ketterer, 1920-2009)(左)(1)とヤンセン自身(右)。ヤンセンはここでは、素描家として資質を遺憾なく発揮しており、油絵のように造り込まれた肖像ではなく、自在な線描表現によって、スナップ写真のように、感情が表出された一瞬の表情を捉えている。そしてそれは、素早い線の集合と拡散によって作り出される陰影と的確なモデリングにより、生き生きとした実在感のある人物表現となっている。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster/Invitation(Plakate/Einladung)
●題名:Lieber Herr Ketterer
●サイズ:630x447mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●発行:Galerie Wolfgang Ketterer, München
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1966(22.11.66)

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版上サインと鉛筆よるモノグラムサイン。

註:
1:ドイツ表現主義の作家らのオークションで成功を収めたケッテラーは1954年、シュトゥットガルト(Stuttgart)に画廊を設立するが、1965年、フランツ・フォン・シュトゥックが自ら設計したヴィラ・シュトゥックに移り住む前に所有していた館に画廊を移転、ハンス・ベルメールやホルスト・ヤンセンの展覧会を企画する。

参考文献:
「Horst Janssen Retrospective auf Verdacht」 von Heinz Spielmann,1982
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by galleria-iska | 2011-04-20 21:23 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)
2011年 04月 18日

キース・へリングのコンドームケース「Three eyed face」(1987)

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自らもHIVに感染しエイズにより他界したキース・ヘリングは、生前はAIDS撲滅活動に積極的に参加し、エイズ予防のために二種類のコンドーム・ケースをデザイン、ポップ・ショップで販売した。こちらはヘリングのよく知られたアイコン「Three eyed face」を用いたもの。バッジとしてシャツや上着のポケットに挟めるように、ケースの裏側にクリップが付いている。

●作家:Keith Haring(1957-1990)
●種類:Plastic condom case
●題名:Condom Case/Badge(Black)
●サイズ:60x62x8mm
●技法:Silkscreen
●制作年:1987

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by galleria-iska | 2011-04-18 22:13 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2011年 04月 13日

マーグ出版の招待状「Derriere le miroir 1946-1982」

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1989年と言えば、日本は第二次絵画投資ブームの真っ只中で、一億総中流とまで言われた庶民の版画ブームも手伝い、統計に表れた美術品の輸入額だけでも3500億円、市場規模は1兆円を超す勢いで、美術産業の勃興という幻想を膨らませながら、翌年の絶頂期を迎えようとしていた。パリの画廊には日本人バイヤーが溢れ、日本で人気のある作家の作品を片っ端から買い漁っていた。そんな中、高級画廊が建ち並ぶパリ8区のマティニョン通りにあったマーグ出版の書店で開催されたのが、その日本人の懐を狙った企画とも取れる、「デリエール・ル・ミロワール」誌36年の歩を辿る展覧会。ヴェルニサージュは、写真家のロバート・メイプルソープが入滅する六日前、日本で言うところの桃の節句に催された。

書店には、それより少し前の1986年に一度立ち寄ったことがある。「デリエール・ル・ミロワール」誌の実物を拝めるかもしれない、と思ったのだが、さすが高級な通りにあるだけあって、目にしたことのある普及版はどこにもなく、書棚にはずらっとケース付きの特装版が並んでいた。しかしながら、それは後になって気付いたことで、その時は、背に作家とマーグの名だけが記された、ファイルのような造りのケース内側に何があるのか知る由も無かった。

●種類:Invitation
●サイズ:151x160mm(151x320mm)
●発行:Maeght Éditeur, Paris
●発行年:1989
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by galleria-iska | 2011-04-13 17:47 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 04月 13日

黒田アキの招待状「Galerie Adrien Maeght」(1989)

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1980年の個展を機に日本人画家として初めてマーグ画廊と契約した黒田アキ氏であるが、絵画以外にも活動範囲を広げ、1989年にはポンピドゥー・センターにおけるパリ・オペラ座の現代ダンス「青い時のパサージュ」の舞台演出を担当し、その後舞台芸術への関わりを深めていく。その1989年にマーグ画廊で開催された黒田氏の個展のヴェルニサージュ(4月6日)への招待状。二つ折り、リトグラフ印刷。招待状のデザインは、展覧会に際して制作された告知用ポスターのデザインと呼応しており、マチスやミロの色彩を髣髴させる黒田氏の絵画的特徴をよく示している。

●作家:Kuroda Aki(1944-)
●種類:Invitation
●サイズ:160x161mm(160x322mm)
●技法:Lithograph
●発行:Galerie Adrien Maeght, Paris
●制作年:1989

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by galleria-iska | 2011-04-13 16:08 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 04月 12日

黒田アキの招待状「Galerie Adrien Maeght」(1985)

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1980年にマーグ画廊で初個展を開いた黒田アキ(本名:黒田 明比古)氏は、五年後の1985年に、マーグ画廊の新しい美術誌「ノワーズ」の創刊に編集者として加わる。これはその年の12月にマーグ画廊で開催された黒田氏の「リノカット」展のヴェルニサージュ(12月4日)への招待状。

●作家:Kuroda Aki(1944-)
●種類:Invitation
●サイズ:152x160mm
●技法:Offset
●発行:Galerie Adrien Maeght, Paris
●制作年:1985
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by galleria-iska | 2011-04-12 22:52 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2011年 04月 09日

ノワーズ「Revue Noise No.15-16」

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1985年にマーグ画廊からデリエール・ル・ミロワールに代わる新しい美術誌として創刊された「ノワーズ(Noise)」、第15-16合併号、1991年発行。日本人作家、黒田アキ氏が編集主幹を務める。黒田氏による最後の表紙デザイン。一方、黒田氏はこの年、同じマーグ出版から大判サイズ(46x32cm)の新しい美術誌「COSMISSIMO(コスミッシモ)」を創刊している。そちらは黒田氏のオリジナルを中心とした構成で、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders, 1945-)、ウィリアム・クライン(William Klein, 1928-)、エンキ・ビラル(Enki Bilal、1951-)といった映像作家やファッションデザイナーのソニヤ・リキエルが作品を提供している。

●種類:Revue d'art
●題名:NOISE No.15-16
●技法:Lithograph
●サイズ:370x270mm
●限定:2000
●発行:Maeght Éditeur, Paris
●発行年:1991

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by galleria-iska | 2011-04-09 22:19 | 図録類 | Comments(0)
2011年 04月 09日

ノワーズ「Revue Noise No.14」

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1985年にマーグ画廊がデリエール・ル・ミロワールに代わる新しい美術誌として創刊した「Noise」、第14号、1990年発行。日本人作家、黒田アキ氏が編集主幹を務める。表紙はフランスの女性作家、エレーヌ・デルプラ(Hélène Delprat, 1957)によるオリジナル・リトグラフ。デルプラは1985年、若干28才でマーグ画廊で初個展を開催、以後1995年までの10年間に5回の絵画展(initiation(1985) / boite noire / anima sola(1990)/ thèâtres / les heures )の他、、版画展やデッサン展も開催している。デルプラは1980年代、アフリカ美術に刺激を受け、洞窟の壁画や呪術などに見られる人類の原初的なイメージを、アフリカの土と肌の色を象徴する茶と黒を使い、プリミティヴなスタイルで描いている。

●種類:Revue d'art
●題名:NOISE No.14
●技法:Lithograph
●サイズ:370x270mm
●限定:2000
●発行:Maeght Éditeur, Paris
●発行年:1990

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1985年の最初の個展のヴェルニサージュへの招待状。リト刷り、160x160mm。
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1987年の個展のヴェルニサージュへの招待状。二つ折り、オリジナル・リトグラフ、160x158mm(160x316mm)
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by galleria-iska | 2011-04-09 22:13 | 図録類 | Comments(0)