ガレリア・イスカ通信

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2012年 01月 28日

ルネ・キフェール書店の目録・案内状「Librairie-Galerie René Kieffer」

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研究のための資料として見ていた書物が、ある一冊の本との出会いから、それ自体がひとつの意味のある存在へと転じ、古書の魅力にはまり込んで行き、ついには愛書狂を自認するまでになってしまったフランス文学者の鹿島茂氏が、愛書家への道を自らの体験をもとに綴ったエッセイ「子供より古書が大事と思いたい」( 青土社 1996年、文春文庫 1999年)にも登場するパリ6区のサン・タンドレ・デ・ザール通りにあったルネ・キフェール書店(Librairie-Galerie René Kieffer)から定期的に送られてきた在庫目録。同書店は、挿画入りの豪華本の出版と、アールヌーボーを代表する装丁家マリユス・ミッシェル(Marius-Michel, 1846-1925)の弟子で、後にアヴァンギャルドなデザインを取り入れた装丁を行なったルネ・キフェール(René Kieffer, 1876-1963) が1920年代に開いた書店で、本の装丁と出版および古書の売買を業務とした。二代目は、古書、特に詩集および詩画集の売買に力を入れ、また画廊として現代作家の挿絵本の刊行に合わせて展覧会を企画した。店主が亡くなった後、仕事を手伝っていた娘さんが跡を継いだが、しばらくして店を売却し、他の場所に店(Librairie Kieffer)を開いたが、目録が送られてこなくなったので閉店したのかもしれない。

この目録(通巻253号)は、1992年6月、画家、版画家、児童書の作家で挿絵画家のアルベール・ルマン(Albert Lemant, 1953-)の新作「La Tapisserie de Bagneux」の刊行に合わせて行なわれた展覧会の告知を兼ねており、表紙のデザインをルマンが行なっている。アルベール・ルマンは1953年パリに生まれ、1972年から1986年までジョルジュ・ルブランの版画工房で刷り師として働いた後、作家として作品制作を始め、数多くの挿絵本を制作している。

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この目録以外で、作家のデザインまたは作品を表紙に用いたもの。

●作家:Albert Lemant(1953-)
●種類:Catalogue/Annoucement
●サイズ:208x95mm
●技法:Offset
●発行:Librairie Galerie René Kieffer, Paris
●制作年:1992
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by galleria-iska | 2012-01-28 18:57 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2012年 01月 26日

フィリップ・モーリッツ展図録「Mohlitz Engravings」(1973)

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フランスはボルドー出身の銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)のアメリカへの紹介は、ニューヨークのコロンビア大学のフランス館を会場にして行なわれた1972年のエッシャーとの二人展が最初のもので、翌年には同じ会場を使って最初の個展(4月16日~5月4日)が開催されている。この二つの展覧会を企画したのは、当時未だ自宅をショールーム(Fitch-Febvrel Gallery)にしていたニューヨークの版画商アンドリュー・フィッチ(Andrew Fitch)で、1973年の個展の際にはリーフレットを制作、自ら紹介文を書いている。一方、日本にいち早くモーリッツの銅版画を紹介したのは、当時東京芸術大学の教授を務めていた銅版画家の駒井哲郎(1920-1976)で、1971年に渡欧した際、オールドマスターから現代作家までの版画とデッサンを得意とする1876年創業の老舗版画商、ポール・プルーテ画廊(Paul Prouté S.A.)でモーリッツの1967年の銅版画「深淵(Les Abysses)」を購入し、帰国後、芸大の版画研究室で披露している。それから二年後の1973年の11月、日本で最初の個展が東京銀座の番町画廊で開催され、「深淵」やリーフレットの表紙に使われている「36人の登場人物に攻撃される英雄」などが展示された。美術の諸要素を最小限の単位で形成するというミニマル・アート全盛の時代に、過去への退行としか思えないエングレーヴィングという表現法を持って現われたモーリッツは、そのアナクロニスムを逆手に取り、芸術が持ち得る本来的な意味での想像力に満ち溢れた作品を創り出した。

●作家:Philippe Mohlitz(1943-)
●種類:Leaflet
●サイズ:190x230mm
●技法:Offset
●発行:The Fitch-Febvrel Gallery, New York
●制作年:1973

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by galleria-iska | 2012-01-26 15:53 | 図録類 | Comments(0)
2012年 01月 23日

ホルスト・ヤンセンのポスター(22)「Ullstein-Propyläen-Verlag Berlin」(1970)

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ヤンセンが1966年から行なってきた亜鉛版エッチングによるポスター制作最後の作品は、1919年創業のプロピュレーン出版(Propyläen Verlag)の広告ポスター。プロピュレーン出版は、レオポルト・ウルシュタイン(Leopold Ullstein, 1826-1999 )が1877年にベルリンに設立した通信社ウルシュタイン出版(Ullstein Verlag)の書籍部門で、伝記や歴史、随筆、古典の出版を行なっている。ヤンセンはウルシュタイン出版のトレードマークである“ウルシュタインふくろう(Ullstein-Eule)”をモチーフにポスターのデザインを行なっている。ふくろうの足元には眼鏡が置かれているが、それはヤンセン自身のことを示していると思われる。ヤンセンはポスターの制作にあたり、その元絵になったかもしれないドローイング「Eine Eule für den Propyläen Verlag」を描いているが、それには1969年12月1日の日付がある。このドローイングは2008年10月18日にベルリンで競売に付され、米ドル換算で1217ドルで落札されている。

このポスターには白いポスター用紙に赤茶色と黒で刷られた色違いのヴァージョンがあるのだが、そちらはなかなか現われず、たまにオークションに出品されたりすると、結構な値が付くこともある。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster(Plakat)
●題名:Eule
●サイズ:662x480mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:1000
●発行:Ullstein-Propyläen Verlag, Berlin
●印刷:Ullstein-Propyläen, Berlin
●制作年:1969
●目録番号:Meyer-Schomann 55

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                版上のサインと年記(70)。サインの左側には69の文字。
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                鉛筆によるモノグラムサインと年記(69)
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by galleria-iska | 2012-01-23 21:59 | ホルスト・ヤンセンのポスター | Comments(0)
2012年 01月 19日

ホルスト・ヤンセンのポスター(21)「Galerie Brocksted Hamburg」(1969)

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日本でも“猫の作家”として知名度の高いアルゼンチン生まれの画家レオノール・フィニ(Leonor Fini, 1907-1996)は幼い頃から絵を描くのが好きで、ほぼ独学で画法を身に付ける。17才頃から油絵を描き始め、1924年には早くも友人ともにグループ展に参加し肖像画の注文受けるという早熟振りを発揮する。1931年にパリに移住し、1932年にパリで初の個展を開催すると、一躍画壇の寵児となり、ヨーロッパ各地やアメリカで数多くの個展を開催することとなる。ハンブルクのブロックシュテット画廊で1969年4月27日から5月5日にかけて開催されたフィニの個展は、ドイツでは初の個展で、ニーダーザクセン州の州都ハノーヴァー(ハノーファー)にあるヘレンハウゼン王宮のギャラリーとオランジェリーを会場にして行なわれている美術・骨董品見本市(Kunst- und Antiquitäten-Messe Hannover Galerie und Orangerie-Herrenhausen)に並行して開催されたもの。これはその告知用のポスター。フィニ自身もイオラス画廊での個展のように自らポスターの制作を行なうこともあるが、この個展ではヤンセンにデザインが任された。フィニの、しなやかさと優美さ、そして自立性を具え持つ女性像に触発されてか、ヤンセンは彼自身のミューズであった妻ヴェレーナを描いており、画面の右下に小さく《für Verena(ヴェレーナのために)》と書き入れている。ヤンセンはこの構図が気に入ったようで、この年の秋、構図に手を加え、もう1点ポスターを制作している。

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同じ年の9月10日から10月20日かけてハンブルクのブロックシュテット画廊で行なわれた「20世紀のヌード」展を告知するために作られたポスター。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster(Plakat)
●題名:Leonor Fini
●サイズ:847x615mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:1000
●発行:Galerie Brockstedt, Hamburg
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1969
●目録番号:Meyer-Schomann 40

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by galleria-iska | 2012-01-19 19:59 | ホルスト・ヤンセンのポスター | Comments(0)
2012年 01月 17日

ホルスト・ヤンセンのポスター(20)「Galerie Mensch Hamburg」(1969)

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1969年4月16日から5月6日にかけてハンブルクのメンシュ画廊(Galerie Mensch)で開催された、プラハ出身のコラージュ作家であり、絵本・挿絵画家のボフミル・シュチェパーン(Bohumil Stepan, 1913-1985)の個展の告知用ポスター。このポスターには、ヤンセンが1967年にブロックシュテット画廊設立10周年の展覧会のためにデザインしたポスターと同様、画面中央に楽器を演奏する人物が描かれているのだが、こちらのポスターの人物は、画中に書き込まれた文字(Ried)が示すように、葦(Ried)の茎を束ねて作るパンフルート(パンパイプ)のような楽器を演奏している。人物の周りには鉤状の尻尾を持った“ねずみ”らしき小動物が吸い寄せられるように集まって来ているが、この鉤状の尻尾が、シュチェパーン(の作品)と何か関係があるのだろうか。

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●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster(Plakat)
●題名:Bohumil Stepan(Bohumil Štěpán)
●サイズ:622x826mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:1000
●発行:Galerie Brockstedt, Hamburg
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1969 3.21
●目録番号:Meyer-Schomann 39

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by galleria-iska | 2012-01-17 16:59 | ホルスト・ヤンセンのポスター | Comments(0)
2012年 01月 16日

サイ・トォンブリー版画展の案内状「Cy Twombly: Some Prints」(1990)

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アメリカ合衆国バージニア州出身の画家、彫刻家サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly, 1928-2011)には結局、縁がなかったようである。トゥオンブリーは早くからニューヨークのキャステリ画廊で展覧会を行なっているが、日本で耳目を集めるようになるのは1990年代、バブルが崩壊した後のことではなかったかと思う。1980年代にアメリカの版元のカタログなどで版画を目にすることがあったが、現代美術が沸騰していく中で一人蚊帳の外といった感で、ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズを始めとする同時代のアーティストから評価の高かったギリシャ・ローマの神話や歴史、詩の断片などを画面に取り込んだカリグラフィー的な作品に興味を示す者は少なかった。ウォーホルの代名詞と言われるマリリンの版画作品が1点数万ドル超えても、トゥオンブリーの版画はまだ数百ドルで購入することが出来た。この作家はすごいことになるかもしれない、という予感を抱きながらも、手が出せないまま、時間だけが過ぎていってしまった。

1990年というバブル絶頂期に、ニューヨークにオフィスを構え、現代美術を紹介していたフィギュラ(Figura Inc.)から送られてきたトゥオンブリーの版画展の案内状には、フィギュラのロゴとともに、トゥオンブリーが版画やポスターの制作に用いる書体で、この展覧会のタイトル『SOME PRINTS』が記されている。今となってはせめてこれがトゥオンブリーのオリジナル・デザインであればと願う次第である。

フィギュラの経営者はキャステリ画廊との関係を匂わせるイタリア出身の女性であったが、バブル崩壊後に事務所を閉鎖しイタリアに帰っていった。

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図版:トゥオンブリーが1984年にユーゴスラビアのサラエヴォ(Sarajevo)で開催された冬季オリンピックの公式ポスターのために制作した版画作品のイメージ。

●作家:Cy Twombly(1928-2011)
●種類:Announcement
●サイズ:114x159mm
●発行:FUGURA INC., New York
●制作年:1990

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by galleria-iska | 2012-01-16 19:48 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2012年 01月 12日

ホルスト・ヤンセンのポスター(19)「Galerie Brockstedt Hamburg」(1969)

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ハンブルクのブロックシュテット画廊で1969年2月27日から4月15日にかけて行なわれた,日本ではあまり紹介されることのないナイーフ・アートの画家、ヨーゼフ・ヴィットリッヒ(Josef Wittlich, 1903-1982)の個展の告知用ポスター。

映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』を思い起こさせるような数奇な運命をたどったヨーゼフ・ヴィットリッヒは1903年、ドイツ南西部にあるラインラント=プファルツ州の現在はノイヴィート市の一部となっているグラートバッハ(Gladbach)のボタン職人の息子として生まれる。早くに母親を亡くし、継母とは上手くやっていけなかったようである。1920年頃、パリで若いフランス士官として働いていたと言われており、奉仕活動の後、軍への入隊を希望するが拒否され、ブランデンブルクを経由し東ヨーロッパを旅する。その後、グラートバッハに戻り、軽石工として働く。1934年頃にラインラント=プファルツ州の森林地帯であるヴェスターヴァルトのナウオルト(Nauort)に移り住み、昼間は柊の森の農場で働き、夜は絵を描いたが、自分の部屋で大きな声で歌を歌ったり、独り言を云うのが聞かれている。絵の具や筆は、森を抜け、ノイヴィートやコブレンツまで歩いて買いに行き、描いた絵は無償で宿屋(酒場)に贈った。この頃、冒険物語や戦争小説にインスピレーションを得、全長5メートルにも及ぶ巨大な戦闘場面を何点も描くが、第二次世界大戦の最中に行方不明となる。1940年、トート機関(Organisation Todt)によって砲兵大隊に徴兵される。1941年にロシア軍の捕虜となるが、ルーマニア軍の制服を着て脱出し、ロシアからドイツのカッセルまで走って逃げる。1945年には爆撃で土砂に埋められるも数時間後に救出される。その後ナウオルトに戻るが、手に負傷したため、絵筆を持つことが出来なくなる。1948年から製陶工場の屋根裏に住み、そこで20年間で働く。その当時彼に出会った人は、非常に物静かで孤独を好む一方で、気まぐれ屋にも見えたと語っている。彼の絵は無教養に人たちからは“子供じみたもの”と思われていたようである。1950年代の中頃から再び描き始め、兵士や冒険、戦闘場面はもとより、イギリス女王やケネディ一家、俳優や女優なども描いている。彼の絵の才能は1967年に工場を訪れた画家のフレッド・ステルジッヒ(Fred Stelzig, 1923-2006)によって発見され、シュトゥットガルト(=シュツットガルト)のヴェルテンベルグ芸術協会(Württembergischer Kunstverein Stuttgart )の館長、ディーター・ホーニッシュ(Dieter Honisch)に知らされ、その年に展覧会が企画・開催された。ヴィットリッヒは1968年まで製陶工場で働いた後、1970年代は巣篭もり生活を送り、ノイヴィードやコブレンツの通りで目撃される。1982年9月21日、ヴェスターヴァルト州のへール=グレンツハウゼン(Höhr-Grenzhausen)の路上で亡くなる。心臓発作が原因であったとされる。

ブロックシュテット画廊での個展は、この画廊がアールブリュットの作家を手掛けていたことからいち早く実現できたもので、商業画廊での展覧会としては最初のものである。ヤンセンはヴィットリッヒが得意とした戦闘場面を題材にデザインを行なっている。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster(Plakat)
●題名:Josef Wittlich
●サイズ:611x860mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:1000
●発行:Galerie Brockstedt, Hamburg
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1969
●目録番号:Meyer-Schomann 38

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画面右下に制作年月日(1969年2月20日)が記されているが、開催日との間があまりなく、告知よりも画廊での販売により大きな比重が置かれていたのではないかと思われる。
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by galleria-iska | 2012-01-12 18:31 | ホルスト・ヤンセンのポスター | Comments(0)
2012年 01月 09日

ホルスト・ヤンセンのポスター(18)「Hamburger Schauspielhaus(3)」(1968)

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ドイツ劇場の芸術監督に就任したエゴン・モンクが三作目に予定していたのが、東プロセインの中心地であったケーニヒスべルク生まれの、モンクと同年輩の劇作家、小説家、ラジオ劇作家ゲルリント・ラインスハーゲン(Gerlind Reinshagen, 1926-)の「ドッペルコップフ「Doppelkopf)」という劇作品であった。ラインスハーゲンは高校時代に既に薬剤師の下で修行し、1946年から49年までニーダーザクセン州のブラウンシュヴァイク工科大学で薬学を学び仕事に就くが、1953年から56年までベルリン芸術大学に学び、1956年にフリーランスの作家となる。子供向けの本やラジオ劇で作家として第一歩を踏み出し、1968年からは社会批判的な劇作品を手掛けるようになる。「ドッペルコップフ」はラインスハーゲンが41才のときに書いた最初の劇作品で、1968年2月24日、フランクフルトの市立劇場、TAT(=Theater am Turm:塔劇場)で、ドイツの「68年世代」を代表する演出家クラウス・バイマン(Claus Peymann, 1937-)によって初演されると、大きな反響を呼び、劇作家として注目を浴びる存在となる。その初演からおよそ八ヵ月後の10月の下旬、エゴン・モンクの演出によって再び上演されることになっていたのだが、前二作の不評を受け、役者との間に溝が生まれ、公演約二週間前に辞任に追い込まれる。モンクに代わって舞台の演出を行なったのは経験の浅い無名のエバーハルト・フェヒナーである。公演の初日を知らせるポスターは既に制作されていたため、芸術監督であったモンクの名がそのまま使われている。ポスターには、画面を左右に二分するように、相反する性格、性質、体制などを象徴する二つの頭を持つ人物が描かれている。その左右の胸に付けられたバッジには、ともに1949年に設立されたドイツの代表的な労働組合“DGB(=Deutsche Gewerkschaftsbund:ドイツ労働総同盟)”と“BDI(=Bundesverband der Deutschen Industrie e.V:ドイツ産業連盟)”の文字が記され、人物は"DGB”の方を指差しているのだが、それはモンクが"DGB”にこの公演のチケットを500枚購入するように依頼していたからである。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Poster(Plakat)
●題名:Premiere "Doppelkopf"
●サイズ:867x609mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:2000
●発行:Hamburger Schauspielhaus(Das Deutsche Schauspielhaus in Hamburg)
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1968
●目録番号:Meyer-Schomann 34

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by galleria-iska | 2012-01-09 12:04 | ホルスト・ヤンセンのポスター | Comments(0)
2012年 01月 06日

アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集「Les Européens」(1955)

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日本では『決定的瞬間(The Decisive Moment)』(1952年刊)として知られるアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集(Image à la Sauvette)の続編として刊行された『ヨーロッパ人(Les Européens)』には、カルティエ=ブレッソンが1950年から1955年にかけてヨーロッパ各地に取材した写真114点が収録されている。なかでも旧ソ連へは写真家として初めて足を踏み入れている。そこには、好景気に沸くアメリカとは逆に、戦後の荒廃が続く中で日々の生活を取り戻した人々の姿が、その時、その場所しか持ち得ない一瞬の光景として切り取られている。

カルティエ=ブレッソンの写真集『決定的瞬間』と『ヨーロッパ人』は、フェルナン・レジェの「サーカス」、シャガールの「ダフニスとクロエ」、ミロの「ユビュ王」、マチスの「ジャズ」、コルビジェの「直角の詩」といった作家を代表する挿絵本の出版を行ない、20世紀を代表する出版人の一人に数えられるテリアード(Tériade, 1897-1983)が1937年に創刊した美術雑誌「ヴェルヴ(Verve)」の名で刊行された。『決定的瞬間』の表紙デザインは、切り絵を基にした挿絵本「ジャズ」で新境地を切り開いたマチスが行なっているが、この『ヨーロッパ人』では、ジョアン・ミロの目の覚めるような鮮烈な色彩が目を引く。

カルティエ=ブレッソンは、「これまで一度として「写真そのもの」に情熱を傾けたことはない。私が愛するのは、自らをも忘れる一瞬のうちに、被写体がもたらす感動と形状の美しさを記録する写真の可能性だ。そこに現われたものが呼びおこす幾何学だ」という言葉を残しているが、『決定的瞬間』のフランス語版に付けられた『Image à la Sauvette(逃げ去るイメージ)』という題名は、1964年にベルリンで客死したジャズ演奏家エリック・ドルフィー(Erik Dorphy, 1928-1964)が死ぬ数ヶ月前のオランダでのインタヴューの中で語り、同地で録音されたアルバム「Last Date」(1964)に収録されている「When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again. 」という言葉とどこか通じているように思われる。

作家:Henri Cartier-Bresson(1908-2004)
題名:Les Européens(The Europeans)
サイズ:370x275mm
技法:Héliogravure
発行:Éditions Verve, Paris
印刷:Draeger, Imp.
制作年:1955

1957年、カルティエ=ブレッソンはワシントンポストに次ぎのように語っている。「写真は絵画のようなものではない。写真を撮るとき、そこには一瞬の創造的な断片がある。目は構図、つまり生活そのものの表情を見なければならないし、またシャッターを押す際の直感を知らねばならない。それが写真家が創造的あるための瞬間なのである。何と、その瞬間なのだ!一度それを逃したら、永遠に過ぎ去っていってしまう」英語版を同時出版したアメリカの出版社サイモン・アンド・シュースター(Simon & Schuster )のディック・サイモンは、その止め置くことの出来ない一瞬を言い表す言葉として「決定的瞬間」を思い付く。

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#15:Madrid. Le prêtre est monté porter le Saint-Sacrement a un malade pendant que la procession, acconpagnée d'une musique militaire, attend dans une rue, près de la Puerta del Sol.
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#49:AUTRICHE. Salzbourg. Sur le Getreidegasse.
#50:Devant la Hofburg, ancien Palais des Empereurs, sur le trottoir en face de la meilleure patisserie de Vienne.
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#58:U.R.S.S. A quelques kilomètres de Leningrad, au bord du golfe de Finlande, Peterhof était une des résidences d'été de la Cour impériale. Ce palais se trouvant sur la ligne de feu fut très endommagé pendant la guerre.
#59:Des ouvriers démolissent les vieilles maisons qui entouraient un des gratte-ciel de Moscou(que l'on appelle en U.R.S.S. "hautes maisons"). Il y en a environ une demi-douzaine à Moscou. La construction de tels batiments ne sera plus autorisée à l'avenir, pour permettre d'intensifier celle d'immeubles moins grandiouses.
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#66:Troupeaux d'un kolkhoze aux environs de Moscou.
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#114:Paris. Les provisions le dimanche matin, rue Mouffetard. 『ヨーロッパ人』は、日本の戦後復興期の市井に見られる光景とオーヴァーラップする幾分気負った表情を見せる子供の姿が印象的な写真で締め括られている。

参考文献:
Martin Parr and Gerry Badger, The Photobook: A History, Volume I. (London and New York: Phaidon, 2004).]


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by galleria-iska | 2012-01-06 11:36 | その他 | Comments(0)