ガレリア・イスカ通信

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2012年 09月 28日

フンデルトヴァッサーのカシェと切手「UN Human Rights 1948-1983」(1983)

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「百水」の(画)号を持ち、日本とも縁の深いオーストリアの画家兼版画家、建築家のフリーデンスライヒ・レゲンターク・ダンケルブント・フンデルトヴァッサー(Friedensreich Regentag Dunkelbunt Hundertwasser,1928-2000)は、自然に存在しない直線を否定、有機的な曲線を多用し、自然回帰を目指した絵画や建築、版画、ポスターの制作を行ない、また国連等の依頼により切手のデザインも行なっている。フンデルトヴァッサーは1983年、“人権に関する世界宣言”(註:1)35周年を記念して、ニューヨークにある国際連合の郵便組織である国際連合郵便(United Nations Postal Administration)、オーストリアのウィーンおよびスイスのジュネーヴの国連機関の郵便局からそれぞれ二種類づつ発行された記念切手とその初日カバーのカシェ(Cachet)のデザインを依頼され、水彩による原画を制作。それらの原画は、1986年から87年にかけて京都にある木版画の版元において制作された多色刷り木版画にも転用されている。以前、知り合いの画廊に作者不明の作品として預けられていた試し刷りを何枚か見せられ、フンデルトヴァッサーの作品ではないかと購入したことがあったが、その中の一枚が、ウィーンで発行された切手にもなった「夢見る権利(The Right to Dream)」であった。この作品についてフンデルトヴァッサーは次ぎのようにコメントしている:
THE RIGHT TO DREAM
The dreams are the last kingdom where man can take refuge and recover.Spoiling dreams is like taking away the roots and the future from man and nothing is left for him to long for.Man lives and feeds of dreams. Taking constantly away dreams from man in our rationalistic society is a crime because dreams are the precondition of creation.

●作家:Friedensreich Hundertwasser(1928-2000)
●種類:Cachet & Stamp
●題名:United Nations Human Rights 1948-1983
●技法:Offet lithograph + Silver foil
●サイズ:92x165mm
●発行:WFUNA( World Federation of the United Nations Associations)
●制作年:1983
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国連発行の切手:左(夢見る権利/The Right to Dream/Recht auf Träume )右(自由に装う権利/The Second Skin/Die Zweite Haut)(註:2)、1983年12月9日発行
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1988年に6枚組の版画集として出版された「人間の歓喜(Joy of Man)」(出版:Galerie de l'Etoile, S.A.)所収の作品のひとつとして、1987年に制作された多色刷り木版画「夢見る権利」の試し刷り。彫り:川島達夫、刷り:清水昭男

註:
1.1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択された世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)は、すべての人民とすべての国民が達成すべき基本的人権についての宣言である(国際連合総会決議217(III))。
2.フンデルトヴァッサーによると、人間は5つの皮膚を持っているのだという:
i:自らの皮膚
ii:衣服
iii:住居
iv:社会環境
v:地球環境
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by galleria-iska | 2012-09-28 11:12 | その他 | Comments(0)
2012年 09月 22日

ロバート・ラウシェンバーグのオリジナル・プリント「Tag」(1997)

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巨大な画面をフィールドと捉え、そこに絵画的なイリュージョンを排した行為としてのペインティングを行なう方法論によって、戦後アメリカ美術の地位を飛躍的に向上させることとなった抽象表現主義の流れを汲みながらも、アメリカの日常的な事物や雑誌や新聞などの画像を画面に取り込むことで、さらに画面の平面化を推し進めたとされるネオ・ダダの旗手、ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg, 1925-2008)。そのラウシェンバーグが1997年、ニューヨーク市にあるソロモン・R・グッゲンハイム美術館(Solomon R. Guggenheim Museum, New York)で300点近い作品を集めて開催された大規模な回顧展「Robert Rauschenberg: A Retrospective」に際し、同美術館の賛助会員のために制作したミックスド・メディアによるオリジナル・プリント。その当時購読していたアメリカの美術雑誌に掲載された広告を見て申し込んだ。この作品は、ラウシェンバーグの絵画制作の特徴であるコンバイン・ペインティングを想起させる、身の回りにある種々雑多な物や画像を寄せ集め、それに抽象表現主義的なペインティングを加えた作品となっており、その即物性を高めるために、マージンを省き、イメージに合わせてシートの縁を裁断している。ラウシェンバーグのようなアメリカ的な土壌によって成立している作品は、“アメ車”のそれに似て、日本人の文化的資質や嗜好にすべからく合致するものではなく、鑑賞の対象にはなり得ても、収集の対象に上る頻度は低いのではないかと思われる。

版元であるグッゲンハイム美術館では現在、ロバート・ラウシェンバーグ財団の協力を得て、ラウシェンバーグの作品を恒常的に展示する新館の建設を計画しているとのことであるが、この他にも、スペインのビルバオを始め、世界各地で相次いでアメリカの現代美術を中心に紹介する近現代美術専門の分館を開館している。かつて抽象表現主義の運動がアメリカの先進性を誇示するために政治的に利用されたことがあったが、ラウシェンバーグのヴェネツィア・ビエンナーレでの国際大賞受賞もその成果のひとつであり、グッゲンハイム美術館の分構想も、アメリカの世界戦略のひとつなのであろうか。しかし一方で、美術館運営の現状というものを考えてみると、そこには世界的不況による寄付金の減少や、美術品の価格の高騰による収集費用の不足などの問題を抱えており、美術館がこれまで果してきた収集・保存、展示、研究、そして教育普及といった役割は当然のことながら、館の特色を生かしつつ財政的自立を維持していくためには、美術館や収蔵品の価値を活かしたブランドイメージを構築し、スペクタクルの視点を取り入れた観光資源としての在り方も模索していかざるを得ない状況があるのかもしれない。

●作家:Robert Rauschenberg(1925-2008)
●題名:Tag
●サイズ:467x400mm
●技法:Color screenprint, offset lithograph and embossing
●限定:500
●発行:Solomon R. Guggenheim Museum New York
●制作年:1997
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同展の図録の書影:「Robert Rauschenberg: A Retrospective」by Hopps, Walter and Susan Davidson, 632 pages with 490 full-color and 245 black-and-white reproductions. 250x292x50mm
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by galleria-iska | 2012-09-22 18:41 | その他 | Comments(0)
2012年 09月 21日

デュアン・マイケルズの写真解説書「The Photographic Illusion:Duane Michals」(1975)

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1983年というと、今から30年近く前のことになってしまうが、イギリスのロックバンド、ポリスがその絶頂期に発表した5作目にして最後のレコードアルバム「シンクロニシティー(Synchronicity)」はこの年アメリカだけで800万枚を超えるビッグセールスを記録し、日本でも話題になったが、このアルバムのジャケットとインナースリーヴの写真を撮影したのが、デュアン・マイケルズ(Duane Michals, 1932-)というアメリカ合衆国の写真家であることは、それが作家の創作活動のマージナルな部分であるという点もあるが、(写真界の人間には)あまり知られていないようである。そのことはまた、このジャケットを目にしたであろう千万を越えるポリスのファンがマイケルズの写真に関心を持つ可能性をも予見させはしないだろうか。このアルバムのタイトルにもなった「シンクロニシテイー(邦題)」は、メンバーの一人でベーシストのスティング(Sting)が、カール・ユングが提唱した、“意味のある偶然の一致”という、非因果的な複数の事象の生起を決定する法則原理としての“シンクロニシティ(共時性)”(註:1)に刺激を受けて作詩・作曲した曲で、その事象を視覚化するために起用されたのが、フォト・シークエンス(photo-sequences)という連続する写真による寓意性に富んだ作品を制作していたマイケルズである。ジャケットにはユングの著書「Synchronicity: An Acausal Connecting Principle(シンクロニシティ:非因果的連関の原則)を手にするスティングやその大意がレイアウトされ写真が使われ、赤、青、黄の色の帯によって分割レイアウトされた、メンバーそれぞれの意識の流れを追ったようなマイケルズのモノクロの写真に、制作の意図を測りかね、戸惑いを覚えたファンも多かったのではないだろうか。

マイケルズの作品は、1960年代中葉に始められた、フォト・シークエンスという、それまでの写真の概念や表現には無かった連続した写真による物語性を持つ作品と、写真と彼の手書きによるセクシャリティーや生や死、差別や宗教に関する想いや思考を綴ったテキストによる表現からなる。このような表現方法は、現実を忠実に再現する写真による表現法での掴みきれない、夢や恐怖、願望などの体験が現実そのものを構成していると考えるマイケルズが、そこにあるものとしての現実の記録として写真とは距離を置き、マイケルズ自身によって創り出された、イマジネーションによる仮想の現実、つまり人間の内的体験の表出に向った結果生み出された形式である。年譜によれば、マイケルズは1932年にペンシルベニア州マッキーズポート (McKeesport) に生まれ、高校のときにアーティストになること意識し、1949年に奨学金を得てコロラド州のデンバー大学(University of Denver)に入学し美術を学び、1953年に卒業。この頃、ルネッサンスからシュルレアリスムの画家マグリットやバルテュス、デ・キリコなどの作品に強い関心を持つ。卒業後すぐに徴兵されドイツでの兵役に就く。1956年に除隊し、グラフィック・デザイナーを目指しニューヨークに出てパーソンズ・デザインスクール(Parsons School of Design) に入学するが、翌年学校を去り、雑誌「Dance」に就職、アシスタント・アートディレクターを経験した後、1958年にタイム社の出版部門に転職し、雑誌のレイアウトを担当する。 その年、三週間の休暇を取り、外国人の観光が解禁されたソ連を旅する。友人から借りたアメリカ製の写真機「アーガスC3(Argus C3)」を使い、旅先で出会った子供や水兵、労働者のスナップショットを数多く撮影(註:2)、それを見て写真家を志すこととなる。タイム社を退社した後、商業写真の分野での経験を積み、1961年以降は、「エスクァイア」(Esquire) や「マドモアゼル」(Mademoiselle) 、ホライズン「Horizon」等の雑誌や広告に作品を提供するフリーランスの写真家として収入を得るようになる。1974年には、「グレート・ギャツビー」の映画化に際して「ヴォーグ」の特集記事を担当している。これらの商業写真((註:3)による収入が個人的な作品制作の支えとなった。

そのマイケルズの人となり、写真制作の背景や意図、そしてその手法などを彼自身の言葉や豊富な図版を使って解説したのが本書「The Photographic Illusion: Duane Michals」で、様々なジャンルで活躍する写真家の核心に迫る《Masters of Contemporary Photography》シリーズの一冊として、1975年、アメリカ(Alskog, Inc.)とイギリス(Tames and Hudson, Ltd.)で同時に刊行された。

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スウェーデン生まれのアメリカ合衆国のポップアートの彫刻家、クレス・オルデンバーグ(Claes Oldenburg, 1929- )を撮った写真。日常的な物を主題として取り上げ、それを非彫刻的な素材で複製化したり、巨大なモニュメントとして提示する。マイケルズはオルデンバーグのその方法論を援用し、彼の顔をルーペで拡大して見せている。
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上の写真と同様、マイケルズが自らの写真撮影の現場を撮らせたもの。
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1965年に尊敬するベルギーのシュルレアリスムの画家ルネ・マグリット (René Magritte, 1898-1967) を訪ねたマイケルズは、マグリットのスタイルを模倣した肖像写真を何点も制作している。この写真は、正面を向くマグリットと横を向くマグリットを三回の多重露出で撮影したもの。
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マイケルズのファッション写真の1枚で、フランスの画家バルテュス(Balthus, 1908-2001)の視線が交差しない登場人物たちによって構成された緊張感のある構図に影響を受けたもの。

●作家:Duane Michals(1932-)
●種類:Photography book
●題名:The Photographic Illusion: Duane Michals
●サイズ:273x208mm
●技法:Offet
●発行:Thames and Hudson, Ltd., London
●制作年:1975
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1999年に東京の小田急美術館で開催された日本で初めての回顧展。日本(の写真界)ではマイケルズは“コンポラ”写真を実践する写真家の一人として日本の写真家の進むべき指標となったが、実際に写真が紹介されることはなかったかもしれない。個展という形でマイケルズの写真を日本に初めて紹介したのは神宮前のギャルリー・ワタリ(Galerie Watari, Tokyo)で、1983年に写真展を開催している。写真が現代美術の表現のひとつとして捉えられ始めた頃であろうか。
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同展のチラシ


註:
1:ユングは人間の無意識の奧底にある人類共通の素地としての集合的無意識と偶然という現象の意味ある関連として、意識されるこの世界が影響を受けるというシンクロニシティ(共時性)という概念を提示している。マイケルズがカバーアートの写真を担当したイギリスのロックバンド「The Police」の5作目のレコードアルバム「Synchronicity」(A&M SP3735, 1983)。オリジナルのアメリカ盤のジャケットには90種類以上のカバーアート・ヴァージョンが存在するといわれる。
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2.それらの写真により、1963年、初の展示会がにニューヨーク市のアンダーグラウンド・ギャラリー(Underground Gallery, New York)で開かれた。

3.商業写真に起用したモデルを自身の作品に使っているものもある。
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アメリカの製薬会社「Eli Lilly and Company, Indianapolis」の広告写真。「The Photographic Illusion: Duane Michals」より
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「Black is Ugly」。「不思議な国への招待状 ドゥェイン・マイケルズ写真展」の図録より
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by galleria-iska | 2012-09-21 20:07 | その他 | Comments(0)
2012年 09月 18日

キース・ヘリングのカシェ「Fight Aids Worldwide」(1990)

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キース・ヘリング(Keith haring, 1958-1990)が国際連合協会世界連盟(WFUNA=The World Federation of United Nations Associations)からの依頼でデザインしたカシェ(Cachet)三作目は、国連が発行したエイズ撲滅に関する記念切手「Fight AIDS Worldwide」の初日カバー(1990年3月16日)のためのもので、既にエイズを発症していたヘリングは、巨人(世界)がエイズに倒れる多くの人々を支える場面を描いたドローイングを制作している。国際連合協会世界連盟ではまた、このイメージを使ったリトグラフ-ヘリングが2月16日に亡くなったため署名は入れられていない-を限定1000部制作し、国際連合協会世界連盟の証明書付きで発行している。

1981年に初めて症例が発見・報告された後天性免疫不全症候群(エイズ=Aids)は、ほとんどすべての国に影響を与える流行を見せており、世界共通の健康問題のひとつとなっている。1987年、世界保健機関(WHO)に世界エイズプログラムが設置され、この世界的な脅威に対する基金の設立により、新薬の開発や治療法の研究が進められる一方、世界保健機関では1988年、世界規模でのエイズ蔓延の防止、エイズ患者やHIV感染者に対する差別・偏見の解消を目的とする世界エイズデーを定め、毎年12月1日を世界エイズデーとした。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●種類:Cachet
●題名:Fight Aids Worldwide
●技法:Offet lithograph
●サイズ:92x165mm
●発行:WFUNA( World Federation of the United Nations Associations)
●制作年:1990
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by galleria-iska | 2012-09-18 21:42 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2012年 09月 18日

キース・ヘリングのカシェ(2)「International Volunteer Day」(1988)

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キース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)が国際連合協会世界連盟(WFUNA=The World Federation of United Nations Associations)からの依頼でデザインしたカシェ(Cachet)二作目は、1988年に国連から発行された国際ボランティア・デー(註:1)の記念切手「International Volunteer Day」の初日カバー(1988年5月6日)のためのもので、ヘリングはボランティア精神を象徴する作品を制作している。国際連合協会世界連盟ではまた、このイメージを使ったリトグラフ(ヘリングの署名と年記入り)を限定1000部制作し、国際連合協会世界連盟の証明書付きで発行している。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●種類:Cachet
●題名:International Volunteer Day
●技法:Offet lithograph
●サイズ:92x163mm
●発行:WFUNA(World Federation of the United Nations Associations)
●制作年:1988
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註:
1.国連では1985年、世界中の経済と社会開発の推進を図るため、ボランティア活動の貢献に対する認識を高め、社会のあらゆる層からより多くの人々が、国の内外において、ボランティア活動に参加できる機運を高めることを目的に、毎年12月5日を国際ボランティア・デー《経済・社会開発のための国際ボランティア・デー(International Volunteer Day for Economic and Social Development )》として記念することを決議した。
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by galleria-iska | 2012-09-18 21:24 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2012年 09月 18日

キース・ヘリングのカシェ(1)「International Youth Day」(1984)

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国際連合協会世界連盟(WFUNA=The World Federation of United Nations Associations)では、国連が行なう様々なプログラムの資金の捻出を目的に、現代美術の著名な作家に国連が発行する記念切手の初日カバーのカシェ(Cachet)のデザインを依頼している。その内アンディ・ウォーホルとロバート・ラウシェンバーグがデザインしたカシェは既に取り上げたが、今回取り上げるのは、若い頃からボランティア活動に参加し、作家になってからも恵まれない子供たちへの支援活動やエイズ撲滅活動にも積極的に取り組んだキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)である。ヘリングは1984年、1988年、そして1990年の計三回、国際連合協会世界連盟からカシェのデザインを依頼されている。その第一作は、「国際青年年」(国際連合にて1985年1月1日に採択・署名された)を記念するために発行された記念切手「International Youth Day」の初日カバー(1984年11月15日)のためのもので、ヘリングは、地球(世界)を支える若者を描いた作品(85年の年記入り)を制作している。国際連合協会世界連盟ではまた、このイメージを使ったリトグラフ(ヘリングの署名入と年記入り)を限定1000部制作し、国際連合協会世界連盟の証明書付きで発行している。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●種類:Cachet
●題名:International Youth Day
●技法:Offet lithograph
●サイズ:92x164mm
●発行:WFUNA(World Federation of the United Nations Associations)
●制作年:1984
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by galleria-iska | 2012-09-18 21:13 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2012年 09月 09日

ホルスト・ヤンセンの画集の内容見本「Galerie Brockstedt」(1970)

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ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)は若い頃からモテ男であったが、その激しい気性(酒乱?)故に結婚と離婚を繰り返す。彼の結婚の中では一番長続きした三度目の妻のヴェレーナとの離婚の翌年にできた恋人ゲッシェ・ティーチェンス(Gesche Tietjens)とのスウェーデン南西部の漁村スヴァンスハルへ旅行が、ヤンセンを“風景”の発見へと導くことになる。これは、風景の発見に至るまでに制作された自画像を中心とする作品を収録した大型サイズ(385x285mm)の素描集「Horst Janssen:Zeichnungen」の内容見本である。表には出版内容が記載され、ヤンセンが素描集の特装版に添えるために制作した7点のエッチングが図版入りで紹介されている。裏側は素描集所収の図版のひとつであろうか、鉛筆によるヤンセンの自画像で、古びた写真のポートレートのように描かれたヤンセンが何やら神妙な面持ちでこちらを見つめている。これとよく似た表情を、8年後に撮られた写真(註:1)に見ることができる。1970年2月1日の日付のあるこの素描もスヴァンスハルで描かれたもので、翌日自己紹介が書き加えられている。

素描集は1970年に、ハンブルクのブロックシュテット画廊(Galerie Brocksetedt, Hamburg)の協力の下、ベルリンのプロピレン出版(Propyläen Verlag, Berlin)から刊行された。この素描集には続編があり、ヤンセンが風景に目覚めた1970年から72年にかけて描かれた作品を収録した更に大型(350x450mm)の素描集「Neue Zeichnungen」が、今度はティーチェンスとの別れの年となった1972年に同じくプロピレン出版から刊行されている。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●種類:Prosepectus
●サイズ:370x272mm
●技法:Offset
●発行:Galerie Brockstedt, Hamburg
●制作年:1970
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註:
1.ヤンセンの展覧会図録「Horst Janssen Retrospective auf Verdacht」(1982)所収の顔写真(撮影:Frtiz kempe、撮影日:1978年4月19日)。
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by galleria-iska | 2012-09-09 15:55 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)
2012年 09月 07日

ホルスト・ヤンセンのカバーアート「Franz Josef Degenhardt LP Records」(1967-1973)

旧西ドイツの政治活動家であり、弁護士で作家、そして何よりシンガーソングライターとして知られるフランツ・ヨーゼフ・デーゲンハルト(Franz Josef Degenhardt, 1931-2011)は1931年、ヴェストファーレン州のシュヴェルムに生まれる。1951年から56年にかけてケルンとフライブルクで法律を学び、1956年に第一次司法試験、1960年に第二次司法試験に合格する。1961年からザールブリュッケン大学の「ヨーロッパ法研究所」の助手として法律を研究、1966年に博士号を取得。デーゲンハルトは1961年に中道左派のドイツ社会民主党に入党し政治活動を行なうようになる。その一方で、社会に対する思いを詩に書き、作曲、自ら歌い始める。1963年にZwischen Null Uhr Null und Mitternacht ("Between 00:00 and Midnight," 1968年に"Rumpelstilzchen"と改題)でデビュー、1965年にリリースしたアルバム「 Spiel nicht mit den Schmuddelkindern ("Don't Play With the Grubby Children") 」のタイトル曲で一躍有名になり、ドイツにおける“68年運動”の声のひとつとなる。ホルスト・ヤンセンは1967年にリリースされた三作目のアルバム「Väte​rchen Franz」から1973年の「Kommt an den Tische unter Pflaumenbäumen」までの7作品のカバーアートを担当している。

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Franz Josef Degenhardt「Väte​rchen Franz」(Kabarett 237 829), 1967
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Franz Josef Degenhardt 「Wenn der Senator erzählt」(Kabarett 237 834), 1968
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Back cover
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Franz Josef Degenhardt 「Rumpelstilzchen」(Polydor 46 593), 1968
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Back cover
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Franz Josef Degenhardt 「Im Jahr der Schweine」(Polydoe 249 331), 1969
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Franz Josef Degenhardt 「Porträt」(Polydor 2638 009 - Box), 1969
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Back cover
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Booklet(1)
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Booklet(2)
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Booklet(3)
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Franz Josef Degenhard 「Die Wallfahrt zum big Zeppelin」(Polydor 2371 138), 1971
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Franz Josef Degenhardt 「Kommt an den Tische unter Pflaumenbäumen」(Polydor 237 1380), 1973

これらのレコードアルバムは、1982年にヤンセンのグラフィック作品の回顧展「Horst janssen Retrospective auf Verdacht」を開催したハンブルク美術工芸博物館(Museum für Kunst und Gewerbe Hamburg)(註:1)にも収蔵されている。これは図録に掲載された出品リスト(a~g)。
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註:
1.1874年に設立されたハンブルク美術工芸博物館の五十万点を超えるコレクションのうち日本美術は約一万点で、そのうち二千点が浮世絵作品となっている。浮世絵の収集は開館当初から開始されたとされており、ハンブルク出身のパリの美術商ジークフリート・ビング(1838~1905)や、日本の美術商、林忠正(1853~1906)らが大きく関わったのではないかと考えられている。2007年、ヤンセンの多くの画集の編集に携わり、浮世絵コレクターでもあった故ゲルハルト・シャック(Gerhard Schack, 1929~2007)から、浮世絵版画約二千点、掛幅四十点、スケッチ類千六百点、版本三百点などに及ぶ質量ともに一級のコレクションが遺贈された。これによりハンブルク美術工芸博物館の浮世絵作品は五千点を超えることとなった。
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by galleria-iska | 2012-09-07 19:47 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)
2012年 09月 06日

ホルスト・アンテスの図録「ANTES」(1960)

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もうかれこれ20年以上前のことになるが、ジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)が1960年代初頭に制作したリトグラフの連作「シリーズI」所収の「Série I, bleu et vert sur lavis rouge(Series I, blue and green on red wash)」を購入したことから、ヨーロッパにおけるアンフォルメルの動きとその影響について興味を持ったことがある。ミロのような直接的な影響からシャガールのような具象作家の筆遣いにまでそのような痕跡を見つけることができ、この運動の根底にある生の衝動の凄まじさを感じた。またその資料として購入したのが、1987年にオーストラリア国立美術館で開催された「The Spontaneous Gesture」という、抽象表現主義が世界を席巻した時代に制作された版画や挿絵本を集めた展覧会の図録で、スーラージュやアペル、少し下ってタピエスなどの作家の版画購入の際に参考にした。購入した版画はその後、抽象表現主義的な筆触を残しながらも、地図や数字などの記号的な図像を用いた画面によって絵画の平面性を推し進めたとされる、ネオダダの作家ジャスパー・ジョーンズが1967年に制作したリトグラフ「Numbers」(Ed.35)の購入資金の一部となったが、手にした作品は、その現代美術における価値はともかく、ヨーロッパの作家の版画作品に馴染んでいた目には、リトグラフ作品としての魅力を感じることはできなかった。資本主義的な上昇志向も無く、根が貧乏人であるため、自分のような者が持っているべきではない、という声が頭の中から聞こえてきて、どうも落ち着かない。「貧乏人は麦を食え!」ではないが、ポスターや図録ぐらいが己の器に合っているように思う。結局ジョーンズの版画は、ポップアート関係のエフェメラやリー・フリードランダー(Lee Friedlander, 1934-)などの写真集に代わった。

今では「頭足人(Kopffüßler)」の作家として知られるドイツ ヘッペンハイム生まれの画家で彫刻家のホルスト・アンテス(Horst Antes, 1936-)は、アンフォルメルとは全く無縁と思える作風であるが、アンテスが1960年にケルンのシュピーゲル画廊(Galerie Der Spiegel, Köln)で最初の個展を開催した際に刊行された図録の書影を海外の古書店の目録で目にしたときは驚いた。アンテスは1957年から59年まで、現在は国立になったカールスルーヘ美術アカデミー(Akademie der Bildenden Künste in Karlsruhe)に学んでいるが、師事したのは、1955年にドイツ表現主義の画家兼版画家のエーリッヒ・ヘッケル( Erich Heckel, 1883-1970)の後任として赴任し、1960年まで教授職にあった、木版画を得意とする画家のヘルムート・アンドレアス・パウル・グリースハーバー(HAP=Helmut Andreas Paul Grieshaber, 1909-1981)である。アンテスの初期の絵画は、ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning, 1904- 1997)に見られる具象とアンフォルメルの間の道を探していたが、1960年頃に、その後の彼の創作の原点となる「頭足人」を発見することにより大きく変貌する。この図録には展覧会に出品された作品ではなく、デ・クーニングばりの激しい筆触で描かれた、モノクロ3点、カラー4点、計7点のオリジナル・リトグラフが収められている。それは奇しくも、ピカソやマチス、ミロなどに影響を受け、折衷的なスタイルで制作していたロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein, 1923-1997)が、当時まだ絵画の本流であった抽象表現主義風の作品の売り込みに失敗し、大衆的なイメージを主題とするポップアートに活路を見い出そうとした時期と重なる。

●作家:Horst Antes(1936-)
●種類:Catalogue
●サイズ:381x261mm
●技法:Lithograph
●限定:200
●発行:Galerie Der Spiegel, Köln
●印刷:Wena Druckerei, Karlsruhe
●制作年:1960
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1987年にオーストラリアの国立美術館で行なわれた展覧会「The Spontaneous Gesture - prints and Books of the Abstract Expressionist Era」の図録
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ミロのリトグラフ「Series I, blue and green on red wash」1961、Ed.30
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by galleria-iska | 2012-09-06 20:49 | 図録類 | Comments(0)
2012年 09月 04日

ミンモ・パラディーノのポスター「Galleria Lucio Amelio」(1989)

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イタリアのナポリにあるルーチョ・アメリオ画廊が発行する展覧会ポスターは、作家のオリジナリティを活かしたデザインと厚手の上質紙を用いた印刷で定評がある。画廊を設立したのは、現代美術のディーラー、プロデューサーとして名高い、ナポリ生まれのルーチョ・アメリオ(Lucio Amelio, 1931-1994)で、アメリオは1965年にルーチョ・アメリオ画廊の前身となるモダンアート・エイジェンシー(Modern Art Agency)を設立、1969年に画廊の重要な契約作家となるヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys,1921‑1986)と出会い、1971年にルーチョ・アメリオ画廊の名でイタリアで初めてボイス展を開催している。1980年にはウォーホルによるボイスの肖像画展を開催。その年の11月に起きた「イルピーニャ地震」を受け、自然災害に対抗する芸術の力を示すことを目的に、地震を題材とする作品コレクション"Terrae Motus(地震)"を企画、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)、キース・ヘリング(Kieth Haring)、ギルバート・アンド・ジョージ(Gilbert & George)、ロバート・メイプルソープ( Robert Mapplethorpe)らの現代美術作家が作品制作に参加している。以前取り上げたメイプルソープ展のポスターに使われた聖母マリアの象徴である百合の花を持つ黒人のヌード「Dennis with flowers」は、メイプルソープがこの企画のために制作した5点の写真からなる組写真"The Annunciation (受胎告知)"の内のひとつ。

アメリオは国際的評価のある作家を扱う一方、戦後生まれの若い世代の作家にも目を向け、イタリアのトランスアヴァンギャルドの作家のひとりであるミンモ・パラディーノ(Mimmo Paladino, 1948年-)を積極的にプロデュース、1977年から1989年までに計5回の個展を開催している。そのパラディーノも他のイタリア人作家とともに"Terrae Motus(地震)"の企画に参加、1981年に「Re uccisi al decadere della Forza=King killed the decay of the Force」という題の絵画作品を制作している。

このポスターはパラディーノのアメリオ画廊での最後の個展の際に制作されたもので、アメリオ画廊のポスターの特徴である作家のオリジナル・ドローイングと最小限の情報だけを手書き文字で書き入れる方法でデザインされている。画面中央には、パラディーノの宗教的関心、あるいは鎮魂の意を表すためであろうか、五本枝の燭台が“火”を象徴するであろう赤一色で描かれており、背景には、この個展に出品されたオブジェ作品を思わせる、縦に等間隔に引かれた罫線の上に火山礫のような石が並べられた画像が使われており、それは西暦79年に起きたヴェスヴィオ火山(Vesuvius)の噴火に因むものではないかと思われる。

アメリオは“Terrae Motus(地震)”コレクションに続き、新たにナポリに因んだ作品制作を契約作家に依頼、1985年、先ずウォーホルがヴェスヴィオ火山の噴火を描いた作品(版画を含む)を制作、ナポリの街を見下ろす高台に建てられた古典美術を展示するカポディモンテ美術館を使って展示が行なわれた。次いでボイスがナポリで制作した遺作ともいえる「パラッツォ・レガーレ」の展示が行なわれたが、会期中にボイスが死亡したため、追悼展となり会期が延長された。パラディーノの作品もその企画に沿って制作されたものと思われる。その後も、クネリス、トゥオンブリー、ラウシェンバーグらの個展が開催されている。

●作家:Mimmo Paladino, (1948-)
●種類:Poster
●サイズ:688x487mm
●技法:Offset+lithograph
●発行:Galleria Lucio Amelio, Napoli
●制作年:1989
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by galleria-iska | 2012-09-04 17:02 | ポスター/メイラー | Comments(0)