ガレリア・イスカ通信

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2013年 09月 29日

フランソワ・ボワロンの年賀状「Bonne Année 87」(1986)

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猛暑続きの今年の夏は、テレビ・コマーシャルにつられて連れ合いが買ってきてくれたアルジェリア生まれの炭酸飲料、オランジーナ(Orangina)に何度も喉を乾きを癒された。フランスの広告にもあるように、暑く乾いた気候に相応しい、きりっとした飲み口かと思っていたのだが、ファンタ・オレンジを意識したのか、日本風の味付けに変えられ、なにか肝心なものが抜け落ちてしまったような気がした。

そのオランジーナの製造元であるフランスのオランジーナ社は1972年、炭酸がボトルの底に沈殿するという欠点に対応するため、ボトルを振ってから飲むという趣旨のもと、フランスの映画監督ジャン=ジャック・アノー(Jean-Jacques Annaud, 1943-)とピエール・エテ(Pierre Étaix, 1928-)による初のテレビ・コマーシャル "Le Tic du barman " ("The barman's twitch")を制作したのだが、1986年にその続編ではないかと思われる広告用の短編アニメーション『Orangina "Barman Story"』(1986年)が制作された。制作には、1950年代から70年代に活躍したフランスの映画監督ミッシェル・ボワロン(Michel Boisrond,1921-2002)の息子で、フランスの1980年代に興ったフランスの具象絵画運動“フィギュラシオン・リーヴル”(Figuration Libre)の作家のひとりであるフランソワ・ボワロン(François Boisrond, 1959-)(註1)が参加している。ボワロンは原画を制作し、映画監督のオリヴィエ・エスマン(Olivier Esmein)と共同で監督を行ない、脚本にも参加している。このアニメーションは1987年に、カナダのフレデリック・バック(Frédéric Back, 1924-)がジャン・ジオノ原作の『木を植えた男』(L'homme qui plantait des arbres)でグランプリ、Canal+ 賞、観客賞を受賞したアヌシー国際アニメーション映画祭 (Festival International du Film d'Animation d'Annecy)(註2)で、広告映画賞〈Prix du film publicitaire/Award for the best advertising film〉を受賞している。

カクテルにも使われるオランジーナであるが、そのオランジーナの肩を相棒よろしく抱くバーマン(バーテンダー)を描いたこの年賀状、アニメーション用の原画の延長線上にあるように思われる。

●作家:François Boisrond(1959-)
●種類:Carte de voeux(New Year Greeetings)
●サイズ:91x210mm(91x420mm)
●技法:Sérigraphie(Silkscreen)
●制作年:1986
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註:

1.アメリカのキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)と同年代のボワロンは、1978年から1981年までパリ国立装飾美術学校(l'École nationale supérieure des arts décoratifs)に学び、そこで同い年のエルヴェ・ティ・ローザ(Hervé Di Rosa,1959-)と出会い、ロベール・コンバス(Robert Combas,1957-)、レミ・ブランシャール(Rémi Blanchard,1958-)と共に“フィギュラション・リーブル”の運動に参加する。絵画以外にも、ポスター作家(affichistes)として数多くのポスターを制作、また壁画や絵本の制作も行なうなど、へリングの活動との共通点が見られる。2000年からはパリ国立高等美術学校(l’Ecole Nationale Supérieure des Beaux-Arts de Paris)の絵画教授となっている。

2.1992年には、スタジオジブリ制作の長編アニメーション『紅の豚』《監督、脚本、原作:宮﨑 駿(Hayao Miyazaki, 1941-)》が長編映画賞を受賞している。
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by galleria-iska | 2013-09-29 16:59 | その他 | Comments(3)
2013年 09月 23日

ロバート・ラウシェンバーグのポスター「Jewish Museum Poster」(1963)

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アメリカの20世紀現代美術を代表する作家のひとり、ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg, 1925-2006)は、版画家としても数多くの作品を残しているが、同時にポスターの制作にも力を入れており、生涯に120点を超すポスターのデザインを行なっている。そのラウシェンバーグが最初にデザインしたのが、美術館での最初の個展として、1963年にニューヨーク市にあるジューイッシュ美術館(The Jewish Museum)で行なわれた展覧会の告知用のポスターである。ポスターはリトグラフで制作されている。展覧会を開催したジューイッシュ美術館は1904年、ユダヤ文化の注目すべき拡がりと多様性を探求するべく、ユダヤ教の神学校の図書館内に併設されたが、1944年からは、ドイツ生まれの銀行家で慈善家であったフェリックス・ワールブルク(Felix Warburg, 1871-1937)の未亡人から寄贈された邸宅を美術館として使用、現在に至る。1960年代に入ると現代美術の紹介(註1)も行なうようになるが、その嚆矢となったのが、ロバート・ラウシェンバーグの個展である。

ポスターの印刷を行なったのは、ロシア系ユダヤ人(Tatyyana Auguschewitsch)として1904年にシベリアに生まれたタチアナ・グロスマン(Tatyyana Grosman, 1904-1982)(註:1)が1957年にニューヨーク州ロングアイランド、ウェスト・アイスリップに設立したリトグラフの版画工房、ユニバーサル・リミテッド・アート・エディションズ(Universal Limited Art Editions)である。ラウシェンバーグにリトグラフの制作を勧めたのはグロスマンで、1962年に最初のリトグラフをこの工房で制作している。傑作は往々にして作家がそのスタイルを創造した直後に生み出されることが多いが、ラウシェンバーグについても例外ではなかったようである。この年の初めに同工房で制作された「アクシデント(Accident)」がユーゴスラビア(現スロヴェニア)の首都リュブリャナで開催された国際版画ビエンナーレ(Biennial of Graphic Art Yugoslavia-Ljubljana)の大賞を受賞し、ラウシェンバーグの版画の革新性が世界に認められたからである。その意味において、同じ年に制作されたこのポスターについても、ピカソやミロなどと同様、ラウシェンバーグ独自のオリジナリティーを確立しており、その後のポスター制作の方向性を示す重要な役割を果たしたと言えよう。

このポスターでもそうであるが、ラウシェンバーグが1962年から64年にかけて制作したリトグラフは、ニュヨーク・タイムズ(The New York Times)誌やヘラルド・トリビューン(The Herald Tribune)誌に掲載された写真図版用のハーフトーンの版を利用しており、それらをコラージュ風にリトグラフ用の石灰石に転写し、それに抽象表現主義風の激しい筆致を加えたもので、彼の創作の目的である「芸術作品をつくることではなく、芸術と生活の橋渡しをすることだ」言葉を体現する、日常生活の中で目にするイメージと純粋な芸術的な衝動を組み合わせた作品となっている。

●作家:Robert Rauschenberg(1925-2008)
●種類:Poster
●題名:The Jewish Museum Poster
●サイズ:814x561mm
●技法:Offset Lithograph
●発行:Jewish Museum, New York
●印刷:Universal Limited Art Editions(ULAE), New York
●制作年:1963
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註:
1.1960年代にジューイッシュ美術館で開催された現代美術に関する展覧会:
「Jasper Johns」1964
「Recent American Sculpture」1964
「Max Ernst: Sculpture and Recent Painting」1966
「Richard Smith」1968

2.ロバート・ラウシェンバーグ《アクシデント》1963年
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●技法:Lithograph
●サイズ:973x700mm(1050x750mm)
●限定:29
●発行:Universal Limited Art Editions, West Islip, New York
●印刷:Universal Limited Art Editions, West Islip, New York


註:

1.シベリア生まれのタチアナ・グロスマンはロシア革命の最中、日本に渡り日本美術に魅了される。その後ヴェネツィアを経てドレスデンに到着、ドレスデン応用芸術アカデミーでデッサンと服飾デザインを学び、1928年、日本の美から着想を得たドローイングを基に制作した東洋風の衣装で最高賞を受賞。1931年にポーランド系ユダヤ人のモーリス・グロスマン(Maurice Grosman, 1900-1976)結婚。1932年、ナチの台頭による危険から逃れるためにパリに渡るが、1940年、ナチのパリ侵攻二日前に脱出、バルセロナ経由で、1943年にアメリカに移住する。



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by galleria-iska | 2013-09-23 19:25 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2013年 09月 12日

クラレンス・ジョン・ラフリン追悼展の案内状「Robert Miller Gallery」(1991)

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アメリカ南部でシュルリアリスティックな写真を創造したクラレンス・ジョン・ラフリン(Clarence John Laughlin, 1905-1985)のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)での追悼展の三つ折りの案内状。見ていて、西海岸を代表するラフリンと同時代的な写真家ウィン・バロック(Wynn Bullock, 1902-1975)(注)の写真との関連性を想像させる作品が目に留まった。案内状の内側に掲載された「Strange Dialogue」という、破れた網戸が隠喩的な働きを持つラフリンの1957年の作品なのだが、バロックがニューヨーク近代美術館で開催された伝説的な展覧会「The Family of Man( 人間家族)」に「Child in Forest(森の幼女)」(1951年)と「Let There Be Light(そこに光あれ)」(1954年) を出展し注目を集めた翌年の1955年に撮影した「Eric」と56年の「Lucia」《ヌード写真と言う観点から見れば、マン・レイの「Retour à la Raison」(1923)やエドワード・ウエストンの「Nude」(1926)の影響を感じさせる》という、廃屋となった小屋の網戸越しに人物を撮影した作品が脳裏に浮んだのである。しかしながら、それだけでは単なる推測に終わってしまうのだが、実はラフリンは1956年、バロックが撮影のために用いた廃屋でバロックの姿(注1)を撮影しており、そこで撮影されたバロックの作品を見ている可能性があるのである。シュルレアリスティックな視点を持ったラフリンと独特な自然観を持ったバロックとは、写真に対するアプローチの仕方は異なるが、幾つかの写真において、被写体の選択に何らかの関連性を思わせるものがあり、ここではバロックの写真の中に何かしら自分の写真のヒントになるものを見い出したのではないだろうか、と思った次第。

二人とは別に、もう一人アメリカを代表する写真家のひとりで、同世代のマイナー・ホワイト(Minor White, 1908-1976)(注1)も、この年の10月29日に「Ashes Are for Burning」と題されたシークエンス写真のひとつとして、「The Three Thirds(Pike, New York)」を撮影しているが、それもまた廃屋の窓枠を被写体としており、そこでは割れたガラスに映りこむ空と屋内の漆黒の空間が対比されている。これら三点の写真が撮影された1950年代中葉と言えば、アメリカが大いなる繁栄を謳歌していた時期であるが、絶え間なく進む工業化の中で、リアリティーの追求が自然の造り出した風景から人間が造り出したものへと変化する時代の到来と重なり、相互依存的な関係を続けてきた人間と自然との関係に何らかの齟齬が生じ始めて来た中で、自然と人間との関係を捉え直そうとする写真家の目がそこにあったのかもしれない。

●作家:Clarence John Laughlin(1905-1985)
●種類:Invitation
●サイズ:267x210mm(267x626mm)
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1991
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Wynn Bullock:「Lucia」(1956)
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Wynn Bullock:「Erik」(1955)


註:

1.ウィン・バロックは写真家になる前は声楽家として知られており、1920年代に演奏旅行でヨーロッパに渡り、パリ滞在中に印象派や後期印象派に触れることで視覚芸術への目を覚まし、後年バロックの実験的な写真制作に影響を与えるマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)の“レイヨグラフ”やモホリ=ナジ(Moholy-Nagy、1895-1946)の“フォトグラム”に出合っている。写真家としてのデビューは1941年と遅咲きであるが、1948年にエドワード・ウエストンと出合ったことで、独自のストレイト・フォトグラフィを追求することなる。
2.Clarence John Laughlin:「The Photographer as Explorer of Space and Light 1956 (Wynn Bullock)」(Gelatin silver print)
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2.1908年にミネソタ州のミネアポリス生まれ。1938年にオレゴン州ポートランドに引っ越し、アンセル・アダムスの紹介で1946年から1953年までカルフォルニア美術学校で写真を教え、1952年にアンセル・アダムスらと写真雑誌「アパチュアー(Aperture)」を創刊した。
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by galleria-iska | 2013-09-12 12:10 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2013年 09月 02日

キース・へリングのポスター「Lucky Strike Poster」(1987)

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キース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)が1987年にブリティッシュ・アメリカン・タバコ《the British American Tobacco(BAT)》のブランドのひとつであるラッキー・ストライクをモチーフに制作した5点の連作版画「Lucky Strike」から3点のイメージをポスターに転用したもの。小品の版画作品(297x210mm)と比べ三倍以上のサイズで作られたポスターはなかなか見ごたえのあるものとなっており、ヘリングが1983年にデザインした第17回モントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux 1983 17ème Festival de Jazz)の公式ポスター(1000x700mm)と同じく、印刷はスイスはベルンにあるシルクスクリーン工房、アルビン・ウルドリー(Albin Uldry, Bern)で行なわれている。後年、オフセット・リトグラフによるリプリントが同じフォーマットで作られているが、正規のものかどうかは定かではない。

へリングはこの年、東京多摩市にある複合文化施設“パルテノン多摩(Parthenon Tama)”の開館記念企画の際に来館し、多摩市の子供たち440名とともに行なったワークショップで、オブジェ・ツリーと「平和」と「ぼくのまち」という8点の壁画を制作している。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●種類:Poster
●サイズ:1000x700mm
●技法:Silkscreen
●印刷:Albin Uldry, Bern, Swizerland
●発行:Lucky Strike B.A.T. Hamburg
●制作年:1987

シート左下の余白には、3点共通で、次のような記載がある:
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2013年9月23日追記:
ポスターを印刷したシルクスクリーン工房、アルビン・ウルドリーに問い合わせたところ、オフセット・リトグラフによるリプリントの可能性は否定できないとの回答を得た。同工房では1989年を最後にリプリントは行なっておらず、また同じく3点連作の第17回モントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival 1983)の公式ポスターについては、2012年にリプリントを行なったとのことであった。

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by galleria-iska | 2013-09-02 19:48 | キース・へリング関係 | Comments(0)