ガレリア・イスカ通信

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2014年 06月 25日

サウル・スタインバーグのポスター「Whitney Museum of American Art」(1978)

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描かれている内容よりも描くという行為を強く感じさせる絵画をアクション・ペインティングと呼び、アメリカにおける抽象表現主義を理論的に擁護した美術評論家ハロルド・ローゼンバーグ(Harold Rosenberg, 1906-1978)が最晩年の1978年にキュレーションに参加したサウル・スタインバーグ(Saul Steinberg, 1914-1999)のホイットニー美術館(Whitney Museum of American Art, New York)での回顧展『Saul Steinberg』の告知用ポスター。原画は1974年に制作されたドローイング(註1)。抽象表現主義の擁護者であったローゼンバーグが、なぜ正反対とも思えるスタインバーグの作品を評価したのかは、彼がスタインバーグについて語った言葉:
Steinberg is a milestone that can never been classified in art history. When you see many of his works, first you can think he is the best illustrator ever. Excellence in his lines would make you miss the point that he is more than a caricaturist; an illusionist, philosopher, a writer using not words but lines.
に見ることができる。ローゼンバーグは1960年代からスタインバーグの批評を行なっており、この展覧会の図録(註2)のテキストも担当している。漫画家としてまたイラストレイターとして幅広く活躍したユダヤ系ポーランド人のスタインバーグは1914年にルーマニア南東部の小さな町《Ramnicul-Sarat》に生まれる。1932年にブカレスト大学に入学し、哲学と文学を学ぶも、翌年、ミラノの《Politecnico》に建築科の学生として入学、1933年、学業の間を縫って、ミラノの隔週発行のユーモア新聞《Bertoldo》に漫画を発表、1940年にはアメリカの雑誌『ライフ(Life)』や『ハーパーズ・バザール(Harper’s Bazaar)』にドローイングが掲載される。その年、建築科を卒業。1941年にイタリアを経ち、リスボン経由でニューヨーク市に到着、翌年移民申請を行ない、海軍に入隊、1943年にアメリカ市民となる。1950年には、ローゼンバーグなどが推す作家の展覧会を開催したベティ・パーソンズ・ギャラリー(註3)で個展を開催している。スタインバーグの線による作品、その最良のものは1950年代半ばまでに制作されたものであるが、それらの作品を収録した作品集は高価であるため、1955年にパリのガリマール書店から刊行された作品集『Steinberg Dessins』(註4)がお勧めである。

●作家:Saul Steinberg(1914-1999)
●種類:Poster
●サイズ:914x610mm(36x24 inches)
●技法:Offset
●発行:Whiney Museum of American Art, New York
●制作年:1978

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                     イメージ左下
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             イメージ右下。用紙の表面には、簀の目紙(laid paper)特有のテクスチュアーが浮き出ている。
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ポスターの印刷には、製紙工場の透かしの入ったクリーム色の簀の目紙(laid paper)が使われている。


註:

1.
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スタインバーグの回顧展の図録(下記参照)より

2.
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                表紙
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                裏表紙
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                扉
サウル・スタインバーグの1940年代後半から1978年までの作品による回顧展の図録:『Saul Steinberg(サウル・スタインバーグ)』1978年、発行:Alfred A. Knopf, New York, 著者:Harold Rosenberg、図版:274点(内64点はカラー)、266x273mm、256ページ。

3.1900年、ニューヨーク市の裕福な家庭に生まれたべティ・パーソンズ(Betty Parsons, 1900-1982)は1913年、アーモリー・ショウを訪れ、現代美術に驚嘆、両親の反対を押し切って絵画を学び始める。1919年に結婚するも三年後に性格の不一致が原因でパリで離婚。そのままパリに滞在し、私立のアカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエール(Académie de la Grande Chaumière)でブールデルやザッキンに付き、彫刻を学び、夏の間はアーサー・リンゼイに絵画を学ぶ。1933年、大恐慌により所持金を使い果たし、アメリカに帰国、彫刻を教えながら各地を旅する。1936年、ニューヨーク市に戻り、最初の個展を開催。その後20年間で9回の個展を開く。個展を開催した画廊や別の画廊で働いた後、1940年、彼女自身が運営を任された画廊で働き、何人もの現代美術の作家と契約することとなる。その中にはサウル・スタインバーグ、アドルフ・ゴットリーフ(Adolph Gottlieb)、アルフォンソ・オソリオ(Alfonso Ossorio)、ジョセフ・コーネル(Joseph Cornell)などがいた。上記の図録によると、スタインバーグは1943年に最初の個展を彼女のところで開催したとある。1946年、ニューヨークに自身の名を冠した画廊を開き、1948年までにアメリカの抽象表現主義を語る上で欠かすことの出来ない、彼女が“ヨハネ黙示録の四人の馬乗り(four horsemen of the apocalypse)”と呼ぶバーネット・ニューマン(Barnett Newman)、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)、マーク・ロスコ(Mark Rothko),クリフォード・スティル(Clifford Still)の四人の画家と契約しており、スタインバーグも1950年に個展を開催している。ニューヨークのアートシーンに大きな足跡を残したべティ・パーソンズ画廊は1981年に35年の活動に終止符を打ち、その翌年パーソンズは亡くなる。

4.
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スタインバーグがパリに移住した1955年にガリマール書店から刊行した作品集「Steinberg Dessins」。スタインバーグの代表作である『All in line』(1945, Duel, Sloane & Pearce, New York)、『The art of living』(1949, Harper & Brothers, New York)、『The passport』(1954, Harper & Brothers, New York)所収のドローイングを中心に約250点のドローイングを収録。314x233mm、約200ページ、仏語。限定:5059部





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by galleria-iska | 2014-06-25 19:56 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 06月 23日

キース・ヘリングの包装紙「Pop Shop Wrapping Tissue Paper」(1980's)

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海外から入手したキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)のポップ・ショップのビニールバッグにレシートと一緒に入っていた、ヘリング デザインの文様がプリントされた商品保護のための薄葉紙(wrapping tissue paper)。ここに描かれている様々な図形は、それ自体が作品を構成するものではなく、ヘリングが線描で描いたモチーフや背景の空間を埋める際に使われ、自然と人間が未分化の状態にある原始社会において、装飾や儀礼、悪魔や病気などから身を守る呪術的な意味を持って施されるボディペイントを思わせるが、ここでは、地紋のように、それ自体がオール・オーヴァーな画面を形成する要素として機能している。

消耗品として扱われたこの包装紙をヘリングのオリジナル・プリントとして見るには、ある種の価値変換が行なわれなければならないが、それを権威的な意味付けを待って無批判に受け入れるか、自ら能動的に価値を見い出していくのかによって、自ずとヘリング芸術の持つ意味合いが異なってくる。これまでの“信仰”とともにある生活に代わって、“芸術”とともにある生活が、日常生活に意識変革をもたらし、新たな人間革新を行なう手段となることを、ヘリングは啓示として実践していたのである。

この包装紙には、ヘリングがデザインした幾つかの缶バッチ(註1)にもあるように、灰色(銀色?)の他に、金色で印刷されたものが存在している。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●種類:Wrapping tissue paper
●サイズ:510x762mm
●技法:Silkscreen
●発行:Keith Haring for Pop Shop
●制作年:Unknown(1980's)
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註:

1.キース・ヘリングの缶バッジ(銀と金)
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by galleria-iska | 2014-06-23 20:01 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2014年 06月 19日

ジョアン・ミロのポスター「Galerie Berggruen」(1971)

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20世紀スペインを代表する画家のひとりジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)が亡くなって早30年が過ぎたが、若い世代にミロの芸術が継承されていないのか、ネット社会になって美術に対する接し方が変わってしまったのか、最近、その名を聞くことがめっきり少なくなった。もっとも画廊ひとつない田舎に住んでいるのだから当たり前かもしれないが...。油彩や彫刻はさて置き、版画の価格が高騰して手が届かなくなってしまった訳ではないようで、オークションでは以前よりずっと低い価格で落札されているものもあるのにも拘わらずだ。いわゆる芸術作品のオーラを形成する、シュルレアリスムの画家としての位置付けや抽象絵画に対する敬意のようなもの、またそれらを好物とするスノビッシュな取り巻きといったものが影を潜め、何らかの意味を持つ存在として映らなくなってしまったのだろうか。はたまたコンピューター・グラフックスに慣れ親しんだ目には、人間的な手仕事感が鼻に付くようになってしまったのか...、時代を超えるための何かを試されているのかもしれない。

そのジョアン・ミロが、1971年11月から12月末にかけて、自ら創作した詩にリトグラフによる挿絵を添えた詩画集『金色の羽を持つトカゲ(Le Lézard aux Plumes d'Or)』(註1)の刊行に合わせ、パリのベルクグリュン画廊(Galerie Berggruen, Paris)での展示会のために制作した告知用ポスター(M.831)である。ミロは、挿絵とは別に、このポスターと図録(Plaquette de la collection Berggruen)(註2)用に新たにオリジナルのリトグラフ(M.833)をパリのムルロー工房で制作しており、それは難解とされるコンセプチュアル・アートとは対極にある、漢字の形象にインスピレーションを得、それにスペインの光と影のコントラストを強く意識させる原色の色使いを加えたミロ独特の、今流行りの“ゆるキャラ”を彷彿させる、ユーモラスな形象が見る目を愉しませてくれる。このポスターには、ミロがタイポグラフィの代わりに手書きで文字入れを行なった、限定500部(アルシュ紙300部、リーヴ紙200部)のデラックス・ヴァージョン(M.830)と、ミロが文字の代わりに即興的なドローイングと署名を入れた、限定150部の版画ヴァージョン(M.832)が存在しており、各々興味深い作品となっている。

ミロのリトグラフ・ポスターは、契約画廊のマーグ画廊が1960年に自前のリトグラフ工房(Arte, Adrien Maeght, Paris)を設立するまでは、ムルロー工房で制作されていたが、スペインの版元を除き、すぐにマーグ画廊の工房にその座を奪われてしまう。個人的にはムルロー工房の印刷の方が好みであるが、両者を見比べた印象は、ムルロー工房の印刷はインクが濃く、重厚感があって、機械刷りのポスターであっても、その質感が伝わってくるのだが、一方のマーグ画廊の工房の印刷は、ムルロー工房とは異なる特徴を出そうとしているためか、リトグラフとは思えないほど薄く、どうも安っぽく見えてしまう。そのムルロー工房も現代美術作家の多様な要望には応えられなかったようで、リトグラフ印刷の翳りと共に、閉鎖に追い込まれてしまうこととなる。

●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Poster
●題名:Le Lézard aux Plumes d'Or
●技法:Lithograph
●サイズ:710x495mm
●発行:Berggruen & Cie, Paris
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1971
●目録番号:M.831
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註:

1.Joan Miró『Le Lézard aux Plumes d'Or』 Louis Broder Éditeur, Paris, 1971 (M. 789-828; Cramer. books #148).ミロとシュルレアリスムの作家の詩画集の出版で知られるルイ・ブロデとのコラボレーションは1956年にブロデが刊行したシュルレアリスムの詩人ポール・エリュアール(Paul Éluard, 1895-1952)の詩集『Un poéme dans chaque livre』のためにエッチングとアクアチントによる銅版画一点を制作したのが始まりである。その後もシュルレアリスムの詩人たちの詩画集の制作に参加、翌1957年にはミロのエッチングとアクアチントによる5点の銅版画を添えたルネ・クルヴェル(René Crevel, 1900-1935)の詩『La Bague d'Aurore(オーロラの指輪)』とミロの最も美しい版画集とされる『Suite la Bague d'Aurore』を刊行。1959年にはルネ・シャールRené Char 1907–1988)の詩『Nous Avons』のために5点のエッチングとアクアチントによる銅版画を制作、同時にそれと関連する版画集「Fusées」を刊行。1965年、再びルネ・クレヴェルの詩『Feuilles Éparses』の挿絵のひとつとしてエッチングとアクアチントによる銅版画を制作、また同名の版画集ために3点のエッチングとアクアチントによる銅版画を制作している。1968年にはミロが1959年に制作したエッチングとアクアチントによる銅版画一点が版画集『La Magie Quotidienne』に所収、1971年の自身の詩とリトグラフによる挿絵からなる『金色の羽を持ったトカゲ』へと至る。

2.
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ベルクグリュン画廊での展示会の図録。220x116mm、24ページ、8点のカラー図版、同画廊50番目の図録として刊行された。表紙はミロが図録ために制作したオリジナル・リトグラフ(5色刷り)。このリトグラフは挿絵のひとつで、目録番号(M.794)の画面の一部を転用している。
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             図版:Le Lézard aux Plumes d'Or(M.794)
Berggruen & Cie, Paris 1971, broché sous couverture illustrée, np. (24 pp.), (220 x 116mm). 50ème plaquette de la collection Berggruen. La couverture est une lithographie originale en 5 couleurs, tirée par Mourlot, spécialement réalisé pour ce catalogue par Joan Miró. Plaquette édité spécialement à l'occasion de la présentation du livre "Le Lézard aux Plumes d'Or" des Éditions Louis Broder à la Galerie Berggruen. 8 reproductions en couleurs et texte de justification de l'édition
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               裏表紙+表表紙
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by galleria-iska | 2014-06-19 12:07 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 06月 18日

マリノ・マリーニのポスター「Olympische Spiele München 1972」(1972)

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6月12日付けの記事に関連して、今回もマリノ・マリーニ(Marino Marini, 1901-1980)のポスターである。夏のオリンピックとして、1972年にミュンヘンで開催された第二十回オリンピック・ゲーム(The Games of the XX Olympiad)の公式ポスターのうちのアート・ポスター・シリーズ(註1)のひとつとして、《馬術》をテーマにマリーニが手掛けたもの。アート・ポスター・シリーズはミュンヘン・オリンピックから始まったもので、創造的で独創的なイメージによってスポーツと芸術との融合を図るとともに、組織委員会の費用の捻出を図るのが目的で、グラフィック・デザイナーによる広報用の公式ポスターとは別に、世界的に活躍する作家にデザインを依頼し制作された。ポスターにはコレクター向けの限定200部(註2)の署名入りのものと限定4000部(註3)の無署名のものがある。ここで取り上げるのは後者の方で、上部および左右のマージンが裁ち落されている。

●作家:Marino Marini(1901-1980)
●種類:Poster
●サイズ:1017x637mm
●技法:Color lithograph
●限定:4000
●紙質:Arches(?)
●発行:Edition Olympia 1972 GmbH
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1972
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マリーニの版上サイン
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20世紀のドイツを代表するグラフック・デザイナーでタイポグラファーのオトル・アイヒャー(Otl Aicher, 1922-1991)原案の大会のエンブレムの下に、版権の表記と印刷を行なったムルロー工房の名が記されている。




註:

1.アート・ポスター・シリーズに参加した28名のアーティストは以下のとおり:
Valerio Adami - Josef Albers - Otmar Alt - Horst Antes - Shusaka Arakawa - Max Bill - Eduardo Chillida - Allan D'Arcangelo - Alan Davie - Piero Dorazio - Hans Hartung - David Hockney - F. Hundertwasser - Allen Jones - R.B. Kitaj - Oskar Kokoschka - Charles Lapicque - Jacob Lawrence - Jan Lenica - Marino Marini - Peter Philipps - Serge Poliakoff - Richard Smith - Pierre Soulages - Victor Vasarely - Tom Wesselmann - Fritz Winter - Paul Wunderlich

2.
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図版:マリーニの限定200部の署名入りリトグラフ「Edition Olympia」、1050x695mm。20色刷り。作品の価格は作家によって異なるが、300~700ドイツ・マルクで販売された。

3.版上サイン入りの3999部ないし4000部が印刷され、その内の2000部がミュンヘンのストゥーディオ・ブルックマン・クンスト・イン・ドルック・ファイン・アート社《Studio Bruckmann Kunst im Druck Fine Art GmbH, München》によって、後の2000部はニューヨーク市のケネディ・グラフックス(Kennedy Graphics, New York)によって販売された。価格は署名入りの十分の一に当たる30~70ドイツ・マルク。

4.
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図版:廉価版のポスター。上記二つのヴァージョンの他に、シートの左下角に《Reproduktions Plakate》と記された 一般向けのオフセット印刷による廉価版(open edition)が存在している。廉価版は1970年と1971年に4つのシリーズに分けて印刷された。販売価格は各10ドイツ・マルク。
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by galleria-iska | 2014-06-18 20:24 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 06月 14日

マリノ・マリーニのポスター「Idea del Cavaliere」(1971)

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1971年、イタリアの20世紀を代表する彫刻家のひとりで、画家・版画家としても国際的な評価を得ているマリノ・マリーニ(Marino Marini, 1909-1980)の版画の展覧会が、ローマ、ミラノ、フランクフルト、リヴォルノ、デュッセルドルフ、パリといったヨーロッパ主要都市の画廊で開催された。これはパリの20世紀画廊での展覧会の際に制作された告知用ポスターである。ポスターと同じイメージを用いた限定60部の版画作品「Idea del Cavaliere(騎手の概念)」も同時に制作されている。印刷はパリのムルロー工房(Mourlot, Paris)である。

●作家:Marino Marini(1909-1980)
●種類:Poster
●サイズ:750x505mm
●技法;Color lithograph
●発行:Société Internationale d'Art XXe siècle, Paris
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1971年

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by galleria-iska | 2014-06-14 16:12 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 06月 12日

マリノ・マリーニのリトグラフ「Chevaux et Cavliers, Plate IV」(1972)

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イタリアの20世紀を代表する彫刻家のひとりで、画家・版画家としても活躍したマリノ・マリーニ(Marino Marini, 1901-1980)の版画家としての名声は1948年、ドイツ生まれの画商でニューヨーク市に画廊を開いたクルト・ヴァレンティン(Curt Valentin, 1902–1954)との出会いから生まれた1951年のクルト・ヴァレンティン画廊(註1)での個展開催を機に一気に高まり、ヨーロッパの版元からも注文が舞い込むこととなる。そして1955年にはパリの版元ベルクグリュン画廊(Galerie Berggruen & Cie.)で版画展「Marino Marini 15 lithographies」を開催、版画家としての地位を確固たるものにする。このリトグラフは1972年にサン・ラッザーロ(註2)の20世紀美術国際協会(Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris )と提携先のニューヨークの出版社レオン・アミエル(Léon Amiel Publishers, Inc., New York)から出版されたマリーニの8点組のリトグラフ版画集『馬と騎手(Chevaux et Cavaliers』所収の「Chevaux et Cavaliers, Plate IV」である。版画集の印刷はパリのムルロー工房で行なわれ、アルシュ紙に刷られたものが50部、ジャポン・ナクレ紙に刷られたものが10部あり、その他にアルシュ紙に刷られた非売用の(H.C.)が20部と、作家手持ち用の(E.A.)がアルシュ紙に10部とジャポン・ナクレ紙に5部ある。真珠のような光沢のあるジャポン・ナクレ紙に刷られたこのリトグラフは、刷り師の保存用であったらしく、署名も限定番号も入っていない。ムルロー工房の経営が苦しくなった頃に持ち出されたものであろうか。アルシュ紙に刷られた署名入りのものも所有していたが、同系色を用いた「Chevaux et Cavaliers, Plate III」が見つかり、購入資金を得るために、知り合いの画廊に買い取ってもらった。「Chevaux et Cavaliers, Plate III」は気に入っていたのだが、自分には身分不相応かと思い、ニューヨーク市のオークションで売却することにしたのだが、思いのほか高く売れ、売却金の一部でマリーニが1971年に20世紀画廊(Galerie XXe siècle)で行なった個展の際に制作した告知用のポスター「Idea del Cavaliere(騎手の概念)」と1972年のミュンヘン・オリンピックの公式ポスターとして制作した「Edition Olympia」を手に入れた。収集家ではないので、これで十分である。

版画集の主題となった“馬と騎手”はマリーニの1935年の彫刻から始まる主要な主題のひとつで、馬と騎手が生み出す水平と垂直、あるいは対角線上の交差する運動のダイナミズムと緊張感が、豊穣や繁栄を象徴する古典的でふくよかな形象から、単純化を押し進めることで幾何学的なものへと変容し、絵画や版画において、輝くような鮮やかな色彩による、ある種の記号性を帯びた形象へと帰着する。その最たる例がこの版画集であろう。ところで、馬と騎手の緊張感を帯びた構図は画家で版画家の利根山光人(Kohjin Toneyama, 1921-1994)が1980年代に手掛けたドン・キホーテのシリーズを彷彿させるが、どうだろう。

●作家:Marino Marini(1901-1980)
●種類:Lithograph
●題名:Chevaux et Cavaliers, Plate IV
●サイズ:370x510mm(Sheet:497x645mm)
●技法:Color lithograph
●限定:50(Arches) + X(Japon nacré)
●紙質:Japon nacré paper
●発行:Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris et Leon Amiel, New York
●印刷:Mourlot, Paris
●制作年:1972
●目録番号:Guastalla L 107 pl. IV(註3)

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マリノ・マリーニの版画総目録「Marino Marini Etchings and Lithographs 1919-1980」1991年。序文:エリッヒ・シュタイングレーバー、カタログの編者:グイード&ジョルジオ・グァスタッラ、発行:株式会社ショアウッド・ジャパン(Shorewood Japan Co., Ltd.)、313x298mm、247ページ。日本語、英語併記。
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版画集「馬と騎手」の図版
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「マリノ・マリーニ全作品」1970年。パトリック・ワルドベルク、ハーバート・リード、G.ディ・サン・ラッザーロ共著、発行:20世紀美術国際協会、パリ(Société Internationale d'Art XXe Siècle, Paris)、353x298mm、506ページ、フランス語。
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1978年に東京国立近代美術館で開催された「マリノ・マリーニ展」の図録。1978年。序文:エリッヒ・シュタイングレーバー、発行:読売新聞社、現代彫刻センター、240x215mm、217ページ。版画作品は出品されていない。表紙と扉のデザインは福田繁雄。
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マリーニのメッセージ(1978年1月12日付)





1.クルト・ヴァレンティン画廊の前身はヴァレンテインがドイツから移民した1937年に開いたブッフホルツ画廊(Buchholz gallery,1937-1944)である。ブッフホルツ画廊の名前は、ヴァレンティンがドイツ時代に、ナチスが「退廃芸術」の烙印を押したドイツ表現主義やダダイスムの作家の作品を扱っていたハンブルクの書店主で画商のカール・ブッフホルツ(Karl Buchholtz, 1901-1992)がベルリンに開いた画廊で働いていたことから付けたものである。ユダヤ人の血を引くヴァレンティンは1937年にナチの手から逃れるために、ブッフホルツの援助でアメリカに移民したのであるが、彼が開いた画廊はブッフホルツ画廊のニューヨーク支店という性格を帯びたものであったと思われる。しかしながら1944年、敵性国家の作品を扱うということで当局に没収されてしまう。1951年に自らの名前を冠した画廊を開くと、アレクサンダー・カルダー、ヘンリー・ムーア、そしてマリノ・マリーニといった著名な彫刻家の個展を開催すると共に、彼らの版画作品の版元となった。ヴァレンティンは1954年、イタリアのマリノ・マリーニを訪問中に心臓発作で亡くなる。

2.グアルティエーリ・ディ・サン・ラッザーロ(Gualtieri di San Lazzaro)のペンネームで知られるイタリア生まれの美術批評家で出版者のレアンドロ・パパ・ジュゼッペ・アントニオ(Leandro Papa Giuseppe Antonio, 1904-1974 )は1904年、イタリア シチリア島東部の都市カターニアに生まれる。1924年にパリに渡り、1938年、20代の若さで美術誌『20世紀(XXe siècle )』を創刊、1939年までに全6号を刊行するするも、第二次世界大戦によって中断を余儀なくされ、パリを離れる。1949年にパリに戻り、1951年に『20世紀』を再刊、ヨーロッパだけでなくアメリカの現代美術の動向も紹介する。また1959年には20世紀画廊(Galerie XXe siècle)を開き、世界の美術の中心地となったパリに集った作家(la nouvelle École de Paris)の展覧会を開催すると共に、版画や版画集の出版を手掛けた。

3.
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前掲の日本語版総目録とほぼ同時進行で編集、製作が行なわれたイタリア語版のマリノ・マリーニの版画総目録《Guido Guastalla, Giorgio Guastalla,「Marino Marini. Catalogo ragionato dell'Opera grafica (Incisioni e Litografie) 1919-1980」Edizioni Graphis Arte, Livorno, 1990》カタログの編者は同じグイード&ジョルジオ・グァスタッラ:1990年、310x248mm、268ページ、限定3000部、イタリア語。
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by galleria-iska | 2014-06-12 21:36 | その他 | Comments(0)
2014年 06月 05日

キース・ヘリングの紙袋「Pop Shop Paper Bag(Yellow, Large)」(1986)

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少し前にキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)のポップ・ショップで使われていた“黄色の紙袋”(ミディアムサイズ)を取り上げたが、今回、運良くラージサイズのものが手に入った。前にも書いたが、ミディアムサイズものは、イメージ部分が小さく、紙袋を空間と見た場合、バランスを欠いているように思えたのだが、ラージサイズの方は、白い紙袋と同じような比率となっており、黄色の紙袋全体の問題ではなかったようだ。そもそも紙袋は宣伝を兼ねた消耗品として使われたものであるから、商品と比べれば、若干雑になっても仕方のないことかもしれない。ただ、染色と色インクによる印刷がなされた黄色の紙袋は、コスト的には、例えばピンバッジ一個に一枚では割に合わない場合も出てくるのではないだろうか。その辺も白い紙袋への変更の要因のひとつとなったかもしれない、と勝手に推測するのだが。

そのへんの事情はさて置き、今ではその役割を終え、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)が1966年にボストンの現代美術館(The Institute of Contemporary Art)での展覧会の際に告知用のポスターとして制作したキャンベルスープ缶のイメージを刷り込んだショッピングバッグ(Campbell's Soup Can on Shopping Bag 1966)と同じように、紙袋をひとつのマルティプル・アートとして見ることが出来る。コレクターにとってはその評価の行方も気になるところであろう。ウォーホルのショッピングバッグについて云えば、マルティプル・アートが未だ一般に浸透していなかった1980年代の前半はまだ5ドルほどで手に入れることが出来たのだが、今では2000ドルは下らない。その段で云えば、現在10ドルぐらいで手に入るこの紙袋もいずれ...と、つい欲の皮が突っ張ってしまうが、今でもこんな低予算でヘリングのオリジナルを手に入れることが出来るのだから、アートを気軽に手元に置いて愉しむという、へリングの意志を尊重するなら放っておく手はない。是非お勧めしたい。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●種類:Paper bag
●サイズ:390x303mm
●技法:Silkscreen
●発行:Keith Haring
●制作年:1986
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Pop Shop Paper Bag(Yellow, Medium), 1986
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by galleria-iska | 2014-06-05 18:25 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2014年 06月 02日

ジャン・ジャンセムのメニュー「Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses」(1974)

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人間の哲学的思考に欠ける経済活動による環境破壊や気候変動を引き起こす地球温暖化に対する全地球的取り組みが議論される中、いまだに(生存のためか?)個々の利益や権利を主張し、状況をさらに悪化させる方向に向うのは、知識や技術、宗教といった様々な問題解決能力を身に付けたとしても、いまだに自分自身をコントロール出来ずにいる人間の、遺伝子レベルで組み込まれた生物学的基盤に由来するものなのだろうか。キリストの“あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい”(マタイ福音書5章38,39節)という言葉があるが、神の赦しの下では、私欲に繋がるものを持つ必要はない、という言葉の意味を今一度考えなければらない。全ての人がキリスト者ではないが、全ての人間、生物は互いを愛する力を持っており、その愛の力を持って、自我を、そして自我の総体としての国家をコントロールすることが出来れば、たとえ神の赦しを知らずとも、『目には目で、歯には歯で』という律法を超越することが可能となるかもしれない、と言い古された言葉を並べてみたが.そんな日は地球が人間にとって生存不可能な状態になっても来ないか...。

オスマン帝国によるアルメニア人大量虐殺という時代に生きたアルメニア人の父とトルコ人の母の愛の力で命を授かり、戦禍を逃れてギリシアに渡り、その後フランスで絵を学び画家となったジャン・ジャンセム(Jean Jansem(本名:Ohannès Semerdjian, 1920-2013)というトルコ(小アジア)のスールーズ生まれのアルメニア人画家が昨年の8月27日、93才で亡くなった。これは、1974年にパリの愛書家出版《Éditions Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses》から部数限定の愛書家向けの豪華本として出版された、日本でも『木を植えた男』の作者として知られ、人間と自然との協調をテーマとした作品を数多く残したフランスの作家ジャン・ジオノ(Jean Giono, 1895-1970)の短編集『哀れみの孤独(Solitude de la p pitié)』の挿絵を担当したジャンセムによる出版記念の晩餐会メニュー(Dîner du jeudi 9 mai 1974)である。表紙はジャンセムのエッチングとアクアティントによる銅版画で、通常はサインが入っていないが、これは所有者の要望で画家がボールペンで署名を入れたもの。裸婦やバレリーナ、道化師を得意とするジャンセムは背を向ける女性をしばしば描いている。それは、具象画によるリアリスムを追求したジャンセムらしく、後姿で彼女たちの人生や境遇を語らせるためであるが、果物らしきものを入れた籠を持つ農家の娘を描いたこの作品では、見る者は、娘の視線の向こう側にある、豊かな稔りをもたらしてくれる木々の生えた大地に思いを巡らせることになるのであろう。

●作家:Jean Jansem(1920-2013)
●種類:Menu
●サイズ:375x280mm(375x580mm)
●技法:Etching+aquatint
●限定:140+XXXV
●発行:Le Livre Contemporain et les Bibliophiles Franco-Suisses, Paris
●制作:1974
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by galleria-iska | 2014-06-02 12:11 | その他 | Comments(0)