ガレリア・イスカ通信

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2014年 09月 29日

キース・ヘリングの招待状「Second annual "Party of Life"」(1985)

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建築家の磯崎新(Arata Isozaki, 1931-)の設計による改装とキース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)のダンスホールの巨大な壁画による装飾が加わり、コンサート・ホールからナイト・クラブへと変身したニューヨーク市のパラディウム(The Palladium, 126 E. 14 St. N.Y.C.)は1985年5月14日にオープニングを迎え、その月の22日にヘリングの二度目のバースデイ・パーティ(Second annual "Party of Life")が開催された。その招待状としてヘリングが親しい友人たちに送ったのが、この箱状の招待状である。とうにガタが来ている2002年製のコンパクト・デジカメ(200万画素)の買い替えを先延ばしし、やっとこさ手に入れることが出来た。

蓋の表が招待状になっており、ホールでダンスを踊る様子を描いたのであろうか、ヘリングのアイコニックな人物が隙間無く描かれた周りをパーティへの招待文(Keith Haring invites you to the second annual "Party of Life" at the Palladium - 126 E. 14 St. N.Y.C. May 22 - Wednesday - 11 pm - 1985)が縁飾りのように取り囲む。

ヘリングによる規則性のない画面構成は、奥行きが圧縮されて平面的に見えるが、M.C.エッシャーが用いたような正則分割による数学的な美とは対極にあって、重力に逆らうかのようにブレイクダンスを踊る姿を多面的に捉えたものであり、その運動エネルギーを直裁に表現しているように見える。しかし一方で、ヘリングの視点は、見る者に別の意味を投げ掛けているようにも思われる。何故なら、折り重なるように群がる人間の姿は、地獄の底から抜け出そうと、もがき苦しむ人間の姿を想像させるからである。

箱の中には、招待状と同じイメージを使ったジグソーパズル(100ピース、180x180mm)と缶バッジ(40x40mm)、それと"Free admission with Button"と記された入場案内の赤色の小さな紙片(20x70mm)が入っている。この他に、手元にはないが、同じイメージがシルクスクリーンでプリントされたタンク・トップがあり、こちらも同封されたのかもしれない。と言うのも、タンク・トップはニューヨーク市のゲイクラブ「パラダイス・ガラージ」で行なわれた第1回(1984年)から第3回(1986年)までの招待状の共通アイテムとなっているからである。

これらの招待状は、エフェメラに特有の一過性ものではなく、それぞれが実用性を兼ね備えている点でユニークな存在である。タンク・トップや缶バッジは手にした者が身に着けることで、フレームとなり、あるいは場となって、ヘリングのイメージを伝播させる役割も担っていると思われる。またジグソーパズルについては、自らの手で構図を組み立ていく行為によって作品の記憶を深化させ、完成品を額に入れて飾れば、作品として眺めることもできるのである。コレクター向けの大作を購入できなくとも、身近なところでアートを楽しむことができるという、へリングの思想を反映した活動のひとつと言えようか。

●作家:Kieth Haring(1958-1990)
●種類:Invitation
●サイズ:104x104x40mm(Box), 180x180mm(Jigsaw Puzzle)
●技法:Offset lithograph
●発行:Keith Haring, New York
●制作年:1985
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by galleria-iska | 2014-09-29 19:05 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2014年 09月 26日

サルバドール・ダリの挿絵本案内「Les Chants de Maldoror」(1974)

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前回取り上げたジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983)と同様、サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali, 1904-1989)もまたスペインのカタルーニャ地方の出身である。1927年にパリに出たダリは、一足先にパリに来ていたミロの紹介でピカソやシュルレアリストたちと出逢い、ブルトンが『シュルレアリスム第二宣言』を出版する1929年、シュルレアリスムの画家として華々しく登場する。その衝撃は、ブルトンをして「ダリの出現によって、はじめて精神の窓が思いきり広く開かれ、荒々しい青空の罠に向って、自分が滑空しているように感じられるのだ。」と言わしめる程、大きなものであったようだ。当初はおとなしくブルトンに付き従っていたダリだが、そんな時期は長続きせず、幾つもの傑作をものにし、名声が高まるにつれ、自ら発見した“偏執狂的批判方法”(註1)がシュルレアリスムの自動記述や夢の記述といった受動的な技法よりも能動的で優れており、自分こそが真のシュルレアリストであると公言したことから、ブルトンの逆鱗に触れ、1938年にグループから除名される。一方、ダリ自身は除名されなかったと主張していることから、ダリは決してシュルレアリスムを裏切ったわけではなく、自らシュルレアリスムを演じ続けたのかもしれない。

1929年から1933年にかけて、「欲望の適応」(1929年)、「記憶の固執」(1931年)、「見えない男」(1929-1933年)といったシュルレアリスム絵画の傑作を次々に生み出したダリは1933年、スイスの出版人アルベール・スキラの依頼を受けたピカソに代わって、19世紀後半のパリに現れた夭折の詩人ロートレアモン伯爵(Le Comte de Lautréamont)(註2)こと、イジドール・リュシアン・デュカス(Isidore Lucien Ducasse, 1846-1870)作の『マルドロールの歌(Les Chants de Maldoror)』の挿絵を描くこととなる。

個人的なことを言えば、学生時代を美術館も画廊も洋書店もない田舎で過ごしたので、ダリが版画を制作しているとは知る由もなかった。前に書いたことがあるが、1975年に名古屋のオリエント・ギャラリーで開催された『不死の十法』展を観に行き初めて知った次第。『不死の十法』はミックスド・メディアによる作品であったが、ダリの版画と言えるドライポイントで制作された部分は、緻密さとリアルを追求した絵画とあまりに掛け離れており、それがダリの版画制作に対する独自の姿勢だったのかもしれないのだが、これがあのダリの版画なのかと目を疑ってしまった。一方、レーザーで版を制作した部分は、ダリによるものではなかったようなのだが、こんな細かな描写が可能なのかと感心した。その後もずっとダリの版画は別人によるものではないかと、疑い続けていたのだが、1980年代になってようやく自分が求めていたものと合致するものがあることを知った。それが『マルドロールの歌』のための挿絵であった。幾つか手に入れたいと思ったものもあったので、何度かオークションにも参加したのだが、現物を手に取って見たことがなく、また1934年版と1974年版との区別が付かず混乱していたため、それほど熱くなれず終わってしまった。

『マルドロールの歌』の衝撃性はダリの霊感を大いに刺激したことは間違いなく、結果、ダリの絵画を大きく発展させたのだが、『マルドロールの歌』の挿絵として生み出された数々のイメージは、詩句には無関係なものがほどんどで、ダリの当時の絵画のモチーフと重なるものが幾つも見られる。スキラ(Albert Skira, Paris)によって1934年に出版された『マルドロールの歌』は、当初予定された210部のうちの100部のみで、銅版画で制作されたダリの挿絵30点と12点のカットが添えられた。残りの100部は、スキラの版を購入したダリの長年の友人で出版者のピエール・アルジレ(Pierre Argillet, 1910-2001))によって1974年、42点と後に発見された未採用の2点を加えた44点入りの挿絵本に50点の署名入りスイートを付けた豪華版として出版された。この小冊子はその案内用として作られたものらしく、1974年版の挿絵全44点(註3)を収録している。小冊子とは言え、画集に掲載される図版よりもずっと印刷の質が高く、資料として十分活用できる。

●作家:Salvador Dali(1904-1989)
●種類:Booklet
●サイズ:235x160mm
●技法:Offset
●発行:Argillet, Paris
●印刷:Étienne Et Christian Braillard、Genève
●制作年:1974(?)

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註:

1.古典や哲学、政治、思想、精神分析、はたまた最新の科学的知見を盛り込んだエキセントリックな言説や奇行を繰り返したダリであるが、自身が、実際の現実よりも、“自分自身の妄想や幻覚を現実と思いこむ狂人の症状”を発現する偏執狂的な資質の持ち主であったことから、自ら発見した“偏執狂的批判方法”によって、二重像、三重像のトリックを使った作品を次々に生み出したのだった。

2.ロートレアモンは『マルドロールの歌』を1869年に完成し、ベルギーで自費で印刷し発表しようとしたが、出版者であるアルベール・ラクロワ(Albert Lacroix )がしり込みし、出版には至らなかった。実際に出版されたのはロートレアモンの死後4年経った1874年のことである。出版者は、第二帝政の政治難民で、ブリュッセルに出版社と書店を開いたジャン=バプティスト・ロゼ(Jean-Baptiste Rozèz)であり、彼はラクロワから埋もれたままでいたオリジナル版を買い取り、新しい表紙を付けて出版したのだが、売れ行きは芳しくなかった。1885年、ベルギーの文芸復興を目指し、文芸誌『若きベルギー(Le Jeune Belgique, 1881-1897)』を創刊した詩人マックス・ワレル(Max Waller, 1860-1889)らが発見し、ペラダン(Péladan)やユイスマンス(Huysmans)、レオン・ブロイ(Léon Bloy)といった友人の作家に広まる。その評価が高まる中、1890年にパリの出版社ジュノンソー(Genonceaux)よってようやく母国フランスで出版される。1917年、詩人のフィリップ・スーポーがパリのラスパイユ大通り(Boulevard Raspail)の書店から1874年版を購入、その発見を"For me and my fellow poets André Breton, Louis Aragon, Paul Eluard and Robert Desnos, to name only the biggest, the Chants de Maldoror represent a turning point for the French literature alongside the poems of Arthur Rimbaud. "と語っている。そしてシュルレアリスムのあるべき姿を予言した“ミシンとこうもり傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しい”という一節の衝撃性を持って、シュルレアリストたちの霊感源の一つとなり、ロートレアモンをシュルレアリスムの先駆者と捉えることとなり、ブルトンが『マルドロールの歌』をシュルレアリスムの聖書としてメンバーに読ませたことにより、詩や絵画の想像の限界を大きく広げることとなった。

3.1994年にプレステル社(Prestel-Verlag, München)から刊行されたダリの版画カタログ・レゾネ第一巻(Salvador Dali Catalogue Raisonne of Etchings and Mixed-Media Prints 1924-1980)には、1934年版の別刷りセットつき42点に、新たに発見された2点を加えた44点が記載されている。



参考文献:

1.「ダリと本-Dali y los Libros」エドゥアルド・フォルネス、ジョルディ・オリベレス編、メディテラニア出版社発行、1987年
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マルドロールの唄(Les Chants de Maldoror)についての説明文
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by galleria-iska | 2014-09-26 20:05 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 16日

ジョアン・ミロの装丁「Joan Miró - Fotoscop」(1975)

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1893年、現在再びスペインからの分離独立の機運が高まっているカタルーニャ地方の中心都市、バルセロナに生まれたジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)は、周知のように、アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896-1966)を初めとするシュルレアリスムの作家や画家たちとの交流を通して独自の作品世界を構築した20世紀スペインを代表する画家、彫刻家、版画家であるが、自身の画集や展覧会図録を初め、シュルレアイリスム関連の詩集や雑誌などの装丁も数多く手掛けている。中でもシュルレアリスムの作家の著作を数多く出版しているパリのサジテール出版(Éditions du Sagittaire, Paris, 1919-1979)(註1) から1953年に限定出版されたブルトンの随筆集『野の鍵(La Clé des champs )』の装丁は、ミロならではの無邪気さとユーモアが横溢するものとなっており、興味深い。

ミロの装丁に関しては二種類のものがある。ひとつはリトグラフや木版画といった版画技法を用いて制作されたもので、こちらについてはスイスの出版社パトリック・クラメール(Patrick Cramer, Publisher)から1989年に出版されたミロの挿絵本の目録「Joan Miró The Illustrated Books」が詳しい。もうひとつは、ミロが水彩などで直接描いたもので、このブログでも以前取り上げたアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)の写真集『ヨーロッパ人( Les Européens)』( Éditions Verve, Paris, 1955)や 上記の『野の鍵』のように、見所のあるものもあるのだが、纏まった形での紹介は未だないようである。

この作品集は、1970年にスペインの出版社で版元のポリグラファ(Poligrafa, SA, Barcelona )から出版された、展示風景を写真に収めたものをもとに構成された珍しい形の作品集「ミロ(Miró)」のスウェーデン語版「Joan Miró - Fotoscop - Det visuella språket」(Cramer,No.209)として、1975年に出版されたもの。制作はバルセロナの出版社ポリグラファ(Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona)で、出版元は、スウェーデンの南の端にある都市マルメ(Maimö)で世界各地の著名な作家の紹介と版画の出版を行なっているボルイェソン画廊(Galerie Börjeson)である。スウェーデン語版は限定500部の小部数出版で、ミロがこの作品集向けに制作したオリジナル・リトグラフ(M.938)が一葉挿入されている。

●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Cover art
●題名:Joan Miró - Fotoscop - Det visuella språket
●サイズ:207x613mm
●限定:500
●技法:Offset
●制作:Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona
●出版:Galerie Börjeson AB, Maimö
●制作年:1975
●ミロ挿絵本目録:Cramer, No.209

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画集に挿入されたミロのオリジナル・リトグラフ(版上サイン入り)
●作家:Joan Miró(1893-1983)
●種類:Print
●題名:Joan Miró. Fotoscop
●サイズ:198x397mm
●技法:Lithograph
●限定:1500(of which 500 copies were folded in two for inclusion in the book)
●紙質:Guarro
●印刷:Ediciones Poligrafa, S. A. Barcelona
●出版:Galerie Börjeson AB, Maimö
●目録番号:M.938
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ポスターの展示風景


註:
1.1919年創業のサジテール出版は創業者の名を取って、Éditions Simon Kra, Éditions S. Kra, Éditions Kraとも呼ばれ、1924年にアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言。溶ける魚(Manifeste du surréalisme. Poisson soluble)』、1930年に『シュルレアリスム第二宣言(Second Manifeste du Surréalisme )』、そして1946年には『シュルレアリスム第三宣言か否かの序(Les Manifestes du Surréalisme. Suivis de Prolégomènes à un troisième Manifeste du Surréalisme ou non)』の出版を手掛けている。うち『シュルレアリスム宣言。溶ける魚(Manifeste du surréalisme. Poisson soluble)』の出版名義はサジターレ/シモン・クラ出版(Éditions du Sagittaire Simon Kra)で、『シュルレアリスム第二宣言(Second Manifeste du Surréalisme )』の出版名義はクラ出版(Éditions Kra)となっている。
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by galleria-iska | 2014-09-16 20:37 | その他 | Comments(0)
2014年 09月 09日

キース・ヘリングのカバー・アート「Emanon: The Baby Beat Box」(1986)

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キース・ヘリング(Keith Haring, 1958-1990)のアートワークのひとつとして注目されつつあるレコードのカバーアートであるが、周知のように、1980年代にブレイクダンスやスケートボード、グラフィティと並んで、ストリートカルチャーのひとつとして若者の支持を得たヒップ・ホップのミュージシャンと交流を持ったことが、このジャンルへの道を開いた。今回取り上げるのは、ヘリングがカバーアートとレタリングを担当した「Emanon: The Baby Beat Box」。このレコードは、1970年代から活動を行なっているラップ・ディスク・ジョッキーで音楽プロデューサーのアフリカ・イスラム(Afrika Islam )ことチャールズ・アンドレ・グレン(Charles Andre Glenn, 1967-)のプロジェクトであるエマノン(Emanon ← no name)の12インチEPレコードとして1986年にリリースされたもので、トラックやスクラッチなどの演奏部分はイスラムが制作し、そこにゲストラッパーのアイス・Tやメリー・メルなどがヴォーカリストとして参加している。ヘリングは、ヒップホップのアイコン的イメージとして、ヒップ・ホップには欠くことの出来ない大きなステレオ・ラジカセの頭をした人物がブレイクダンスを踊る姿を描いている。手元にあるのはシュリンクラップが未開封のもので、年月日(8 3-87)と価格($7.99)を記したシールが貼られている。

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図版:ヘリングによる「ザ・ベイビー・ビート・ボックス」のカバー・アート

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●種類:Cover Art
●サイズ:313x313mm
●技法:Offset lithograph
●レーベル:Pow Wow Records(PW 7403)
●発売:Pow Wow Records Inc., New York
●制作年:1986

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by galleria-iska | 2014-09-09 20:02 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2014年 09月 08日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「Le Bain Turc II」(1973)

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日本をオイルショックが襲った1973年にパリのベルクグリュン画廊から出版されたパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)の5点のリトグラフからなる連作版画「Suite d'Ingres」は、19世紀フランスの新古典主義絵画を代表する画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres, 1780-1867)の作品「ルブラン夫人の肖像」」「トルコ風呂」「ベルタン氏の肖像」の翻案として制作されたもの。アングルが晩年の1862年に、裸婦とオリエントをテーマに描いた官能的な作品「トルコ風呂(Le Bain Turc)」(註1)については、三つの異なる解釈がなされており、ヴンダーリッヒ芸術の根幹をなす“メタモルフォーズ(変容)”の格好の例証となっている。そのひとつが、この「トルコ風呂 II(Le Bain Turc II)」で、他の二作品と同様、ヴンダーリッヒはアングルの「トルコ風呂」のハイライトともいえる前景部分を引用し、1960年代初頭のパリ滞在中にデジョベール工房(Desjobert)で習得し、自家薬籠中の物とした、ラヴィ(lavis)と呼ばれる、微妙な半調子や諧調,細かな皺模様を出せるリトグラフの技法を、背中向きでリュートらしき楽器を奏でる裸婦(背中向きの裸婦像はアングルが到達した究極の美の表現とも言える)に用い、画面に独特な表情を与えることで、ヴンダーリッヒ独自の作品と化している。

版元となったパリのベルクグリュン画廊(Berggruen & Cie)の1974年の販売カタログ〈Maitres-Graveurs Contemporains 1974〉によると、この作品の当時の販売価格は2000フランで、日本円に換算すると約134000円(1F=67円で換算)であった。この価格は当時のヴンダーリッヒの作品のなかでは最も高価な部類に入るのだが、すぐに売り切れてしまったようで、1976年の販売カタログには掲載されておらず、その後ずっとコレクター垂涎(?)の作品として捜し求められた作品である。バブル時代に知り合いのドイツ人画商からヴンダーリッヒ氏本人から《e.a.》版を約60万円で分けてもらったと聞いたことあるが、今はその十分の一ぐらいの価格になってしまった。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Print
●題名:Le Bain Turc II, plate 3 from the《Suite d'Ingres》
●サイズ:655x505mm
●技法:Lithograph
●限定:75 + 11 e.a. + 9 e.e.
●出版:Berggruen & Cie, Paris
●印刷:Desjobert, Paris
●制作年:1973
●目録番号:R. 473

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註:

1.
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図版:アングルの「トルコ風呂」1862年。もとは長方形の画面であったが、アングル本人が1863年に円形に変えた。クールベに描かせた「世界の起源」同様、オスマン帝国の元外交官でパリに定住していたエロチック絵画のコレクターであったハリル・ベイの所有であったが、現在はルーヴル美術館に所蔵されている。
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by galleria-iska | 2014-09-08 20:10 | その他 | Comments(0)