ガレリア・イスカ通信

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2014年 11月 21日

フィリップ・モーリッツの銅版画「Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette 」(1972)

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フランスのボルドーで寄宿しながら制作活動を行なっている版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe MOhlitz, 1941-)の作品は、フロイト的な精神分析学の関心の対象となり得るかもしれない。モーリッツは未だに未婚であるが、結婚(男女関係)というものに何かしらのコンプレックスを抱いている節があって、作品の中にしばしば性的なオブセッションを伺わせるものが描かれている。それらは作品のテーマとして扱われているものではないが、その伏線、あるいは人間の、そして文明の根源的なファクターとして意図的に組み込まれているように思える。その一方で、類い稀なる技によって精緻な画面を作り上げるためにストイックに制作に向うモーリッツは、唯一ミューズの神に魂を捧げた人間であり、その代償として人間的な欲望を犠牲にしているのだとしたら、それらの性的なイメージは何らかの補償行為とも見えなくもないが、あらぬ詮索かもしれない。

モーリッツの作品において、性的なイメージは常に文明の崩壊とともにあり、その意味では生の本能としてのエロスと死の本能としてのタナトスが同居していると言える。また、崩壊後の文明を描いた作品の中に、原始的な生活を営む人間の姿が描き込まれていたりするのだが、それはいわゆる“文明を創造し破壊するという行為そのものが、生物的な進化をやめた人間の選んだ生存活動であるという観点においてある意味で的を得ているかのように思える。つまり文明は常にその反復あるいは回帰という流れの中に置かれており、その意味では絶対的な姿ではなく、時間とともにその意味や価値が失われて行き、新しい価値に取って代わられ、滅亡という運命と辿るのだが、それが絶え間なく反復されるなかで、新しい社会性を構築するとともに、環境への適応性を強化し、人間という種の保存が持続し続けられていくこととなるのである。

「モーターサイクルを所有する若い両性具有者(Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette )」は、前回取り上げた大作「ニューヨーク(New York)」(1982年)よりも10年早い1972年に制作された作品であるが、そのエキセントリックな主題が性的タブーを匂わせるためであろうか、作品としての人気は高くないようである。モチーフとなった両性具有者(エルマフロディット/Hermaphrodite)の語源は、ギリシア神話に登場する青年神で、文化英雄的存在でもあったヘルメースと愛と美と性を司るギリシア神話の女神アプロディーテーとの間に生まれた美少年ヘルマプロディートス(Hermaphroditus)で、ニンフのサルマキスに恋され、強制的に一身同体にされた話で知られるが、キリシャ彫刻やその後の芸術作品において、豊かな乳房を持った少年、あるいは男根を持った女性などの形で表現されている。ウィキペディアなどによれば、“原初の世界において人間が両性具有であったとする神話は世界各地に存在しており”、“陽と陰、男と女といった対立的にして補完的なものの調和を重視する陰陽思想などに基づいて、両性具有(半陰陽)を理想的な性別のあり方とする考え方もあった”とある。

その両性具有者と文明の利器であるモーターサイクル-最新のというよりは若干レトロな雰囲気を感じさせる-との組み合わせには何かしらエロティックなものを感じさせなくもないが、それを古代の移動手段である馬と捉えれば、モーリッツ特有のアナクロニスティックな場面設定による神話の一場面、生まれ育った環境に飽き、(自由を求め?)各地を旅するヘルマプロディートスの姿を描いたものとして見ることも出来るのではないだろうか。そのヘルマプロディートス以上に目を引くのが、丘の上に横たわる恐竜を思わせる巨大な頭蓋骨であるが、道路脇の茂みにはその子孫であるトカゲが一匹こちらを向いているのが見える。それは見る者の時間感覚を混乱させもするが、大いなる時間の経過を示すとともに、文明の末路を暗示するかのようでもある。現代のヴィジョネアー(visionnaire)たるモーリッツらしい解釈と言えようか。モーリッツは2007年にもモーターサイクルをモチーフとする作品「Perdus en Egypte(Lost in Egypte)」(図版1参照)を制作しているが、この作品は聖家族の「エジプトへの逃避(Fuite en Egypte/Flight into Egypt)」(「マタイ福音書」の第2章)を下敷きにしたものであり、ここでは驢馬をモーターサイクルに置き換えている。両者を見比べると、馬と驢馬、それぞれの特徴をよく捉えた選択がなされているのが分かる。

この作品の成立の背景には1969年に公開された二つの映画があるのかもしれない。ひとつはフェデリコ・フェリーニの映画『サテリコン(Satyricon)』で、ヘルマプロディートスはそこでは身体の弱い子供のような神として描かれている。もうひとつは、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマの代表作『イージー・ライダー(Easy Rider)』で、全編を通してモーターサイクルが自由の象徴として重要な役割を担っている。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:Jeune hermaphrodite disposant d'une motocyclette
●サイズ:375x288mm(プレートマーク:237x177mm)
●技法:Burin et pointe sèche
●限定:69
●紙質:B.F.K. Rives
●制作年:1972
●目録番号:Natiris p56( K.40 )
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この年にモーリッツは興味深い作品を何点も制作しているので、その題名を記しておく。個人的には『Planche où je suis perdu]』(K.46)が好みの作品なのだが、手放してしまい、今は手元にない:

●Héros attaqué par 36 personnages(K.39)
●Triomphe de César(K.41)
●Le Départ des invités(K.42)
●C'est arrivé chez l'antiquaire (K.44)
●Planche où je suis perdu(K.46)
●La poursuite continue(K.49)


図版:

1.
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参考文献:

Mohlitz Gravures et Dessins 1963 - 1982, Éditions Natiris, Paris, 1982
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by galleria-iska | 2014-11-21 17:51 | その他 | Comments(0)
2014年 11月 13日

フィリップ・モーリッツの銅版画「New York」(1982)

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先日、フランスのパブリック・オークションの情報サイトを見ていて驚いた。フランスのボルドーで活動を続ける銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)の過去に出品された作品がリストアップされていたのだが、モーリッツが1982年に制作した大型の作品「New York」に、日本円にして50万円近い、3500~4000ユーロという落札予想価格(estimate)が付けられていたからである。実際にいくらで落札されたかは登録しないと分からないのだが、いつの間にそんなに高い評価に変わっていたのだろうか。そのこと自体はモーリッツにとって決して悪いことではないし、彼の作品を高く評価していることの現われであるので、彼のファンのひとりとしては喜ばしいことなのだが、果たして客観性のある評価なのであろうかと思ってしまった。モーリッツほどの版画の名手はそれほど多くいるわけではないが、ある意味でアナクロニスム的な表現方法は、広く一般に受け入れられるものではなく、一部の銅版画愛好家に受け入れられるに留まっている。

この作品は他の多くの作品同様、モーリッツ自身が版元になっており、制作から15年以上経った後でも、僅かしか売れておらず、摺刷数の少ない雁皮刷りのものでさえ未だ半数以上残っていたのである。2000年頃のパリの画廊(Galerie Michèle Broutta S.A.) での小売価格は8000フラン(約16万円)ぐらいだったと思うので、実質3倍以上の上昇と言える。10数年の間に、モーリッツ自身の手持ちは全部売れてしまったのだろうか、それとも供給を止めてしまっているのだろうか。その当時日本でこの作品を所有していた蒐集家は少なくとも20人はいたのではないかと思われるが、売り切れということなら、さらに多くなるであろう。

モーリッツがこの作品を制作したのは1982年であるが、その年、アメリカ合衆国政府は巨額の財政赤字を抱え、その凋落ぶりがはっきりした年である。一方、世間の喧騒を離れ、ルドンやブレダンといった先達に倣い、ボルドーでひとり制作を続けていたモーリッツの技量はまさにその頂点にあり、それまでに創り上げてきた独自の作品世界の集大成とも云える作品を完成させた。それがこの「ニューヨーク」である。モーリッツはこの年、ニューヨークのジョン・セーケ画廊(John Szoke Gallery)での展覧会『The Surrealist Tradition』に出品しており、この作品はそれに向けて制作されたものかもしれない。作品を制作するにあたり、モーリッツが何か政治的な意図を込めたとは思えないし、予言的なものともしていない。あくまでもヴィジョンであり、フィクションであるからである。それは時代設定を見えれば自ずと理解される。モーリッツのメカニカルなものへの志向は幾つも作品で示されているが、ここでも1930年代に出現する三発低翼単翼機や蒸気機関車などを描き入れており、建造物の装飾などもレトロ感が漂っている。しかしながら、全くの作り事だけでは現実味を創出できないので、モーリッツは見る者にニューヨークを想起させるものを幾つか描き入れている。ひとつは画面右上に見えるこの街を象徴する自由の女神像で、画面中央にはニューヨーク・セントラル鉄道の起点となるグランドセントラル駅、そしてその手前はニューヨーク港であろうか。鳥瞰図のような視点で描き出されたその姿は現代文明を象徴するニューヨークの街の崩壊後の姿を描いているのだが、植物があちこちに枝を伸ばし葉を茂らせており、密林の中から発見された遺跡を眺めているかのようでもある。そのSF的な斬新な構図は、1968年に公開されたフランス人作家原作のSF映画『猿の惑星(Planet of the Apes) 』の衝撃のラストシーンとどこかで繋がっているのではないかという気にもさせるが、モーリッツの作品にある種の郷愁のようなものを感じてしまうのは、モーリッツが上記のようなアナクロニズム的な視点を持ち込んでいるからであろう。

この作品をモーリッツが1978年に完成させた傑作「塔(La tou)」と比べると、ビュランによるものとは思えない、まるで浮世絵版画の毛彫りのように細く彫られた繊細で精緻を極めた描線が、円熟味を増すにつれ、印影が強く濃いものに変わっていくのが分かる。その結果、画面全体のコントラストが高められ、ドラマチックな画面に変貌していくのだが、反面、モーリッツの画面と特徴であった極めて微視的な描写力の持ち味が失われてしまったように思う。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:New York
●サイズ:506x450mm(イメージ:407x345mm)
●技法:Burin
●限定:120
●紙質:B.F.K. Rives
●発行:Philippe Mohlitz, Bordeaux
●制作年:1982
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参考文献:

「Mohlitz - Gravures et Dessins 1963-1982」Editions Natiris, 1982, p.119
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by galleria-iska | 2014-11-13 22:14 | その他 | Comments(0)
2014年 11月 07日

勝原伸也のポスター「Katsuhara Shinya Ukiyo-e Prints」(1986)

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昨年の“和食”に続き、今年は日本の手漉き和紙技術がユネスコ(UNESCO/国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録される見通しとなった。アニメ、漫画、オタクと云った日本のポップカルチャーから始まった日本ブーム(Cool Japan)の流れは、今や日本文化全体に広まっており、19世半ばにフランスで起きた日本趣味(Japonisume)の再来にも似た様相を呈している。そこには人間と自然との共存・共生を否定するかのような産業革命以後の加速的な科学技術の発展がもたらした地球規模の環境問題や社会秩序の崩壊に悩む西欧社会のジレンマが背景としてあると思われるが、和食にしろ、和紙にしろ、単に伝統文化という文脈だけでは括れない、食や健康、生活文化における自然志向への関心の高まりやその汎用性なども評価と結びついているのかもしれない。

日本の木版画制作に必要不可欠である和紙は、古くは17世紀オランダを代表する画家レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn, 1606-1669)が、江戸時代初期に東インド会社によって長崎からオランダに運ばれた和紙をそのエッチング制作に用いたことが知られており、近くはと言っても既に二世紀も前のことになってしまうが、19世紀半ばのフランスの銅版画家フェリックス・ブラックモン(Félix Bracquemond, 1833-1914)による浮世絵版画の発見に端を発する空前の日本趣味の流行が西欧絵画に多大な影響を及ぼし、1867年、1878年のパリ万国博覧会における出品で絹製品、漆器などともに高い評価を得たことで、多くの版画家や出版社が日本の和紙を珍重する切っ掛けとなっている。

今回取り上げるのは、江戸時代に花開いた“浮世絵版画(錦絵)”の完全復元にたったひとりの手で挑んだ名古屋生まれの木版師、勝原伸也(Shinya Katsuhara, 1951-2015)が1986年、当時居を構え活動していた四日市にある近鉄百貨店で開催した展覧会の告知用ポスターである。ポスターに使われているのは、彼がその年に制作した歌川国芳(Kuniyoshi Utagawa, 1798-1861)の錦絵「義勇八犬伝・犬坂毛乃」で、彼自身「彫りとか摺りの技術、それに紙や絵の具のレベル、そういう技術的な成果が非常にいい形で発揮できた作品」と語っているように、1977年、学生が使う教材用の“甚五郎”という彫刻セットと年賀状用の版木を使って何気に浮世絵を彫ってから九年、実物の四倍ぐらいに引き伸ばしても、何の破綻も見られない程の技量を獲得したと自負できるまでになった作品である。ポスターは、摺り上がったばかりの版画を原画とし、用紙には生成りの和紙に似せた色調のものを使っているため、単なる複製とは思えないほどの鮮やかな発色で、かなりの人気を博した。今手元にあるものは、画廊に掲示されていたものを貰い受けたものである。

●作家:Shinya Katsuhara(1951-)
●種類:Poster
●サイズ:741x576mm
●技法:Offset
●発行:Kintetsu Department Store, Yokkaichi
●制作年:1986
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参考文献:

「木版師 勝原伸也の世界-浮世絵は蘇る」株式会社 平凡社、1993年
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2015年8月3日追記:

昨晩、今月の末から山口県立萩美術館・浦上記念館での特別展示となる朝日新聞西部本社発刊80周年記念「木版画家 立原位貫ー江戸の浮世絵に真似ぶ」を控えていた木版画家の立原位貫氏(本名:勝原伸也)が7月31日に亡くなったとの知らせを受け取った。胃がんとのこと。享年64歳。数日前に、美術館の方から招待状が届いたばかりで、お礼の電話をしようと思っていた矢先のことであった。昨年2月の個展でお会いしたのが最後となってしまった。帰り際に何か予感めいたことをおっしゃったので気になったが、たとえそうなったとしても「骨は拾わないよ」と言ったのが、ずっと胸に残っている。生前、といっても随分前になるが、勝原さんが運転するボルボに乗せてもらい、あちこち連れて行ってもらった。どんなに落ち込んでいるときでも、勝原さんの言葉を聞くと、いつも明るい気持ちになれた。勝原さんは文字通り僕の元気の源であった。最期まで友人のひとりと思っていてくれたことに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
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by galleria-iska | 2014-11-07 18:41 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2014年 11月 03日

粟津潔のポスター「art now」(1971)

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前回の記事の中で触れたグラフックデザイナーの永井一正(Kazumasa Nagai, 1929-)氏が1988年に“亀”をモチーフに制作したポスター「Japan 3」(図版参照)は、恐らく背中に緑藻類が付着した姿が蓑を羽織ったように見える“蓑亀(ミノガメ)”と呼ばれる亀ではないかと思われるが、浮世絵師の歌川広重が連作「名所江戸百景」の中の『深川 萬年橋』で描いた手桶の取っ手に吊るされた一匹の亀と同様、長寿を象徴する縁起のよいものとして、自身の還暦を祝う意味合いが込められているのではないかと思われる。

その亀で思い出したのだが、永井氏と同じ1929年生まれの異色のグラフィックデザイナー粟津潔(Kiyoshi Awazu, 1929-2009)氏にも亀が登場するポスターがある。1970年代初頭に講談社から刊行された現代美術叢書「art now 現代の美術」(全12巻+別冊1巻)の宣伝用に制作されたポスターである。粟津氏の他にも三人のグラフィックデザイナー、杉浦康平(Kohei Sugiura, 1932-)氏、宇野亜喜良(Akira Uno, 1934-)氏、横尾忠則(Tadanori Yokoo, 1936-)氏が参加しており。杉浦氏以外の三氏は、“アヴァンギャルド”のポスター作家として、1960年から1970年にかけて、天井棧敷、状況劇場、黒テント、自由劇場、大駱駝艦といったアングラ演劇の公演告知ポスターを数多く手掛けたことでも知られる。

横尾氏と同様、サイケデリックを経験した粟津氏の補色関係の色を敢えて組み合わせて、ある意味どぎつく、垢抜けない画面は、永井氏の洗練されたデザイン感覚とは対極にあるにあるように思われるが、高度に抽象化された永井氏の無機的な画面とは異なり、粟津氏は早くから日本的なるものに注目しており、日本文化を形成している様々な因習、信仰、祭祀、伝承などの図像を取り込んだカルト的な画面を創り上げている。このポスターに登場する亀は、画面上部に取り込まれた乙姫らしき図像から推測されるに、竜宮の使いとしての海亀を描いたのではないかと思われる。ポスターの上下左右の端には龍宮城の春夏秋冬の庭に通じる門を表す東西南北の文字が打たれ、画面中央には物語の主人公であると思われる「浦島太郎」が体験する夢幻的な空間が、サイケデリックアートを思わせる渦巻くようにうねる七色の色によって表現されている。画面の周囲には同じ図像が縁飾りのように並べてられているが、それは横尾氏の1960年代から1970年代のポスターにも見られる意匠で、画面が現実世界とは隔絶された異世界(異界)であることを際立たせる働きしている。

●作家:Kiyoshi Awazu(1929-2009)
●種類:Poster
●サイズ:732x514mm
●技法:Offset
●発行:Kodansha Ltd., Tokyo
●制作年:1971
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図版:永井一正氏デザインのポスター「Japan 3」(1988年)
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by galleria-iska | 2014-11-03 20:45 | ポスター/メイラー | Comments(0)