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2015年 05月 19日

ポール・アウターブリッジ展のメイラー/ポスター「Robert Miller Gallery」(1979)

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1981年11月21日から翌82年1月10日にかけてカリフォルニア州オレンジ郡にあるラグーナ・ビーチ美術館(Laguna Beach Museum of Art)で開催された、優れた審美眼の持ち主であると同時に卓越した写真技術者としてアメリカの写真史に名を留める写真家、ポール・アウターブリッジ・ジュニア(Paul Outerbridge, Jr. 1896-1958)の最初の大きな回顧展(註1)に先立つこと二年、ニューヨーク市のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)で1979年に開催されたアウターブリッジのカラー写真(Carbro color print)とプラチナ・プリント(Platinum print〉およそ60点と十数点の素描とリトグラフによる大規模な展覧会のメイラー(ポスターサイズの案内状)。メイラーは八つ折りで、裏面は展覧会のポスター。

アウターブリッジと言っても、実際に実物を手に取ったことは無く、1962年から1991年までニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターを務めたジョン・シャーコフスキー(John Szarkowski, 1925-2007)が高く評価した、今では二千万円を超えるキュビスム期の代表作のひとつ「Saltine Box(クラッカーの箱)」(89x115mm, Platinum print, 1922)ぐらいしか思い浮かばないのだが、この展覧会には、近年再評価が一段と進んでいる1930年代のカーブロ印画法(Cabro process)(註2)によるカラー写真30点余が出品されている。

カラー写真を始める前、アウターブリッジは1925年から1929年までヨーロッパに滞在している。1925年にロンドンに到着したアウターブリッジは、1853年に設立された世界最古の写真協会である“英国王立写真協会(The Royal Photographic Society)”を訪問している。同協会は彼をロンドン滞在中限り名誉会員として遇し、個展まで要請しているのだが、パリでの写真撮影のためと、これを断っている。パリではしばしばマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)のスタジオを訪れ、写真について何時間も語らい、アイデアを交換し合っていたようで、滞在中の出来事を詳細に記したポケットサイズのノートブックに次のように記している:
"spent all afternoon looking at Man Ray's abstract prints, portraits, nudes(only a few), his paintings and great enlargements...looked at his darkroom and discussed all his equipment and had a general photographic talk...went out at 8 p.m. next door to the top floor room at his hotel. I waited in his
room decorated by Ki Ki(whose native paintings I had seen, and with whom Man Ray lives)...tried
to go to a Russian place for dinner but no room at all, place packed ad rather good violins playing
..."(Outerbridge's pocket notebook, March 22,1925)
アウターブリッジはまた当時マン・レイの助手をしていた女性写真家ベレニス・アボット(Berenice Abbott、1898-1991)ともマン・レイのスタジオで話す機会があったようである。マン・レイは1925年の春、アウターブリッジを友人のマルセル・デュシャンに紹介、三人は芸術、アイデアについて、また芸術以外で金を稼ぐことやスティーグリッツについて延々と語り合った。パリでは他にもホイニンゲン=ヒューネ、ブランクーシ、ピカソ、ストラヴィンスキー、ピカビアなど様々なジャンルの芸術家とも出会うことに。アウターブリッジはその年の5月からパリの『ヴォーグ( Vogue)』誌のためにファッション・アクセサリーの撮影の仕事を始め、エドワード・スタイケン(Edward Steichen, 1879–1973)とも仕事を共にしている。三ヶ月後にフリーランスとなり、パリで最大で最新の技術を持ったスタジオ創設や挫折を経験をし、1929年にニューヨークに戻り、カラー写真への挑戦を始める。とは言え、複雑なカーブロ印画法の技術の習得には困難が伴い、完璧な域に到達するまでに何ヶ月も要した。そのことについてアウターブリッジは、
"Many of these pictures were made under considerable technical difficulties unknown to the pre-
sent-day users of the newer, much easier color materials. Each composition cost a minimum of
$150 taking many man hours to produce. Three separate exposures of different duration, through
three different color filters were required. Subsequently, three separate color images 1/10,000th
of an inch thick had to be transferred IN REGISTER, one over another onto the paper you see..."
(From an information sheet by Outerbridge, c.1955)
と後に記している。

アメリカにおける初期カラー写真のパイオニアと言われるアウターブリッジであるが、彼がカラー写真を始めた直接的な理由は定かではない。ただ、その発端となったかもしれない出来事をパリ滞在中に経験している。アウターブリッジは1925年、訪問したマン・レイのスタジオで、E.P.B.フィリップス(E.P.B.Phillips)という、初期カラー写真の印画法の実験を行なっていた人物と出会い、彼がモデルのキキ(KiKi)のカラーの感光板を現像するのに立ち会っているのである。アウターブリッジが実際にカラー写真に取り組むのはそれから四年後、ニューヨークに戻ってからのことになるが、映画もカラー化の機運が高まってきていた時期に当たり、デザインや商業写真に優れたセンスを発揮していたアウターブリッジの先取の嗅覚を大いに刺激したのかもしれない。そして様々な印画法を試した結果、カーブロ印画法に辿り付くのだが、マン・レイも1930年代に入ると、カーブロ印画法によるカラー写真(註3)を取り入れていることから、カラー写真のアイデアに関して、二人の間で何らかの意見の交換があった可能性がある。しかしながら、マン・レイは必ずしもこの印画法の“絵画的な表現力”に満足していなかったようで、1951年、カーブロ印画法に代わる方法として、カラーポジフィルムの裏一面に、ある化学溶液を塗布する方法を発見する。出来上がった写真についてマン・レイは「色彩の輝度を保持しつつ、絵のような質も付け加わっていた」と述べており、カーブロ印画法と同じ効果を得られることを確認している。

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             招待文

●作家:Paul Outerbridge, Jr.(1896-1958)
●種類:Mailer/Poster
●サイズ:673x459mm
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1979
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ポスターには、複雑な画面構造を見せる、ニューヨーク近代美術館所蔵のカーブロ・カラープリントの代表作「Images de Deauville」(1938)が使われているの。この作品はオークションで一千万円ほどで落札されており、気楽に手にとって眺めることなどまず出来ない。
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展覧会終了後にニューヨーク市の週刊新聞『ヴィレッジ・ヴォイス(The Village Voice)』(November 5, 1979)に掲載された、同誌に1977年から1982年まで写真批評を担当していた批評家でキュレーター、そして写真家でもあったベン・リフソン(Bes Lifson,1941-2013)のアウターブリッジ論「The Triumph of the Spleen」
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1965年から1982年までアメリカの日刊紙『ニュヨーク・タイムズ(The New York Times)』の美術批評を務めた美術批評家のヒルトン・クラマー(Hilton Kramer, 1928-2012)による紹介記事(日付不明)
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アウターブリッジによるカーブロ印画法(Carbro Process)の要略。
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註:

1.アウターブリッジがその生涯を終えたラグーナ・ビーチで開催された回顧展に合わせてアウターブリッジの作品目録(カタログ・レゾネ)が刊行された。偶然だろうか、表紙にはロバート・ミラー画廊のポスターと同じ「Images de Deauville」が使われている:
Dines, Elaine & Howe, Graham, Paul Outerbridge: A Singular Aesthetic: Photographs & Drawings, 1921-1941:
A Catalogue Raisonne. Laguna Beach Museum of Art, Laguna Beach, CA, 1981. 238 pages, 302x230mm. Book
design by Barbara Martin, typography by Graham Mackintosh, printed by Gardner/Fulmer Lithograph, hand bind-
ing by Earle Gray.

2.伝記によれば、カラーフィルムが未だ市販されていない時代に用いられた三色ゼラチン・レリーフ画像重合法のひとつ三色カーブロ印画法は、プリントを一枚仕上げるのに8時間も掛かるという、非常に手間と費用の要る作業にも拘わらず、その優れた色の再現性と絵画的な表情ゆえに、アウターブリッジはプリントを一枚一枚自分の手で行なった。そのため販売価格は著しく高いものとなり、アウターブリッジはプリントの殆んどを手元に置き、複製の版権だけを売った、とある。尚、カーブロという名称は、"Carbon plus bromide"から来ている。
3.マン・レイのカーブロ印画法によるカラー写真(Three-color carbro transfer print)の代表例のひとつは、1934年にアメリカ コネティカット州ハートフォードのジェイムズ・スロール・ソビーから出版された「マン・レイ写真集、1920-1934年、パリ」の表紙のために制作した作品「Still Life for Book Cover」であろう。
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Man Ray Photographs 1920-1934. Texts by André Breton, Paul Eluard, Rrose Sélavy, Tristan Tzara. Preface by Man Ray. 104 pages,104 gravure plates. Published by James Thrall Soby, Hartford, Connecticut & Cahiers d'Art, Paris, 1934





参考文献:
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Ketchum, Robert Glenn & Howe, Graham, Outerbridge, Los Angeles, The Los Angeles Center for Photographic
Studies, Los Angeles, CA, 1976. 40 pages, 280x211mm. Limited to 3000 copies.
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by galleria-iska | 2015-05-19 20:51 | ポスター/メイラー | Comments(2)
2015年 05月 11日

ニキ・ド・サンファルの壁紙「Nana (Pink)」(1971)

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1950年代中頃にキネティック・アートを先導したジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely, 1925-1991)とヤーコブ・アガム(Yaacov Agam, 1928-)によって発案されたとされるマルティプルは、非常に安価でかつ広く流通させる意図を持って工業的に量産されたオリジナル作品。そのため希少価値の指標となる限定部数を持たない。この概念は1960年代以降、一般化していくこととなるが、今回取り上げるのは、ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)が1971年に制作した、彼女のトレードマークとも言える“ナナ(Nanas)”をモチーフにした壁紙、“アート・ウォールズ(Art Walls)”である。今手元にあるのは、ロール状で購入したものの巻き端部分。この切片には若干欠けがあるが、基本的にこの図柄が繰り返されている。色はピンク地とブラウン地の二種類。ニキは実際に自宅の壁に貼っていたようである。

“アート・ウォールズ(Art Walls)”は"The Swiss ART group"が1971年に立ち上げたプロジェクトで、当時ヨーロッパの著名な作家達(パウル・ヴンダーリッヒ、ジャン・ティンゲリー、ニキ・ド・サンファル、アレン・ジョーンズ等々)にオリジナル作品としての壁紙の制作を依頼。製造はドイツ ヘッセン州のキルヒハイン(Kirchhain)市にある1845年創業の壁紙製造メーカー、マルブルク社(Marburg → Marburg Wallcoverings)で行なわれた。1972年、ベルンの美術館(Kunsthalle Bern)の館長時代(1961年~1969年)の最後の年に企画した展覧会「態度が形になるとき(When Attitudes Become Form)」で従来型の展覧会のあり方に疑問を呈したハラルド・ゼーマン(Harald Szeemann, 1933-2005)が若くして芸術総監督を務めた「ドクメンタ5(Dokumenta 5)」に出品され、大きな反響を呼んだ。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Wallpaper
●題名:Nana(Pink)
●サイズ:557x531mm
●技法:Silkscreen
●発行:The Swiss Art group
●製造:Marburg, Kirchhain
●制作年:1971
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壁紙の裏に押されたマルブルク社のゴム印。マルブルク社の社史によると、この壁紙の製品名は、"X-Art Walls"となっている。




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by galleria-iska | 2015-05-11 19:29 | その他 | Comments(0)
2015年 05月 07日

ジム・ダイン展の招待状「Waddington Galleries」(1984)

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ポップ・アートの雄、ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein, 1923-1997)同様、抽象表現主義の影響下から出発したジム・ダイン(Jim Dine, 1935-)は、アラン・カプロー(Allan Kaprow 1927-2006)によるハプニングを経験した後、ネオダダのロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg, 1925-2008)やジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns, 1930-)によって生み出されたコンバイン・ペインティングに触発され、1960年代に身近な大工道具などをキャンバスに結合した作品を発表、ポップ・アートの作家の仲間入りを果たす。作品に用いられるオブジェが日常性に根ざしている点に於いて、両者は同じように見えなくもないが、ダインのそれは自伝的意味合いを持っているのに対し、ポップ・アートの大量消費社会を批判的に捉える姿勢に違和感を感じたダインは、ポップ・アートとの距離を持つため、ロンドンに活動拠点(1967年~1971年)を移す。そこでの暮らしと培われた表現技法-殊に銅版画-がその後のダインの表現に大きな変化をもたらすこととなる。帰国後の1971年以降、よりパーソナルな視点が強く現れるのが、自身と妻のナンシー・ダインを題材とする肖像画であることは間違いない。1980年代に入ると、ダインの絵画にある種の原点回帰とも取れる表現主義的な荒々しい筆触が現れ始める。それと呼応するかのように版画制作に木版画が登場し、また同時に彫刻作品が大きな比重を占めるようになっていく。中でも1976年に購入したミロのヴィーナス(註1)のミニチュアをもとにした彫刻はダインの主要な彫刻のひとつとなっている。ヴィーナスはダインの版画制作においても主要なテーマのひとつなり、1983年から85年にかけて集中的に制作されたミロのヴィーナスをモチーフとする版画で示された様々なヴァリエーションは、彫刻との相互作用の中で生み出されたものである。そのひとつ成果として、1984年の3月7日から31日かけて、ロンドンのワディントン・ギャラリーズで彫刻展が、またワディントン・グラフィックスでは版画の近作展が同時開催された。これはその彫刻展の招待状で、1983年に制作された彫刻「Venus with Tools」(Cast bronze, edition of 6, 156.2x81.3x76.2cm)の写真が使われている。

古代キリシャで制作された、世界で最も有名な大理石の彫刻「ミロのヴィーナス(Vénus de Milo)」は、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと同様、そのイマージュは世界的な拡がりを見せており、彫刻のミニチュアは美術館やお土産屋などいたるところで見つけられる。それまで主に身近にある自身の生活と関係性の深い物をモチーフとしてきたジム・ダインであるが、ミロのヴィーナス像で初めて過去の歴史的な作品を取り上げ、それをもとに彫刻制作に挑んだ。そのことについてダインは、(ミロのヴィーナスは)
"a link to art history...and is about the relationship of art and the history of art to objects."
と答えており、1977年にはヴィーナスの小さな石膏型を静物画の画面を埋めるオブジェのひとつとして用いている。1982年、ダインはミロのヴィーナスの絵葉書を何枚か購入し、それをロンドンと国内のスタジオの壁にピンで止めていたのだが、翌年、ダインはその絵葉書を用いたコラージュによる作品(頭部は消されている)を制作。それを機にヴィーナスをモチーフとする版画・彫刻の制作へと向う。ダインのローブとヴィーナスの関係について、ジム・ダインの版画目録「Jim Dine Prints 1977-1985」の著者のひとりであるジーン E. フェインベルク(Jean E. Feinberg)によると、ダインは自身の言葉にもあるように、ヴィーナスに、歴史的な作品を制作した偉大な先達へ言及と結びつきを念頭に置きつつ、男性の表象としての“ローブ”に対応する女性の表象を発見した。ダインは制作に際し、それが特定の人物として見做されることを避けるため、ミロのヴィーナスの像から頭部を省いたトルソの形式を取っている。一方、1960年代から繰り返し描かれる“ローブ”もまたトルソのような形態を取って描かれていることから、男性の表象として、また、よりパーソナルな視点に沿うならば、ダイン自身の自画像と捉えることができる。事実、ダインは1969年に「自画像:風景(Self Portrait: The Landscape」というローブを描いたリトグラフによる版画作品を制作しており、この文脈に沿うなら、1983年に登場するヴィーナスは、彼の妻ナンシー・ダインと見做すことが出来るのかもしれない。

招待状に使われている作品「Venus with Tools」はヴィーナスをモチーフとする作品の中でもユニークなものと言えるかもしれない。ダインはヴィーナスの像に、絵画や版画の主要なモチーフである鋸、金槌、ドリル、そして貝殻といった、一見無関係とも思えるオブジェを結合させているが、先の三点は男性とその性的な力のメタファーとして、また貝殻は女性器のメタファーとして扱われている点において、多分に暗示的(フロイトを想起させる)であり、シュルレアリスムの手法である“デペイズマン”(註2)を強く意識させる。

●作家:Jime Dine(1935-)
●種類:Invitation
●サイズ:290x210mm
●技法:Offset
●発行:Waddington Galleries, Ltd, London
●制作年:1984
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招待状は展覧会の図録『Jim Dine』(290x210mm, 27pp.,1984)と同じサイズで作られている。


註:

1.ミロのヴィーナスのパラフレーズと言うと、シュルレアリスムの画家サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali, 1904-1989)が1936年に、マルセル・デュシャンのレディ・メイド(Ready Made)にヒントを得、また精神分析学者のジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1936)の影響を反映した、ダリが“人型のキャビネット(anthropomorphic cabinet )と言うところの、意識下の深く神秘的な性的欲望を象徴するオブジェ「引き出しの付いたミロのヴィーナス(Venus de Milo with Drawers)」(Painted plaster with metal pulls and mink pompons, 98x32.5x34cm)が思い出されるのではないだろうか。ダインの彫刻とは、時間的にも、空間的にも遠く離れ、直接的な関係性が無いように思われるが、両者は共に一見無関係に思えるオブジェを組み合わせている点や、性的欲望が創造エネルギーのひとつ、あるいはそれ自体が主題として成立し得るという点において、シュルレアリスム的であり、またレデイ・メイドの概念を踏襲している点においてデュシャンの系譜に連なると言えよう。

2.ロートレアモン伯爵の『マルドロールの歌』(1869年)における「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」という有名な詩句を原点とする、一見無関係に思える事物を組み合わせるデペイズマン (dépaysement)という手法は、シュルレアリスムの得意とするところであり、それはダリのオブジェ「引き出しの付いたミロのヴィーナス」にも見て取れる。
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by galleria-iska | 2015-05-07 20:14 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2015年 05月 06日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「No Angel」(1968)

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ここ一週間ばかり良い天気が続いた。とりわけ昨日は五月晴れの清々しい一日となった。何処にも出掛ける予定が無かったので、ケースにしまいっぱなしのポスターや版画の点検と虫干し(?)をした。その中の一点がパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)のリトグラフ「No Angel」である。この作品はヴンダーリッヒの妻である写真家のカリン・シェケシー(Karin Székessy, 1938-)が1968年にヴンダーリッヒのアトリエで撮影した「No Angel」という同名の写真をもとに制作された作品で、ヴンダーリッヒは「Jutta im Atelier」という大きな油彩画(註1)も同時に描いているが、リトグラフの方がずっと出来栄えが良いように思う。版元はパリのベルクグリューン画廊(Galerie Berggruen, Paris)なのだが、この画廊が定期的に発行していた通信販売用の目録(Maitres graveurs contemporains)の1968年度版(ヴンダーリッヒが表紙絵を手掛けている)と次ぎの1970年度版を見たが、どちらにも掲載されていなかった。裏を返せば、目録に載せる間も無く売り切れてしまったということかもしれないが。

この作品を知ったのは1980年代の初めで、出版されてから既に12年余経っていた。その頃は版画は手が届かないものだと決めてかかっていたのだが、季刊『版画藝術』誌に載せられた東京のギャルリー・イシロの広告を見て、珍しく手に入れたいと思った。価格は25万円ぐらいだったように思う。無理をすれば買えなくもないと思いつつも、月々の収入が14,5万の身では、なかなか踏ん切りが付かなかった。今手元にあるのは、それから20年以上経ってから入手したもの。版画作品だけでも優に千点を超えるヴンダーリッヒであるが、ピカソやウォーホルのような、20世紀の美術史に組み込まれ、普遍的価値を獲得した作家とは異なり、作家と画廊と顧客(蒐集家)によって築かれた三角形の絶対評価の構図が崩れ、その他大勢の作家と共に、相対評価の荒波に揉まれていた。しかし悪いことばかりではない。それまでなかなか手に入らなかった作品がぽつぽつとヨーロッパのパブリック・オークションに出始めたのである。そしてある日、「No Angel」もオークションの評価を反映した価格で目の前に現われた。それで一もニもなく購入したという次第。ところが最近、購入時の三倍ぐらいの値が付いているのだから、不思議なものである。と言って喜んでばかりもいられない。そういった時代と共に有り、顧客層が固定化している作家は、世代交代というか、作品が循環せずに次第に忘れ去られていく危険性を常に孕んでいる。才能の違いと言ってしまえばそれ迄だが、インターネットが当たり前になった今こそ、蒐集家でもない自分が言うのも変だが、従来の文学的な解釈を拠り所とする受容とは異なる視点を持つ蒐集家の出現とその発信者としての資質が求められるのかもしれない。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Print
●題名:No Angel
●技法:Lithograph in five colors
●サイズ:500x658mm(752x556mm)
●紙質:Rives
●限定:75 + 9 e.a. + 7 e.e.
●発行:Galerie Berggruen, Paris
●印刷:Desjobert, Paris
●制作年:11.10,1968
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カリン・シェケシーの写真とヴンダーリッヒの作品の関連性を纏めた作品集「Paul Wunderlich und Karin Szekessy: Correspondenzen」(Belser Verlag, Zürich, 1977)
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同書所収のカリン・シェケシーの写真「No Angel」


註:

1.この作品は、1980年に池袋の西武美術館で行なわれた、ヴンダーリッヒが1960年から70年代にかけて制作した油彩画27点、水彩画10点、クレヨン画1点、リトグラフ45点、彫刻10点からなる「ヴンダーリッヒ展‐夢とエロスの錬金術」に出品され、図録の表紙にも使われている。
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                             図録の表紙
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by galleria-iska | 2015-05-06 13:23 | その他 | Comments(0)
2015年 05月 02日

ジェームズ・ローゼンクイストのポスター「Aspen Easter Jazz」(1967)

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看板描きからポップ・アートの主唱者のひとりとなったジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquist, 1933-)が1967年3月25日に開催されたアスペン・イースター・ジャズ・フェスティヴァル(Aspen Easter Jazz Festival)の広報用に制作したシルクスクリーン・ポスター。同じポップ・アーティストのロイ・リキテンスタインもこの年の2月25日と26日に開催されたアスペン・ウィンター・ジャズ・フェスティヴァル(Aspen Winter Jazz Festival)(註1)のポスターを制作している。この二人にポスター制作の依頼をしたのは、ポップ・アートを初めとするアメリカ現代美術のコレクターであり、熱心なジャズ愛好家であるジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻。キミコ・パワーズという日本女性を知ったのは、1981年にウォーホルがコロラド州立大学(Colorado State University)で行なった展覧会の告知用ポスター(註2)の主題になっていたことからで、ポスターにはウォーホルが1971年にポラロイド・カメラで撮影した写真をもとに制作した25点のシルクスクリーンの連作の中の一点が使われている。着物姿の日本女性は、アメリカ人の目にはエキゾテイックに映るかもしれないが、同じ日本人である自分には主題としての新鮮味が感じられなかった。当時の価格表を失ってしまったので間違っているかもしれないが、ポスターは20ドル、ウォーホルの署名入りのもの(100部程度)が150ドル、限定250部の版画作品「Kimiko 1981」(F.S.II.237)が2500ドル(日本円で約56万円)だったように記憶する。この大学ではウォーホル以外にも、ロイ・リキテンスタイン(1982年)、ジェームズ・ローゼンクイスト(1982年)、サム・フランシス(1983年)の展覧会が続けて開催されている。1982年に開催されたリキテンスタインの展覧会の際には、版画「Sweat Dreams, Baby!」(1965年)のイメージを使ったポスターの他に漫画をモチーフとするティーシャツも制作された。何枚か購入し、着ずに取ってあったのだが、知らぬ間に母が親戚の子供にあげてしまった。

ローゼンクイストのポスターは正方形のフォーマットで作られているが、構図的には菱形で描かれており(註3)、戦争と平和、それぞれの象徴的なモチーフを背景に画面から浮き出て見えるマイクロフォン(おそらくガイコツマイクの異名を持つシュア製のもの)がジャズらしい雰囲気を作り出している。何枚か手に入れたので、知り合いのジャズ喫茶のマスターに頼んで一枚買ってもらった。コンクリート打ちっぱなしの壁に映えたが、残念ながら、ポップ・アートに関心を持ってくれる人は現れなかった。ローゼンクイストは1965年に、多額の税金を使って開発され、1968年にはベトナム戦争に投入された、アメリカ空軍の主力戦闘爆撃機「F-111」をモチーフに、戦争や日常の様々なイメージが混在する同名の作品を政治的な意図を持って描いているが、1967年に制作されたこのポスターは、背景に反戦の意図があったにせよ、爆撃機(B-26だろうか)の機影が妙に重苦しく、高いプレミアムを得ているリキテンスタインのポスターとは対照的に、アメリカ国内でもずっと売れ残っていた。

●作家:James Rosenquist(1933-)
●種類:Poster
●題名:Aspen Easter Jazz
●サイズ:663x665mm
●技法:Silkscreen
●発行:Poster Originals, Ltd., New York
●制作年:1967
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ローゼンクイストのモノグラムサイン


註:

1.
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ロイ・リキテンスタインのポスター。リキテンスタインの版画目録には、ポスター制作の経緯について次ぎのように記されている(以下引用)
According to John Powers, "We asked Roy to do a poster and by good fortune he was thinking about jazz as a subject at hte time...(Later that year we did Aspen Easter Jazz and Jim Rosenquist did a poster for it)"(Powers, in correspondence with Ruth Fine, October 1, 1992)

知人に譲ってしまったので今はもう手元にないが、購入時の価格は確か50ドルだったと思う。

●作家:Roy Lichtenstein(1923-1997)
●種類:Poster
●題名:Aspen Winter Jazz
●サイズ:1016x660mm
●技法:Silkscreen
●発行:The artist and Leo Castelli Gallery,N.Y. for the Aspen Winter Jazz Festival
●印刷:Chiron Press, N.Y.
●制作年:1967

2.
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ウォーホルのポスター「Kimiko 1981」Silkscreen, 895x641mm, signed in pencil. Published by Colorado State University Department of Art, Fort Collins, Colorado

このポスターも、随分前に手放してしまい、今は手元にない。

3.
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by galleria-iska | 2015-05-02 14:28 | ポスター/メイラー | Comments(0)