ガレリア・イスカ通信

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2015年 06月 28日

アラントン画廊の図録と招待状「écran-écrin, exposition Andy Warhol」(2000)

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20世紀最後の年(2000年)にパリの書店・画廊アラントン(Galerie Arenthon, 3 Quai Malaquais, 75006 Paris)で開催されたアンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)が手掛けた表紙絵や挿絵を初め、モノグラフ、LPジャケット、写真、ポスター、シルクスリーン版画、全65点からなる展覧会の図録と招待状。カバーは持ち手がバナナの形をした手提げかばん風のデザイン。600部限定で、図録は冊子造りの出品目録と年譜の二分冊となっており、カバーの内側に貼られている。限定番号と店主(Lucien Desalmand)のモノグラムサイン入り。アラントンからはウォーホルも参加している上海生まれのアメリカ人画家で詩人のウォレス・ティン(Walasse Ting, 1929-2010) の詩集『One Cent Life』(Kornfeld, Bern, 1964)を購入したことがあったが、本来はシュルレアリスム関係の挿絵本や版画を得意とする書店・画廊であったので、この図録と招待状が届いたときは、“ブルータス、お前もか!!”といった感で、少々驚いた。

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ウォーホルが1962年にダンスのステップをテーマに制作した絵画シリーズ「Dance Diagram(ダンス図解)」のうち、立ち位置を描いた作品を用いてデザインされたヴェルニサージュへの招待状(表裏)。
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図版:Andy Warhol「Dance Diagram」(1962). Synthetic polymer paint on canvas, 182.9x131.5cm

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Invitation + Catalogue
●サイズ:210x84mm(Inviation), 314x240mm(Catalogue)
●技法:Offset
●限定:600
●発行:Galerie Arenthon, Paris
●印刷:Impression Rimbaud, Cavaillon
●制作年:2000
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ウォーホル展「écran-écrin」の出品目録(201x200mm)
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ウォーホルの年譜(201x200mm)
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by galleria-iska | 2015-06-28 14:34 | 案内状/招待状関係 | Comments(0)
2015年 06月 26日

デイヴィッド・ホックニーのポスター案内「David Hockney Posters」(1982?)

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先々週、パソコンから突然変な音が鳴り始め、終了と同時にウインドウズXPが昇天してしまった。過去5年間に撮り溜めてきた写真画像や作品資料が入っているので、あれこれ回復を試みたが、全てうまくいかず諦めるしかなかった。ウインドウズ98とMeという、お蔵入りに近い二台のパソコンが未だ動いているので、すぐには壊れまいと思っていたのだが、甘かった。画像や資料の一部は古いパソコンに保管してあるので助かったが、また一から積み上げていくのはしんどい。壊れたのはウインドウズ・ビスタであったものをウインドウズXPにダウングレードしたものだったが、最近はインターネット・エクスプローラー8では開かないページが増えてきたので、付属のリカバリー・デイスクを使ってOSをウインドウズ・ビスタに戻した。結果、5年間累積されていた更新プログラムが毎日、山のように送られてきて、インストールの終了を待つ日々が続いている。それに加え、インターネット・エクスプローラーの言語パックがインストールされず、メニューやステータスバーが英語表示になってしまい、それを直そうとサポートに紹介されている方法をいろいろ試してみたがうまくいかず、5分もあれば済むところを、何日も掛かってしまった。

そんな状況なので、調べたいことがあっても、現物に当たるしかなく、海外の業者から送られてきた販売カタログを引っ掻き回していたら、30年以上も前にロンドンの出版社ピーターズ・バーグ・プレス社から送られてきた同社発行のデイヴィッド・ホックニー(David Hockney,1937-)のポスターの案内が出てきた。当時、机の上に置いて毎日のように眺めていたので、縁は擦り切れ、折り目は裂けてしまっていた。そこを透明なテープで補修をし、資料用の写真を撮った。案内には1969年から1981年にかけて発行された14点のポスターがカラー図版入りで紹介されている。このブログで取り上げた#1,5,9,10以外にも取り寄せたものがあったが、友人や知人に譲ってしまった。中でも評判の良かった1973年に制作された“天候シリーズ(The Weather Series)”の中の一点「Sun」を用いた「David Hockney prints 1954-77」(#12)は、連れ合いの友人の新築祝いになった。洋風の建物だったので、気に入ってくれるものとばかり思っていたが、日本画の方が好みだったようで、部屋の隅に置いたままになっていた。おそらく粗大ごみとして葬られてしまったのではないかと思う。こんなふうにしてポスターの現存数は序々に減っていき、巧まずして、稀少価値を生み出すのに一役買っている。一品ものである絵画や初めから稀少性を謳っている版画とは違い、日々の生活の中で扱われるポスターや案内状は、記憶装置としての意味を持ってはいるものの、作家の創作の根幹に繋がる重要な証拠として捉えることは難しく、やはり物として消費されていくことからは免れない。その結果について、フランス文学者で古書コレクターの鹿島茂氏はその著書『子供より古書が大事と思いたい』の中で“稀覯本ほど見つけやすいという真理とはちょうど逆に、価値のない本ほど見つけにくいというのもまた真理である”と述べており、いつでも手に入いると思っているような展覧会のポスターや案内状、冊子のたぐいほど、無くなってしまったときには見付け難くなるのである。エフェメラ侮るなかれ!

●作家:David Hockney(1937-)
●種類:Leaflet
●サイズ:204x153mm(204x456mm)
●技法:Offset
●発行:Petersburg Press, London
●制作年:1982(?)
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by galleria-iska | 2015-06-26 18:22 | 図録類 | Comments(0)
2015年 06月 23日

元永定正の版画「しろいいつつ」

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                        “しろたへの ころもはおりし いちもつの いつつならんで ふんわりふわり”

ダダイストでシュルレアリストのマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)は1920年、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp,1887-1968)と画家で収集家のキャサリン・ドライヤー(Katheline K. Dreier, 1877-1952)とともに、キュビスム、表現主義、ダダイスム、未来派、バウハウスといった当時の前衛芸術の研究と発展のための組織「Société Anonyme」(註1)を設立したが、その年、豊穣と生殖の神、また男根の隠喩として使われるギリシャ神話に登場する羊飼いのプリアーポスを主題に「プリアーポスの文鎮」(1920年)というオブジェを制作している。そのオブジェを想起させるのが、ここ数年、具体美術協会のメンバーとして評価が高まっている故元永定正(Sadamasa Motonaga, 1922-2011)氏のシルクスクリーン版画「しろいいつつ」である。画家は男根とおぼしきものを図案化したこのモチーフ(日本には古来より子宝・安産祈願などの願いをかけて男根が奉られている神社が数多く存在するが、画家のそれは、西洋化したことによるモラル偏重、あるいは美術界の権威主義的な状況への揶揄であったのかもしれない)をたびたび描いているが、子供向けの絵本も手掛けた画家らしいユーモラスな表情を見せる反面、見る者のモラルに対するいくばくかの挑戦が見て取れなくもない。ゆるキャラがごとく図案化されたそれは、その一義的な意味を剥ぎ取られ、愛らしい図形として目の前に差し出されるのだが、見る者が一端、それが持つ本来の意味を認知するや否や、画家の遊び心にどう対峙するかの決断を迫られる。大人の対応として黙ってやり過すのか、画家のユーモアとして捉えるのか、それとも子供のように無邪気に愛玩するのか、そのようなこころのざわめきを画家はひそかに愉しんでいるのかもしれない。

一方、マン・レイの場合はどうであったかというと、“ボール・ベアリングと金属管で構成されたあきらかに男根を想起させる1920年のオブジェ「プリアーポスの文鎮」の主題をめぐって、好んで他人と取り交わしたやりとりを、アルトゥーロ・シュヴァルツにこう説明したのだろう。「このオブジェの写真を見ると、たいがいのひとはすぐにオリジナルのサイズをわたしに聞くのです。おおむねあなたのと同じです、とわたしは答えたものです」とマン・レイはシュヴァルツに語っている。”(批判思考のオブジェ:ローザリンド・クラウス、1984年に開催された「マン・レイ展」図録より抜粋)とあるように、レディ・メイドの手法を借りた反芸術的な様相とは異なり、いたって西洋的な素養を背景に持つ作品と言えるかもしれない。ただ、直接的な問いには、やはりユーモアも持って応えるのが礼儀であるようである

●作家:Sadamasa Motonaga(1922-2011)
●種類:Print
●題名:Siroi Itsutsu
●サイズ:382x510mm(240x350mm)
●技法:Silkscreen
●限定:200
●制作年:198?

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図版:マン・レイのオブジェ「プリアーポスの文鎮《PRESSE-PAPIER À PRIAPE (PRIAPUS PAPERWEIGHT)》」の写真(1984年に開催された「マン・レイ展」図録より)


註:
1.マン・レイの自伝「Man Ray/Selfportrait」によると、マン・レイは自分たちが作ろうとしている組織の名にひとつのアイデアを持っていた。それはフランスの雑誌の中で見つけたソシエテ・アノニム(Société Anonyme)という“株式会社”を意味する言葉であったのだが、マン・レイそれを"Anonymous Society(匿名協会)"のことと勘違いしていた。マン・レイは名前を決める場でドライヤーが異を唱えるのを心配したが、デュシャンはその意味を説明した上で、それを現代美術館に相応しい名前であるとしたことで、全員一致でその名に決まった、とある。
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by galleria-iska | 2015-06-23 20:54 | その他 | Comments(0)
2015年 06月 09日

ラリー・リヴァースのポスター「The Jewish Museum:Larry Rivers-15 Years-」(1965)

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ポップ・アートの画家で彫刻家のラリー・リヴァース(Larry Rivers, 1923-2002)がプロのジャズ・ミュージシャンだっとは気付かなかった。しかもジャズ・トランペット奏者マイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926-1991)の終生の友であったとは。

ラリー・リヴァースは1923年、迫害(ボグロム)を逃れてアメリカに移住したであろうウクライナ系ユダヤ人の両親の下、"Yitzroch Loiza Grossberg"としてニューヨーク市のブロンクスに生まれる。リヴァースの人生はジャズへの興味から始まり、17歳の頃にはプロのジャズ・サキソフォン奏者となり、自身のバンドを率いていた。地元の酒場で、バンドを"Larry Rivers and the Mudcats"と紹介されたことから、ラリー・リヴァースと改名する。1942年に陸軍航空隊(the United States Army Air corps)に入隊するが、1943年病気で除隊。1944年から45年にかけてニューヨーク市のジュリアード音楽院(The Juilliard School of Music)で音楽理論と作曲を学ぶ。そこで19歳のマイルス・デイヴィスと同級生となる。1945年、仲間のジャズ・ピアニスト、ジャック・フレイリシェール(Jack Freilicher) からジョルジュ・ブラックの絵画作品を見せられ、また、その年にキュビストの作品を見たことが切っ掛けとなり、絵を描き始める。1947年から48年にかけてマサチューセッツ州のプロヴィンスタウンにあった抽象画家で教師のハンス・ホフマン(Hans Hofmann, 1880-1966)の美術学校で学ぶ。その後、ニューヨークに戻り、1948年から51年までニューヨーク大学で学び、学士号を得る。リヴァースは1949年に早くも最初の個展を ジェーン・ストリート画廊(Jane Street Gallery )で催している。1950年、詩人のフランク・オハラと出会い、その年にヨーロッパに旅行。八ヶ月間パリで詩を読んだり、書いたりして過ごす。オハラとは互いに刺激し合い、幾度となくコラボレーションを行ない、友人関係はオハラが亡くなる1966年まで続いた。1952年にはオハラの劇「Try! Try!」の舞台セットのデザインなどを行なっている。1954年、彫刻による最初の個展を、抽象表現主義の名だたる作家を招いた展覧会(1953年~1957年)を開催していたニューヨーク市のステーブル画廊(Stable Gallery, New York)で開催。ステーブル画廊は1960年代に入るとポップ・アートに路線を変更、アンディ・ウォーホルやロバート・インディアナなどの展覧会を次々に開催する。

リヴァースは1957年、1943年にアメリカに移住したロシア系ユダヤ人のタチアナ・グロスマン(Tatyana Grosman, 1904-1982)によって設立されたばかりの版画工房ユニヴァーサル・リミテッド・アート・エディション(Universal Limited Art Editions)に最初の招待作家として招かれ、フランク・オハラの詩とのコラボーレーションである13点のリトグラフからなる「Stones」の制作を始める。1960年に完成。その間、テレビのクイズ番組で大金を手にし、マイルス・デイヴィスがパリでルイ・マルの初監督の映画『死刑台のエレベーター』の音楽を即興演奏で録音し話題となった翌年の1958年に再びパリに一ヶ月間滞在、幾つものジャズバンドに加わり、演奏を行なう。

そして1965年、1950年から1965年にかけて制作した170点の絵画、素描、彫刻、版画からなる最初の回顧展を開催、全米5ヶ所の美術館を巡回、その最後の開催地であるニューヨーク市のジューイッシュ美術館(The Jewish Museum)での展覧会に合わせ、リヴァースはユニヴァーサル・リミテッド・アート・エディションでオリジナル・デザインの告知用ポスターを制作している。これは、その文字入れ前の刷りである。このポスターで、リヴァースは六つのパネル(フレーム?)を使い、上から順に1950年から65年までの代表作を描き入れている。そして未来の作品が入る七番目のパネルには《1966?》という文字だけを書き込んでいる。リヴァースは既にポップ・アートの時代に突入しているが、どこか未だ抽象表現主義風の雰囲気を纏っているように見える。

●作家:Larry Rivers(1923-2002)
●種類:Poster
●サイズ:891x588mm
●技法:Lithograph
●限定:1000
●発行:Universal Limited Art Editions(ULAE), Long Island, West Islip, New York
●印刷:Universal Limited Art Editions(ULAE), Long Island, West Islip, New York
●制作年:1965
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小さなな文字で印刷されているので判り難いが、画面右下の1964年から65年の年記のあるパネルの右下部分に《© Larry Rivers -15 Years- /One thousand Original Posters/ Universal Limited Art Editions U.S.A》とある。
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文字が入れられたもの。25部限定で、リヴァースが署名し限定番号を附したものがある。
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1965年の4月10日から5月9日にかけてマサチュウセッツ州ウォルサム市にあるブランダイズ大学のローズ美術館で開催された展覧会の際の告知用ポスター。こちらも限定1000部である。(Poster for Rose Art Museum, Brandeis University in Waltham, Massachusetts. 857x530mm, limiteded edition of 1000. Publishd by the Universal Limite Art Editions)。他の三つの開催地向けのポスターもあるのだろうか。


註:

1.タチアナ・グロスマンは、年譜によると、1904年、ロシア系ユダヤ人の両親もとに生まれる。1918年に家族と共に日本に移住、東京の学校に通う。その後、ヴェニス、ミュンヘンで過ごし、ドレスデンに居を構える。タチアナはドレスデン美術大学(Dresden Academy of Fine Arts)で主にデッサンと服飾を学ぶ。1931年、画家のモーリス・グロスマンと結婚、1933年からパリに住む。1940年、ナチスのフランス侵攻を前にパリの脱出、ヨーローッパの転々とし、スペインに辿り着く。1943年、ナチスの追求を逃れるため、ニューヨークに旅行、移民となる。生活のために夫のモーリスとロングアイランド、ウエスト・アイスリップのコテージで有名画家の絵画複製の仕事をしていたが、1956年、夫のモーリスが心臓病で倒れる。タチアナは生計を支えるために挿絵本の出版を始める。ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ウィリアム・リーバーマン(William Lieberman, 1924-2005)に、興味があるのは、複製ではなく、オリジナルの版画作品であると告げられてすぐ、庭先でババリア産の石版石をふたつ見つける。その足で近所からリトプレス機を手に入れ、田舎の印刷工に装置の使い方を説明してもらう。そして、複製を作り続ける代わりに、画家と作家に両者のコラボレーションによる作品制作を勧め、作品の出版者の役目を果たすことを決意する。そしてその最初のコラボレーションがラリー・リヴァースとフランク・オハラの詩による「Stones」である。それを皮切りに、サム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・マザウェル、ロバート・ラウシェンバーグ、ジム・ダインらの作品を手がけ、アメリカにおける版画復興の火付け役となる。1966年には全米芸術基金(NEA)からの助成金で、エングレーヴィング、ドライポイント、メゾチント、エッチング、アクアチントによる版画制作を行なうインタリオ(凹版印刷)のスタジオを設立している。
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by galleria-iska | 2015-06-09 21:19 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 06月 08日

エドゥアルド・パオロッツィのポスター「Pace Gallery, New York」(1967)

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シュルレアリストの作家として出発し、ICAとして知られるインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(Institute of Contemporary Arts)の設立と運営に関わっていた画家のリチャード・ハミルトン(Richard Hamilton, 1922-2011)や「Pop Art」という言葉を最初に用いた評論家のローレンス・アロウェイ(Lawrence Alloway, 1926–1990)らと1952年、イギリスのポップアート運動の先駆けとみなされるインデペンデント・グループ(Independent Group) の創設に加わり、1956年にはロンドンのホワイト・チャペル・アート・ギャラリーでポップ・アートの出発点とも言える「これが明日だ」展にリチャード・ハミルトンらと出品、ポップ・アートを先導する活動を行なった彫刻家で美術家のエドゥアルド・パオロッツィ(Sir Eduardo Paolozzi, 1924-2005)は1924年、スコットランドのエディンバラに、その名が示すように、イタリア移民の子として生まれた。年譜によると、パオロッツィはイギリスの美術学校で学んだ後、パリで三年間制作活動を行なう。その間、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)、ジャン・アルプ(Jean Arp)、コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuși)といった、ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)、フェルナン・レジェ(Fernand Léger)と知り合い、大きな影響を受ける。殊にジャコメッティやシュルレアリスムのメンバーからの影響はパオロッツィ1950年代中期の彫刻に見て取れる、とあり、パオロッツィ自身も自身の作品をシュルレアリスムであると述べている。

エドゥアルド・パオロッツィが1965年から1970年にかけて制作し、ロンドンのアレクト出版(Editions Alecto, Lndon)から出版した版画集「As Is When」(1965)、「Moonstrips Empire News」(1967)、「General Dynamic Fun」(1970)、それと自費で出版した「Universal Electronic Vacuum」(1967)(註1)は、いずれも独創的で、シルクスクリーン・プリントの可能性と限界を押し広げたとされる。パオロッツィは1968年にカリフォルニア大学バークリー校で彫刻と陶器の教鞭を取っており、在職中に、サンフランシスコのディズニーランド、セクシーな下着メーカー、フレデリックス・オブ・ハリウッド、パラマウント・スタジオ、サンフランシスコとロス・アンジェルスの蝋人形館に出掛けており、また、カルフォルニア大学のコンピューター・センター、スタンフォード大学の加速器センター、サンタ・モニカのダグラス・エアクラフト社、ヘイワードのゼネラル・モーターズの組み立て工場にも訪れている。それらは上記の版画集に見られるポピュラー・カルチャーやテクノロジーへの強い関心を如実に示しているが、文明批評の意図は持っていなかったようである。

このポスターは1967年にニューヨーク市のペイス画廊(Pace Gallery, New York)で開催されたパオロッツィの彫刻展「Eduardo Paolozzi - New Sculpture at the Pace Gallery・Nov.18 - Dec. 16, 1967」の告知用ポスターとして作られたもので、「Universal Electronic Vacuum」所収のポスター「Editions Alecto London, Hanover Gallery London, Pace Gallery New York」のイメージを使ってデザインされており、ニューヨーク市のポスター・オリジナルズ社(Poster Originals, Ltd., New York)から出版されたものである。購入価格は20ドル(US $20)だったように思う。ミッキー・マウスの図像にかろうじてポップ・アートの匂いを感じて購入したのだが、いまだに馴染めないでいる。パオロッツィはイギリスのポップ・アートを代表する作家のひとりであるが、その作風故か、市場の反応は第一級の評価とは言い難い。

●作家:(Sir)Eduardo Paolozzi(1924-2005)
●種類:Poster
●サイズ:865x617mm
●技法:Silkscreen + Offset lithograph
●発行:Poster Originals, Ltd., New York
●制作年:1967
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ポスターの下部には、ディズニーの人気キャラクター、ミッキーとミニー・マウスが描かれており、ドットマトリクスを用いた電子機器の表示をイメージさせるのだろうが、自分には編み物のパターンに見えてしまう。

註:

1.「Universal Electronic Vacuum」(10 prints, poster and text; published by Paolozzi 1967 in a limited edition of 75. Printed at Kelpra Studio, London)

参考文献:

「現代版画 ロンドン-ニューヨーク展」小川正隆、大島清次、中島徳博:1984年6月9日-7月8日、三重県立美術館。編集:富山県立近代美術館、表紙デザイン:永井一正
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もうかれこれ30年以上前のことになるだろうか。知り合いのデザイナーと連れ立って、三重県立美術館に巡回していた、ロンドン、ニュヨークの主だった版元から出版された現代美術の版画を紹介する「現代版画 ロンドン-ニューヨーク」展に出掛けた。そこで初めてエドゥアルド・パオロッツィの版画を目にしたのだが、コラージュと幾何学的な文様の組み合わせによる精巧な図面といった感で、高度に発達したテクノロジーによって構築された機械文明の諸相が万華鏡のように描き出されていた。ただ、その感情を排した緻密で無機質な図像の繰り返しに、いささか食傷気味であった。
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哲学者のヴィトゲンスタインの生涯と著述に基づいて制作された12点のシルクスクリーンによる版画集「As is When(
~の時のように)」の一部。
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by galleria-iska | 2015-06-08 18:22 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 06月 07日

ジム・ダインのポスター「Celebrations 1981:Museum of Fine Arts Boston」(1981)

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ジム・ダイン(Jim Dine, 1935-)の植物に対する関心は、バスローブやハート、大工道具などと同様、早くから作品のモチーフとして現れており、1978年、イギリスの植物学者ロバート・ジョン・ソーントン博士(Dr. Robert John Thornton、1768-1837)が著した植物図鑑『フローラの神殿』(1799年~1807年)へのオマージュとして、手彩色がなされた9点のインタリオによる版画集「A Temple of Flora(フローラの神殿)」が制作されている。続く1979年には3点のドライポイントによる「A Jerusalem Plant」シリーズ、1980年には6点のエッチングと電動器具によるストレリッツィアの鉢植えを描いた「Streliztia」と、立て続けに植物を主題とする作品を制作している。更に1982年から84年にかけてリトグラフと木版で制作された8点の「The Jerusalem Plant」シリーズは、ダインが以前エルサレムで家族の所有する観葉植物のドラセナ・スルクロサを描いた幾つかの木炭デッサンに基づいている。版画制作に先立ち、デッサンのひとつが、1981年、ボストン美術館(Museum of Fine Arts, Boston)の西館の開館を祝うためのオフセット・リトグラフのポスターに複製されている。青色による着色はポスター制作の際に加えられたものであろう。版画作品の「The Jerusalem Plant」シリーズの内の2点は、このポスターのイメージをリトグラフ用の石板に転写し、さらに加筆と電動研磨機による加工を施し制作されたものである。

●作家:Jim Dine(1935-)
●種類:Poster
●サイズ:914x636mm(36"x25")
●技法:Offset lithograph
●発行:Telamon Editions, Ltd., West Islip, New York
●制作年:1981
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ジム・ダインの版上サイン。別に、ダインの署名と限定番号が附された限定75部(+15 A.P.)のデラックス版が存在している。
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出版元のテラモン出版(Telamon Editions Limited)は、1957年に版画工房ユニヴァーサル・リミティッド・アート・エディションズ《Universal Limited Art Editions (ULAE)》を設立したタチアナ・グロスマンが1970年に始めた商業的な出版事業。





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by galleria-iska | 2015-06-07 18:11 | ポスター/メイラー | Comments(0)