ガレリア・イスカ通信

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2015年 08月 27日

永井一正のポスター「EXPO '75(The Okinawa International Ocean Exposition of 1975)」(1972)

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絵画における図像の引用、借用は、作者のオリジナリティーの上にあってこそ成立するものであるが、幾何学的な構成においては、意図する、しないに拘わらず、究極的には似通ってきてしまうことを避けられないところがある。そのようなジレンマに陥らないためには、自然の生み出す千差万別の造形への関心と分析的観察が重要であり、レオナルド・ダ・ヴィンチや北斎の描いた水流や波頭の表現は弛まざる観察から得られたものであることは良く知られている。デザインにおいても、その意匠化の過程において、知らず知らずのうちに同じようなジレンマに陥る危険性があるのだが、外界から得られた視覚情報を自己のデザイン哲学に基づいて内在化し、それを表象化するする上での基点となるのものは、やはり観察である。本来デザインの要素は身の回りにいくらでも転がっているのだが、現代美術によって発見されたいわゆる美術作品そのものをひとつの“風景”として捉える見方は、当然のことながら、デザイン界にも影響-既に根付いているのかもしれない-をもたらす可能性があり、オリジナリティーの概念自体にも変化を及ぼしかねない。インターネットがそれに拍車を掛けることは間違いないであろう。そういう意味では、既存のアイデアの取捨選択とアレンジによって構成されたものも、ある意味で観察から汲み取られたものであり、ひとつのオリジナルを成立せしめることが可能であるような錯覚を覚えるのだが、諧謔を柱とする批判的精神の発露であるパロディーとは異なり、そこには権利意識を伴うオリジナリティーを超えなくてはならない、普遍性の希求とでも云うような大きな壁があるように思われる。

1966年の「ライフ・サイエンス・ライブラリー・シリーズ」から一貫して幾何学的なデザインを追及してきた日本のグラフィックデザイン界の重鎮である永井一正(Kazumasa Nagai,1929-)氏は、1988年の「JAPAN展」への出品を嚆矢とする、いわゆる「動物シリーズ」を機に、西洋の合理精神が編み出した幾何学的形態によって宇宙観を示したものから、自然が生み出す造形に基づく具象性を帯びた図像、観念的なものから装飾的なものへ向かうことで、そこに新しいデザインの活路を見出そうとしている。それはデザインが本来持っている能力というか創造性を発揮する場としての、日本的な美意識の再認識を伴う、ある意味で自然回帰であるが、決して退行ではない。

今回取り上げるのは、永井氏が1972年に日本的なものを意識してデザインを行なった「沖縄国際海洋博覧会(The Okinawa International Ocean Exposition of 1975)」の公式ポスターである。沖縄の海を撮った写真を背景に、銀色の光り輝く波頭の意匠を配したデザインは、北斎の描いた波頭に想を得たであろうことは、想像に難くない。このポスターは永井氏が「沖縄国際海洋博覧会」の公式シンボルマークの指名コンペに入選し、第一号ポスターとして制作したものであり、翌73年には、海外用に、公式ポスター第2号を制作している。博覧会のシンボルマークは水色の丸の中に青い三つの波頭が並んだ図柄で、博覧会の主テーマである「海-その望ましい未来(The sea we would like to see)」を簡潔に表現したものとなっている。

ポスターの印刷には、オフセット印刷ではなく、写真画像の微細な濃淡の再現性を特徴とするグラビア印刷(Rotogravure)が用いられている。

●作家:Kazumasa Nagai(1929-)
●種類:Poster
●技法:Rotogravure
●サイズ:1037x729mm
●発行:Japan Association for the International Ocean Exposition, Okinawa
●印刷:Toppan Printing Co., Ltd., Tokyo
●制作年:1972
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図版:沖縄国際海洋博覧会のシンボルマーク(Simbol for EXPO'75)。沖縄国際海洋博覧会(The Okinawa International Ocean Exposition of 1975)は、沖縄県の本土復帰記念事業として、「海-その望ましい未来(The sea we would like to see)」を統一テーマに、沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期(1975年7月20日 - 1976年1月18日)をもって行われた国際博覧会で、日本を含む36か国と三つの国際機関が参加した。会場規模は、100万平方メートル(陸域75万平方メートル、海域25万平方メートル)。

参考文献:

1.『永井一正展』 富山県立近代美術館、1990年
2.『永井一正ポスター展[Life]』 東京国立近代美術館、1998年




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by galleria-iska | 2015-08-27 19:18 | ポスター/メイラー | Comments(0)
2015年 08月 08日

フィリップ・モーリッツの銅版画「L'Anachorète」(1984)&「Vérole」(1985)

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フランスはボルドー在住の銅版画家で彫刻家のフィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)が1967年に制作した「Rencontre(邂逅)」は初期の代表作のひとつであるが、作品の出来映え、あるいは評判に気を良くしてか、それから12年経った1978年、モーリッツは続編となる「12 ans après」を制作している。

「Rencontre」は、小品ではあるが非常に密度の濃い作品で、隠花植物を思わせる植物が繁茂する水辺に横たわる屍体を、モーリッツはビュランを用い、精緻な筆致で描いている。目立ちはしないが、白骨化が進む屍体の傍らには、残りの肉片を狙ってやってきた二羽の鳥がその様子を窺っている。そして別の一羽の鳥が性器が露わになった屍体の股間に舞い降り、新しい歴史(物語)のプロローグを告げている。変わって「12 ans après」では、幾分開けた画面の所々に文明の残滓が顔を出し、屍体すっかり白骨化している。12年前に傍らで様子を窺っていた二羽の鳥の横には小さな二羽の鳥が同じように屍体を眺めており、屍体に上に舞い降りた鳥はといえば、栄巣し、番となって雛を育てている。さらによく見れば、画面のそこここに別の鳥の姿も。
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図版 左:「Rencontre」、右:「12 ans après」

今回取り上げる、1984年と85年に制作されたふたつの作品、「L'Anachorète(隠者)」と「Vérole(黴毒)」にもその発端なったのではないかと思われる作品がある。前者は1967年に制作された「Tentation de Saint-Antoine(聖アントワーヌの誘惑)」という作品で、後者は「Les mangeurs de girolles(キノコ喰い)」という、1970年に制作された作品である。

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『聖アントワーヌ(註1)の誘惑(La Tentation de saint Antoine)』は、ご存知のように、19世紀フランスの文学者ギュスターヴ・フロベール(Gustave Flaubert, 1821-1880)が1845年、妹の新婚旅行に両親ともに同行し、ジェノヴァのバルビ宮殿でブリューゲルの『聖アントワーヌの誘惑』を見たことから着想し、何度も中断を余儀なくされるも、1872年に完成、1874年に刊行した戯曲仕立ての小説で、その作品に霊感を受けた、モーリッツと同じボルドー出身の画家オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)が、1888年から1896年にかけて、実に三度も石版画集に仕立てている。

モーリッツはその「Tentation de Saint-Antoine(聖アントワーヌの誘惑)」と、今回取り上げる「L'Anachorète(隠者)」という二つの作品で、ともに峻厳な山々が連なる背景を輪郭だけで表現することで主題を際立たせているのだが、その視点を変えることで、相反する意味を与えている。「聖アントワーヌの誘惑」では、ピスピルの山(?)の廃墟に結んだ“隠者の庵”で修行を行なう聖アントワーヌが、夜が明け、差し昇る日輪のただなかにキリストの顔が輝くのを見て、十字を切り、祈りを捧げようとする聖アントワーヌの姿を、神の目線、つまり俯瞰する位置から捉えている。同じように、文明から隔絶された深い山中で、空に向かって繁茂する大木の幹(うろ?)に庵を結ぶ修行者を描いた「隠者」では、悪魔の繰り出す誘惑に屈したのであろうか、妄想の世界に没頭し、手淫に耽る姿が、下から仰ぎ見るという視点で捉えられており、神の教えに一歩でも近づきたいと願う隠者の祖とも言える聖アントワーヌの孤高の行為とは全く対照的に、下界を見下ろす高みでひとり快楽に耽る、生身の人間の姿を通して、神無き現代の、私欲に塗れた人間社会を映し出す鏡として提示されており、その意味で実に寓意的な作品と言えるのではないだろうか。

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一方、1970年に制作されたモーリッツの傑作のひとつ「Les mangeurs de girolles(キノコ喰い)」と1985年に制作された「Vérole(黴毒)」の二つの作品の間には、「Rencontre(邂逅)」と「12 ans après」と同じように、原因と結果を象徴するような関係を見出すことが出来る。無数のキノコが生える湿地帯に漂着、あるい座礁した外輪船の後部デッキにはひとりの男が眠りに落ちており、その傍らでは、食用にするためのキノコ(?)が火に炙られている。西洋ではキノコは男性器の比喩として用いられており、乱交、売春、男色といった危険な性行為を起因とする黴毒が予感されるのである。そしてまさしく1985年、その病名を題名とする作品「Vérole(黴毒)」が制作されている。こちらでは植物が生茂る岸辺近く浮かぶ一人乗りの外輪船が描かれており、後部デッキには、治療道具を傍らに置き、下半身を露わに横たわる男の姿が見える。やがて朽ち果て、生まれ出てた土に還るのを宿命とする、まさに人間、そして文明の偽ざる姿であろうか。同じ年に制作された「Petit Refuge(小さな避難所)」はその後の世界を描いているのかもしれない。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:L'Anachorete, 1984
●サイズ:330x253mm(118x90mm)
●技法:Burin & Drypoint
●限定:100
●制作年:1984

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●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Print
●題名:Vérole, 1985
●サイズ:330x253mm(118x90mm)
●技法:Burin
●限定:100
●制作年:1985



註:

1.聖アントワーヌ、聖アントニウス(Antonius、c.251-356)は実在の人物で、アレクサンドリアのアタナシオス(Athanasius of Alexandria) によると、三世紀の中頃、エジプトに生まれ、敬虔なキリスト教徒であった両親の下、キリスト教徒として教え受ける。二十歳の頃に両親と死別。協会で聞いた福音書の言葉に従い、土地や家財を村人や貧者に与え、自らは砂漠に移り住み、隠者として瞑想と苦行の生活を送る。町での説教で心を打たれた修道僧らと開いたのが修道院の始まりとされる。しかしそれはアントニウスの本意ではなく、より過酷で厳しい修行を求めて山に向かい、修行の果てに356年、105歳という長寿を全うしたと伝記に記されている。

悪魔が繰り出す諸々の誘惑を象徴する様々な怪物に囲まれ、苦闘する聖アントワーヌの姿を描いた作品は古くから絵画の格好の画題として、繰り返し描かれている。「聖アントワーヌの誘惑」との題名で、ヒエロニムス・ボス、マティアス・グリューネヴァルト、、アルブレヒト・デューラーやダリらが絵画作品を制作、マルティン・ショーンガウアー、ペーテル・ブリューゲル(父)、ジャック・カロ、オディロン・ルドンが版画作品を制作している。


参考文献:

Mohlitz Gravures et Dessins 1963-1982, Éditions Natiris, Frédéric Daussy, 1982 pp.16, 42,101.
Philippe Mohlitz Gravures 1982-1992, Éditions Ramsay, 1993 pp.16,24,22.
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by galleria-iska | 2015-08-08 18:06 | その他 | Comments(0)