ガレリア・イスカ通信

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2016年 01月 31日

ベルナール・ビュッフェの年賀状「Galerie Sagot de Garrec」(1970)

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前回、レンブラントの銅版画の作品を取り上げた際、ドライポイントの刷りの特徴である滲みについて触れたので、今回はその例となる作品を取り上げてみる。我が国の作家で思い出されるのは、個人的には、多種多芸の芸術家であった故池田満寿夫(Masuo Ikeda, 1934-1997)の初期の作品やドライポイントによる銅版画制作に固執し続ける名古屋市出身の版画家、吉岡宏昭(Hiroaki Yoshioka, 1942-)氏であるが、残念ながら、手元に例証となる作品を持ち合わせていないので、フランスの画家兼版画家ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)」の小品で代用する。

この作品「サン=ジェルマン=デ=プレ教会(Église Saint-Germain-des-Prés)」は、ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet, 1928-1999)が1970年に、版画の彩色家から書店経営を経て版画商に転じた父ヴィクトール・プルーテ(Victor Prouté,1854-1918)の意志を継ぎ、1920年からパリ6区のセーヌ通りに画廊(Paul Prouté, S.A./Galerie d'art Paul Prouté, Paris)を構えるポール・プルーテ(Paul Prouté, 1887-1981)と並び称される、1881年創業の版画・素描専門の画廊で版元のサゴ=ルガレック(Galerie Sagot-Le Garrec, Paris)の1971年用の年賀状として制作した作品で、バー(burr)と呼ばれる“まくれ”によるインクの滲みが良く出ている。承知の通り、ドライポイントは直刻法による凹版画のひとつで、比較的柔らかい金属である銅やアルミニウムの板を使い、それより硬い鋼鉄製のニードルや刃物で、直接版面にイメージを刻み込む技法である。そうやって出来た版には、刻まれた刻線の両側に“まくれ”ができ、この“まくれ”の裏側に付いたインクが紙に刷り取られる際に出来る滲みが、画面に豊かな表情を与えるのである。この滲みを好んで用いたのが、かのレンブラントであり、ビュッフェであったのである。年賀状となったのは第二段階(2nd state)もので、600枚(うち500枚がサゴ=ルガレックの年賀状)が1929年創業のパリの銅版画工房ラクリエール・エ・フレロー(Atelier Lacourière et Frélaut, Paris)で印刷されているのだが、メッキが施されているためか、“まくれ”が磨耗せずに残っている。第一段階の刷りは僅かで、現物は目にしたことはないが、美術史家でアカデミー・フランセーズの会員であったモーリス・ランス(Maurice Rheims,1910-2003)編纂の銅版画目録に掲載されている図版ものではないかと思われる。比べて見ると、第二段階では消えている(消されている?)滲みが幾つか見られる。

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描かれているのは、パリ6区のサン・ジェルマン・デ・プレ地区に建つ、パリ最古のロマネスク様式の教会、サン=ジェルマン=デ=プレ教会(Église Saint-Germain-des-Prés)である。ビュッフェはロマネスク様式の教会が好きだったようで、この教会だけで三度も版画に描いている。最初の作品は、1962年に刊行されたリトグラフ版画集『アルバム・パリ(ALBUM PARIS : PORTFOLIO DE DIX LITHOGRAPHIES)』(C.S.31-40)(註1)所収の「サン=ジェルマン=デ=プレ(Saint-Germain-des-Prés)」、次は1965年制作のリトグラフ「サン=ジェルマン=デ=プレ広場(Place Saint-Germain-des-Prés)」(C.S.65)、そして三番目の作品となるのがこの「サン=ジェルマン=デ=プレ教会」である。三作品とも教会を同じ角度から描いているのだが、年度が下がるにつれ、視点が教会に近づいていっている。

●作家:Bernard Buffet(1928-1999)
●種類:Greeting card(Carte de vœux)
●題名:Église Saint-Germain-des-Prés
●フォーマット:255x200mm(255x400mm)、プレートマーク:215x169mm
●技法:Dry point(Pointe sèche)
●限定:500(+100 without text)
●紙質:B.F.K. Rives
●発行:Galerie Sagot-Le Garrec, Paris
●印刷:Atelier Lacourière et Frélaut, Paris
●制作年:1970
●目録番号:R.72
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参考文献:

Bernard Buffet graveur 1948-1980(Catalogue raisonné de l'oeuvre gravé). Maurice Rheims, Éditions d'Art de Francony, Nice / Éditions Maurice Garnier, Paris, 1983. 1958年から1980年までのビュッフェのドライポイント作品367点を収録しており、当該作品の目録番号は72(R.72)である。

Bernard Buffet : Lithographe(1952-1979), Charles Sorlier, Michele Trinckvel-Draeger, Paris, 1979. ビュッフェが1952年から1979年にかけて制作した325点のリトグラフを収録している。

註:

1.アルバム・パリ:ALBUM PARIS : PORTFOLIO DE DIX LITHOGRAPHIES. Poèmes de Charles
Baudelaire. A. Mazo éditeur, Paris 1962. (Ile Saint Louis, Place des Vosges,
Point du Jour, Porte Saint Martin, St Germain des Prés, Tour Eiffel, Pont
des Arts, Sacré Coeur, Pont de la Concorde, Arc de Triomphe).目録番号:Charkes Sorlier (C.S.)31 à 40.
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by galleria-iska | 2016-01-31 15:28 | その他 | Comments(0)
2016年 01月 19日

レンブラントのエッチング「Byblis: 29 facsicule」(1929)

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フランスの美術専門誌『Byblis』の29号(1929年春)の特集記事は、この年、17世紀オランダの画家レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz van Rijn, 1606-1669)のエッチングの真贋と技法、および制作年に関する二冊組の研究書「Rembrandt」(註1)を上梓したフランスの画家、版画家、メダル彫刻師で、美術史家のアンドレ=シャルル・コピエ(André-Charles Coppier, 1866-1948)による研究論文「Rembrandt, Divers aspects de son œuvre gravé」を掲載しており、パリのジャックマン工房(ジャックマン夫人工房Chez Madame Jacqueminのことか?)によるレンブラントの3点の原版を使った後刷りが挿入された。

レンブラントは17世紀オランダを代表する画家のひとりであるとともに、世界三大版画家(エングレーヴィングを駆使したデューラー、エッチングのドライポイントによる表現を完成させたレンブラント、アクアチントを表現に用いたゴヤ)のひとりに数えられ、それまでは制約の多いビュランで制作されることが多かった銅版画に自由な描線を可能とするエッチングの技法を取り入れ、それを飛躍的に発展させた作家として、生涯に約300点の作品を残している。その原版(Copper plate)の多くは破棄されるか失われてしまったが、死後100点ほどが残された。原版のその後の所有者の変遷は、研究者によると、以下の通りである:

17世紀:
そのうちの74点を入手(レンブラントの存命中で、財産が差し押さえられ競売に掛けられた1656年から息子のティトゥスが亡くなる1668年までの間ではないかとされる)したのは、レンブラントの友人で、レンブラントの版画作品「Clement de Jonghe, Printseller」(1651.BB 51-C)にも登場する版画商で版元のクレメント・デ・ヨンゲ(Clement de Jonghe, 1634/5–1677)で、ヨンゲは1677年頃に原版の最初の目録を作成している。1679年の目録には75点と記されている。

18世紀:
入手経路は不明だが、1767年にアムステルダムの商人で収集家のピーテル・デ・ハーン(Pieter de Haan, 1723-1766)の遺産の売り立てが行なわれ、目録には76点(内47点はヨンゲのコレクション)の原版が記載されている(ヨンゲとハーンのコレクションを合わせると103点の原版が残っていたことになる)。
《1767年~1768年》:アムステルダムのピーテル・デ・フーケット(Pieter de Fouquet/Pierre Fouquet Jr., 1729-1800)が54点の原版を1767年の売り立てで購入し、後にパリの版画家でレンブラントの鑑定家であったクロード=アンリ・ワトレ(Claude-Henri Watelet, 1718-1786)に売却しているが、実際は、ワトレが手数料を払って、フーケットに落札させたのではないかと言われている。
《1768年~1786年》:1786年までワトレのコレクションであったが、彼の死後、その遺産が売却され、その中に78点の原版が含まれていた。後の記録によれば、ワトレは83点の原版を所有していたとある。ワトレは有能な銅版画家であり、原版を元あった状態に戻すために、原版の幾つかにエッチングとエングレーヴィングによる最初の修正(rework)を加えたが、これが後の加筆、修正を生む原因となった。
《1789年~1797年》:パリで版画工房を営み、版画の販売と出版を行なっていたピエール・フランソワ・バザン(Pierre-François Basan, 1723–1797)が1786年にワトレが所有していた原版を全て購入、1789年から1797年の間に、80点のレンブラントの版画作品集《Recueil de Basan》として出版する。

19世紀:
《1807年~1808年》:1797年のバザンの死後、バザンの息子アンリ・ルイ・バザン(Henri Louis Bazan)が遺産を受け継ぎ、注文に応じて《recueil:book with bleu or green motting on the outside》を出版し続ける。この間、原版はかなり磨耗、損傷。
《1805年~1810年》:1805年から1810年の間に、フランスの出版人オーギュスト・ジャン(Auguste Jean, 17??-1820)がバザンから全ての原版を購入、数は多くは無いが、ジャンの《recueil》として出版する。ジャンの死後、彼の未亡人が1826年、刷り師のC.ノーデ(C.Naudet、active about 1800, Paris)と組んで再販を行なう。
《1816年~1826年》:ロンドンのJ.M. クリーリー(J.M.Creery、active 1816–1826,London)が1816年、ジャンのコレクションには無い6点のレンブラントを含む「200点のオリジナル・エッチング」を出版。1826年に同じくロンドンのJ.ケイ(J.Kay)が再販。

19世紀から20世紀:
《1846年~1906年》:1846年ごろ、死を前にしたジャンの未亡人がパリの銅版画家オーギュスト・ベルナール(Auguste Bernard, 1811-1868)にコレクションを売却。コレクションは1906年まで、彼と息子のミシェル(Michel Bernard)のもとにあり、《recueil》を出版し続ける。その間に、"Death of the Virgin(B-99, BB 39-A)"(註2)の原版が損傷を受けるか失われ、コピーに置き換えられた。
《1906年~1938年》:1906年、パリの収集家アルヴァン=ボーモン(Alvin-Beaumont)がベルナールの息子ミシェルから原版を購入。レンブラントの研究者であったアンドレ=シャルル・コピエなどから贋物と断言されたが、詳しい調査の結果、本物と認められた。ボーモンはレンブラントの生誕300年を記念して、ボーモン版として知られるレンブラントのエッチング集を出版し、要人や美術館に寄贈。その後、新たな刷りを不可能にするため、原版にはインクが詰められ、その上にニスが掛けられた。そして、金で装飾されたフランスの題名とともに、黒の額に入れられ、アムステルダム国立美術館版画室に7年間貸し出された。その間、ボーモンはアムステルダム国立美術館とイギリスの大英博物館(The British Museum)と原版の売却交渉を行なったが、いずれも失敗に終わる。
《1938年~1993年》:ボーモンは1938年、当時パリに住んでいたアメリカ人の友人で収集家の国際的な弁護士ロバート・リー・ハンバー博士(Robert Lee Humber)に売却、ハンバーは原版を携えて彼の故郷であるノースカロライナに帰郷し、ラーレイのノースカロライナ美術館(The North Carolina Museum of Art, Raleigh)に寄託、1970年に彼が死に、遺族がコレクションを浮け注ぐまで、30年間保管された。原版は1993年まで美術館で保管されたが、その年、ハンバーが所有していた78点の原版を遺族からロンドンのアルテミス・インターナショナル(Artémis International, London)が購入し、ロンドンでのオークションに掛けた。原版は先ずオランダの美術館の代理人にオファーされ、その後、セールが公開された。購入者はアムステルダム国立美術館(The Rijksmuseum)、レンブラントハウス(The Rembrandt House), アムステルダム歴史博物館(The Amsterdams Historisch Museum)を初めとし、パリの国立図書館(Bibliothèque nationale, Paris)やオランダ研究所(Institut Neerlandais)を含む、世界中の名立たる美術館、そして個人の収集家や業者が購入し、コレクションは世界中に分散してしまう。
《1993年~1994年》:ハンバーコレクションの内の8点は、同じ年、アルテミス・インターナショナルからセールの協力者であったニューヨークのレンブラント作品の鑑定家で業者のロバート・ライト(Robert Light)に売却された。ライトは1994年、原版をビバリーヒルズの収集家ハワード・バーガー博士(Dr.Howard Berger)に転売する。バーガーはミレニアム版を制作。
《2003年~》:2003年、パーク・ウエスト・ギャラリー(Park West Gallery)が原版とミレニアム版を購入、刷り師のエミリアーノ・ソリーニ(Emilliano Sorini)と弟子のマルジョリー・ファン・ダイク(Marjorie Van Dyke)によって新たに各2500枚刷られた。

挿入された3点の原版の所有者も、Watelet, P.F.Bazan, H.L.Bazan, Auguste Jean, Auguste and Michel Bernard, Alvin-Beaumontとなっており、アルヴァン=ボーモンの手元にあった時期(1906年~1938年)に、ボーモンの許可を得て刷られたものであるが、上に名前を挙げた人物たちの手によって修正が加えられていることは間違いない。レンブラントの生前でも既に版は磨耗しているので仕方のないことではあるが、レンブラントの版画の特徴を成す、ドライポイントによる彫線の際のまくれ(burr)が生み出す線の両脇にインクが滲んだようにみえる幅のある陰影は、どこにも見られない。

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                     『Byblis』29号(1929年春)の目次
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        目次(部分)

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Les Pèlerins d'Emmaüs/Christ at Emmaus,1654(B-87, BB 54-H:エマオの巡礼者(エマオのキリスト)
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(211x160mm→207x160mm)この作品では、生前の刷りと見比べてみると、画面上部が5mmほど切り詰めるられている。
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Le retour de l'enfant prodigue/The return of the prodigal son,1636(B-91, BB 36-D:放蕩息子の帰宅)
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(157x137mm→155x135mm))この作品では、画面上部と左端がそれぞれ2mmほど切り詰められている。
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レンブラントの版上の署名と年記(Rembrandt f.1636)
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Les mendiants à la porte d'une maison/Beggars receiving alms at a door,1648(B-176, BB 48-C:戸口で施しを受ける乞食たち)
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(165x128mm→163x124mm)こちらの作品は、画面上部が2mmほど、右端が4mmほど切り詰められ、1648年の年記の8の部分が消えてしまい、判読できなくなっている。
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三点のエッチングの刷りには、アルシュ(Arches)の透かしの入ったレイド紙(簀の目状の透し筋入り紙)が使われている。



註:
1.Les eaux-fortes authentiques de Rembrandt. La vie et l'oeuvre du Maître. La technique des pièces principales. Catalogue chronologique des eaux-fortes authentiques et des états de la main de Rembrandt. André-Charles Coppier, Firmin-Didot et Cie., Paris, 1929

2.
目録番号の《B》は、オーストリアのウィーン出身の学者で銅版画家アダム・バルチュ(Adam Bartsch, 1757-1821)が編纂した目録番号を示す:Catalogue raisonné de toutes les estampes qui forment l'oeuvre de Rembrandt, et ceux de ses principaux imitatuers. Composé par les sieurs Gersaint, Helle, Glomy et P. Yver. Nouvelle édition. Entiérement refondue, corrigée et considérablement augmentée par Adam Bartsch, 2 vols., A. Blumauer, Vienna, 1797. Le Peintre Graveur, 21 vols,1803-1821, Vienne.
目録番号の《BB》は、スウェーデン人の収集家ジョージ・ビヨルクルンド(George Biörklund, 1887-1982)とカタログ編者のOsbert H. and Barnardによって年代順に編纂された番号を示す:Rembrandt's Etchings True and False, George Biörklund/Esselte Aktiebolag, 1955. Second Edition, George Biörklund, Stockholm, 1968. Reprint of the second edition, Hacker Art Books, New York, 1988

参考文献:
●George Biörklund:Rembrandt's Etchings True and False, George Biörklund/Esselte Aktiebolag, 1955. Second Edition, George Biörklund, Stockholm, 1968. Reprint of the second edition, Hacker Art Books, New York, 1988

George Biörklund, Stockholm. Second Edition, Hacker Art Books, New York, 1988
●G.W.Nowell-Usticke:Rembrandt's Etchings, States and Values, 1967, Hacker Art Books, New York, 1988
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by galleria-iska | 2016-01-19 21:50 | その他 | Comments(0)
2016年 01月 12日

フランスの美術専門誌ビブリス「Byblis,miroir des arts de l'lvre et de l'estampe, Vol.8」(1929)

古代ローマの装飾美術や木版画に関する研究書を数多く著した美術史家で版画家のピエール・ギュスマン(Pierre Gusman, 1862-1941)によって1921年に創刊された季刊の美術専門誌『ビブリス』(Byblis,miroir des arts de l'lvre et de l'estampe)。創刊号は1921~22年の冬号で、1931年の秋冬号となる40号までの全10巻が、20世紀初頭のフランスで書籍と美術雑誌の出版を手掛けたアルベール・モランセ(Albert Marcel Morancé, 1874-1951)が設立した出版社(Éditions Albert Morancé, Paris)から刊行された。そのうちの第8巻31号(第8巻:29号~32号)の特装版100部(100 sur vélin d'Arches avec épreuves signées)には、我が長谷川潔(Kiyoshi Hasegawa,1891-1980)による署名入りの銅版画2点:メゾチント(マニエル・ノワール)の作品「サン・ポール・ド・ヴァンスの村(Village de St.Paul de Vence)」とドライポイント(ポアント・セッシュ)の作品「水より上がる水浴の女(Baigneuse sortant de l'eau)」が挿入されている。通常版500部(500 exemplaires sur papier « vélin pur fil »)には後者の無署名のものが挿入されている。
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                    ビブリス一年分4冊を収めることが出来る特製のバインダー:1929年用:302x239mm
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このメゾチントによる風景画作品は、当時のフランスでは誰一人試みる者がいなかった、17世紀オランダおいて創始され、レンブラントも試みている「細粒刻点下地」による伝統的なメゾチントではなく、長谷川がそれまでの西洋にない独自性を持って評価を受けるために編み出した、「交差線下地」という独自の技法で制作されている。長谷川は1924年にこの「交差線下地」によるメゾチントの技法を創案、25年にこの技法で制作した最初の風景画作品「プロヴァンスの古市(グラース)Site provençal(Grasse)」を発表し、メゾチントを使って純粋の風景画を制作した最初の作家としてフランス画壇での評価を得ることとなる。長谷川の初期のメゾチントは、1923年から24年にかけて制作した風景画におけるエッチング(オー・フォルト)とドライポイントによるクロス八ッチングによる中間調を意識した表現に飽き足らず、薄い布を通して見るような柔らかな調子を求めた結果、辿り着いたものであるが、それには日本的な感覚(情緒性)が大いに寄与していると思われる。この作品においても、対角線に対して平行に引かれた交差線を画面のそこここに見出すことが出来る。この作品の翌年に制作された「アレキサンドル三世橋とフランス飛行船(Pont Alexandre III et dirrigeable français)」は前期のメゾチントの代表作であり、パリで開催された第1回「航空と美術」国際展に他の銅版画数点とともに出品され、航空大臣一等賞を受賞している。

一方、ドライポイントで制作された裸婦像であるが、長谷川の裸婦の起源は古く、版画を始めて間もない1913年頃からエッチングによる裸婦を何点も制作しており、同時期、雑誌や書籍の装丁として表現主義的傾向を感じさせる躍動感のある裸体を木版画でも追求している。渡仏後、あらゆる版画技法の研鑽を重ね、三年後の1922年に、習作として、セザンヌの水浴図に想を得たであろう「三人の浴女」をエッチングとドライポイントで制作、同じ年に制作した「レダ(Léda)」では、クロス八ッチングによる陰影を試みている。この作品に関して言えば、同じ構図のものが既に1925年に制作されており、ビブリス版は、それと構図もサイズも似通っているが、細かい修正を加え再刻されたと思われる。長谷川が美の象徴としてのヴィーナスを念頭に水浴する裸婦を手掛けたのかは定かではないが、明らかに、日本人女性のような柳腰ではなく、デッサンを通して得た西洋の美の規範に則っとり、腰骨の張ったどっしりとした体躯の裸婦として描いている。1930年までの長谷川にとって裸婦は重要な主題であったようで、この作品を含め、特に水浴の女性を描いた作品を数多く残している。

雑誌名となったビブリス(Byblis)の名の由来は、オヴィディウスの『転身物語』に登場する自分の流した涙で泉に変身した太陽神アポロンの孫娘ビュブリス(ビブリス)から来ており、書物を意味するビブリオ(Biblio-)にも掛けている。

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                        ビブリス31号(1929年秋号)特装版の書影
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       目次を見ると、メゾチントの作品の題名は、Saint-Paul-du-Varと、Saint Paul de Venceの旧名が使われ、村という言葉は付いていない。一方、ドライポイントの作品については、単に「裸婦(Femme nue)」となっており、その技法はこの時期ほとんど用いていないビュラン(burin)とされている。
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表紙に添えられているヴィネット(vignette)と呼ばれる装飾用の小さな絵には、ビブリスの花とともに、出版人であったアルべール・モランセの意を受け、“フランスの書物は常に栄える”との意のラテン語の言葉《liber galliae semper florens》が添えられている。
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                           アルベール・モランセ出版のロゴ(裏表紙)
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「サン・ポール・ド・ヴァンスの村(Village de St.Paul de Vence)」
●作家:Kiyoshi Hasegawa(1891-1980)
●種類:Print
●題名:Village de St.Paul de Vence
●サイズ:Format:227x284mm(Plate mark:140x182mm)
●限定:100
●紙質:J.Perrigot Arches Special MBM
●技法:Mezzotint(Manière noire)
●発行:Éditions Albert Morancé, Paris
●制作年:1929
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水より上がる水浴の女(ビブリス版)(Baigneuse sortant de l'eau pour Byblis)
●作家:Kiyoshi Hasegawa(1891-1980)
●種類:Print
●題名:Baigneuse sortant de l'eau
●サイズ:Format:280x227mm(Plate mark:152x109mm)
●限定:100
●紙質:J.Perrigot Arches Special MBM
●技法:Drypoint(Pointe sèche)
●発行:Éditions Albert Morancé, Paris
●制作年:1929

この号とともに注目されるのは、17世紀オランダの巨匠レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz van Rijn, 1606-1669)が手掛けた三点のエッチング(註1)の後刷り(posthumous printing)が挿入された29号(1929年春)であろうか。これについては別の機会に取り上げてみたい。



註:

1.題名は以下のとおりである:
●エマオの巡礼者(Les Pèlerins d'Emmaüs, 1654)
●放蕩息子の帰宅(Le retour de l'enfant prodigue, 1636)
●戸口で施しを受ける乞食たち(Les mendiants à la porte d'une maison, 1648)


参考文献:

『長谷川潔の全版画(Catalogue raisonné de L'œuvre gravé de Kiyoshi Hasegawa)』魚津章夫編著 玲風書房、1999年
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by galleria-iska | 2016-01-12 21:43 | その他 | Comments(0)
2016年 01月 11日

ニキ・ド・サンファル展のポスター「Nagoya City Art Museum」(2006)

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下流老人まっしぐらの身ゆえ、昨年の9月18日から12月14日にかけて東京の国立新美術館(The National Art Center, Tokyo)で開催されたフランスの画家、彫刻家、映像作家で版画も手掛けたニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930-2002)の回顧展「ニキ・ド・サンファル展」には出掛けることが出来なかったが、幸いにして、展覧会の企画に加わっているNHKの番組『日曜美術館』で特集が組まれ、その概要を知ることが出来た。今回の展覧会は、2014年にパリのグラン・パレ(Grand Palais-Galeries Nationale, Paris)で開催され、60万人の観客を集めたとされる大回顧展「Niki de Saint Phalle)要素を取り入れながらも日本独自の構成でと、微妙な言い回しを使い、大回顧展ではなく回顧展としているのだが、出品リストを見ると、結局のところ、Yoko増田静江コレクションからの出品が多く、何でも大げさに騒ぎ立てて耳目を集めようとするメディアの放つ謳い文句に踊らされた感も無きにしも非ずである。

日本国内でのニキの大規模な展覧会としては、今回程大きな話題にはならなかったかもしれないが、ニキが亡くなって4年後の2006年に、栃木県那須郡のニキ美術館(Niki Museum Gallery, Nasu, 1994-2011)とドイツのハノーファー市のシュプレンゲル美術館(Sprengel Museum, Hannover)の協力で開催された名古屋市美術館(Nagoya City Art Museum, Nagoya)での回顧展「ニキ・ド・サンファル展」(会期:2006年6月17日~8月15日)が先陣を切っている。こちらは招待券を頂いたので、なんとか観に行くことが出来た。これはその展覧会の告知用ポスター。使われているのはニキ美術館所蔵の「恋する鳥(L'oiseau amoureux) 」(1972年)で、撮影は故増田静江(Shizue Masuda,1931-2009)氏のニ男、黒岩雅志氏である。

常々思うのだが、グラフィック・デザイナーが手掛けることが多い日本の展覧会ポスターは、デザイン性に優れ、美しく(=無味無臭)作られてはいるが、パッケージデザインのようで、欧米の作家がデザインしたポスターのような、作家の生の個性が伝わってこないものが多い。それはポスターに盛り込む情報量の多さに起因しているのではないかと思われる。基本的には展覧会のタイトルと時と場所だけで事足りると思うのだが、役人仕事が入り込んでくるのか、ポスターが視覚言語としてではなく、文字情報の伝達手段と化してしまっている。このポスターでもそうだが、デザイナーの工夫によって目立たぬよう-自己矛盾!-に配慮されてはいるものの、これ以上の親切は無いというくらい事細かく記載してある。そのため、肝心の作家に興味を持たせ、観たいと思う気持ちを起こさせる機能が削がれてしまっている。それはつまり、情報伝達というポスターが本来持つ機能に拘泥するあまり、展覧会という行事が先行し、作家の創造性に対する理解と敬意を蔑ろにしてしまっていることに他ならない。ポスターは回覧板ではないのだ。ついでに言えば、多くの美術館では展覧会に先立ち、ポスターと同じデザインで、裏側には展覧会の案内と簡単な作品紹介が付いたA4サイズのチラシを用意しており、そちらは手に取って読むことができるのだから、ポスターの過剰とも言える文字情報は極力削るべきであろう。

●作家:Niki de Saint Phalle(1930-2002)
●種類:Poster
●サイズ:728x516mm(B1)
●技法:Offset
●発行:Nagoya City Art Museum, Nagoya
●制作年:2006
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by galleria-iska | 2016-01-11 21:25 | ポスター/メイラー | Comments(0)