ガレリア・イスカ通信

galleriska.exblog.jp
ブログトップ
2010年 08月 29日

ホルスト・ヤンセンの出版目録「Hans Christians Verlag」&「Hermann Laatzen」(1972)

a0155815_176314.jpg

ハンブルクの印刷・出版業者ハンス・クリスティアンズは、素描家や銅版画家としてのホルスト・ヤンセンは勿論のこと、もうひとつの顔ともいえる、出版狂としてのヤンセンを語る上で欠く事のできない役割を果たしている。これはそのハンス・クリスティアンズから刊行されたヤンセンの著作の目録で、ヤンセンが1960年代から70年代初頭にかけて用いた亜鉛版エッチングによるヤンセンの年記入りのカット絵(自画像)が一点添えられている。厚手の用紙に、32センチという長さは、出版社の広告入りの栞や差し込み広告としてはかなり大きなもので、フォリオ版サイズ以上の出版物でないと用を足さない。しかし、敢えてそうすることで、そこには、広告用の印刷物でありながら、ビラやチラシの類とは違う何かを見る者に感じさせようとする作り手の狙いがあるように思われる。

●作家:Horst janssen(1929-1995)
●種類:Annoucement
●サイズ:320x137mm
●技法:Strichatzung
●発行:Hans Christians Verlag, Hamburg
●制作年:1972
a0155815_1761186.jpg

1960年代のヤンセンの仕事の中で、ポスターや案内状といったグラフックな要素の強い部分は、素描や版画に比べると片手間の仕事のように扱われてしまいがちだが、そこには素描や版画表現とは異なる文法を持った図像表現が見られ、ヤンセン生来の気質や時代背景を反映したものとして、昨今注目が集まり始めている。こちらはハンブルクの書肆へルマン・ラーツェンの、ヤンセンが1966年から始めた肖像画シリーズの広告として作られた、内三つ折りタイプの印刷物。上述のハンス・クリスティアンズのものよりも一年早い。広告は六ページから成り、表紙に肖像画シリーズの最新作を載せ、三ページをそれまでに出版された作品紹介に充て、残りの二ページをヤンセンに関するその他の出版物の紹介に割いている。印刷は、こちらもハンブルクの印刷所兼出版社、ハンス・クリスティアンズ。

a0155815_12115019.jpg

a0155815_12155178.jpg

a0155815_1224793.jpg

a0155815_1212050.jpg

[PR]

# by galleria-iska | 2010-08-29 22:31 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)
2010年 08月 27日

ホルスト・ヤンセンの案内状「Für Verena」(1969)

a0155815_17482099.jpg
                  《表紙》

ヤンセンが1969年にハンブルグの書肆へルマン・ラーツェンから出版した亜鉛版エッチングによる7枚組みの絵草子『悲哀と希望について(Über die Traurigkeit und Hoffnung,Ed.1000))』の出版と展示を告知する案内状。『悲哀と希望について』は、ヤンセンが、妻であったヴェレーナ・フォン・ベートマン=ホルヴェーク(1960年に結婚し1968年に離婚)のために制作した連作もので、離婚後に出版された。同じ亜鉛版エッチングで制作された案内状の表紙絵には、離婚し今は別々に住むヴェレーナとヤンセンが共に涙する肖像が描かれ、肩の部分に“ヴェレーナのために、1969年6月12日”という詞書きが書き入れられている。画面右下の余白に版上サインと年記。2ページに絵草子の広告、3,4ページは、ラーツェンの出版もしくは取り扱いの挿絵本、ポスター、絵草子と呼ばれる刷り物、折り本、画集などの目録となっている。

●作家:Horst Janssen(1929-1995)
●題名:Für Verena(Verena von Bethmann Hollweg )
●サイズ:275x206mm(275x412mm)
●技法:Strichätzung
●発行:Hermann Laatzen, Hamburg
●印刷:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1969

a0155815_17484477.jpg
       《2~3ページ》
a0155815_17483124.jpg
       《4ページ》                            《表紙》
[PR]

# by galleria-iska | 2010-08-27 17:50 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)
2010年 08月 20日

キース・ヘリングの缶バッジ「National Coming Out Day」(1988)

a0155815_1825935.jpg

米国では毎年10月11日は“National Coming Out Day"とされ、当該サイトによると、1987年にワシントンD.C.での“ゲイ”と“レズビアン”の権利を求める全米的なデモ行進の一周年にあたる1988年の10月11日に始められたとある。この年キース・へリングはHIVと診断されており、自らもゲイであることを認め、性的少数者である同性愛者が、自分たちの生活に対する認識を高めるために、家族や友人、職場などで、自らの立場を公表することを奨励する“全米カミングアウトの日”のロゴマークを制作している。その後、性的少数者の範囲はレズビアンとゲイのみならず、バイセクシャルや性転換者を含むものとなっている。このロゴマークは、ティーシャツや缶バッジ、絵葉書などに版権使用されている。

ここで取り上げたものは、オリジナルの缶バッジで、四隅が尖ったタイプのもの。カミングアウトは“Coming out of the closet"を語源としており、性的嗜好を隠している場所の隠喩であるクローゼットの外にでること、同性愛者であることを打ち明けるという意味で使われてきたのだが、ヘリングはその語源となった“クローゼットの外に出る”という言葉をそのまま図像化している。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●題名:National Coming Out Day(NCOD)
●サイズ:38x38mm
●種類:Button(Can badge)
●技法:Silkscreen
●制作年:1988年

a0155815_18251765.jpg

[PR]

# by galleria-iska | 2010-08-20 18:29 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2010年 08月 13日

キース・へリングの缶バッジ「Free South Africa」(1985)

a0155815_17344499.jpg


南アフリカ共和国初の黒人大統領となったネルソン・マンデラ(Nelson Mandela, 1918)氏がまだ獄中(1964年~1990年)にいた頃、日本と南アフリカは互いに重要な貿易相手国として友好関係を結んでいる。アパルトヘイト(人種隔離政策)という有色人種に対する人種差別を旨とする人種主義においては、有色人種である日本人は被差別人種として対等な関係を持つことはできないはずであるが、日本国籍を有する者は、経済的な利害関係によって特例的に“名誉白人”という称号を与えられていた。このことは、今となっては政府関係者や企業の駐在員だった人ぐらいしか記憶にないかもしれないが、多くの日本国民が、この人種政策について教室で学びながらも現実のものとして捉えることができず、遠い国の出来事として半ば傍観していたのである。また、たとえ反対の気持ちを抱いていたとしても、自らコミットすることはほとんど無く、結果として南アフリカの人種差別を経済的に後押ししていたことは、私たちの大きな過失であり、拭いようのない事実として受け止めなくてはならない。

キース・へリングは1985年、アパルトヘイト反対のデモンストレーションとしてフィラデルフィアのJ.F.K.スタジアムでオリジナルドローイングを制作し、また《Free South Africa》運動を広報するためのポスターと缶バッジを制作している。この二つは現在でも入手可能で、1985年に作られたオリジナルの缶バッジは、裏側に"©1985 Keith Haring" と記されている。こちらは1988年版で、"©1988 K. Haring"とある。

ヘリングは、1984年の11月に起こった“南アフリカに自由を”運動に共感し、その運動に協力するために、ポスターと缶バッジのためのデザインを行なっているのだが、このような政治的問題を含むテーマを取り上げるということは画家にとってある種の危険性を伴う意志表示でもあったわけで、それはキースがいわゆるストリートアートの中なら生まれてきたとか、ストリートアートを背景にしているといった表層的な親縁性からは全く無線の造形思考も持っていたことを示している。大学でデザインを学んでいたヘリングは、それまでに存在しなかったテーマを表象化する際、そのメッセージの浸透性を高めるために、ポップアートの作家が用いたように、ある種のアイコンを導入することで視覚的な効果を生み出そうと考え、熟達した画家の手業を避け,誰もが先入観なしに見ることのできる、子供の手によるような太い輪郭線と明快な色彩による図像を用いて表現しようとした。白と黒との対比で描かれたこの図像においては、大多数を占めながらも少数の白人によってその自由を奪われた黒人たちが立ち上がり、制度を作り出した白人たちに強く抗議する姿が示されている。赤いストライプは、言うまでも無く、黒人たちが流した血である。

黒人ミュージシャンのスティービー・ワンダーも、南アフリカの人種隔離政策に異議を唱え、1985年1月に、USA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加し、同年2月14日には、南ア大使館前でアパルトヘイト抗議デモの先頭に立ち、逮捕されている。

それから数年後、国際社会がアパルトヘイトに反対する中、日本は南アフリカの最大貿易国としてエコノミックアニマル振りを発揮し、悪名高き人種差別制度を見て見ぬ振りをしていた。そしてし、その後の狂乱景気に沸く中で、アメリカの一青年の取った行動はおろか、鏡に映る自分の姿以外は、何も見えなくなってしまっていた。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●題名:Free South Africa
●サイズ:38x38mm
●種類:Button(Can badge)
●技法:Silkscreen
●制作年:1988(©1988 K. Haring)


a0155815_17274239.jpg


以下“南アフリカに自由を”運動の発端について書かれている文章を引用しておく:

The Free South Africa Movement began in November 1984, when four people went to the South African Embassy for a meeting with the ambassador to discuss the violations of human rights under the apartheid system.

At the end of the meeting, the participants refused to leave as people gathered outside and picketed the embassy. Within a week, public demonstrations against South African consulates and corporations tied to South Africa spread throughout the nation. Over the course of a year, more than 4,500 people were arrested nationwide and grassroots campaigns developed in more than 40 cities. Union members played a significant role in the protests and local campaigns. The protests and other public pressures moved Congress to pass the Comprehensive Anti-Apartheid Act of 1986.

a0155815_1652059.jpg
こちらが、1985年製のオリジナル。二つを見比べると、オリジナルの方が描線が細く、全体が締まって見える。版画もそうだが、版を重ねると、どうしても線が太くなったり甘くなってしまうようだ。

●作家:Keith Haring(1958-1990)
●題名:Free South Africa
●サイズ:38x38mm
●種類:Button(Can badge)
●技法:Silkscreen
●制作年:1985(©1985 Keith Haring)

a0155815_167658.jpg

[PR]

# by galleria-iska | 2010-08-13 23:42 | キース・へリング関係 | Comments(0)
2010年 08月 09日

ホルスト・ヤンセンの絵草子「Lichtenberger Bilderbogen」(1967)

a0155815_16254258.jpg

1967年にハンブルクの書肆ヘルマン・ラーツェン(Hermann Laatzen, Hamburg)から“リヒテンベルク絵草子”と銘打って刊行された亜鉛版エッチングによる作品。画面下の書き込みによると、この絵草子は二ヶ月毎に一点刊行され、計六点のシリーズになるとあるが、確認できたは三点のみである。描かれているのは、格言家、また画家ホガースの版画研究でも有名な18世紀の物理学者、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク(Georg Christoph Lichtenberg, 1742-1799)で、ヤンセンはこの肖像画を描くに当たり、リヒテンブルクの唱えた感情表出学をアイデアの源泉として用いている。

リヒテンベルクは、18世紀ヨーロッパで大流行した観相学を大成したスイスの牧師、ラファーター(Johann Kasper Lavater)の『観相学断片』に対する反論として著した著書『観相学について、観相学者への反論』の中で、観相学に対抗して感情表出学を提唱している。それは観相学や骨相学が人体の頭部に現われた特徴からその内部にある固有の性格や才能を分析的に見極めようとしたのに対し、感情表出学は、刻々と変化する人間の顔の表情や身振り、衣装や態度といったものから、直感的に人格を判断しようとするものであった。観相学者にとっては、次々と移り変わる顔面の生き生きとした表情は判断を誤らせる元でしかないが、感情表出学者には、それがすべての判断の基準となるのである。

リヒテンブルクのこの考え方を人間観察の範としたヤンセンは、当時描かれたリヒテンブルクの横顔の肖像画をもとに、ラファーターの云う《きわめて理性的な頭蓋骨側面と理性的な影》とはかけ離れた、粗野で猥雑で、どこか滑稽にも見える、様々な表情をした人物の顔を隙間無く描き入れ、そこに現実の人間の姿とその本質を暴き出そうとしており、。それはまた、アルチンボルトにおける寓意的な肖像画にも通ずる、象徴性を帯びた肖像画として、我々の現前に提示されている。画面右下の小枠に版上のサイン。

●作家:Horst Janssen, 1929-1995
●題名:Laatzen's bilderbogen: 2 Folge 1 bogen
●サイズ:645x446mm
●技法:Strichätzung(Zinkätzung)
●限定:1000
●発行:Hermann Laatzen, Hamburg
●刷り:Hans Christians, Hamburg
●制作年:1967
a0155815_22172164.jpg
ヤンセンが作品制作の下敷きに使ったと思われる銅版画によるリヒテンベルクの肖像画
[PR]

# by galleria-iska | 2010-08-09 16:52 | ホルスト・ヤンセン関係 | Comments(0)