人気ブログランキング |

ガレリア・イスカ通信

galleriska.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:その他( 133 )


2019年 05月 09日

タマヨの版画総目録「Rufino Tamayo:Catalogue raisonné: Gráfica - Prints 1925-1991」(2004)

a0155815_19404643.jpg

もともと発行部数も少なく、大学や美術館の研究者を始め、画廊や専門業者、また収集家といったごく限られた人たちを対象としている作品総目録、いわゆるカタログ・レゾネ(Catalogue raisonné)は、何故かバブル期の美術ブームに乗って一般の美術愛好家にも普及した。ただ流行のアイテムとして書棚に鎮座するも、カタログ・レゾネ本来の活用が成されたかというと疑問が残る。結局は画集のように図版を見て楽しむという使われ方に偏り、作品に関する様々な情報を読み込むという視点が欠落していたのではないだろうか。ところが、そのカタログ・レゾネの稀少性でさえも収集や投機の対象となり、狂乱物価に踊らされた苦い経験がある。知っての通り、バブルの崩壊後に起きた美術品の大暴落は画廊のみならず収集家にも大きな傷跡を残した。他方、欧米では逆に日本からの絵画等の還流によって大きな利益を生み出し、品薄となった絵画作品の価値は着実に上昇し、それまでのオークション・レコードを塗り替えるほど高額で落札されており、そのような傾向は今も続いている。複製芸術である版画やポスターに興味を持ち、少なからず関わってきた人間には更に辛いことであるが、1995年以降のインターネットの普及に伴い、美術品のネット・オークションが始まると、歴史に残る画家以外の版画作品やポスターの価格は、更に落ち込み、それと共に高価な紙資料としてのカタログ・レゾネの需要も減り、画廊の棚に置かれていた大量のレゾネまでが投売りされることに。そんな光景を幾度となく目にしてきているが、デジタル版のカタログ・レゾネが普及するまでは、研究者にとって第一級の研究資料であることには変わりなく、また美術業界への新規参入者による新たな需要が生まれてきていることも確かである。そういう意味では、編者の長年の調査、研究の賜物であるカタログ・レゾネは本来(?)の居場所へ戻りつつあるのかもしれない。

出版予告から一、二年遅れ、2004年に定価125ドルで刊行された20世紀メキシコを代表する画家ルフィーノ・タマヨ(Rufino Tamayo, 1899-1991)の版画作品の総目録「Rufino Tamayo: Catalogue raisonné: Gráfica - Prints 1925-1991」(英語・スペイン語併記)。タマヨのフランス時代の挿絵本を何冊か手にしていたので、詳しいデータを得ようと出版と同時に入手した。一般の愛好家の需要も見込んでか、全作品をカラー図版で紹介しており、発色も鮮やかで、資料としてのみではなく、画集として見ても十分楽しめる作りとなっている。カタログの編纂には1981年に開館したタマヨ美術館(Museo Tamayo Arte Contemporáneo, Mexico City)も加わっており、出版にはそのタマヨ美術館を支援するために1989年に設立された財団「Fundación Olga y Rufino Tamayo, A.C.」 が名を連ねている。360頁を超える全頁にアート紙が使われており、十分に重い。個人的には、もっと資料性を前面に押し出して欲しかったのだが、デジタル時代の出版事情を考えれば、望むべくもない。それから早(?)14年余りが経過、タマヨの評価が今までにも増して高まっているのだろうか、何か大きな変化が起こっているようである。ここ数年、はっきりした理由は分からないが、このカタログ・レゾネが急激に値上がりしている。数年前迄は定価以下でも手に入ったのだが、その後、二倍から三倍となると、大手のネット古書販売のサイトから姿を消し、今では千ドル以上の値が付けられている。アマゾン・マーケットプレイスの出品者の中には、専門機関の需要を見越してか、数千ドルもの値を付ける業者もいて、バブルの再来か、といった感がある。

●作家:Rufino Tamayo(1899-1991)
●種類:Catalogue raisonné
●題名:Rufino Tamayo: Catalogue raisonné: Gráfica - Prints 1925-1991
●サイズ:330x252x33mm
●技法:Offset
●発行:Turner/Fundación Olga y Rufino Tamayo/ CONACULTA–INBA(註1)
●発行年:2004
●定価:US$125.00
a0155815_1941463.jpg






註:

1.CONACULTA(Consejo Nacional para la Cultura y las Artes)-INBA(Instituto Nacional de Bellas Artes)

by galleria-iska | 2019-05-09 21:47 | その他 | Comments(0)
2019年 04月 08日

ロバート・スミッソンのプロジェクトに関する手紙「The land is part of the Art」(1993)

a0155815_2113261.jpg

a0155815_1239439.jpg

塩湖特有のバクテリアが水面を赤く染めるユタ州にあるグレートソルト湖のローゼル・ポイント(Rozel Point in Utah’s Great Salt Lake)に造られたランド・アート(=アースワーク)の象徴的作品「Spieal jetty(スパイラル・ジェティ)」の作者として知られるアメリカの現代美術家(彫刻家)のロバート・スミッソン(Robert Smithson, 1938-1973)。そのスミッソンが1970年の初頭、当時ヴァン・ゴッホのコレクションで知られるオランダのクレラー・ミュラー美術館(Kröller-Müller Museum)の館長であったルディ・オクセナー(Rudolf Willem Daan (Rudi) Oxenaar, 1925-2005) に宛てた一通の手紙を一冊の本(冊子)に仕立てたもの。手紙の出所については記されていないので、確実なことは言えないが、オクセナー本人である可能性が高い。内容は計画および進行中のプロジェクトについてのもので、シルクスクリーンで印刷されたアイデア・スケッチ(構想図)が添えられている。現代美術のエフェメラも取り扱うオランダの美術専門の古書店から購入したのだが、彫刻家としてのスミッソンに特に関心を寄せていたわけではなく、様々な梱包のプロジェクトを実行するための資金集めにドローイングや版画を制作する現代美術家のクリスト・ヤバシェフ(Christo Javašev, 1935-)と重ね合わせて見ていたところがあり、画家から出発したとされるスミッソンがどのようなドローイングを描いたのか興味を持ったからである。シルクスクリーンで印刷するぐらいだからとの期待はともかく、さもありなんというものであった。

1964年にミニマルアートの旗手として頭角を現したロバート・スミッソンはミニマル・アートにおける場(サイト)と作品とを一つの総体として展示する、場の固有性(サイトスペシフィック)を意識しつつ、そこにエントロピーの概念を導入している。スミッソンは1969年にイタリア、ローマの採石場の一部を使い、ダンプカーに積まれたアスファルトを斜面から投棄、アスファルトは地面の土を巻き込みながら流れ落ち、抽象的な文様を描き出すという作品「Asphalt Rundown」を制作している。ダンプカーを絵の具缶と見ると、アスファルトの投棄は絵の具を滴り、ドリッピングと見ることができ、その意味ではアクションペインティングの制作を彷彿させ、出来上がった作品をひとつの抽象絵画と見ることも出来なくもない。しかしながらスミッソンの意図は、投棄されたアスファルトがエントロピーの増大の法則により、スミッソンが"The land is part of the art"と言っているように、自然環境の中で時間の経過とともに不可逆的に地質の一部と化し、人為的行為が消し去られた状態へと向かうことによってミニマル・アートを完成しようと図っていると理解されようか。

スミッソンはオクセナーに宛てた手紙の中で、イタリア、ローマのプロジェクトと同様に、オランダでも、タンクローリーに詰まれた生のコンクリートを使って、公園の外れにある石切り場ないし剥き出しの斜面に作品を構築出来るとし、それも地質の一部として残せると語っており、そして縦横6フィートに引き伸ばされた一枚の写真を設置も可能であるとしている。しかしながら、この《公園》のコンセプトはスミッソンのプロジェクト計画において、制限的なあったため、コンセプトの十分な意図が生かされていないと分かり、実現されなかった。その一方で、スミッソンは浚渫にも興味を示しており、現在は淡水化されてアイセル湖となっているゾイデル海(Zuider See)で泥を使ったプロジェクト《break-water》を造ることも可能かもしれないと書いているが、実現したのは、オランダにおけるプロジェクトはアメリカ本国以外で唯一残っているエメン市の砂砕石場におけるランド・アート「Broken Circle/Spiral Hill」(1971)である。

●作家:Rober Smithson(1938-1973)
●種類:Document
●サイズ:307x214mm
●技法:Silkscreen
●限定:48
●印刷:Aldrik Salverda
●発行:Pim Witteveen & Hester Verkruissen
●制作年:1993
a0155815_12423535.jpg

a0155815_2123078.jpg

a0155815_21112965.jpg

a0155815_21381286.jpg

a0155815_21115873.jpg

a0155815_2155257.jpg

a0155815_2161831.jpg


by galleria-iska | 2019-04-08 21:32 | その他 | Comments(0)
2019年 03月 01日

ジャズコンサートのプログラム「Drum Battle」(1964)

a0155815_1830582.jpg
a0155815_18311530.jpg
a0155815_18312923.jpg

何年も前から気になっているのだが、なかなか答えを見つけ出せないでいるものがある。今回はそれを取り上げてみたい。

突然この表紙を見せられたら、出掛けた人を除けば、誰もこれがジャズコンサートのプログラム(註1)とは思わないであろうし、現代美術に関心のある者なら、抽象絵画の展覧会の図録か何かと思ってしまうかもしれない。このプログラムの成立に関しては詳しい情報が無いので説明しかねるのだが、本来は出演者の写真を使ったデザインを想定していた筈だったのが、メンバーあるいは関係者(?)のひとりが知り合いのデザイナー(画家?)を半ば強引に紹介、デザインを決めてしまった、というような話をどこかで読んだような気がするのだが、定かではない。肝心のデザイナーの名前を記憶していない、というか記憶に残っていないので、どういう活動をしていたのかは判らない。肝心のプログラムにはデザイナーの名前はおろか、主催者や関係者(編集にはスイング・ジャーナル社が関わっている可能性が高い)の名前すら記載されていない。ただその特徴的とも言える大きな身振りから生み出される書的(カリグラフィック)な筆致からは、何人かの抽象表現主義の画家の名前が想起されるのだが-まさにそのことが抽象表現主義のジレンマとなっているところがある-特定するまでには至っていない。このプログラムが作られた1964年頃には抽象表現主義の流れは既にネオ・ダダやポップ・アートに取って代わられようとしていたが、激しい身振りを伴った筆致は、ネオダダのロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauchenberg, 1925-2008)の作品にも顕著に現れているし、ヨーロッパでは、独自の抽象表現を追及していたジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)やマルク・シャガール(Marc Chagall, 1887-1985) のような具象画家にも影響を与えている。また、フランスを始めとするヨーロッパにおける同様の芸術運動を「アンフォルメル(informel)」と名付けた批評家で蒐集家のミシェル・タピエ(Michel Tapié, 1909-1987)が推していたジョルジュ・マチュー(Georges Mathieu, 1921-2012)やアントニ・タピエス(Antoni Tàpies, 1923-2012)などの1960年代以降の版画作品やポスターにも《書》を強く意識した作品が数多く見られることは周知の通りである。そういう美術運動に造詣を持っていた、あるいは渦中に居たデザイナーが、ドラマーの激しい身振りを筆致に置き換えたとするならば、ジャズ愛好家に素直に受け入れられたのかどうかは判らないが、面白い試みだったと言えるかもしれない。

●作家:Unknown
●種類:Concert program
●サイズ:300x300mm
●技法:Lithograph(?)
●発行:Unknown
●制作年:1964
a0155815_18313960.jpg
フィリー・ジョー・ジョーンズ(Philly Joe Jones, 1923-1985) の名前の頭文字《P》と紹介記事
a0155815_1831501.jpg
シェリー・マン(Shelly Manne, 1920-1984)の名前の頭文字《S》と紹介記事
a0155815_18315991.jpg
ロイ・へインズ(Roy Haynes, 1926-)の名前の頭文字《R》と紹介記事
a0155815_18321298.jpg
マックス・ローチ(Max Roach, 1925-2007)の名前の頭文字《M》と紹介記事
a0155815_18323175.jpg



註:

1.東京オリンピックが開催された1964年の三月、ジャズ界のトップ・ドラマー四人が来日し、競演するという一大イヴェント「四大ドラマー夢の競演(Drum Battle)」が実現、日本各地でコンサートが開催された。メンバーはフィリー・ジョー・ジョーンズ(Philly Joe Jones, 1923-1985 )(麻薬所持のために入国出来なくなったため、日本人ドラマー白木秀雄が代わりを務めた)、シェリー・マン(Shelly Manne, 1920-1984)、 ロイ・へインズ(Roy Haynes, 1926-)、マックス・ローチ(Max Roach, 1925-2007)のドラムス (ds)、ハワード・マギー(Howard McGhee, 1918-1987)のトランペット (tp)、 リロイ・ヴィネガー(Leroy Vinnegar, 1928-1999)のベース (b)、チャーリー・マリアーノ(Charly Mariano, 1923-2009) のアルト・サックス(as)、 秋吉敏子(Toshiko Mariano, 1929-)のピアノ (p) 。

by galleria-iska | 2019-03-01 21:24 | その他 | Comments(0)
2019年 02月 08日

『別冊みずゑ』 第54号・季刊・秋「Vermeer」(1968)

a0155815_20343317.jpg

前回、17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)ことヤン・ファン・デル・メール(Jan van der Meer, 1632-1675)のことに少し触れたので、今回は国内で発行された貴重な資料を取り上げてみたい。周知のように、21世紀になってフェルメール関連の展覧会が繰り返し開催されている。欧米各国と散らばっているフェルメールを一度に何点も見ることができるのはフェルメール作品の愛好家にとっては嬉しい限りである。しかしながら、その背景には所蔵美術館の資金確保と商魂たくましい主催者の思惑があるように思われる。どこの国でも文化予算は厳しい状況にあり、交換条件なく大枚を叩いてくれるのは”フェルメール・ブーム”(?)に沸く日本ぐらいかもしれない。とは言え、日本人がそれほどまでにフェルメールに熱狂する理由は何なんであろう。その謎に包まれた生涯や時が止まったような光と影が織り成す静謐な画面に魅了されるからであろうか。それは良しとしても、宣伝効果を狙い、今のように大量にイメージが消費されていく状況を見たら、フェルメール自身はどう思うのだろう。

欧米においてもフェルメールの名前が世間一般に注目されたのは、1995年から翌96年かけてワシントンとオランダのデン・ハーグで開かれたフェルメールの大規模な展覧会(註1)がきっかけだったようである。この展覧会の監修を行ったのは、現在日本で開催されているフェルメールの展覧会でも監修を行っているアーサー・K・ウィーロックJr.(Arthur K. Wheelock Jr.(1943-)氏で、彼は1975年から2018年までワシントン・ナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art, in Washington, DC) で17世紀のオランダとベルギー絵画担当の学芸員を務め、数々の展覧会を企画、図録や研究書を著している。2008年には決定版とも言える「Vermeer: The Complete Works」をエイブラム出版から出版しており、その主張に異を唱える研究者もいるが、フェルメール研究の第一人者のひとりである。

振り返って、世の中が騒然としていた今から50年前の1968年に美術出版社から発行された季刊『別冊みずゑ』第54号「特集フェルメール」に果たして一体どれほどの人たちが心を震わせたのだろう。今手元にあるこの雑誌はリアルタイムで購入したものではなく、発行から6,7年年ぐらい経った1975年頃、関西の古書店で見つけた某新聞社の(学芸)資料(註2)の中に混じっていたもの。目当ては「特集レンブラント」の号であったが、一冊150円から200円(発行時の価格は600円)ぐらいだったので、まとめて購入した。その頃は未だ日本語で書かれたフェルメール全作品に関する詳細な研究書は見当たらず、この雑誌は美術史家、文学者、詩人によるフェルメール論を収録するとともに、日本で最初の貴重な全作品目録(カタログ・レゾネ)でもあった。この後、(関連作品を含む)作品解説、年譜、研究文献を担当したオランダ留学経験のある美術史家の菅野敦子氏による「フェルメール研究」が同じ美術出版社から出版される予告までされていたのにも拘わらず、どういう訳か、出版は取り止めとなってしまった。今となっては真相は闇の中であるが、出版社側の事情としては、雑誌の発行以降のフェルメールに対する関心が思ったほど高まらなかったのかもしれない。それとも何かスキャンダラスな事(件)が起こったのだろうか。

菅野氏は作品解説の前書き(註3)で、フェルメールの全作品数を疑問視される作品を含めて35点としているのだが、その拠り所を、以前取り上げたことがあるアンドレ・マルローが監修を行ったフェルメール全作品集「Le tout Vermeer de Delft」としている。この作品数は、初期の神話的主題の作品に対する疑問が呈されることはあっても、現時点でも大きく変動していないし、行方が分からなくなってしまった作品発見への期待は今でも大きい。

●雑誌名:MIZUE
●種類:Quaterly magazine of art
●サイズ:295x220mm
●技法:Offset
●発行:Bijutsu Shuppan-Sha Co, Ltd., Tokyo
●発行年:1968
a0155815_20344939.jpg
a0155815_20345834.jpg
a0155815_20351946.jpg
1974年に東京と京都で開催された「ドイツ民主共和国(東ドイツ)ドレスデン国立美術館所蔵 ヨーロッパ絵画名作展」に出品された日本初来日の「手紙を読む若い女」(1657年頃)。私が目にした最初のフェルメール作品で、一時はレンブラントの作品と見做されていたようである。画面手前に描かれたカーテンは、当時、オランダでは貴重な絵の前にはカーテンを掛けておくという習慣があったことが指摘されているが、騙し絵(トロンプ・ユイユ)的な効果を得るためであった可能性もあるとのこと。私の子供の頃は大変高価であったテレビ(モノクロ)の前には専用の布が掛けてあった。当時のオランダ人もそれと同じような気持ちであったのかもしれない。
a0155815_15582067.jpg
「デルフトの眺望」(1660年頃)。1902年にこの絵をオランダ、デン・ハーグの美術館(マウリッツハウス王立美術館)で見たフランスの小説家マルセル・プルースト(Marcel Proust, 1871-1922)は友人の美術評論家に宛てた手紙の中で、”ハーグの美術館で「デルフトの眺望」を見て以来、私は世界でもっとも美しい絵画を見たことを知りました”と語っており、プルーストの自伝的小説『失われた時を求めて』の「囚われた女」中で、老作家ベルゴットは病気療養中にも拘らず1921年にパリのチュルリー、ジュー・ド・ポーム室(ルーブル別館)で開かれた「オランダ絵画展」に「デルフトの眺望」が出品されているのを新聞評で知り、批評家が褒めていた「黄色の小さな壁面(le petit pan de nur jaune)」(註4)を見るために出掛けて行き、その素晴らしさにうたれ、”生涯を振り返って、自分もこんなふうに書くべきだった”と思っているうちに昏倒して死ぬ場面に、プルースト自身がその年、病をおして見に行ったときの実感が再現されている。
a0155815_20371867.jpg
今では「真珠の耳飾りの少女」(諸説あるが1665年~66年頃とされる)となっているが、菅野氏の解説では「ターバンの女」となっている。高価な顔料であるラピスラズリが使われているターバンに強く印象付けられたためか、「青いターバンの少女」もしくは「ターバンを巻いた少女」とも呼ばれてきた。こちらもオランダ、デン・ハーグの美術館(マウリッツハウス王立美術館)所蔵。





註:

1.1995年から翌96年にかけてワシントン・ナショナルギャラリー(National Gallery of Art, in Washington, DC)とオランダ デン・ハーグのマウリッツハウス王立美術館(Königlichen Gemäldegalerie Mauritshuis in Den Haag) で開催された、フェルメールの歴史的回顧展「Johannes Vermeer」に合わせて刊行された図録。315x250mm、220ページ、ハードカバー、エール大学出版。この図録は入手し易い。
a0155815_15585030.jpg

a0155815_15585915.jpg


2.嬉しいことに、オランダとベルギーの画家の特集号が4冊もあった。
●No.52 季刊・春 1968年「特集 レンブラント」
●No.53 季刊・夏 1968年「特集 ブリューゲル」(絵画作品の総目録付き)
●No.54 季刊・秋 1968年「特集 フェルメール」(”)
●No.58 季刊・春 1970年「特集 ヴァン・エイク」(”)

3.作品解説の前書き
a0155815_13241782.jpg


4.
a0155815_17155170.jpg
画面右端に見えるプルーストの云うところの「黄色の小さな壁面(le petit pan de nur jaune)」が判るだろうか。

by galleria-iska | 2019-02-08 20:54 | その他 | Comments(0)
2018年 11月 26日

パウル・ヴンダーリッヒのリトグラフ「Traum einer Odaliske」(1975)

a0155815_183056.jpg

贔屓の作家の評価の良し悪しは気にならない、と言ったら嘘になるが、昨今のパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)の凋落振りは凄まじく、目も当てられない。先日も、ネット・オークションでのことだが、限定番号、署名入りの正真正銘のリトグラフが一万円以下で落札されていた。ちょっとしたアート・ポスターよりもより安いのだから、業者間での取り引きは想像を絶するものであろう。ネット・オークションでの落札価格が作家本来の価値を決定するわけではないものの、何故にここまで安くなってしまうのだろうか。21世紀に入って、歴史的評価の波の中を潜り抜ける20世紀の作家の数はかなり絞られてきているのは間違いないとしても、生と死の間を生き延びたひとりの画家が到達した生の根源的証であるところのエロティシズムを根底とする作品は、ヴァーチャルな世界がかつての幻想を超えるヴィジョンを提示し得る今、もうそこから何も汲み取れれるものがないのだろうか。そしてこの先作品としての評価の俎上に上ることは、もうないのだろうか。

●作家:Paul Wunderlich(1927-2010)
●種類:Print
●題名:Traum einer Odaliske
●サイズ:762x579mm
●技法:Lithograph with Rainbow printing(Irisdruck)
●限定:100 + 8 e.a +8 e.e.
●制作年:1975
●発表価格:DM 1,200(F.FR. 2,000) ca. JPY 140,000
●目録番号:C.R.510

ドイツの画家兼版画家、また彫刻家でもあったパウル・ヴンダーリッヒは1960年代から70年代にかけて、ウィーン幻想派と共に一世を風靡した作家で、ピカソやシャガール、ミロと肩を並べる程の版画制作を行い、日本でも多くの愛好家を生んだことは知られている。今回取り上げるのは、ヴンダーリッヒが1975年制作した「オダリスクの夢(Traum einer Odaliske)」と題されたリトグラフで、ドイツでは版元がブルスべルク(Galerie Brusberg, Hannover & Berlin)からフォルカー・フーバー(Edition Volker Huber, Offenbach)に代わる頃であり、フランスではベルクグリューン(Berggruen & Cie, Paris)が販売元になっていた。ベルクグリューンの通信販売のカタログには1976年から79年まで載っており、価格は二千フラン(邦貨に換算すると、約14万円)となっている。1980年以降は入手が難しくなってしまったので、後発組の自分はドイツ・ケルンの画廊(Galerie Orangerie Reinz GmbH, Köln)での個展に合わせて作られた限定1000部の告知用ポスター(30ドイツ・マルク)(註1)を手に入れようと画廊に問い合わせたのだが、送料と送金手数料が思った以上に掛かることがわかり、ドイツ国内のポスター専門画廊経由で手に入れた。価格は、画廊の手数料が乗せられ、一枚50ドイツ・マルクだったように思う。このリトグラフ作品の特徴は、何色もの色からなるグラデーションを一版で印刷できるレインボー・プリンティング(独:Irisdruck)の手法を版画制作に取り入れたことであり、この作品では鳥(鷲?)の羽根部分に使われている。ヴンダーリッヒはこの作品を制作する少し前、1974年頃からこの手法を取り入れているが、エアーブラシで微妙な諧調を紡ぎだしているヴンダーリッヒの画風に違和感なく溶け込んでいる。

作品の主題については、ヴンダーリッヒは1970年に入ると、妻のカリン・シェケシーが撮影したヌード写真に基づく作品を制作する一方で、レオナルド・ダヴィンチやアルブレヒト・デューラーといったルネサンスの巨匠の作品の翻案(美術史家の千足伸行氏はパラフレーズ〈言い換え〉と呼んでいる)を幾度となく制作している。1973年には19世紀フランスを代表する画家のひとり、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres, 1780-1867)の絵画作品に基づく5点のリトグラフによる連続版画(Suite d'Ingres)を制作、ハレムの裸婦をモチーフとする”トルコ風呂(Le Bain Turc)”の翻案3点のうちのひとつ「Le Bain Turc III」の画面の外には、長く引き伸ばされた四肢が論議を呼んだ”グランド・オダリスク(La Grande Odalisque)”の構図が取り入れられている。1975年には、この作品と相前後して”グランド・オダリスク”の翻案となるリトグラフの版画作品「Odaliske (nach Ingres)」(左右逆の構図)を制作しているが、この作品では更にオダリスクの肢体が、マニエリスムに見られるような極端な強調、歪曲によって、もしくは写真における歪曲収差(ディストーション)の効果を取り入れた、幻想的で官能的エロティシズムを醸し出しており、このモチーフをヴンダーリッヒ独自のものへと変容せしめている。
a0155815_208783.jpg


ヴンダーリッヒはここでは、幾つもの象徴的とも言えるモチーフを組み合わせ、オダリスクの夢というテーマのもと、ハレムでスルタンの寵愛を受けるオダリスクは真っ赤に勃起した男根(ファルス)に肘をかけ、性愛に身を任せる姿を、官能的でエロティックに描いている。他方、地上を表すであろう画面下部には、原罪を連想させるイチヂクの葉と蛇にリンゴに象徴される知識の木の実を掴む手が小さく添えられ、画面上部には天界の主である神が太陽によって示され、その使者として鷲の羽根(もしくは天使のそれ)が何かを暗示するかのようにオダリスクの背景として描かれている。ヴンダーリッヒはこの女性の裸体像と羽根とを組み合わせた絵画や版画、彫刻作品をこの年から生み出しており、この作品がその切っ掛けとなった可能性もなくはない。

ヴンダーリッヒは自らの戦争体験を通じて、苦悩の時間を過ごしているが、破壊と殺戮の絶望の淵から逃れる唯一の方法は、善悪の彼岸を超えた性愛による没我の一時にあり、その悦楽の中にこそ偽らざる美(”原罪”としての生の根源的意味)を見い出すことができると、妻となる写真家のカリン・シェケシーとの共同作業の中で確信したのかもしれない。


註:

1.
a0155815_16555552.jpg
パウル・ヴンダーリッヒのオリジナル・リト・ポスター「Orangerie Cologne」770x580mm、Ed.1000.

by galleria-iska | 2018-11-26 19:29 | その他 | Comments(0)
2018年 11月 17日

デイヴィッド・ホックニーの画集「Pictures by David Hockney」(1979)

a0155815_18354441.jpg

今朝、テレビのニュース番組を見ていたら、イギリスの現代美術の作家デイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937-)が1972年に制作した「Portrait of an Artist(Pool with Two Figures)」(註1)が現存作家のオークション・レコードを更新したとのニュースが流れてきた。それによると、現地時間11月15日にニューヨークのクリスティーズ社(Christie's, New York)で開催された売り立て『Post-War and contemporary Art Evening Sale』(Sale 15974, Lot 9c)に出品され、手数料込みでUSD 90,312,500(約102億3135万円)で落札されたとのこと。美術関係のニュースとして取り上げられるのは大抵、今回のような浮世離れした高額な作品に関する話題であることが多い。そこには作品に対する理解を促すというような視点は何処にもない。何の脈絡もなく、その(覗き見的な)話題性のみで取り上げられるのだが、唐突に流される情報は、せいぜい一般人の美術品に対する高価で近寄りがたいという妙な偏見を助長するぐらいであろう。

この作品について、1976年に刊行された自伝的な画集「David Hockney by David Hockney」の中でホックニー自身が語っているのだが、それによると(註2)、1972年5月にニューヨークの画廊アンドレ・エメリック(André Emmerich Gallery, New York)で行われた個展の際の販売価格はUSD 18,000(約504万円/$=280で換算)で、出品作品の中では最も高額であった。この金額をホックニーが全額受け取るわけではないが、大変な苦労-特に水中を泳ぐ人物の歪みと水の揺らめき-を重ねて描いた作品なので、それ相応の金額であったことは間違いない。が、一旦その手を離れてしまえば、後に作品の価格が高騰し、今回のように100億円を超える金額で落札されても、作家には基本的には一銭も入ってこないのである。オークションで落札された作品については、作家の権利として、金額の一部を作家に還元するような仕組みが作られた筈なのだが、最近は聞こえてこない。

買い手の側からすると、購入した作品の価格が高ければ高いほど、所有者としてのステイタスを誇示できるわけだが、ぐれぐれも、この作品の買い手が、金満家よろしく最高額で購入し、果ては捨て値で売却してしまう日本人でないことを祈るばかりである。

随分前に知り合いの画廊の担当者から不要になったホックニーの作品集を何冊か頂いたことがあるのだが、その中に今回落札された作品を表紙に使った画集「Pictures by David Hockney」があったのを思い出した。この画集は、前述の画集「David Hockney by David Hockney」を、図版中心にコンサイスに纏めたもので、同じニューヨークの大手美術書出版社エイブラムス(Harry N. Abrams, Inc.,New York)から1979年にソフトカバーで出版されたもの。どういう訳か、表紙がいただいた時から黄身がかっており、原画の持つ清々しさが感じられなく、古ぼけた印象を受ける。それから40年近く経った昨年の2月から5月にかけて、ロンドンにある国立美術館テート・ブリテン(Tate Britain)で開催された60年間の創作活動を振り返る大規模な回顧展「David Hockney」に合わせて刊行されたソフトカバー版の図録「David Hockney」(註3)に、展覧会のハイライトとなったこの作品が使われているのだが、今回の高額落札の旗振り、あるいはお膳立ての役割を果たした、と言っては言い過ぎだろうか。展覧会はテート・ブリテンに続き、パリの国立美術館ポンピドウ・センター(Centre Georges Pompidou, Paris)に巡回、6月から10月まで開催された。ポンピドー・センターからは分厚い図録の他に、廉価版の図録「David Hockney L'Exposition/The Exposition」(註4)が刊行され、そちらにも同様にこの作品が使われている。巡回展の最後は、ニューヨークのメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art, New York)で11月から今年の2月にかけて開催され、テート・ブリテンと同じ図録(ソフトカバー版)が使われている。

●作家:David Hockney(1937-)
●種類:Art book
●題名:Pictures by David Hockney
●サイズ:269x220mm
●技法:Offset
●発行:Harry N. Abrams, Inc.,Publishers, New York
●制作年:1979
●表示価格:$9.95
a0155815_18463224.jpg




註:

1.
a0155815_21503398.jpg
図版:David Hockney: Portrait of an Artist(Pool with two Figures) 1972. 242x305cm

クリスティーズ社の案内によると、この作品の来歴は以下のとおりである:

André Emmerich Gallery, New York
Mr. and Mrs. James Astor, London
William Beadleston, Inc., New York
Stephen Mazoh & Co., New York
David Geffen, Los Angeles, 1983
Acquired from the above by the present owner, 1995(クリスティーズは出品者の身元を明かしていないが、イギリスの富豪ジョー・ルイス(Joe Lewis)ではないかと言われている)

2.
a0155815_11594521.jpg
1976年に刊行された画集「David Hockney by David Hockney」の247~249ページに作品が描かれた経緯や販売での顛末についてホックニーが詳しく語っている。作品が生まれた経緯を要約すると、ホックニーがロンドンにある自身のスタジオにいたとき、地上の何かを見つめる男性-ホックニーの当時のパートナーで写真家のピーター・シュレシンジャー(Peter Schlesinger, 1948)であろうか-の写真と1966年にハリウッドで撮られた水の中を泳ぐ人の写真がたまたま2枚並んで床に落ちていたのを見てこの作品のアイディアが閃き、1971年に最初のヴァージョンを描き始める。切れ目無く6ヶ月も試行錯誤を繰り返したが納得いかず、仕上げることを断念、全く新しいものを描くことにする。そこでフランス南部にある英国人映画監督の家のプールを作品の舞台に選び、絵のモデル二人、彫刻家のモー・マクダーモット(Mo McDermott)とジョン・セントクレア(John St.Clair)という少年を連れて行き、そこで数百枚の写真を撮影。ロンドンに戻ってから、ピーター にも作品のためのポーズをとってもらう。個展に間に合わせるために2週間ほどで完成した作品は、1972年5月に開催された個展で、ドイツ出身のニューヨークの画商アンドレ・エメリック(André Emmerich, 1924–2007)によって1万8千ドルで販売された。が、その年の10月にはロンドンの業者の手に渡り、ドイツの美術見本市に。一年後にはジェームス・アスター(James Astor)なる人物が約5万ドルで購入している。 ホックニーの契約画廊であるカスミン画廊(Gallery Kasmin)を1963年にロンドンに設立したジョン・カスミン(John Kasmin, 1934)が個展に出品する作品を転売目的のヨーロッパの業者に売らないようアンドレ・エメリックに伝えていたのだが、ロンドン業者がニューヨークに住む金持ちという男を仕立てて作品を手に入れ、ロンドンに持ち帰り、高く転売したことが後で判った。一方、最初のヴァージョンは裁断し台無しにするが、切り刻むことはせず、その一部を別の作品に作り変え、他の作品のモデルを務めてくれたファッション・デザイナーのオシー・クラーク(Ossie Clark, 1942-1996)とテキスタイル・デザイナーのセリア・パートウェル(Celia Birtwell, 1941- )夫妻に、また出来栄えの良い部分は切り取り、友人のひとりに贈ったとある。1984年に翻訳版『ホックニーが語るホックニー』(小山昌生訳、パルコ出版)が出版されているので、詳細はそちらを参照していただきたい。

3.
a0155815_8512993.jpg
図版:テート・ブリテンでの展覧会に合わせて刊行されたソフト・カバー版の展覧会図録(280ぺージ)(価格:£29.99)
4.
a0155815_8514879.jpg
図版:ポンピドー・センターから刊行された廉価版の図録(60ページ)(価格:€9.50)

by galleria-iska | 2018-11-17 21:56 | その他 | Comments(0)
2018年 10月 29日

アンリ・マチスの表紙絵「Les Fauves」(1949)

a0155815_17253651.jpg

今から30年以上も前のことになるが、画廊が多く立ち並ぶパリ6区の通りを歩いていたとき、数十メートル先にある画廊の窓際に見覚えのある作品が飾られているのが目に飛び込んできた。それまで実物にお目にかかることのなかったアンリ・マチス(1869-1954)の有名な挿絵本『JAZZ』所収の挿絵のひとつ「Icare(イカルス)」ではないか。興奮する気持ちを抑え画廊の側まで歩み寄ると、売り物らしく値札が付けられており、以外にも手を出せる金額なので、こんな機会は又と無いと思い、両替を済ませて戻ってきたときには消えて無くなっていた。《C'est la vie》 それ以来『JAZZ』との幸運な出会いはない。

マチスの挿絵本の最高傑作と言われる『JAZZ(ジャズ)』(Tériade Éditeur, Paris)は、1947年にフランスの編集者で出版人のテリアード(Tériade)の勧めによって制作された20点の切り絵をポショワールで印刷したもので、この挿絵本によってマチスの切り絵芸術は頂点に達したと言える。フォービズムで培われた鮮烈な色彩が単純なフォルムによって更に輝きを増し、画面はどれも華やかな色彩のハーモニーを奏でる。この作品でマチスはサーカス(マチスは当初この本の題名を「サーカス(Cirque)」としていた)や民話、旅の思い出などを題材としており、有機的で生命感溢れる形体が色彩に命を吹き込んだ。挿絵本の制作あたり、マチスは色彩の再現性に拘り、切り絵を元にしたポスターなどの印刷に使われたリトグラフや木版、カラー銅版による刷りを試したが、それらはマチスを満足させることが出来ず、刷り師の《Edmond Vairel》のアトリエで刷られたポショワールによる刷りを見たときに、コラージュの彩色に用いた(布地用?)グアッシュと同じ発色と質感を持ち、紙の上にインクが盛り上がるように乗せられたポショワール(ステンシル)を選んだのである。

出版人のテリアードは『JAZZ』」について、「切り紙絵は、(ハーモニー、メロディー、リズムと即興性に富んだ)ジャズの精神と一致します。音楽はマティスに欠かせないものでした。切り紙はジャズ音楽に似ていたのです。」と説明している。

以来、直に手に取れるマチスのポショワールによる作品はないものかと思っていたところ、マチスの版画作品と挿絵本の総目録(Catalogue raisonné)を編纂したクロード・デュテュイ(Claude Duthuit, 1931-2011)が1949年に“野獣派”と呼ばれる画家(マチスを初め、ブラック、ドラン、ヴァン・ドンゲン、デュフィ、マルケ、ヴラマンク等)を紹介した著書「Les Fauves(野獣派)」の表紙絵をマチスがデザインし、ポショワールで印刷されていると知り、その普及版を購入してみた。購入価格を抑えたため、状態はいまひとつではあったが、直にインクの質感を感じることが出来たのは収穫であった。マチスの生命感のある優美な曲線とは異なり、直線のみで構成された幾何学的ともいえる画面は無機的な表情を見せており、組み込まれた文字も若干刺々しさを感じられ、見た目の評価はそれほど高くない。これと同じような幾何学的な模様を使ったデザインが、マチスが1952年に“パリのクレベール画廊(Galerie Kléber, Paris) において、ムルロー工房でここ25年間の間に刷られた展覧会ポスターと工房の100周年を表明する”展覧会のためにデザインした告知用ポスターにも見られる。これらはマチスに色彩に関する実験的な試みのひとつかもしれないとも言えるのだが、絵画において装飾性は重要であると言っているマチスであっても、色彩の可能性を極限まで追求すると、最後は抽象的な文様に行き着くのだろうか。しかしながら、この表紙絵の限定版に施した5つの花弁の文様を見ると、マチスは純粋な抽象へ近づきはしたかもしれないが、装飾性を失うことはなかった、ということになる。
a0155815_17255752.jpg

●作家:Henri Matisse(1869-1954)
●種類:Cover art
●題名:Les Fauves
●著者:Georges Duthuit(1891-1973)
●サイズ:323x242mm(323x514mm)
●技法:Pochoir de soie(stenciled by hand)
●発行:Éditions des Trois Collines,, Genève
●印刷:Les Ateliers Artecolor, I.Et V.deGrandi,Corseaux-Vevey
●制作年:1949
●目録番号:No.100(Cowart, Jack:Henri Matisse Paper Cut-Outs, St. Lous Art Museum and The Detroit Institute of Arts, Distributed by Harry N. Abrams, Inc, New York, 1977)(註1)
No.113(Duthuit, Claude: Henri Matisse: Catalogue raisonné des ouvrages illustrés établi avec a collaboration de Françoise Garnaud, Paris, 1988) (註2)

a0155815_18491766.jpg

a0155815_18493383.jpg

a0155815_1825526.jpg




註:

1.Cowart, Jack:Henri Matisse Paper Cut-Outs, St. Lous Art Museum and The Detroit Institute of Arts, Distributed by Harry N. Abrams, Inc, New York, 1977. 288x225x27mm
a0155815_12432395.jpg

a0155815_1243468.jpg
表紙絵の下絵と、余白部分に五つの花弁を加え、マチスが署名を入れた限定版の図版を掲載。

2.(Duthuit, Claude: Henri Matisse: Catalogue raisonné des ouvrages illustrés établi avec a collaboration de Françoise Garnaud, Paris, 1988. 325x251x50mm
a0155815_1244169.jpg

a0155815_18552187.jpg
こちらは限定版の図版のみ掲載。

by galleria-iska | 2018-10-29 18:45 | その他 | Comments(0)
2018年 09月 30日

清宮質文の蔵書票「Ex-Libris Kaz Tanaka(2)」(1961)

a0155815_2112586.jpg
   
木版画家の清宮質文(Naobumi Seimiya, 1917-1991)が1961年に小鳥をモチーフに制作した蔵書票「Ex-Libris Kaz Tanaka」は既に取り上げているが、今回は、日本書票協会(The Nippon Exlibris Association, Tokyo)発行の『愛書票暦1958-1961年』に所収のもので、和紙に刷られた1961年1月の暦に貼付されている。両者は同じ作品であるが、暦に貼付されたものには純白の和紙が使われ、作家手持分(注1)かと思われる方には生成りの和紙が使われている。

●作家:Naobumi Seimiya(1917-1991)
●種類:Ex-Libris
●題名:Ex-Libris Kaz Tanaka from 『Ex Libris Calendar Album 1958-1961』
●サイズ:56x50mm(フォーマット:86x80mm), Calendar:210x133mm
●技法:Woodblock print
●発行:The Nippon Exlibris Association, Tokyo(1957-) 前身:The Nippon Bibliophile Society, Tokyo(1943-1956)
●制作年:1961
a0155815_21121894.jpg
a0155815_21123020.jpg





注:

1.
a0155815_21404441.jpg


by galleria-iska | 2018-09-30 16:17 | その他 | Comments(0)
2018年 07月 16日

レイモン・サヴィニャックの表紙絵「Nouvel Observateur, No.110」(1966)

a0155815_18142217.jpg

昨日は炎天下の中、連れ合いの車に同乗し、三重県立美術館で開催中の展覧会「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法」に出掛けた。駐車場には遠方(主に関西圏)からの来館者の車が何台も止まっており、人気の高さを垣間見た。10年ぐらい前にサヴィニャックのブームがあったように記憶するが、今ではすっかり鳴りを潜めている。汗をかきかき階段をのぼって中に入ると、空調が効いていて、ひんやりと気持ちが良かったのだが、それも最初のうち。日曜日にも拘わらず、暑さのせいなのか、はたまた県内での知名度が低いのか、観客はまばらで、作品の細部までゆっくりと観察することが出来たのは良かったが、作品を見ていくうちに寒くなってしまった。

パリ市中に貼られた野外掲示用ポスターの基本フォーマットは160x120cm(実際はそれより小さくなることが多い)で、それが120x80cm、80x60cm、60x40cmとサイズを刻んでいくのであるが、今回の展覧会にはその基本フォーマットを何枚も組み合わせた巨大なサイズのものが何点も展示されており、見応えがあった。サヴィニャックはフランスのアール・デコを代表するグラフィック・デザイナー、カッサンドル(Adolphe Mouron Cassandre、1901–1968)が活躍した時代から少し下った1930年代後半にアールデコ様式のポスターを制作(註1)しているが、時既に遅しといった感で、注目を浴びることはなかったようである。サヴィニャックがポスター作家として世に出るのは1950年代で、「僕は41歳のときにモンサヴォンの牛のおっぱいから生まれたんだ」と自身語っているように、1949年に展覧会用に乳牛と石鹸を組み合わせて描いた「牛乳石鹸モンサボン(Mon Sabon au lait)」のポスターの原画がその切っ掛けを作った。サヴィニャックのポスターの多くは、ベルエポックと呼ばれる19世紀末からの流れを受け、リトグラフで印刷されている。健康的で明るいサヴィニャックの作品にはフランス人特有の風刺や皮肉、ブラックユーモアといった志向性はそれほど顕著ではなく、その辺の癖の無さに物足りなさを感じ、手を出したことはないが、リト刷りポスターを見ると、その手仕事感が時代の雰囲気のようなものを感じさせてくれるし、そこに漂う郷愁感もサヴィニャックの人気の要素のひとつとなっていたのかもしれないと思った。個人的には、以前招待状(註2)と図録を取り上げた、サヴィニャックが1978年にパリに創設されたポスター美術館(Musee De L'Affiche)の開館記念展のためにデザインしたポスター(サイズは117x82cm)が見たかったのだが、残念ながら今回の展覧会には出展されていなかった。ポスター以外にも、雑誌の表紙絵なども何点か見ることが出来た。ここで取り上げるのは、こちらも展覧会には出展されていないのだが、サヴィニャックが1966年のクリスマス時期に依頼を受けた1965年創刊のフランスの左翼系週刊誌『Nouvel Observateur』の表紙絵である。サヴィニャックは、この当時の雑誌の表紙デザインに沿うように、サンタ・クロースに国旗(ヨーロッパの国が中心であるが、アメリカ、中国、ソ連とともに、ベトナムの国旗も入っている)を繋げた旗を回転させて円を作らせている。

●作家:Raymond Savignac(1907-2002)
●種類:Cover art
●サイズ:343x275mm
●技法:Offset
●発行:Le Nouvel Observateur, Paris
●制作年:1966

a0155815_1814321.jpg
サヴィニャックの版上サイン。作家の署名は人生の節目節目で変わることが多いが、サヴィニャックのサインは初期から晩年まで殆んど変わっていない。


註:

1.サヴィニャックは1935年からカッサンドルが1926年に設立した広告デザイン事務所「アリアンス・グラフィック(Alliance Graphique)」でカッサンドルについてポスター制作を学んでいる。

2.
a0155815_12274894.jpg
パリのポスター美術館(Musée de l'Affiche→Musée de la Publicité)で1978年に開催された開館記念展の招待状

by galleria-iska | 2018-07-16 18:45 | その他 | Comments(0)
2018年 07月 06日

フィリップ・モーリッツの画集「Mohlitz Gravures et Dessins 1963-1982」(1982)

a0155815_2036561.jpg

先月から《Windows Vista》搭載のブラウザー《IE9》があちこちのサイトから締め出しを食っている。決済を伴うサイトは、ほぼ全滅である。予備に導入した《FireFox》も最後通牒を告げてきた。PCはまだまだ使えるのだが、頭(OS)が旧いということで、お払い箱扱いなのである。こんな言葉が思い出される。『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』。何かと支障も出てきたので、仕方なく《Windows7》にアップグレードする準備を始めた。まずメールデータを新しいメールソフト《Thunderbird》に移し変える作業を行ったのだが、メールサーバーに接続時の初期パスワードを覚えているわけもなく、ガイドブックを探していると、PCを購入した際の納品書が出てきた。何気に目を通すと、《Windows7》への無料アップグレードのプログラム付きとある。すっかり忘れてしまっていた。慌ててサイトを確認すると、あぁ、なんということか。先月末日(6月30日)で終了してしまっていた!!!。

閑話休題、フランス南西部の都市ボルドーと言えば、19世紀の画家オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)の生まれ故郷であり、ルドンに銅版画を指導した版画家のロドルフ・ブレダン(Rodolph Bresdin, 1822-1885)も一時期ボルドーに移り住み、ルドンとの歴史的な邂逅を果たした場所として記憶される。その幻想的な画風の流れを汲むと言われる銅版画家フィリップ・モーリッツ(Philippe Mohlitz, 1941-)の名は学生時代に本屋で見た美術専門誌の季刊「みづゑ」(No.827,1974年2月号)のドイツ文学者の池内紀による特集記事によって知ることになったのだが、作品を直に目にすることができたのは、それから10年以上も経った1986年のことで、名古屋で行われた「ボルドー三作家展(ロドルフ・ブレダン、オディロン・ルドン、そしてフィリップ・モーリッツ)」の会場であった。当初の目的はルドンの作品にあったのだが、出品数は少なく、会場の殆んどをモーリッツの作品が占めていた。そこにはモーリッツの最高傑作と云われる1968年制作の「Le pendu(縊死人」(K.19)が二点も出品されており、高いほうの販売価格は45万円だったようにと記憶するが、突然目の前に姿を現したモーリッツのどこか時代錯誤的な画風をそのまま受け止めることができず、違和感を覚えた、というのが正直なところであった。ただし、その驚異的とも言える描写力には驚かされた。モーリッツを手中に収めるまでには未だ暫く時間を要することになる。なにせその頃の関心は一万円前後のアート・ポスターにあったので、モーリッツの版画はとても手を出せる代物ではなかったのである。

a0155815_20375218.jpg
表紙とダストカバーには1971年制作の「Le désert」(K.36)(部分)が使われている。この作品の特徴は海景に用いるような横長のフォーマットであり、それがパノラマ映画のような画面を生み出すのに一役買っている。そして画面を二分するかのように、大地の中央が川の流れ(?)によって侵食され、谷を形成。その谷に沿って視線はその奥に聳え立つアメリカの砂漠地帯で見られるような奇岩、あるいは空に浮かぶ三つの太陽へと導かれる。しかし主役はなんと言っても谷横の巨大な昆虫と思しき生物の死骸である。荒涼とした砂漠のどこにも人の営みなど無さそうにみえるのだが、羽の上に目を移すと、そこにはテントが張られ、谷を少し遡った川岸には何人か人の姿も見える。文明無き後(?)の世界において細々と生をつなぐ人間の姿は、象徴的な意味合いが込められているのかもしれないが、巨大な昆虫と比べると、あまりにも小さい。それは物理的な意味での違いなのか、存在の価値という尺度の違いだろうか。
a0155815_20381533.jpg
前の見返しには1977年制作の「La mobilisation」(部分)が使われ、原寸よりかなり拡大されているが、画面は全く破綻しておらず、ビュランでかくも微細な彫刻が出来るのかと、その精緻な描写力に目を見張る

最初に購入したモーリッツの作品は、単独の版画作品ではなく、フランス文学者で古書蒐集家としても知られる鹿島茂氏の著書「子供より古書が大事と思いたい」にも登場するパリのサン=タンドレ・デ・ザール街の古書店から取り寄せた、ビュランの名手長谷川潔が扉絵を担当し、モーリッツが挿絵を付けたマルセル・べアリュ(Marcel Béalu, 1908-1993)の「Ville volante(飛行する都市)」であった。この挿絵本、本の奥付にあたる部分に記されている挿絵の数は12点となっているのだが、実際に数えてみると11点しかなく、しばしば収集家を混乱させる。しかしながら、紙質を変えて刷られた挿絵のスウィートでは、ひとつの挿絵が二枚に分けて刷られており、それを数に入れると12点となるのである。ただそれはスウィート付きの豪華版を購入しないと判らないため、上記のような混乱を生じさせてしまうのである。

これまでに刊行されたモーリッツの版画の総目録(カタログ・レゾネ)は、1976年、当時、素描や版画のコレクションで世界有数の規模を誇るウィーンのアルベルティーナ美術館の学芸員であった美術史家のヴァルター・コシャツキー(Walter Koschatsky, 1921-2003)が著したラインホルト・ケルステン(Reinhold Kersten)編の「Mohlitz: Werkverzeichnis der Kupferstiche 1965-1976/Mohlitz: Catalogue of the copper engravings 1965-1976」(Offenbach del Meno, Edition Mohlitz- Dahlberg, 1977)のみであるが、如何せん作品の収録期間が短いため、今回取り上げるナチリス出版(Éditions Natiris)から1982年に刊行された「Mohlitz Gravures et Dessins 1963-1982」(注1)の方が良く使われている。今は2010年にメーダー出版(Mader éditions)-2011年に画廊(Galerie Mader)を開設-から刊行された「Philippe Mohlitz: Gravures et dessins 1965-2010」(序文:Maxime Préaud)であるが、共に詳細な作品および出版情報が記載されておらず、使い勝手はあまり良くない。モーリッツも今年齢77を数えることから、完全な形での目録の刊行が急がれる。

●作家:Philippe Mohlitz(1941-)
●種類:Catalogue raisonné
●題名:Mohlitz Gravures et Dessins 1963-1982
●サイズ:248x228mm
●発行:Éditions Natiris(Frédéric Daussy), Paris
●印刷:Imprimerie Abexpress, Bondy
●制作年:1982
モーリッツの作品の中には、漆黒の闇にぽっかり浮かんだり、群雲の中に見え隠れしたり、はたまた朧月のように、霧や靄などに包まれ、霞んで見えたりする、満月の夜の情景を描いた作品が幾つもあり、個人的に好みの作品群となっている。

a0155815_14581941.jpg

a0155815_20385871.jpg
a0155815_20391396.jpg
a0155815_20392591.jpg
a0155815_20393762.jpg
a0155815_20395889.jpg
a0155815_20401816.jpg
a0155815_20403390.jpg
この作品「Le temps modernes」(K.64)は、先に挙げたカタログ・レゾネ「Mohlitz: Werkverzeichnis der Kupferstiche 1965-1976」のデラックス版(限定100部)に付けられた。
a0155815_20404940.jpg
a0155815_20412172.jpg

a0155815_1572928.jpg

a0155815_20415752.jpg
後ろの見返しには1978年制作の「La tour」(部分)が使われているが、塔に群がる夥しい兵士たちの織り成す混沌(カオス)は、16世紀ドイツの画家アルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer, ca.1480‐1538)の目も眩むような膨大な数の兵士を圧倒的な細部描写で描いた「アレクサンダー大王の戦い」を彷彿させなくもない。



注:

1.「Mohlitz Gravures et Dessins 1963-1982」の続編として1993年に刊行されたのが「Philippe Mohlitz: Gravures 1982-1992. Visions」(Éditions Ramsay, Paris, 1993)である。
a0155815_155928.jpg

a0155815_20443755.jpg


by galleria-iska | 2018-07-06 21:23 | その他 | Comments(0)