2018年 10月 17日
![]() ドイツはヘッセン州の最大の都市フランクフルト・アム・マインと接する小都市オッフェンバッハ・アム・マイン生まれの画廊主で出版人のフォルカー・フーバー(Volker Huber, 1941-)は1969年、地元オッフェンバッハ・アム・マインに版画や彫刻の出版を行う画廊(Edition und Galerie Volker Huber e.K.)を設立、ホルスト・アンテス、ブルーノ・ブルーニ、ルドルフ・ハウズナー、ペーター・パウル、パウル・ヴンダーリッヒ等の版元として、これまで数多くの作品を世に送り出している。フォルカー・フーバーはホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)の専属画廊ではないが、画集やレゾネの出版も行っていることから、ヤンセンの版画付きの限定版作品集の出版を手掛けている。今回取り上げるのは、ヤンセンが1971年から81年にかけて、フーバーに宛てて送った絵手紙を一冊の本「ヴァウ=ハ(フォルカー・フーバーの愛称)への手紙、欲望、愛、友情の信号(Briefe an Vau-Ha:Lust und Liebe und Freundschaftssignale)」 に纏めたものである。この作品集については版画付きの限定版は出ていないようである。 今手元にあるのは1991年に出版された初版(1997年に再版)で、シュリンクラップが掛かったまま保管してあったもの。20年以上前にフォルカー・フーバーから直接購入したのだが、送料を節約するために五冊纏めて注文し、うち二冊は知り合いに譲り、残りの三冊は包装紙に包んだまま、棚の奥に仕舞いっ放しになっていた。今回、ヤンセン関係のものを確認するために取り出してきた次第。縦長の絵手紙を原寸に近いサイズで収録することで、そこに書かれたヤンセンの文章を読み取れるようにしたため、カレンダーのように縦めくりの造りとなっている。2005年から翌2006年にかけて日本各地で開催された展覧会「ホルスト・ヤンセン展-北斎へのまなざし-」に合わせて企画・出版された「画狂人ホルスト・ヤンセン-北斎へのまなざし」(株式会社平凡社、2005年)の69ページ所収の図版(註1)を見ていただけると分かるように、図版は縦の見開きというか、二つ折り(一部三つ折り)になっているため、図版部分については、小口側は袋状になっている。絵手紙には本画のための様々なアイデアや試行が綴られており、なかでも完成度の高いものについては、そのままポスターや本の表紙に使われている。 ![]() ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●著者:Horst Janssen ●編集:Volker Huber(1941-) ●題名:Briefe an Vau- Ha (Volker Huber): Lust und Liebe und Freundschaftssignale ●サイズ:275x245mm ●発行:Edition Volker Huber, Offenbach am Main ●制作年:1991 撮影用に一部開封したので、その画像をご覧頂きたい。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 註: 1. ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by galleria-iska
| 2018-10-17 20:21
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2018年 05月 04日
![]() 以前から気になっていた写真の撮影者を特定してみたく取り寄せたのが、この図録。ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)が1967年にハンブルクの契約画廊ブロックシュテット(Galerie Brockstedt, Hamburg)で行った素描の展覧会に際して刊行されたもの。その中にハンブルクの印刷所ハンス・クリスチアンズ(Hans Christians, Hamburg)で職人たちが掲げる刷り上ったばかりの亜鉛版エッチングによるオリジナルポスターと共に写るヤンセンの姿を捉えた写真があるのだが、この写真が何故か日本で1983年に行われたヤンセンのポスター展の図録の表紙(註1)に使われていたのである。最初、ヤンセン自身がこのような構図を設定し撮影を行ったのかと思っていたのだが、この図録を取り寄せてみて、その撮影者が後年、写真家の権利と自由を守り、主張することを目的とし、1947年にロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソンらによって結成された国際的な写真家集団マグナム・フォト(Magnum Photos)集団に正式参加することになるミュンヘン生まれの写真家トーマス・ヘプカー(Thomas Höpker, 1936-)(註2)であることが判った。この図録はヤンセンとヘプカーのコラボレーションの成果であり、ヤンセンの15点の近作素描とヘプカーによる13点の写真が収録されている。被写体の中心は、ヤンセンとその家族、1960年に結婚、1968年に離婚するヴェレーナ・フォン・ベートマン=ホルヴェークと二人の間に生まれた息子フィリップで、他に印刷所や酒場、収集家たちとの場面が収められている。荒れた粒子やブレ、また強いコントラストは、ドキュメント色の強いこの時代の写真の潮流だったように記憶する。 図録の装丁はヤンセン自身が行っており、そのアイデアは1969年にメルリン出版から刊行された、亜鉛版エッチングの挿絵とヤンセン自身のテキスト(詞書)からなる二冊の絵草紙「Hensel und Grätel」と「Paul Wolf + die 7 Zicklein」のそれへと繋がっていく。 ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Catalogue ●サイズ:331x238mm ●発行:Galerie Brockstedt, Hamburg ●印刷:Hans Christians, Hamburg ●制作年:1967 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 註: 1. ![]() ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Catalogue ●サイズ:250x265mm ●技法:Offset ●発行:Goethe-Institut Osaka, Osaka ●制作年:1983 表紙に使われたのは、ヤンセンが1960年代後半に集中して制作した亜鉛版エッチングによるポスターの制作現場であるハンブルクの印刷所、ハンス・クリスティアンズ(Hans Christians, Hamburg)で撮られた上掲の写真の一部。 2.トーマス・ヘプカー(Thomas Höpker, 1936-)はドイツ ミュンヘン生まれの写真家。現在はニューヨーク在住。ゲッティンゲンとミュンヘンの両大学で美術史と考古学を学び、卒業後1960年から63年まで雑誌(Münchner Illustrierte and Kristall)のスタッフ・フォトグラファーとして世界中を取材。1964年にはドイツの写真ニューズ誌『シュテルン(Stern)』の専属写真家となり、マグナム・フォトが写真の配給を始める。1968年、フリーの写真家となる。1978年からアメリカ版『GEO』誌のフォトディレクターを4年努め、1987年に一度ドイツに戻り、『シュテルン』にアートディレクターとして迎えられる。1989年、再びニューヨーク市に戻り、マグナムの正会員となる。2003年から2006年までマグナム・フォトの会長を努める。 3. ![]() ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Poster(Plakat) ●題名:Württembergischer Kunstverein Stuttgart ●サイズ:847x594mm ●技法:Strichätzung(Zinkätzung) ●限定:1000(500/white paper, 500/brown paper) ●刷り:Hans Christians, Hamburg ●制作年:1966 ●目録番号:Meyer-Schomann 19 ▲
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| 2018-05-04 12:29
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2017年 06月 04日
![]() 日々の暮らしが同じことの繰り返しになってしまうと、月日があっという間に過ぎていく。今日は六月四日、虫の日とやらである。道路建設や宅地開発により居場所を失くし消えていった虫たちを供養する日ではない。虫と人間の共存を目指し、漫画家の手塚治虫(Osamu Tezuka, 1928-1989) の呼びかけで設立された日本昆虫クラブが記念日として提唱しているが、国民の関心はさして高くない。間違っても国民の代表たる国会議員が立法府である国会の場で虫の生存権を議論することはないだろう。ならばと、虫たちは人間のために鳴くのを止めてしまったに違いない。新緑の大空を自由に飛ぶ小鳥の囀りが耳に心地好い。それもいつまで続くのだろうか。 ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)の契約画廊であるハンブルクのブロックシュテット画廊(Galerie Brockstedt, Hamburg)は、画廊設立30周年の1987年、ヤンセンの版画家としての出発点となった木版画の総目録(カタログ・レゾネ)を刊行。ヤンセンが1957年から1961年にかけて制作した多色刷り木版画作品全53点を収録。また、ヤンセンが1957年にヴァールブルク通りの自宅で開いた私的展覧会の招待状と告知用ポスター、同じ年、ブロックシュテット画廊の前身であるハノーファーの近代絵画画廊(Galerie für Moderne Kunst, Hannover)での展覧会の際に制作した招待状と告知用ポスターも併せて収録している。1960年代後半に現れる亜鉛版エッチングによるポスターを予見させる招待状は、出品目録も兼ねており、自宅での展覧会の招待状には当時の販売価格も記載されていて、興味深い。告知用の二つのポスターは、後にヤンセンのライバルとなるパウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)の協力でリトグラフで刷られているが、摺刷数は100枚足らずと少なく、今やコレクターズアイテムとなっている。近代絵画画廊の方のポスター(註1)は以前このブログで取り上げたことがあるが、その招待状「Einladung zur Ausstellung Farbige Holzschnitte in der Galerie für Moderne Kunst, Hannover」(Vogel. 407, 211x162mm)はポスター以上に入手が難しく、もうかれこれ20年近く探しているが、未だ一度も目にしたことがない。 ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Catalogue Raisonne(Werkverzeichnis) ●題名:Horst Janssen Farbholzschnitte Werkverzeichnis 1957-1961 ●サイズ:285x285mm ●技法:Offset ●発行:Galerie Brockstedt, Hamburg ●制作年:1987 ![]() ![]() ![]() ![]() 註: 1. ![]() ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Poster(Plakat) ●サイズ:966x644mm ●技法:Original color lithograph ●限定:under 100 copies ●発行:Galerie für moderne Kunst(Brockstedt), Hannover ●印刷:Artist with assistance of Paul Wunderlich ●制作年:1957 ●目録番号:Meyer-Schomann. 2 ▲
by galleria-iska
| 2017-06-04 17:53
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2017年 03月 21日
![]() 昨年暮れから5年(!)あまり治療を我慢していた虫歯が悪化し、満足に食事がとれなくなってしまった。残った歯を使ってなんとか食べようとするも、うまく咀嚼できず、味気のない食事を続けていたのだが、激しい痛みを伴うようになり、水分で流し込むしかなくなってしまった。そうなってようやく歯科医院の戸を開いたのだが、予約制ということで、それからまた一週間、毎日激痛と闘う羽目に。一噛み毎に一時間ぐらい痛みに堪えなくてはならず、痛みと空腹で何もする気がなくなってしまった。一週間後にようやく応急処置として虫歯に詰め物をしてもらい、僅かづつではあるが、食事がとれるようになった。先ずは、めでたしめでたしと。 ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)専門の出版社として1984年にヤンセンの住むハンブルクに設立されたザンクト・ゲルトルーデ出版(Verlag St.Gertrude GmbH, Hamburg)は、これまでに200冊近いヤンセンの作品集や多数のオフセット印刷よるポスターを刊行してきた。2006年には画廊も併設し、ヤンセン以外にも、ディーター・ロート(Dieter Roth, 1930-1998) ユルゲン・ブロートヴォルフ(Jürgen Brodwolf,1932-) アーノルフ・ライナー(Arnulf Rainer, 1929-)といったユニークな表現方法で知られるドイツ圏の現代作家の作品を紹介している。 このノート・カードは随分前に出版社からいただいたのだが、記念にと、ずっと使わずにとってあった。出版社が入るゴールドバッハ通り(Goldbachstraße)沿いの建物とその前を行く人々の様子を即興的に描いた素描(1987年3月1日の日付入り)が使われており、同社発行の販売カタログやホームページにも使われていることから、自社の広告用に制作を依頼したものかと思われる。 ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Note card ●サイズ:148x210mm ●技法:Offset ●発行:Verlag St.Gertrude GmbH, Hamburg ●制作年:1987 ![]() ▲
by galleria-iska
| 2017-03-21 15:23
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2017年 02月 27日
![]() 以前このブログで触れたことがあるが、日本におけるホルスト・ヤンセンのポスターに関する展覧会は、1983年に宮崎県都城市の市立美術館で開かれた「Horst Janssen Plakate - ホルスト・ヤンセン ポスター展」(主催:都城市教育委員会、大阪ドイツ文化センター、宮崎大学映像を考える会)が、今のところ唯一のものであるようだ。展示内容について美術館に問い合わせてみたところ、図録は作られておらず、具体的な資料は残っていないとのことであった。ところが、最近になって、共同主催者の大阪ドイツ文化センター(Goethe-Institut Osaka, Osaka)が独自に図録を発行していたことを知った。その図録がこれである。展覧会に出品されたポスターは主に1978年代以降のオフセット印刷によるものであるが、表紙に使われたのは、ヤンセンが1960年代後半に集中して制作した亜鉛版エッチングによるポスターの制作現場であるハンブルクの印刷所、ハンス・クリスティアンズ(Hans Christians, Hamburg)で撮られた写真である。印刷所の職人(?)が掲げ持っているのは、刷り上ったばかりの、1966年にドイツ南西部に位置するバーデン=ヴュルテンベルク州の州都であるシュトゥットガルト(=シュツットガルト)のヴェルテンベルグ芸術協会(Württembergischer Kunstverein Stuttgart )で開催されたヤンセンの回顧展の告知用ポスター「Württembergischer Kunstverein Stuttgart 」(註1)。この写真を使ったポスターだったか何かの作品集の表紙を見た覚えがあるのだが、肝心のメモの在り処が思い出せず、出典は特定できない。 ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Catalogue ●サイズ:250x265mm ●技法:Offset ●発行:Goethe-Institut Osaka, Osaka ●制作年:1983 一方、ドイツでは、それより一年早く、1982年、表現主義から現代美術までの版画作品を数多く収蔵するシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の港湾都市リューベックのクンストハウス・リューベック(Kunsthaus Lübeck)で、1978年以降のオフセット印刷によるポスター66点からなる展覧会「66 Sechsundsechzig Janssen plakate/66 Horst Janssen Posters」が開催されている。その際、美術館の中にあるルシファー出版(Lucifer Verlag im Kunsthaus Lübeck)から同展の図録「66 Sechsundsechzig Janssen plakate」が刊行され、翌1983年には、増補改訂版として、70点のポスターを収録した総目録「Werkverzeichnis der Plakate 1978-1983」が同社から刊行されている。宮崎大学の教官のコレクションをもとに行なわれたポスター展は、その入手経路は定かではないが、大阪ドイツ文化センター発行の図録に掲載された作品の制作年(1978年~1981年)を見ても分かるように、この展覧会や総目録に沿ったものであったと言って間違いないだろう。そのルシファー出版の図録を受け継ぐ形で1985年、ヤンセン専門の出版社として1984年に設立されたハンブルクのザンクト・ゲルトルーデ出版(Verlag St.Gertrude GmbH, Hamburg)が、同社と共同出版したのが、1973年から1985年までのポスターを収録した販売カタログを兼ねたポスターカタログ「Katalog lieferbarer Janssen-Plakate und -Schmuckblätter」である。その後新しく制作されたポスターを加えた増補版が、1988年、1996年、そして2000年に刊行されている(註2)。 1978年以前のポスターについては、ヤンセンが1957年から1970年代初頭にかけて制作した、リトグラフ、亜鉛版エッチング、シルクスクリーンによる初期のポスターを含むオリジナル・ポスターの回顧展「Horst Janssen Plakate 1957-1978」が1978年、ヤンセンが幼少期を過ごしたオルデンブルクの市立美術館(Stadmuseum Oldenburg)で開催されており、その際、1957年から1978年までのポスターの総目録「Horst Janssen Plakate 1957-1978 Werkverzeichnis」を付した図録が刊行されている。従って、ルシファー出版が刊行した総目録はこの図録の続編ということになる。この展覧会においてようやくヤンセンの初期のポスターの全貌が明らかになったのであるが、時すでに遅しではないが、今や重要なコレクターズ・アイテムとなった1960年代のポップ・アートのポスターと同様、安価で販売されたヤンセンの初期のポスターは既に絶版になっており、容易に入手出来なくなっていた。私自身も1980年代の中頃、オルデンブルク市立美術館での回顧展の図録をもとに、ヤンセンの契約画廊として1957年から数多くの展覧会の告知用ポスターを発行したハンブルクのブロックシュテット画廊(Gelerie Brockstedt, Hamburg)をはじめ、何軒かの画廊に在庫を確認したのだが、どこからも良い返答は得られなかった。 ヤンセンの初期のポスターに関しては、その作風が北斎によって導かれた「自然との対話」から生み出されたものとはかけ離れていることもあるのかもしれないが、回顧展以降も評価は大きく変わることはなかったようである。その取り扱いは、画廊ではなく、一部のポスター専門画廊やヤンセンの画集などを扱っている書店に限られていたのだが、2000年にオルデンブルグにホルスト・ヤンセン美術館(Horst Janssen Museum, Oldenburg)が開館し、ポスターがヤンセン固有の表現領域として認知されるようになると、それまで眠っていた個人コレクションが、ネットオークションやパブリック・オークションにも登場するようになった。その結果、ヤンセンの版画作品を扱う画廊もその存在を無視出来なくなり、今では版画と同列に扱うところが増えてきている。今日のインターネットの普及による情報の共有は反面、ある種の共同幻想に支えられていた複製芸術である版画全般の評価の崩壊を招いたという負の側面もあるのだが、逆に、それが既成の芸術的価値の中での評価とは異なる、複製化時代を経てデジタル時代における創造性の伝播という意味を、さらに押し広げ、もうひとつの価値観というのを形成していく可能性も生まれている。周知のように、ヤンセンのポスター制作は、通常のポスターの役割を借りてはいるものの、単なる情報伝達のためのメディアに止まることなく、いやむしろ、それはヤンセンにおいて、ポスターというメディアそのものが創造的行為の場として借用されており、ポスターそれ自体の役割を無意味化する企みが込められていたと見ることが出来るかもしれないのである。19世紀以前の作家に負うところが多いヤンセンであるが、そのような姿勢はまさに現代美術の文脈に沿ったものであると言えようか。 それに対し、我が国の状況はと言うと、オルデンブルク市立美術館での展覧会から既に40年近く経つが、先のポスター展以降、ヤンセンのオリジナル作品としてのポスターに関する包括的な紹介は未だに行なわれていない。我が国にも、ヤンセンの1978年以降のポスターを紹介したクンストハウス・リューベックと同じように、版画作品の収集や調査研究を専門に行なっている某版画美術館があるが、その関心はもっぱら1970年以降の、契約画廊のブロックシュテット主導(?)による画廊向けに制作された、所謂シリアスな作品に向かっており、ヤンセンのポスター、ことに現代美術の大きな変革期であった1950年代後半から1970年代初頭にかけての創作活動(註3)に対する正当な評価はなされていない、というのが現状である。 ![]() ![]() ![]() ヤンセンのポスターに関するテキスト(筆者不明) ![]() 裏表紙に付けられた自叙年譜 ![]() 註: 1: ![]() ●種類:Poster(Plakat) ●題名:Württembergischer Kunstverein Stuttgart ●サイズ:847x594mm ●技法:Strichätzung(Zinkätzung) ●限定:1000(500/white paper, 500/brown paper) ●刷り:Hans Christians, Hamburg ●制作年:1966 ●目録番号:Meyer-Schomann 19 2.1999年に、上記の図録を集約する形で、ヤンセンの1957年から1994年までの全ポスター213点を収録した総目録「Horst Janssen Das Plakat」が、ハンブルクのザンクト・ゲルトルーデ出版(Verlag St. Gertrude, GmbH, Hamburg)から刊行された。 ![]() 2.ヤンセンが1960年代後半に始めた亜鉛版エッチングやシルクスクリーンによるポスターに見られる平面性を強く意識したスタイルは、現代美術におけるイリュージョンの排除と平面性の追及という命題に対するヤンセンなりの応答と見て取ることができるかもしれない。 ▲
by galleria-iska
| 2017-02-27 22:16
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2016年 09月 03日
![]() ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)は1966年頃から、ハンブルクの書肆へルマン・ラーツェン(Hermann Laatzen Buchhandlung, Hamburg)の依頼で、“絵草紙(Bilderbögen)”シリーズと平行して、歴史にその名を残す文学者たちの“肖像画シリーズ(Porträts gez. Horst Janssen)”を手掛けている。その案内広告は前に取り上げたことがあるが、今回は、その中の一点、イギリスの劇作家ジョン=ゲイ(John Gay, 1685- 1732)の『乞食オペラ(The Beggar's Opera)』を翻案した,階級社会と資本主義が生み出した欺瞞に満ちた市民社会を背景に、人間の欲望や偽善を風刺した戯曲『三文オペラ(Die Dreigroschenoper)』の作者として知られるドイツの劇作家で詩人のベルトルト・ブレヒト(Bertolt Brecht, 1898-1956)を描いた肖像画の現物を手に入れたので、取り上げてみたい。 “肖像画シリーズ”は大小二種類(37x28cm、約60x40cm)のサイズで刷られているが、今回入手したのは、大きい方のサイズのものである。肖像画は基本的に単独で描かれているが、ブレヒトの肖像画では、彼の両親(父ベルトルト・フリードリッヒ・ブレヒトと母ゾフィー・ブレヒト)であろうか、煙草をくわえ、背後から息子であるブレヒトを見据えるメローネ(Melone)と呼ばれる山高帽を被った人物と、ブレヒトの方を向き、その姿を見つめる婦人に挟まれるように描かれている。ブレヒト本人はこの関係性を受け入れようとはしておらず、自己の内面を見つめるその目に瞳は描かれていない。ヤンセンは肖像画を描く際に用いられる顔の向き(斜め横、正面、真横)によって三者三様の心理状況を描き出そうとしているのかもしれない。 今回入手したものは、通常のものをベースに、ヤンセンが赤と青の色鉛筆を使い、即興的に、人物の唇、煙草の火、ネクタイ、およびに年記部分に彩色を施したもの。おそらくヤンセンと関係のある人物から出てきたものであろう。ポスターの印刷には、中間調のない線や平面を生み出すライン・ブロックとして知られる、亜鉛版エッチング(亜鉛凸版・Zink etching/Zinkätzung )という印刷手法が用いられている。 ベルトルト・ブレヒト、本名オイゲン・ベルトルト・フリードリヒ・ブレヒト(Eugen Berthold Friedrich Brecht )は1898年、製紙工場で働き、後に支配人となる父を持つ、裕福な中流階級の息子としてアウグスブルクに生まれる。文学に対する興味は早く、1914年の『アウクスブルク新報』には、ベルトルト・オイゲンの名で発表された当時16歳のブレヒトの詩が掲載されている。青年期になると、次第に左翼的な思想に関心を向け、マルクスの『資本論』を通して共産主義に近づいていく。1922年、24歳の時に書いた詩の中では自らを農民出身としようと試みている。 ポスター上部の書き入れは、自らの生い立ちを詩の形で記した文の冒頭の一節が引用されている:“私は裕福な人々の息子として育った(Ich bin aufgewachsen als Sohn Wohlhabender Leute)” ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Poster ●サイズ:630x490mm(イメージ:470x350mm) ●技法:Zink etching(Zinkätzung) ●発行:Hermann Laatzen Buchhandlung, Hamburg ●制作年:1966 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 註: 1.ブレヒトが後に詩の形で記した自身の生い立ちの冒頭の一節が使われている: Ich bin aufgewachsen als Sohn ▲
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| 2016-09-03 15:26
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2016年 03月 19日
![]() ![]() タイトルとなった"12 Köpfe ohne Nägel"は直訳すると、“釘(留め鋲)の無い12の頭部”となり、何か隠れた意味でもあるのかもしれないと思ったりもするが、絵葉書として制作されていることから、釘を使って壁に飾る必要が無いということなのかもしれない。絵葉書のサイズは原画の縦横比に合わせているので、まちまちである。 ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Postcard ●題名:12 Köpfe ohne Nägel ●サイズ:154x110mm ●技法:Offset ●発行:Hower Verlag, Hamburg ●制作年:1987 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2016-03-19 20:47
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2015年 10月 06日
![]() ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)は1966年から1971年にかけてハンブルクの書肆ヘルマン・ラーツェン(Buchhandlung Hermann Laatzen, Hamburg)発行の廉価販売の案内のために様々な作家の肖像画を描いているが、それらはヤンセンの肖像画シリーズ(註1)として、亜鉛版エッチングによる大小二種類ポスターに仕立てられている。第91号の表紙(註2)は、ドイツ、ワイマール生まれの小説・劇作家クリスティアン・アウグスト・ヴルピウス(Christian August Vulpius, 1762-1827)で、彼はドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の義理の兄となった人物である。アウグストの年譜によると、彼の妹クリスティアーネ・ヴルピウスは1788年7月、最初のイタリア旅行から戻った直後のゲーテのもとを訪れ、イェーナ大学を出ていたアウグストの就職を依頼する。ゲーテは彼女を見初め愛人とし、後に自身の住居に引き取って内縁の妻とし、1806年入籍する。アウグストは1790年にワイマールに帰郷し、そこで職を得る。1797年、再びゲーテの計らいでワイマール図書館に司書として採用され、1806年、主任司書となっている。代表作は“リナルド・リナルディーニ、盗賊の首領(Rinaldo Rinaldini, der Rauberhauptmann)”。 ヤンセンの肖像画は、ゲーテお抱えの画家ヨーゼフ・シュメラー(Johann Joseph Schmeller (1796-1841)によって1825年頃に描かれたアウグストの肖像画(註3)をもとにしていると思われる。 ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Plakat(Poster) ●題名:Porträts:Christian August Vulpius ●サイズ:552x432mm ●技法:Zinkätzung ●発行:Buchhandlung Hermann Laatzen, Hamburg ●印刷:Hans Christians Druckerei, Hamburg ●制作年:1967 ![]() ![]() 註: 1.ハンブルクの書肆ラーツェンから送られてきたヤンセンの“肖像画シリーズ”の案内 ![]() ![]() ![]() 2.第91号の表紙と廉価販売の案内 ![]() ![]() 3.ヨーゼフ・シュメラーによるクリスティアン・アウグスト・ヴルピウスの肖像画 ![]() ▲
by galleria-iska
| 2015-10-06 18:37
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2015年 02月 27日
![]() 美術学校在学中にハンブルクにザントナー画廊(Galerie Sandner, Hamburg)開いた若い女性画廊主ビルギット・ザントナーを助けるためにホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)が自らデザインした招待状。これは1957年から58年にかけてロータプリント(Rotaprint=Small Offset Printing )という小規模な平板印刷で制作した8種類の招待状のうちのひとつで、同画廊で1958年1月24日から2月15日にかけて開催されたマックス・ベックマンの版画展の招待状。オープニングは1月24日の午後6時となっている。ロータプリントという小規模なオフセット印刷機で印刷されたこの招待状には、オフセット印刷特有の網点がなく、一見リトグラフのようにも見える。 このタイプの招待状は日本国内ではお目にかかったことはないが、数年前、ヤンセンの初期の版画作品を数多く含むコレクションが出品されたドイツのパブリック・オークションのカタログを通して知った。亜鉛版エッチングを制作する以前の、デュビュッフェの影響を受けていた時期のヤンセンを知る格好の資料でもあり、そのユニークな表現に興味を持ったので、ポスターと同じような金額で入札してみたが、思いの外高い金額で落札されてしまった。通常、これらの招待状はエフェメラとして扱われているが、最近はヤンセンの版表現のひとつとして認知され始めてきているように思われる。 ●作家:Horst Janssen(1929-1995) ●種類:Einladung(Invitation) ●題名:Max Beckmann ●サイズ:297x199mm(A4) ●技法:Rotaprint(Small Offset Printing) ●発行:Galerie Sandner, Hamburg ●制作年:1958 ●目録番号:Vogel 391(b) ![]() ![]() ▲
by galleria-iska
| 2015-02-27 19:40
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2015年 02月 06日
![]() 前にも一度取り上げたことがあるが、ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)が1968年の年賀状として制作した折り本形式の絵本『Ballade vom Herrn Latour(Ballad of Lord Latour)』は、ドイツの作曲家カール・オルフ(Carl Orff, 1895-1982)の子供のための音楽(教育音楽)(注1))ムジカ・ポエティカ(Musika Poetica)所収の『Ballade vom Herrn Latour』を視覚化したもので、ヤンセンは蛇竜が守る高くて奥深い塔の中にひとり座る伯爵の娘を助け出すという、中世の騎士道物語風の童話(メルヒェン)に仕立てている。 ヤンセンは1961年に、この絵本の基となった表紙絵を含め6点のミニチュアサイズのエッチング(カール・フォーゲル編のカタログによると、縦94mm、横72mmとある)からなる同名の版画集を制作しており、それぞれのイメージに添えられた詞書き(テキスト)の末尾に、"Vive la, vive la, vive l'amour"と、「Vive l'Amour」または「Viva la Compagnie」として知られる“乾杯の歌”のリズム感のあるフレーズを付け加えることで、合いの手のような効果を生み出している。年賀状はそれを亜鉛版エッチングで新たに描き直したもので、版画集から表紙絵を省いた連続する5枚のパネルからなる。亜鉛版エッチングの特性の一つであるフラットな面表現を活かした画面は、細かな描線で描き込まれたエッチングの画面とは異なり、切り絵を思わせる二色刷りの画面となっている。そのため、画廊やパブリック・オークションでもリトグラフと誤って表記されていることがある。ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵する12点のホルスト・ヤンセンの作品のうち5点までが亜鉛版エッチングによるポスターであるが、同美術館も技法をリトグラフと表記しており、それも誤解を生む原因のひとつとなっているのではないかと思われる。日本の公立美術館はヤンセンのこの種の作品を評価の対象として捉えていないので、そのような誤解が生じる心配はないが。 ![]() ●作家:Horst Janssen ●種類:Leporello(Holding booklet) ●題名:Prosit Neujahr 1968: Ballade vom Herrn Latour ●サイズ:320x175mm(320x860mm) ●技法:Strichätzung(Zinkätzung) ●印刷:Druck Christians, Hamburg ●制作年:1967 ![]() 参考文献: Spielmann, Heinz, Horst Janssen - Retrospective auf Verdacht, Hamburg, Museum für Kunst Gewerbe Hamburg, 1982, no.141, p.69. 注: 1.“教育音楽”は、カール・オルフが1930年代に作曲したもので、1950年から1954年にかけて、彼の門下のグニルト・ケートマン(Gunild Keetman)の協力を得て全面改訂し、ムジカ・ポエティカ(Musika Poetica)として纏めたもの。 ▲
by galleria-iska
| 2015-02-06 21:26
| ホルスト・ヤンセン関係
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