ガレリア・イスカ通信

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カテゴリ:図録類( 75 )


2019年 01月 31日

マルティン・キッペンベルガー「Martin Kippenberger: Die gesamten Plakate 1977-1997」(1998)

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昨年の12月、急に体調を崩してしまった。そしてそれがもとで軽い言語障害と味覚障害を起こし、憂鬱な日々を過ごしていたのだが、元旦に気分一新にと近くの海岸まで出掛けたのがいけなかった。堤防の突端で海風に当たったのが祟ったのか、風邪を引いてしまい散々な正月に。言語障害はすぐに治ったのだが、風邪と味覚障害に悩まされ続け、食欲も減退、一月も終わりになって漸く味覚障害が回復し、お米が美味しく感じられるようになった。そんな訳でブログを更新する気力(!?)もなく、ほぼ二ヶ月の間、ボーッとしたまま過ごしてしまった。

今回取り上げるのは、今から20年前の1999年にアメリカの美術書専門の配給会社から取り寄せたドイツの前衛芸術家マルティン・キッペンベルガー(Martin Kippenberger, 1953-1997)のポスターの総目録「Martin Kippenberger: Die gesamten Plakate 1977-1997」である。第二次世界大戦後に生まれたキッペンベルガーは自分と同世代の作家であり、方向性にはかなり隔たりがあるが、パウル・ヴンダーリッヒ(Paul Wunderlich, 1927-2010)やホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)と同じくハンブルク造形美術大学で学んだということで興味を抱いた。ポスター制作に於いては、ドキュメントとしての写真を多用する点で、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys, 1921-1986)のそれを彷彿させるのだが、何らかの影響を受けているのだろうか。価格については、当時ボイスの署名入りのポスターは既に数万円の値がついていたが、キッペンベルガーの方は未だ数千円程度で購入出来るものもあったので、この目録をもとに主にシルクスクリーンで制作されたポスターを集めてみようと思った次第。しかしながら、如何せん田舎では現物にお目に掛かることもままならず、また、個性の発現を主眼とし、美術の規範や権威(ヒエラルキー)に繋がる様式を否定するその制作活動は多岐に渡るため、ポスターと言えど焦点を定めることもできず、シュリンク・ラップが掛かったまま何年もお蔵入に。開封後も時々眺めてはいるものの、未だポスターの購入には結びついていない。

●作家:Martin Kippenberger(1953-1997)
●種類:Catalogue raisonné
●題名:Martin Kippenberger: Die gesamten Plakate 1977-1997
●序文:Bice Curiger
●サイズ:246x205x26mm
●技法:Offset
●発行:Offizin Verlag, Zürich/Verlag der Buchhandlung Walther König, Köln
●印刷:Franz Horisberger AG, Zürich
●制作年:1998
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この総目録は1998年にスイスのチューリッヒにある美術館、クンストハウス・チューリッヒ(Kunsthaus Zürich)で、マルティン・キッペンベルガーの初期写真、コラージュ、オブジェ、ポスター全作品、後期の彫刻を集めて開催された展覧会「Martin Kippenberger - Frühe Bilder, Collagen, Objekte, die gesamten Plakate und späte Skulpturen」に合わせて刊行されたもので、生前キッペンベルガーが制作した178点のポスターが収録され、刊行に合わせて作られたと思われる展覧会の出品作品リストを載せた別刷りのポスター(720x460mm)(註1)が付いている。序文をスイスの現代美術の専門誌「Parkett」の創刊に携わるとともに編集長(1984-)を務め、また当時クンストハウス・チューリッヒのキュレーター(1993-2013)でもあったビーチェ・クリーガー(Bice Curiger, 1948-)女史が執筆している。購入時の価格は50ドルぐらいではなかった思う。掛かった費用は送料等を加えて九千円程度であったが、没後キッペンベルガーの評価が高まると共に、資料的価値の高いこの総目録もそれに合わせて値上りしているようで、今は本体だけで三万円近く、あるいはそれ以上している。

翻って、資料の有用性が正しく認識されることなく典型的な作品を追い求める日本では、一般的に経験知の方が重く見られ、資料の重要性が軽んじられているように思われる。結果として、未だ光が当てられていない作品の価値を再発見することが難しく、欧米の後塵を拝することに。更に言えば、欧米の評価に追随することに慣れてしまっているかのようにも見える。言い古されていることかもしれないが、空前の日本ブームに沸く今こそ、軍事的プレゼンスや経済的なイニシアチブを追求するよりも、形の背後にある何かを表現しようとする文化面での先進性を戦略的に押し進めることの方が日本の存在感をより高めるのではないだろうか。(脱線)

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註:

1.総目録に付けられたポスター、180x230mm(720x460mm)、オフセット、八つ折り。
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by galleria-iska | 2019-01-31 19:10 | 図録類 | Comments(0)
2018年 02月 14日

フリードリヒ・メクセペルの版画集の図録「The Nobel Prizes」(1983)

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スウェーデン最南部の都市マルメ(Malmö)にあるボルイェソン画廊(Galerie Börjeson, Malmö)は北欧有数の版元として、マルク・シャガール、ジョアン・ミロ、サルヴァドール・ダリ、アンディ・ウォーホルのような世界的に知られる作家や、池田満寿夫、元永定正、加山又造、吹田文明、中山正といった日本人作家の作品を数多く出版しており、ミロの画集やレゾネの翻訳版の出版も行っている。今回取り上げるのは、画廊設立者のボルイェソン氏が長年暖めてきた企画で、1983年に出版されたノーベル賞を称える版画集「The Nobel Prizes」を紹介する図録で、ノーベル賞各賞(物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学)の歴代受賞者リストと共に、画廊がノーベル各賞をテーマとした作品制作に相応しい作家として依頼したドイツの画家で版画家のフリードリヒ・メクセペル(Friedrich Meckseper, 1936-)による6点の銅版画作品が紹介されている。今手元に二冊あり、画像のものは、メクセペルの版元のひとつで、コラージュとオブジェの作品集「Homo Ludens I-III」の出版も行っているクレーフェルトのペールリングス画廊(Verlag Galerie Peerings, Krefeld)から、版画集の宣伝も兼ねて送られてきたもの。

ボルイェソン画廊からは同じ年、日本のノーベル賞受賞者へのオマージュ(Japanese novel laureates portfolio)として、「具体美術協会」のメンバーであった故元永定正(Sadamasa Motonaga, 1922-2011)による5点組みのシルクスリーン版画集「ノーベル賞オマージュ:ゆかわ、ともなが、ふくい、かわばた、さとう」も出版されている。メクセペルの版画集は手が出せなかったが、元永の版画集を一部購入した。随分と高い送料を払わされたのだが、到着してみると、思いの外しっかりした造りのクラムシェル型の箱(Cramshell box)、いわゆる夫婦箱に収められていた。また、版画家の池田満寿夫(Masuo Ikeda, 1934-1997)のメゾチントによるスウェーデンの劇作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(J.A Strindberg,1849-1912)の悲劇「令嬢ジュリー」を題材にした同名の5点組み銅版画集も同じ年に出版されていて、こちらも一部購入した。知り合いの画廊に見せたところ、ふたつとも譲って欲しいと頼まれたので、箱だけ残ってしまったのだが、深さがあるので、版画やポスターの保管箱として重宝している。

●作家:Friedrich Meckseper(1936-)
●種類:Catalogue
●サイズ:283x215mm
●技法:Offset
●発行:Galerie Börjeson, Malmö, Sweden
●制作年:1983
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by galleria-iska | 2018-02-14 21:00 | 図録類 | Comments(0)
2017年 12月 17日

写真家ハンス・ベルメール「Hans Bellmer photgraphe」(1983)

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ハンス・ベルメールが1968年(!)にパリの版元ジョルジュ・ヴィサ出版(Georges Visat, Paris)から刊行したサド作品をモチーフにした二色刷り10点組みの銅版画集『道徳小論(Petit Traite de Morale)』の美しさは、そのスキャンダラスな内容を感じさせない繊細で優美な描線にあると言っても過言ではない。日本国内でも著名な評論家を始めとしてベルメールの最高傑作に推す声が多かったように思う。ところが作品を最初に手にしたとき、そのあまりに穢れない線に、知人と二人で、まるで女性が描いているようだ、と、ちょっと不安に思ったのだが、その不安は後に現実のものとなった。ベルメールによって1967年から1975年に制作されたとされる銅版画は実はセシル・ランス(Cécile Reims, 1927-)というフランス系ユダヤ人の銅版画家によって彫版されたものであったことが公にされたのだ。つまり自画・自刻・自刷りではなく、浮世絵版画と同様、絵師、彫師、刷り師という完全なる分業制のもとで作品制作が行われていたということである。工房はその事実を掴んでいたのであろうか、という疑問が残るが、ベルメール自身が原版を工房に持ち込んでいたなら、見抜けなかったかもしれない。反対に、1966年以前の銅版画作品はベルメール自身によるものであることが証明されたわけではあるが。フランスの美術界では噂されていたようなのだが、混乱を恐れてか、口を紡ぎ語ろうとはしてこなかったのである。それよってベルメールの作品の価値が全く失われてしまうわけではないが、結果として、ベルメールの版画は値崩れを起こし、その神秘性が薄れてしまったことは確かである。

今回取り上げるのは、今から25年ぐらい前に、パリの書店・画廊アラントン(Arenton S.A.)の店主に勧められてというか、乗せられて購入したハンス・ベルメールの写真集「Hans Bellmer photographe」である。パリのポンピドゥーセンター国立近代美術館(Centre Georges Pompidou-Musée national d'art moderne, Paris)で、1983年12月21日から翌1984年2月27日にかけて、写真部長のアラン・サヤグ(Alain Sayag, 1935-1995)の企画により行われた写真家としてのハンス・ベルメール(Hans Bellmer, 1902-1975)に焦点を当てた展覧会「Hans Bellmer photographe」に合わせて刊行された写真集で、ベルメールのほぼ全写真を収録している。発行に関しては、パリのフィリパッキ出版(Éditions Filipacchi, Paris)とポンピドゥーセンターとの共同出版という形を取っている。ベルメールの高価な挿絵本を幾つも扱っていた先の店主が言うには、出版に対して異議申し立て-写真のモデルとなったウニカ・チュルンの遺族であろう-が起きていて、発禁処分になる可能性があるので、今のうちに買っておかないと手に入らなくなるかもしれないとのことだった。出版時の価格は178フランであったが、120フランにまけてくれると言うので、5冊ほど纏めて購入したのだが、販売出来なくなることを見越しての、在庫減らしだったのかもしれない。現物を見もせずによく購入に踏み切ったと我ながら感心する。送料を抑えるために船便での発送にしてもらい、二ヶ月ほど掛かって到着と相成った。

そのころ日本ではまだ陰毛が映っているだけで《有害図書》にされてしまっていたのだが、それを遥かに超える内容であったため、保管用に用意した箱に入れたまま暫く存在を忘れることにした。ようやく箱から取り出すことができたのは、到着から少なくとも5年以上経った1991年のことで、篠山紀信氏が人気女優をモデルに撮影したヌード写真集が公になったときである。我が国では全国の街の誰にでも見える場所に若い女性の裸体像が据えられているのだが、その道徳的影響に関しては不問にされる一方、芸術表現であったとしても、こと写真に関しては、《検閲》というか、取り締まりが先進国のなかでは飛び抜けて厳しく、医学専門書は例外として、陰毛一本たりとも、たとえそれが影であったとしてもである、公共の良俗に反するということで許されず、公刊する際には修正を強要されてきた。陰毛は頭髪と同じように身体の重要な部位(器官)を保護するために残された体毛であるのだから、それ自体が猥褻ではないことは自明であるのだが、上記の若い女性の裸体像における象徴性、あるいは自然の美という観点を持つ一方で、非常に歪曲された道徳観を植え付けられているのである。それに関連している事例として、我が国で刊行されたベルメールの写真集にまつわる出来事を記しておきたい。

原著から一年後の1984年にリブロポートから日本語の翻訳版「ハンス・ベルメール写真集」の初版が刊行されたが、当該箇所には画像が不鮮明になるよう“ボカシ”(リブロポートは巻末に写真を修正ではなく毀損したことを認め、関係者に対する謝罪(註1)を記している)が入れられており、この本の序文『写真家ベルメール』を書いたフランス文学者、エッセイスト、小説家、翻訳家の澁澤 龍彦(Shibusawa Tatsuhiko, 1928-1987)の受けた衝撃と驚き(註2)を体験できぬまま今日に至っている。澁澤はベルメールのサディスティックなエロティシズムに一際強い関心を寄せ、『ベルメールの人形哲学』(エッセイ集「少女コレクション序説」1985年、中公文庫所収)という一文を書いている。

表紙に使われているのは、1935年に撮られた“人形”をモチーフとする写真「La Poupée」であるが、あたかもカラー写真であるかのような手彩色を施され、倒錯したロリータ趣味を感じさせなくもないが、やはり『不思議の国のアリス』のイメージを強く彷彿させるものがあり、瀧口修造 と谷川俊太郎が詩を寄せている日本の写真家、沢渡朔(Hajime Sawatari, 1940-)の代表作で、そのピンク色のダストカバーを用いた装丁にも類似性が見られる写真集「少女アリス」(1991年)に何らかの影響を与えているのではないかと思われる。人形写真を撮影する1930年代からベルメールの写真の多くは二眼レフのローライフレックス6x6cm(Roleiflex 6x6)を使った正方形のフォーマットで撮影されているが、見る者の視点を画面の中心から逸らさぬよう、集中させることで、そこで起きている事の目撃者、あるいは共犯者と成す働きを持っているように思われる。

●作家:Hans Bellmer(1902-1975)
●種類:Catalogue
●サイズ:305x213mm
●技法:Offset
●発行:E.P.I.Éditions Filipacchi, Paris/Centre Georges Pompidou, Musee national d'art moderne, Paris
●制作年:1983
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註:

1.原文そのまま引用:
「本書掲載図版中、別記の図版を毀損いたしました。読者各位及び原著者、図版版権保有者に深く謝意を表します。現行の法適用のもとで本書を国内出版するための止むを得ぬ措置と理解下さい。将来、当局の法適用に変化があり、当該図版を公刊可能な時期になりましたら、何らかの手段により毀損図版を正しい形で公刊する予定です。悪しからずご了承下さい。尚、当該図版および箇所の判断は、原著輸入の際に東京税関によって関税定率法第27条1項の3に該当する「風俗を害する物品」と認定された図版および箇所に致しました。111頁 112頁 114頁 115頁 120頁」


2.澁澤 龍彦 『写真家ハンス・ベルメール』 序にかえて(以下引用)
 
「これまでにもハンス・ベルメールの画集や写真集はフランスその他で何点か出版されてきたが、最近のポンピドゥー・センターにおけるベルメール展を機に刊行された本書ほど、ショッキングな美しさで見る者を魅了するものはないように思われる。おぼただしい未公開の写真が初めてまとまった形で公開されて、特異な写真家としてのベルメールの顔が一躍して大きくクローズアップされたからである。(中略)

しかも本書の見どころはそれだけではない。それよりも私たちにとってショッキングなのは、本書の後半に収録されたポルノグラフィックな匂いの濃厚な一群の写真、とくにベルメールの晩年に彼と同棲していた女流芸術家ウニカ・チュルンと緊縛ヌード写真であろう。これは人形ではなくて、生身の女体をオブジェとしての写真だ。(中略)

シュルレアリスムはよくよく性的な妄執と深い関係があるらしく、ときどき、このようなスキャンダラスな妄執の公開が私たちの好奇心に刺激をあたえてくれる。このベルメールの死後公開の写真集も、明らかにそういう系列の一つと見ることができるだろう。」


by galleria-iska | 2017-12-17 18:28 | 図録類 | Comments(0)
2017年 12月 08日

ヴィクトル・ブローネルの個展図録「Le Point Cardinal」(1963)

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以前、ユダヤ系ルーマニア人の画家ヴィクトル・ブローネル(Victor Brauner, 1903-1966)が1963年の4月から5月にかけてパリのル・ポワン・カルディナル画廊(Galerie le Point Cardinal, Paris)で行った個展の招待状(註1)を取り上げたことがあるが、今回はその図録である。表紙には招待状と同じイメージが使われている。描かれているのは、生と死、あるいは人間の生の二つの相である“覚醒”と“眠り”を表す頭部を上下に組み合わせたもので、フロイトの精神分析の根幹となる無意識と深く関わる夢を重要視したシュルレアリスムとの関連性も見て取れるかもしれない。自身をモデルに描いたとされる頭部は金色に塗られ、日本の蒔絵にも似た表情を見せており、漆黒の闇の中で光を反射し輝く。現実世界と眠りによって引き起こされる夢の中の世界は、意識と無意識とによって区分されるが、夢は現実世界でのストレスを補償する作用を持つとされている。現在は仮想現実というインターネットの空間が、夢の代わりを行っているところがあり、無意識的に自我を守ろうとするため、他者に対して驚くほど攻撃的になるケースが一種の社会問題ともなっているようである。

出品作品は、ブローネルが1961年から翌62年にかけて制作した近作を展示するもので、様式的には、デ・キリコ、サルバドール・ダリやルネ・マグリットを思わせる不条理な世界やデベイズマンと呼ばれる事物に有り得ない組み合わせを写実的描いた、所謂シュルレアリスムの典型とも言える作品とは異なり、晩年に現れる、少年時代に興味を抱いた動物学に端を発するであろう人間と他の生物との関係性を表すような、プリミティヴな傾向の絵画作品全44点からなる。図録の巻頭を飾るのはフランスのシュルレアリスムの詩人ルネ・シャール(René Char,1907-1988)が1938年に書いた詩『種子の顔(Visage de Semence)』で、この図録が初出となる。

招待状と図録の他に、マン・レイスト氏の云うところの、“展覧会の三種の神器”を構成する告知用ポスター(註2)、さらには限定60部のシルクスクリーンの版画作品「Autoportrait(自画像)」も同時に制作されており、それらにはエンボス加工が施されている。図録はそれほど高価ではなく、3千円~5千円(古書店価格)で入手可能。オリジナルデザインの告知用ポスターは未だ入手していないが、ヨーロッパでは人気があるようで、5万円前後と、まあまあ(?)の値が付いている。当然のことながら、版画作品はそれよりも高く、オークションでも15万円以上で落札されているので、画廊での購入価格はそれ以上になるであろう。

●作家:Victor Brauner(1903-1966)
●種類:Catalogue
●サイズ:186x140mm
●技法:Silkscreen
●発行:Galerie Le Point Cardinal, Paris
●印刷:Imprimerie Union, Paris
●制作年:1963
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註:

1.
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個展の招待状(三つ折り)
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図版:個展の告知用ポスター。エンボス加工を施された頭部の不思議な文様に注目していただきたい。技法:Silkscreen with embossing(Sérigraphie en couleurs avec gaufrage), サイズ:665x500mm, 印刷:Imp. Union, Paris, 発行:Galerie le Point Cardinal, Paris
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by galleria-iska | 2017-12-08 13:24 | 図録類 | Comments(3)
2017年 11月 25日

杉本博司の写真集「Time Exposed」(1995)

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一見、無表情にも見える写真であるが、それは生の時間を切り取る従来型の写真ではなく、作家が対象に対して抱く感情を明快なコンセプトを基に、8x10の大型のビューカメラ(8x10 View Camera)で無作為的に撮影した結果であり、我々の写真に対する概念を覆すこととなった。そこに一貫して流れているのは、対象との物理的な距離や関係性ではなく、見る側に時間(停止した時間、流れている時間、動いている時間)の存在を強く意識させるということである。それらの作品は世界的に評価され、今や日本を代表する現代美術の作家となった杉本博司(Hiroshi Sugimoto, 1948-)氏は1948年、戦後の第一次ベビーブーム、いわゆる団塊の世代の真っ只中に生まれた。立教大学の経済学部を卒業後、世界各地を旅行、アメリカのカリフォルニア州パサデナにある美術大学(Art Center College of Design)で写真を学ぶ。生活費を得るために始めた古美術の販売で目を養い、その豊富な知識を活かした作品も数多く制作している。特徴的なのは、その写真が従来の写真の分野ではなく、影響を受けた現代美術の文脈の中で捉えられている点であろう。初期の代表作を集めたこの写真集は、現代美術の展覧会を企画・開催しているスイスのバーセルにある美術館クンストハレ・バーセル(Kunsthalle Basel)で1995年に行われた展覧会「Hiroshi Sugimoto Time Exposed」に合わせてドイツの出版社(Edition Hansjörg Mayer, Stuttgart)から刊行された図録と同時にロンドンの美術出版社テームズ・アンド・ハドソン(Thames and Hudson, London)から刊行されたもの。出版から3年後の1998年にアメリカの写真集を専門とする古書店から購入したのだが、そのころはまだ写真集のブームが来る前で、出版価格よりもずっと安く手に入れることが出来た。ただし、大手出版社が手掛けたことで発行部数が多かったのか、ブームになっても比較的緩やかな値上がりであった。現在の古書価格は百ドルから数百ドルといったところ。

写真集には最初のシリーズ『ジオラマ(Dioramas)』を始めとし、幾つかのシリーズが収録されているが、中でも、ブライス・マーデン(Brice Marden, 1938-)のミニマリズム色の濃いモノクロームの作品を彷彿させる、『海景(Seascapes)』シリーズの中の、画面を水平線で、杉本氏の云うところの“人類の始まりの記憶”である海と空とに二等分した「昼の海の景色」が好きで、価格もまだ数千ドルと手が出せないところまでは行っていない頃、その気になって入手を試みたが、サザビースなどのオークションではいつもこちらの思っている価格を超えてしまい、結局、手元に引き寄せることが出来ずに終わってしまった。今では限定25部のシートサイズが476x578mm(18¾ x 22¾ in)+ マウント:508x610mm(20 x 24 in)のもので数万ドル、限定5部のシートサイズが一メートルを超える大きなものになると、数十万ドルと、目もくらむような価格で落札されている。

●作家:Hiroshi Sugimoto(1948-)
●種類:Photo Book
●題名:Hiroshi Sugimoto Time Exposed
●著者:Thomas Kellein(1955-).Translation by David Britt
●サイズ:250x303mm
●技法:Offset
●印刷:Staib+Mayer, Stuttgart
●発行:Thames and Hudson, London
●制作年:1995
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                図版:[Interior Theaters]:Castro Sanfrancisco, 1992
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                図版:[Day Seascapes]:Indian Ocean, Bali, 1991
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by galleria-iska | 2017-11-25 14:08 | 図録類 | Comments(0)
2017年 10月 24日

バスキア、クレメンテ、ウォーホル展図録「Collaborations」(1984)

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日本国内では新興実業家が高額で落札したことでしかマスコミに取り上げられない夭折の画家ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat, 1960-1988)であるが、日本中が沸騰していた時期には街にポスターが溢れて(?)いた。それより少し前の1983年に限定24部で出版された巨大なシルクスクリーンの版画作品「Back of the neck」(128x259cm)も未だ100万円台で購入可能であった。何かインパクトのある作品を探して欲しいという知り合いの依頼で、作品を取り扱っていたニューヨーク市の出版社に注文したのだが、版元が買主を選んで注文を受ける、というような嘘かホントか分からない条件を付けていて、結局購入することが出来なかった。その後すぐに400万円に跳ね上り、1000万円を超える頃には関心も無くなってしまった。この記事を書くに当たって、最近の価格動向を調べてみると、恐ろしいことになっていた。2011年2月11日のロンドンのクリスティーズ(Christie's London)のオークションに出品されたものは、評価額10万~15万ポンドを遥かに超え、手数料込みで約3500万円(£277250)で落札されたのだが、その後も上がり続け、2016年11月18日にニューヨークのサザビーズ(Sotheby's New York)のオークションに出品されたものは、評価額30万~40万ドルのところ、手数料込みで約6340万円($576500)で落札されているのだ。もっとも、これぐらいにならないと大金持ちは関心を示さないのかもしれないが...。

話を本題に戻そう。小さい頃から骨董好きで収集していた画商のブルーノ・ビショフベルガー(Bruno Bischofberger, 1940-)が1963年、スイスのチューリッヒに開いたブルーノ・ビショフベルガー画廊(Gallery Bruno Bischofberger, Zürich)は1965年、アメリカで大きな潮流となっていたポップ・アートの作家(Andy Warhol, Roy Lichtenstein, Robert Rauschenberg, Jasper Johns, Tom Wesselmann and Claes Oldenburg)の作品による展覧会を開催、その翌年には早くも旧東ドイツのドレスデン出身で、ポップ・アートの影響を受けつつも多種多様な画風を展開するゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932-)の個展を開催している。そして1968年にはアンディ・ウォーホルと1987年まで続く優先的購入契約を結んでいる。

現代美術を扱う画商としては当然のことかもしれないが、常に時代の潮流を敏感に取り込むビショフベルガーは1980年代に入ると、ニュー・ペインティングとも呼ばれる「新表現主義(Neo-Expressionism)」の作家(Jean-Michel Basquiat, Julian Schnabel, David Salle, Francesco Clemente, Enzo Cucchi)らの個展を開催している。中でも早くからバスキアの才能を認め作品を収集していたビショフベルガーは1983年、彼をアンディー・ウォーホルとフランチェスコ・クレメンティに引きあわせ、共同制作(Collaborations)を提案、1984年にその展覧会を開催している。これはその展覧会の図録として、チューリッヒ郊外の風光明媚な町、キュスナハト(Küsnacht)に置かれたブルーノ・ビショフベルガー画廊の出版部門(Edition Gallery Bruno Bischofberger, Küsnacht/Zürich)から刊行されたもの。布装丁で、三人がサインを入れたものもあるようだが、今手元にあるものにはサインは入っていない。27歳で夭折したバスキアとウォーホルの生前に刊行されたものであるということで、欧米の古書店ではかなりの値(5万~8万円)を付けている。この展覧会の翌年にビショフベルガーはバスキアの個展を開催、1000部限定でバスキアのサイン入りの図録を刊行している。こちらは先の理由に加え、サインそのものが稀少価値と見なされており、現在数千ドルの値が付いている。まだそれほど高くない時に入手したのだが、田舎暮らしが故に売却の時期が読めず、値上がりの気配が見え始めた頃に手放してしまった。

●作家:Jean-Michel Basquiat(1960-1988), Francesco Clemente(1952-), Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Exhibition catalogue
●題名:Collaborations
●サイズ:303x218mm
●技法:Offset
●印刷:Schudeldruck AG, Riehen
●発行:Edition Gallery Bruno Bischofberger, Küsnacht/Zürich
●制作年:1984
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                           裏表紙に使われているのは《Alba's Breakfast, 1984》の部分

by galleria-iska | 2017-10-24 13:12 | 図録類 | Comments(0)
2017年 06月 29日

ロバート・マザーウェルの展覧会図録「Robert Motherwell Collages」(1960)

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この図録は、アメリカの抽象表現主義の画家で版画家のロバート・マザーウェル(Robert Motherwell, 1915-1991)が1961年、パリのベルクグリューン画廊(Berggruen & Cie, Paris)で、1958年から1960年にかけて制作したコラージュ作品による個展を開催した際に、画廊の34番目の図録(Collection Berggruen No.34)として刊行されたもの。前回取り上げたパウル・クレーの図録と同様、新しいオーナーの下、2012年に出版活動を再開したパリのカイエ・ダール(Cahiers d'Art, Paris)の旧資料の一部である。綴じがタイトで図版等の撮影が出来ないのだが、名刷り師と謳われたダニエル・ジャコメ(Daniel Jacomet, 1894-1966)の工房(Ateliers de Daniel Jacomet, Paris, 1910~1965)で、明快で均一な色面を特徴とするポショワール(Pochoir=Stencil)の技法で刷られた図版は、時にシルクスクリーンと間違われることもあるが、機械刷りの複製とは異なる不思議な表情を見せてくれる。

ポショワールはアール・デコ時代に高級モード誌のファッション・プレートに好んで使われた技法であるが、工房は違うが、1947年に制作した挿絵本「Jazz」の印刷にステンシルを用いたアンリ・マチス(Henri Matisse, 1869-1954)の息子のひとりで、1931年にアメリカのニューヨーク市に画廊(Pierre Matisse Gallery, New York, 1931-1989)を開き、ヨーロッパの現代美術を紹介したピエール・マチス(Pierre Matisse, 1900-1989)が発行した展覧会図録の図版の印刷にもジャコメによる精度の高いポショワールが使われており、決して時代遅れの技法ではなかった。ただ、機械刷りが全盛になる中、熟練した高い技術と手間を必要とするこの技法は急速に廃れていったのである。

●作家:Robert Motherwell(1915-1991)
●種類:Catalogue(Collection Berggruen No.34)
●サイズ:220x116mm
●技法:Pochoir
●印刷:Ateliers de Daniel Jacomet, Paris
●発行:Berggruen & Cie, Paris
●制作年:1961
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ロバート・マザーウェルの版画作品の総目録(レゾネ):「The Painter and The Printer:Robert Motherwell's graphics 1943-1980」by Stephanie Terenzio, Dorothy C. Belknap, published by The American Federation of Arts, New York in1980
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個展に合わせ、コラージュ作品のひとつ「Capriccio」を版画に仕立てにしたものが200部限定でベルクグリューン画廊から出版された。いわゆるエスタンプと呼ばれるものである。マザーウェルが本格的に版画制作を始めるのはこの年からで、1958年(~1971年)に結婚した同じく抽象表現主義の画家で版画家のヘレン・フランケンサーラー(Heren Frankenthaler, 1928-2011)の提案で、二人一緒にロシア系ユダヤ人の刷り師タチアナ・グロスマン(Tatyana Grosman, 1904-1982)が1957年に設立したリトグラフの版画工房(The Universal Limited Art Editions (ULAE), a lithographic workshop in West Islip, Long Island, New York)に通い、実はマザーウェルは1959年からグロスマンからの版画制作の誘いを受けていた、最初のリトグラフ「Poet I」と「Poet II」を制作している。フランケンサーラー自身も最初の版画作品「First Stone」を制作しているが、マザーウェルのモノトーンの重苦しい表情に対し、彼女の作品は伸びやかで、色彩も豊かに呼応している。

by galleria-iska | 2017-06-29 19:51 | 図録類 | Comments(0)
2017年 06月 27日

パウル・クレーの展覧会図録「L'Univers de Klee」(1955)

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日本での知名度の高さはヨーロッパのそれを凌ぐとさえ言われ、人気、評価ともに高い作家として幾度となく展覧会が開催されているスイス生まれのドイツ人画家パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)。しかしそれは、もっぱら鑑賞の対象としての存在であり、良品ならば数十センチぐらいの水彩画でも数千万円を超えるのだから、購入してまで愉しもうという者は少ない。ならば版画でも、と思っても、初期の銅版画は軽く一千万円を超え、署名入りのもので百万円を切るものは僅かしかないのだから、おいそれと手を出すことはできない。せめてスイスのコルンフェルト画廊(Verlag Kornfeld und Klipstein, Bern)が1963年に刊行した版画のレゾネ「Verzeichnis des graphischen Werkes von Paul Klee」(限定2500部)ぐらいはと思えど、これがまた絶版で、古書価格15万円以上と、庶民には縁遠いものとなってしまっていた。ところが2005年に1200部限定、280スイス・フランで再販されたことで、初版の価格は暴落、美術館、図書館、大学等の公的機関への納入を当て込んでいた業者には申し分けないが、今は比較的安価で手に入れることができるようになった。

自らも絵画収集家であったユダヤ系ドイツ人画商ハインツ・ベルクグリューン(Heint Berggruen, 1914-2007)-日本の美術界(?)ではベルグランと呼ばれている-は1936年、ナチ政権から逃れるためにアメリカに移住、大学でドイツ文学を学び、美術批評家として働いた後、美術館に奉職。1940年、彼と同じように、ナチ政権からアメリカに逃れてきた避難者からクレーの水彩画を100ドルで購入したのが、後にクレーを収集する切っ掛けとなった。第二次世界大戦後、アメリカ陸軍の一員としてドイツに赴任した後、パリに移住。1947年、パリのユニヴェルシテ通り(Rue de l'Universite)に画廊の前身となる挿絵本を扱う書店を開き、その後リトグラフも扱うようになる。1952年、パウル・クレーの版画展を開催、その際、画廊の最初の図録『Collention Berggruen』を制作・刊行した。それから3年後の1955年、水彩、グアッシュ、デッサンによる展覧会「L'Univers de Klee」を開催。このポケットサイズの図録はその際に刊行された画廊12番目の図録である。以前所有していたものは告知用ポスターと一緒に手放してしまったのだが、最近になって、2010年にスウェーデン人美術収集家(Staffan Ahrenberg)の手に渡り、2012年に美術出版社として再出発を果たしたカイエ・ダール(Cahiers d'Art)から、資料として残されていたものを運良く購入することが出来た。表紙には、告知用ポスター(註1)にも使われている、色彩のパッチワークとも言える1927年制作の水彩画「Klang der südlichen Flora(南方の花の音色」(註2)が使われているのだが、原画のサイズに合わせるためか、図録の表紙に折り返し(袖)を作って収めている。印刷はパリのムルロー工房(Imp. Mourlot, Paris)である。クレーのこの作品は、「魔方陣」と呼ばれる四角を規則的に組み合わせて構成された抽象性の高い作品のひとつで、見る者に音楽におけるリズムやハーモニーに似た感覚を覚えさせる。図録にはクレーの作品に寄せた、シュールレアリスムの運動に参加した詩人のひとり、ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert, 1900-1977)による一編の詩が添えられ、またバウハウス時代のクレーからシュールレアリスムの運動の中心的役割を担った詩人のポール・エリュアール(Paul Éluard, 1895-1952)に宛て、詩人から送られた詩集への謝意や挿絵本制作の申し出などが綴られた、1928年4月21日付の手紙のファクシミリが綴じ込まれている。

前にも書いたことがあるが、ベルクグリューンは展覧会を開催する一方、現代作家の版画作品の出版も行い、販売方法に、当時としては画期的な通信販売の手法を取り入れ、世界中の顧客や業者向けに、図録とほぼ同じフォーマットで作られたカタログ『Maitres-Graveurs Contemporains』(1963~1993) をシリーズ化して刊行している。初号(Reproduction of Picasso's linocut "Toros Vallauris 1958")と最終号(White Cover)を除き、画廊で個展を開催した作家によるオリジナル・リトグラフを表紙に用いている。ベルクグリューンは1990年、収集と取引に専念するために、画廊の経営権を当時助手を務めていたアントワーヌ・マンディアラ(Antoine Mendiharat)に譲渡している。

●作家:Paul Klee(1879-1940)
●種類:Catalogue(Berggruen Collection No.12)
●題名:L'Univers de Klee
●サイズ:220x118mm(220x 363mm)
●技法:Lithographic cover printed by Mourlot, Paris
●発行:Berggruen & Cie, Paris
●制作年:1955
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註:

1.
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図版:図録の表紙と同じイメージを使って作られた告知用ポスター。サイズ:644x474mm、印刷:ムルロー工房、1955年。このポスターの複製(?)がニューヨーク市の《Penn Prints, New York》で作られていて、それにはシート下部に印刷所のムルロー(Mourlot)の名が記されていない。ポスターは以前所有していた図録と共に手放してしまったのだが、そういうものに限って、被害妄想かもしれないが、評価が高くなるようだ。ニューヨーク近代美術(MoMA)には版画作品と共に、このポスターが収蔵されている。


2.
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図版:ベルクグリューン画廊での展覧会以降に購入されたこの水彩画「Klang der südlichen Flora」(230x300mm)は2003年11月6日、ニューヨーク市のサザビーズ(Sotheby's)で開催されたオークション『Impressionist & Modern Art, Part Two』に出品され、40万ドル(手数料込み)で落札されている。来歴は以下の通り:

Provenance:
Lily Klee, Bern(1940-46)
Klee-Gesellschaft, Bern(from 1946)
Galerie d'Art Moderne, Basel
Berggruen & Cie, Paris
Acquired by the Grandfather of the Present Owner circa1955~65

by galleria-iska | 2017-06-27 18:18 | 図録類 | Comments(0)
2017年 05月 08日

アンディ・ウォーホルの写真集「Andy Warhol Photographs」(1987)

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アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)の生前最後の個展は、ニューヨーク市のロバート・ミラー画廊(Robert Miller Gallery, New York)で、1987年1月6日から31日にかけて開催された写真展「Andy Warhol Photographs」であった。これはその展覧会に合わせて刊行された写真集。1976年以降に制作された同じ図柄の写真-4枚組のものが多いが、6枚組、9枚組、12枚組ものもある-を白い糸で縫い合わせて作られた「縫合写真(Stitched Photographs)」77点を収録している。本の装丁は、30年のキャリアを持ち、この後ブルース・ウェーバーの写真集「Bruce Weber」(Alfred Knopf, New York, 1989)のデザインと編集を手掛けることになるブック・デザイナーのジョン・シャイム(John Cheim)によるもの。シャイムは1997年、多くの作家との仕事を活かし、ニューヨーク市にハワード・リード(Howard Read)とギャラリー、シャイム・アンド・リード(Cheim & Read)を設立している。

この写真集は1990年代にニューヨーク市にある古書店の在庫リストからタイトルだけで購入したもので、購入時の価格は50ドルだったと思う。写真集がブームになった時期には200ドル以上の値が付いたが、今は100ドル前後というところか。画像を見てのとおり、黄色フェチの自分には至福の一冊となった。ダストカバーはなく、黄色一色の表紙にエンボスが施された黒地に白色のレタリングが立体感を生み出しているのだが、そのアイデアの根底にはマン・レイの写真とポール・エリュアールの詩によるコラボレーション「ファシール(Facile)」(1935年)(註1)があったのだろうか。

そのウォーホルの写真作品を入手できる最初で最後のチャンスは、現在では優に100万円以上しているが、1987年、ウォーホルが死の直前にスイスの美術誌『パーケット(Parkett)』からの依頼で制作した120部限定の縫合写真(four stitched-together photographs of skeletons)(註2)であった。それは4点の骸骨の写真を縫い合わせたもので、多少高かったものの、まだ手が届きそうに思えた。が、ルオーの骸骨をモチーフとした版画作品の評価が頭をよぎり、決断できなかった。作品はウォーホルが病院に入院する直前にファクトリーから発送され、ウォーホルが亡くなった次の日(1987年2月23日)に出版社に届けられた。ウォーホル自身自己の死を予感していたわけではないが、期せずして「死を想え-メメント・モリ(Memento Mori)」に繋がるテーマを選んでしまったことになる。

同じイメージを反復するというウォーホルの手法は、お馴染みのものであるが、いまひとつ理解できないところがある。ましてやそれを“糸”で縫い合わせるという行為の意図については。反芸術を標榜するかのように、『ぼくは退屈なものが好きだ』という言葉を残したウォーホルは、パターン化された表現を繰り返し用いることで、大量生産という消費社会の特性を取り込みながら、全体を抽象的なひとつの光と影のコントラストに還元し、一回性を重んじる旧来の芸術が目指してきたものとは対極的な地平、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887-1968)のレディ・メイドを継承するポップ・アートの雄として立っている。糸で縫うというアイデアについては、美術史家のウィリアム・ガニス(William Ganis)の著書(註3)によれば、彼の友人で、スタジオ助手、旅行同伴者の写真家クリストファー・マコス(Christopher Makos, 1948-)が1976年から行なってきたものを拝借(ウォーホルは他の作家のアイデアを自己の表現に取り入れ、それを自らのものとしている。そのことは草間弥生や東典男が証言している)したもので、ウォーホルは1982年、ベルニナ・ミシン(Bernina Sewing Machine)を購入し、マコスが勧誘してきた服飾学校生ミシェル・ラウド(Michele Loud)を助手と使い、縫合写真の殆んど全てを担当させている。その最初の成果となったのが、1987年のロバート・ミラー画廊での個展であった。この個展は批評家の賞賛を浴び、98点の縫合写真が売れた。それに気を良くしたウォーホルは亡くなるまで制作を続けた、とある。

縫合写真を見ていて気になるのは、縫いつけを示すためであろう、写真の角が合わさる部分に縫い糸を意図的に残しているところである。それはコンセプトとしての縫合写真を成立させるため、あるいはオブジェとしての量感というか物質感を持たせるための作為であったのだろうか。

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Catalogue
●著者:Stephen Koch
●サイズ:290x232mm
●技法:Offset
●発行:Robert Miller Gallery, New York
●制作年:1987
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註:

1.
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図版:Man Ray et Paul Éluard, 『Facile』. Poésies de Paul Éluard. Photographies de Man Ray. Paris, Éditions G.L.M., 1935.

2.
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図版:Andy Warhol:Photo Edition for the Parkett(Parkett No.12), 1987. Multiple of four machine-sewn gelatin silver prints, 248x199mm, Ed.120

3.William V. Ganis, 『Andy Warhol’s Serial Photography』. Cambridge, 2004

by galleria-iska | 2017-05-08 22:35 | 図録類 | Comments(0)
2017年 01月 31日

ウォーホルの展覧会図録「The American Indian」(1978)

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最近、白人至上主義的な傾向を見せる某大統領の出現とその偏った政策に対する反論として、アメリカ合衆国は移民によって成立しているとよく言われるが、それは一千万人に近いとも言われるアメリカ・インディアンの虐殺、絶滅政策という血の歴史の上にたっていることは一顧だにされない。アメリカ・インディアンをアメリカ史からも抹殺しようと図るその政策は、インディアン居留地を廃止し、彼らを都市の中に紛れ込ませるという形に変えられ、1960年代いや70年代に入っても行なわれていた。随分前にアメリカの美術専門の古書店からウォーホルの展覧会の図録ということで内容もよく知らずに購入したのが、このなんの変哲もないというか、実に素っ気無いデザインの図録。タイトルページもなく、表紙に展覧会の図録である旨が記載されている。この図録(註1)は、1977年10月28日から翌年1月22日まで、スイス第二の都市ジュネーヴにあるジュネーヴ美術・歴史博物館(Musée d'art et d'histoire, Genève)で開催されたアンデイ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)の17点の作品からなる展覧会「The American Indian」に際して発行されたもの。初版は1977年10月に1000部限定で発行されたが、早々と売り切れてしまったため、1978年に新たに1000部限定で再版された。今回取り上げるものは後者。

この展覧会に先行する展覧会「American Indian Series」が、アメリカの現代美術の作家を幅広く紹介しているロサンゼルスのエース画廊(Ace Gallery, Los Angeles)の主催で、1976年から1977年にかけて開催されている。その際、ウォーホルの絵画作品をもとにしたポスターが三種類(註2)作られている。「American Indian Series」は、ウォーホルがアメリカ建国200年にあたる1976年にエース画廊(Ace Gallery, Los Angeles)からの依頼で制作した一連の作品で、ウォーホルがニューヨークで撮影したアメリカ・インディアンのラコタ・スー族の活動家、思想家、俳優で、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動」(AIM)のスポークスマンであったラッセル・ミーンズ (Russell Means、1939-2012)の肖像写真をもとに制作された12点のラージフォーマット(214x178cm)、24点のスモールフォーマット(127x107cm)の肖像画、それと少なくとも6点の鉛筆デッサン(104,1x71,1cm)からなる。エース画廊は、この肖像画制作に際し、活動資金として、ラッセル・ミーンズに5000ドル支払っている。

ジュネーヴ美術・歴史博物館での展覧会はその内の17点をエース画廊から借り受け開催されたものである。このシリーズはウォーホルの一連の肖像画制作の流れを汲むのかもしれないが、アメリカの恥部であるインディアンを主題として取り上げることは、多分に政治的な意味合いを持つことを、キング牧師に率いられた公民権運動の最中の1963年に起きたアラバマ州バーミンガムの人種暴動(Birmingham Race Riot)(註3)を取り上げたウォーホルはどのように捉えていたのだろうか。その初期に、死というスキャンダラスな側面を敢えて取り上げることで芸術の範疇を押し広げようしていたかのように見えるウォーホルは、純粋に政治的な意図を念頭に置いていたとは考え難く、アメリカ・インディアンの大量虐殺という死のイメージ、そのスキャンダラスな側面に興味を抱いたと言う方が的を得ているのかもしれない。

●作家:Andy Warhol(1928-1987)
●種類:Exhibition catalogue
●サイズ:298x210mm
●技法:Offset
●限定:2nd edition of 1000 copies
●発行:Association Musée d'Art Moderne, Genève
●印刷:Studer SA, Genève
●制作年:1978
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註:

1.「The American Indian」 : une série de six dessins et onze peintures d'Andy Warhol : exposition, Musée d'art et d'histoire, Genève, 28 octobre 1977-22 janvier 1978 : catalogue /​ [établi par Rainer Michael Mason] ; éd. par l'Association Musée d'art moderne. 36 p.

2.展覧会の開催地としてパリ(1976年:黒背景)、カナダ(1977年:赤背景)、ロサンゼルス(1977年:青背景)が記載されている。その内の2点がこちら:
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図版:アメリカ現代美術のメッカとも言えるロサンゼルスのエース画廊が1976年にカナダ(?)で開催したウォーホルのアメリカン・インディアンをテーマとする作品展「American Indian Series」の告知用ポスター、オフセット、1245x851mm《The American Indian Series(Red version), Ace Gallery, Los Angeles》
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図版:1977年の展覧会の告知用ポスター、オフセット、1245x851mm《The American Indian Series(Blue version), Ace Gallery, Los Angeles》

3.ウォーホルが1964年に制作したシルクスクリーンの版画作品「Birmingham Race Riot」は1963年5月17日に発行された雑誌「ライフ(Life)」に掲載された、アメリカの写真家チャールズ・ムーア(Charles Moore, 1931–2010)撮影の写真に基づく。その写真は1963年4月2日に起きたバーミンガム暴動を取材したもので、アラバマ州バーミンガムで人種差別(segregation)反対のデモや座り込みを開始したキング牧師らに対して、警察が警察犬をけしかける場面を撮影したもので、ウォーホルはその写真を左右反転して用いている。

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左がウォーホルの作品。右はそれを左右反転して、元になったチャールズ・ムーアが撮影した写真のイメージに戻したもの。

by galleria-iska | 2017-01-31 21:02 | 図録類 | Comments(0)